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 晩秋の斑鳩路から富雄川そして秋篠川と大和を北に向けて輪行してきました。ここ暫くは、北から南へ下るルート(どちらにしても往復しているので同じですが)が多いので、何か景色が新鮮に見えます。法輪寺前へ車を置く前に土産を購入、和歌山産のミカンです。何故、大和で紀州のミカンとあまり深くお考えにならず、紀の川繋がり程度としましょう。<br />

晩秋の斑鳩路から薬師寺あたりを 今後千年間は見られない東塔の改修工事

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2019/11/28 - 2019/11/28

1982位(同エリア5393件中)

旅行記グループ 大和を旅する その2

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河内温泉大学名誉教授

河内温泉大学名誉教授さん

 晩秋の斑鳩路から富雄川そして秋篠川と大和を北に向けて輪行してきました。ここ暫くは、北から南へ下るルート(どちらにしても往復しているので同じですが)が多いので、何か景色が新鮮に見えます。法輪寺前へ車を置く前に土産を購入、和歌山産のミカンです。何故、大和で紀州のミカンとあまり深くお考えにならず、紀の川繋がり程度としましょう。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 バイク

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  •  先ずは定番の、法起寺とコスモス。既に枯れかかっているが、ピンが怪しいカメラなので都合が良い。ご夫婦で水彩を描かれている、気になるが覗くのは止しましょう。やがて、大和郡山市へ。

     先ずは定番の、法起寺とコスモス。既に枯れかかっているが、ピンが怪しいカメラなので都合が良い。ご夫婦で水彩を描かれている、気になるが覗くのは止しましょう。やがて、大和郡山市へ。

  •  大和の小泉の地は中世に小泉氏の館が、また近世には片桐氏の陣屋(じんや:城とも呼ばれることがあります)がつくられたところです。小泉神社は陣屋の成立前に創建されているので、おそらく小泉氏や村人の信仰の中心としてつくられたものと推定されます。

     大和の小泉の地は中世に小泉氏の館が、また近世には片桐氏の陣屋(じんや:城とも呼ばれることがあります)がつくられたところです。小泉神社は陣屋の成立前に創建されているので、おそらく小泉氏や村人の信仰の中心としてつくられたものと推定されます。

  •  小泉神社の説明版

     小泉神社の説明版

  •  片桐氏の館跡

     片桐氏の館跡

  •  同裏より

     同裏より

  •  田圃なら「刈れ入れ」済みでしょうか。金魚池の場合はどう呼べば良いのか、休魚中の金魚畑です。

     田圃なら「刈れ入れ」済みでしょうか。金魚池の場合はどう呼べば良いのか、休魚中の金魚畑です。

  •  収穫された金魚は町中で働いています。銀行の様ですが、銀でも黒でも無く赤地金魚でした。

     収穫された金魚は町中で働いています。銀行の様ですが、銀でも黒でも無く赤地金魚でした。

  •  金魚の電話ボックス以来この手の細工が流行っているのか、今回は自動改札機に納まっていました。金魚迷惑な話でしょう。

     金魚の電話ボックス以来この手の細工が流行っているのか、今回は自動改札機に納まっていました。金魚迷惑な話でしょう。

  •  やがて、奈良市内との接点にやって来ましたので秋篠川沿いに走ります。<br />

     やがて、奈良市内との接点にやって来ましたので秋篠川沿いに走ります。

  •  堤防沿いに走っていますと遠くに薬師寺が見えて来ました。月初に走った時と少し違うと思いつつ近づくと、東塔の「御簾」と表現していました覆いが南の半分が外されています。来年の落慶に向けて工程が着々と進捗しているようですね。

     堤防沿いに走っていますと遠くに薬師寺が見えて来ました。月初に走った時と少し違うと思いつつ近づくと、東塔の「御簾」と表現していました覆いが南の半分が外されています。来年の落慶に向けて工程が着々と進捗しているようですね。

  •  東塔の先端部も顕わになってきました。近くではクレーンが唸りを上げて足場などを降ろしています。<br /> 余程の異変が無い限り、この様な風景は今後千年は見ることが出来ない。現世で自身が立ち会えたのが良いのか否かは、佛のみぞ知るでしょう。

     東塔の先端部も顕わになってきました。近くではクレーンが唸りを上げて足場などを降ろしています。
     余程の異変が無い限り、この様な風景は今後千年は見ることが出来ない。現世で自身が立ち会えたのが良いのか否かは、佛のみぞ知るでしょう。

  •  薬師寺玄関の表札のようなモノでしょうか。

     薬師寺玄関の表札のようなモノでしょうか。

  •  中門から覗くと若い坊さんが観光客相手に青空説法開演中でした。この坊さんが案内すると共に仏教の入り口を説明するという「青空説法」は高田好胤師が昭和24年から18年間行っていました。「観光寺院」の「ガイド坊主」とも揶揄されながら金堂と西塔の再建という現在の薬師寺の礎となった人です。天武天皇が発願し持統天皇が完成し、高田好胤師が蘇らせたといえますね。

     中門から覗くと若い坊さんが観光客相手に青空説法開演中でした。この坊さんが案内すると共に仏教の入り口を説明するという「青空説法」は高田好胤師が昭和24年から18年間行っていました。「観光寺院」の「ガイド坊主」とも揶揄されながら金堂と西塔の再建という現在の薬師寺の礎となった人です。天武天皇が発願し持統天皇が完成し、高田好胤師が蘇らせたといえますね。

  •  線路を西へ渡って一つ北の踏切(西ノ京第2号踏切)を再び戻ります。そこには行き止まりの田圃が一枚(百坪程度)有るだけです。何故こんな場所に渋ちんで通る近鉄が踏切を付けているのか・・・<br /> 電車が通過中です。<br />

     線路を西へ渡って一つ北の踏切(西ノ京第2号踏切)を再び戻ります。そこには行き止まりの田圃が一枚(百坪程度)有るだけです。何故こんな場所に渋ちんで通る近鉄が踏切を付けているのか・・・
     電車が通過中です。

  •  推測ですが、明治維新後東大寺などの檀家を持たない官寺系は、年間経費(含年貢)を貰える(幕府等から)ことが出来なくなります。加えて「廃仏毀釈」ですから財政は逼迫します。そこで、寺域内の空地を農地として貸し出しました。しかし戦後の農地解放政策で寺地が民地になるというので小作権を買い上げたのですが、この農地は買い損ねたのでは無いか・・・と見立てました。<br /><br /> この踏切を利用して多くの方が寺の中にあった田圃を耕しに往き来した名残でしょう。同様の問題は法隆寺でもあったそうで、買い取りに難渋したようですが、それが今も山内を自由に出入りできる理由とあれば、良いことを残した歴史遺産でもありますね。<br /> <br /> 一枚の田のために残された踏切から境内の紅葉です。このショットを見られるのは僅かな人だけでしょうか、モミジの裏側は人慣れしていないようです。

     推測ですが、明治維新後東大寺などの檀家を持たない官寺系は、年間経費(含年貢)を貰える(幕府等から)ことが出来なくなります。加えて「廃仏毀釈」ですから財政は逼迫します。そこで、寺域内の空地を農地として貸し出しました。しかし戦後の農地解放政策で寺地が民地になるというので小作権を買い上げたのですが、この農地は買い損ねたのでは無いか・・・と見立てました。

     この踏切を利用して多くの方が寺の中にあった田圃を耕しに往き来した名残でしょう。同様の問題は法隆寺でもあったそうで、買い取りに難渋したようですが、それが今も山内を自由に出入りできる理由とあれば、良いことを残した歴史遺産でもありますね。
     
     一枚の田のために残された踏切から境内の紅葉です。このショットを見られるのは僅かな人だけでしょうか、モミジの裏側は人慣れしていないようです。

  •  さて、次は唐招提寺ですが林に囲まれて外野からはあまり山内は伺えません。ならばと、寺を過ぎて線路西を北から南に走っていると唐招提寺「大日堂」跡という場所に出ました。何でも、奈良時代に仏様が奉られていたと言う看板だけですが町内のゴミ集積所になっていないようです。(蛇足ながら、仁徳陵脇では世界遺産になった陪塚がゴミ置き場になっていました)

     さて、次は唐招提寺ですが林に囲まれて外野からはあまり山内は伺えません。ならばと、寺を過ぎて線路西を北から南に走っていると唐招提寺「大日堂」跡という場所に出ました。何でも、奈良時代に仏様が奉られていたと言う看板だけですが町内のゴミ集積所になっていないようです。(蛇足ながら、仁徳陵脇では世界遺産になった陪塚がゴミ置き場になっていました)

  •  ぼちぼち日が傾き大和盆地に陰を広げてきます。ここから法輪寺までは約10キロ程度です。5時には駐車所も閉門されますので急ぎます。

     ぼちぼち日が傾き大和盆地に陰を広げてきます。ここから法輪寺までは約10キロ程度です。5時には駐車所も閉門されますので急ぎます。

  •  もう一度西側の高所から。右から薬師寺の西塔、工事中の東塔とクレーンを置いて金堂です。

     もう一度西側の高所から。右から薬師寺の西塔、工事中の東塔とクレーンを置いて金堂です。

  •  秋篠川に沿って下るのは良いのですが、大和川と合流する手前で法隆寺方向へ西に進路を取ると矢田丘陵に向かってやや登りとなります。これを登り切ったら起点であり、終点である法輪寺の塔が見えてきました。

     秋篠川に沿って下るのは良いのですが、大和川と合流する手前で法隆寺方向へ西に進路を取ると矢田丘陵に向かってやや登りとなります。これを登り切ったら起点であり、終点である法輪寺の塔が見えてきました。

  •  その前に、左に逸れて法隆寺近くの誓興寺に立ち寄りました。「まほろばの僧 高田好胤」の著者太田信隆氏が住職を務めるお寺です。「新・法隆寺物語」の著者でもあり、五木寛之の百寺巡礼でも文中でよく取り上げられている方です。

     その前に、左に逸れて法隆寺近くの誓興寺に立ち寄りました。「まほろばの僧 高田好胤」の著者太田信隆氏が住職を務めるお寺です。「新・法隆寺物語」の著者でもあり、五木寛之の百寺巡礼でも文中でよく取り上げられている方です。

  •  勿論、鐘や呼び鈴など押さずに、山門前で手を合わせただけでした。同寺の本堂や山門も、法隆寺や薬師寺の一連の修復・再興に携わった宮大工の棟梁、西岡常一氏の作であると聞いていましたので、槍鉋(やりがんな)で仕上げた柱の表面を確かめるのが目的でした。確かに木の木目を残しつつ処理された表面は、電動カンナとは違い千年は持つというしぶとさを秘めているようでした。

     勿論、鐘や呼び鈴など押さずに、山門前で手を合わせただけでした。同寺の本堂や山門も、法隆寺や薬師寺の一連の修復・再興に携わった宮大工の棟梁、西岡常一氏の作であると聞いていましたので、槍鉋(やりがんな)で仕上げた柱の表面を確かめるのが目的でした。確かに木の木目を残しつつ処理された表面は、電動カンナとは違い千年は持つというしぶとさを秘めているようでした。

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