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1222 岩窟墳墓からシェフサーデ博物館に向かうが,閉まっていた.その後,Hazeranlar Konauを探してさ迷い歩く 反対側のホテルで聞いてやっと場所がわかる.民家を改造したオスマントルコ時代の裕福な民家を見せる博物館だ.1865年に,アマスヤの会計係であるHasan Talat Efendiによって建てられた.ハゼランラルマンションは、オスマン帝国時代の地元の土木建築作品の特徴を反映した最も美しい建物の1つとのこと.特に印象的なのは女性たちの服装が華やかなこと.家の中でおしゃれするんだね.1248 見学終了 トルコの地方の裕福な家の様子を垣間見ることができた.むかしボスニアヘルツェゴビナやブルガリアでオスマン征服時代のトルコ人の家を見たことがあるが,調度品などは一緒だが,ここは大きいし,さすが地元,洗練されていた.入場料は7TL 他の博物館と同じ入場券だった.<br />その後川沿いに歩いていく.アマスヤを治めることが,スルタンに行く道だったようだ.「アマスィヤがオスマン帝国のバヤジット1世に併合されてから、代々スルタンは自身の子供を教育のためにアマスィヤに送ったために、アマスィヤは教育の中心として重要度が増した。将来統治者となるための準備の一環として、スルタンの後継者達にはアマスィヤの統治者の地位と責任が与えられた。将来のスルタンとなる14世紀末のバヤジット1世から16世紀のムラト3世に至るまでが、若い頃にアマスィヤで教育され、アマスィヤの統治を行った。」Wikipedia スルタンたちの肖像や,またアタチュルクがこの街で軍隊を設立してトルコ共和国を建国する計画の最終的な会合を行った場所だ.<br />さらにローマ時代の地理学者ストラボや悲恋のFerhatとSirinの像など,この街がトルコどころか,アナトリアの長い歴史を体現している街だということがわかる.

2019.8トルコの知人を訪ねる23-Hazeranlar Mansion博物館,Yesilirmak川沿いを歩く

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2019/08/20 - 2019/08/20

7位(同エリア12件中)

SUOMITA

SUOMITAさん

1222 岩窟墳墓からシェフサーデ博物館に向かうが,閉まっていた.その後,Hazeranlar Konauを探してさ迷い歩く 反対側のホテルで聞いてやっと場所がわかる.民家を改造したオスマントルコ時代の裕福な民家を見せる博物館だ.1865年に,アマスヤの会計係であるHasan Talat Efendiによって建てられた.ハゼランラルマンションは、オスマン帝国時代の地元の土木建築作品の特徴を反映した最も美しい建物の1つとのこと.特に印象的なのは女性たちの服装が華やかなこと.家の中でおしゃれするんだね.1248 見学終了 トルコの地方の裕福な家の様子を垣間見ることができた.むかしボスニアヘルツェゴビナやブルガリアでオスマン征服時代のトルコ人の家を見たことがあるが,調度品などは一緒だが,ここは大きいし,さすが地元,洗練されていた.入場料は7TL 他の博物館と同じ入場券だった.
その後川沿いに歩いていく.アマスヤを治めることが,スルタンに行く道だったようだ.「アマスィヤがオスマン帝国のバヤジット1世に併合されてから、代々スルタンは自身の子供を教育のためにアマスィヤに送ったために、アマスィヤは教育の中心として重要度が増した。将来統治者となるための準備の一環として、スルタンの後継者達にはアマスィヤの統治者の地位と責任が与えられた。将来のスルタンとなる14世紀末のバヤジット1世から16世紀のムラト3世に至るまでが、若い頃にアマスィヤで教育され、アマスィヤの統治を行った。」Wikipedia スルタンたちの肖像や,またアタチュルクがこの街で軍隊を設立してトルコ共和国を建国する計画の最終的な会合を行った場所だ.
さらにローマ時代の地理学者ストラボや悲恋のFerhatとSirinの像など,この街がトルコどころか,アナトリアの長い歴史を体現している街だということがわかる.

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
友人
交通手段
徒歩
航空会社
ターキッシュ エアラインズ
旅行の手配内容
個別手配
  • 1222 岩窟墳墓からシェフサーデ博物館に向かう

    1222 岩窟墳墓からシェフサーデ博物館に向かう

  • 途中に水場があった

    途中に水場があった

  • 残念やっていない

    残念やっていない

  • 次にHazeranlar Konauを探してさ迷い歩く 反対側のホテルで聞いてやっと場所がわかる

    次にHazeranlar Konauを探してさ迷い歩く 反対側のホテルで聞いてやっと場所がわかる

  • この古いHatuniye Mosqueの壁の手前を入る

    この古いHatuniye Mosqueの壁の手前を入る

  • あった

    あった

  • 1225 Hazerlander Konagi(Mansion) 民家を改造したオスマントルコ時代の裕福な民家を見せる博物館だ

    1225 Hazerlander Konagi(Mansion) 民家を改造したオスマントルコ時代の裕福な民家を見せる博物館だ

  • ここからも岩窟墳墓がよく見える 西側の墳墓だ

    ここからも岩窟墳墓がよく見える 西側の墳墓だ

  • 前庭 小さな井戸がある

    前庭 小さな井戸がある

  • イチオシ

  • 手前のも水道が

    手前のも水道が

  • 中に入る 当時のドレスかな

    中に入る 当時のドレスかな

  • 認定証かな

    認定証かな

  • 二階に 四隅とその奥に部屋があり,真ん中がホールになっている

    二階に 四隅とその奥に部屋があり,真ん中がホールになっている

  • 1865年に,アマスヤの会計係であるHasan Talat Efendiによって建てられた.ハゼランラルマンションは、オスマン帝国時代の地元の土木建築作品の特徴を反映した最も美しい建物の1つとのこと

    1865年に,アマスヤの会計係であるHasan Talat Efendiによって建てられた.ハゼランラルマンションは、オスマン帝国時代の地元の土木建築作品の特徴を反映した最も美しい建物の1つとのこと

  • ホールの川沿い

    ホールの川沿い

  • ここは女性の部屋かな 家の中では女性は非常に着飾っていたようだ.オスマンの時代の雰囲気がわかる

    ここは女性の部屋かな 家の中では女性は非常に着飾っていたようだ.オスマンの時代の雰囲気がわかる

  • ここも女性の部屋

    ここも女性の部屋

  • 寝室だが,娘の部屋かな

    寝室だが,娘の部屋かな

  • ホールの端にはトイレ

    ホールの端にはトイレ

  • 19世紀のモスクにあった礼拝用のじゅうたんが展示

    19世紀のモスクにあった礼拝用のじゅうたんが展示

  • 調度品

    調度品

  • ホールの北西側には

    ホールの北西側には

  • 客間のようだ

    客間のようだ

  • イチオシ

  • 隣も大きな部屋

    隣も大きな部屋

  • 男どもが談笑するところだろう

    男どもが談笑するところだろう

  • 小さな部屋

    小さな部屋

  • 昔の写真が飾ってあった 川から写した写真だ

    昔の写真が飾ってあった 川から写した写真だ

  • このように各部屋の上には用途が書いてあるが,よくわからない部屋もある

    このように各部屋の上には用途が書いてあるが,よくわからない部屋もある

  • リビングルーム

    リビングルーム

  • イチオシ

  • ここは夫婦の寝室だ

    ここは夫婦の寝室だ

  • 寝室

    イチオシ

    寝室

  • 家具

    家具

  • ノブがおもしろい<br />

    ノブがおもしろい

  • ホールの北側

    ホールの北側

  • ここにも19世紀にモスクで使われていたじゅうたん

    ここにも19世紀にモスクで使われていたじゅうたん

  • このように書かれている

    このように書かれている

  • 女性がお茶をしている部屋

    女性がお茶をしている部屋

  • 1階に キッチン

    1階に キッチン

  • イチオシ

  • 入口にパントリーがあった

    入口にパントリーがあった

  • その中

    その中

  • なんとお土産が自動販売機

    なんとお土産が自動販売機

  • 1248 見学終了 トルコの地方の裕福な家の様子を垣間見ることができた.むかしボスニアヘルツェゴビナやブルガリアでオスマン征服時代のトルコ人の家を見たことがあるが,調度品などは一緒だが,ここは大きいし,さすが地元,洗練されていた.入場料は7TL 他の博物館と同じ入場券だった

    1248 見学終了 トルコの地方の裕福な家の様子を垣間見ることができた.むかしボスニアヘルツェゴビナやブルガリアでオスマン征服時代のトルコ人の家を見たことがあるが,調度品などは一緒だが,ここは大きいし,さすが地元,洗練されていた.入場料は7TL 他の博物館と同じ入場券だった

  • 来るとき渡った橋の一つ下流.Hazeranlar橋を渡る 下流側

    来るとき渡った橋の一つ下流.Hazeranlar橋を渡る 下流側

  • Hazerlander Konagi(Mansion)もみえる上流側

    Hazerlander Konagi(Mansion)もみえる上流側

  • 岩窟墳墓とAmasya城 いい景色だねえ

    岩窟墳墓とAmasya城 いい景色だねえ

  • 真ん中にHazerlander Konagi(Mansion)

    イチオシ

    真ん中にHazerlander Konagi(Mansion)

  • 橋の街側

    橋の街側

  • ひるがえって岩窟墳墓側

    イチオシ

    ひるがえって岩窟墳墓側

  • シェフサーデ博物館の建物が見える

    シェフサーデ博物館の建物が見える

  • 渡ったところにAmasyaのランドマーク

    渡ったところにAmasyaのランドマーク

  • Ziya Pasa通りを川沿いに西へ

    Ziya Pasa通りを川沿いに西へ

  • これはなんだろう 実は「アマスィヤがオスマン帝国のバヤジット1世に併合されてから、代々スルタンは自身の子供を教育のためにアマスィヤに送ったために、アマスィヤは教育の中心として重要度が増した。将来統治者となるための準備の一環として、スルタンの後継者達にはアマスィヤの統治者の地位と責任が与えられた。将来のスルタンとなる14世紀末のバヤジット1世から16世紀のムラト3世に至るまでが、若い頃にアマスィヤで教育され、アマスィヤの統治を行った。」Wikipedia<br />ここにはさらに5人のスルタンの名前が刻まれる

    これはなんだろう 実は「アマスィヤがオスマン帝国のバヤジット1世に併合されてから、代々スルタンは自身の子供を教育のためにアマスィヤに送ったために、アマスィヤは教育の中心として重要度が増した。将来統治者となるための準備の一環として、スルタンの後継者達にはアマスィヤの統治者の地位と責任が与えられた。将来のスルタンとなる14世紀末のバヤジット1世から16世紀のムラト3世に至るまでが、若い頃にアマスィヤで教育され、アマスィヤの統治を行った。」Wikipedia
    ここにはさらに5人のスルタンの名前が刻まれる

  • ムラド3世 1546-1567アマスヤ統治 1574-1595年スルタン

    ムラド3世 1546-1567アマスヤ統治 1574-1595年スルタン

  • セリム1世 アマスヤで1470年に生まれる 1512-1520年スルタン

    セリム1世 アマスヤで1470年に生まれる 1512-1520年スルタン

  • バヤヅィト2世 1454年より27年間アマスヤ統治 1481-1512年スルタン

    バヤヅィト2世 1454年より27年間アマスヤ統治 1481-1512年スルタン

  • ムラド2世 1404年アマスヤ生まれ 1415年アマスヤ統治 1421-1444,1446-1451 スルタン

    ムラド2世 1404年アマスヤ生まれ 1415年アマスヤ統治 1421-1444,1446-1451 スルタン

  • メフメト1世 スルタン1412-1421年 アマスヤ統治は1389年から 1402年アンカラの戦いでティムールに敗れ,国が分裂したが,1413年オスマンを再統一

    メフメト1世 スルタン1412-1421年 アマスヤ統治は1389年から 1402年アンカラの戦いでティムールに敗れ,国が分裂したが,1413年オスマンを再統一

  • バヤヅィト1世 ムラト1世の子 1386年にアマスヤを領土に加える 1389-1402年スルタン<br />特別な地であったことがわかる

    バヤヅィト1世 ムラト1世の子 1386年にアマスヤを領土に加える 1389-1402年スルタン
    特別な地であったことがわかる

  • 国家と独立の決意を示した碑 アタチュルクの言葉が刻まれる このアマスヤは1919年にムアタテュルクが軍隊を設立してトルコ共和国を建国する計画の最終的な会合を行った場所だ.

    国家と独立の決意を示した碑 アタチュルクの言葉が刻まれる このアマスヤは1919年にムアタテュルクが軍隊を設立してトルコ共和国を建国する計画の最終的な会合を行った場所だ.

  • Yesilirmak川を上る

    Yesilirmak川を上る

  • これは..

    これは..

  • 地理学者ストラボという人らしい 古代ローマの人 アマスヤ生まれ BC63-23 Pontus王国が滅んだ直後の人 Pontus王国の有力者の子孫だ

    地理学者ストラボという人らしい 古代ローマの人 アマスヤ生まれ BC63-23 Pontus王国が滅んだ直後の人 Pontus王国の有力者の子孫だ

  • そして悲恋のFerhatとSirinの像

    イチオシ

    そして悲恋のFerhatとSirinの像

  • Ferhatは勇敢な人で,町の中心までトンネルを掘って水を通した

    Ferhatは勇敢な人で,町の中心までトンネルを掘って水を通した

  • Sirinはスルタンの娘 結婚を許してもらえなかった そしてスルタンは娘が死んだとうそを言う 嘆き悲しんだFerhatは身を投げ,それを知ったSirinも自殺するという話

    Sirinはスルタンの娘 結婚を許してもらえなかった そしてスルタンは娘が死んだとうそを言う 嘆き悲しんだFerhatは身を投げ,それを知ったSirinも自殺するという話

  • 渡った橋 Madenus 橋に近づいた.

    渡った橋 Madenus 橋に近づいた.

  • 1305 橋のふもとに着いた これから博物館に行こう

    1305 橋のふもとに着いた これから博物館に行こう

  • パンフ アマスヤ博物館でもらう

    パンフ アマスヤ博物館でもらう

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