2018/05/27 - 2018/06/01
487位(同エリア1805件中)
ポポポさん
この旅行記スケジュールを元に
5月31日ロシア観光の最終日、午後はいよいよお待ちかねのエルミタージュ美術館の観光です。
ツアー客専用の団体入り口から手荷物検査を受けて美術館に入場しました。入口の側にはクロークがあるのでここで大きな荷物を預けることができます。
大使の階段を上がって2階から美術館の観光が始まりました。最初は宮殿(冬宮)から観光です。ポチョムキンがエカテリーナ2世に送った「孔雀時計」があるパヴィリオンの間の次は絵画の観光でした。
ところがここで大事件発生。ダ・ヴィンチの間にある「ブノワの聖母」の写真を撮り終えて周囲を見渡すと先ほどまでいたツアーの皆さんもガイドさんも誰もいない。
まさか、まさか一人取り残されて迷子になってしまった。どうしよう・・・。
この後どうなったのか、それでは旅行記をお読みください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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5月31日、ロシア観光の最終日はエルミタージュ美術館の観光です。昼食を終えてバスで宮殿広場にやってきました。宮殿広場の観光客は少ないので美術館も少ないかもしれません。
宮殿広場 広場・公園
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バスを降りて、エルミタージュ美術館観光の開始です。
エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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エルミタージュ美術館はエカテリーナ1世の娘、エリザヴェータによって建てられた冬の宮殿です。建物は女帝の死後に完成しました。
設計したのはエカテリーナ宮殿をバロック様式(宮殿のファザード)とロココ様式に大改築したラストレッリです。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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宮殿広場とアレクサンドルの円柱。
宮殿広場はエルミタージュ美術館と旧参謀本部に囲まれた広い広場です。
血の日曜日事件(1905年)や十月革命(1917年)など歴史的事件が起こった場所として知られています。
一方アレクサンドルの円柱はナポレオン戦争の勝利を記念して建てられた記念碑で1834年に建てられました。高さは47.5メートルで重さは600トン、花崗岩の一枚岩で造られました。
この巨大な柱を2千人の兵士と300人の労働者でわずか2時間で建てたとのことですが、果たしてそんなことができたのでしょうか?
どのように建てたか記録は残っていません。当時は600トンの重さを釣り上げるクレーンなど無い時代です。エジプトのオベリスクを建てたときのような工法が考えられますがこの円柱には台座があります。その台座の上に据えて付けられているのでさらに難しくなります。
いまだどのように建てたか分かっていません。帝政ロシア時代の土木技術恐るべしです。アレクサンドルの円柱 史跡・遺跡
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円柱の上には十字架を抱く天使像。
アレクサンドルの円柱 史跡・遺跡
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アレクサンドルの円柱と旧参謀本部。旧参謀本部は現在エルミタージュ美術館の新館になっています。
旧参謀本部 建造物
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エルミタージュ美術館中央のファザードです。ファザードはバロック様式、金と淡いグリーン色と白色の対比が素敵でした。
エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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美術館(冬宮)の外観は壮麗です。
この宮殿で美術品収集を始めたのはエカテリーナ2世、収集した美術品を保管・陳列する場所として小エルミタージュ、旧エルミタージュが建てられました。エルミタージュとは「隠れ家」という意味、エカテリーナ2世はそこで収集した美術品に囲まれて自分の時間を過ごしたそうです。
美術品の収集は以後の皇帝に引き継がれ、アレクサンドル2世の時に新エルミタージュが完成し現在の姿になりました。
革命後は革命政府に接収されて国立の美術館となり、今日に至っています。 -
団体の入り口は宮殿右の入り口から。団体なので入場チケットはガイドさんが一括で提出しました。次にセキュリティ検査(手荷物検査)を受けて中に入ります。なお液体物(ペットボトルなど)は持ち込み不可です。容器に塩酸や硫酸を入れて持ち込み、美術品に損害を与える不届き者を防ぐためのようです。
なお、ペットボトル入りの水は持ち込みはダメですが、美術館の中の売店で購入できます。
さて我々の観光時間は4時間、現在の一般的ツアーは6時間なので4時間でどの程度の絵画を見ることができるでしょうか?いささか不安を覚えて中に入りました。 -
トイレタイムが終わるとガイドさんが1階にある売店兼土産物店に我々を連れて行きました。
そこで紹介されたのが写真の日本語版エルミタージュ美術館の美術本。約300ページでフルカラー、A4版を一回り大きくしたサイズのハードカバーの美術本です。なんとこれが500ルーブル(約900円)でした。ガイドのオルガさんは安くしているので皆さんに是非一冊ずつ買っていただきたいと営業トーク。これは確かに安い。買いたいんだけどルーブルは昨日すべて使い切ってしまった。小さな売店なのでカードは使えず現金のみ。うーん、どうしよう。ユーロならあるんだけど、ユーロで買えないかな?
売店のおばさんに交渉するとユーロの釣銭がないので10ユーロならいいとのこと。ルーブルよりレートは高いがやむを得ないか。この時ドルも持っていたので10ドルで交渉すればよかったと思いついたのは後の祭りでした。
なおこの美術本は重たいので一時この店に預けました。また美術本の写真は日本のものより劣っています。やはり写真製版技術は日本が世界一だと思いました。
この後大使の階段から観光開始と思いきやガイドさんから注意事項がありました。
それは迷子になった時の対応です。この美術館は大変込み合い部屋数が多いので迷子になりやすいそうです。さらに館内ではスマホが使えないので添乗員さんへの連絡はできないそうです。
迷子になった時の鉄則は「その場を動くな」ですが、この美術館ではこの鉄則は役に立ちません。人が多いため探すことが不可能だそうです。そのため迷子になった人は自由行動で観光し、大使の階段前に集合するようにと注意されました。
この時は私が迷子になるなんて思ってもみませんでした。
そうなるとは露知らず、集合時間を確認していよいよ観光開始、大使の階段に移動します。 -
大使の階段です。外国使節を迎えた正面階段で、ロシアバロックの極致と言われています。
白漆喰と金の装飾に色大理石、鏡を使用した窓や照明は豪華で華やかでした。ストロボを発行できないため写真では本来の美しさを表現できませんが、写真よりも何倍も美しかったのがこの階段でした。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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大使の階段。写真では人が少ないように見えますが、中国人観光客を主にものすごい数の観光客がこの階段周辺に集まっていました。
いくつもの団体をやり過ごし、人が歩いていない瞬間瞬間にシャッターを切りました。
いくら待っても階段の所から動かないのが写真の2人。そのため人が被写体に入らない大使の階段の写真はいくら待っても撮ることができませんでした。 -
階段の壁にはこの様に照明が点いていましたが、全体的にはうす暗いので金色は明るく発色しませんでした。
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実際はもっと赤い絨毯でしたがフラッシュが焚けないため暗い感じの色合いです。元々最初の踊り場までの階段はほの明るく、その後に続く階段主要部は光が溢れんばかりの空間を演出するために光が鏡のなかで反射を繰り返し、天井に届くように造られているそうです。
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大使の階段。何の話があるのか分からないが、全く動こうとしない2人。
中国人観光客を含め何人もの人が大使の階段を写そうとカメラの放列を敷いていましたが動きません。結局諦めて写したのがこの写真です。 -
大使の階段と階段側面の壁の装飾。
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大使の階段の天井画。
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大使の階段の上り口にある彫像「主権」。
メンシコフ公爵が1718年にヴェネツィアで購入したものと推定されるそうです。
初め公爵の庭園にありましたが夏の宮殿に移され、その後1837年に冬宮が火災にあった後に大使の階段の踊り場に設置されました。
像は王冠を戴き、天秤や剣を持っていることから正義の寓意像と言われているそうです。(購入した美術本エルミタージュより) -
大使の階段。
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踊り場から二階へと続く大使の階段。
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階段を上ってまずは2階へ。
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踊り場から2階へ移動します。
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階段壁面の金の装飾がとても綺麗でした。
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階段を上って最初の間、193室元帥の間です。
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元帥の間。上の写真の反対側です。
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豪華なシャンデリア。
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将軍の肖像画。だれか分かりません。この部屋には5枚の将軍の肖像画がありました。
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次は194室ピョートル大帝の間(小玉座)です。
四方の壁は全て銀糸の刺繍で彩られた深紅のリオン織のビロードが張られています。 -
194室ピョートル大帝の間です。
小玉座とも呼ばれるこの間は1837年の大火の後、スターソフによってほぼ元通りに復元されました。
ピョートル1世を記念したもので、天蓋下の壁龕にはピョートル1世のイニシャルの組み文字と双頭の鷲、王冠、帝権の象徴物で装飾されています。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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正面から写真に写したら光が反射して肖像画が見えなくなりました。
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そこで肖像画を購入した美術本より借用。
ピョートル大帝と智の女神ミネルヴァです。ピョートル大帝の君主としての徳を称えるため、死後イタリアの画家アニコミに発注したものです。 -
肖像画の前の玉座はアンナ女帝のためにロンドンの家具師クローゼンが製作したものです。
椅子の主要部分は深紅のビロードが張られて、椅子の背には金糸で双頭の鷲が刺繍されています。
椅子の背の王冠は後世取り付けられました。 -
次は195室紋章の間です。
この列柱ホールは接客に使った冬宮の典礼ホールの一つで玉座の間への入り口の間の役割を持っていました。ここでロシア各県を代表する貴族会員たちが謁見を賜りました。
ガイドブックには現在銀器の展示室と書かれてありましたが、観光した時は何も展示されていませんでした。 -
紋章の間にはブロンズ製のシャンデリアが取り付けられています。
エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ロシア古典様式の列柱。元は白色の柱で柱頭だけ金箔が施されていましたが19世紀末に柱全てが金箔で覆われました。
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紋章の間。
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ブロンズのシャンデリア。
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ブロンズのシャンデリア。
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部屋の四隅には軍旗を背に古代ロシア戦士の群像彫刻が配されています。この軍旗にかつてはロシア各県紋章の徽章が取り付けられていました。
それ故この部屋は紋章の間と呼ばれています。 -
紋章の間にはこの様な水盤がありました。多分飾りでしょう。
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紋章の間の隣の部屋(196号室)は小さな部屋でした。
ここには4人の男性がいました。彼らは男声合唱のカルテットで、我々のために数曲歌を披露してくれました。曲はロシア民謡ではありません。聞いたことが無い曲だったのでどんな曲かは分かりませんが、メロディーからどうもクラシックの中の曲のようでした。
ロシアの男声合唱団といえば赤軍合唱団やアレクサンドルアンサンブルの合唱団でしょう。これらの合唱団は合唱だけでは無く、女性兵を含めたダンサーがいてそのダンスがまた見事でした。学生時代にこれら合唱団の生の演奏を聴き大変興奮したことを覚えています。
またダンサーの女性兵士達が大変美しく、胸をときめかしたこともいい思い出です。
ロシアの男声合唱団の特徴は金属的な音色が出せるテノールととにかく低く野太い音色が出せるバスが揃っていることです。
バスの素晴らしさは男声合唱団に限ったことではなく、世界最高峰のロシア国立アカデミー合唱団のバスもすばらしかったですね。
どこからあんな低い声が出せるのか不思議で仕方がありませんでした。ロシア国立アカデミー合唱団は団員の一人一人がソリストとしても歌える力量を備えていて、その中でもメゾソプラノのクララ・コルカンの大ファンでした。
ロシアの合唱を聞くといつも思い出すのがラフマニノフ作曲「晩祷」です。
名演奏と言われたのがスヴァシニコフ指揮、ソビエト国立アカデミー合唱団(現ロシア国立アカデミー合唱団)独唱メゾソプラノ クララ・コルカン のレコード。
「晩祷」とは正教会における晩の祷りのことです。この曲はロシア正教会の祷りで歌われる讃美歌ですので全曲がアカペラ、このうち2曲目の「わが霊や主を讃めあげよ」がクララ・コルカンのソロ(独唱)です。
この曲を最初聞いた時、鳥肌が立つような感動を覚えたことを今でも忘れられません。人の歌声がこれほどまでに荘厳で清らかで、心の中に染み渡って来ることかと驚き心が洗われるようでした。それ以来クララ・コルカンの大ファンになりました。このレコードが発売される前にもソビエト国立アカデミー合唱団の演奏は生で聞いたことがありましたが、クララ・コルカンの名前は知りませんでした。
現在この曲はyou tubeで全曲聞くことができます。独唱はクララ・コルカンの盤ですので、よろしかったら聴いてみてください。
私は帰国後思い出して聴いています。瞼を閉じればウスペンスキー大聖堂やトロイツキー聖堂内の様子が目に浮かび、自分が聖堂内で讃美歌を聴いているかのようです。 -
さて、このコルテットはとても上手でした。バスの低音は上の三音を支えていて、メンバー全員はりのある声が素晴らしかったです。我々のためにということで3曲歌ってくれましたが、これはガイドのオルガさんが根回ししてくれてここの場所で歌ってくれたんです。
このホールは響きが素晴らしいのであっという間に人だかりができました。皆さんアカペラの生演奏に感激しているようでした。
3曲歌うとガイドさんが営業トーク、「皆さん、素晴らしいでしょう。彼らはプロの音楽家なんですよ。もっと彼らの歌声を聴いてみたいと思いませんか。今日は彼らの演奏を録音したCDを格安で販売してくれるそうです。500ルーブル(900円)です。安いでしょう、どうですか。」
歌は素晴らしかったが私はもうルーブルがない。ほかの人も買いそうな人はいない。
そこでオルガさん「皆さんチップでいいですよ。多ければ多いほどいいけれど5ルーブルでもいいですよ。」とのこと。結局チップになりましたが、この演奏はカルテットメンバーの営業だったのでした。 -
次は282室アレクサンドルの間(アレクサンドルの大広間)です。
ここは金器・銀器の展示室でした。クレムリンの武器庫を彷彿させるような多数の展示品がありました。 -
双頭の鷲の金の置物?金色でピカピカ。
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あれもこれも金でピカピカ、眩しいくらいです。
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こちらは金と銀の水盤や水差し。
クレムリンの武器庫は各国の王室ヵらの贈り物でしたがこちらはロシアの自前の物。
錦器・銀器はクレムリンよりこちらの方が多いかも。 -
ティーセットですが、こちらの物は綺麗でしたよ。
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こちらもセット物。絵が綺麗ですね。
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これも金、あれも金。
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これは水盤でしょうか?それにしては底が深すぎるかな。
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これ分かりません。周りに銀杯があるので、それぞれお酒でも入れていたのかな。
それとも調味料入れかな。 -
アレクサンドルの間を通ってやって来た、ここは大教会(宮廷教会)です。
大教会は1762年に造られ、1807年に聖堂に昇格しました。
1837年の大火で焼失しましたがその後見事に復元されました。この大教会はイコノスタシスと円蓋が見事だそうです。
円蓋の四隅には聖人が描かれていますが、誰かは不明。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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イコノスタシスはp・クレタンによる手彫り、キンキラキンでした。
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円蓋は銅に内側から鍍金したものです。採光用の丸窓が4つ取り付けられています。
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大教会も観光客で一杯でした。
写真を撮るには中国人観光客をかき分けて前に出ないといけません。オルガさんからいつものように「皆さん、遠慮しないでください。しっかり前に出て写真を一杯撮ってください。」と激励の言葉がかかります。 -
大教会の円蓋。綺麗ですよ。
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大教会の左側の様子。こちら側には説教壇がありました。
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こちらは右側の様子。円柱はロシア古典様式の柱でした。
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再びイコノスタシス。左側のように照明が当たると光輝いて、とても綺麗でした。
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大聖堂ホールの天井画。旗を持つのはイエス・キリストかな。
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左側にあった説教壇です。
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続いて197室は1812年祖国戦争の画廊です。
1812年から1814年の戦役においてナポレオンを打ち破ったロシア陸軍の栄光を記念して1826年に建てられました。
壁にかかるのはナポレオン戦争に参戦した332枚の将軍の肖像画。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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観光客は左右の壁に掲げられた将軍たちの肖像画の間を通って進みます。
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右側の肖像画。
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左側の肖像画。
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少将の肖像画を過ぎるとこの様に大きな肖像画とそれを囲むように小さな肖像画がありました。肖像画は大将、中将、少将に限られたそうですから、大きいサイズの肖像画はたぶん大将でしょう。その周りは中将かな。
将官は全て貴族ですが少将以上が332人もいたんですね。
さて、この大将若いけど誰だろう?分りません。クトゥーゾフ将軍を写したと思っていたら、違う人を写していたよ。 -
この肖像画はバルクライ将軍。
ナポレオンのロシア遠征ではロシア軍の総司令官に任命されましたが、ナポレオンとの戦闘の不利を悟っていたため、正面衝突を避けて逃げ回りました。
結果ナポレオン軍をロシアの奥深くに引き込み兵站が伸びきることに成功しましたが、逃げ回ってばかりだったためアレクサンドル1世や宮廷の重臣たちの信頼を失い総司令官を更迭されました。
ボロジノの会戦では一軍の指揮官として参加したのでここに肖像画が掲げられています。
戦後は名誉が回復されたのでしょう、最終的には元帥まで上り詰めています。 -
アレクサンドル1世の肖像画はちょっとピンボケ。
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次は198室、聖ゲオルギウス(大玉座)の間。
19世紀ロシア古典主義建築の精華といわれ、冬宮のホールの中でも一、二を競う美しさを誇るそうです。
壁を覆うタイルと白い円柱はカララ産の白い大理石で作られていて、玉座の上にはロシア皇帝の守護神聖ゲオルギウスのレリーフがありました。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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この部屋は各国使節の謁見の場として使用されました。
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玉座と背後にはロマノフ王家の紋章双頭の鷲が刺繍されています。
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真紅の大玉座。
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玉座を横から写してみました。
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聖ゲオルギウスの間のシャンデリアです。この部屋のシャンデリアは大きい。
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聖ゲオルギウスの間の様子。
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寄木細工の床も素晴らしい。
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聖ゲオルギオスの間から259室と表示されている回廊を通ってパヴィリオンの間に移動しました。
ここはロマノフ王朝の長廊下と呼ばれ、帝室コレクションの展示室となっています。西欧美術工芸品や皇帝が使用した家具などが展示されていました。 -
どの皇帝か名前は忘れましたが、執務室で使用されていた皇帝の椅子だそうです。
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冬宮の装飾巡りとしては最後の部屋、小エルミタージュの204室パヴィリオンの間です。
この部屋はシャンデリアがすごい。
この部屋は元4つの部屋に分かれていて、エカテリーナ2世の愛人が暮らしていました。 -
部屋の左奥に見えてきたのが「孔雀の時計」。
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「孔雀の時計」はエカテリーナ2世の愛人ポチョムキンがエカテリーナ2世に送ったからくり時計です。
この時計はイギリスの有名な時計職人コックスによって製作され、ポチョムキンが買い付けたものです。ペテルブルグに搬入された際には分解されていて、1792年クリービンというロシアの機械工学者が組み立てるまではこの精密機械を誰も稼働させることができませんでした。
元々タヴリア宮にありましたが、ポチョムキンの死後エカテリーナ2世の手元に移りました。 -
「孔雀のからくり時計」は孔雀と雄鶏、鳥かごの中のフクロウと木の根元の平たいキノコで構成されています。
時刻は木の根元のキノコに文字盤として表示されています。この角度からはキノコがが見にくいのですが、下の正面の写真で見ることができます。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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孔雀時計の正面写真ですが、ガラスの光が映り込みフクロウが見辛くなってしまいました。木の根元と鳥の中にあるゼンマイを巻くと動き出します。
時計の右にはモニターがあり、からくり時計が動く様を見ることができます。
フクロウはゆっくり瞬きし、雄鶏はコケコッツコーと鳴いて羽をばたつかせ、孔雀は大きく羽根を広げます。
この孔雀時計は何年か前にエカテリーナ2世の生涯を特集したテレビ番組の中で見ました。タイトルは忘れましたが生い立ちから最期無くなるまで。その時放映された孔雀時計はモニターよりも遥かに鮮明な画像だったので動きを鮮明に覚えています。撮影はパヴィリオンのこの場所ではなく、もっと広く明るい場所で宝物などがたくさんあったクレムリンの武器庫のような場所だったと記憶してます。その時はエルミタージュ美術館に収蔵されているエカテリーナ2世の宝石(ダイヤモンドなど多数の宝石)も一緒に撮影されていたので、この美術館の別室かもしれません。
この時計が動くのは毎週水曜日19時のみです。自分の目で動くところを見たい方はこの時間に観光してください。
木の根元にあるキノコは時計の文字盤になっていました。現在は午後2時32分なので「2」と表示されています。 -
孔雀のアップ。
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右横から見た様子です。
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縦の構図で木も入れてみました。
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パヴィリオンの間にあったエリザヴェータの肖像画。これはモザイク画です。
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モザイク文様が大変美しい丸テーブル。
パヴィリオンの間の床には八角形のモザイク画とこれを縮小した八角形のテーブルがありました。図柄はローマで発見されたものをコピーしたそうですが、バチカン博物館にはこれとよく似たモザイク画の床があり、それも見ていたので写真はいいかと思い撮りませんでした。 -
旧エルミタージュの議会階段2階ホールにある孔雀石の巨大な杯です。
美しさもさることながら巨大な孔雀石の細工物には驚きました。 -
次はいよいよ新エルミタージュに展示してある西洋絵画の鑑賞です。
まずは14~18世紀のイタリア美術から。ここにエルミタージュの至宝と呼ばれるレオナルド・ダ・ヴィンチのリッタの聖母とブノワの聖母があります。そしてラファエロも。
これらの名画に会えると思うと胸が高鳴ります。まずはルネサンス以前のイタリア宗教絵画から。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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シモーネ・マルティーニの「受胎告知聖母」。14世紀前半の作でマルティーニの作品が美術館に蔵されることは極めて稀なことだそうです。
この作品は双翼祭壇画「受胎告知」の右半分ですが、大天使ガブリエルが描かれた左半分はワシントンのナショナルギャラリーにあるそうです。
この時代では大天使ガブリエルの登場に驚き、マリアはいぶかっている表情を見せないといけないそうですが、マルティーニは気品に満ちた気高さで表現しているそうです。 -
フラ・アンジェリコの「聖母子、聖ドメニコとアクウィニーの聖トマス」です。
照明や窓からの光が絵画を覆うガラス板に映りこんでしまい、綺麗な写真が撮れません。 -
そのためアップにしてみました。聖母が美しく描かれていました。
フラ・アンジュリコは15世紀最大の画家で修道士ですが、事実上は修道院の注文を受けて画家として生涯を終わった人です。
この絵は中央に聖母子を、両脇に聖人を配した当時の宗教画の典型的な構図ですが、聖母子や聖人の風貌がより人間的に描かれているそうです。
宗教画に至っては作者がほとんど分かりません。ガイドさんの解説なしでは絵の意味も全くわからないので、個人で観光される方は博物館のガイドブックが必見でしょう。
それを見越してか、館内では何人もの売子が日本語で「美術館のガイドブック一冊千円」と声を張り上げて売り込んでいました。そう言えば中国語で売っている売子は見かけなかったな。
みんな日本語でした。日本人が一番ガイドブックを買ってくれるんでしょうね。
宗教画ではフィリピーノ・リッピの作品があったんですが、写真を撮っていないのでオルガさんに説明をパスされたようです。 -
次は214室、ダ・ヴィンチの間です。ここは人気の的でとにかく観光客が多い。
ガイドさんの後を離れずに付いて行きましょう。 -
ダ・ヴィンチの「リッタの聖母」。
この絵はミラノの公爵リッタ公が所有していたことから「リッタの聖母」と呼ばれおり、アレクサンドル2世がリッタ公から購入した絵画です。
1482年ダ・ヴィンチはミラノ公国ロドヴィコ・モロに召し抱えられそこでテンペラの聖母子像を製作しました。これがリッタの聖母です。
気品がある美しい聖母です。ダ・ヴィンチの聖母子像で一番美しい聖母だと思います。エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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保護のガラスケースに反対側の窓の景色が映り込んでしまい、どの方向から写しでも映り込みを防ぐことができませんでした。
そのため絵がはっきり分かるようにアップにしました。 -
次はブノワの聖母。誰が見てもダ・ヴィンチの絵だと分かる絵画ですね。
リッタの聖母の聖母と比べるとブノワの聖母はとても若く見えます。
微笑みを溜めた姿は少女のようにも見えました。
ダ・ヴィンチの初期の作品で普及し始めたばかりの油絵具を使って描いた作品。貿易商サポージニコフの物だったが、娘婿のブノワの手に移りペテルブルグで保管されることになったそうですが、今なおどのような理由でいつロシアに渡ったのかは分かっていないそうです。 -
この絵もガラス板で保護されていたので光が映り込んでしまい、いい写真が撮れません。人混みの中を右に左にと移動し、できるだけ光が入らないようにと何枚か写真を撮りました。そしてこれ以上はもう無理だろうと妥協したのがこの写真です。
写真を撮り終えて後ろを振り向くと、先ほどまでいたツアーの皆さんが一人もいない。
ダ・ヴィンチの部屋にはツアーの人一人もいないんです。しかもトラベルイヤホンからガイドさんの声が聞こえない。ということは200メートル以上も先に皆行ってしまったの?
置いてきぼりを喰ってしまったよ。イヤホンガイドは200メートル以内なら音声が聞こえるはず。聞こえないってことはもうかなり遠くに行ったってことか。
ツアーの皆さんに置き去りにされて突然迷子になってしまいました。これからどうするか。ツアーの皆さんを追いかけて探すか、それとも自由行動を決め込むか。
さあ、これからどうなるんでしょうか。続きは次回の旅行記で。
エルミタージュ美術館の旅行記に訪問くださりありがとうございました。
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