2019/01/23 - 2019/01/23
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しにあの旅人さん
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今回より北総となりました。古代のますらを、その一人ヤマトタケルは玉浦、現在の九十九里浜を陸路北上します。
その七で述べたように、書紀が言う「横渡玉浦至蝦夷境、玉浦を横切って蝦夷の支配地に入った」とは、長狭国葦浦、現在の安房鴨川市江美吉浦からは、陸路を通ったというのが私たちの結論です。
恐縮ですが、これまでの詳細は以下をご覧になってください。
「日本書紀編その一、房総海の路序章」
https://4travel.jp/travelogue/11418839
「日本書紀編その二、房総海の路・ヤマトタケルを祀る神社」
https://4travel.jp/travelogue/11423588
「日本書紀編その三、房総海の路・式内社-安房国から長狭国葦浦まで」
https://4travel.jp/travelogue/11423588
「日本書紀編その四、房総陸の路・熱田神社、下立松原神社」
https://4travel.jp/travelogue/11428536
「日本書紀編その五、房総陸の路・長狭街道、高蔵神社、大井神社」
https://4travel.jp/travelogue/11431129
「日本書紀編その六、房総陸の路・莫越山神社2社」
https://4travel.jp/travelogue/11433245
「日本書紀編その七、房総玉浦、陸路か海路か」
https://4travel.jp/travelogue/11439092
「日本書紀編その八、房総玉浦、瀧口神社、玉前神社、橘樹神社」
https://4travel.jp/travelogue/11442651
「日本書紀編その九、房総横断、木更津から茂原まで」
https://4travel.jp/travelogue/11449103
「日本書紀編その十、橘樹神社」
https://4travel.jp/travelogue/11452018
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
-
いすみの太東崎から銚子の刑部岬にいたる南北約66キロ東西約10キロの九十九里平野は、古代海でした。その海岸線は現在より約10キロ内陸で、玉浦と呼ばれていました。
橘樹神社を出た古代の旅人は、上総、下総の台地と玉浦に挟まれた路を北に向かって歩いたのです。
それはおそらく現在の国道128号線、東金からは126号線に近い路であったと思います。東金線、総武線もほぼ同じところを通ります。
九十九里平野は真っ平らです。128号線、126号線には、目立つアップダウンはありません。古代の路もまた、平坦であったでしょう。古代の旅人にとっては、楽な旅路でありました。
☆☆☆
玉浦には、橘樹神社を別にして、創建が10世紀を遡ることが確実な神社、延喜式内社が1社しかありません。 -
老尾(おいお)神社。
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匝瑳市の千葉県立匝嵯高校を見下ろす丘の上にあります。
丘の彼方には九十九里平野。かつては海でした。 -
創建以来、ほかの場所から遷座したことがない神社です。現在地に千数百年鎮まっておられます。
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案内板の江戸時代の「下総名勝図絵」を拡大しました。現在とは違い、当時は現在の県道16号線に向かってまっすぐに参道があったようです。今はこの参道は山で、道がありません。
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一の鳥居です。
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本殿より一の鳥居。江戸時代の絵図では、鳥居の向こうにまっすぐ参道は降りていました。現在は鳥居をくぐると直角に右に曲がります。
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拝殿に向かいます。
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参道は苔むしておりました。
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拝殿。
主祭神は阿佐比古命(あさひこのみこと)、香取神宮の祭神・経津主命の御子神だそうです。香取神宮とつながりの深い神社のようです。
社伝によれば、創建は崇神天皇7年(西暦BC91年)、当然伝説です。延喜式神名帳(927年成立)に記載があるので、10世紀以前の古い創建であることは確実ですが、詳細は不明です。 -
森の中の神社。
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30分ほどお参りしました。私たち以外だれもいません。
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本殿。小さいけれど、きれいに整備されていました。14世紀に社殿は焼失し、その後再建されたと社伝にあるそうです。それほど古いものとは思われません。何度も立て替えられているのでしょう。
中世は千葉氏に崇敬され、栄えた神社でした。しかし千葉氏滅亡と共に衰退したようです。 -
神社全体が巨木の生い茂る森の中にあります。これくらいの木は珍しくありません。
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本殿左後方の大杉です。匝瑳市指定天然記念物です。樹齢800年。14世紀の社伝焼失前からここにあるということです。
-
樹齢何年でしょう。
森の中はほとんど陽がさしません。木立の下はこけや背の低い草に覆われていました。 -
老尾神社は、香取神宮とつながりが深い神社です。香取神宮は、常陸国風土記によれば、8世紀初めには成立していた神社です。創建はそれよりはるか以前。土地の豪族による祭祀の場所であった可能性があります。老尾神社も同じ頃創建されたのではないか。
6、7世紀頃このあたりを旅した古代のますらを、私たちのヤマトタケルも、今私たちが立っている、この丘の、この地を訪れたかもしれません。
それは樹齢800年という大杉が、この丘の、この地に芽をだしたときより、さらに何百年も前の物語です。 -
多くの神社は森の中にあります。
そして年を経たご神木があります。
森の中の参道を歩くとき、巨木のご神木を見上げるとき、古代のますらをたちが歩んだ道がちらりと見えるように思えます。古代の旅人は房総の山路を、草をかき分け、木の根にすがって登り下りしたことでしょう。今ならすべてがご神木といわれる巨木が作る、暗く鬱蒼と茂った木々の間の獣道を踏みしめ、一歩一歩進んだことでしょう。
私たちは、夏は神社廻りをしないことにしています。なぜなら、私たち、ヘビが苦手なんです。
けれども古代はそんなことは言っていられないでしょうね。春だって夏だって歩かなきゃならない。蚊だってアブだっていたでしょう。そして冬は冬で寒かったでしょう。旅することはつらいことだった。
ヤマトタケルだって、弟橘姫だって、虫に刺され、ぼりぼりかゆがって歩きながら、ヘビの姿にキャーって言ったかな。ヘビは神様だけど、毒をもつマムシなどもいることは知っていたでしょうから、恐れはしたでしょう。
我らのタケル君はそんなとき、なにかグチりそうです。「妻がいたらなぐさめてくれるのに」とか。「吾妻はや・・・」
でもここ老尾神社では言いません。がまんしています。タケルえらいぞ。がんばれタケル! -
飯岡の玉崎(たまさき)神社。
一宮の玉前(たまさき)神社とは字が違います、
ヤマトタケルの旅の最後の神社にやってきました。 -
下総国二宮。
-
ご祭神は、
玉依姫尊(たまよりひめのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと) -
社伝によれば、「(走水で弟橘姫の入水により海難から救われたあとこの地にいたり)そこで尊(日本武尊)はその霊異を畏まれ、海上平安・夷賊鎮定のために玉の浦の東端「玉ケ崎」に海神玉依毘売命の神霊を斎き奉る」
景行天皇40年(110年)、日本武尊が創建とあります。もとより伝説です。 -
伝説は伝説として尊びたいと思います。
-
上総は一宮も二宮も祭神が女神様です。一宮の玉前神社なんて、一族十二社を束ねる母神様であらせられます。
そして話が急に下世話になりますが、この地では元旦の雑煮は男衆が作ることになっているそうです。どう見ても男子厨房に入るべからずの紳士諸氏が、皆さんこの日だけはなさるそうですよ。
ということでどうやら上総は女性が強いらしい。いやいや上総は、ではなく、海洋族の神様は、黒潮系の豊玉姫、玉依姫ばかりではなく、親潮系も宗像三女神ですものね。(海神には住吉系もあるけれど、ま、そのところは)
ということなのか、飯岡の玉崎神社は幼稚園のお隣でした。もしかしたら玉崎神社が経営しているのかもしれません。
ですから裏も表もなく、太陽サンサン、幸せがいっぱい。
その代わり神秘の古代、ヤマトタケルの悲哀は、一切なし。
それはそれでいいんじゃないでしょうか。21世紀なんだから。
古代のますらをも、つわものも身の置き所なし。
イケてるビジネスマンがタバコ吸っていました。 -
お手をしている狛犬さん。
-
書紀の記述にしたがい、内房から、海路、陸路を辿り、外房、北総と古代のますらを、ヤマトタケルの旅路を辿ってきました。その路はここが北端のようです。
これからは「横渡玉浦至蝦夷境、玉浦を横切って蝦夷の支配地に入った」つまり蝦夷にむかいます。
どこを通って「蝦夷」に向かったか、書紀は語りません。しかし玉浦の北にくれば、蝦夷にむかうためには椿の海、香取の海を渡ったのではないか。
次回終章では書紀にはない蝦夷への路を探ります。
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この旅行記へのコメント (7)
-
- mistralさん 2020/01/11 13:14:21
- 匝瑳。
- シニアの旅人さん
今年の旅も、ご夫妻にとりまして
有意義なものとなりますようにお祈りしています。
シニアの旅人さんの古代史にまつわる旅路は
いつでも、どこでも、途絶えることなく続いておられることと
想像しております。
蜘蛛の巣の糸のように細い道筋を辿っていったら
大海に繋がっていた、という光景が見えるようです。
さて、お尋ねの匝瑳高校の起源?についてですが
もとは匝瑳中学で、それ以前は?となると私の手にはおえません。
郷土史家の方でしたら、その辺りには、、、などとうとうと
語られるかもしれません。
道の駅のようなところに小冊子が置かれているのを見たことが
ありますので、機会がありましたら見てみます。
確かに匝瑳という地名は古いもののようですし、匝瑳市には
飯高檀林など由緒ある施設など残っていることを考えますと
古くから受け継いできたものが必ずやありそうにおもいます。
お役に立てず申し訳ありません。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2020/01/11 14:23:49
- Re: 匝瑳。
- 匝瑳高校は旧制匝瑳中学の跡を継ぐ名門なのですね。
私もいろいろ調べましたが、現校舎は昔西ケ城という地名で、かつて匝瑳氏のお城があったようです。匝瑳氏は9世紀に遡る名門だそうです。そのお城ということは、律令時代の郡家あとの可能性があると思います。ヤマカン当たったみたいです。
もっか律令制下の駅路、伝路に凝っています。老尾神社の参道が、発掘された古代の道路、伝路にそっくりなのです。もし匝瑳郡の郡家がここにあれば、下総国の国府、今の市川あたりから伝路がきていたはず。
古代の駅路、伝路というのは、ローマ帝国の街道にひけを取らないくらいの素晴らしいものだったようです。
-
- しにあの旅人さん 2019/06/29 14:47:36
- 奇遇です
- 旭あたりのご出身とはおうかがいしておりましたが、匝瑳高校とは。フェデリーコ2世の引き合わせでありましょうか。老尾神社から高校の校舎越しに九十九里の平野が広がっておりました。印象深い景色でした。
延喜式の古い神社は遷座していることが多いのですが、あの神社は創建いらい動いていないようです。かつては相当広い境内をもっていたようで、匝瑳高校ももしかすると昔の境内かもしれません。明治初期、初等教育が一気に広がったのは、神社やお寺所有、つまり半分公有のような土地と建物が日本中にあったからではないかというのが、妻の意見です。
ヤマトタケルとフェデリーコ2世に共通するものはありませんが、とても魅力を感じます。ヤマトタケルは紀記の記述と考古学的事実に矛盾しなければ、なにをどう書こうと勝手で、楽しかった。
フェデリーコ2世は塩野七生など立派な本があるので、それを読み込んで、実際の旅で彼の人生をたどっていく別の面白さがあります。
帰ってきたばかりですが、来年もまたイタリアでフェデリーコ2世かなと思いはじめました。
-
- mistralさん 2019/06/29 10:14:55
- ふるさとの起源。
- シニアの旅人さん
おはようございます。
この辺りの旅行記、拝見しそこなっていたようです。
老尾神社から見下ろされた所にあります
匝瑳高校は我が母校です。
当時は校舎一面が蔦で覆われていましたが
今は無くて。
多分神社はすぐ近くなのでしょうが、当時は知る由もなくて。
飯岡の神社もそうですね。
おかげさまでふるさとの起源を辿らせていただきました。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2019/06/29 14:49:09
- Re: ふるさとの起源。
- 間違えて新しいコメントを起こしてしまいました。返信とすべきでした。
- しにあの旅人さん からの返信 2020/01/10 17:14:04
- Re: ふるさとの起源。
- 2020年となりました。ことしもいい年でありますように。
最近、律令制時代の下総国匝瑳郡の郡家が、老尾神社またはその近くにあったらしいと知りました。母校の匝瑳高校ができる前は、そこに何があったかご存じですか。
匝瑳郡はおおきな郡ですので、郡家も相当広いものであったはずで、もしかすると匝瑳高校の場所ではないかと思ったのです。なにかご存じなら教えてください。
- mistralさん からの返信 2020/01/11 13:18:19
- Re: ふるさとの起源。
- シニアの旅人さん
返信する、からコメントを書き始めたのですが
送信しましたら、新しいコメントになっていました。
時々このようなことが起こるようです。
以前シニアの旅人さんも同様のご経験をされていますね。
mistral
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