2018/11/23 - 2018/11/23
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しにあの旅人さん
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私たちは、相当古くから現在の国道410号に相当する路があったと想像しています。
長狭街道から国道410号を南下すると5キロくらいで「千葉酪農のさと」があります。日本の酪農の発祥の地です。乳牛を飼育し、1793年、日本で初めて牛乳からバターが作られました。作らせたのは徳川八代将軍吉宗。
富津からここまでは道があったということです。
もともと戦国時代に里見氏が切り開いた、軍馬を育てる牧場でした。
里見氏は本拠地館山から海沿いに千倉まで来て、北上したかもしれません。太平洋まで道が古くからあったと考えていいでしょう。
さらに、大井神社の前を通って南下すると、宮下と沓見(くつみ)の莫越山(なこしやま)神社があります。10世紀以前に確実に存在した神社です。
宮下の莫越山神社の近くには永野台古墳があります。安房では珍しい高塚式古墳です。5世紀後半の古墳だそうです。
さらに丸城址があります。12世紀にはこの地方に勢力をもっていた丸(まる)氏の居城といわれています。
丸氏の先祖となる豪族がこの地で栄え、5世紀に古墳を造り、二つの莫越山神社を創った、わくわくするような想像です。
いろいろ旅の前提があります。恐縮ですが、詳細は以下をご覧になってください。
「日本書紀編その一、房総海の路序章」
https://4travel.jp/travelogue/11418839
「日本書紀編その二、房総海の路・ヤマトタケルを祀る神社」
https://4travel.jp/travelogue/11423588
「日本書紀編その三、房総海の路・式内社-安房国から長狭国葦浦まで」
https://4travel.jp/travelogue/11423588
「日本書紀編その四、房総陸の路・熱田神社、下立松原神社」
https://4travel.jp/travelogue/11428536
「日本書紀編その五、房総陸の路・長狭街道、高蔵神社、大井神社」
https://4travel.jp/travelogue/11431129
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
-
古代のますらを、ヤマトタケルは、確実に天羽からこのコースを辿ったとおもいます。
目的地は千倉の下立松原(しもだてまつばら)神社、あるいは、沓見の莫越山神社から海岸線に出て直接葦浦(あしうら)、現在の鴨川江美吉浦を目指したかもしれません。 -
まず宮下の莫越山神社を訪れます。
-
鳥居の向こうの山が莫越山、ここに奥宮が今もあり、かつてはこの神社は奥宮の遙拝所として建てられたそうです。
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二の鳥居。
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拝殿です。
ご祭神は
手置帆負命(たおきほおいのみこと)
彦狭知命(ひこさしりのみこと)
共に工匠の神様です。家の棟上げ式のときにお祀りされる神様で、安房開拓の祖と言われる忌部(いんべ)氏の神様です。
創建当時のご祭神は忌部氏の神様ではなく、この土地の豪族の氏神様であったと思います。 -
青空がきれいな日でした。
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こうして千数百年、
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この村を守り続けていらっしゃいます。
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常夜灯が印象的でした。
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常夜灯の足の細工が細かい。
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本殿右側より。
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左側より。
おそらく本殿本体を守るための覆屋だと思います。 -
周囲は絵に描いたような日本の田舎です。
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神社全景と
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莫越山全景。
刈り入れの終わった田んぼ。のどかです。 -
しかしこの神社は奥が深いのです。
由緒によれば、創建は養老2年(718年)。
千葉県神社庁HPによれば、近くで6,7世紀ごろの屋根瓦などが出土しているそうです。創建はもっと遡ります。実際の創建が文献上の創建より古いと想像される稀な例です。
前述のように近くの永野台古墳は5世紀末のものだそうです。その古墳を造ったこの地方の小豪族が、氏神を祀るために創建した神社ではないか。かなり根拠のある想像だと思います。
ではその小豪族とは。
近くの丸城址。その城主丸氏の祖先ではないか。
源頼朝が伊豆の合戦で敗れて房総に逃げたとき、房総の豪族を頼りました。その一人が丸氏でした。もともと丸氏は源氏の家人で、この地域一帯の在地豪族でした。
このあたりの地名は丸本郷です。
国道410号にそって丸山川が流れ、太平洋に注ぎます。古代は地名を一族の名乗りにするのが普通ですから、丸氏はこの地域のいわば生え抜きでしょう。永野台古墳の主を丸氏と考えるのは無理がないと思います。
私たちはこの房総の旅で、旅のヤマトタケルを迎えたであろう人を、初めて具体的にイメージできました。丸氏のだれかが、この莫越山神社の近くで、ヤマトタケルを迎えたのです。
この原稿を書いている時点、2018年12月、スポーツ新聞を賑わしているのは、プロ野球の丸佳浩選手です。丸選手は千葉県勝浦出身。6世紀ごろ、時を遡ること1400年、丸選手のご先祖が、この地で最初のヤマトタケルを出迎えたと、想像させて頂きます。
「丸」は古代、「わに」と発音しました。ヤマトタケルはしたがって、「やあ、わにさん」と古代日本語で、丸選手のご先祖に話しかけたのでした。 -
妻がおもしろい写真をとりました。神社の境内の木立の間でした。
ヤマトタケルと丸選手のご先祖の周りでも、こうして蜘蛛がのんびり巣を張っていたかもしれない。 -
季節が今頃であれば、何十代も前のこのサザンカが咲いていたかもしれない。
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410号をさらに南下し、沓見の莫越山神社にやってきました。
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延喜式内社です。
ご祭神は宮下の莫越山神社と同じ、
手置帆負命(たおきほおいのみこと)
彦狭知命(ひこさしりのみこと)
共に工匠の神様です。 -
参道正面階段。
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階段右の女坂を登ります。
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木立の間に美しい神社が。
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樹齢数百年のスタジイに迎えられて、
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厳かな拝殿にやってきました。
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この神社もお参りしていたのは私たちだけでした。
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チリ一つなく、静かでした。またひとつ、私たちだけの「いいね」の神社にお参りできました。
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拝殿奥の本殿ですが、
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棟持柱(むなもちばしら)です。外削ぎ(外宮)の正当な神明造りです。関東大震災で崩壊後の再建だそうです。
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拝殿右隣の若宮神社。
ご祭神には、 -
日本武尊(やまとたけるのみこと)が。
明治時代の建立のようですが、またひとつヤマトタケルの足跡がありました。
☆☆☆
私たちが気になったのは、「莫越山」という地名です。
この神社が祀られている丘そのものを莫越山というそうですが、「莫」とは「なかれ」、禁止の意味です。「莫越」とは「越すなかれ」。
宮下の莫越山神社も背後の奥宮は莫越山にありました。
「山を越すなかれ」
だれが、だれに対し言ったのでしょう。
得意の空想を働かせてみました。
前述のようにこのあたりは古代の豪族丸氏の勢力範囲でした。古代では丸は「わに」とよみました。「和珥」とも表記します。「わに」氏は海人族(あまぞく)であるという説もあります。
ここから得意の学説のつまみ食いです。
安房は、千葉県では珍しく古墳の少ない地域です。ということは、6世紀くらいまで、古墳を造らない文化の民族が住んでいたのではないか。黒潮にのって南からやってきた海人族です。
丸山川の上流から古墳を造るヤマトの部族が南下してきました。
海人族は丸山川にそって北上します。そして莫越山神社の近くでヤマト部族と境を接します。
「この山を越すなかれ」つまり国境ということです。
莫越山神社とは、10世紀初めの延喜式に書かれている神社名です。それ以前に創建されたことが確実な神社です。
つまり「莫越山」は遙か昔から存在する地名です。
その後二つの部族は融合し、海人族はヤマト文化を受け入れ永野台古墳を造り、今の丸城址に本拠を構え、後年丸(わに)氏となる。
こういう空想はいかがでしょうか。
肝心のヤマトタケルがどっかにいってしまいました。
いまでも異民族間の結婚によるハーフには美人が多いと言われます。
6世紀ころここにやってきたヤマトタケルは、ハーフの美女に心を引かれながらも、葦浦に向かって旅立ったと、とんでもなく強引に落ちをつけさせていただきます。
次回はいよいよ、「浦横渡玉浦至蝦夷境」(玉浦を横切って蝦夷の支配地に入った)という、日本書紀の語る、ヤマトタケルの房総の旅後半に入ります。「玉浦」とは現在の九十九里浜と言われています。
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