2018/11/23 - 2018/11/23
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しにあの旅人さん
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日本書紀は、ヤマトタケルの房総の旅を「海路から葦浦(あしうら)に回った」と記述します。葦浦は現在の安房鴨川の吉浦(よしうら)と考えられています。その二、その三がこの物語です。
私たちは、ヤマトタケルは何人もいて、古代の房総を旅したますらをの総称だと考えています。
別の路をたどったヤマトタケルを祀る神社は内陸にもあり、その四で現在の県道188号線に沿い、熱田神社を訪れました。
県道188号線の北、さらに内陸にもヤマトタケルの足跡はあります。長狭(ながさ)街道(県道34号線)を東に向かいます。
いろいろ旅の前提があります。恐縮ですが、詳細は以下をご覧になってください。
「日本書紀編その一、房総海の路序章」
https://4travel.jp/travelogue/11418839
「日本書紀編その二、房総海の路・ヤマトタケルを祀る神社」
https://4travel.jp/travelogue/11423588
「日本書紀編その三、房総海の路・式内社-安房国から長狭国葦浦まで」
https://4travel.jp/travelogue/11423588
「日本書紀編その四、房総陸の路・熱田神社、下立松原神社」
https://4travel.jp/travelogue/11428536
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
長狭街道、呼び名からして旅情を誘います。律令制以前鴨川あたりにあった長狭国に由来します。現在の鋸南町と鴨川市を、ほぼ直線で東西に結びます。延長約27キロ。
江戸時代初期から東京湾と太平洋を結ぶ街道として栄えたそうです。かつての鎌倉街道と同じ道筋ではないかともいわれています。古い道なのです。
私たちは、古代も同じような路があったと仮定して旅を始めます。 -
富津市山中付近です。道路はいいし、交通量は少なく、房総でもめったにないくらい気持ちのいい道路でした。
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桜と棚田と里山、房総の景色です。もうここまでくると、南房総の照葉樹林のおもかげはありません。
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住吉大明神。
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先を急ぎます。
古代はどんな路だったのでしょう。
約4キロで右折、高蔵神社へ向かいます。 -
大山寺の大山寺不動堂です。高蔵神社は背後の山の頂にあります。
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大山寺不動堂の近くから登ります。
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拝殿と、奥に本殿。
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よく手入れされた神社でした。
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由緒によれば創建は724年。
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この神社は隣の大山寺と同じ沿革をもちます。それによると、歴史文献初出は1338年です。また当初の祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと、山の神様)で、その後日本武尊を祀ったとあります。
私たちは、歴史文献、考古学的事実と矛盾しない限り、神社の創建年代は、神社の由緒を信じることにしています。
大山寺は山岳修験、つまり修験道の寺として栄えたとあります。修験道の開祖役小角(えんのおづの、634年-701年)は実在の人物ですが、修験道の開祖としては後世の伝説が多いそうです。高蔵神社、大山寺の創建は724年ですから、初期修験道の修行の場として創建されたとしても矛盾はしません。
その四でふれた小松寺も、役小角による創建という伝説が残っています。
何らかの祭祀の場所がここに創られた可能性はあるとおもいます。
☆☆☆
ヤマトタケルと修験道は関わりが深いのです。 -
秩父の三峯神社です。
-
三峯神社の由緒によれば、
「当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。これが当社の創まりであります」
「文武天皇の時、修験の祖役の小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます」
いずれも伝説です。
しかしヤマトタケルと修験道の結びつきを物語ります。 -
市原市石塚の白鳥神社です。
-
大福山という標高290メートルの山頂に鎮座します。本来修験道のお寺でしたが、明治の廃仏毀釈で修験道が弾圧されたとき、白鳥神社として日本武尊をご祭神としたそうです。
明治までヤマトタケルと修験道の関係が深かったということです。
ヤマトタケルと修験道の結びつきを表す三峰神社が最初の例なら、この白鳥神社が最後の例になるのではないか。 -
高蔵神社を後にします。
-
参道を降りる途中、大山千枚田が木立の間に見え隠れします。大屋根は大山寺不動堂です。
-
鴨川の市街が見えました。直線約13キロです。
ヤマトタケルと修験道が結びついたのは、山野を跋渉し、苦難を乗り越えていく古代のますらをの姿が、修行者のそれと重なったからでしょうか。
原始修験道が成立するのは8世紀です。私たちのヤマトタケルはそれより前の時代にここを通過し、千倉へ、さらには江美吉浦へ向かったのです。
やがて長狭街道とよばれる古代の細道をたどりながら、古代のますらをは、やがて高蔵神社が建てられることになる丘の頂を、木立の間に見上げたことでしょう。そこにはもしかしたら、やがて修験道とよばれる原始山岳信仰の祈りの場があったかもしれません。
☆☆☆
長狭街道に戻ります。さらに東に進むと長狭中学校前で、国道410号線と交差します。 -
直進すれば鴨川、北に進めば木更津です。房総半島を縦断する大動脈です。私たちは南に進みます。
-
大井神社に向かいます。
この神社ほど今回の旅で見つけるのに苦労したケースはありません。
最初に行ったのは10月10日です
千葉県神社庁のHPでは、住所は「南房総市大井801番地」となっています。ところが、 -
ここにあったのは、お寺でした。
-
「白壽延命地蔵尊」とあります。神社がつぶれてお寺になったのかな、そんなことがあるのかな・・・
この日はお参りをあきらめました。
11月23日再度チャレンジします。
今回は地元の方にきくことにしました。801番地のすぐ近く、人家があまりないこのあたりなのに、奇跡的に雑貨屋さんがありました。
私は人見知りが激しいので、妻が頼りです。
☆☆☆
遠路はるばる2回行って、2回とも駄目なら、普通諦めるでしょう。ところが、どっこい。彼は、かつて、我が家で飼っていた、頑固で、でっかい犬の躾に悩んでいたとき「100回言って聞かせろ。それでできなかったら101回・・・」と言って、私に躾させた人なのです。
ですからね、私も躾けられて「行け!」と言われたら行っちゃうんですよね、ワン!
で、雑貨屋と申しますか、今風に言えばスーパー、でも現実はよろず屋。何でも売っているお店で、店内にアイスケースもあったから、ご近所の日常生活をすべてまかなっているんでしょう。
でもだれもいない。二度三度声をかけると、出てきた人は白髪のお婆さん、と思うでしょう。ところが、昨晩ヨコハマで飲んできたワーという感じのお姉さんでした。ここ、意外と東京、横浜に近いのよ。
「なんでそんなところに行くのよ」感満々だったけれど、教えてくれました。「左に曲がって直進、左側にブロック塀みたいなのがあって、その上に鳥居が見えるから」
行ってみました。ブロック塀? ブロックみたいな? みたいって? 結局分からない。
もう一回ふりだしに戻って。何しろ101回の人だから。
今度は以前間違えて入った山路の側で働いておじさんにききました。「その道(さっきから行ったり来たりしている道です)を、ずーっと行くと、右手にジャリ置き場があるから」
んん? 今度はジャリ置き場? ブロック塀じゃないの? ・・・やっぱり分からない。
諦めるよね、フツー。でも彼はフツーじゃないし。101回の人だから。
「今度はぼくがきく!」私のきき方がわるいとでも?
ムカッとしてたら、道路わきに人影。
そのおじさんは多分大井神社の氏子さん。丁寧に教えてくださって、まず目的地に近かったから、ものすごく具体的で、分かりやすかったです。
そして着いてみれば、さっきから行ったり来たりしていたところ。 -
お姉さんのブロック塀もありました。これって、ブロック塀?
鳥居もみえます。 -
おじさんのジャリ置き場もたしかにありました。写真左隅です。
私たちが見ていなかっただけでした。
だ・け・ど、大井神社の神様、「こっち来い、こっち来い」って呼んでよね。
それから、お姉さんのお店で買ったきなこ飴、おいしかったです。製造元をメモしておけばよかった。
☆☆☆ -
路肩に車をおいて、このスロープを上がります。
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鳥居が見えてきました。両側の石柱は、お祭りのときの幟などを掲げる柱を立てるものでしょうか。地域の人々の信仰の対象であることが分かります。
-
両部鳥居(りょうぶとりい)という形式だそうです。
-
長い参道です。山路を登ります。山路そのものが参道というのは初めてです。
-
石段が見えてきました。
-
本殿です。
-
千葉県神社庁によれば、由緒は不明。宝暦11年(1762年)社殿建立の記録があるそうです。
ご祭神は、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
大山祗命(おおやまつみのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
地元の方の話では、近隣の熊野神社、愛宕神社の神様を合祀したので、20柱ほどの神様がお祀りされているそうです。
グーグルマップでは、この神社は熊野神社となっています。地元の方は大井神社と呼んでいましたので、これが正しいと思います。合祀された熊野神社の名が間違って用いられたのでしょう。 -
小さいけれど美しいお社でした、
-
杉に藤蔓が巻き付いていました、5月に来てみたいものです。
-
周囲は巨木の混じる竹林。
-
お社に別れを告げ、
-
山路の参道を下ります。
-
木立のトンネルの先、両部鳥居が見えてきました
-
鳥居前のテラスから。
向こうの山との間に丸山川が流れます。
昔から川筋は道筋でした。丸山川に沿って、旅人は千倉と房総中央部を旅したことでしょう。古代のますらを、私たちのヤマトタケルもこの路を通ったと思います。
しかし大井神社の創建は明らかではなく、おそらく18世紀と思われます。ヤマトタケルと、この神社との結びつきを考えるのは困難でしょう。
強いて言えば、古代の旅人の記憶が、お祀りする神様の一柱に、その名を冠したのではないか。
国道410号を南下し、莫越山(なこしやま)神社に向かいます。
☆☆☆
お参りして山を下ってきたら、まぶしい青空をバックに朱色の鳥居が輝いていました。
鳥居を出て、そのまま車で戻るところですが、このまま帰るのは何かもの足りない、というか、別れがたい気持ちで、逆の方向に行ってみました。木立の中を進むと、いくらも行かないうちに開けて、畑にでました。畑の反対側は広々とした景色です。ここは山の中腹なのです。足下に広がる景色を見ていると、大井神社の神様が、山のふもとの道をチョロチョロ行ったり来たりするアリンコなんか見ていなかったってことが、よ-く分かりました。
大井神社の神様は空を見、雲を見、森を見、川の流れを見て、のどやかにゆったりとしていらっしゃるようでした。でもたまには呼んでよね、「オーイ、こっちだぞ」って。
この大井神社は苦労してたどり着いた神社でしたが、苦労が報われた、静かないいお社で、大好きになりました。
私たちは一宮参りから神社めぐりを始めたのですが、それぞれの一宮の豪壮な美しさに感動しつつ、こういう神社の簡素な存在にも強くひかれます。
苦労もしたけれど、まあまあいいこともあったという人生。そのいいことも年末ジャンボ1億円に当たるなんてことではなく、昨年よりもボーナス多かったね。とか、子供が志望校合格したみたいなレベル。
ささやかな喜びをつなぎつつ生きる平凡な、どこにでもある人生を支える、謙虚な誠実な精神を形にしたものが、大井神社のような地元の人しか知らない神社ではないでしょうか。
私たちが追いかけているのも英雄ヤマトタケルではなく、弱虫で、文句たれの、今もそこいらにいるおニイちゃんです。
ヤマトタケルはブーブー不平不満言いつつ、どこまで行ったのでしょうね。
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ヤマトタケルの旅日本書紀編2018年
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この旅行記へのコメント (6)
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- kummingさん 2020/04/05 15:38:38
- 101回目の人(°_°)
- 地図と数字と難しい漢字が脳内で衝突しております!
読んでも読んでも上書き保存?というより、はなから私のキャパを大幅に超える情報量に、目眩すら覚えております(*_*)
えんのおずぬ、は聞き覚えある?程度の無知な私ですが、少しでも理解できますように♪
前から想像していた事ですが、しにあの旅人さんは奥さまあってのしにあの旅人さん、なんですよね~
というより、しにあの旅人さんたち?
101回目、私には到底つとまりそうにありません(;o;)
少し苦労もしたけどまあまあいいこともあった人生、人生の小確幸、大切にしていきたいです♪
- しにあの旅人さん からの返信 2020/04/06 06:16:44
- Re: 101回目の人(°_°)
- 古い引き出し探していただいてありがとうございます。地元なもんで、同じところに何回も行って、楽しんでいました。重箱のすみつつきが趣味でして。
妻あってというか、妻なしだと犬のお巡りさんです。困ってしまってワンワン。これではよくないと、自立をこころがけるというのはウソで、このまま行雲流水で行きます。
私だけの文章では面白くないのは分かっています。なにか面白いことを書けと毎日責め立てている、コロナ籠りの今日この頃です。
-
- makiさん 2018/12/16 20:40:58
- こんばんわ!
- 今晩は!初めましてmakiと申します!
此のたびは写真の無い退屈なモスクワ旅行記にいいね!を
頂き有難う御座います!
人生の思い出のつもりで投稿したら岡一さんから、もっと見やすい文章に
しなさいと注意を頂き大変参考に成りました!
シニアの旅人さんの名前からして同年輩ではと推察しております!
旧ソ連時代を良きも悪くもご存知の方が少なくなり、現在の中国を知る上で
ロシアも又重要ですが行って余り参考に成りませんでした!
最近の旅行記は写真ばかりで旅行会社のパンフレット以下の感想の無いのが
多い中で、シニアの旅人さんの旅行記は写真と説明や詳細な情報等見事です!
今後も拝見し勉強したいと思います!
- しにあの旅人さん からの返信 2018/12/17 13:05:05
- RE: こんばんわ!
- コメントありがとうございます。これからも読んでいただければ幸いです。ヤマトタケルの妄想の旅はまだ続きます。考古学的事実と史実に矛盾しなければ何をどう想像しようと勝手と思っております。なるべく楽しい文章にしたいなと思っております。
-
- しにあの旅人さん 2018/12/10 16:54:11
- コメントありがとうございます
- 文体がまるっきり違うのでお分かりとは思いますが、最後の段落は妻の文章です。言いたいことを汲み取っていただけたと妻が喜んでおります。原稿はまず私が書き上げて、二人で推敲を重ねておりますが、最近は妻に任せることもあります。二人で行った旅ですので、ブログも共作です。
おみくじやお守り売り場と化している有名神社もありますが、私たちの田舎の神社は、ただ静かで、ひたすらに神様の鎮まる場所です。これからも、私たちだけの「いいね」の神社を訪ね歩きたいと思います。
-
- pedaruさん 2018/12/10 07:11:06
- 大井神社
- シニアの旅人さん おはようございます
大井神社を探し出すのは大変でしたね。でも101回の根性恐れ入りました。
仰るように一般に美しいと言われるきらびやかな神殿もいいですが、大井神社のような簡素な美しさにも惹かれます。むしろ、神社にもお寺にも、豪華な建物に住んでいる神や仏はあまり崇拝するきにはなれません。(神様のせいでなく、人間の側の問題ですが)
質素だが、手入れが行き届いて、奥ゆかしい建物にこそ神や仏が宿る気がしています。。最後の文章に共感いたしました。
pedaru
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