2019/01/19 - 2019/01/19
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しにあの旅人さん
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これまで古代のますらを、その一人ヤマトタケルが辿った房総の様々なルートの神社を訪ねてきました。
そのルートのすべてが、ここ橘樹(たちばな)神社に集まってきました。
では、橘樹神社とは何なのでしょう。
恐縮ですが、これまでの詳細は以下をご覧になってください。
「日本書紀編その一、房総海の路序章」
https://4travel.jp/travelogue/11418839
「日本書紀編その二、房総海の路・ヤマトタケルを祀る神社」
https://4travel.jp/travelogue/11423588
「日本書紀編その三、房総海の路・式内社-安房国から長狭国葦浦まで」
https://4travel.jp/travelogue/11423588
「日本書紀編その四、房総陸の路・熱田神社、下立松原神社」
https://4travel.jp/travelogue/11428536
「日本書紀編その五、房総陸の路・長狭街道、高蔵神社、大井神社」
https://4travel.jp/travelogue/11431129
「日本書紀編その六、房総陸の路・莫越山神社2社」
https://4travel.jp/travelogue/11433245
「日本書紀編その七、房総玉浦、陸路か海路か」
https://4travel.jp/travelogue/11439092
「日本書紀編その八、房総玉浦、瀧口神社、玉前神社、橘樹神社」
https://4travel.jp/travelogue/11442651
「日本書紀編その九、房総横断、木更津から茂原まで」
https://4travel.jp/travelogue/11449103
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橘樹神社。
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上総国二宮、927年の延喜式神名帳に記載がある、式内社です。
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歴史文献には、「日本三代実録」元慶元年(877年)が初出、ご祭神は弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)。
元慶8年(884年)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、忍山宿禰(おしやまの・すくね)が合祀されました。
社伝では、古事記には入水した弟橘姫の櫛が7日後に海辺に流れ着いたとなっています。「その櫛を取り上げ、御陵を作って収めおいた」(古事記・現代語訳つき、中村啓信、角川ソフィア文庫、以下古事記の現代語訳引用では出典を略します)を根拠に、その御陵を祀るのが橘樹神社であるとしています。
現在の橘樹神社に、本殿裏手にその御陵とされるものがあります。 -
ご祭神の1柱に忍山宿禰(おしやまの・すくね)とあります。「命」も「神」も名前についておりません。神様ではありません。
弟橘姫の父です。
日本書紀では、弟橘姫の走水入水の項で、弟橘姫は「穂積氏忍山宿禰(ほづみのうじの・おしやまの・すくね)の女(むすめ)である」と書かれています。(日本書紀全現代語訳・宇治谷孟)
古事記では成務天皇の条に、この天皇は「穂積臣(ほずみのおみ)らの祖先の、建忍山垂根(たけおしやま・たりね)の娘の、名は弟財郎女(おと・たからの・いらつめ)と結婚して・・・」とあります。
忍山宿禰と建忍山垂根は同一人物と考えられているそうです。
成務天皇はヤマトタケルの父景行天皇の次の天皇であり、両天皇の同時代人として忍山宿禰が実在しても矛盾はありません。ただしそれが両天皇の在位した西暦2世紀というのは歴史的、考古学的にあり得ないと思います。 -
忍山宿禰が穂積氏の祖先というのがポイントです。
穂積咋(ほづみの・くい)という人物がいます。大化元年(645年)に初代東国国司に任命、派遣されています。この「東国」とは主に関東地方を表すようです。上総国も東国に入ります。上総国は大国で、ヤマト朝廷にとっても、国司穂積咋にとっても最重要地域でありました。
穂積氏は、上総に勢力を張ったと考えます。橘樹神社があるこの地方もその勢力範囲です。
ここからが私の推理、邪推とも言います。
7世紀、東国着任と同時に穂積咋は、橘樹神社の前身となる神社をこの地に創建します。祭神は祖先忍山宿禰。
天武天皇(在位673年ー686年)のころ、古事記と日本書紀の編纂が始まります。
記紀の編纂者は、ヤマト朝廷の地方進出の証しとして、ヤマトタケルの征西、東征の物語を書くことを決めます。東征については、東国に詳しい晩年の穂積咋に資料の提出を求めました。
そのとき、穂積咋は、ヤマトタケルと同時代の、祖先の娘弟橘姫をその妻と記述するように編纂者に働きかけました。後世に残るであろう英雄の妻として一族の先祖の娘の名を残す、これ以上の誉れはありません。
同時に、走水に伝わる、自らを犠牲にして愛する夫を救った女の伝説も伝えました。
712年古事記が成立します。720年日本書紀が成立します。
ヤマトタケルと弟橘姫の名がこの二つの歴史書で知られるようになりました。穂積氏は、神社の名を橘樹神社とすると同時に、祭神を弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)としました。 -
拝殿と本殿です。
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本殿奥に、鬱蒼と木立の茂った、高さ10メートルほどの塚があります。
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その塚の麓の石碑には「弟橘比売命御陵」とあります。
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「日本武尊が築陵なされた、当社の主祭神「「弟橘比売命」の神聖な御陵墓」とあります。
「その櫛を取り上げ、御陵を作って収めおいた」と古事記が記述する御陵ということです。
それが真実かどうかを議論するのは無意味でしょう。ヤマトタケルの東征そのものが、そのまま史実とは思われません。古代の物語を彩る伝説の一つとして、尊重したいと私たちは思います。 -
境内の説明によれば、この塚は「本納橘樹神社社叢」と呼ばれ、人の手が入っていない自然のままの木々の姿だそうです。人工物か自然の丘陵かも不明です。しかし、長い間地元の人々に尊重され、愛されてきたのです。弟橘姫の御陵と信じられてきたのです。これからもそのままでいいと思います。
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この塚周辺は宮ノ下遺跡といわれ、遺跡は縄文時代のものです。非常に古くから、この地域には人が住み、何らかの祭祀の場所で会った可能性もあります。穂積氏が神社をつくったのは、そうした原始信仰の基礎の上であったかもしれません。
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神社の周囲を歩いてみました。
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神社東側、このさき10キロで九十九里浜です。遺跡の解説では、かつてこのあたりは沼地であったそうです。そのもっと前は、海ですね。
古代の旅人が当時の玉浦を北上した道は、このあたりを通っていたということです。 -
御陵の裏側です。
人の手が入っていない森というのは、好き勝手にのびのびと木が伸びるのですね。古代の夢もまた、そのままここにずっといてほしいと思います。 -
御陵全景です。古墳、円墳のようにも見えます。
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御陵の西側に回ってきました。拝殿と本殿を繋ぐ幣殿(へいでん)の赤い屋根が見えています。
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御陵の麓に近づきます。東側です。
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これ以上近づきません。塚の頂が見えます。
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御陵西です。こちら側は巨木が多い。
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弟橘姫の櫛が納められるのにふさわしい森だと思います。
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ずっとこのままでいてください。
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この日はもう初詣もおわり、無人の本殿でした。
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静かでした。
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びわの花、おだやかな気候の証し。
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春はまだ遠いけれど・・・
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婦系図の梅です。愛する男のために身を犠牲にした女の花が咲いていました。千数百年後にも同じような物語が語られたのですね。
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境内の巨木もひっそりと・・・
神様を身近に感じるには、静かであることがまず第一です。 -
大きなねこがいました。人なつこくて、なでても逃げません。
ふと思い出したのは、 -
弟橘姫を祀る、相模の走水神社のねこ。
ねこは弟橘姫が好きなのでしょうか。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 2013tomoさん 2019/02/02 05:42:10
- 吾妻はや!
- 2013tomoです。
シニアの旅人さんの『七十路夫婦 ヤマトタケルを旅する』を
拝読させて頂いています。
高校生時代の古典の授業でヤマトタケルのストーリーを読んで
古代のロマンに心が引かれた頃を思い出しました。
特に弟橘比売命の最後には胸を打たれます。
「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」
の歌を見て「古典の授業」という時空を超えて私の想いはたちまち
古代にワープしてしまいました。
私達はもう少し時間が出来れば身近にある歴史の跡をゆっくり
巡ってみたいと考えています。
(今は4人の孫のお世話で大忙しの状況です)
その中でシニアの旅人さんの『ヤマトタケルを旅する』はとても
参考になりました。
お互いに旅を通して人生をさらに豊かにして行きたいですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
- しにあの旅人さん からの返信 2019/02/03 09:54:15
- Re: 吾妻はや!
- 漢文たった37文字をふくらましにふくらました旅日記です。もはや妄想の域ですが、ヤマトタケルにお付き合いいただきまして有り難うございます。
それにしても古典文学や、歴史学の学生はなんと面白い勉強をしているのかと、つくづく思います。もっと若いころに気がつけばよかった。
旅はいいですね。想像力といつも三人連れです。
いつも重量級のレポートを楽しんでおります。最近ではコタキナバル日本人墓地の話し、心にしみいるものがありました。
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