2018/12/27 - 2018/12/27
198位(同エリア372件中)
旅人のくまさんさん
- 旅人のくまさんさんTOP
- 旅行記6398冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 5,391,625アクセス
- フォロワー204人
東海三県の名城巡りです。美濃金山城は1537年(天文6年)、関白近衛稙家の庶子の斎藤正義が「烏峰城」として築城した時に始まり、その後、織田信長が森可成にこの城を与えた際に「金山城」と改名しました。安土城の天守とほぼ同時期に建てられたとみられる複合式層塔型2重2階の天守がありましたが、「関ケ原の戦い」の翌年、1601年(慶長6年)に破城されました。(ウィキペディア、日本百名城・続日本百名城公式ガイドブック)
- 交通手段
- 観光バス
-
岩の上に置かれた瓦の破片です。少し新しいようにも見えますが、破城の時に生じた瓦のようです。『破城(はじょう)』とは、日本の戦国時代から江戸時代にかけて行われた、城を崩し廃止することを言い、『城割(しろわり)』とも呼ばれます。江戸幕府による一国一城令の発布により、おもに西国や東北の外様大名領内で破城・廃城が実施された顕著な例があります。(同上)
-
イチオシ
『破城』が行われたらしい石垣の光景です。破城には、次の方法があります。
〇建物の撤去(解体)
〇石垣・切岸の一部破却
〇石垣・土塁の撤去
〇外堀・内堀の埋め立て(同上) -
『美濃金山城』の『破城』は、慶長5年(1600年)に森氏が川中島藩に転封されると、金山城は犬山城主の石川貞清の所有となり、建物は解体され石川氏の居城である犬山城の改修に使われたといわれます。『石川貞清(さだきよ:生年不詳~1626年)』は、安土桃山時代の武将、大名で、豊臣氏の譜代の家臣で、犬山城主でした。(同上)
-
石川氏について、もう少し紹介します。江戸時代前期には商人となり、後に江戸幕府御家人となりました。初名は光吉、あるは三吉とも言いました。晩年は剃髪して『石川宗林』を称し、茶人でもありました。豊臣氏が天下の天正18年(1590年)、小田原の役、7月に北条氏政・氏照兄弟が切腹した際、石川貞清と榊原康政が検使役を務めました。この功で、尾張犬山城1万2千石を与えられました。(同上)
-
イチオシ
石川貞清は、同時に信濃木曾の太閤蔵入地10万石の代官も務め、代官領地と併せて12万石、豊臣家の重心の一人でした。天正19年(1591年)1月、秀吉の三河吉良での狩猟に随行、翌年の文禄の役の拠点となる肥前国名護屋城の普請工事を分担しました。戦役では秀吉の在陣中は、留守番衆として同城に駐屯、また、文禄4年(1595年)正月、秀吉の草津湯治では、逗留中の居館の建築と警固にあたりました。(同上)
-
石川氏は、慶長4年(1599年)正月、豊臣秀頼の側近に列し、五大老五奉行の連署では、貞清(備前守)・石田正澄(木工頭)・石川頼明(掃部頭)・片桐且元(東市正)の4人は、奏者番とされました。同年秋頃、徳川家康より美濃金山城の天守櫓(?)と家臣長屋の古材を譲り受けて、犬山城を改修しています。(同上)
-
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍に与し、家康からの降誘を拒否して、居城の犬山城に稲葉貞通・典通父子、稲葉方通、加藤貞泰、関一政、竹中重門らと籠城しました。しかし東軍の中村一忠・一栄に攻められると、加勢の西軍将達は極秘に東軍の井伊直政に密書を送り、内応を約定して引き上げようとしました。貞清も関一政に説得されて城を棄てて、西軍本隊に合流しました。(同上)
-
関ヶ原での敗戦後、貞清は北山龍安寺に避難し、親族が住持を務める妙心寺に頼み、妙心寺と所縁の深い東軍・池田輝政と渡りを付けて、大坂に入って池田の陣に投降しました。改易されて所領を没収の上で、死罪を申し渡されるところでしたが、犬山籠城中に東軍に加担した木曽郷士らの人質を解放したことが評価されたのと、池田輝政の働きかけにより、黄金千枚で助命されました。(同上)
-
京で隠棲し、剃髪して宗林と号し、茶人・商人(金融業)として余生を過ごしましたが、慶長18年(1613年)12月、幕府に扶持米500石を給されて召抱えられたと『徳川加俸録・除俸禄:明治24年出版)』に記されています。最晩年は幕府家人でした。寛永3年(1626年)に死去し、墓所は京都の妙心寺養徳院、龍安寺大珠院です。子孫は商人となりました。(同上)
-
『うらじろの径(みち)』の標識の紹介です。『ウラジロ(裏白)』は、シダ植物門ウラジロ科に属するシダ(羊歯、歯朶)で、南日本に生育します。正月のお飾りに使われることでよく知られています。『美濃金山城』の一通りの見学を終えて、帰り道の光景が続きます。『うらじろの径』は、既に麓に近い場所らしく、『歴史民俗資料館の北東500m位にある登城口』とも紹介されていました。(同上)
-
樹木が伐採されたのか、広場のようになっていた場所です。辺りに案内看板らしいものが見当たりませんでしたが、曲輪のようです。広場の先に見晴らし台のような簡易な建物が見えていました。(同上)
-
三つ並んだ小さな社の光景です。河原石を積んだ石垣の上に並んでいましたが、石垣の施設年代も、三つ並んだ小さな社の謂れも分かりませんでした。勝手な想像ですが、造りは新しいですが、1601年の破城に関連するものか、もしくは、それ以前の烏峰城の時代まで遡るルーツを持つ社かも知れません。(同上)
-
三つ並んだ小さな社の前から眺めた、背後の光景です。1601年に破城になった『美濃金山城址』は、その後、人手は加わっていない印象でした。名古屋地区で例えれば、『小牧山城跡』と類似性を感じました。小牧山城は、秀吉と家康が直接戦った、『小牧・長久手の戦い』の時に家康が本陣を措いた場所で、江戸時代は、尾張徳川家の領地となり、一般人の入山は禁止されました。(同上)
-
推測になりますが、『織豊時代の野面積の石垣』になるようです。安土桃山城と同時期の金山城とされますので、調査が進めば、歴史的価値のある石垣なども再認識されるかも知れません。1601年に破城になった後は、完全に歴史の外に置かれたようです。『小牧山城址』は、家康所縁の城跡として特別扱いされましたが、『美濃金山城址』は、豊臣家所縁の城跡として規制されたかも知れません。(同上)
-
長い石段があった、工事現場の光景です。『米蔵跡付近石垣補修工事』と看板に表示されていました。来年(2019年)1月末までの2か月半ほどの工期でした。『米蔵跡』の表示がありますから、文化遺産としての補修工事かも知れません。しかし、石段がモルタルで補強してあるようですから、あまり期待はできません。(同上)
-
イチオシ
手元の『続日本百名城公式ガイドブック』には、『山麓に設けられた曲輪は、高さ6メートルの石垣が40メートル以上続いており、圧巻である』、と評価されていました。また、『本丸は総石垣、その他の曲輪でも部分的に石垣が用いられていた』とも解説されていました。破城にされた部分を除き、想像以上に保存状態の良い石垣でした。(同上)
-
正確な場所は記憶していませんが、この石垣も古城山の麓に位置する、『美濃金山城址』の一部になるようでした。一面に苔むしていましたが、この石垣の角の部分の下部には、破城の跡にも見える光景がありました。(同上)
-
これで、『美濃金山城』の見学はお終いです。振り返って眺めた、古城山方面の光景になるようです。『美濃金山城』は、標高276メートルの古城山に築かれた山城で、北側に木曽川が流れ、南側を中山道が通る要所に位置し、戦略的にも、流通の面でも重要でした。このために、再使用を恐れて破城になったようです。(同上)
-
木曽桧が世に知られるようになったのは、伊勢神宮の遷宮用材の産地に選ばれた14世紀中頃からとされます。その後、豊臣秀吉の時代以降、日本各地のお城・神社仏閣など幾多の建造物の用材として使われましたが、大規模な伐り出しが始まったのは江戸初期からです。木曽を直轄領とした徳川幕府は尾張藩にその管理をさせました。集積されたのは白鳥貯木場とされます。(同上)
-
『可児市観光交流館』の表示があった建物光景です。所在地は、可児市兼山になります。可児市の各種パンフレットや「続日本100名城」のスタンプを設置してありますので、忘れずに立ち寄りました。(以上)
-
名前:『カエデ(楓)』
分類:ムクロジ科カエデ属
分布:アアジを中心に世界に130種ほどが分布。
その他:麓の紅葉光景です。地面も落ち葉で赤く染まっていました。(同上) -
名前:『ツバキ(椿)』
分類:ツバキ科ツバキ属
分布:日本をはじめ。韓国、中国などに分布。
その他:日本の原種は、ヤブツバキ(藪椿)とも呼ばれます。(同上) -
名前:『ツバキ(椿)』
分類:ツバキ科ツバキ属
分布:日本をはじめ。韓国、中国などに分布。
その他:日本では、大島の椿油が有名です。(同上) -
名前:『ツバキ(椿)』
分類:ツバキ科ツバキ属
分布:日本をはじめ、韓国、中国などに分布。
その他:同じツバキ科の、カキツバタかも知れません。(同上) -
名前:『ツバキ(椿)』
分類:ツバキ科ツバキ属
分布:日本をはじめ、韓国、中国などに分布。
その他:真っ赤な花のズームアップ光景です。(同上) -
名前:『フイリアオキ(斑入り青木)』
分類:ミズキ科アオキ属
分布:日本原産のアオキの園芸品種。
その他:雌雄異株の植物です。(同上) -
名前:『フイリアオキ(斑入り青木)』
分類:ミズキ科アオキ属
分布:日本原産のアオキの園芸品種。
その他:ホシヤドリ (星宿)や、スターダストの呼び名もあります。(同上) -
名前:『カルガモ(軽鴨)』
分類:カモ目 カモ科 マガモ属
分布:中国、日本、アムール地方、朝鮮半島に分布。
その他:日本では主に本州以南に周年生息。(留鳥)(同上) -
名前:『カルガモ(軽鴨)』
分類:カモ目 カモ科 マガモ属
分布:中国、日本、アムール地方、朝鮮半島に分布。
その他:オス、メス同色で、全長は約60センチです。(同上) -
名前:『カルガモ(軽鴨)』
分類:カモ目 カモ科 マガモ属
分布:中国、日本、アムール地方、朝鮮半島に分布。
その他:日本でも身近に見られる人を恐れない鴨です。(同上)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2018暮、東海3県の名城巡り
-
前の旅行記
2018暮、東海三県の名城(8/12):美濃金山城(3):枡形虎口、本丸、破城跡、城址碑
2018/12/27~
可児
-
次の旅行記
2018暮、東海三県の名城(10/12):浜松城(1):八幡台、天守台、復興天守、城内展示品
2018/12/27~
浜松
-
2018暮、東海三県の名城(1/12):名古屋城(1):西南隅櫓、天守閣、東南隅櫓、本丸御殿
2018/12/27~
名古屋
-
2018暮、東海三県の名城(2/12):名古屋城(2):本丸御殿、表書院、対面所、上段之間
2018/12/27~
名古屋
-
2018暮、東海三県の名城(3/12):名古屋城(3):本丸御殿、上洛殿、二重折上天井
2018/12/27~
名古屋
-
2018暮、東海三県の名城(4/12):名古屋城(4):本丸御殿、上洛殿、梅之間、大天守
2018/12/27~
名古屋
-
2018暮、東海三県の名城(5/12):名古屋城(5):西南隅櫓、隅櫓の眺望、本丸御殿と天守閣
2018/12/27~
名古屋
-
2018暮、東海三県の名城(6/12):美濃金山城(1):美濃金山城へ、森蘭丸産湯の井戸、出丸
2018/12/27~
可児
-
2018暮、東海三県の名城(7/12):美濃金山城(2):出丸、三の丸門、二の丸門、大手枡形
2018/12/27~
可児
-
2018暮、東海三県の名城(8/12):美濃金山城(3):枡形虎口、本丸、破城跡、城址碑
2018/12/27~
可児
-
2018暮、東海三県の名城(9/12):美濃金山城(4):搦手道、瓦破片、米蔵、観光交流館
2018/12/27~
可児
-
2018暮、東海三県の名城(10/12):浜松城(1):八幡台、天守台、復興天守、城内展示品
2018/12/27~
浜松
-
2018暮、東海三県の名城(11/12):浜松城(2):天守台、復興天守、城内展示、地下の井戸
2018/12/27~
浜松
-
2018暮、東海三県の名城(12/12):浜松城(3):本丸、天守門、天守台、天守曲輪、庭園
2018/12/27~
浜松
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
可児(岐阜) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2018暮、東海3県の名城巡り
0
30