2018/12/27 - 2018/12/27
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東海三県の名城巡りの内の名古屋城紹介の続きです。限られた見学時間でしたから、再建がなった本丸御殿を中心とした見学です。400年前の世界が、現代に蘇ったような本丸御殿の絢爛豪華な建物内外の光景でした。(ウィキペディア、日本百名城・属日本百名城公式ガイドブック)
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『表書院』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『表書院』には、上段之間、一之間、二之間、三之間、納戸之間を持つ126畳の広大な建物で、違棚天袋などにも華麗な装飾が施されました。欄間を挟んで上段之間と一之間では天井も格が異なり、上段之間は最高格式の折上げ天井となっています。(同上)
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三之間には、『麝香猫(じゃこうねこ)図』が描かれ、「麝香猫の間」と呼ばれていました。その襖絵の光景です。麝香猫は、ジャコウネコ科の哺乳類の総称です。とくに東南アジア産のジャコウネコ属そのほかを指していうことが多く、体長50~80センチ、夜行性で森林に棲み、小動物や果実を食べます。(同上)
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二之間には、「松楓禽鳥図」、「槙楓椿図」、「草花流水図」の花鳥図が描かれていました。その「槙楓椿図」などになるようです。表書院は、江戸時代には大広間と呼ばれていたようです。藩主と家臣などの公式な謁見に使われたり、対面所に至るまでに身分に応じた部屋で控える場となっていました。(同上)
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襖を開けた、表書院の上段之間方面の光景です。障壁画は、上段之間だけが当時の狩野派当主・狩野貞信の筆によるものでした。障壁画には金箔地に植物画が多く、荘厳な空間。謁見時には大床の松を背にする藩主にまみえる形となり、風格を感じられる演出となります。廊下側の付書院や北側には帳台構が設けられ、正式な座敷飾りを揃えていいます。(同上)
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同じく、二之間に描かれた「松楓禽鳥図」の襖絵になるようです。『表書院』は、1615年(慶長20)の創建時には、最大かつ最も格式の高い間として正式に藩主に謁見する際に用いられました。屋根や庇(ひさし)を上下四方に設けた大きな入母屋造(いりもやづくり)の建物です。(同上)
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『表書院』は、上段之間(15畳)、一之間(24畳)、二之間(24畳)、三之間(39畳)、納戸之間(24畳)の5部屋からなり、江戸時代には広間と呼ばれていました。上段之間が藩主の徳川義直公が座る部屋でした。正面は、まだ未完成の壁画のようでした。(同上)
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『表書院』の中で、最大の39畳の広さを持つ『三之間』の光景になるようです。『三之間』の西北側には広さ24畳の『納戸之間』が隣接し、西南側には広さ24畳の『二之間』が隣接します。(同上)
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表書院の『上段の間』の光景です。広さは15畳です。床(とこ)と違棚(ちがいだな)、廊下側に張り出した出窓のような付書院(つけしょいん)、華麗な襖絵(ふすまえ)からなる帳台構(ちょうだいがまえ)と呼ばれる、正式の座敷飾りを揃えた造りです。上段の間の床の間には、松の古木の壁画がありました。(同上)
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イチオシ
表書院の『上段の間』の『武者隠し』の扉光景です。この扉の先(北側)は、24畳の『納戸一の間』です。『上段の間』の南には、同じく24畳の『一の間』が控えています。同じ広さの『二之間』は、『一之間』の東側に位置します。(同上)
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『対面所』のタイトルがあった説明パネルの光景です。藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた部屋です。上段之間(18畳)、次之間(18畳)、納戸(なんど)一之間(24畳)、納戸(なんど)二之間(24畳)の4部屋で構成されています。上段之間及び次之間の障壁画は、「風俗図」と呼ばれ、京都や和歌山の四季の風物や名所、風俗がおだやかな筆致で描かれています。(同上)
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引戸に設けられた、唐草文様らしい飾り金具のズームアップ光景です。金色の唐草文様を引き立てるように、バックは黒色でした。格式の高い部屋程、くぎ隠しでも凝った様式の物が使用されていました。(同上)
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対面所の『上段の間』の北側に隣接する、『納戸一之間』の光景になるようです。広さは、24畳です。床の間が設けられ、松の大樹の壁画がありました。その左側の壁画は、花鳥画のようでした。(同上)
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推測も入りますが、『対面所』の『納戸二之間』から眺めた、『納戸一之間』の光景になるようです。中央奥の松の大樹の壁画が目印になりました。『納戸二之間』は、『納戸一之間』の東に隣接し、広さは同じ24畳です。(同上)
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対面所の『次の間』の障壁画の紹介です。初代藩主徳川義直夫人春姫の故郷和歌山を描いたとされる風俗図が並びます。「風俗図(綱引・見世物)」、「風俗図(勅使参詣・船下ろし)」、「風俗図(石投・山伏)」、納戸上之間と次之間の襖には「山水花鳥図」が描かれました。(同上)
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少しズームアップした、対面所の『次の間』の障壁画の光景です。広々とした空間に、義直公夫人の春姫の故郷、和歌山の風景や風俗が描かれていました。紀州藩初代藩主の「浅野幸長(よしなが)」の息女「春姫」は、1615年4月12日、名古屋城初代藩主「徳川義直公」に輿入れしました。女騎馬武者43人、長持300棹、御駕籠50挺、長さ10数町にも及んだと伝えられます、(同上)
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『対面所』の『上段之間』の左側に見える、一段高くなった『上座』と、右端に見える『武者隠し』の光景です。武者隠しは『帳台構え』とも呼ばれ、供の警護の者が控えた場所です。藩主が身内や家臣と対面し、宴会に用いられた空間が、優しい色遣いと穏やかな筆致で彩られています。(同上)
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イチオシ
同じく、『対面所』の『上段之間』の左側に見える、一段高くなった『上座』と、右端に見える『武者隠し』の全景です。武者隠しの扉も、観音開きではなく、引き戸です。この扉の先(北側)は、24畳の『納戸一の間』です。『納戸一の間』の東には、同じく24畳の『納戸二の間』が並びます。(同上)
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『対面所を彩る風俗画』のタイトルがあった説明パネルの光景です。上の図の左側が上段之間、右が次之間です。上段之間には京都、次之間には和歌山の風俗が描かれていることが下の図でピックアップされていました。風俗画の絵師は、『狩野甚之丞(かのう・じんのじょう:1581/83~1626/28)』と推定されています。狩野宗秀の嫡男で、狩野永徳の甥に当たる人です。(同上)
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『対面所の二重折上げ小組格天井』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『二重折上げ小組格天井(にじゅうおりあげこぐみごうてんじょう)』は、文字通り、二重に折上げられている最も格式の高い作りの天井です。将軍や城主が座る、最も格式の高い部屋だけに見られる大迫力の建築工法です。(同上)
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写真のピントが合いませんでしたが、釘隠しのズームアップ光景です。各種の資料や文献をもとに、正確に復元された釘隠しのようでした。6枚の花弁を模したらしい空間に、ハート模様の空間が六つできていました。(同上)
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『鷺之廊下』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『鷺之廊下』は、対面所と上洛殿を結ぶ廊下です。藩主や将軍は、この廊下を通って、上洛殿に向かったと解説されていました。使用できる人が限られていたようです。『鷺之廊下』に北側には、上級家臣の控えの間の『梅の間』が並行しています。(同上)
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金箔地濃彩により雪中柳鷺図が描かれ、心引き締まる空間を作っていました。『長押(なげし)』の上の小壁まで障壁画が描かれているのが、この御殿が造られた『寛永期(1624~1644年)』の特徴とされます。素木板違貼格天井で、天井縁も黒漆塗となっています。この時代の 天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇、江戸幕府は家光三代将軍でした。(同上)
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『鷺之廊下』の廊下壁面に飾られた『鷺図(さぎず)』の紹介です。頭に飾り羽(冠羽)がありますから、『コサギ(小鷺)』が描かれているようでした。冠羽は夏の間に現れますが、樹木は冬か早春のようでした。(同上)
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『鷺之廊下』の廊下壁面に飾られた鷺図のズームアップ光景です。コサギの特徴は、夏羽の二本の冠羽のほか、足の指が黄色いこととされますが、足の色の特徴は描かれていないようです。(同上)
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イチオシ
『鷺之廊下』の鷺図の紹介が続きます。1634(寛永11)年、三代将軍家光が京都に向かう途中、名古屋城に宿泊しました。それに先立ち増築されたのが、本丸御殿で最も絢爛豪華な「上洛殿」です。22畳敷の『鷺之廊下(さぎのろうか)』も対面所と上洛殿を結ぶ廊下として増築され、この御成廊下を通って将軍は上洛殿へと向かいました。(同上)
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四羽のコサギ(小鷺)が描かれた壁画の光景です。一羽だけが首を伸ばしていましたが、ほかの三羽はそれぞれに寛いだ姿でした。江戸の将軍や、尾張の藩主が通られる廊下ですから、狩野派でも名が知れた人の柵かも知れませんが、残念ながら、筆者は特定できませんでした。(同上)
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コサギの飛翔図のようですが、うまく撮影できませんでした。コサギは、ペリカン目サギ科コサギ属に分類される鳥です。全長60センチ、いわゆるシラサギ(白鷺)と呼ばれる鳥の一種です。足の指が黄色いこと、夏羽では頭に2本の長い冠羽が現れること、背の飾り羽は先が巻き上がることなどが特徴です。名古屋では、海や川で今もよく見かける鳥です。(同上)
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『鷺之廊下』の壁画紹介の最後です。柳当たりの古木でしょうか、主題は『鷺と雪景色』でしたので、雪を被った樹木については記述がないようでした。添え物のように、小さな白い花が描かれていました。(同上)
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鷺之廊下を過ぎて、『上洛殿』のエリアに入って来たようです。推測になりますが、『松の間』当たりになるようです。平面図を参照しますと、三之間(21畳)、松之間(20畳)、納戸之間(10畳)が隣接していました。(同上)
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『上洛殿』の室内光景です。外観は単層入母屋造の杮葺きで、桁行9間、梁間6間とされます。1634(寛永11)年7月、三代将軍家光の京都上洛にあわせて尾張藩が用意したのが御成御殿です。本丸御殿で最も絢爛豪華な「上洛殿」と鷺之廊下・梅之間・湯殿書院・黒木書院が増築されました。この部屋は、狩野探幽の名作、四面の襖絵が春夏秋冬を表現した「四季花鳥図」の『三の間』のようです。(同上)
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