2018/08/08 - 2018/08/15
29位(同エリア9820件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2018/08/13
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Montague Place Entrance(モンタギュープレイス口)
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Room 24 Easter Island statue Hoa(イースター島の像)
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Great Court(グレートコート)
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Room 1 Enlightenment(教化啓発)
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Main Entrance(メイン・エントランス)
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Upper floor(2階) Room 70 The Portland vase(花瓶)
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Room 56 Messopotamia 6000-1500BC(紀元前6000-1500年)
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Room 61 Egyptian life and death(エジプトの生活と死)
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Room 62-63 Egyptian death and death life mummies
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Room 64 Early Egypt(早期エジプト)
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Room 65 Sudan,Egypt and Nubia(スーダン、エジプト、ヌビア)
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Ground floor Room 4 Egyptian sculputure(エジプト彫刻)
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Room 6 Assyrian sculpture and Balawait gates
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Room 7-8 Assyria: Nimurud(アッシリア:ニムルド)
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Room 9 Assyria: Nireveh(アッシリア:ニレヴェ)
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Room 10 Assyria:Lionhunt Khorsabad(アッシリアライオン狩り・・)
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Room 17 Nereid Monument(ネレイド・モニュメント)
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Room 18 Greece Parthenon(ギリシャ・パルテノン)
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この旅行記スケジュールを元に
ロンドンに観光目的で行った人で、ここ大英博物館を訪れない人はいるでしょうか・・・。
何しろこちらは入場料もいりませんので、よっぽど美術嫌いの方でなければ、1度は訪れているのではないでしょうか?
美術館が大好きな私にとっては、ゆっくり観たい所でした。
できたら丸1日をここで過ごしてもいいかと思うくらいです。
今回はツアーではありましたが、ここから自由行動できるので、できたらじっくり回りたいと思ってました。
一人だったらそうしていたでしょう。
でも意見が合わずなかなか思うようには行きませんでした・・・。
そんな貴重な時間内で観た大英博物館です。
【旅程】
8月8日(水)1日目
羽田空港(HND)8:50発→ロンドン・ヒースロー空港(LHR)13:10着
ブリティッシュエアウェイズBA0008便にて(約12時間20分)
ロンドン・ヒースロー空港(LHR)16:20発→グラスゴー(GLW)17:45着
ブリティッシュエアウェイズBA1488便にて(約1時間25分)
8月9日(木)2日目
グラスゴー
↓(約1時間30分)
エジンバラ観光(ロイヤルマイル~エジンバラ城~カールトンヒル等)
↓
ペンケイトランド(ウイスキー蒸溜所)
↓
グラスゴー
市内観光(グラスゴー大聖堂~グラスゴー大学)
8月10日(金)3日目
グラスゴー
↓(約1時間40分)
グレトナグリーン
買い物等
↓
湖水地方(レイクサイド~ボウネス)
遊覧船~ボウネス散策~オレストヘッド~クロスウェイト(ホテル)
8月11日(土)4日目
クロスウェイト
↓
リバプール
(マシューストリート、キャバンクラブ、アルバートドック等)
↓
ストラトフォード・アポン・エイボン
(ホーリートリニティ教会~ヘンリーストリート~シェイクスピアの生家)
↓
コッツウォルズ地方・チッピング・ノートン(ホテル)
8月12日(日)5日目
チッピング・ノートン
↓
コッツウォルズ・バイブリー
↓
コッツウォルズ・バートン・オン・ザ・ウォーター
↓
ストーンヘンジ
↓
ロンドン・ドックランズ(ホテル)
8月13日(月)6日目
ロンドン観光(セントポール大聖堂~ビックベン~ウェストミンスター寺院~バッキンガム宮殿等)
↓
大英博物館●
↓
フリータイム
(キングスクロス駅~シャーロックホームズ博物館~ピカデリー広場等)
8月14日(火)7日目
ヒースロー空港(LHW)11:40→羽田空港(HND)翌7:10分
ブリティッシュエアウェイズBA0007便にて(約11時間30分)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
PR
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正面入り口からではなく、Montague Place Entrance(モンタギュー・プレイス・エントランス)から入場しました。
勿論手荷物検査があります。私は小ぶりなリュクを前にかけて入りました。
Room24
入ってすぐです。
Easter Island Statue Hoa Hakananaia
ホアハカナナイア(イースター島)
モアイ像(高さ2.4メートル)
イースター島のモアイのほとんどは、凝灰岩を彫ってつくられましたが、これは玄武岩でつくられた珍しいモアイです。
Rapa Nui(先住民のラパヌイ)の人々の言葉で「盗まれた友」「隠された友」を意味してる言葉がホアハカナナイアなのだそうです。
ちなみにラパヌイの自治組織の人々は、このモアイの返還運動への支援を求めているそうです。
世界のお宝を所蔵している大英博物館の別名を言いたくはないのですが、やはり現実として◎◎◎◎美術館ですね。 -
この背中(背面)の彫刻は、崇拝されていた鳥人「Tangata Manu(タンガタマヌ)」に関連した画が描かれているのだそうです。
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Great Court(グレートコート)内
ハイダ族のトーテム・ポール
カナダ、ブリティッシュ・コロンビア(赤杉製で1850年頃のもの) -
Room 1(Enlightenment(エンライトメント(啓蒙主義))ギャラリー
正門から入って、Great Court の右側にあります。
こちらは以前は図書室になっていましたが、今は、British Library(大英図書館)に書籍は移動しました。
夏場に行ったので、暑かったのですが、このRoom 1 だけは冷房がきいていて、涼しかったです。
つまりそれ以外は結構暑くて、人も多いのでしんどかったです。
(もっとも日本の暑さに比べれば、全然たいしたことはありませんが)
美術品は大丈夫なのでしょうか・・・・・? -
ロゼッタ・ストーンのレプリカです。
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拡大しました。
本物はガラスのケースに入れられていますが、これはタッチOKです。
触ったからといって、どうというものでもありませんが・・・。
なお、実物には人が群がっていて、ゆっくり見られないので、ここでじっくり見てみます。 -
ヒエログリフ(聖刻文字・象形文字)
これは上段に刻まれています。 -
デモティック(民衆文字)
これは中段に刻まれています。 -
ギリシア文字
これは下段に刻まれています。
これらは同じ文章であることがわかりました。
フランスのエジプト学者のジャン・フランソワ・シャンポリオンは語学に長けていました。エジプトのキリスト教徒が使うコプト語も理解していました。
そしてヒエログリフの中にカルトゥーシュ(ファラオの名前が書かれる時に使われていた楕円形のマーク)と古代ギリシャ文字のPTOLMIIS(プトレマイオス)に当たるアルファベットを見つけました。 -
メイン・エントランス
Great Russell Street(グレート・ラッセル・ストリート)に面しています。 -
私たちはこのメイン・エントランスではなく、北側の Montague Place entrance(モンタギュー・プレイス・エントランス)から入場しました。
この博物館はそもそも旧モンタギュー家の邸宅を改築してできてます。
ちなみに大きな荷物は持ち込み禁止です。
写真撮影はOKです。
エジプトのようにカメラ券も要りません。 -
英国で感心するのは、この博物館はじめ、公的な美術館・博物館の入館料が無料だということです。
ただし館内にはDonations(ドネイションズ・ボックス)が設けられています。 -
とても残念だったのが、ご当地であるイングランドの発掘品が観れなかったことです。ケルトやアングロサクソン関連の美術品です。
有名なサットン・フーの鉄の兜や、金属線ねじった首飾りのグレート・トルク、
ルイスのチェス駒などなどです。
中には2015年に日本で開催された大英博物館展で来日したものはあったものの、やはり現地で観たかったです。 -
どこで撮ったものかも判明しないので誰なのか不明です。
色鮮やかですが、修復されたものなのでしょうか。 -
金の装飾品でしょうか・・・。
ローマ時代の貨幣かと思いましたが、よく見ると貨幣には見えません。
夫が撮ったもので、作品名がないため不明です??? -
Room 70
The Portland vase
ポートランドの壺
1-2世紀
高さ24.8cm
神話の恋物語をカメオ技法で浮き彫りにしたガラス器
アウグストゥス帝の治世の頃に作られたと思われます。
ポートランドの公爵夫人が所有していたので、このように名づけられました。
左側に描かれているのは、英雄ぺリウス(人間)が女神テティス(左の奥で見えません)に求愛する場面です。
本体はそれzれ3mmの厚さの青と白のガラスの層でできています。
高さ24.5cm
混んでいたのでなかなか思うように撮影ができません。
しかもツアーの悲しいところ・・ガイドさんは次の解説をしてますので、そちらに移動しなければいけません・・・。(汗) -
Room 56
Mesopotamia 6000-1500 BC (メソポタミア 紀元前6000-1500年)
The Standard of Ur(ウルのスタンダード)
BC2600-BC2400頃
発掘地 イラク
縦21.7cm、横50.4cm 奥行5.6cm(トップ) 11.6cm(ベース)
素材は貝、ラピスラズリ、赤色石灰岩、ビチューメン(瀝青)
ルーム56に展示されているものは、農業に基づく経済的成功、執筆の発明、技術と芸術の発展、そして現在メソポタミアに住んでいたシュメール人、アクカディア人、バビロニア人の業績を示しています。
紀元前6000年から1550年の間、チグリス川とユーフラテス川(今はイラク、北東シリア、トルコ東南部の一部)との間の土地であるメソポタミアは、小規模な農村住民から大都市への進化に伴い、人間文明の発展において重要な進歩を遂げました。
一般的にウルのスタンダード(軍旗)とは呼ばれていますが、いまだに解明できていない箱です。
こちらには勝利を祝う王の饗宴のようすが描かれています。
平和な場面です。
そしてもう一方の面(この裏面)には、シュメール王の戦闘場面が描かれています。
一番下段:野生のロバにひかれる四輪戦車の進撃の様子です。
中段の左:槍を構えた兵士たち
中段の右:捕虜が連行されている様子です。
一番上段:権威のシンボルを持つ人物(王)が中央に表現されていて、捕虜を検分している様子が描かれています。 -
これはメソポタミアの棺でしょうか・・・。
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Sumer(シュメール)
The Ram in a Thicket(ウルの牡山羊)の像
高さ46cm
鬣や角を飾るのはラピスラズリ(アフリカ産)
BC2000年ころのウルの王墓の発掘によって発見されました。 -
Silver lyre(銀製リラ(竪琴))
牡牛の頭を嵌め込んだ銀製のリラ
ウル王墓の「死の穴」から発掘されました。
かつては木の上に銀箔が貼られていました。
高さ106cm -
The last Babylonian ruler(最後のバビロニアの支配者)
ナボニダスは、神の罪を伝えることによって、マルドクの祭壇バビロニアの神権を汚しました。
彼はその後アラビアのテルマで10年、息子のベルシャザルを摂政として残しました。
真の王がいないことは、春分の時期に開催される重要な祭典ができないことを意味していました。
ナボニダスが最終的にバビロンを返還したとき、彼の治世は終焉を迎えました。 紀元前539年に、ペルシャ帝国内に設立されたキュルス・ザ・グレート(Cyrus the Great)とその領土によって、この都市は征服されました。 こうして、メソトポタミアの最後の王の支配を終わらせました。 -
バベルの塔の絵
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Room62-63
Egyptian death and deatnlife and mummies
(エジプトの死と死後の生活とミイラ)
Body of naturally mummified adult male
(先王朝時代ののミイラ)・・通称「ジンジャー」(赤毛)
BC3400年頃の成人男性のミイラです。ルクソール近郊で発見されました。 -
Caring for Gebelein Man(上記のものを反対側から撮りました)
自然にミイラ化した大人の体が屈曲した姿勢で横たわっているものです。
頭蓋骨 - ジンジャー色の髪の毛があります。 骨折はしていないようです。
口は少し開いています。 すべての歯があって健康的に見えるようです。
定かではありませんが、
先王朝時代の遺体かと思います。
暑く乾燥した砂地に埋葬されたため、自然に保存されたものかと。
砂の熱が遺体の水分を奪ったため、細菌が繁殖されず、すなわち死体が腐敗しなかったものと思います。
ナガタⅡ期 BC3200年頃
身長1.63m
(おそらく)
死者が生前使っていた品々に囲まれています。 -
Human mummy (自然にミイラ化した遺体)・・・だったと思います。
先王朝時代の埋葬では胎児のように、体を折り曲げた姿勢で、時には動物の皮などに包まれて耕作地の緑辺部にある砂漠に掘った浅い穴に埋められました。
BC3500年頃には大量の亜麻布をあてていたようです。
これがミイラの先駆けとなったようです。
(ただこのミイラは体が伸びた状態なので、違うのかもしれませんが・・)
それから内蔵を摘出したり、溶かした樹脂を使った遺体の処理もこの時期に確認されています。
ただ大多数は天然のもので骨と皮の状態のものです。
ちなみに第1王朝が始まるころには、埋葬を行うようになりました。
穴を掘るだけではなく、墓室に納めることが多くなりました。
そのため防腐剤代わりの砂を完全に分離してしまい、その結果として遺体は自然に腐敗するようになったそうです。
そういえば以前シルクロードのタクラマカン砂漠の東の楼蘭で発見された女性のミイラを見たことがありました。
それから、当時はマスタバ墓であっても、地下の墳墓であっても「永遠の家」とみなされていました。
丸だったり、楕円形だったりしましたが、遺体は穴に埋められてました。
エジプトでは日干し煉瓦が使われますが、この日干し煉瓦が徐々に使用されるようになって、墓の形状が変化していき、長方形の墓が登場しました。
そして更に墓が大きくなるにつれて、煉瓦の階段が登場していったようです。
個人的には、エジプトでマスタバを見た時に、これがピラミッドの原型では・・・・と思いました。
そして更にそのマスタバの前は砂漠に掘った穴だったと思うと、個人的には理解できます。 -
Ground floor(1階)
Room 4
Egyptian sculputure(エジプト彫刻)
Female Sphinx(女性のスフィンクス)
ギリシャ神話では、スフィンクスは女性の頭、鳥の羽、ライオンの体、そしてしばしば蛇のようなモンスターでした。
対照的にファラオのエジプトのスフィンクスは王権の象徴でした。
このギリシャのスフィンクスとその一組は、かつてエジプトのギリシャ人の墓を守っていたかもしれません。
ローマ時代、2世紀
上エジプト
ライムストーン(石灰岩) -
列柱
古代エジプトの神殿にはこのような列柱たくさんがあります。
ロータス(蓮)とパピルスを表現したものが多いです。
開花式パピルスと閉花式パピルスがありますが、これは閉花式のようです。 -
有翼日輪でウエラウス(コブラ)が横についているものが、が中央にあります。
3段階に段々になっています。
プトレマイオス8世とクレオパトラ2世の神殿
至聖所 聖地 遺骨などを収めた箱
神社は、碑文で言及されている女神イシスの祭壇画を開催しました。
それはPhilaeの島の彼女の有名な寺院の聖域の一つに立っていました。
窪みのすべての側面にある穴は、2つのドアの葉とボルトを保持しました。
司祭が毎日の儀式を行ったときにのみ、内部の像が明らかになった。
この隙間には、パビリスの柱があり、上部にはコブラのフリーズと翼のある日差しがあります。 -
Giant sculpture of a scarab beetle (スカラベの巨大な彫刻)
閃緑岩
BC4世紀頃(おそらくプトレマイオス時代、332-30 BC)
イスタンブールで発見されました。
高さ: 91.5 cm (最大部で)
長さ: 152.5 cm (最大部で)
スカラベは古代エジプトの永続的なシンボルの1つで、生まれ変わりを表しています。
そして日の出と関連しています。
約1.5メートルの長さのこの閃緑岩の彫刻で、最大の物の一つです。
おそらく当初は寺院に立っていたでしょう。 これはプトレマイオス(紀元前305-30年)と言われ、コンスタンティノープルが後のローマ帝国時代の首都であった時(AD 330から)、コンスタンティノープル(現代イスタンブール)に運ばれた可能性があるものです。
カルナックの神殿にある神聖な湖の近くには、もう一つの大きな傷跡があります。 もともとAmenhotep III(1390-1352 BC)の葬儀の寺院から来ました。 -
エジプトのルクソール(古代テーベ)にあるカルナック神殿のスカラベです。
2017年12月に行った際に撮影したものです。
太陽を運ぶ姿に似ていると言われて崇められました。
そんなわけでkhepri(ケプリ)又はkhepera(ケペラ)神の化身(太陽の回転を司る神様)です。
そして不死と復活の象徴とされました。
第18王朝時代、アメンホテプ3世が建立しました。
西岸のアメンホテプ3世の葬祭殿にあったものを、後にこちらに移されました。
そしてこの周りを7回まわると、願いが叶うらしいのですが・・・・。
皆さんクルクル回っていました。 -
Sacred lake(聖なる池)
池は第25王朝時代に築かれて、11段の階段を備えているそうです。
ここでは王や神官が、聖なる儀式の前に身を浄めました。
こちらもカルナック神殿の写真です。
ちょうどこの側に先ほどのスカラベがありました。 -
Ram sphinx of King Tahargo(タハルカ王の羊のスフィンクス)
花崗岩の石像(スフィンクス)
牡の羊の姿をしたアムン神が両前足の間に立っているタハルカ王を守っています。
アフリカ的な要素のある王の人種的特徴が力強く表現されているようです。
しかもあくまでも伝統的なエジプト王のイメージの範囲で・・とのこと。
第25王朝、タハルカ(690-664BC)の治世
スーダン、カワ、テンプルTから
Granodiorite片麻痺
確かこのようなスフィンクスのことを、クリオスフィンクス(Criosphinx)と呼ぶはずです。
第25王朝 BC690-640年頃
出土地 カワ
高さ1.06m -
Libation Bowl(献酒用の器)
下の方にハトホル女神が描かれています。 -
アンテフ(ネブケペルター・アンテフ)王のリシ棺
圧倒的な大きさと王専用の立派な頭飾り(ネメス頭巾のことかと思います)は、当時の棺の特徴です。
本来はウラエウス(蛇形記章)とつけ髭があったようですが、現在は無くなってしまいました。
目に黒と白の石が嵌め込まれています。
この蓋には金箔が施されていましたが、現在は剥がれてしまっています。
第17王朝 BC1600年頃 木製(金箔と彩色が施されてました)
出土地はテーベ(現ルクソール)のドッラ・アブ・アル=ナガ
長さ1.7m
*「リシ」というのは、アラビア語で「羽根」のことです。 -
Inner coffin of Henutmehyt
(ヘヌメヒトの木棺)
ヘヌメヒトは神殿で開かれる儀式で女性神官(音楽を担当)
「アメン神の女歌手」という称号を与えられました。
1番右の木棺ですが、中央部分に天空の女神ヌト神が羽を広げてます。
そしてその上にはウジャトの眼が描かれてます。 -
棺のようです。
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The Gayer-Anderson cat
(ゲイヤー・アンダーソンの猫)
末期王朝時代に作られた青銅製の猫です。
この名前はケイヤー・アンダーソンによって寄贈されたからです。1999年
BC600年頃の製作。
古代エジプトでは猫はミイラにされることもありますが、ペットとして飼われていました。
またバステト女神の化身でもありました。
エジプトの猫は、頭が小さく手足が長いのが特徴です。 -
銀色のプラークと金の宝石のブロンズ製です。
眼をモチーフとした護符が喉元にあります。
両目には象嵌が施されていましたが、現在はありません。
BC600年頃
高さ38cm
出土地はサッカラと思われます。 -
Upper body of a monumental statue of Ramesses Ⅱ
(ラムセス2世胸像)
BC1279-BC1213頃
古代エジプト新王国時代の第19王朝の王
約67年間もの長期にわたって政権を築きました。
カルナック神殿やアブシンベル神殿などを巨大な神殿や葬祭殿を築きました。 -
ズームします。
高さ267cmあります。
ラムセウム(ラムセス2世の葬祭殿)
ルクソール西岸から運びました。
この胸像を運び出している絵もあるようです。
探検家ジョバンニ・ベルツォーニの指揮のもと、コロやテコを用いて運搬しました。以前から水力学の知識もありました。
この胸像はロゼッタ・アレキサンドリアを経由してロンドンまで船に乗せられ慎重に運ばれました。
エジプト旅行では、本当にラムセス2世の像をたくさん見ました。 -
Rosetta Stone (ロゼッタ・ストーン)
Great Court の左の西側にあります。
そしてこれは本物です。
古代エジプト期の暗色の花崗閃緑岩です。
御覧のように3段階に分かれているのがわかります。
ロゼッタ=ストーンと呼ばれるのは、エジプトのロゼッタと呼んでいた町で発見されたからです。これはヨーロッパでの呼び方であって、エル・ラーシードという町で発見されました。
1799年にナポレオンのエジプト遠征の際、造築作業をしていた時に発見しました。
ただ1801年にアレクサンドリアでフランス軍がイギリス軍に降伏しました。
このためにロゼッタ・ストーンはじめ古代エジプトの文化財がイギリスに引き渡されました。
この戦いでフランス軍が勝利していたら、今頃ルーブル美術館にあったかもしれません・・・。 -
シャンポリオンはロゼッタ・ストーンの写本をもとに研究し、1822年解読に成功しました。
プトレマイオスとクレオパトラという音価をさぐりあてました。
古代ギリシア語に近いコプト語の知識をいかして解読に成功しました。
ちなみに古代エジプトには、
①hieroglyph(ヒエログリフ)(聖刻文字、神聖文字)
②Hieratic(ヒエラティック)(神官文字)
③Demotic(デモティック)(民衆文字)がありました。
①は石に刻むため
②筆記用
③ヒエラティックを崩した簡略文字
ただし、デモティックで木や石などに書き込んだものもあったようです。
それからヒエログリフは右側から読むとガイドさんが言ってましたが、あえて反論はしなかったものの、エジプトで説明を受けていたので???と思いました。
確か鳥などの生物の向きから決まるとのことでした。
右側からの方が多いとは思いますが。
ちなみにこちらに書かれているのは、古代エジプト末期のファラオ、プトレマイオス5世(治世 BC204-180年頃)に対する感謝の言葉なのです。 -
石のサイズは高さ114cm、幅73cm、厚さ28cm、重さ762kgです。
これは裏側です。
ショーケースの中に入っているため、反射してしまい写りが悪いです。
プトレマイオス時代 BC196年 -
これはエジプトのフィラエ(イシス)神殿の写真です。
2017年12月に行きました。
エジプトの遺産はエジプト国内にも勿論多くありますが、皆さんご存知のように大英博物館にも数多く所蔵していますから、次の旅先は英国と決めていました。 -
これもフィラエ神殿の写真を拡大したものです。
プトレマイオス6世による花崗岩の大きな石碑があります。この石碑に書かれているのは、あのロゼッタストーンと同じ内容らしいです。
今はオベリスクはありませんが、そのオベリスクにヒエログリフが書かれていました。そして残されたこの台座部分にはギリシア語の碑文が書かれていました。
ロゼッタ・ストーンとこれらが解読のきっかけとなりました。
ついでにこの神殿には確かにナポレオンがやってきた痕跡がありました。 -
Room 6
Assyrian sculpture and Balawat Gates
(アッシリア彫刻とバラワト門)
Human-Headed Winged Bull(Lamassu)
アッシリアの守護獣神像(人面有翼守護像(ラマッス))
新アッシリアの首都ニルムド(現イラクの北部)のアッシュルナツィルバル2世(BC883-BC859)の王宮から発掘された人面有翼の獅子像(右)と牡牛像(左)。
大理石や石灰の一枚岩からできています。
アッシリア美術の展示室の入口にあります。 -
Room 10
Khorsabad(コルサバード) -
Khorsabad(コルサバード)
The Palace of Sargon(サルゴンの宮殿) -
このエリアは主に、アッシリアの王サルゴンⅡのために建てられた、都市とコルサバードの宮殿からの彫刻が含まれています。
人間の翼のある雄牛は、もともと砦の門の一つに立っていました。
宮殿の入り口は、魔法の力を持つ防御霊を伴った巨大な人間の翼のある雄牛のペアによってもともと支配されていました。 -
右側の雄牛
今ではコルサバードと呼ばれていますが、Dur Sharrukin(古代遺跡ドゥル・シャルキン)です。Dur Sharrukinとは、サルゴンの足という意味です。
コルサバードには7つの城門があり、中央に祭壇や神殿がありました。
モスルの北東15 kmにあるイラク北部の村です。
街は紀元前706年にできました。
サルゴンが突然戦死した後、首都は南へ20 km離れたNineveh(ニネヴェ)に移されました。
Mosul Saeed Mamuziniの公式クルド人によると、2015年3月8日、イスラム国のイラクとレバントがDur-Sharrukinの略奪と解体を開始したそうです。
とても残念なことです。 -
横から見るとこんな感じです。
大きすぎて真横から撮れませんでした。
天井にぴったりついてますので、かなりの大きさです。 -
奥の方にあるレリーフ
サルゴン2世でしょうか?あまり王のような威厳がないように見えるので、ちょっとわかりません。 -
Room 10
Assyria (アッシリア) -
The Royal lion hunt(王のライオン狩り)
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The Royal lion hunt(王のライオン狩り)
Assyrian, about 645-635 BC
アラバスター(雪花石膏)に浮彫が施されてます。
イラク北部のニネヴェの王宮を飾っていました。
甲冑に身を包んだアッシリア王のアッシュールバニパルが、飾り立てた馬にまたがり、向かってくるライオンに長槍を突き刺している場面です。 -
THe Royal lion hunt
右側では、高い盾を持つ兵士が、ライオンが逃げるのを防ぐためにアリーナを鳴らします。
小さな人(おそらく子ども)がトラップドアを持ち上げて、ライオンを檻から解放しました。・・・が檻に入れておくべきでした。
騎士たちはライオンをアシュヴァルナパリの王の馬車に向かってくるよう運転したり誘惑する準備をしています。 -
ライオンが逃げるのを防ぐために、高い防御力を持つアリーナがあります。
ライオンは小さな人、おそらく子供で、その檻から解放するためトラップドアを持ち上げています。 隠すべき檻だったのですが。
騎手はライオンをアシュヴァルナンパールの馬車に向かって運転したり誘惑する準備をしています。 -
Room 10
Assyria: Lion Hunts (Room 10a)
645 ? 635 BC
古代アッシリアでは、ライオンの狩猟は、国民のために保護し戦う君主の義務を象徴する王のスポーツとみなされました。
最後の偉大なアッシリアの王、Ashurbanipal(アッシュールバニパル)(668-631紀元前)のニネヴェ(現代のイラク北部)の彼の宮殿のために作られました。
緊張感とリアリズムがいっぱいの狩り場は、アッシリア美術の最高の業績にランクされています。 彼らはライオンの解放、続く追撃とそれに続く死を描いています。 -
The royal lion hunt
Room C, Panels 22-25(C展示室のパネル22-25)
王は彼の乗組員の一人から槍をつかんで、戦車の車輪を噛んでいる傷ついたライオンに乗せました。
1人は弓を持ち、他方の人は自身の槍を持ち準備をします。 -
Room 16
一部屋いっぱいになってます。
さすが古代ギリシア、人がいっぱいです。 -
The Nereid Monument(ネレイデス・モニュメント)
トルコの南部にある古代リキュアの都クサントスの権力者の墓廟です。
ネレイデスは、海神のネレウスの娘たち、という事で複数形なので、ネレイデスになるそうです。
だから、ネレイドではなく、ネレイデス・モニュメントだそうです。
BC400年頃、エーゲ海のバロス島産の大理石で作られたました。
イオニア式のギリシャ神殿を模してます。 -
この女性たちの衣は優雅に風になびいています。
頭部がないのが残念です。 -
Room 17
ギリシャ・パルテノンのコーナーです。
The Horsemen of the North Frieze.
北部フリーズ(装飾のある横壁)の騎士
騎兵は南のものよりも一様ではないパターンで配置されています。
それにもかかわらず、南のように、全部で60人の騎士がいて、10ランクに配置されていました。 -
パルテノン神殿の騎士の行列のフリーズ
(神室上部の装飾)
BC447-BC443年
高さ100cm 全長160mのフリーズ(帯状の連続装飾板)北面の一部です。
アテネで4年ごと行われていたパンアテナイア大祭の礼行列を表しています。
馬と騎士の姿が描かれています。
他には神々を中心に市の役人や薬師((くすし)医者)、乙女など市民も描かれています。 -
パルテノン神殿の東の破風彫刻(女神アテナを讃えています)
BC447-BC443年
全長が550cm
この右側にある破風彫刻の長さが315cmあります。 -
女神アテナの誕生を描いたものです。
アテナはギリシャ神話の中で知恵と芸術と工芸と戦術の女神です。
オリュンポス十二神の一柱です。
この神殿彫刻をイギリスに運んだエルギン卿にちなんで、「エルギン・マーブル」と称されています。
左から2番目の男性はディオニソス(又はヘラクレス)のようです。
右横の座像2つは、デメテルとその娘のペルセフォネのようです。
一番右に、アテナ誕生の場面の像が置かれたようです。 -
古代ギリシア文明は白ではなく、色鮮やかであったといことがわかりました。
NHKスペシャルで見ました。
アテネのアクロポリスの神殿からも彩色の跡が見つかったそうです。
パルテノン彫刻のアイリス神の彫像の胸の周りのベルト部分に、かなりの量のエジプシャン・ブルーが見つかったそうです。ただそ肉眼ではわからないようです。
そういえば古代エジプトもそうです。
白でも美しいのですが、それだけの文明をもっていたのですね。
まだまだ至宝はたくさんありますが・・・・・。
なかなか回り切れません。
今度は一人で来てゆーっくり観たいです。
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この旅行記へのコメント (6)
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- 松本伸雄さん 2019/04/30 16:03:52
- ロンドン
- こちらこそよろしくてお願いいたします。
-
- aoitomoさん 2019/03/17 10:25:08
- 憧れの大英博物館
- noelさん こんにちは~
私も美術館博物館好きですから大英博物館憧れです。
まあ、イギリスにすら訪れた事が無いので訪れる事ができるのはいつのことやら?
外国のミュージアムは写真撮影がOKなのが助かりますね。
写真撮影がNGだと気分も半減しますよ。
実物は見てないくせに語りたい数々の展示物がありますよ。
そんなことが不要なぐらいのnoelさんの丁寧な解説、
楽しませていただきました~
aoitomo
- noelさん からの返信 2019/03/17 15:59:32
- RE: 憧れの大英博物館
- aoitomoさん、こんにちは!
いつもありがとうございます。m(__)m
> 私も美術館博物館好きですから大英博物館憧れです。
> まあ、イギリスにすら訪れた事が無いので訪れる事ができるのはいつのことやら?
きっといつかは訪れることができると思いますので、楽しみを先延ばしにするのも案外いいかもしれませんよ。
> 外国のミュージアムは写真撮影がOKなのが助かりますね。
> 写真撮影がNGだと気分も半減しますよ。
そうですね〜。
ただケースの中に入ったものが反射して上手に撮れませんでした。
きっとaoitomoさんなら上手に撮れると思います。
しかも編集も上手ですし。
私はその辺ズボラなので、いつも家族に非難されています。
> 実物は見てないくせに語りたい数々の展示物がありますよ。
> そんなことが不要なぐらいのnoelさんの丁寧な解説、
> 楽しませていただきました?
いえいえ。
でも確かに実物にお目にかかってないのに、なぜか詳しい物あるかも・・・。
その時はたさくさん語ってくださいね。
私の場合、旅行記というより、物忘れする自分の備忘録的な要素の方が大きいかもしれません。(笑)
ではとりあえず旅行記を書き終わったので、aoitomoさんを見習って少しはスポーツをしないと!!!
引き続き頑張ってくださいね。
でも、気が向いたら旅行記また書いてくださいね!
noel
-
- sanaboさん 2019/03/17 01:18:04
- noelさん視点の大英博物館☆
- noelさん、こんばんは
今回もnoelさんらしい着眼点と解説にすっかり脱帽です!
単にお好きというだけでなく、関連のお仕事をされて
いらっしゃるのかしらと思うくらいでした。
(↑プライベートなことなので勿論お答えいただかなくて結構です)
できることなら丸一日でも大英博物館で過ごしたいくらいと仰るnoelさん、
いつか願いが叶うといいですね(^_-)
今回は時間が限られてはいたけれど、前年のエジプト旅行以来
楽しみにしてらしたエジプトの遺産などを観ることができて良かったですね。
確かに歴史が違っていたなら、ロゼッタストーンをはじめ数々の文化財が
ルーブル美術館に展示され、無料では観れなかったわけですね。
イギリスの美術館、博物館が入場無料というのは本当に素晴らしいことで
子供のころから好きなだけ本物を観る機会に恵まれているのは
とても羨ましいです。
寄付などの社会貢献の意識が高いから成り立っているのでしょうね。
noelさ~ん、いつか一人旅で思う存分大英博物館巡りをされ
その後ロンドン乗り継ぎで巡礼の旅へ出かける…なんていう
旅行記が拝見できるでしょうか?( *´艸`)
楽しみにしていま~す♪
sanabo
- noelさん からの返信 2019/03/17 15:46:25
- RE: noelさん視点の大英博物館☆
- sanaboさん、こんにちは〜!
ありがとうございます(*^^*)
> 今回もnoelさんらしい着眼点と解説にすっかり脱帽です!
> 単にお好きというだけでなく、関連のお仕事をされて
> いらっしゃるのかしらと思うくらいでした。
そんなそんなトンでもないです。
ただ単に好きなだけです。
> できることなら丸一日でも大英博物館で過ごしたいくらいと仰るnoelさん、
> いつか願いが叶うといいですね(^_-)
ありがとうございます。
観たいものがたくさんあるので、丸一日で終わるかどうかも定かではありませんが。(笑)
しかも無料というのはありがたいです。
当然館内は混んでもいましたが、日本の企画展に比べたら、ずっとましだったと思います。
> 確かに歴史が違っていたなら、ロゼッタストーンをはじめ数々の文化財が
> ルーブル美術館に展示され、無料では観れなかったわけですね。
はい。
そう思うとありがたく拝見しました。
それと本来はエジプトが所有すべき遺産であったとも思うのですが・・。
ただエジプトが所有していたら、解読できなかったかもしれません。
そしてもしエジプトに返還されると、拝観しにくくなってしまいます(-_-;)
つまりは大英博物館で大切に所有していただけるのが、一番ですね(笑)
ややこしくてすみません、
> noelさ?ん、いつか一人旅で思う存分大英博物館巡りをされ
> その後ロンドン乗り継ぎで巡礼の旅へ出かける…なんていう
> 旅行記が拝見できるでしょうか?( *´艸`)
> 楽しみにしていま?す♪
それは凄いグッドなアイデアですね。
さすがは旅のプロデューサーsanaboさんです。
一人旅自体が夢なのですが、その際にはこのコースを辿りたいです!
素敵なアイデアまでありがとうございます。
ではでは次のアルル楽しみにしてますね!
noel
- sanaboさん からの返信 2019/03/17 17:12:37
- RE: RE: noelさん視点の大英博物館☆
- noelさん、こんにちは
> それと本来はエジプトが所有すべき遺産であったとも思うのですが・・。
そうですよね! ○○○○美術館なんて言われてしまう所以ですよね(>_<)
> ただエジプトが所有していたら、解読できなかったかもしれません。
確かにそれは言えてますね…。
> そしてもしエジプトに返還されると、拝観しにくくなってしまいます(-_-;)
確かに、確かに〜!(笑)
> つまりは大英博物館で大切に所有していただけるのが、一番ですね(笑)
ホント、私たちにとっては全くその通りですね!
noelさんに同感で〜す(^_-)-☆
sanabo
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