2018/08/08 - 2018/08/15
2位(同エリア788件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2018/08/09
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その他での移動
グラスゴー(8時30分頃)→エジンバラ(9時40分頃)観光バス
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ロイヤルマイル界隈(9時40分頃)→エジンバラ城(10時10分頃)
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その他での移動
エジンバラ城(11時45分頃)→カールトンヒル(12時10分頃) 観光バスにて
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ランチ Merchants(13時10分から14時10分頃)
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その他での移動
エジンバラ(14時00分頃)→Pencaitland ウィスキー蒸溜所(14時45分頃)(観光バス)
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この旅行記スケジュールを元に
「スコットランド」から私が思い浮かべることは・・・。
①タータンチェック
②バグパイプ
③エジンバラ城
④メアリー・スチュアート
⑤スコットランドの英雄「ウィリアム・ウォレス」「ロバート・ザ・ブルース」
⑥スコッチ
⑦ネス湖のネッシー
⑧ゴルフ発祥の地「セント・アンドリューズ」
⑨Bay City Rollers
⑩Oasis
⑪ロスリン礼拝堂
などなどです。
そんなMYスコットランドですが、エジンバラだけでもかなり見ごたえはあります。
・・・という事もあり、2015年に計画していたのが、ここエジンバラ旅行でした。
そしてようやく念願が叶って、この地に足を踏み入れることができました。
ところで、エジンバラの名前の由来ですが、
burgh (バラ)というのは、ご存知の方もいるでしょうが、
イングランドではbury
ドイツではburg
イタリアではborgo
フランスではbourg ・・・・・
そしてスコットランドではburgh
中世の時代のお城の意味です。現在では行政区画の1つです。
それと、
7世紀にノーサンブリア王のエドウィンという王が築城しました。
そのためエドウィンのバラ(城塞)がなまって、エジンバラになったそうです。
【旅程】
8月8日(水)1日目
羽田空港(HND)8:50発→ロンドン・ヒースロー空港(LHR)13:10着
ブリティッシュエアウェイズBA0008便にて(約12時間20分)
ロンドン・ヒースロー空港(LHR)16:20発→グラスゴー(GLW)17:45着
ブリティッシュエアウェイズBA1488便にて(約1時間25分)
8月9日(木)2日目
グラスゴー
↓(約1時間30分)
エジンバラ観光(ロイヤルマイル~エジンバラ城~カールトンヒル等)●
↓
ペンケイトランド(ウイスキー蒸溜所)
↓
グラスゴー
市内観光(グラスゴー大聖堂~グラスゴー大学)
8月10日(金)3日目
グラスゴー
↓(約1時間40分)
グレトナグリーン
買い物等
↓
湖水地方(レイクサイド~ボウネス)
遊覧船~ボウネス散策~オレストヘッド~クロスウェイト(ホテル)
8月11日(土)4日目
クロスウェイト
↓
リバプール
(マシューストリート、キャバンクラブ、アルバートドック等)
↓
ストラトフォード・アポン・エイボン
(ホーリートリニティ教会~ヘンリーストリート~シェイクスピアの生家)
↓
コッツウォルズ地方・チッピング・ノートン(ホテル)
8月12日(日)5日目
チッピング・ノートン
↓
コッツウォルズ・バイブリー
↓
コッツウォルズ・バートン・オン・ザ・ウォーター
↓
ストーンヘンジ
↓
ロンドン・ドックランズ(ホテル)
8月13日(月)6日目
ロンドン観光(セントポール大聖堂~ビックベン~ウェストミンスター寺院~バッキンガム宮殿等)
↓
大英博物館
↓
フリータイム
(キングスクロス駅~シャーロックホームズ博物館~ピカデリー広場等)
8月14日(火)7日目
ヒースロー空港(LHW)11:40→羽田空港(HND)翌7:10分
ブリティッシュエアウェイズBA0007便にて(約11時間30分)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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-
このあたりはスコットランドの中でもLowlands(ローランド地方)です。
つまりはスコットランドにはHighlands(ハイランド地方)という地方もあります。このハイランド地方というのはスコットランドでも北の方で高地地方です。人が少なく山脈が多いです。
さてさて、グラスゴーからエジンバラに向かう車窓からの眺めです。
干し草ロールがあちこちに点在しています。
この光景は他の国でも見られますが、なんとなく落ち着く眺めです。
今眺めているこの干し草についてはわかりませんが、スコットランドでは収穫された麦はウィスキーの原料になり、その後干し草として利用されます。 -
エジンバラに到着しました。
グラスゴーから車で1時間20分ぐらいです。(混雑してませんでしたので)
見上げると、エジンバラ城が見えます。 -
The Royal Mile(ロイヤルマイル)
旧市街の通りの名前です。
左端(西)のエジンバラ城から右端(東)のホリールードハウス宮殿までの道をさしていいます。(緑のラインに表示されてます)
←この右中ほどにあるプレートに表示されています。
ロイヤルマイル(赤く囲った部分)は、1マイル(約1.6km)あります。
そして縦の赤いラインを境に
左がCastlehill (キャッスルヒル)、そして右がLawnMarket(ローンマーケット)です。 -
St Giles’ Cathedral(セント・ジャイルズ大聖堂)
ロイヤルマイルのほぼ中心に建っています。
1120年に建設された古いゴシック様式の教会です。
当時はカトリックの教会でした。
その後、宗教改革などの際に破壊されたのですが、1385年に再建しました。
そして1560年にはローマ法王庁と関係を絶って、プロテスタントの教会になりました。
このように歴史上の事件に翻弄された教会でもあります。
ついでに、スチュアート家のチャールズ1世について・・・・。
(彼はメアリー・スチュアートの息子のジェイムズ6世(スコットランドでは6世ですが、イングランドではジェイムズ1世です)の息子です)
チャールズ1世はアングリカン(国教会)ではあったものの、妻はカトリックでした。本人自身も名ばかりのものだったようです。
1625年ジェイムズ6世亡き後に、1633年にスコットランド国王として戴冠しました。
ところが彼はそれまでプロテスタントだった教会において、とんでもないことをしてしまいました。
この教会を主教座教会として、主教を任命して塗油による聖別を行い、聖職者の衣装として袖の広いカトリック的な白い法衣のサープリスを再び導入して、カンタベリー大司教のロード(彼はイングランドでカトリックの復興を試みていると思われていました)を同伴したのです。
そして新しいスコットランド主教によって改定された一般祈祷書をスコットランドに導入しようとしました。
その結果暴動が起き、反乱状態になりました。
そして1638年の「国民契約」という結果になりました。
30万人以上のスコットランド人が「神と王国の光栄ある婚姻」である契約に署名しました。法的なものではないのですが、長老教会をスコットランドの国民教会であると宣言したのです。・・・・(ちょっと割愛します)
・・・・そして、そんなスコットランド史にとって重要な教会だったのに、中には入る時間がありませんでした。
これがツアーの悲しいところ・・・。 -
ハート・オブ・ミドロジアン(ミドロジアンの心臓)
このハートマークは大聖堂のそばにありました。
こちらには400年以上も昔ですが、Tolbooth of Edinburgh(トルブース・オブ・エジンバラ)という建物があって、政治の中心地でした。そしてそれだけではなく牢獄でもありました。
つまり処刑の場所だったのです。
かつて牢獄だったので、ここに入れられる囚人はトルブースの壁に向かって唾をはいたそうです。その名残のようですが、このハートマークに唾を吐くと、幸運になれる?????そうです。(おまじないのようです)
(もともとはイングランド兵が2度とこんな所には来るものか、という意味で、またこれがスコットランド兵だと、イングランド兵に対して2度とここには来るな、という意味をこめてしたそうです。)
ちなみにウォルター・スコットが、同名の作品を残していますが、このマークからつけられました。 -
ロイヤルマイルの眺め
青い空に石の建物が、なんとも趣深いです。 -
David Hume(デイヴィッド・ヒューム)の像
エジンバラ出身の哲学者です。 -
エジンバラは私の予想を上回って車も多く、観光客でいっぱいです。
この時期はミリタリー・タトゥはじめ、様々なフェスティバルが行われています。 -
Deacon Brodie's Tavern(ディーコン ブロディーズ タバーン)
窓際の席に、ちょっと怪しげな人が見えます。実は・・・・。 -
こちらはスティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」のモデルとなった人のパブです。
昼は市会議員(ギルドの組合長でもありました)、夜は泥棒でした。
結果的に、彼は絞首刑になりました。
ただ、その絞首台はディーコン ブロディーズ 自身がデザインした新しい物だったそうです。皮肉なものです。 -
交差点の角です。
看板を見てください。
右がジキル博士で左がハイド氏です。
ちょうどこの右側が Brodie's Close(ブロディーズ路地)と、通り名にもなってます。
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正面から見ればちょっと素敵な普通のお店なので、一見しただけではわかりません。
中は観光客でいっぱいのようでした。 -
「Lady Stair's Close(レディ・ステアーズ・クロース)」の案内
エジンバラにはクロース(路地)がたくさんあります。
人が一人通れるだけの道もあります。 -
ローンマーケットにあるLady Stair's Closeは、Lady Stair's の路地です。
入口に先ほどの案内がありますので、その路地に入っていくと、1622年にエジンバラのウィリアム・グレイ卿のために建てられたLady Stairs House(レディ・ステアーズ・ハウス)と呼ばれる17世紀のタウンハウスがあります。
最初の所有者亡き後、レディ・グレイの家と呼ばれていました。
1719年、John Dalrymple(1648 - 1707)の未亡人によって購入され、現在の名前になりました。
そして側には作家の博物館もあります。 -
Scottish Writers' Museum at the Lady Stair's Close
(レディステアーズの路地にあるスコットランドの作家の博物館)
こちらは小さな中庭のようになっています。
スコットランドの作家の博物館です。
次のの文豪たちを記念して開館された博物館です。
ロバート・バーンズ
ウォルター・スコット
ロバート・ルイス・スティーブンソンです。 -
Sing out the silence,
fill for ever and the emptiness.
沈黙を歌おう
永遠と空虚を満たすため
(こんな訳でいいものやら?)
James Allan Ford CB MC
1920-2009 -
この道は人が一人通れるだけの細い路地でした。
たまたまこの先に鳩の死骸があったため、怖くて違う道を通りました。
(それぐらい細い道です) -
The Hub(フェスティバル・センター)
こちらはこの界隈のランドマーク的な建物です。
この前で待ち合わせをしました。
この建物は今ではフェスティバル・センターになっているのですが、1842年から1845年にかけて、スコットランドの教会の総会を収容するヴィクトリア・ホールとして建てられました。
教会としては使われていませんでした。
そして1929年スコットランド教会は建物の使用を中止して、様々な集会の家になりました。
ただその後1956年に、Highland Tolbooth St John’s Church (ハイランド・トルブース・セイント・ヨハネ教会)に命名されました。
残念ながら1980年代に廃止されて現在に至っています。 -
さて、いよいよエジンバラ城です。
上の方に国旗のようなものが見えます。
ここでセキュリティチェックです。 -
この水道(井戸)は、1500-1600年に魔女裁判で処刑された人たちを記念(追悼)したものです。
-
The Withe's Well
迫害された数百人の魔女を記念してます。
ノース・バーウィック魔女裁判で、国王自らが裁判を行いました。
ジェイムズ6世を殺害するために共謀したとされる少なくとも2人の女性がここで、1590年に処刑されました。
ジェイムズ6世は「悪魔学」という著書を発表しています。 -
エジンバラ城が見えてきました。
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イチオシ
期待しながら向かっているところです。
ひんやりしてましたので、ダウンベストを着てます。 -
Esplanade(エスプラネード)
こちらはミリタリー・タトゥーの会場です。
タトゥーというのは、軍隊の帰営ラッパのことです。
正式な名称は
The Royal Edinburgh Military Tattoo
(ザ・ロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥー)
ところがこの広場の右端では、昔怖い事が行われてました。
魔法を使ったという疑いで、300人以上の人が火刑にされた場所であったようです。
そして有罪を宣告されたほとんどが女性だったようです。そんな血なまぐさい場所だったとは、今は全然思えません。 -
エジンバラ城のチケット
表と裏 -
さて、こちらからがエジンバラ城です。
チケットを見せます。 -
この小さな門から入場します。
ちょっと小さいのですが、門の左右に像があります。
右がWilliam Wallace(ウィリアム・ウォレス)
左がRoibert a Briuis(ロバート・ア・ブルース(スコットランド・ゲール語))
映画「Braveheart(ブレイブハート)」のメル・ギブソンが演じたウィリアム・ウォレスです。
帰国後、また見直してみましたが、やっぱり面白い。
好きな映画の1つです。
これらの銅像は1929年に設置されました。
13世紀、エドワード1世(イングランド王)のスコットランドに対する圧制に対してウィリアム・ウォレスは、勇気と知恵を絞ってゲリラ戦法で戦い、スコットランドを独立へと導きました。
1297年のスターリング・ブリッジの戦いでは勝利しましたが、翌年のフォルカークの戦いでは破れてしまいました。
ただ、その後スコットランド貴族の裏切りによってエドワード1世に捕らえられて処刑されてしまいました。
ただウィリアム・ウォレス亡き後、権力闘争を勝ち抜いて王位継承に名乗りを上げたのはロバート・ア・ブルースでした。
彼のの英雄的な行動はスコットランド軍の士気を大いに高めました。 -
スコットランド王国の国章(紋章)(~1558年)
ライオン・オン・タイバンです。
起立状態のライオンです。
年代によって微妙に違いますが、これが一番古いもののようです。
その下に青く「Nemo me impune lacessit」とあります。
これは、1578年と1580年に発行されたコインの裏面に登場したジェイムズ6世治世以来、スチュアート王朝時代のラテン語のモットーであったようです。 -
落とし格子の城門
とても重厚な感じがします。敵から防御しました。 -
アーガイル砲台
大砲が城壁にずらりと並んでいます。
【2022年10月追記】
この大砲は現在も使われています。
1861年以降、毎日午後1時に大砲が撃たれます。
1発だけですが。
日曜、聖金曜日、クリスマス意外毎日です。
フォース湾の船に時を知らせています。
これは今も軍の駐屯地であることを物語っています。
エジンバラ城は英国の中でも1番攻撃を受けたお城です。
英国内の内戦、18世紀にはフランスのナポレオンはじめ、イタリア、スペイン、アメリカ・・・第一次世界大戦中にはドイツ軍のツェッペリン飛行船からも空爆されています・・・・。
それでもエジンバラ城は、倒れることなく現存しています。 -
National War Museum
(国立戦争博物館)
この辺りはちょっと緩やかな坂になっています。 -
エジンバラ城は、高さが約130m、火山活動によってできた玄武岩の岩山の上に
建っています。
お城は約3億5,000万年前に上昇したと推定されています。
絶滅した火山の栓の上に立っています。
後に氷河の浸食は、石灰岩に抵抗されながらも岩石と尾の形成を残していきました。 -
ごつごつした岩です。
これこそがエジンバラの起源を表しているように思います。
キャッスルロック
火山栓から形成された岩礁にお城があり、そこからロイヤルマイルの方向に軟らかい岩の尾が形成されました。
天然の要塞といいますが、本当にこの地形をうまく利用して造られたお城だと思います。
3000年前の青銅器時代から岩上に人が暮らしていました。 -
Foog's Gate(フォッグズ ゲート)
17世紀までの城砦への主要門でした。
大砲とマスケトリーの両方のために周壁がチャールズ1世の治世に囲まれました。 -
銃眼から覗いてみます。
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Great Hall(グレート・ホール)
外観です。古めかしいステンドグラスです。 -
Scottish National War Memorial
(スコットランド戦没者記念堂)
この広場のような所が、Crown Square(クラウン・スクエアー)です。 -
こちらは王冠をつけたライオンのようです。
そして左側は王冠をつけたユニコン(一角獣)のようです。 -
The Royal Palace(王宮)
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ロイヤル・パレス
クラウン・ジュエルズが展示されてます。
こちらから入ります。
入口はもっと手前にもありますが、かなりの行列ができていました。
左奥のこの入口にやってきましたが、それでも列ができていてちょっと並びました。
人が一人しか通ることができません。
しかもすぐに階段になっています。 -
ロバート1世の戴冠式の場面を描いた像
ダンフリーズでカミンが殺されてから6週間後の1306年3月25日、パース付近のスクーンにおいて、正式かつ厳粛な儀式のもと、ロバートはウィリアム・ドゥ・ランバートン司教 (William de Lamberton) から王冠を授けられ、ここにスコットランド国王ロバート1世が誕生しました。
ウィシャートがイングランドの目を盗んで密かに隠していた王家のローブと衣服が司教の手によって運び込まれてロバート1世に着せられました。
マレーとグラスゴーの両司教はアサル伯、メンテイス伯、レノックス伯、マー伯と同じく出席しました。
スコットランド国王たる偉大なる紋章が、ロバート1世の玉座の後ろに据え付けられました。 -
ジェイムス4世は教皇から一連の贈り物を受けました。
ロイヤル・ジャスティスのシンボルであるシルバー・ギフトの笏も受け取りました。
彼の父である王ジェームズ3世のように、彼は黄金の薔薇を尊敬の象徴として、イノセント(イノケンティウス)8世教皇より1491年に贈られました。
これは、スコットランドのクラウン・ジュエルの一部を形成して生き残った皇帝の贈り物の中で最も初期のものです。 -
戴冠式のようす
後ろにあるのはチャールズ1世の肖像画のようですが。
この部屋の先に進むと・・・
スコットランドのオーナーズとして知られたクラウンジュエルが展示されています。
「王冠」「王笏」「御剣」の3つの宝器です。
「王冠」はエジンバラのジョン・モスマンによって1540年に作られました。
「王笏」はローマ教会によって1494年に、
「御剣」は1507年にイタリアの名工によって作られて、ジェイムズ4世に贈られました。
これらはキリスト教世界でも、最も古い戴冠用宝器に数えられます。
そのせいか古くて思ったよりも質素な感じがしました。
そしてスクーンの石(運命の石)が。
1996年にようやくウェストミンスター寺院から返還されました。
もともとはパース州のスクーン宮殿にあったのですが、ここエジンバラ城の王冠の間に展示されることになりました。
スクーンの石は、歴代の王の神聖なる戴冠の証でした。戴冠式の際には王たちは木の椅子(石がはめこまれたもの)に座りました。
でも1296年にイングランド王のエドワード1世が強奪してしまったのです。
スコットランド側からみると、本当に憎き王です。
ところでこの石は赤色砂岩の塊で聖書の創世記26章にあるヤコブの枕、とか聖コロンバヌスの書き物机とも伝えられていたそうです。
重さは約230キログラムあります。(他の説もありますが)
いずれにしろ私が見た感じでは、枕になど到底できないような高さでした。ヤコブが大男なら別ですが。
コロンバヌスの書き物机というのも窮屈そうですが、枕よりはましかと思えました。
いずれにしてもこれだけのパワーを持った石であったのに、案外皆さんサラリと通り過ぎてました。
それと城内は狭いので後から人が来ますから、ゆっくり鑑賞できませんでした。
ひょっとしたら違う時期に来れば、もう少しゆっくり観ることができたのかもしれません。
それからこの石には面白い伝説があります。
実はこの石はロバート・ア・ブルースの遺言によって、こっそりと贋物とすりかえられたというのです。
本物はヘブリディーズ諸島のどこかに隠された、というものです。
つまりは、もし本当ならイングランドは何百年も知らずにウェストミンスターに大事に所蔵してたことになります。
そしてエジンバラ城を観光していた私たちも、ただの石を見ていたことになります。(笑)
でも、それでもいいのかもしれません。
壮大な歴史の中で、後世の人々が大騒ぎしているのに過ぎないのかもしれないのですから・・・。
でも、やっぱり「石」はこの国にとってとても重要です。そして私にとっても。
たかが石、されど石。
* 実は私、勘違いしていました。
聖コロンバヌスというのは、(521-597年)567年に12人の仲間とともにアイルランドからスコットランドに渡航して、アイオナ島を拠点にピクト人やブリトン人への布教活動に尽力した人です。(大コロンバヌスとも)
ただ、このコロンバヌスとは別に、もう一人のコロンバヌスのことかと思っていました。
それは、543-615年のアイルランドの聖コロンバヌスで、ブルターニュやガリア地方に布教活動を行なったコロンバヌスです。このコロンバヌスは通称、小コロンバヌスと呼ばれてるそうです。
似たような時期で、しかもアイルランド出身だったため、ずっと勘違いしてました。
ちなみに、スコットランドに最初にキリスト教を伝えたのは、聖ニニアン(360頃-432年頃)です。 -
写真は撮れませんでしたので、こちらはパンフレットです。
上:「王冠」「王笏」「御剣」の3つの宝器
左下:スクーンの石(運命の石)
右下:メアリー・クィーン・オブ・スコッツ(メアリー・スチュアート)の戴冠式のようす。
新に装飾の施された宝器三種は、1543年、女王メアリーの戴冠式の際に初めて用いられました。 -
メアリー・スチュアートがジェイムズ6世を生んだ部屋
1566年6月19日のことでした。
ダーンリー卿ヘンリー・スチュアート、メアリーの2番目の夫との間に生まれました。
メアリーの寵臣であるイタリア出身の宮廷音楽師であるダヴィデ・リッチオが殺害されて、3ヶ月後の事です。
殺害に関与してたのが、ダーンリー卿でした。
何とも不安で微妙な気持ちで出産したことでしょう。 -
暖炉
この部屋そのものは思ったよりもシンプルです。
それは大事な子供を生むため、防備の薄いホリールードハウス宮殿から、こちらに移ってきたようなのです。
そのようなわけで、飾り気のないシンプルな部屋になってます。 -
Scottish National War Memorial(戦没者記念堂)
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スコットランドの兵士、そして2つの世界大戦、また最近の紛争で死亡したスコットランド連隊に奉仕する人々を記念しています。
記念碑は1927年に正式に開かれました。 -
Great Hall(グレート・ホール)
このホールは、1511年にジェームズ4世が完成させました。城の中心に立っています。
木製の屋根は、英国で最も顕著なものの1つです。
王は1513年にイングランドのヘンリー8世の軍と戦って悲惨なフロドゥンの戦いで殺されてしまったため、このホールを楽しむ時間はほとんどありませんでした。
そしてその後はホールは兵舎になりました。 -
甲冑や剣が陳列されてます。
-
壁には武器と鎧が詰まっています。
剣と盾の中には、悪名高いロッハベル斧を含む奇妙な形の柱があります。 -
暖炉があります。
-
この絵は何を意味しているのでしょう。
白馬に乗っている人物はフランス国旗?らしき物を持っているようですが。
ジェイムズ4世なのでしょうか?
スコットランドの英雄でしょうか? -
エジンバラ市内のニュータウンが見渡せます。
エジンバラは旧市街と18世紀以降に整備された新市街を合わせて世界遺産になりました。 -
見下ろしてみます。
あんまりなだらかではありません。
エジンバラ城の内部を見た感想として、思ったよりも狭く思ったよりも快適そうではなかったというのが正直な感想です。
でもそれはこのエジンバラ城が、王の居城というよりも戦争のための砦として作られたからなのです。
こうして見下ろしてみると改めて思います。
(そしてホリールードハウス宮殿の方が住み心地は良かったようです。) -
St. Margaret's Chapel(セント・マーガレット礼拝堂)
1110年に建てられたエジンバラ城で最も古い建物です
典型的なノルマン建築です。
1093年にマーガレットが亡くなり、デイヴィッド1世が母に捧げて建てました。
王家の私用礼拝堂として建てました。 -
スコットランド王として11世紀になって、マルカム・カンモア王と王妃マーガレットがエジンバラ城を居城としたのが最初です。
敬虔なカトリック信者だったマーガレットを記念する聖マーガレット礼拝堂が最古の建造物です。
イングランドのサクソン王家の娘として生まれたマーガレットでしたが、1067年勢力争いに破れてサクソン家がハンガリーに逃亡中、船が嵐にあってしまいスコットランドの東海岸に打ち上げられました。
救助にかけつけたスコットランド国王のマルコム3世は、聡明で美しいマーガレットに一目ぼれをして求婚しました。
マーガレットはこれを神の思し召しと考えスコットランドで生きることを決意し、その申し出を受けました。 -
Prisons of War(捕虜収容所)
中に入りましたが、時間がなくて大急ぎで見ました。
写真もボケてしまってました。 -
ちょっと物足りませんが、時間がないので戻ります。
もう少しゆっくり見たかったです。
ただ、エジンバラ城は、思っていたよりは小さいので仕方ないのかもしれません。
下から見上げた姿が一番美しいと思います。
そういえば、
The Scotch Whisky Experience(スコッチ・ウイスキー・エクスペリエンス)が
あります。
今回は午後蒸溜所に行くので寄りませんが、以前計画していた際には、立ち寄る予定でした。 -
民族衣装のキルトを着てバグパイプを演奏しています。
なんともえいないスコットランドらしい響きです。
ところで、この伝統的なスコットランドのキルトは、16世紀頃のハイランド(高地)地方で生まれました。
キルトは勿論スコットランドの伝統衣装ではありますが、ウェールズ、マン島、コーンウォールなどの他のケルト文化地域でも人気があります。
それはキルトを着ることでケルト人のアイディンティを、より強く感じ取る事ができるからなのだそうです。 -
The Elephant House(エレファント・ハウス)
J.K.ローリングがこの赤いお店でハリーポッターを執筆したそうです。 -
Greyfriars Bobby(グレーフライアーズ・ボビー)
エジンバラ版の忠犬ハチ公です。
ボビーはスカイ・テリアといってスコットランドのスカイ島原産のテリアです。
エジンバラ市警のJohn Gray(ジョン・グレイ)が1858年に亡くなった後、14年間もその墓の隣に座っていたそうです。グレイより14年長く生きました。
ボビーの亡骸は墓地には埋葬できないため(墓地は神聖であると思われていました)、そのため教会墓地の門のすぐ外側のジョンの墓地のそばに埋葬されました。
ボビーの墓標には、「彼は、主人への忠誠と愛情とは何かということを、私たちに教えてくれる」と刻まれているそうです。 -
Queen’s. Gallery(クイーンズ・ギャラリー)
こちらはアートギャラリーです。
ホリールードハウスの1部となっています。
2002年、エリザベス女王によって開かれ、ロイヤルコレクションの作品を展示しています。
このヴィクトリア様式の建物は、もともとはホリールード自由教会の集会所でした。1915年に崇拝のために最後に使われましたが、その後は倉庫として使われていました。 -
Calton Hill(カールトンヒル)
ここから、丘に登っていきます。 -
丘に登る途中の道に咲いていました。
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実はエジンバラは、北のアテネとも言われているそうです。
何かに似てますよね。 -
旧天文台
1818-1820年に建設された天文台です。
現在でも使われているようです。
エジンバラでは最古の天文台です。
奥の方に丸いドームが見えます。 -
Dugald Stewart Monument(デュガルド・スチュアート・モニュメント)
デュガルド・スチュアートはエジンバラ大学の教授でした。
18世紀スコットランド啓蒙主義を牽引した人物です。
彼を記念して造られたモニュメントです。
また彼の教え子には、ウォルター・スコットやジェイムズ・ミル・・・などがいます。 -
カールトン・ヒルでは丸いドーム型の旧天文台やデュガルド・スチュアート・モニュメントなどたくさんの記念碑や歴史的建造物が建てられています。
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エジンバラは、お城があるキャッスル・ロックを中心とした丘の上の旧市街と、19世紀にできた新市街を合わせて世界遺産になっています。
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フォース湾が見渡せます。
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写真中ほどの右よりに橋のようなものが見えますが、Forth Bridge(フォース橋)です。これは鉄道橋です。
1890年に完成しました。全長2530mあります。
1964年には隣に道路橋も建設されました。他で強風による落橋事故が相次いだため、強固な橋として設計されました。
「鋼の恐竜」という異名を持っています。
2015年に世界遺産リストに登録されました。 -
Nelson Monument(ネルソン・モニュメント)
海軍の提督だったホレーショ・ネルソンが1805年のトラファルガー沖の海戦の勝利した記念に、1815年に建てられたモニュメントです。
丘の頂上にある高さ32メートルの塔で、展望台となっているネルソン・モニュメントからは360度のパノラマが広がります。 -
入場チケットを購入すれば、塔の上まで登れます。螺旋状の長い階段を昇ります。内部にはネルソン提督とイギリス艦隊の様々な資料などが展示されています。
ところでネルソン提督は、アメリカの独立戦争やナポレオン戦争等で、勝利に導きました。 -
National Monument(ナショナル・モニュメント)
19世紀初頭にナポレオン戦争で亡くなったスコットランド兵を顕彰して造られた戦没者記念碑です。
パルテノン神殿を模してドリス式の円柱が並んでいます。
1822年-1829年には建築されましたが、まだ完成していません。
途中で予算がなくなってしまったようです。
そんなわけで、ちょっと薄っぺらい感じがしたのも否めません。 -
この丘はとても眺めがいいです。
エジンバラを一望できます。
旧市街から新市街まで。
これらを合わせて世界遺産になっています。
ただし、カールトンヒルには残念な過去もあるようです。
それはハンセン病患者の収容の地であり、処刑場または埋葬地となった場所でもあったようです。 -
右側の方の山がアーサーズ・シートで、左側の下の方に見えるのがホリールードハウス宮殿です。
目と鼻の先にあります。 -
イチオシ
Arthur's Seat(アーサー王の玉座)
標高250.5mですので、丘と言った方がわかりやすいかと思いますが、山だそうです。
アーサー王にまつわる場所の中で、ここが1番北にあります。 -
アーサーズ・シートには下からのハイキング道があります。
またクイーンズ・ドライブは車も通れます。
でもどちらかというとジョギングする人やサイクリングする人が通っているようです。
アーサーズ・シートの南に出ると、南西にPentland Hills Regional Park(ペントランド・ヒルズ・リージョナル・パーク)の丘が見えるようです。
登りたかったです。
下の方の白いものは・・
Dynamic Earth(ダイナミック・アース)です。
地球の歴史が体感できるアトラクションです。
オーディオ・ビジュアルや展示物などで体感できます。 -
アーサー王の玉座は、キャッスル・ロックと同様に約3億5千万年前、火山活動によって大地が盛り上がり、西から東へ動く氷河の浸食によって形成されました。
山頂部にはヒルフォートが作られています。イギリスの鉄器時代のケルト系民族の力の中心地であったかもしれません。
またアーサー王の物語りの中で王国キャメロットが、ここであるかも・・・と候補地の1つでもあるようです。
ちなみにアーサー王は伝説の王ではありますが、そのモデルとなった人物がいるのでは・・・と。
ブリタニアの王だとか、
ローマ帝国のアルトリウスであるとか、
ケルトの熊の男 ケルトス・ウィロスの別の姿だとか、
ケルト人のリオタムスだとか、
セルビアのマルコ王子だとか
ロシアのイリヤ・ムロメツだとか・・・諸説ありますが、定かなところはわかりません。 -
伝説によると・・・
昔アーサー王の玉座の麓は森でした。
スコットランド王のデヴィッド1世が(セント・マーガレット礼拝堂のマーガレットの6男です)狩りをしていた際に牡鹿に遭遇しました。デヴィッドが落馬して鹿に突き刺されそうになりました。
するとその時、鹿の角の真中あたりに十字が見えました。
その後鹿に突き刺される事なく、そのまま鹿は去って行ったそうです。
デヴィッド1世は、これは神のご加護と、ホリールード寺院を造りました。 -
見張り塔
この柵の中は墓地です。
中世の時代には、死体盗掘人がいました。
墓から掘り起こして医者に売られました。解剖学のためです。
それを防ぐために見張りの塔があります。
中には死体を売るために、13人以上の人間を殺したバークとヘアという2人組もいたらしいです。 -
Merchants
この日のランチはこちらです。
実はここに来るまでの間に広場があって、そこはグラス・マーケット(400年も続いた定期市場)跡でした。今はパブやお店が並んでますが・・・。
かつては公開処刑場として使われていました。
多くの在任が処刑されました。
そのすぐそばに「Last Drop(ラスト・ドロップ)」という名前のパブが現在もあります。 -
まずはビール
ちょっとビールの注ぎ方について気づいたのですが・・・
日本では泡だらけにならないように、ちょっと斜めに傾けて上手に注ぎますが、
英国では勢いよく注ぎ泡で満たされた後、少し静まった後に更に注ぎ足してました。
色々なお店で見ましたが、だいたいみんな同じような注ぎ方でした。 -
ハギス
実は主人はハギスを食べるのが初めてだったのですが、旅の疲れもあってか、これを食べた後気持ち悪くなって、他は残してしまいました。
ただ、その後夕食には回復してました。 -
ポークのトマトソース
あまりポーク感がありません。
不味くはないのですが、美味しいともいえませんでした。 -
ブラウニー
これは美味しかったです。 -
また最後にエジンバラを見渡してみましょう。
パノラマ撮影しました。
ちょっとここでお金について!
私は日本でポンドに両替しました。
スコットランドでもそのイングランドのポンドは使えます。
ただ、お釣りがスコットランドのポンドでかえってきたとき・・・。
そのままそれをイングランドに持ち込もうとしても、使えないのです。
(添乗員さんからのアドバイス)
ちなみに私が持っている「2014-2015 湖水地方&スコットランド」情報では使えると書いてましたが、使えない場合があるのは間違いないようです。
そのようなわけで、スコットランドからイングランドに移動する際は、使い切っておいた方がいいようです。
それとこれはイングランドのポンドですが、去年旅行したから、また次の旅行で使おうと思っても、旧貨幣は使えなくなってるものもあります。
ですから、あまり多く両替してしまうと面倒なことに・・・・。
注意しましょう。
英国では結構クレジットカードが使えますし、またキャッシング機も色々な場所で目にしました。 -
イチオシ
Palace of Holyroodhouse(ホリールードハウス宮殿)
カールトン・ヒルからも眺められたように、近くにあります。
16世紀からスコットランド・スチュアート家の王宮になりましたが、起源は12世紀です。
ホリールード寺院のゲストハウスとして使用したことに始まります。
メアリー・スチュアートは、ここに小さなフランスを作りました。
家具、絵画からゴブラン織、トルコ絨緞、全てをフランス式にしたそうです。
宮殿内で交わされる言葉はフランス語、舞踏会もフランス流で、ここで6年間暮らしました。
その後、宮殿は2度にわたってイングランド軍に焼かれました。
現在のものは17世紀、チャールズ2世によって建てられたものです。
ホリールードとは、聖なる十字架という意味です。
エジンバラ城が要塞であったとすると、こちらは宮殿らしい造りです。
メアリーの側近で秘書だったダビッド・リッチオが、ここで暗殺されています。
メアリーの夫ダーンリー卿らによって。
その後、ダーンリー卿自身も殺害されました。
メアリーにも疑惑が・・・・・。
メアリー・スチュアートの一生は波乱万丈の人生でした。
5歳で故郷を離れて、15歳でフランソワ皇太子と結婚し、フランスの王妃となったものの、2年後には先立たれスコットランドに戻ることになりました。
しかも宗教改革、権力争いのさなかです。
その後、ダーンリー卿ヘンリー・スチュアート(2番目の夫)
ボスウェル伯ジェイムズ・ヘプバーン(3番目の夫)と結婚しますが、次第に国民や他の貴族の反感をかい、最終的には息子であるジェイムズ6世に譲位します。
そして城に幽閉されます。
その後はなんとかイングランドに逃げますが、19年もの長い間囚われの身になり、最後にはエリザベス女王暗殺の疑いで1587年には処刑されてしまいました。
悲劇の女王です。
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この旅行記へのコメント (5)
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- chinpeiさん 2022/10/14 09:50:06
- 紳士的な…
- 私は中国、東南アジア専門なのでスコットランドは紳士的な国に見えますww美しい街並みですね👍来週から娘がスコットランドに留学に行きまーす。ww
- noelさん からの返信 2022/10/14 20:22:30
- RE: 紳士的な…
- chinpeiさん
旅行記をご覧いただき、ありがとうございます。
お嬢さん、もうすぐスコットランド留学ですか・・・。
ご本人は楽しみかもしれませんが、親御さんにしてみれば、心配かもしれませんね。
私は夏に行きましたが、昼でもダウンベストを着てました。
ただ慣れれば結構過ごしやすいかもしれません。
スコットランドでは大丈夫でしたが、ロンドンでは偽警察官にコカイン所持容疑でパスポートを提示するよう要求されました。
被害はありませんでしたが、どうぞお気をつけください。
素敵な所がたくさんありますので、お勉強頑張って楽しまれるといいですね。
どうぞお嬢様、お気をつけて行ってらしてください。
noel
- chinpeiさん からの返信 2022/10/14 21:02:34
- RE: RE: 紳士的な…
- > noelさん貴重な情報ありがとうございます。おっしゃる通り娘が向こうでちゃんとやれるのか心配しております。可愛い子には旅をさせろと言いますがやはり心配ですね。偽警官とは驚きですね(*_*)寒いとは聞いていましたがやはりそうなんですね。情報頂き助かります。私達もまだまだ異国の地をたくさん見て回りましょうね。次回の投稿楽しみにお待ちしていますm(_ _)m
-
- jijidarumaさん 2018/09/20 18:29:27
- 懐かしのエジンバラ
- noelさん、
こんばんは。エジプトがらみでイギリスかと思っていましたら、
スコットランドに一飛びした様子、美しい写真がかつての若い頃の
旅を思い起こしました。
エジンバラ城が天気の良さもあってか、陰鬱な古城の雰囲気もなく、
大変魅力的です。あのカールトン・ヒルから風に吹かれながら、
エジンバラ(2泊した)の市街を望みました。
この時はエディンバラ城のMilitary Tattooミリタリー・タトゥー
を見に行ったのです。
1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間・夏の休暇で初めて、
フランスのCalaisカレー港からオペル車をホーバークラフトに載せ、
Doverドーバー海峡(仏側からするとカレー海峡)を越え、
イギリスのRamsgateラムズゲートに到着しました。距離34km、
凡そ40分の乗船でした。40年前の事です。
勿論、初めてのイギリス故、Londonロンドンの大英博物館など、
Oxfordオックスフォード、湖水地方、ネス湖、ハドリアヌスの防御線
なども一通り見て、Kingston on Hullキングストン・アポン・ハルの
港から、Rotterdamロッテルダムに抜けて、デュッセルドルフ
に戻りました。
総行程2750kmと15日間としては良く走った思いが残ります。
ひょっとして、ダブる地域もあるでしょうから、次章も楽しみです。
jijidaruma
- noelさん からの返信 2018/09/20 21:51:41
- ありがとうございます。
- jijidarumaさん
こんばんは。
いつもありがとうございます。
スコットランドには実は以前から行ってみたいと思っていました。
ただしエジプトに行った後でしたので、イギリスには行くなら今かとも。
1978年に行かれていたんですね。
まだまだ私にとって海外は遠い世界でした。
でもその頃から行きたいと思っていました。
エジンバラでは天気に恵まれて本当に良かったです。
ミリタリー・タトゥーもご覧になったんですね。いいですね。
本当は私も見たかったです。
jijidarumaさんも色々な所を巡ったんですね。
しかもハドリアヌスの防御線まで行かれたとは・・・。
行ってみたかったです。
2750kmを走破とは、大変だったでしょう。
でもいい思い出ですね。
今年の5月に行かれたフランケン地方・オーバープファルツ地方ですが、なかなか日本人にとっては足を運ぶことが少ない所だけに、貴重な旅行記かと思います。
おもちゃ博物館、可愛らしいですね。
本当に私の知らないドイツを拝見させていただきありがとうございます。
またこれからも楽しみにしてます。
イギリスについても、ボチボチアップロートしていこうかと思ってます。
どうぞよろしくお願いいたします。
noel
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