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今回の旅の中で一番行きたかったのが、ここストーンヘンジでした。<br />夫に言わせれば、ただの石じゃないか、とのこと。<br />でも古代エジプトのピラミッドも古代ギリシャやローマの神殿も元々は石です。<br />ただ石の素材が異なっていたり、石で作りあげた物が違ったりしているだけです。<br />たまたまその形が無骨に見える物と洗練された物であるだけのように思います。ちょっと表現が悪くて失礼。<br />そんなケルト文明の足跡を辿ってみました。<br /><br />★★★<br />この旅行記は個人的な備忘録のような傾向が強いので、似たような写真ばかりです。<br />どうぞざっと読み流してくださいませ。<br /><br />【旅程】<br /><br />8月8日(水)1日目<br />羽田空港(HND)8:50発→ロンドン・ヒースロー空港(LHR)13:10着<br />ブリティッシュエアウェイズBA0008便にて(約12時間20分)<br />ロンドン・ヒースロー空港(LHR)16:20発→グラスゴー(GLW)17:45着<br />ブリティッシュエアウェイズBA1488便にて(約1時間25分)<br /><br />8月9日(木)2日目<br />グラスゴー<br />↓(約1時間30分)<br />エジンバラ観光(ロイヤルマイル~エジンバラ城~カールトンヒル等)<br />↓<br />ペンケイトランド(ウイスキー蒸溜所)<br />↓<br />グラスゴー<br />市内観光(グラスゴー大聖堂~グラスゴー大学)<br /><br />8月10日(金)3日目<br />グラスゴー<br />↓(約1時間40分)<br />グレトナグリーン<br />買い物等<br />↓<br />湖水地方(レイクサイド~ボウネス)<br />遊覧船~ボウネス散策~オレストヘッド~クロスウェイト(ホテル)<br /><br />8月11日(土)4日目<br />クロスウェイト<br />↓<br />リバプール<br />(マシューストリート、キャバンクラブ、アルバートドック等)<br />↓<br />ストラトフォード・アポン・エイボン<br />(ホーリートリニティ教会~ヘンリーストリート~シェイクスピアの生家)<br />↓<br />コッツウォルズ地方・チッピング・ノートン(ホテル)<br /><br />8月12日(日)5日目<br />チッピング・ノートン<br />↓<br />コッツウォルズ・バイブリー<br />↓<br />コッツウォルズ・バートン・オン・ザ・ウォーター<br />↓<br />ストーンヘンジ●<br />↓<br />ロンドン・ドックランズ(ホテル)<br /><br />8月13日(月)6日目<br />ロンドン観光(セントポール大聖堂~ビックベン~ウェストミンスター寺院~バッキンガム宮殿等)<br />↓<br />大英博物館<br />↓<br />フリータイム<br />(キングスクロス駅~シャーロックホームズ博物館~ピカデリー広場等)<br /><br />8月14日(火)7日目<br />ヒースロー空港(LHW)11:40→羽田空港(HND)翌7:10分 <br />ブリティッシュエアウェイズBA0007便にて(約11時間30分)<br />

Stonehenge 2018 ⑨ (ストーンヘンジ 2018年夏・・・スコットランドから英国縦断の旅)

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2018/08/08 - 2018/08/15

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noel

noelさん

この旅行記のスケジュール

2018/08/12

  • ボートン・オン・ザ・ウォーター12時10分頃→ストーンヘンジ・ビジターセンター13時40分頃

  • ストーンヘンジ・ビジターセンター13時40分頃→ストーンヘンジ14時頃(シャトルバス)

  • ストーンヘンジ14時40分→ストーンヘンジ・ビジターセンター14時50分頃(シャトルバス)

  • ソールズベリー→ロンドン(車)

  • レストラン→ホテル

この旅行記スケジュールを元に

今回の旅の中で一番行きたかったのが、ここストーンヘンジでした。
夫に言わせれば、ただの石じゃないか、とのこと。
でも古代エジプトのピラミッドも古代ギリシャやローマの神殿も元々は石です。
ただ石の素材が異なっていたり、石で作りあげた物が違ったりしているだけです。
たまたまその形が無骨に見える物と洗練された物であるだけのように思います。ちょっと表現が悪くて失礼。
そんなケルト文明の足跡を辿ってみました。

★★★
この旅行記は個人的な備忘録のような傾向が強いので、似たような写真ばかりです。
どうぞざっと読み流してくださいませ。

【旅程】

8月8日(水)1日目
羽田空港(HND)8:50発→ロンドン・ヒースロー空港(LHR)13:10着
ブリティッシュエアウェイズBA0008便にて(約12時間20分)
ロンドン・ヒースロー空港(LHR)16:20発→グラスゴー(GLW)17:45着
ブリティッシュエアウェイズBA1488便にて(約1時間25分)

8月9日(木)2日目
グラスゴー
↓(約1時間30分)
エジンバラ観光(ロイヤルマイル~エジンバラ城~カールトンヒル等)

ペンケイトランド(ウイスキー蒸溜所)

グラスゴー
市内観光(グラスゴー大聖堂~グラスゴー大学)

8月10日(金)3日目
グラスゴー
↓(約1時間40分)
グレトナグリーン
買い物等

湖水地方(レイクサイド~ボウネス)
遊覧船~ボウネス散策~オレストヘッド~クロスウェイト(ホテル)

8月11日(土)4日目
クロスウェイト

リバプール
(マシューストリート、キャバンクラブ、アルバートドック等)

ストラトフォード・アポン・エイボン
(ホーリートリニティ教会~ヘンリーストリート~シェイクスピアの生家)

コッツウォルズ地方・チッピング・ノートン(ホテル)

8月12日(日)5日目
チッピング・ノートン

コッツウォルズ・バイブリー

コッツウォルズ・バートン・オン・ザ・ウォーター

ストーンヘンジ●

ロンドン・ドックランズ(ホテル)

8月13日(月)6日目
ロンドン観光(セントポール大聖堂~ビックベン~ウェストミンスター寺院~バッキンガム宮殿等)

大英博物館

フリータイム
(キングスクロス駅~シャーロックホームズ博物館~ピカデリー広場等)

8月14日(火)7日目
ヒースロー空港(LHW)11:40→羽田空港(HND)翌7:10分 
ブリティッシュエアウェイズBA0007便にて(約11時間30分)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
4.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス 徒歩

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  • Stonehenge<br />ついに、ついにやってきました。<br />こちらはWiltshire(ウィルトシャー)州のソールズベリー平原にあります。<br /><br />1986年に世界文化遺産に登録されました。<br />そしてその後2008年には範囲を変更して登録されました。<br />「ストーンヘンジ、エーブベリーと関連する遺跡群」としてです。<br /><br />また2013年12月18日、新しいビジターセンターができました。<br />まだ新しいので綺麗です。<br />この御手洗いも綺麗です。

    Stonehenge
    ついに、ついにやってきました。
    こちらはWiltshire(ウィルトシャー)州のソールズベリー平原にあります。

    1986年に世界文化遺産に登録されました。
    そしてその後2008年には範囲を変更して登録されました。
    「ストーンヘンジ、エーブベリーと関連する遺跡群」としてです。

    また2013年12月18日、新しいビジターセンターができました。
    まだ新しいので綺麗です。
    この御手洗いも綺麗です。

  • 駐車場付近です。<br /><br />Open Daily 9.30am to 5pm, Last entry at 3pm<br />午前9時30分から午後5時までです。<br />ただし最終入場は午後3時です!!

    駐車場付近です。

    Open Daily 9.30am to 5pm, Last entry at 3pm
    午前9時30分から午後5時までです。
    ただし最終入場は午後3時です!!

  • このランドトレイン(シャトルバス)に乗って向かいます。<br /><br /><br /><br />

    このランドトレイン(シャトルバス)に乗って向かいます。



  • ストーンサークルのそばには駐車場がありません。<br />こちらから約2kmなので、歩いても行けないこともありませんが、バスの方が便利です。<br />本数も結構あります。(ちなみに8月に行きました)<br />ストーンヘンジは、何もない平原にぽつんとあるためお手洗いはありません。

    ストーンサークルのそばには駐車場がありません。
    こちらから約2kmなので、歩いても行けないこともありませんが、バスの方が便利です。
    本数も結構あります。(ちなみに8月に行きました)
    ストーンヘンジは、何もない平原にぽつんとあるためお手洗いはありません。

  • 説明です。<br />Stonehenge avenue(ストーンヘンジ・アベニュー)<br />アベニューの道は外側の溝と平行になって、ストーンヘンジとエイボン川を結んでいます。<br />これはストーンヘンジのブルーストーンが再建設されていた頃の紀元前2300年頃に建てられました。<br />大通りの大部分は整備されましたが、ストーンヘンジに最も近いものは土塁として残ってます。<br />このアヴェニューは真夏の日の出と真冬の日没に一直線になります。

    説明です。
    Stonehenge avenue(ストーンヘンジ・アベニュー)
    アベニューの道は外側の溝と平行になって、ストーンヘンジとエイボン川を結んでいます。
    これはストーンヘンジのブルーストーンが再建設されていた頃の紀元前2300年頃に建てられました。
    大通りの大部分は整備されましたが、ストーンヘンジに最も近いものは土塁として残ってます。
    このアヴェニューは真夏の日の出と真冬の日没に一直線になります。

  • これは説明用のものですが、上空からの写真です。

    これは説明用のものですが、上空からの写真です。

  • ランドトレイン(シャトルバス)を降りて、ここからは歩いて行きます。

    ランドトレイン(シャトルバス)を降りて、ここからは歩いて行きます。

  • 小雨が降っています。<br />ウィンドブレーカーのフードを被りました。<br />夏ですが結構寒いです。<br /><br />以前はストーン・サークル内に入ることもできましたが、現在は外側から見るだけです。<br />周囲をぐるりと360度確認します。<br />左側から時計回りに見ます。

    小雨が降っています。
    ウィンドブレーカーのフードを被りました。
    夏ですが結構寒いです。

    以前はストーン・サークル内に入ることもできましたが、現在は外側から見るだけです。
    周囲をぐるりと360度確認します。
    左側から時計回りに見ます。

  • 全方位に説明があります。<br />音声ガイダンスの説明を聴きながら観ます。<br />日本語もあります。

    全方位に説明があります。
    音声ガイダンスの説明を聴きながら観ます。
    日本語もあります。

  • ストーンヘンジは、世界でも有名な先史時代の遺跡です。 <br />いくつかの段階で建てられました。<br />最初の遺跡はおよそ5000年前に建てられました。<br />そしてその後は紀元前2500年頃の新石器時代後期に建てられました。 <br />(紀元前3000年頃から1600年頃です。後期新石器時代から、初期青銅器時代です。)<br />初期の青銅器時代には、多くの埋葬塚が近くに建てられました。<br /><br />ところで写真を見るとわかるように数字が配置されてありますが、音声ガイダンスの番号です。

    ストーンヘンジは、世界でも有名な先史時代の遺跡です。
    いくつかの段階で建てられました。
    最初の遺跡はおよそ5000年前に建てられました。
    そしてその後は紀元前2500年頃の新石器時代後期に建てられました。
    (紀元前3000年頃から1600年頃です。後期新石器時代から、初期青銅器時代です。)
    初期の青銅器時代には、多くの埋葬塚が近くに建てられました。

    ところで写真を見るとわかるように数字が配置されてありますが、音声ガイダンスの番号です。

  • イングランド南部の他の地域の大部分が主に森林に覆われていた頃、ストーンヘンジ付近の地域は、開放的な平原だったようです。<br />だからこの場所に作られたのかもしれません。<br />(ただ森林だったと書いてあるものも何処かで見たような・・・。)<br />

    イングランド南部の他の地域の大部分が主に森林に覆われていた頃、ストーンヘンジ付近の地域は、開放的な平原だったようです。
    だからこの場所に作られたのかもしれません。
    (ただ森林だったと書いてあるものも何処かで見たような・・・。)

  • 近くで見ると、思ったよりも大きく感じます。<br />まさに巨石です。<br />確かに巨人が作ったと思われても無理はありません。<br /><br />かつてブリテン島の巨石は巨人伝説と結び付けられていました。<br />先住民は巨人で彼らが巨石を作ったのだと。<br />そしてその巨人がアフリカからアイルランドに石を運んだと思われてました。<br /><br />さらに「ブリタニア列王史」によると、アイルランドにあった「石の環」をAmbrosius Aurelianus(アンブロウシス・アウレリウス)がサクソン人との戦いで亡くなった首長たちを弔うために記念碑として永遠に残る建造物を造るという命令を下しました。<br />これはコーンウォールの大司教トレモリヌスの進言に従って、計画の実行者として魔法使いのマーリンが招かれました。<br />そうです。あのアーサー王伝説に登場するマーリンです。<br />マーリンはヒルべニア(アイルランドの古名)のMt.Killaraus(キララウス山)の上にある巨大なGiant&#39;s Round(環状列石)をソールズベリーのこの平原に運びました。<br />またマーリンの説明によると、キララウス山にある列石は「巨人たちの輪舞」と呼ばれ、この島の先住民の巨人たちがヒルべニア(アイルランド)に住んでいたころに、アフリカから運んできて建てたとのこと。<br /><br />ちなみにアンブロウシス・アウレリウスというのは、アーサー王の祖父か、先祖・・・もしくは説によってはアーサー王のモデルではないか、との見方もあります。<br />(ただ彼はアーサー王の叔父、アーサーの父(Uther Pendragon)の兄弟に変身し、そして両者を先導しました・・・とありますので、実体ははっきりしません。)<br /><br />しかも別説には、このアウレリアヌスは、ローマの将軍で、彼に従って戦を繰り広げてきたルキウス・アルトリウス・カストリスが、最終的にアウレリアヌスに代わって軍勢を指揮し、このルキウスがアーサー王だというものです。<br /><br />ちなみに「ブリタニア列王史」は1136年に Geoffrey of Monmouth(モンマスのジェフリー)によって書かれてます。<br />この人は、キリスト教聖職者であり歴史家です。ただ彼の著作は歴史を題材としたフィクションがほとんどです。<br /><br />ただ私としては、ちょっとひっかかることがあって、元々はアフリカにあったという事です。<br />なぜアフリカなのか・・・・。<br />この旅行記の最後で気になる点がありますので、フィクションにしても何かしら土台になるものがあったのでは?と疑問に思ってます。<br />(旅行記なので、軽く読み流してください・・・。(-_-;))<br /><br />*****<br />上記の推測はともあれ、ヨーロッパの起源は「スキタイ」であるという説があるのです。アーサー王の起源が「コーカサス地方」とはなかなか素直に考えることができないのですが・・・。<br />「ナルト」と呼ばれる半神的英雄たちの叙事詩「ナルト叙事詩」の中で語られているようなのです。読んでないのでわかりませんが、あのヘロドトスが伝えているというのです。<br />ちょっとここまで思考を転換できないので、これはまた後の課題に・・・。

    近くで見ると、思ったよりも大きく感じます。
    まさに巨石です。
    確かに巨人が作ったと思われても無理はありません。

    かつてブリテン島の巨石は巨人伝説と結び付けられていました。
    先住民は巨人で彼らが巨石を作ったのだと。
    そしてその巨人がアフリカからアイルランドに石を運んだと思われてました。

    さらに「ブリタニア列王史」によると、アイルランドにあった「石の環」をAmbrosius Aurelianus(アンブロウシス・アウレリウス)がサクソン人との戦いで亡くなった首長たちを弔うために記念碑として永遠に残る建造物を造るという命令を下しました。
    これはコーンウォールの大司教トレモリヌスの進言に従って、計画の実行者として魔法使いのマーリンが招かれました。
    そうです。あのアーサー王伝説に登場するマーリンです。
    マーリンはヒルべニア(アイルランドの古名)のMt.Killaraus(キララウス山)の上にある巨大なGiant's Round(環状列石)をソールズベリーのこの平原に運びました。
    またマーリンの説明によると、キララウス山にある列石は「巨人たちの輪舞」と呼ばれ、この島の先住民の巨人たちがヒルべニア(アイルランド)に住んでいたころに、アフリカから運んできて建てたとのこと。

    ちなみにアンブロウシス・アウレリウスというのは、アーサー王の祖父か、先祖・・・もしくは説によってはアーサー王のモデルではないか、との見方もあります。
    (ただ彼はアーサー王の叔父、アーサーの父(Uther Pendragon)の兄弟に変身し、そして両者を先導しました・・・とありますので、実体ははっきりしません。)

    しかも別説には、このアウレリアヌスは、ローマの将軍で、彼に従って戦を繰り広げてきたルキウス・アルトリウス・カストリスが、最終的にアウレリアヌスに代わって軍勢を指揮し、このルキウスがアーサー王だというものです。

    ちなみに「ブリタニア列王史」は1136年に Geoffrey of Monmouth(モンマスのジェフリー)によって書かれてます。
    この人は、キリスト教聖職者であり歴史家です。ただ彼の著作は歴史を題材としたフィクションがほとんどです。

    ただ私としては、ちょっとひっかかることがあって、元々はアフリカにあったという事です。
    なぜアフリカなのか・・・・。
    この旅行記の最後で気になる点がありますので、フィクションにしても何かしら土台になるものがあったのでは?と疑問に思ってます。
    (旅行記なので、軽く読み流してください・・・。(-_-;))

    *****
    上記の推測はともあれ、ヨーロッパの起源は「スキタイ」であるという説があるのです。アーサー王の起源が「コーカサス地方」とはなかなか素直に考えることができないのですが・・・。
    「ナルト」と呼ばれる半神的英雄たちの叙事詩「ナルト叙事詩」の中で語られているようなのです。読んでないのでわかりませんが、あのヘロドトスが伝えているというのです。
    ちょっとここまで思考を転換できないので、これはまた後の課題に・・・。

  • 紀元前3000年、直径約100メートルの領域を囲み、2つの入り口がありました。 それはヘンジの初期の形でした。<br /><br />土塁の中にはおそらくいくつかの木造の構造物があり、すぐ内側には56個の穴があり、オーブリーホールとして知られていました。<br />何年もの間直立した材木の支柱であるとの考えでしたが、最近それらのうちのいくつかが石であったかもしれないと思われるようになりました。<br /><br />オーブリーホールの内外で、さらに溝の中で、人々は火葬をして埋葬しました。<br />約64の火葬が発見され、そしておそらく150人もの人々がもともとストーンヘンジに埋葬されたようです。<br />それがイギリス諸島で最大の後期新石器時代の墓地になりました。

    紀元前3000年、直径約100メートルの領域を囲み、2つの入り口がありました。 それはヘンジの初期の形でした。

    土塁の中にはおそらくいくつかの木造の構造物があり、すぐ内側には56個の穴があり、オーブリーホールとして知られていました。
    何年もの間直立した材木の支柱であるとの考えでしたが、最近それらのうちのいくつかが石であったかもしれないと思われるようになりました。

    オーブリーホールの内外で、さらに溝の中で、人々は火葬をして埋葬しました。
    約64の火葬が発見され、そしておそらく150人もの人々がもともとストーンヘンジに埋葬されたようです。
    それがイギリス諸島で最大の後期新石器時代の墓地になりました。

  • 紀元前2500年頃に、石は遺跡の中央に建てられました。<br />ストーンヘンジには2種類の石が使用されています。<br />大きい方と小さい方の「ブルーストーン」です。<br />小さい石は2つの同心円状(内側の馬蹄形と外側の円) に建てられ、ブルーストーンはそれらの間に二重円弧状に建てられました。<br /><br />おそらく石が遺跡の中央に設置されていたのと同時に、入口近くの小さい石が周辺の4つのステーション・ストーンと共に持ち上げられました。<br /><br />約200年あるいは300年後、中央のブルーストーンは円と内側の楕円形を形成するように再建設されました(これも後で馬蹄形を形成するように変更されました)。土塁もこの時期に建設され、ストーンヘンジとエイボン川を結びました。

    紀元前2500年頃に、石は遺跡の中央に建てられました。
    ストーンヘンジには2種類の石が使用されています。
    大きい方と小さい方の「ブルーストーン」です。
    小さい石は2つの同心円状(内側の馬蹄形と外側の円) に建てられ、ブルーストーンはそれらの間に二重円弧状に建てられました。

    おそらく石が遺跡の中央に設置されていたのと同時に、入口近くの小さい石が周辺の4つのステーション・ストーンと共に持ち上げられました。

    約200年あるいは300年後、中央のブルーストーンは円と内側の楕円形を形成するように再建設されました(これも後で馬蹄形を形成するように変更されました)。土塁もこの時期に建設され、ストーンヘンジとエイボン川を結びました。

  • オーブリーホールの穴には、25の頭がい骨のかけらがありました。<br />これは放射性炭素年代測定によって紀元前3,180年ごろのものとされました。<br /><br />そして25のうち15は、ストーンヘンジ周辺で生活をしていた人々の物であることが判明しました。<br />でも残りの10は、およそ200km離れた西部で生活をしていた人のものであることが分かったのです。<br /><br />ストロンチウム同位体解析にかけて調べました。<br />これはその人が食べていたものや、どこで生活していたのかといった手がかりを提供してくれるものです。<br /><br />*オーブリーホールというのは、ストーンヘンジの初期に円形の立杭(石?)があった所のことです。後ほど図示します。<br />発見した人オーブリーに因んで名づけられました。

    オーブリーホールの穴には、25の頭がい骨のかけらがありました。
    これは放射性炭素年代測定によって紀元前3,180年ごろのものとされました。

    そして25のうち15は、ストーンヘンジ周辺で生活をしていた人々の物であることが判明しました。
    でも残りの10は、およそ200km離れた西部で生活をしていた人のものであることが分かったのです。

    ストロンチウム同位体解析にかけて調べました。
    これはその人が食べていたものや、どこで生活していたのかといった手がかりを提供してくれるものです。

    *オーブリーホールというのは、ストーンヘンジの初期に円形の立杭(石?)があった所のことです。後ほど図示します。
    発見した人オーブリーに因んで名づけられました。

  • 幻想的に見えますが、これは説明用の写真です。<br /><br />これがストーンヘンジの保存と修復のための一連のキャンペーンの始まりでした。最後の石は1964年に統合されました。<br /><br />この遺跡は、Sir Edmund Antrobusが復元などをして所有してましたが、オークションでストーンヘンジを売却しました。(これには吃驚です。個人所有だったとは・・・。)<br />それを購入した地元の男性のCecil Chubbが1918年まで個人所有していました。<br />その後遺跡を保存するのは国の義務ということになり、今日ではイギリスの遺産となりました。<br /><br />1927年からナショナルトラストは、ストーンヘンジ周辺の土地を保護し草地に戻すためにその土地を取得し始めました。<br />ストーンヘンジの大部分が現在所有されています。<br />昔の観光客用施設の撤去や石の近くを走っていた古い国道A344線の区画の閉鎖など、最近の景観改善はストーンヘンジを草原のオープンな環境に戻すプロセスを始めました。<br />English Heritageは政府が渋滞委する国道A303線の大部分を取り除き、遺跡をその古代の風景につなぐのに役立つトンネルへの投資を計画を推進しているそうです。<br />(確かに止まって見ている車もありました。実際に事故も発生しているようです。)<br /><br />こちらにはそんな風に書かれてましたが、実際問題はまた違うようです。<br />トンネル化に対して、市民やNGOから懸念を伝える多数のメッセージが届いているようです。<br />内容はトンネルが地質や生態系に影響し、遺跡にダメージを及ぼすことを恐れている・・・とのこと。<br /><br />確かに人間が良かれと思ってやったことが、ある面においては裏目に出ているケースがあります。<br />かつてのモンサンミッシェルの橋然り。アブシンベル神殿他のアスワンハイダムの建設に伴う水没化然りです。

    幻想的に見えますが、これは説明用の写真です。

    これがストーンヘンジの保存と修復のための一連のキャンペーンの始まりでした。最後の石は1964年に統合されました。

    この遺跡は、Sir Edmund Antrobusが復元などをして所有してましたが、オークションでストーンヘンジを売却しました。(これには吃驚です。個人所有だったとは・・・。)
    それを購入した地元の男性のCecil Chubbが1918年まで個人所有していました。
    その後遺跡を保存するのは国の義務ということになり、今日ではイギリスの遺産となりました。

    1927年からナショナルトラストは、ストーンヘンジ周辺の土地を保護し草地に戻すためにその土地を取得し始めました。
    ストーンヘンジの大部分が現在所有されています。
    昔の観光客用施設の撤去や石の近くを走っていた古い国道A344線の区画の閉鎖など、最近の景観改善はストーンヘンジを草原のオープンな環境に戻すプロセスを始めました。
    English Heritageは政府が渋滞委する国道A303線の大部分を取り除き、遺跡をその古代の風景につなぐのに役立つトンネルへの投資を計画を推進しているそうです。
    (確かに止まって見ている車もありました。実際に事故も発生しているようです。)

    こちらにはそんな風に書かれてましたが、実際問題はまた違うようです。
    トンネル化に対して、市民やNGOから懸念を伝える多数のメッセージが届いているようです。
    内容はトンネルが地質や生態系に影響し、遺跡にダメージを及ぼすことを恐れている・・・とのこと。

    確かに人間が良かれと思ってやったことが、ある面においては裏目に出ているケースがあります。
    かつてのモンサンミッシェルの橋然り。アブシンベル神殿他のアスワンハイダムの建設に伴う水没化然りです。

  • サークル内からはポツンと離れた所ににある石です。(玄武岩)<br />The Heel Stone(ヒール・ストーン(かかと石))です。<br /><br />夏至にはこのヒール・ストーンとSlaughter Stone(スローター・ストーン)とThe Altar Stone(祭壇石)の間を通って遺跡の中心に太陽がさしこんできます。<br /><br />祭壇石はウェールズ産の緑色の砂岩です。

    サークル内からはポツンと離れた所ににある石です。(玄武岩)
    The Heel Stone(ヒール・ストーン(かかと石))です。

    夏至にはこのヒール・ストーンとSlaughter Stone(スローター・ストーン)とThe Altar Stone(祭壇石)の間を通って遺跡の中心に太陽がさしこんできます。

    祭壇石はウェールズ産の緑色の砂岩です。

  • 白い矢印があります。<br /><br />ところでヒール・ストーンについてですが・・・・・・<br />これは太陽を意味する「haul」(ウェールズ語)<br />又は「helios」(ギリシア語)に由来しています。<br />また「Friar&#39;s Heel」という修道僧のかかと」という呼び名も知られてます。<br />ただし「Friar&#39;s Heelとよく似た発音の「ffriw yr haul」(フリゥー・アル・ハイル)が、古いウェールズ語で「太陽の出現」を意味します。

    白い矢印があります。

    ところでヒール・ストーンについてですが・・・・・・
    これは太陽を意味する「haul」(ウェールズ語)
    又は「helios」(ギリシア語)に由来しています。
    また「Friar's Heel」という修道僧のかかと」という呼び名も知られてます。
    ただし「Friar's Heelとよく似た発音の「ffriw yr haul」(フリゥー・アル・ハイル)が、古いウェールズ語で「太陽の出現」を意味します。

  • 矢印の方向を辿った方向の景色です。

    矢印の方向を辿った方向の景色です。

  • Midwinter sunset<br />冬至の日が沈む方向を表しているようです。<br />つまりこの反対方向は夏至の日の出の方向です。<br />

    Midwinter sunset
    冬至の日が沈む方向を表しているようです。
    つまりこの反対方向は夏至の日の出の方向です。

  • この写真の右の手前あたりにある倒れた石が、Slaughter Stone(スローター・ストーン)(虐殺石)<br /><br />スローターストーンは、くぼみに溜まった雨水が岩石内の鉄分に反応して赤い錆色になったようです。<br />このため生贄の儀式の証として呼ばれるようになりました。<br />なんだか恐ろしい名前です。<br />そして現実に生贄の儀式は行われたはずです。

    この写真の右の手前あたりにある倒れた石が、Slaughter Stone(スローター・ストーン)(虐殺石)

    スローターストーンは、くぼみに溜まった雨水が岩石内の鉄分に反応して赤い錆色になったようです。
    このため生贄の儀式の証として呼ばれるようになりました。
    なんだか恐ろしい名前です。
    そして現実に生贄の儀式は行われたはずです。

  • ズームしてみました。<br />中央の石の上の突出物は、Tenon(ほぞ)のようです。<br />このように、ほぞやほぞ穴もあります。<br />高い建築技術をもっていたことがわかります。

    ズームしてみました。
    中央の石の上の突出物は、Tenon(ほぞ)のようです。
    このように、ほぞやほぞ穴もあります。
    高い建築技術をもっていたことがわかります。

  • この石の中にはウェールズ産のものもあります。<br />研究者たちは遺骨の持ち主にウェールズの人々が含まれると考えています。

    この石の中にはウェールズ産のものもあります。
    研究者たちは遺骨の持ち主にウェールズの人々が含まれると考えています。

  • 新石器時代から青銅器時代まで何回も作りなおされた結果、環状列石が四重に残ってます。<br />北方約30kmのエーブベリーにも同様の環状列石遺跡があり,その周辺には墓地や祭祀場などの古代遺跡が散在しています。<br />太陽崇拝と関係する祭祀遺跡なのか、古代天文台なのか、お墓なのか・・・まだまだ謎です。

    新石器時代から青銅器時代まで何回も作りなおされた結果、環状列石が四重に残ってます。
    北方約30kmのエーブベリーにも同様の環状列石遺跡があり,その周辺には墓地や祭祀場などの古代遺跡が散在しています。
    太陽崇拝と関係する祭祀遺跡なのか、古代天文台なのか、お墓なのか・・・まだまだ謎です。

  • Station stone(ステーション石)<br />手前に見える石<br />これは今は2つだけになりましたが、当初は4つありました。<br />

    イチオシ

    Station stone(ステーション石)
    手前に見える石
    これは今は2つだけになりましたが、当初は4つありました。

  • かつてステーション石のあった場所は、少し盛り上がった丘(お墓のない)になってます。<br />このステーション石を結ぶと長方形になります。<br />そしてその対角線をひくと、中心はストーンヘンジの中心になります。<br />

    かつてステーション石のあった場所は、少し盛り上がった丘(お墓のない)になってます。
    このステーション石を結ぶと長方形になります。
    そしてその対角線をひくと、中心はストーンヘンジの中心になります。

  • こんな感じです。<br />ステーション石はこの長方形の四隅にあります。<br />しかも短辺が5、長辺が12の長方形を形成するように配置されてます。<br />これを元にオーブリー穴の直径を結ぶと13になります。<br />1単位が8MYなので、104MY(13×8)つまり86mということになります。<br /><br />* MYとは、megalithic yard(メガリシック・ヤード)です。<br /><br />それにしても凄いです。<br />なんだかピタゴラスの定理のようなものが活用されていたのでしょうか・・・。<br />ユークリッド原論の第1巻命題47・・・。<br />(ユークリッドはエジプトのアレクサンドリアの数学者です。)

    こんな感じです。
    ステーション石はこの長方形の四隅にあります。
    しかも短辺が5、長辺が12の長方形を形成するように配置されてます。
    これを元にオーブリー穴の直径を結ぶと13になります。
    1単位が8MYなので、104MY(13×8)つまり86mということになります。

    * MYとは、megalithic yard(メガリシック・ヤード)です。

    それにしても凄いです。
    なんだかピタゴラスの定理のようなものが活用されていたのでしょうか・・・。
    ユークリッド原論の第1巻命題47・・・。
    (ユークリッドはエジプトのアレクサンドリアの数学者です。)

  • 見る角度によって全然違います。<br />特に現在はきちんとしたサークル状に残っていないので。

    見る角度によって全然違います。
    特に現在はきちんとしたサークル状に残っていないので。

  • ステーション石だったでしょうか・・。<br />たぶんヘンジの方向ではなく、外側に向かって写したものかと思います。<br />周囲はこのように平原です。<br />ただのんびりするだけでも気持ち良さそうです。<br />天気さえ良ければ・・・・。<br />イギリスではお天気のことは期待しませんでしたが、やっぱり残念です。

    ステーション石だったでしょうか・・。
    たぶんヘンジの方向ではなく、外側に向かって写したものかと思います。
    周囲はこのように平原です。
    ただのんびりするだけでも気持ち良さそうです。
    天気さえ良ければ・・・・。
    イギリスではお天気のことは期待しませんでしたが、やっぱり残念です。

  • このストーンヘンジでは、Druid(ドルイド)が冬至の日に儀式を行なっています。<br />ではこのドルイドについて・・・・<br /><br />ガリア・ブリタニアに定着したケルト人社会の祭司のような役割を果たしました。<br />ドルイドは神官のような祭司のような・・・占いや天文の知識、聖樹崇拝を重視し、霊魂不滅、輪廻(りんね)の教義を説きました。

    このストーンヘンジでは、Druid(ドルイド)が冬至の日に儀式を行なっています。
    ではこのドルイドについて・・・・

    ガリア・ブリタニアに定着したケルト人社会の祭司のような役割を果たしました。
    ドルイドは神官のような祭司のような・・・占いや天文の知識、聖樹崇拝を重視し、霊魂不滅、輪廻(りんね)の教義を説きました。

  • 人身御供・・・・・<br />・人間を生贄にするとき、背中から剣で突き刺して、死に至るまでの苦しみを見て未来を占うのを常としました。<br />・弓で射殺す<br />・神殿で串刺し<br />・藁と木で巨大な像を作り、その中に牛や様々な種類の野生動物と一緒に人間を投げ込み、丸ごと火あぶり<br />(ストラボン、第4巻4.・5)<br />・木の枝で四肢を編んだ大きい人形を作り、そこに生きた人間を詰め込み火あぶりにする<br />(窃盗や強盗やその他の犯罪で捕まった者をこのように処刑した方が神々は喜ぶと信じてました。ただそのような犯罪者がいないと、罪のない人たちまで処刑しました。)<br />(「ガリア戦記」第6巻・カエサル)<br /><br />今の世から考えればかなり残虐に思えますが、古代では他でも行われました。<br /><br />この人身御供の際には、必ずドルイドが参加しました。<br />ただし生贄の人間に直接手を下すのはドルイドではありませんでした。

    人身御供・・・・・
    ・人間を生贄にするとき、背中から剣で突き刺して、死に至るまでの苦しみを見て未来を占うのを常としました。
    ・弓で射殺す
    ・神殿で串刺し
    ・藁と木で巨大な像を作り、その中に牛や様々な種類の野生動物と一緒に人間を投げ込み、丸ごと火あぶり
    (ストラボン、第4巻4.・5)
    ・木の枝で四肢を編んだ大きい人形を作り、そこに生きた人間を詰め込み火あぶりにする
    (窃盗や強盗やその他の犯罪で捕まった者をこのように処刑した方が神々は喜ぶと信じてました。ただそのような犯罪者がいないと、罪のない人たちまで処刑しました。)
    (「ガリア戦記」第6巻・カエサル)

    今の世から考えればかなり残虐に思えますが、古代では他でも行われました。

    この人身御供の際には、必ずドルイドが参加しました。
    ただし生贄の人間に直接手を下すのはドルイドではありませんでした。

  • ドルイド教は、キリスト教以前に存在したケルト社会の原始宗教です。<br />「自然には神(精霊)が宿っている」と考えられていました。<br />ドルイド(Daru-vid)という名前は・・・。<br />Daruが樫(オーク)<br />vidが知識という意味です。<br />ケルト社会では「樫の知恵を持つ者」と言われています。<br />強靭で大木となる樫は、「森の民=ケルト」の象徴でした。<br /><br />・・・ただdaruは最近では「オーク」ではなく「多く」という意味という説もあるようです。つまりは「多くの知恵を持つ者」ということでしょうか。<br /><br />プリニウスによると、ドルイドは宿り木とその宿主である樫の木を、あらゆる自然物の中でも最も神聖なものとそて取り扱っていました。<br />樫の木は雷神とも同一視されました。<br />その樫の木にも劣らず重要視されたのが、そこに宿る宿り木でした。<br /><br />「ローマ史」Jules Michelet(ジュール・ミシュレ)によると・・・・・<br /><br />・・・ドルイドは宿り木が神の手によって樫(オーク)の木に植えられたと信じ、自分たちの聖なる樫の木と常緑の宿り木との結びつきを、不滅の教義の体現とみました。<br />宿り木は冬の開花期に摘み取られます。この時期の宿り木は一段と目立ちます。<br />長い緑の小枝や葉や黄色い房になった花が裸の樫の木に巻き付いて、不毛な自然の中で唯一生命のイメージを与えます。<br />宿り木は月齢6日目に切らなければなりません。白衣を着たドルイドが黄金の鎌を持って、木に登り宿り木を切ります。<br />他の人が木の下で厚い布地を広げてそれを受けます。<br />宿り木が地面に触れてはいけません。<br />そして2頭の角を結ばれた白い雄牛が生贄として捧げられました・・・。

    ドルイド教は、キリスト教以前に存在したケルト社会の原始宗教です。
    「自然には神(精霊)が宿っている」と考えられていました。
    ドルイド(Daru-vid)という名前は・・・。
    Daruが樫(オーク)
    vidが知識という意味です。
    ケルト社会では「樫の知恵を持つ者」と言われています。
    強靭で大木となる樫は、「森の民=ケルト」の象徴でした。

    ・・・ただdaruは最近では「オーク」ではなく「多く」という意味という説もあるようです。つまりは「多くの知恵を持つ者」ということでしょうか。

    プリニウスによると、ドルイドは宿り木とその宿主である樫の木を、あらゆる自然物の中でも最も神聖なものとそて取り扱っていました。
    樫の木は雷神とも同一視されました。
    その樫の木にも劣らず重要視されたのが、そこに宿る宿り木でした。

    「ローマ史」Jules Michelet(ジュール・ミシュレ)によると・・・・・

    ・・・ドルイドは宿り木が神の手によって樫(オーク)の木に植えられたと信じ、自分たちの聖なる樫の木と常緑の宿り木との結びつきを、不滅の教義の体現とみました。
    宿り木は冬の開花期に摘み取られます。この時期の宿り木は一段と目立ちます。
    長い緑の小枝や葉や黄色い房になった花が裸の樫の木に巻き付いて、不毛な自然の中で唯一生命のイメージを与えます。
    宿り木は月齢6日目に切らなければなりません。白衣を着たドルイドが黄金の鎌を持って、木に登り宿り木を切ります。
    他の人が木の下で厚い布地を広げてそれを受けます。
    宿り木が地面に触れてはいけません。
    そして2頭の角を結ばれた白い雄牛が生贄として捧げられました・・・。

  • ドルイドになるためには、修行をしなければなりませんでした。<br />時には20年も修行した場合もあります。<br />どのような修行を行ったのかというと、哲学(神学も)、自然哲学、天文学、数学、歴史学、地理学、医学、法律学、詩学、演説法・・・などです。<br />つまりドルイドは、社会的には高い地位にあって、公的な役割を果たしてました。<br />そして先ほども記述しましたが、ケルト人たちが生贄の儀式を執り行う際に、常にドルイドが同席することが決まっていたのです。

    ドルイドになるためには、修行をしなければなりませんでした。
    時には20年も修行した場合もあります。
    どのような修行を行ったのかというと、哲学(神学も)、自然哲学、天文学、数学、歴史学、地理学、医学、法律学、詩学、演説法・・・などです。
    つまりドルイドは、社会的には高い地位にあって、公的な役割を果たしてました。
    そして先ほども記述しましたが、ケルト人たちが生贄の儀式を執り行う際に、常にドルイドが同席することが決まっていたのです。

  • 修行をしたのは人里離れた場所でした。洞窟や森の中などです。<br />教義の伝授は全て口伝で行われました。<br />そんなわけで文字として残っていません。

    修行をしたのは人里離れた場所でした。洞窟や森の中などです。
    教義の伝授は全て口伝で行われました。
    そんなわけで文字として残っていません。

  • 語り部(フィーレや バード)」を経てから修行へ入るという説もあるようです。<br />文字として残さないケルト人にとっては、口伝えでの口誦伝承は重要な記録を残す手段した。<br />宗教の教典や法律の規則、戦争などの記録、家系図など部族の歴史は語り部の暗唱によって保持していました。<br />文字を残さないというのは、大変なことです。<br />膨大な情報を記憶しておかなければなりません。<br />記録した方がむしろ楽なように思います。<br /><br />これについてはカエサルの「ガリア戦記」の第6巻第14節に面白いことが書かれています。<br />・・・・ドゥルイデスは一般に戦争と縁のない生涯を送ることになっている。そして税も他の人のように納めていない。兵役義務の免除など、いっさいの義務から解放されている。こうした素晴らしい特権に魅せられ、多くの若者、自発的にあるいは両親や親戚に送られて、学校にやってくる。そこで修行者らは、膨大な教義の詩句を暗唱すると言われている。それで中には20年間も学校に居残るものがいる。彼らは教義を文字に書き留めることは、宗規で禁じられていると考えている。(もっともこれ以外の場合には、大抵どんな目的にも、たとえば公私の記録のようなものには、ギリシア文字を使う)・・・・<br /><br />えっ?<br />ギリシア文字?<br />これはちょっと初耳です。<br />カエサル曰はく、こうなったのには2つの理由があると考えているそうです。<br />① ドゥルイデスの教義が広く世間に知れ渡ることを欲しなかったため。<br />② 修行者が文字に頼って、それだけ記憶に集中しなくなることを恐れたため。<br /><br />事実、文字に依存して暗唱や記憶を怠るという例はよく見られたそうです。

    語り部(フィーレや バード)」を経てから修行へ入るという説もあるようです。
    文字として残さないケルト人にとっては、口伝えでの口誦伝承は重要な記録を残す手段した。
    宗教の教典や法律の規則、戦争などの記録、家系図など部族の歴史は語り部の暗唱によって保持していました。
    文字を残さないというのは、大変なことです。
    膨大な情報を記憶しておかなければなりません。
    記録した方がむしろ楽なように思います。

    これについてはカエサルの「ガリア戦記」の第6巻第14節に面白いことが書かれています。
    ・・・・ドゥルイデスは一般に戦争と縁のない生涯を送ることになっている。そして税も他の人のように納めていない。兵役義務の免除など、いっさいの義務から解放されている。こうした素晴らしい特権に魅せられ、多くの若者、自発的にあるいは両親や親戚に送られて、学校にやってくる。そこで修行者らは、膨大な教義の詩句を暗唱すると言われている。それで中には20年間も学校に居残るものがいる。彼らは教義を文字に書き留めることは、宗規で禁じられていると考えている。(もっともこれ以外の場合には、大抵どんな目的にも、たとえば公私の記録のようなものには、ギリシア文字を使う)・・・・

    えっ?
    ギリシア文字?
    これはちょっと初耳です。
    カエサル曰はく、こうなったのには2つの理由があると考えているそうです。
    ① ドゥルイデスの教義が広く世間に知れ渡ることを欲しなかったため。
    ② 修行者が文字に頼って、それだけ記憶に集中しなくなることを恐れたため。

    事実、文字に依存して暗唱や記憶を怠るという例はよく見られたそうです。

  • ストーンヘンジと関連する記念建造物群<br />Stonehenge<br />Stonehenge Cursus<br />Durrington Walls<br />Woodhenge<br />Coneybury Henge<br />King Barrow Ridge<br />Winterbourne Stoke Barrow Group<br />Normanton Down Barrow Group<br />Vespasian&#39;s Camp<br />Robin Hood&#39;s Ball(これだけは登録されてませんが、すぐ北にある関連遺跡です)<br /><br />エーヴベリーと関連する記念建造物群<br />Avebury<br />Kennet Avenue<br />Beckhampton Avenue<br />West Kennet Long Barrow<br />The Sanctuary<br />Silbury Hill<br />Windmill Hill, Avebury

    ストーンヘンジと関連する記念建造物群
    Stonehenge
    Stonehenge Cursus
    Durrington Walls
    Woodhenge
    Coneybury Henge
    King Barrow Ridge
    Winterbourne Stoke Barrow Group
    Normanton Down Barrow Group
    Vespasian's Camp
    Robin Hood's Ball(これだけは登録されてませんが、すぐ北にある関連遺跡です)

    エーヴベリーと関連する記念建造物群
    Avebury
    Kennet Avenue
    Beckhampton Avenue
    West Kennet Long Barrow
    The Sanctuary
    Silbury Hill
    Windmill Hill, Avebury

  • この環状の左後方に塚があります。<br />中には長塚であったり、鉢型だったり、ベル型だったり円盤型の物もあります。<br />これらの塚の多くは墓室を備えてました。<br />火葬された人骨が見つかったこともありました。<br />また傍らには遺物が納められていて、ウェセックス文化の生活様式がわかります。<br /><br />また人骨は胎児の姿勢をとっているものがほとんどで、これについては母なる大地からの再生を暗示しているようです。<br />このような巨石文明では、墓室が冬至の日の出、もしくは日の入り方向に沿って並んでいることが多いようです。<br />なぜなら冬至を「太陽の死」とみなしていました。<br /><br />発掘調査では射手のものと思われる人骨も発掘されました。<br />脊椎に矢尻が打ち込まれた状態のものがありました。つまりは儀式などにおける生贄なのかもしれません。また処刑されたものかもしれません。そしてひょっとしたら殺されたのかもしれません。

    この環状の左後方に塚があります。
    中には長塚であったり、鉢型だったり、ベル型だったり円盤型の物もあります。
    これらの塚の多くは墓室を備えてました。
    火葬された人骨が見つかったこともありました。
    また傍らには遺物が納められていて、ウェセックス文化の生活様式がわかります。

    また人骨は胎児の姿勢をとっているものがほとんどで、これについては母なる大地からの再生を暗示しているようです。
    このような巨石文明では、墓室が冬至の日の出、もしくは日の入り方向に沿って並んでいることが多いようです。
    なぜなら冬至を「太陽の死」とみなしていました。

    発掘調査では射手のものと思われる人骨も発掘されました。
    脊椎に矢尻が打ち込まれた状態のものがありました。つまりは儀式などにおける生贄なのかもしれません。また処刑されたものかもしれません。そしてひょっとしたら殺されたのかもしれません。

  • ドルイドについて説明しましたが、ケルトについて・・・<br />特に初期のケルト人の宗教観念についてですが、ケルトの人々は祖霊崇拝や精霊崇拝から成り立っていました。<br />これはほかの多くの原始社会においても同様ですが。<br />つまり自然は神そのものでした。<br />「海」であり「潮騒」であり「太陽」「植物」「動物」「石」までも。<br />特に「森」「河川」「沼」「泉」などは重要な聖域でした。<br />そして偉大なる自然に対して生贄や供物を捧げることで、神に敬意を表しました。<br />自分たちに恩恵をもたらしてもらうよう、また神の怒りが起きないように心から願いました。<br /><br />また天国と地獄の概念はあまりなかったようです。<br />なぜなら死後は別の人間に生まれ変わると信じていたからです。<br />だから死者が住んでいる「異界」と「現生」の区別も曖昧だったようです。<br />つまり死に対する恐怖が薄かったこともあり、勇猛果敢に戦いました。<br />これは、ローマ人にとっては驚異でした。<br />長期にわたって蓄積された経験や戦術をもっているローマ人にとって、ケルト人特有の戦い方の裏には、このような宗教思想があったと思えたようです。<br />ローマ人であるティトゥス(カエサルより100年以上後の為政者)は、ローマの兵士たちに同じような考えを植え付けようとしました。<br /><br />「勇敢な兵士なら、誰でも知っているように、霊魂は戦場で剣によって肉体から解放されると、エーテル圏の中で最も純粋な部分に住み、星辰の間に座を占める。そして善なる守護者として、また慈悲深い英雄として子供たちに明らさまに姿を現すのだ。」と。<br />(「ユダヤ戦記」第6巻第5章第47節)<br /><br />またケルトの人々は文字を持たなかったため、古代ギリシアやローマの文献などから、ケルトを知ることになりますが、つまりは古代ギリシア・ローマの視点からの見方になってるかもしれません。

    ドルイドについて説明しましたが、ケルトについて・・・
    特に初期のケルト人の宗教観念についてですが、ケルトの人々は祖霊崇拝や精霊崇拝から成り立っていました。
    これはほかの多くの原始社会においても同様ですが。
    つまり自然は神そのものでした。
    「海」であり「潮騒」であり「太陽」「植物」「動物」「石」までも。
    特に「森」「河川」「沼」「泉」などは重要な聖域でした。
    そして偉大なる自然に対して生贄や供物を捧げることで、神に敬意を表しました。
    自分たちに恩恵をもたらしてもらうよう、また神の怒りが起きないように心から願いました。

    また天国と地獄の概念はあまりなかったようです。
    なぜなら死後は別の人間に生まれ変わると信じていたからです。
    だから死者が住んでいる「異界」と「現生」の区別も曖昧だったようです。
    つまり死に対する恐怖が薄かったこともあり、勇猛果敢に戦いました。
    これは、ローマ人にとっては驚異でした。
    長期にわたって蓄積された経験や戦術をもっているローマ人にとって、ケルト人特有の戦い方の裏には、このような宗教思想があったと思えたようです。
    ローマ人であるティトゥス(カエサルより100年以上後の為政者)は、ローマの兵士たちに同じような考えを植え付けようとしました。

    「勇敢な兵士なら、誰でも知っているように、霊魂は戦場で剣によって肉体から解放されると、エーテル圏の中で最も純粋な部分に住み、星辰の間に座を占める。そして善なる守護者として、また慈悲深い英雄として子供たちに明らさまに姿を現すのだ。」と。
    (「ユダヤ戦記」第6巻第5章第47節)

    またケルトの人々は文字を持たなかったため、古代ギリシアやローマの文献などから、ケルトを知ることになりますが、つまりは古代ギリシア・ローマの視点からの見方になってるかもしれません。

  • さて異界と現生(この世)についてですが・・・。<br />それはどこかに何らかの通路のようなものがあり、場所と時間によって、その通路が開かれて往来が可能になります。<br />死者の霊や悪魔や魔物や変身した者がこの世にやって来たり、あるいはその反対に「異界」に出かけていくことが信じられていました。<br />この「異界」は海の上や下、島、地面の下、洞窟の奥、井戸の底、泉、沼、湖などの下、山の上、丘の頂上、林や森の奥、渓谷、暗い場所、奥まった場所、危険な場所・・・・などです。<br />ちょっとぞくぞくします。

    さて異界と現生(この世)についてですが・・・。
    それはどこかに何らかの通路のようなものがあり、場所と時間によって、その通路が開かれて往来が可能になります。
    死者の霊や悪魔や魔物や変身した者がこの世にやって来たり、あるいはその反対に「異界」に出かけていくことが信じられていました。
    この「異界」は海の上や下、島、地面の下、洞窟の奥、井戸の底、泉、沼、湖などの下、山の上、丘の頂上、林や森の奥、渓谷、暗い場所、奥まった場所、危険な場所・・・・などです。
    ちょっとぞくぞくします。

  • 日本版案内です。<br /><br />A  ストーンヘンジアヴェニュー<br />B  至点の整合をさす矢印<br />C ヒールストーン<br />D ストーン・ホール・マーカー<br />E スローターストーン<br />F ステーションストーン<br />G ステーション・ストーン・マーカー<br />H サーセン石<br />I ブルーストーン<br />J サーセン三石塔の馬蹄<br />K オーブリーホール・マーカー<br />L 土手と溝

    日本版案内です。

    A ストーンヘンジアヴェニュー
    B 至点の整合をさす矢印
    C ヒールストーン
    D ストーン・ホール・マーカー
    E スローターストーン
    F ステーションストーン
    G ステーション・ストーン・マーカー
    H サーセン石
    I ブルーストーン
    J サーセン三石塔の馬蹄
    K オーブリーホール・マーカー
    L 土手と溝

  • 説明用です。

    説明用です。

  • 左上から<br />Trilithon(トリリトン(三石塔)<br />Tenon(ほぞ)<br />Sarsen horseshoe(サーセン馬蹄形)<br />Sarsen circle(サーセンサークル(環))<br />下の左から<br />Solstice axis(至軸)<br />Bluestones(ブルーストーン)

    左上から
    Trilithon(トリリトン(三石塔)
    Tenon(ほぞ)
    Sarsen horseshoe(サーセン馬蹄形)
    Sarsen circle(サーセンサークル(環))
    下の左から
    Solstice axis(至軸)
    Bluestones(ブルーストーン)

  • 今では元の姿からだいぶ変わってしまいましたが、<br />紀元前2600年頃にSarsen circle(サーセンサークル)が建てられました。<br />サーセン石で造られたlintel(リンテル(まぐさ石))が、水平な円を描いて5つのTrilithon(トリリトン)を囲んでいました。残念ながら今は3つですが。<br />トリリトンの高さは均一ではなく、5.2-7.6mでした。

    今では元の姿からだいぶ変わってしまいましたが、
    紀元前2600年頃にSarsen circle(サーセンサークル)が建てられました。
    サーセン石で造られたlintel(リンテル(まぐさ石))が、水平な円を描いて5つのTrilithon(トリリトン)を囲んでいました。残念ながら今は3つですが。
    トリリトンの高さは均一ではなく、5.2-7.6mでした。

  • Trilithon(トリリトン)(三石塔)<br />この名前はギリシャ語にちなんだ名前で、3つの石を意味してます。<br />つまりは、2本の直立している石と、その上に横たわっているまぐさ石です。<br /><br />実はこのトリリトンの柱石には、いちょうの葉のような形の斧が印刻されていたそうです。斧と剣が交差して十字のようになっていたようです。<br />これは紀元前2500年頃の純銅のようです。(青銅時代でも初期のころは銅と錫を混ぜた合金の青銅を使いこなす技術はなかったそうです。)

    Trilithon(トリリトン)(三石塔)
    この名前はギリシャ語にちなんだ名前で、3つの石を意味してます。
    つまりは、2本の直立している石と、その上に横たわっているまぐさ石です。

    実はこのトリリトンの柱石には、いちょうの葉のような形の斧が印刻されていたそうです。斧と剣が交差して十字のようになっていたようです。
    これは紀元前2500年頃の純銅のようです。(青銅時代でも初期のころは銅と錫を混ぜた合金の青銅を使いこなす技術はなかったそうです。)

  • Sarsen circle(サーセン・サークル)<br />曲線を描く30個のリンテル(まぐさ石)からなるサークル(円環)は、サーセン石でできた30本の直立した石の上に、水平になるように作られました。<br />地上から4.6mの所に30個のリンテル(まぐさ石)を渡して、一つの円を作っています。<br />これは入念に仕上げられていています。<br />サーセンサークルの直径が、30.7m<br />トリリトンの馬蹄形は幅が12m、奥行が21mになっています。

    Sarsen circle(サーセン・サークル)
    曲線を描く30個のリンテル(まぐさ石)からなるサークル(円環)は、サーセン石でできた30本の直立した石の上に、水平になるように作られました。
    地上から4.6mの所に30個のリンテル(まぐさ石)を渡して、一つの円を作っています。
    これは入念に仕上げられていています。
    サーセンサークルの直径が、30.7m
    トリリトンの馬蹄形は幅が12m、奥行が21mになっています。

  • そしてサーセン石の石そのものについては、ストーンヘンジから27kmも離れたファイフィールド・ダウンから運搬されました。<br />50tもあるものをいったいどうやって運搬したのでしょう。<br />(この後そのレプリカのようなものが展示されてました)

    そしてサーセン石の石そのものについては、ストーンヘンジから27kmも離れたファイフィールド・ダウンから運搬されました。
    50tもあるものをいったいどうやって運搬したのでしょう。
    (この後そのレプリカのようなものが展示されてました)

  • Bluestones(ブルーストーン)は、ウェールズのプレセリー山地から運搬されました。

    Bluestones(ブルーストーン)は、ウェールズのプレセリー山地から運搬されました。

  • ところでケルト神話の中にはあのアーサー王伝説もあります。<br /><br />まずはアーサーの語源ですが、ウェールズ語の「熊art / arth」と考えられてます。<br />熊はケルト人にとって聖なる生き物です。<br />なぜなら熊はケルトの神や英雄が好んで飲んだミード(蜂蜜酒)の原料の蜂蜜を集めるからです。<br />ところでギリシア神話の狩猟の神のアルテミスの名前も熊と関係があるそうです。<br />そんなわけでウェールズにはアーサーをアルテミスの息子とする伝説もあるのです。大熊座と小熊座をアーサーの乗騎と呼ぶことがあります。

    ところでケルト神話の中にはあのアーサー王伝説もあります。

    まずはアーサーの語源ですが、ウェールズ語の「熊art / arth」と考えられてます。
    熊はケルト人にとって聖なる生き物です。
    なぜなら熊はケルトの神や英雄が好んで飲んだミード(蜂蜜酒)の原料の蜂蜜を集めるからです。
    ところでギリシア神話の狩猟の神のアルテミスの名前も熊と関係があるそうです。
    そんなわけでウェールズにはアーサーをアルテミスの息子とする伝説もあるのです。大熊座と小熊座をアーサーの乗騎と呼ぶことがあります。

  • 皆さんもご存知の「アーサー王と円卓の騎士」は15世紀の後半にトマス・マロリーによって「アーサー王の死」でまとめられました。<br />ただ土台になった「ブリタニア列王史」やウェールズ伝説には、岩に刺さったエクスカリバーはでてきません。そればかりか円卓の騎士も聖杯伝説もありません。<br /><br />ただ聖杯探索の原型のようなものはあるようです。<br />円卓の騎士も一部執事や侍従や甥のプワルツフマイ(ガヴェイン)などはいたようです。

    イチオシ

    皆さんもご存知の「アーサー王と円卓の騎士」は15世紀の後半にトマス・マロリーによって「アーサー王の死」でまとめられました。
    ただ土台になった「ブリタニア列王史」やウェールズ伝説には、岩に刺さったエクスカリバーはでてきません。そればかりか円卓の騎士も聖杯伝説もありません。

    ただ聖杯探索の原型のようなものはあるようです。
    円卓の騎士も一部執事や侍従や甥のプワルツフマイ(ガヴェイン)などはいたようです。

  • それからケルト神話にモン・サンミッシェルも登場します。<br /><br />ローマ軍との戦いのためにアルモリカ(ブルターニュの古名)へと向かう船の上で、アーサーは西から飛来した竜が炎の息で空飛ぶ熊を焼き殺すという夢をみました。ただ側近たちは竜はアーサー自身であり熊は彼の戦う巨人か何かと解釈をしました。

    それからケルト神話にモン・サンミッシェルも登場します。

    ローマ軍との戦いのためにアルモリカ(ブルターニュの古名)へと向かう船の上で、アーサーは西から飛来した竜が炎の息で空飛ぶ熊を焼き殺すという夢をみました。ただ側近たちは竜はアーサー自身であり熊は彼の戦う巨人か何かと解釈をしました。

  • ケルトでは、古代から渦は偉大なる母の子宮の象徴と考えられてました。<br />生まれてくるという意味と引き込まれて死ぬという2つの意味を併せ持ってます。渦の文様が掘られてます。<br />ぐるぐる回るのは、ケルト模様であり輪廻転生を表してます。<br />ケルトにとっては神聖な模様です。<br /><br />さて次にley line(レイライン)について<br />日本の縄文土偶の女神に渦が描かれているものが多く、また世界でも守護神には渦<br />19世紀イギリスに生まれたビジネスマンでアマチュア考古学のアルフレッド・ワトキンス1855-1935年が提唱したといわれてます。<br />太古からの遺跡や塚、聖地と言われる場所が一直線に並んでいることに気づき、その直線をレイラインと名付けました。<br />レイの語源はその多くにl-ay  -ley  -lee  -lea などの語尾がついてたからとのこと。<br />The old straight track という書物を著しました。<br />ここもそうですが、一緒に世界遺産になっているエイブベリーのサークルはもっと強力な磁場を感じられるようです。<br />聖地を結ぶラインですが、 一種の龍脈であり気脈もあります。<br />

    ケルトでは、古代から渦は偉大なる母の子宮の象徴と考えられてました。
    生まれてくるという意味と引き込まれて死ぬという2つの意味を併せ持ってます。渦の文様が掘られてます。
    ぐるぐる回るのは、ケルト模様であり輪廻転生を表してます。
    ケルトにとっては神聖な模様です。

    さて次にley line(レイライン)について
    日本の縄文土偶の女神に渦が描かれているものが多く、また世界でも守護神には渦
    19世紀イギリスに生まれたビジネスマンでアマチュア考古学のアルフレッド・ワトキンス1855-1935年が提唱したといわれてます。
    太古からの遺跡や塚、聖地と言われる場所が一直線に並んでいることに気づき、その直線をレイラインと名付けました。
    レイの語源はその多くにl-ay -ley -lee -lea などの語尾がついてたからとのこと。
    The old straight track という書物を著しました。
    ここもそうですが、一緒に世界遺産になっているエイブベリーのサークルはもっと強力な磁場を感じられるようです。
    聖地を結ぶラインですが、 一種の龍脈であり気脈もあります。

  • これで最初の地点にもどってきました。<br />ちょっと名残惜しいです。<br /><br />それからちょっと面白い話が合って、1917年のこと、このあたりを低空飛行するにとって、このストーンヘンジは飛行の障害になるため、撤去を求められていたこともあったのです。<br />今、こうして見学できているのは、撤去されずに済んだからです。ホッ!<br />ただし現在でも倒れてしまった石が多いのですが、その割には元の石の数よりは少ないのがわかると思います。<br />それは倒壊してしまった石などが、いつの間にか消えてしまってました。昔のことだと仕方がありませんが・・・。<br />つまりせっかく頑張って運搬され、加工された石が切り刻まれて、どこか知らない所で別の形になっているのです。(-_-;)

    これで最初の地点にもどってきました。
    ちょっと名残惜しいです。

    それからちょっと面白い話が合って、1917年のこと、このあたりを低空飛行するにとって、このストーンヘンジは飛行の障害になるため、撤去を求められていたこともあったのです。
    今、こうして見学できているのは、撤去されずに済んだからです。ホッ!
    ただし現在でも倒れてしまった石が多いのですが、その割には元の石の数よりは少ないのがわかると思います。
    それは倒壊してしまった石などが、いつの間にか消えてしまってました。昔のことだと仕方がありませんが・・・。
    つまりせっかく頑張って運搬され、加工された石が切り刻まれて、どこか知らない所で別の形になっているのです。(-_-;)

  • これは帰りに撮りました。<br />カラスがいっぱいいます。

    これは帰りに撮りました。
    カラスがいっぱいいます。

  • さてこちらはビジターセンター内にあるミュージアムです。

    さてこちらはビジターセンター内にあるミュージアムです。

  • Durrington(デュリントン)の個性的な矢じりは、さまざまなレベルの技術で作られました。<br />熟練した職人だけが、彼らの美しい波紋の表面で最高の物をを生み出すことができました。

    Durrington(デュリントン)の個性的な矢じりは、さまざまなレベルの技術で作られました。
    熟練した職人だけが、彼らの美しい波紋の表面で最高の物をを生み出すことができました。

  • Flint(フリント)燧石<br /><br />

    Flint(フリント)燧石

  • 後期新石器時代の道具<br /><br />ストーンヘンジはイギリスで金属が使われる前に建てられました。<br />したがって、フリントは極めて重要な素材でした。<br />後期新石器時代の人々は、日常生活のためにフリントツールを作るのに長けていました。

    後期新石器時代の道具

    ストーンヘンジはイギリスで金属が使われる前に建てられました。
    したがって、フリントは極めて重要な素材でした。
    後期新石器時代の人々は、日常生活のためにフリントツールを作るのに長けていました。

  • A sacred enclosure(聖なる囲い)<br /><br />5000年前の最初の主要建造物は大きな円形の囲いでした。<br />内部には56個の穴の環があり、それはおそらく直立した柱を持っていました。<br />この56個の穴はオーブリーホールと呼ばれて、竪穴は柱の円陣を作る丸太の柱を立てるためでした。<br />名前は17世紀の古美術商ジョン・オーブリーに由来してます。<br /><br />この56個の穴を連ねたオーブリーサークルは、28日の月が13か月としてました。<br />つまり1年は364日とする古代の暦です。

    A sacred enclosure(聖なる囲い)

    5000年前の最初の主要建造物は大きな円形の囲いでした。
    内部には56個の穴の環があり、それはおそらく直立した柱を持っていました。
    この56個の穴はオーブリーホールと呼ばれて、竪穴は柱の円陣を作る丸太の柱を立てるためでした。
    名前は17世紀の古美術商ジョン・オーブリーに由来してます。

    この56個の穴を連ねたオーブリーサークルは、28日の月が13か月としてました。
    つまり1年は364日とする古代の暦です。

  • 紀元前2500年頃<br />壮大なストーンサークル<br /><br />約5000年前、巨大な囲いが建てられ、サーセン石が馬蹄型と環状に立たされ、それらの間に小さなブルーストーンが置かれました。<br />石は夏至の日の出と冬至の日没上に並んでいます。

    紀元前2500年頃
    壮大なストーンサークル

    約5000年前、巨大な囲いが建てられ、サーセン石が馬蹄型と環状に立たされ、それらの間に小さなブルーストーンが置かれました。
    石は夏至の日の出と冬至の日没上に並んでいます。

  • 紀元前2200年頃<br />進化する構造<br /><br />石が建てられた直後に、入り口に通じる土塁工事が行われました。<br />この頃、ブルーストーンは再配置されました。

    紀元前2200年頃
    進化する構造

    石が建てられた直後に、入り口に通じる土塁工事が行われました。
    この頃、ブルーストーンは再配置されました。

  • 現在<br />廃墟となった神殿<br /><br />私たちが今日見ているストーンヘンジは、4、000年の破壊と崩壊の後の、いくつかの建設の結果です。

    現在
    廃墟となった神殿

    私たちが今日見ているストーンヘンジは、4、000年の破壊と崩壊の後の、いくつかの建設の結果です。

  • この地域のストーンヘンジ以前はどうだったのでしょう。<br />紀元前3700-3000年<br /><br />穀物と家畜は新石器時代ブリテン南部に最初に導入されました。<br />石が建てられる1500年前のことです。<br />この地域の初期の農民は墓の塚や他のもっと神秘的な記念碑などを建てました。<br />円形の溝付きの(あぜ道として知られる)ものです。

    この地域のストーンヘンジ以前はどうだったのでしょう。
    紀元前3700-3000年

    穀物と家畜は新石器時代ブリテン南部に最初に導入されました。
    石が建てられる1500年前のことです。
    この地域の初期の農民は墓の塚や他のもっと神秘的な記念碑などを建てました。
    円形の溝付きの(あぜ道として知られる)ものです。

  • 人骨などです。

    人骨などです。

  • 拡大しました。

    拡大しました。

  • ストーンヘンジが建てられた後は何が起きましたか?<br /><br />5,500年前 - ストーンヘンジの近くで見つかった彼の骨を法医学的再構成によって確認すると・・・<br />25-40歳で死亡<br />紀元前3630-3360に死亡<br />身長1.72m<br />体重70kg<br />とのことです。

    ストーンヘンジが建てられた後は何が起きましたか?

    5,500年前 - ストーンヘンジの近くで見つかった彼の骨を法医学的再構成によって確認すると・・・
    25-40歳で死亡
    紀元前3630-3360に死亡
    身長1.72m
    体重70kg
    とのことです。

  • 骨のかけらのように見えますが・・・。

    骨のかけらのように見えますが・・・。

  • 初期の陶器<br />イギリスで最初の陶器は新石器時代初期に作られました。<br />最も早期のタイプはいたってシンプルな陶器の質素な鉢(ボウル)でした。

    初期の陶器
    イギリスで最初の陶器は新石器時代初期に作られました。
    最も早期のタイプはいたってシンプルな陶器の質素な鉢(ボウル)でした。

  • 大釜は、高レベルの金属加の技術を示しています。<br />それらは一緒にリベットで留められた青銅の槌で打たれたシートから作られました。

    大釜は、高レベルの金属加の技術を示しています。
    それらは一緒にリベットで留められた青銅の槌で打たれたシートから作られました。

  • Wild Aurochs skull (野生のオーロックスの頭蓋骨)<br /><br />オーロックスとはウシ科ウシ属の牛の一種です。<br />家畜牛の祖先のようですが、残念ながら絶滅しました。

    Wild Aurochs skull (野生のオーロックスの頭蓋骨)

    オーロックスとはウシ科ウシ属の牛の一種です。
    家畜牛の祖先のようですが、残念ながら絶滅しました。

  • オーブリーホールには木のような物ががサークル状に立っていたのでしょうか・・・。(最近石かもしれないという説もあるようですが。)

    オーブリーホールには木のような物ががサークル状に立っていたのでしょうか・・・。(最近石かもしれないという説もあるようですが。)

  • 当時はこのようになっていたのでしょうか・・・。

    当時はこのようになっていたのでしょうか・・・。

  • 何十トンという巨石は30kmも離れた、マールバラ・タウンズから運ばれてきたと考えられています。<br />おそらくこのようにして運搬されたのでしょう。<br />先日テレビでアイルランドの巨石文明のニューグレンジや最も古いキャロウモアを取り上げてましたが、その時もこれと同様のものが出てきました。<br />ボイン川から1km陸路を運ぶために使われたと放映されてました。

    何十トンという巨石は30kmも離れた、マールバラ・タウンズから運ばれてきたと考えられています。
    おそらくこのようにして運搬されたのでしょう。
    先日テレビでアイルランドの巨石文明のニューグレンジや最も古いキャロウモアを取り上げてましたが、その時もこれと同様のものが出てきました。
    ボイン川から1km陸路を運ぶために使われたと放映されてました。

  • この石の説明は見ないでしまったのですが(もともとなかったかもしれません)<br />かなりの大きさです。

    この石の説明は見ないでしまったのですが(もともとなかったかもしれません)
    かなりの大きさです。

  • オレンジ:サンドストーン(砂岩)<br />白   :サーセン石<br />黄土色 :倒れたサーセン石<br />青   ・ブルーストーン<br />水色  ・倒れたブルーストーン

    オレンジ:サンドストーン(砂岩)
    白   :サーセン石
    黄土色 :倒れたサーセン石
    青   ・ブルーストーン
    水色  ・倒れたブルーストーン

  • 新石器時代の家<br />茅葺き屋根の建物です。<br />4,500年前の人々の暮らしを想像するために中に入りましょう。<br /><br />フリントナップ、ラッシュからロープを作ります。<br />そして羊飼いとライダーと一緒に穀物を挽くきます。<br />古代の国内スキルを証明するのを見ることができます。

    新石器時代の家
    茅葺き屋根の建物です。
    4,500年前の人々の暮らしを想像するために中に入りましょう。

    フリントナップ、ラッシュからロープを作ります。
    そして羊飼いとライダーと一緒に穀物を挽くきます。
    古代の国内スキルを証明するのを見ることができます。

  • ビジターセンターのすぐ外側に位置する住居は、驚くほど明るく風通しの良い空間で、両側に白いチョークの壁と、日光と火の熱を反射するように設計された床がある1つの部屋で構成されています。<br /><br />*チョークとは、岩石で、未固結の石灰岩のことです。<br />ドーバー海峡周辺で崖をつくる厚い地層のことで、円石藻の化石(炭酸カルシウムのココリス)からできています。この壁がそうかはわかりませんが・・・。<br /><br />寝ているときは、囲炉裏からの煙が茅葺き屋根までフィルターになってます。<br />壁の周りには木製の織物の家具が置かれています。(ベッド、座席、収納、棚など)

    ビジターセンターのすぐ外側に位置する住居は、驚くほど明るく風通しの良い空間で、両側に白いチョークの壁と、日光と火の熱を反射するように設計された床がある1つの部屋で構成されています。

    *チョークとは、岩石で、未固結の石灰岩のことです。
    ドーバー海峡周辺で崖をつくる厚い地層のことで、円石藻の化石(炭酸カルシウムのココリス)からできています。この壁がそうかはわかりませんが・・・。

    寝ているときは、囲炉裏からの煙が茅葺き屋根までフィルターになってます。
    壁の周りには木製の織物の家具が置かれています。(ベッド、座席、収納、棚など)

  • ストーンヘンジを建てて使用した人々は、おそらくこのような家に住んでいたのでしょう。<br />ストーンヘンジから1マイル以上離れたダーリントンの城壁を基にしています。

    ストーンヘンジを建てて使用した人々は、おそらくこのような家に住んでいたのでしょう。
    ストーンヘンジから1マイル以上離れたダーリントンの城壁を基にしています。

  • 萱葺きの屋根です。<br />薄暗そうに見えますが、中に入ってみます。

    萱葺きの屋根です。
    薄暗そうに見えますが、中に入ってみます。

  • 棚でしょうか。

    棚でしょうか。

  • 壁に面した床を写しました。<br />説明がなかったのでわかりません。<br />ここに物を置いたのでしょうか?例えば乾燥させたとか・・・。<br />ちょっとはっきりしません。<br />説明がありませんでしたので。

    壁に面した床を写しました。
    説明がなかったのでわかりません。
    ここに物を置いたのでしょうか?例えば乾燥させたとか・・・。
    ちょっとはっきりしません。
    説明がありませんでしたので。

  • 入口にはドアもあります。

    入口にはドアもあります。

  • 合計で20トンを超えるチョークが5,000本のヘーゼル棒と3トンの麦藁として使用されました。

    合計で20トンを超えるチョークが5,000本のヘーゼル棒と3トンの麦藁として使用されました。

  • ビジターセンターの外観です。<br />モダンでユニークな建物です。<br />ミュージアムの他、カフェやショップもあります。<br />実はここでストーンヘンジの本(ガイドブック)を購入しました。<br />そして旅行記を書くときに参考にしようと思っていたら・・・・・・・・・・・・<br />あれ?<br />どこに行ってしまったんでしょう。<br />おそらく年末の掃除の際に間違って処分してしまったようなのです。<br />全然見てないのに。(悲)<br />£6ではありますが、これを輸送してもらうと送料が£14.99もかかってしまうようでした。<br />トータル£20.99・・・・どうしよう。<br />昔のものならAmazonでも購入できそうですが・・・。

    ビジターセンターの外観です。
    モダンでユニークな建物です。
    ミュージアムの他、カフェやショップもあります。
    実はここでストーンヘンジの本(ガイドブック)を購入しました。
    そして旅行記を書くときに参考にしようと思っていたら・・・・・・・・・・・・
    あれ?
    どこに行ってしまったんでしょう。
    おそらく年末の掃除の際に間違って処分してしまったようなのです。
    全然見てないのに。(悲)
    £6ではありますが、これを輸送してもらうと送料が£14.99もかかってしまうようでした。
    トータル£20.99・・・・どうしよう。
    昔のものならAmazonでも購入できそうですが・・・。

  • 最後に案内をもう一度。

    最後に案内をもう一度。

  • それでは駐車場に戻ります。

    それでは駐車場に戻ります。

  • 4,500年にわたる歴史を持つストーンヘンジには、現代を生きる私たちにとってもさまざまな意味を持ってます。<br />世界の不思議であり、精神的な場所であり、インスピレーションの源にもなります。

    4,500年にわたる歴史を持つストーンヘンジには、現代を生きる私たちにとってもさまざまな意味を持ってます。
    世界の不思議であり、精神的な場所であり、インスピレーションの源にもなります。

  • これは以前エジプトの旅行記に載せたものです。<br />エジプトで実際に見たわけではありませんが・・・・・。<br />しかも場所はイギリスではありません。<br />スーダンの砂漠にありました。<br /><br />6000年から6500年前の古代遺跡です。<br />厳密にはナブタ・プラヤ(NabtaPlaya)というアブ・シンベルから約100km西のサハラ砂漠上に発見されました。<br />アフリカにおける宗教建造物では、現存する中で最古のものです。<br />テキサス州ダラスにあるメソジスト大学の考古学調査隊によって発見されました。<br /><br />「古代エジプト神殿大百科」<br />リチャード・H・ウィルキンソン・・より

    これは以前エジプトの旅行記に載せたものです。
    エジプトで実際に見たわけではありませんが・・・・・。
    しかも場所はイギリスではありません。
    スーダンの砂漠にありました。

    6000年から6500年前の古代遺跡です。
    厳密にはナブタ・プラヤ(NabtaPlaya)というアブ・シンベルから約100km西のサハラ砂漠上に発見されました。
    アフリカにおける宗教建造物では、現存する中で最古のものです。
    テキサス州ダラスにあるメソジスト大学の考古学調査隊によって発見されました。

    「古代エジプト神殿大百科」
    リチャード・H・ウィルキンソン・・より

  • これを観た時、一番先に思い浮かべたのがストーンヘンジでした。<br />どう見ても環状列石です。<br />しかもこれはストーンヘンジよりも数千年先だってます。<br /><br />ナブタ・プラヤの人々は、ストーン・サークル、地下墓所、巨大な石板、列になった石碑など、数々の巨石モニュメント建設しました。<br />これらは2,500kmにかけて広がっています。<br />世界最古の巨石モニュメントの一つでしょう。<br />高さ2.75mもの立石がいくつも立てられてました。<br />天文学的な配列を示してます。<br />夏に降る雨の徴候、砂漠を越える時に道しるべ(空の星の並び)として、先史時代のカレンダーのような役割を果たしていたようです。<br /><br />またおそらく祭儀上の意味も持っているでしょう。<br /><br />これは古代エジプト文明が興る数千年前に立てられたようです。<br /><br />前述しましたが、巨石伝説の中で、元々はアフリカから巨人が運んできたという件が、まさかここなのでは???と思わずに入ってられません。<br />ただ古代の人たちが、ここを知っていたとは思えないのですが・・。<br />謎は深まります。<br />ピラミッド以前というのも凄いことです。<br /><br />まだまだわからないことだらけです。<br />でもそんな謎が好きなのかもしれません。

    これを観た時、一番先に思い浮かべたのがストーンヘンジでした。
    どう見ても環状列石です。
    しかもこれはストーンヘンジよりも数千年先だってます。

    ナブタ・プラヤの人々は、ストーン・サークル、地下墓所、巨大な石板、列になった石碑など、数々の巨石モニュメント建設しました。
    これらは2,500kmにかけて広がっています。
    世界最古の巨石モニュメントの一つでしょう。
    高さ2.75mもの立石がいくつも立てられてました。
    天文学的な配列を示してます。
    夏に降る雨の徴候、砂漠を越える時に道しるべ(空の星の並び)として、先史時代のカレンダーのような役割を果たしていたようです。

    またおそらく祭儀上の意味も持っているでしょう。

    これは古代エジプト文明が興る数千年前に立てられたようです。

    前述しましたが、巨石伝説の中で、元々はアフリカから巨人が運んできたという件が、まさかここなのでは???と思わずに入ってられません。
    ただ古代の人たちが、ここを知っていたとは思えないのですが・・。
    謎は深まります。
    ピラミッド以前というのも凄いことです。

    まだまだわからないことだらけです。
    でもそんな謎が好きなのかもしれません。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • sanaboさん 2019/03/04 01:30:17
    素晴らしい力作ですね☆彡
    noelさん、こんばんは~

    今回のご旅行でnoelさんが一番行きたかったというだけに、
    ストーンヘンジ編は本当に素晴らしい力作で圧巻でした☆彡
    確かにご主人様が仰るようにただの石なれど、されど石ですね( *´艸`)
    noelさんが仰るようにピラミッドだってギリシャ神殿だって石ですものね~。
    ただそれらを形成する歴史を紐解いていくのが面白いのでしょうね。
    ストーンヘンジとは巨大な石の集まりくらいにしか知りませんでしたが
    noelさんの旅行記でとても詳しく知ることができ、大変勉強になりました。
    それにしてもいくらご興味があるとはいえ、noelさんの博士のような
    ストンヘンジの集大成のような解説には脱帽しました!!
    ブリテン島の巨人伝説を初めて知りましたが、なかなか興味深いですね。
    先住民の巨人たちがアフリカからヒルべニア(アイルランド)へ
    運んできた石を、アーサー王伝説に登場する魔法使いのマーリンが
    ソールズベリーの平原に運んできたわけですね。 とても面白~い!
    そのようなことを考えながら目の前の巨石群を眺めるのも楽しいし
    夏至や冬至の日に太陽がぴったりの場所から出て沈むように
    何千年も前の昔に計算されて造られたことには本当に驚きます。
    ピラミッドが東西南北に面しているのと同じで不思議です。
    (そういう謎は解明されているのでしたっけ?)
    noelさんはこういう史跡に纏わる本をたくさん読んで
    いらっしゃるのだろうなぁと想像してしまいました^^
    旅行記完結、お疲れさまでした!
    毎回楽しく拝見させていただきました♪

    sanabo

    noel

    noelさん からの返信 2019/03/04 21:46:51
    ありがとうございます!!!
    sanaboさん、こんばんは!

    いつもありがとうございます。
    それにしてもお褒めのお言葉をいただいて、ちょっとこそばゆいです。
    ずっと行きたいと思って温めていたので、言葉だけが先行してしまいました。
    それに伴う写真が乏しいのですが・・・。

    > noelさんが仰るようにピラミッドだってギリシャ神殿だって石ですものね?。
    > ただそれらを形成する歴史を紐解いていくのが面白いのでしょうね。

    はい、そのとおりです。(笑)

    > ストーンヘンジとは巨大な石の集まりくらいにしか知りませんでしたが
    > noelさんの旅行記でとても詳しく知ることができ、大変勉強になりました。
    > それにしてもいくらご興味があるとはいえ、noelさんの博士のような
    > ストンヘンジの集大成のような解説には脱帽しました!!

    そんな、そんなトンでもないです。
    sanaboさんの旅行記の方がず〜〜〜〜〜っと凄いと思いますよ。

    巨人伝説、アーサー王伝説などなど掘り起こすと本当に面白いです。
    もともとは「アーサー王と円卓の騎士」の物語が好きだった事に始まっているのですが・・・・・・・・・・。(-_-;)

    > 夏至や冬至の日に太陽がぴったりの場所から出て沈むように
    > 何千年も前の昔に計算されて造られたことには本当に驚きます。
    > ピラミッドが東西南北に面しているのと同じで不思議です。
    > (そういう謎は解明されているのでしたっけ?)

    太陽崇拝であるとか天文学的な要素があるとか・・・・様々な説は多いのですが、結論はでていません。

    > noelさんはこういう史跡に纏わる本をたくさん読んで
    > いらっしゃるのだろうなぁと想像してしまいました^^

    それが好きな本の傾向が決まっているので、知識はかなり偏っているのですが。(-_-;)

    > 旅行記完結、お疲れさまでした!
    > 毎回楽しく拝見させていただきました♪

    ありがとうございます。
    そしてよく考えたら、まだ「大英博物館」が残っていることに気づきました。
    夫のカメラで撮っていたので、忘れてしまうところでした。
    そんなわけで最後はおまけのような「大英博物館」で締めくくりとなってしまいました。

    本当に長々とお付き合いいただきありがとうございます。


    noel

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2019/03/05 01:25:31
    「大英博物館」編も楽しみ〜♪
    noelさん、こんばんは〜

    > そしてよく考えたら、まだ「大英博物館」が残っていることに気づきました。
    > 夫のカメラで撮っていたので、忘れてしまうところでした。
    > そんなわけで最後はおまけのような「大英博物館」で締めくくりとなってしまいました。

    そうでしたか、最後に「大英博物館」編が残っていたのですね。
    noelさんのことだから、登場するのは印象派の絵画などではなく
    ギリシャ彫刻やあとは何かしら?なんて思いながら
    楽しみにお待ちしていま〜す♪

    sanabo

    noel

    noelさん からの返信 2019/03/05 06:08:11
    コンク★★★
    sanaboさん、おはようございます。

    朝4トラのおすすめの旅行記を見たら、sanaboさんのコンクが出てました!
    凄いですね!
    パチパチパチパチ・・・・。

    > noelさんのことだから、登場するのは印象派の絵画などではなく
    > ギリシャ彫刻やあとは何かしら?なんて思いながら
    > 楽しみにお待ちしていま〜す♪

    ありがとうございます。
    実は私、印象派大好きなんです。
    だから、ジヴェルニーも羨ましく思ってました。
    個人的にはコローが中学生の頃から一番好きなのですが・・。

    と、色々ありますが、本当ありがとうございます。

    noel

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