2018/08/03 - 2018/08/03
102位(同エリア457件中)
はたぼーさん
JEATH戦争博物館に行きます。
ここは、「死の鉄道(Death Railway)」と呼ばれる泰面鉄道の過酷な建設に動員された捕虜たちについての博物館。再現、実物などの展示物があります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅行記作成1000冊目なので、戦争を考える というテーマで 記述していきます。
これは、あくまでも はたぼーの 個人的な意見です。
東南アジアには、第二次世界大戦の戦争の傷跡が多く残っています。
日本が起こした侵略戦争を協調して、謝罪と賠償をいまだに主張する国もありますが、歴史と背景を考えれば、侵略戦争とは単純に片付けることができません。JEATH戦争博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
日本が、第二次世界大戦に突き進んだ時の 東南アジアの地図を見ると
・ビルマ(ミャンマー)、マレーシア、シンガポールが イギリス
・ラオス、カンボジア、ベトナムが フランス
・インドネシアが オランダ
・フィリピンが スペイン
の植民地でした。 -
植民地とは、その国々の富を支配する国に根こそぎもっていく(こんなイメージでもいいと思います。)、その国の人々を、人間とも思わない扱いをする、そんな場所でした。
日本は、(諸説ありますが)そのような植民地支配を続ける、欧米列強をアジアから追い出し、大東亜共栄圏を築き、東南アジアの国々と共栄していくという高い理念を持って戦ったはずです。 -
日本の敗戦とともに、植民地の復活を欧米各国がもくろむものの、
各国が次々と独立運動を行い、自立化していきます。
インドネシアでは、残留日本兵が独立戦争に加担したり、日本の功績は、現在の東南アジアの状況を見ると、大きな成果だったと信じています。
そのために、日本自身も大きな犠牲を払いました。
沖縄・広島・長崎・東京そして秋田も市民の犠牲者80万人のほか、戦地での死者230万人
大きな犠牲です。
アジアの独立は、日本の大きな犠牲のうえに成り立っているのです。 -
今回訪問した、JEATH博物館は、支配国・日本がいかに欧米の捕虜を、鉄道建設のために酷使させ、死に追いやったか というテーマで 展示されています。
忘れてならないのは、タイは、日本の同盟国として 日本側であったこと。韓国・台湾は、当時日本であったこと。なぜ、そうなったか、歴史を直視するとその解答がわかってきます。 -
欧米の捕虜を、鉄道建設のために酷使させた事実は、事実として直視しなければなりません。
しかし、その背景は、ビルマ(ミャンマー)が、イギリス連邦諸国の支配下で、あったことも事実。ビルマへの補給路を構築するための鉄道が、泰緬鉄道でした。
同盟国タイからの物資の供給。そのための鉄道です。 -
戦時中なので、迅速に作らないとビルマ支配が奪還されてしまう。なので、タイ西部のノンプラドックからビルマ南部のタンビュサヤに至る長さ415kmを1年3か月で完成させます。
現在の工事でも信じられない短さです。
この鉄道の建設は20世紀初頭の英領ビルマ時代にイギリスが検討していたが、地形が複雑で建設を断念した経緯もあります。 -
そのため、捕虜1万2621人、募集・強制連行労務者8万人以上(正確な記録はないようです。)が死亡し、死の鉄道と呼ばれる所以です。
食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアにかかる死者数が圧倒的だったようです。 -
現在は、戦争もなく、平和です。
この人は、永瀬隆という人。
泰緬鉄道の建設に従事していたが、戦後、当時の鉄道敷設時の人道的でない対応を振り返り、泰緬鉄道建設で死亡した捕虜・労務者を供養することに一生をささげた人だそうです。 -
説明板
-
戦時下の対応には、平和時の常識が通用なんかしません。
-
戦争を擁護するつもりは、ありません。
-
でも、日本ばかりが責められる説明板は、どうかと思いました。
日泰攻守同盟条約に基づき同盟軍として戦ったタイも敗戦国でしたが、戦後、タイ新政府は攻守同盟条約を「日本の軍事力を背景に無理やり調印させられた」ものとして、その違法性を連合国に訴え、タイ国民は連合国による裁きを免れています。 -
第30回アカデミー賞作品賞映画「戦場にかける橋」の舞台となったことによって、なにもないこの地は、欧米からの観光地となっています。
ビルマ側の線路は、戦後、シンガポール港の機能低下を嫌ったイギリスにより撤去され、タイ側は、5000万バーツでタイに払い下げられ、今では、トンブリー駅(旧バンコクノーイ駅)からナムトック駅まで1日2便が往復しているのみです。 -
観光地となった今は、戦争の悲惨さや平和の尊さを 遺物とともに表しています。
-
様々な犠牲があって、今の繁栄があるのです。
一つの事象を切り取って、評価すべきではないと思います。
また、評価も、多面的にしていかなくては、いけないでしょう。
歴史が、戦勝国の論理で固められることのないように思うだけです。 -
戦場にかける橋を 見学し、タイ旅行を終え、帰国の全日空の中で見た映画は、
「永遠の0」でした。 -
そのため、帰国後、「戦争」について考える機会も 増えました。
秋田では、ミサイル防衛のための基地が作られようとしています。 -
「永遠の0」は、フィクションで、すべてが事実ではありません。
また、ジブリの宮崎駿が 公開後、主張していた戦争賛美につながる酷い映画というのも、的外れな気がします。 -
歴史を正しく理解し、判断することが、
戦後の世代にとって、すべきことなのかもしれません。 -
カンチャナブリ―~ナムトックまで 一部区間を乗車して
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当時の人々を 振り返る。
-
それも、今の世代への メッセージなんでしょうね。
-
ひとつ言えることは、ここでは、今、平和であること。
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二度と起きることのないように。平和を信じて。
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この旅行記へのコメント (2)
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- さいたまさん 2018/11/04 08:31:38
- 歴史を一局面のみで評価すべきでないとのご意見に、全く同感です。
- タイは、第2次世界大戦末期に、鉄道の創設及び直接的に建設を支援していたドイツ人を追放し、連合国軍側に入り、ヨーロッパに派兵しています。
日本と同じように、不平等条約に苦しんでいたため、条約改正のためには、必要な政策転換だったのでしょう。タイとしては、目的を持った、犠牲を伴う苦渋の決断だったのでしょう。
フランスとのブレアヴィヒア寺院領有権に関する確執も同じでしょう。
カンチャナブリの歴史に関する表現は、観光のために歴史の一局面を過高断面的に記載しているような感じを受けます。
現在も、BTSやARLで、シーメンスを活用していますが、したたかと言わざるを得ません。
フランスからカンボジアのバッタンバン地方を奪回し、戦勝記念塔を建設しましたが、戦争の実態は、全くのタイの敗戦でした。
日本の支援が無かったならば、バッタンバンも取り戻すことも、また戦勝記念と言う言葉もつかえなかったでしょう。
でも、タイは、連合国につきました。コメ150万トンの提供が無かったら、タイは、敗戦国のままだったでしょう。
- はたぼーさん からの返信 2018/11/04 09:12:38
- Re: 歴史を一局面のみで評価すべきでないとのご意見に、全く同感です。
- さいたまさん
こんにちは
歴史は、いろんな見方をすると、それぞれの解釈で 何通りもの事実?らしいものに出来上がります。
真実は、一つではありませんが、どう評価するかは、しっかりとした考えをもって考える私たちにかかっているのだと思います。
未来志向で考えると、「いろんなことがあったけど、平和っていいね。」なのかもしれません。
はたぼー
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