2018/03/19 - 2018/03/19
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kirinbxxさん
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バガン観光3日目です。この日も2000もあるバガンのパヤー、お寺、遺跡をのうち、有名なもの、面白いものなどを見て回ることになっています。
どの国、どの時代も同じことですが、「王朝」を建てたり維持したりするのは大変です。きれい事で済むわけはありません。日本の王朝だって実は血だらけ。ビルマも例外ではなく、バガン王朝も例外ではありません。おどろおどろしい、血塗られた歴史が・・
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
さて、ちゃんと5時半に迎えの車がやってきました。Nann Myint Viewing Towerへ出発です。Nann Myint とはビルマ語で「高い宮殿」を意味するそうです。入場料は一人5米ドルです。私達は送迎つき二人で15000チャットでした。
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まだ薄暗い中を走り、着いた先にあるタワーへ。簡単なセキュリティチェックのあとエレベーターに乗り込みます。このタワーは2005年4月から公開されたそうです。塔の足元はいまではちょっとしたリゾートになっています。
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むむ、6時まで10分もあるのにすでに沢山の人が待機しています。話す言葉からどうやら大陸の方々らしいと判ります。
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白々と夜があけてきました。明らかに「曇り」ですね。
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さすがわざわざ建てただけのことはあり、いい眺めです。
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遠くで熱気球達がむくむくと起き上がって来ました。相変わらず「曇り」です。
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10分後、次々と熱気球が離陸していきます。
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夜明けですね。相変わらず「曇り」です。
残念ながら、朝日をみることはできませんでした。大陸の皆さんはまだ粘るようですが私達はここらで撤退です。 -
さて、どんなところだったのかというと、こんなところです。
英語だとBagan Viewing Towerといい、13階建てで高さは60m、展望レストランや小さな土産物屋もあります。何しろ近辺では圧倒的に高いので、眺めを楽しむにはもってこいです。 -
ホテルへの帰り道、朝日が美しく見えました。
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ホテルに戻り朝食を食べ、またまたバガン遺跡観光です。例によって時間ぴったりに出発。気持ちいいですね。最初にいったのは、オールド・バガンの奥にSuramani寺院です。スラマニですね。
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バガンの遺跡には番号がふられています。2000以上もありますし、有名でないものには名前などないので、管理の必要上から番号がついているのだそうです。これは748番。スラマニ寺院は遺跡番号748なのです。
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残念ながらここも地震で上の傘の部分が壊れてしまったようです。これからの修理に期待しましょう。できるだけ、昔ながらの雰囲気でお願いします。さて、リンティンさんの講義です。Sulamaniとは、「「ルビーの光」という意味があります。ナラパティシートゥ王があるとき光が地上から天に昇っていくのを見ました。王はその場所にいくと盆地になっていてそこに大きな美しいルビーを見つけました。王はこの場所を埋め、そこに寺院を建立せよと命じました。1183年のことです。
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この門は1183年当時のものではないそうですが、きれいなフォルムをしていますね。
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崩れた塀の一部がこんな可愛らしい形で残されていました。
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ナラパティシートゥ王はバガン王朝最盛期をもたらした王とのこと。つまりこの寺院はバガン王朝が栄えていた時期に建てられたものです。そのせいか、細部までとても凝った造りをしています。
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厳重にガードされている碑文。この寺院の謂われが書かれています。
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この寺院をバガンでも有数の遺跡としているのは、内部に残る数多くの壁画です。仏陀の一生を描いたものの内のひとつがこれ。
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バガン王朝では象はとても重要な動物でした。パヤーを建立する場所を決めるのにもしばしば使われています。この寺院にも象の壁画が沢山のこっていました。
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このように、一部が大きくはぎ取られている部分もあります。
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もちろん、仏像もちゃんとあります。まずは金色に輝く仏様から。
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その二、金色のよだれかけつき。
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その三はよだれかけがありません。
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その四は・・・
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これはこれは。河童さんではありませんか。
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どんどん行きます。お次はこちら。Dhammayangyi Temple、ダマヤンジーと読みます。未完にして最大の規模をもつ寺院で基本的な設計はアーナンダ寺院と同じということです。東門のアーチから入りましょう。リンティンさんの講義が始まりました。ダマヤンは大変説教が上手だった僧侶の名前、ジーは仏法の光、という意味です。寺院を建立したのは第五代ナラトゥ王、バガン王朝最悪、いやビルマ最悪と言われている王です。何しろ父を殺し、それを知った兄が攻めてくると大僧正を仲介として兄を王位につけて和解、その夜の内に兄を暗殺。余りの背信行為に怒った大僧正はスリランカ島へ出奔、やがてスリランカと対立、バガン王朝は敗北します。加えてこの王はインドの小国の王の娘だった王妃も殺害しています。いや、極悪非道ですね。
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境内は非常に広く、一角ではなにやら木から人形をぶら下げている人がいました。何か催しでもあるのでしょうか。
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非常に大きな遺跡なのでまずは中を見学、ということでこちら。非常に大きな仏様が高い所に鎮座しています。
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内部には二重の回廊があるそうですが、通れるのは外側の回廊です。狭いですね。
と、ここで急にお腹の具合が・・・・なんとここにはトイレがありません。大慌てでトイレのある先ほどの寺院へ。トイレ代はここも200チャット、今度はちゃんと自分で払いました。こんな大きな寺院なんですから、トイレくらい用意しておいて欲しかったなぁ、もう。 -
トイレを借りたところで、またまた日本の中古車を発見・・・・あれ?
なんだか変ですね。左から読むと変だし。。。右から読んでも変だし。 -
さて仕切り直しです。こちらは「二人の仏陀」の像です。最初、リンティンさんが「これは今の仏陀と未来の仏陀です。ゴータマとマイトレーヤ」と教えてくれたときは何の事やら。仏陀が二人もおるんかい、と思っていたのですが、何の事は無い、日本人にお馴染みの大乗仏教では「弥勒菩薩」というお名前だったのですね。知ってますよ、それなら!
でも、この像では到底、弥勒菩薩だとは・・・
弥勒菩薩、サンスクリット語でマイトレーヤ、現在仏ゴータマ・ブッダの次に仏陀となることを約束されたもの。ゴータマ入滅後56億7千万年後の未来に現るべし。
ほほー。お勉強になりました。 -
足がまっすぐ、きちんと揃っていらっしゃるので、これは「涅槃仏」つまり、入滅されるときのお姿です。
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このレンガの緻密な積み方。これがこの寺院を象徴している、とリンティンさんの講義が始まりました。父殺し、兄殺し、嫁殺しのビルマ最悪王はその贖罪と称してこの巨大な寺院建設に取りかかります。しかしそこで使ったのは戦争捕虜、そして自ら縫い針をレンガとレンガの間に差し込み、針が入ると「隙間が広い、手抜きだ!」と人夫達を処刑したり、手を切り落としたりの悪行三昧。なにやってるんでしょうねぇ。
結局このナラトゥー王は1170年に暗殺されこの寺院は不吉な寺院として未完のまま放置されることになったのでした。暗殺者を送り込んだのはインドベンガル地方にあった小国の王、殺害された王妃の父という説があるそうです。 -
血塗られた寺院をあとにして向かったのはManuha Phayaです。バガンにある2000以上の遺跡の中で異彩を放っています。
バガン王朝初代のアノータヤー王は自身が仏教徒になった、ついては仏教にもっと深く帰依したいから「あんたの国にある仏教のすべて(僧侶や仏典や仏宝などのすべて)をくれ」という無茶な要求をモン族の国であるタトゥン国にぶつけます。で、当然の如く断られたのでこれを口実に侵略、国王夫妻を拉致してきました。
めちゃくちゃですね。 -
気の毒な国王夫妻は持っていた財産の全てを売り払い、そのお金でこの寺院を建てました。国王夫妻は死ぬまでバガンで暮らす事を余儀なくされたのです。その王の名がManuhaです。
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門から入って最初に見えるのはこの巨大な金の鉢。何しろ熱心な仏教だった元国王夫妻、毎日鉢に食事を入れて仏陀にお供えしていたそうな。今はお賽銭箱になっていて敬虔なみなさんがお供えをしています。手前にはお米の袋もどっさり。
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次の場所は。。。蛍光灯がつかなくなったので取り替え中のみなさん。そしてアーチの奥に見える金色の物体は。。。なんだか指やツメのようです。
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ギリギリ広角にしても写りません。下がると床に寝転ばないとお顔が写りません。
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実に狭苦しいところに押し込めてある仏様です。
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たったこれだけしか余裕がないのです。
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こちらは涅槃仏。これまた狭苦しい。
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ああ、本当に狭苦しい。
実はこの狭苦しさはマヌーハ王が捕虜とされ軟禁状態に置かれた状況、鬱屈した気持ち、そういうものを表すためにわざとしたことだとか。
何しろアノーヤターに、大事にしていた仏陀の歯も骨も髪も奪われた上に自分達は幽閉同然の身。この歯や骨や髪がシュエズィーゴォン・パヤーやシュエサンドー・パヤーに納められているというわけです。 -
そしてこの穏やかな顔は、自分の人生の終わりを告げるためにあえて座像の顔の厳しさと対照的に作らせたのだとか。
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さて、この気の毒な国王がたてたパヤーの裏にあるのがこちら、Nampaya Templeです。元々ヒンズー教の寺院だったものをマヌハ王の幽閉所として使われたという説がありますが物証などはありません。
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これはブラマー神というヒンズー教の神様だとか。
なるほど、確かにインド風。
マヌハ王に言いがかりを付けて攻めて幽閉し、宝物を全部奪って国中の寺院に納めたアノーヤター王はいまでも「ビルマ人を偉大なる民族とした」としてこの国の英雄となっています。
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