2018/03/17 - 2018/03/17
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kirinbxxさん
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お昼を食べたあと、本格的なパヤー巡りが始まりました。
どのパヤーも敬虔な信徒のみなさんと、仏教徒ではない外国人観光客の両方で一杯です。2013年以来、2度の値上げにもかかわらずこのあたりを訪れる外国人観光客は増える一方のようです。
行ったのは、Htilominlo patho、Ananda Phaya など有名なパヤーです。暑い中でしたが上手な運転、楽しい会話、的確な説明をしてくれるガイドさんで絶好調の1日でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
昼食後、最初のパヤーはここ、Htilominlo pathoです。日本語だとティローミィンロー寺院、と書いている人が多いようですね。
パガン王朝後期の大寺院のひとつとされ、1218年、パガン王朝第8代国王Nadaungmyarによって建立されました。高さ約46メートル、3層の構造を持つ荘厳な寺院です。 -
正門がわから入ります。両側にしっかり土産物屋が並んでいます。
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こちらはレンガ建築です。入口の脇にいるのは、ナッ神でしょうか。
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内部を見学することができました。この寺院の見所は、この壁画でしょう。保存状態はまちまちですが、とても美しく残っているものもありました。
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仏様はやはり金箔が貼られています。この手の形にも一つ一つの違う意味があるのだすです。両脇には黄色と白の傘。リンティンさん曰く、白い傘はものごとを決める事を示し、黄色はお坊さんを示すとのこと。伝説では、「ナンダウンミャーの父王が、王位継承者を選ぶ際に、5人の王子の中から、白い傘が倒れた方向に座っていたナンダウンミャーを王位継承者に選んだ」ということのようです。そんな無茶な。
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壁のレンガはいたるところで剥げ落ちていて、私などはこの風情がとても好きなのです。仏様の方はどうみてもごく最近に安置されたものでしょう。
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パヤーのてっぺんは、2016年の地震で崩れ落ちて修復中です。お願いですから、まともな修復をして下さいね。
なんでもしばらく前までは、登れるパヤーもあったそうです。どうやら登って夕日を見るのがバガン観光の定番だったようです。2018年1月1日から禁止になったのだとか。それって、当然でしょう。仏塔ですよ、パヤーって。ウルルという、信仰の場にほいほいと観光客が登る必要はありますまい。とかいって、登れるとなるとつい登りたくなってしまうのですが。 -
こちらは二つ並んで仲良く立っているパヤー。日本なら「めおとパヤー」とでもいうところです。
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リンティンさんの話では、11世紀から13世紀にかけて、2229基のパヤーが建てられたのだとか。ちょっと高いところから周囲を見渡すとどちらを向いてもパヤー、パヤー、パヤーです。
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さて、この日3つめのパヤーはこちら。Ananda Phaya、です。アーナンダー、と読みます。バガン遺跡を代表する最大のパヤーです。11世紀末から12世紀初頭にかけて、チャンスィッター王によって建立されました。この王の出自は明らかではなく、ビルマ族ではない、という説もあります。
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東の入口から中へ。沢山の人でごった返しています。
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この仏様を遠くからみると、とてもやさしいお顔に見えます。かって、庶民は仏像の近くまで寄ることはできず、遠くから拝むだけでした。庶民から見る仏様は優しいお顔をしています。
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リンティンさんに言われて、うんと近くまでよって見上げてみました。その目つきは少し厳しく見えます。昔、この位置から仏様を見上げる事ができたのは国を支配する人びとだけでした。仏様は民衆の上にたち、国を治めるものたちには、厳しく、教え諭す必要がある、そのために厳しい顔に見えるように作ったのだそうです。
なるほど、旨く考えて作られているんですね。 -
壁面にこのように小さな穴がたくさん穿たれ、その中に浮き彫りの仏像が埋め込まれています。全部でおよそ80点あるそうです。
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こちらも同じように埋め込まれた仏像ですが、穴がきちんと縁取られています。
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立体の像だけではなく、壁画もこのパヤーの見所の一つです。
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壁画がオリジナルで残っているのはごく僅か、多くは白塗りされてしまっていたり、あとから書き足されたり、上からなぞられたりしてしまっていますが、回廊部分のものはよく保存されていました。
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このパヤーはオールド・バガン周辺でもっとも美しい姿をしている、と言われています。一片が53mの正方形の基盤の上に、高さ51mの塔が立っていて、非常にバランスがとれたものです。但し、1975年の地震によって被害を受け、今の建物は再建されたものですし、尖塔の金箔は1990年の建立900年記念のときに施されたものです。
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雨がぱらぱらと降ってきました。そろそろ次へと参りましょう。
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立ち去り際に、ほとんどがつぼみの中で咲いている沙羅双樹の花を見つけました。
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次に向かったのはこちら。
この上部がほとんど朽ちてしまった建造物は、サラバー(英語ではTharabar)門です。リンティンさんは「サラバー」と発音しましたが、タラバー、と読む人もいるようです。Sarabhanga、という「盾となる」という意味の経典から来た言葉が語源とのこと。
849年にPyinbyaという王様によって建造されたバガンの城壁です。 -
門の両側にある祠のなかには、仏様が収まっています。中には寄進した人の名前が書かれています。
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「黄金宮殿」となかなか大げさな名前がついています。見た目はいかにもな造り、リンティンさんも一応「興味ありますか?」と聞きますが明らかに大した物ではなさそうです。というわけで、外観だけを撮影して通過します。
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大分からはるばるバガンまでやってきた(株)コタベさんの軽トラックです。どんなものを運んでいたのかは知りませんが、今はこうやってバスとして活躍中。こちらの人達は塗装しなおしたりはしないんですね。
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こちらは古い王宮の発掘現場です。
なるほど、柱のあとらしきものがありますね。 -
その現場から南を見上げると、また立派なパヤーがありました。
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SHWE GU GYI、とありますので、シュウェグジーと読むのでしょう。
1140年にAlaungsithu王によって創建されたものですが、この王は長男を追放し、自身は次男に殺される、という息子には恵まれない王だったようです。ここはかっては、登る事ができたパヤーの一つでした。 -
正門はこちら。
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そこから南を見ると、これはまた奇妙なパヤーがありました。
ああ、傘の部分が修復作業中のようですね。これは、THATBYINNYU PHAYAというようです。それにしても標識に書いてある名前が分かち書きのものとそうでないものがあるのはいかなることか。。。
リンティンさんが説明を始めます。彼は必ず、「このパヤーのことについて少しご説明してよろしいですか」と言い、私達は「はい、お願いします!」と受けます。もう何度目かのこの儀式のあと、彼はTHATBYINNYUとは、「全知全能」という意味があること、Alaungsithu王が1144年に建てたことを説明してくれました。 -
少し離れた所からの撮影です。遠目では修復中の部分が実に奇っ怪至極なまるでコンクリートで作ってしまったかのように見えます。
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内部の仏像。奥に大きな仏像が安置されているようです。
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向かい側に僧院があり、その一隅にはこの国で無くなった日本兵の慰霊碑があるときいて連れて行って貰いました。
ビルマ戦線、といえば太平洋戦争を語るとき、悲劇の一つとして必ず語られる話です。32万人以上がビルマ方面軍に編成されてこの国に送られました。帰国出来たのは13万人、そして死者の多くは戦死ではなく餓死や病死という悲惨なものです。 -
左は「弓部隊戦没勇士の墓」とあります。インパール作戦に参加させられた陸軍第33師団のことです。昔、NHKの番組を見たことがありますが、源平合戦ではあるまいし牛を使うだとか、総指揮を執った中将どのが意見具申をした師団長を片っ端から解任した揚げ句、戦後は全部部下の所為にしたとか、驚くような事ばかりだったのを思い出します。「責任なき戦場 〜ビルマ・インパール〜」で「一将功成らずして万骨枯る」という言葉を聞いてなんだか変だなぁ、と思ったらそれは「一将功成りて万骨枯る」のもじりでした。それにしてもビルマにはこのような碑があちらこちらにあり、敬虔な仏教徒の皆さんがきちんと供養してくださっているのだとか。
合掌。 -
このあとは余りきれいなトイレがないかも、というのでここでいっておきましょう。むむ、200チャットなんて小銭はないぞーーー、と困っていたらリンティンさんが奢ってくれました。
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最後の見学はこちら。門を守るのはこの衛兵さん。
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ここは、BUPAYA、ブーパヤー・パヤーです。意味は形のとおり「ひょうたんのよう」ということだそう。これは、ピュー族という人達の様式で、これは1975年の地震で川に転げ落ちてしまったオリジナルの代わりに作ったあたらしいもの。もともとは、3世紀頃にできたものだそうです。
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なぜ地震で水没するかといえば、こんな場所にあるからです。そう、このパヤーはイラワジ川の畔にあるのでした。
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イラワジ川を遊覧するためのボートだそうです。こちらはちょっとそこまで、のショートクルーズ用。
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そしてこちらは、バガンとマンダレーの間を船で旅するクルーズ船、ヤンゴンを含めて10日以上のツアーになり、お値段は3500US$くらい、ということでした。
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さて、見学はここまで。次はちょっとお買い物に行きましょう。こちらはその途中で見つけた露店。海老と海老せんべい。
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本命はこちら、バガン名物の漆器です。1795年にイギリス人が「この通りには、漆器の専門店が列をなしていた」と書いているように、このあたりは昔から漆器工芸が盛んなところだったようです。リンティンさんが説明をしてくれます。このひと、ほんとにいろんな事を知っています。いやいや、プロのガイドさんたるもの、こうあっていただきたい物です。「漆ですからかぶれることあります、気をつけて下さい」はいはい、承知していますよ~、気をつけますとも!
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ビルマの漆の素材は基本的に竹。裂いた竹をとても器用に編んでいきます。
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これが原木ですね。触らないように注意。
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漆を塗るところまでの職人さんは全員が男性でした。そしてその出来上がったものに素晴らしい彫刻を施すのはみんな女性でした。この人の作業、実に緻密でお見事です。このあとショップに案内してもらって、あれやこれやと見せて貰いました。実は欲しい物がいっぱい。そしてそれほど高いわけではない。(もちろん、こういう大物は高いですが)ですが買うわけにはいきません。実は今回は諸事情であまり多くの荷物を持って帰る事ができないのです。涙を飲んで、おつまみを入れるのに良さそうな軽い小鉢を一つだけ購入。
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店の前はこういう未舗装路です。未舗装ではありますが、きれいに整地されています。
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この日最後のイベントは夕日見物、なのですがお天気がどうでしょうね。まぁとりあえず行ってみましょう。おや、牛車ですよ。西洋人の若いカップルが楽しそうです。
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さて、バガンでは個々のパヤーを見学するたびに料金を支払うのではなく、このBagan Archaeological Zone Prepaid Cardを購入するシステムになっています。5日間で25000チャット、というなかなかの太っ腹。かっては米ドル建てで20$だったそうです。
はっきりと、「自院やパヤーに登るのは禁止」とあります。 -
ちょっと小高いところに登ってみました。まだ17時ですし、天気は悪いし、で人はすくない。
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人がとても少ないのでお巡りさんもヒマそうです。
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さっきの華やかな牛車も帰って行きました。この牛車は観光用ですが、婚礼の時などにも使われるそうです。
どう考えても綺麗な日没が見られるような天気ではないので本日は夕日見物を諦めることにしました。 -
さて、リンティンさんが夕食はどうしますか?と聞いてくれました。もし行きたいレストランがあったら、そこへ連れて行ってくれ、食事が終わってからホテルまでお送りします、というのです。あらあら、そんなことまで?これまでのヤンゴン、インレー湖のガイドさんはそんなこと、全然いいませんでしたが、バガンだけのサービスなのでしょうか。よくわかりません。ともあれこの日はホテル近くのレストランに行ってみよう、ということでホテルへ送って貰うことにしました。言葉がどれほど通じるか不安だったので、リンティンさんに「甘い料理は食べません。辛い料理をください」ということをビルマ語で書いて貰いました。ホテルのプールサイドバーは、ハッピーアワーです。でも高いよ?
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ホテルのすぐ横の道をどんどん歩いて行くと賑やかな通りに出ました。角にあるインド料理店にはこんな看板が。そういえばバリ島のイタリア料理店でも同じように「No Wifi」という掲示がありました。
No Good, No Payというのはなかなか魅力的ですが、インド料理じゃぁねぇ。。。とパス。 -
わりと適当に選んだお店がここ。
A Little Bit of BAGAN RESTAURANTです。 -
何はともあれ、ドラゴンビールをいただきます。
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メニューの中に、CHARCOAL、というものがいくつかあり、客が帰ったあとのテーブルに七輪があれば「あ、炭焼きメニューがあるのね」と思うのが普通の日本人だと思います。で、ビーフと野菜のチャコール「小」を頼んで最初に来たのがこれ。
ご飯とトースト?なぜにここでトースト?ご丁寧にバターまでついています。 -
こちらは空心菜とふくろだけの炒め物、味は可も無く不可も無く。
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そしてこれが、ビーフチャコール。想像、そして期待とはかなりかけ離れた物が出てきました。パイナップルと、トマトと(堅い)牛肉。。。。。
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こちらは野菜。うーん。
焼いたトマトは英国やオーストラリアではお馴染みですが、とりあえず生のうちにさっさと食べてしまいましょう。パイナップルも。とりあえず辛いタレもついてきたのでそれをつけて食べます。美味しい、とはいえません。
ビールをたっぷりと料理が3つで20500チャットでした。
本日の予定はこれにて終了です。また明日。
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