2017/10/25 - 2017/10/29
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悠遊人(ゆうゆうじん)さん
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(写真は東大寺大仏殿にて)
今回は台風21号の通過を待って奈良に向かいます。
昨年は邪馬台国を追いかけ、福岡の宗像大社から下関、出雲大社、鞆、祖谷、熱田神宮を廻って来ましたが、今回はいよいよ本命の奈良盆地にはいります。三輪山周辺の纏向遺跡群、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳、山の辺の道を歩いて大神神社に向かいます。もちろん大和の古寺を訪れないわけにはいきません。今回は法隆寺、中宮寺、唐招提寺、薬師寺、東大寺(二月堂、戒壇院)を再訪します。正倉院展もちょうど始まりました。
奈良には数々の未発掘遺跡が埋まっており、いつどこでそれを踏みつけるかわかりません。
・大和みち身を軽ろうして歩くべし
前回 https://4travel.jp/travelogue/10882893
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 徒歩 バニラエア
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法隆寺
奈良に来たナラ、まず一番に訪れにゃナラんでしょう。たしか三年前に来た時とあまり変わりないようです。でも当たり前ですよね。1400年間も続いているのですから
https://4travel.jp/travelogue/10811525 大和古寺巡り
https://4travel.jp/travelogue/10882893 明日香村 -
夢殿
太子の夢が詰まっている。救世観音に祈ります
百済観音は大宝蔵院内に隔離されているようで寂しい。もとあった位置に戻すべきではないか? -
法隆寺から夢殿、中宮寺へ至る中庭が実に広々として気持ちいい。晴れた日ならいつでも天平の風が吹いている。
-
中宮寺
この如意輪観音の優しさはいったいどこからくるのだろう。よほど苦しい時代だったろうと想像する。飛鳥・奈良の時代は寺の数ほど、仏像の数ほど誰もが苦しんだのだ。 -
纏向遺跡(まきむくいせき) 勝山古墳
三輪山の北西麓一帯にある。三世紀前方後円墳発祥の地と推定されている。
近くに石塚古墳、東田大塚古墳、ホケノヤマ古墳、南に少し離れて箸墓古墳がある。最近では邪馬台国があった地点として有力であり、付近の発掘が今も進められている。写真のように池の傍に竹や木々で覆われた小高い丘があったら、それは古墳と見て間違いない。 -
箸墓古墳(はしはかこふん)
卑弥呼の墓ではないか、と注目されている前方後円墳。左後方に見えるのが三輪山。ただ私には新しすぎと見える。また大和朝廷との繋がりや大神神社との関係など不明な点が多い。だが解明するのは簡単なことだ。これら古墳の発掘を認めればいいだけのこと。ただ発掘すれば、現皇室にとって「不都合な真実」が明らかになるかもしれない。 -
ホケノヤマ古墳
古墳頂上から箸墓古墳を望む。前方が西の方角になる。 -
桧原神社(ひばらじんじゃ)
ホケノヤマ古墳から山の辺の道を大神(おおみわ)神社に向かう。纏向川に沿って三輪山へ向かえばまず桧原神社が現われる。ここは数ある大神神社の摂社のひとつ。元伊勢ともいわれる。 -
玄賓庵(げんぴあん)
奈良盆地は古代奈良湖の縮小に伴って南から北へ、東から西に向かい開拓が進んでいったと思われる。それは飛鳥藤原京から平城京に都が移っていったように -
山の辺の道(やまのべのみち)
日本最古の道と言われ、奈良盆地の東側山麓を三輪山から奈良に通じる南北約16kmの道。記紀万葉にも記載され、数々の御陵、寺社がある。今回歩くのは南側4kmほどだ。弥生期以前には古代奈良湖に沿う道だったと考えている。他に盆地を南北に貫く古道として、東から上ツ道、中ツ道、下ツ道があった。 -
大神神社(おおみわじんじゃ)拝殿
三輪山をご神体とし、本殿はない。主祭神は大物主大神で、遠く出雲との繋がりが想起される。日本最古の神社のひとつだろう。話は飛ぶが、大和朝廷は出雲から神話を含めすべてを奪ったうえで、神武天皇以下不在の9人の天皇を立て(それほど昔から続いていたとみせかけ)出雲を歴史の主流から外したとは言えまいか?纏向から三輪にかけてはこれから何度も訪れることになるだろう。 -
唐招提寺 金堂
ただただ美しい造りである。瓦の屋根が青空によく映える。講堂もシンプルで西側に独立した戒壇があるのも鑑真和上らしい。我々日本人はもっともっと鑑真和上をレスペクトしなくてはならないのでは? -
唐招提寺
この金堂正面のふっくらとした八本のエンタシス列柱は、シルクロードを通じたギリシャ建築の影響があるのだろう。勘違いされなければ、この柱にしばらく抱き着いていたいものだ。蝉のように -
唐招提寺
前回もそうだったが、この苔庭の深い緑が私のカメラでは出ない。また来て挑戦するだけだ。 -
薬師寺 西塔と金堂
東塔は3年前訪れた時と同様いまだ改修中。10年はかかるのだと。裳階(もこし)をつけているため六重に見えるが、実は三重塔である。本尊は薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩を従えている。(薬師三尊と呼ぶ)
薬師寺とは名前のとおり、心身の健康を救う寺のこと。 -
薬師寺 大講堂
幅41mもある講堂はこれだけだろう。息を飲むデカさはまさに天平の世界だ。
今は、この裏に食堂(じきどう)が完成している。 -
東院堂
ここの聖(しょう)観世音菩薩は見逃せない。さらに北の奥、玄奘三蔵院伽藍には平山郁夫画伯の壁画が数枚あり、見逃してはならない。描かれたバミアン、須弥山などかつて訪れたシルクロードが懐かしい -
東大寺 南大門
修学旅行生と外人観光客と鹿と平和でいっぱいでした。
ただ当時の乱れた世の中にあり、東大寺建立に込めた思いを忘れてはなりません。この寺ほど役割の重い寺はありません。 -
二月堂
ここからの奈良盆地の眺めもすばらしい
・うろこ雲夕陽が眩し二月堂 -
戒壇堂(戒壇院ともいう)
当時は聖徳太子や蘇我氏がせっかく仏教を広めても受戒できる者がいなかった。
そこで唐から鑑真和尚を招き戒律を教えたのである。和尚は五度の渡航失敗に失明を重ね、我が国までおいでくださった。この時の受戒第一号が聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇以下430名余の僧尼である。受戒を受けて初めて僧侶と認められるのである。不況の折、勝手に坊主を名乗る輩が多かったのだ。 -
奈良公園にはたくさんの鹿がいる。
鹿はそもそもは鹿島神宮からの使いとしてやってきたのです。
※奈良へはまだまだ通うことになりそうです。
●箸墓古墳は卑弥呼の墓にしては100年新しすぎと感じました。さらに皇室との繋がりがなければ大きすぎると。ただ真実は現皇室にはすべてわかっていることなのでは?古墳の発掘を認めれば、はっきりするだけのことなのだが。
●神社とはもともと古代の豪族・氏族がそれぞれの繁栄を願って祀ったもの。だから争いは収まらない。そこで聖徳太子と仏教が登場する。仏はあまねく民に平和と安寧をもたらすものとして。しかしこの頃は世の中よほど乱れていたのでしょうね。それは寺や仏像の数が象徴している。
●奈良盆地は地質構造上、亀の瀬が塞がれると河川水の出口がなくなる。従って度々の洪水とそれに伴う飢饉や疫病に襲われたに違いない。それはやがて奈良から京都へ遷都する有力な原因になっただろう
●3-4世紀奈良には、すでに我々が考える以上に日本各地との交流があったようですね。
台風の影響で一時京都へ避難し、新幹線で東京に帰ることにします。(続京都)
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