2017/07/14 - 2017/07/14
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旧東海道の名城巡りの小田原城紹介の締め括りです。1590年の豊臣秀吉との攻防戦では総構の堅城でしたが、多勢に無勢の戦いで落城しました。(ウィキペディア、日本百名城・公式ガイドブック、小田原城関連公式サイト)
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『小田原市郷土文化館』の紹介の続です。公式サイトの紹介文です。『小田原市のある足柄平野は、北を丹沢山地に、東を大磯丘陵に、西を箱根外輪山の山々に囲まれ、南を相模湾に面しています。平野の中央を流れる酒匂川は、富士山・丹沢山地を源流とし、その清流は美しい自然と豊かな収穫をもたらしてくれました』(同上、続く)
*写真は、江戸時代頃の街の消防施設の水槽と桶の山です。 -
『この豊かな自然環境と温暖な気候を背景として、古くは旧石器時代から人の足跡を確認できる小田原は、戦国時代には『関東の覇者』後北条氏の本拠地となり、江戸時代には東海道屈指の宿場町として栄え、明治から昭和には山県有朋や松永安左ヱ門、北原白秋といった政治家、財界人、文化人らが住む街になりました。また、『箱根越え』の難所を控えた交通の要衝でした。(同上、続く)
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『郷土の歴史と自然、文化を、広く市民の皆さんにお伝えし、さらに次代の人々に継承する施設として、小田原市郷土文化館が設置されています。郷土文化館では、市内に存在する豊富な郷土にある資料を収集し、その保管・保存を図るとともに、資料の展示公開や調査研究、普及活動等を通じて、小田原の市民文化の向上に努めています。』(同上、以上)
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先程のジオラマ展示の模型にもあった小田原城の縄張り図です。『史跡小田原城跡、本丸。二の丸・整備基本構想図』のタイトルがありました。1590年の秀吉による小田原攻めに備えて、街全体を土塁やお堀で囲んだ『総構え』と呼ばれる縄張でした。この図は、そのお城部分だけの縄張り図になります。(同上)
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『小田原城銅門(あかがねもん)』のタイトルがあった、夜景写真です。手前に、小田原城銅門の全景、その奥に小田原城天守が見えていました。明るい月の光が見えていましたが、ライトアップされた銅門と天守のようです。(同上)
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『空から見た小田原市の中心部』のタイトルがあった、空撮写真です。その写真に中心部に小田原城がありました。小田原の街は、北条氏が入ったころから城下町として形成され、江戸時代には、稲葉氏によって現在に近い街が形成されたようです。相模湾に近いお城の南側を東海道が通じ、今も健在です。(同上)
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『小田原城:ODAWARA CASTLE』のタイトルがあった、ポスターです。周りの映り込みで、少し見難くなってしまいましたが、写真中央が『小田原城天守』です。山並みが見えて見えていますが、箱根の山との合成写真かも知れません。(同上)
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『小田原城跡関係略年表』です。この写真では、文字が読み取れませんでしたが、恐らく『後北条五代』に先駆ける時代に始まり、廃城後の再建なども記した年表のようです。(同上)
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『銅門土塁模型』と呼ばれる展示品です。『銅門(あかきんもん)』の再建に当たって、重要な役割があったようです。『この土塀模型は、銅門の建設を行うに際し、事前に製作したものです。銅門は、江戸時代の工法、技術を採用しているため、使用する木材や白壁の材料である土の収縮や乾き具合などを確認する必要があり、この模型は重要な役割を果たしました』、と紹介されていました。(同上)
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『銅門土塁模型』の紹介が続きます。『皆様に古い建築の工法をご理解いただくため、銅門の完成を期に小田原市建築協同組合より寄贈を受けたものです。小田原市』との紹介もありました。写真紹介はできませんでしたが、『伝・銅門礎石』の展示もありました。1.6トンと1.8トンの立派な礎石です。石の大半を土中に埋めて使用されました。箱根外輪山産出の安山岩とされます。(同上)
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イチオシ
『銅門(あかがねもん)』と、その周りの光景です。『馬屋曲輪(うまやくるわ)』から『二の丸』に通じる位置にあり、二の丸の正門に当たります。『馬屋曲輪』は、『馬出曲輪(うまだしくるわ)』とも呼ばれているようです。『渡櫓門(わたりやぐらもん)』、『内仕切門(うちじきりもん)』と土塀で周囲を囲む『枡形門(ますがたもん)』の虎口構造を持ちます。(同上)
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『銅門(あかがねもん)』の正面光景です。馬出曲輪からですと、お堀に架かった『住吉橋』を渡り、枡形門を通り抜けた場所で、現在は『銅門広場』と呼ばれている側からの光景です。銅門は、二階建ての櫓門になっていました。出入口の前方に見えるのは、枡形虎口の東側の土塀になり、その下部は、お堀に面した石垣です。住吉橋はこの写真の右手になる南側です。(同上)
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『銅門(あかがねもん)』の本瓦の屋根に掲げられていた鯱の光景です。名古屋城や大阪城の金シャチが有名ですが、鯱を日本の城郭の屋根飾りにしたのは、織田信長の安土城が最初とする説があります。屋根飾りの鯱は空想上の生き物です。江戸時代に書かれた百科事典「和漢三才図会」に記載があります。体は魚で頭は虎(龍とも)、背中に棘と口には牙があり、水を吐くと解説されています。(同上)
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『銅門(あかがねもん)』のタイトルがあった立札の光景です。銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治3年(1870年)の小田原廃城後、明治5年(1872年)に解体されるまで、江戸時代を通して存在していました。往時は、大手筋の馬出門から城内に入り、銅門を通って二の丸御殿や本丸、天守へと進みました。銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由来します。(同上)
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『銅門(あかがねもん)』の内部光景です。古文書に記された忠実な再現ようなされているようです。柱には、チョウナの跡がありました。また、屋根を飾る『シャチ(鯱)』は、あの巨大な鯨ですら殺す、どう猛な生き物として紹介され、口から水を吐き、火を消す力があるとも信じられ、防火の願いも込められた屋根飾りだったようです。(同上)
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『銅門(あかがねもん)』の周りの『枡形虎口』の光景です。石垣の上の土塀には、『枡形虎口』に閉じ込めた敵兵を攻撃するための、矢狭間や、鉄砲狭間が設けられていました。左手の石垣と土塀が、二の丸(銅門広場)に面した北側、右奥の一段低い部分が、内堀に面した東側の土塀になるようです。(同上)
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同じく、『銅門(あかがねもん)』の周りの『枡形虎口』の光景です。右手に見えている白壁の土塀が、枡形虎口の内堀に面した南面、左奥部分が内堀に面した東面になるようです。一番手前に見えている石垣は、虎口内に閉じ込めた敵兵への攻撃と、内堀側からの攻撃に対する防御も兼ねているようでした。(同上)
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『常盤木門』とその周りの虎口とは、お別れしたつもりでしたが、『銅門』の位置からも眺めることが出来ました。巨木の松、イヌマキ、ビャクシンなどが景色にアクセントを与えていました、。(同上)
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『小田原城跡のビャクシン(柏槇)』のタイトルがあった説明立札です。
〇昭和56年(1981年)3月、小田原市指定天然記念物。
〇目通り:3.1メートル
〇根元周り:3.5メートル
〇樹高:約15メートル (同上) -
『小田原城跡のビャクシン(柏槇)』の上部光景です。
〇ヒノキ科ビャクシン属の常緑針葉樹
〇中国、日本で古くから庭園に植栽されました。
〇イブキ(伊吹)、イブキビャクシン(伊吹柏槇)、カマクライブキ(鎌倉伊吹)等の別名を持ちます。(同上) -
『小田原城跡のビャクシン(柏槇)』の幹の光景です。名前について、昔は「イブキビャクシン」と呼ばれていましたが、それが「イブキ」と「ビャクシン」に分かれたとする説があります。「イブキ」はこの樹が石灰岩の多い伊吹山に多数自生していることから来ているとか、古代に土器の底の穴にこの木の枝葉を敷いて食物を蒸したので、湯気を吹く木から息吹き木(イブキギ)とされ、その後末尾のギは省略されたとの語源説もあります。(同上)
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〇ビャクシンの姿形が禅の教えに通じているとして、特に禅宗の寺院にビャクシンが多く植えられています。
〇海岸などの自然生のものは強い風の影響も受け荒々しい印象を与えます。樹勢は強く、幹が腐朽し、空洞化しても生きています。
〇園芸品種の『カイズカイブキ(貝塚伊吹)』、は生垣や公園樹に多用されます。
〇側枝が幹に螺旋状に巻きつくように上に伸び、その姿は炎が立ち上っているように見えます。(同上) -
イチオシ
既に紹介した、『東堀跡』に架かる赤い『常盤木橋』の光景です。『東堀跡』の畑は、水分を好む、ハナショウブ(花菖蒲)などが植栽されているようでした。この時期は、既に花は終わっています。土手の部分には、アジサイ(紫陽花)が植栽されている写真も目にしました。(同上)
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こちらもすでに紹介した、天守閣ですが、お別れに最後の撮影です。天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として復興されました。江戸時代に造られた雛形や引き図(宝永年間の再建の際に作られた模型や設計図)を基に、外観復元されました。古文書によると、寛永11年(1634年)に、三代将軍徳川家光が小田原城の天守閣に登り、武具を見たり展望を楽しんだという記録が残っています。(同上)
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少しだけズームアップした、天守閣の光景です。天守閣は、3重4階の天守櫓に付櫓・渡櫓を付した複合式天守閣です。地上38.7メートル、鉄筋コンクリート造、延床面積1822平方メートルとなっています。標高約60メートルの最上階からは、相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。(同上)
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イチオシ
参勤交代の時の様子をイラストにしたものでしょうか、漫画風の三人の人物像が歩道に表示されていました。小田原城は江戸に至近の距離ですから、参勤交代の負担は少ないものの、江戸幕府の親藩として老中などの役を務めましたので、藩の負担は大きかったようです。(同上)
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参勤交代の紹介の続きです。鎌倉時代における、御家人の鎌倉への出仕が起源とされます。将軍に対する大名の服属儀礼として始まりましたが、寛永12年(1635年)に徳川三代将軍の家光によって徳川将軍家に対する軍役奉仕を目的に制度化されました。この制度では諸大名は一年おきに江戸と自分の領地を行き来する義務が生じました。(同上)
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『小田原城三の丸』に関する案内看板の光景です。『江戸時代の小田原城は本丸、二の丸、三の丸とお城の敷地を大きく3つに分けられ、堀と城壁とで区切られ構成されています。その中で三の丸は一番外側の敷地となり、江戸時代では侍屋敷や藩校集成館などが置かれました』、4枚の写真と2枚の地図で説明されていました。1つ前の写真の左端に見えている看板だったようです。同上)
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歩道に設置してあった『小田原城正面入口』の文字と矢印、それと天守のイラストです。左下に赤いスタンプがありましたが、『大改修』の文字でした。『復興から既に50年以上が経過しており、耐震診断の結果、今後継続的に使用するためには耐震補強が必要であるとされたことから、来館者の安全確保のため平成27年7月から平成28年4月にかけて工事を行いました』、とネットでも公表されていました。(同上)
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新幹線小田原駅の駅舎光景です。次は静岡駅で下車して、『駿府城(すんぷじょう)』の見学です。日本百名城の41番になります。家康公が秀忠に将軍職を譲り、『大御所』として采配を振るったお城です。この日の最後が、同じく静岡県にある日本百名城の42番の掛川城の予定です。(同上)
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