2017/07/14 - 2017/07/14
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旧東海道の名城巡りの小田原城の紹介です。『常盤木門SAMURAI館』や、『小田原城NINJA館』等も入場見学しました。(ウィキペディア、日本百名城・公式ガイドブック、小田原城関連公式サイト)
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『鉄茶羅紗包腰取丸胴具足』
〇安土桃山時代~江戸時代初期
〇佐竹氏18代目当主・佐竹義重公(1547~1612年)晩年の所用甲冑。
〇常陸国(茨城県)の戦国大名で、小田原北条氏のライバル。
〇当時、関東一の鉄砲隊を備えたとされます。(同上) -
『鉄茶羅紗包腰取丸胴具足』の説明パネル
〇安土桃山時代~江戸時代初期
〇佐竹氏18代目当主・佐竹義重公(1547~1612年)晩年の所用甲冑。
〇常陸国(茨城県)の戦国大名で、小田原北条氏のライバル。
〇当時、関東一の鉄砲隊を備えたとされます。(同上) -
『(前段読み取れず)丸胴具足』
〇安土桃山時代~江戸時代初期(推定)
〇薄い桃色の威しが印象的な具足です。(同上) -
『小田原城・常盤木門』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。先に常盤木門の中の展示館を紹介しましたが、今度は城郭の入り口部分の要所、『虎口』としての紹介です。江戸時代初期の『城絵図(小田原市立図書館蔵)』からの引用でした。この図面で、『枡形虎口』であったことが確認できました。明治3年(1870年)の小田原城・廃城まで姿をとどめていた虎口とされます。(同上)
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『常盤木門SAMURAI館』の内部見学を終えて、振り返って眺めた『常盤木門』の光景です。常盤木門は、本丸の正門にあたり、重要な防御拠点だったために、他の門と比べても大きく、堅固に造られていました。桝形虎口であり、さらに高低差も利用して作られた堅固な虎口でした。(同上)
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少し坂を下った場所で立ち止まり、もう一度振り返って眺めた『常盤木門』方面の光景です。最初に紹介した古絵図などの記録から、江戸時代初期から設けられていたことが分かりました。元禄16年(1703年)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706年)に、多聞櫓と渡櫓から構成される桝形門形式で再建されたものが、明治3年(1870年)の小田原城廃城まで姿をとどめていたと言われています。(同上)
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『東堀跡』に架かる、『常盤木橋』から振り返って眺めた、『常盤木門』方面の光景です。虎口になっていましたので、ストレートに出入口の状況を目にすることはできません。常盤木は常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられていて、また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられました。(同上)
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『常盤木門』の文字が刻まれた石標の光景です。小田原城本丸には常盤木門、鉄門の2つの城門がありました。このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点だったために、他の門と比べても大きく、堅固に造られていました。多聞櫓と渡櫓門を配し、多聞櫓は武器等の貯蔵庫として用いられていました。本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られていました。現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建されたもので、昭和46年(1971年)3月に完成しました。(同上)
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『本丸・東堀跡』のタイトルがあった説明看板です。『江戸時代の小田原城は、本丸を堀が囲んでいました。この絵図によると、堀は二の丸堀とつながり水堀となっています。発掘調査によって、この本丸東堀の位置が確認され、最も幅があるところでは20m以上もあることがわかりました。そこでこのたび、植木と盛り土により堀の形を表現し、整備しました。(以下略)』、と説明されていました。(同上)
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幅が20メートル以上あったとされる、『本丸・東堀跡』の光景です。先ほどの説明文は、『この堀を渡るために架けられていたのが常磐木橋で、水鳥の池は堀の名残と言えます』、と続いていました。現在は畑として使用されていました。(同上)
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『本丸・東堀跡』からは、一段高くなった場所にあった橋です。前方に赤く見える欄干が『常磐木橋』になります。現在の常盤木橋が架けられたのは明治時代です。史料によっては、明治初年に架けられた日本最古のコンクリート橋との記載もるようですが、天守台に大久保神社が建立された明治26年前後に架橋されたとも言われます。(同上)
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『常磐木橋』の手前から見上げた『常盤木門』方面の光景です。先程見学してきた場所ですが、周りが立派な虎口の造りになっていました。昭和46年(1971年)3月に完成した建物部分になるようです。(同上)
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幹回り4.5mに及ぶ小田原市内最大のイヌマキで、市の天然記念物に指定されています。その根元光景です。小田原城跡内にある大木のうち、このイヌマキは樹形が最も見事、とも紹介されていました。左巻きにねじれた主幹は、地上5mのところで四つに分かれ、順次枝葉を伸ばし樹冠を形作っています。(同上)
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小田原市の天然記念物のイヌマキの上部の光景です。『イヌマキ(犬槇)』についての紹介です。裸子植物のマキ科マキ属に分類される常緑針葉樹の1種です。日本の関東地方から台湾、中国南部など暖地に分布します。葉は細長くて扁平で、中央脈が明瞭です。種子は鱗片が発達した套皮で包まれ、また柄の部分が赤く多肉質になり、食べることが出来ます。(同上)
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根元の標識には、『小田原市指定文化財・天然記念物・小田原城跡のイヌマキ』の表示がありました。右回りにねじれるように成長し、四方の枝を支える四本の支柱がありました。庭木や生垣、防風林として植栽されることがあり、木材としても重用されます。真木、槇(スギまたはコウヤマキ)に対して、木材として劣る、という意味でイヌマキの名がついたとも言われます。(同上)
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小田原市指定の天然記念物の『小田原城跡のイヌマキ』の説明パネルの紹介です。
〇市の天然記念物への指定:昭和49年(1974年)。
〇目通り:4.5メートル。
〇根回り:約6メートル。
〇樹高:20メートル。 -
最後もう一枚だけ紹介する『常盤木門』の方面の光景です。 松や、杉などのように、年中その葉が緑色をしている樹木が、『常盤木(ときわぎ)』と呼ばれます。建物の周りに常緑樹の松が見えています。その絶えない緑色が、生命力や長寿の象徴とされているようです。(同上)
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道案内標識の紹介です。『報徳二宮神社』の文字がありました。祀られているのは、二宮尊徳です。『二宮尊徳(1787~1856年)』は、江戸時代後期の経世家、農政家で、思想家です。金治(次)郎(きんじろう)とも名乗りました。 諱の『尊徳』は、正しくは『たかのり』ですが、『そんとく』という読みが定着しています。戦前の教育で利用され過ぎたため、一緒に戦犯みたいになってしまいました。(同上)
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家の事情で、学びながら働いて、功成り、名を遂げた尊徳の事績の紹介です。
〇幼い時に両親が亡くなり、その借金を返済、家宅や田圃を再建しました。
〇小田原藩の家老から依頼され、無報酬で家老の家の経済を立て直しました。
〇小田原で尊徳の名前が知られるようになり、依頼に応じて成果を出しました。
〇1842年、幕府に召し抱えられて働き、下野国(日光市)で亡くなりました。 -
名前:『アジサイ(紫陽花)』
分類:アジサイ科アジサイ続
分布:原種となったガクアジサイは、日本原産です。
その他:アジサイが国際的になったのは、鎖国時代に長崎にオランダ商館員の一員として日本に渡来したシーボルトが大きく関わっています。(同上) -
庭園風に造られた場所の光景です。さりげなく造られているように見えて、仔細にながめますと、随分と凝った部分もありました。例えば、緩い傾斜部分には、目立ち過ぎないように細かな段差が設けられ、左手にみえる樹木の剪定も風変わりでした。推測になりますが、風水害を受けた樹木を、最大限組成を図っているようにも見えました。(同上)
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これで、小田原市の指定の天然記念物の『イヌマキ』とはお別れです。最後にもう一度、その根元にあった道案内看板と一緒に紹介しておきます。道案内標識は、右向きの矢印が『郷土文化館』と『市立図書館』、左向きの矢印が『歴史見聞館』と『銅門(あかがねもん)』でした。(同上)
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先程標識で紹介した『小田原城歴史見聞館』の建物光景です。マイペースの一人旅行ですから、こちらにも立ち寄ることにしました。公式サイトでは、『メインのコンテンツには、戦国時代の北条氏を陰で支えたと言われる風魔忍者をモチーフに据え、忍者の存在が学べ、新鮮な体験・体感ができる展示となります』、と紹介されていました。(同上)
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イチオシ
『小田原城NINJA館』とも呼ばれている『小田原城歴史見聞館』の内部光景です。 『映像や展示を通じて北条五代の歴史と風魔忍者について学ぶとともに、触れたり動かしたりできるアイテムやデジタル技術の活用など参加・体験型の展示手法を採用し、子どもから外国人まで幅広い層が楽しめる施設』、とも紹介されていました。(同上)
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城内から眺めた、出入口方面の光景になるようです。『風魔忍者』については、『頭領は代々「小太郎」を名乗り、五代目は身長2メートル以上で筋骨隆々、眼光鋭く、逆さ黒ひげで八重歯4本が外にむき出し、鼻がとても高かったとも伝えられていますが、風魔忍者に関わる文献はほとんど残ってなく、多くの謎に包まれています』、と紹介されていました。(同上)
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昨今は人気の忍者漫画「NARUTO」に風魔手裏剣や風魔忍者が登場したことなどで国内外で知名度が高まっているようです。風魔一党と北条氏の関わり合いの明確なつながりは、はっきりしませんが、初代北条早雲によって、その特殊な騎馬戦術の技術を評価され、北条軍団の系列に組み込まれたものと考えられています。(同上)
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頭領の名は、風魔小太郎とされ、伊賀の服部半蔵と同じように代々風魔ー党の長が継ぐ名であるとされています。北条氏の家臣に「風間出羽守」という人物が警備、諜報任務を担当していました。この人物が風魔小太郎だったのではないのかと、言われています。『北条五代記』にその記述があります。(同上)
*写真は、『戦国武将』のタイトルがあった年表です。 -
『北条五代記』によると『その姿は、身の丈七尺二寸(2メートル16センチ)、筋骨荒々しく、むらこぶあり、眼はさかさまに逆け、黒ひげにて、口は両脇に広く裂け、牙四つ外に外れ、頭は福禄寿に似て鼻高し』と描写がされています。彼の出自は、伊賀忍者説、武田の忍者説、大陸から渡ってきた説等があります。(同上)
*写真は、『伊勢宗瑞(北条早雲)』のタイトルがあった説明パネルです。 -
風魔一頭は、ゲリラ戦法が主であり、諜報、奇襲、謀略、放火、流言を広める、偵察、掠奪などが得意であったと言われています。風魔一党は、与えられた任務を遂行するにあたって、接した敵方の者を皆殺しにしたといわれています。その残酷さに周囲の者は恐れ、それが噂として広まっていったと言われています。(同上)
*周りの景色が、町屋風になりました。ここからは、『郷土文化館』です。 -
イチオシ
天正9年(1581年)に武田勝頼は、大軍を率いて、北条の伊豆領へ攻め入り、武田軍は、黄瀬川を隔てて駿河三枚橋から浮島ヶ原に、北条軍は三島と伊豆初音ヶ原に布陣しました。この時風魔一党は、約200名を四隊に分け、雨の夜も、晴れの夜も、風の夜も、黄瀬川の激流を巧みに渡り、武田の陣に夜襲をかけたと言われています。風魔一党の奇襲戦法に、武田軍は散々悩まされたようです。(同上)
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