2017/07/14 - 2017/07/14
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旧東海道の名城巡りの掛川城の紹介です。文明年間(1469~1487年)に今川氏の重臣、朝比奈氏によって築城され、歴代の城主は、山内氏の後、松平氏、井伊氏などを経て、延享3年(1746年)に入封した太田氏が明治まで続きました。(ウィキペディア、日本百名城・公式ガイドブック、掛川城関連公式サイト)
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掛川城は、遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にあった城です。戦国時代には、東海道を擁する遠江国東部の中心で、拠点とされた場所です。このため、掛川はしばしば争奪戦の舞台となりました。掛川城は、朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされます。また、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は、安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものです。(同上)
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『山内一豊(やまうち かずとよ/かつとよ):1545~1605年)』は、父は岩倉織田氏の重臣・山内盛豊、母は法秀尼、妻は内助の功で知られる見性院です。一豊は、豊臣秀吉、徳川家康らに仕え、関ヶ原の戦いの小山評定において率先して徳川方に従った功績により、土佐国9万8千石を与えられました。その後、20万2,600石に加増されました。天正9年(1581年)の馬揃えの際に、妻の千代が蓄えておいた黄金で良馬を買って夫に武士の面目を施させたという美談がありますが、資料の裏付けはないようです。写真は、掛川駅前の二宮尊徳像です。(同上)
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写真は、掛川城の遠謀です。右の建物が『太鼓櫓』、中央奥の建物が『天守閣』です。掛川城天守は、平成6年(1994年)に、初めて木造で再建された三重四階の建物です。発掘調査、古絵図調査のほか、一豊が築城した土佐城などを参考に復元されました。太鼓櫓は、三の丸からの移築とされます。(同上)
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掛川城は、本丸を中心に、西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守丸、その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二ノ丸と三ノ丸、その南を惣構えで囲んだ、梯郭式の平山城でした。明治以降は、廃城令により廃城処分とされ、建物の一部を残して撤去されました。道路や庁舎の建設によって大半の遺構が撤去されています。(同上)
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現在は、1854年に倒壊した天守や大手門などの一部の建物、塀が復元され、堀や土塁、石塁の復元が行われています。城跡の整備は城下に及び、電線類の地中埋設などによる電柱撤去や、都市景観の配慮、消防活動の等にも及びました。これ以上の復元整備計画はないようです。(同上)
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掛川城の遺構の一覧の紹介です。『二の丸御殿、太鼓櫓(移築)、大手門番所(移築)、石垣・土塁・堀(いずれも一部)、大手ニの門(移築)が遺構として残されました。遺構の内、『二の丸御殿』と『大手ニの門』が、国の重要文化財に指定されています。(同上)
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◆掛川駅から掛川城までの約500メートルと周辺商店街の景観整備の一覧です。
〇建築物に瓦屋根と海鼠壁を初めとする、城下町風外観を持たせる。
〇歩道敷タイルを石板調にする。
〇電線の地中埋設による無電柱化。
〇信号機などへのデザインポールの採用。(同上) -
『四足門』のタイトルの説明パネルです。『四足門』は、『正保城絵図』に描かれていましたが、発掘調査で「門跡」の確認はできなかったとされます。現在は、掛川城公園のメインの出入口となっています。『正保城絵図(しょうほしろえず)』を元に復元されました。門の内側には、入城者を調べる『番所(ばんしょ)』があり、本丸に通じる重要な門でした。(同上)
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『掛川城主要部模型』のタイトルがあった、イラスト風の平面図と説明文の紹介です。この模型は、正保元年(1644年)に幕府が諸大名に命じて提出させた城絵図と、発掘調査結果を基本資料として、150分の1の縮尺で製作されました。塩櫓・銭櫓のあった腰曲輪や、内堀の松尾池・乾堀は、削りとられたり、埋め立てられたりして現在目にすることはできません。(同上)
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イチオシ
『有田製磁器』で造られた『掛川城主要部模型』の光景です。模型では、先ほど紹介した、現在は目にすることが出来ない曲輪や堀を含めた、正保年間(1644~1647年)頃の最盛期の掛川城 の主要部が示されています。模型の素材は、風雨、日光などの屋外での自然条件下でも耐久性が高い有田製磁器が用いられました。(同上)
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『四足門』を潜って名が桁、城内の光景です。天守は見えていませんが、右手上方になります。左手前に見える石垣が、この後紹介する『太鼓櫓』がある場所です。中央右寄りに、この後紹介する『霧吹きの井戸』が見えています。籠城戦では死活に係る井戸ですが、この井戸は別の働きがあったようです。(同上)
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『掛川城太鼓櫓』の文字が記された白い木標と、その右の『太鼓櫓』の説明パネルの紹介です。『正保城絵図(しょうほ・しろえず)』では、『荒和布櫓(あらめ・やぐら)』と呼ばれる見張りの櫓がありました。現在の建物は、嘉永7年(1854年)の大地震以後に建てられた太鼓櫓(たいこ・やぐら)』です。(同上)
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『太鼓櫓』の紹介が続きます。名前の通り、時刻を知らせる太鼓が置かれていた櫓です。この写右手前に前に見える石垣の上に建っています。現在の櫓は、何回かの移転の末、昭和30年(1955年)に『三の丸(さんのまる)』から移築されました。正面やや右手に、『四足門』が見えています。(同上)
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『旧・三の丸』から移築された、『太鼓櫓』の光景です。古い縄張り図を見ますと、『三の丸』は、城域の東南、『松尾丸』の東で、『二の丸』の南に位置していたようです。『三の丸』には、東南角に三層の櫓が建っていたようです。東北角には、二層の櫓などもあったようです。現在は「三の丸広場』になっています。(同上)
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『掛川城公園案内図』のタイトルがあった説明パネルです。公園施設が『遊歩道、本丸広場、三の丸広場、はす池(庭園)とお手洗い』、隣接施設が、『掛川城天守閣、御殿、二の丸美術館、二の丸茶室』、と紹介されていました。写真の右手が北方向になります。(同上)
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先程の案内板にも記載があった、『掛川城公園』の光景です。右上に天守の建物の一部が見えていました。この辺りは、『本丸広場』になるようです。
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名前:『ラベンダー』:外周の紫色の花穂(推定)
分類:シソ科ラヴァンドラ属(ラベンダー属)
分布:古代ギリシャ・ローマ時代から利用されたハーブのようです。
その他;レベンダーによく似た別種かもません。 -
綺麗に寄せ植えされた、花壇の紹介です。最外周が白っぽい小さな花、その内側が四分割された赤と黄色の寄せ植え、中央部に人形と動物のように剪定された常緑樹がありました。植物の名前は特定できませんでした。(同上)
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名前:『ペチュニアのハンギング・バスケット』(推定)
分類:ナス科ペチュニア属
分布:南米原産(サフィニアは日本の園芸品種)
その他:秋まで咲いてくれるピンク色の花です。雨に強いサフィニアかも知れませんが、軒下にありました。 -
名前:『ペチュニアのハンギング・バスケット』(推定)
分類:ナス科ペチュニア属
分布:南米原産(サフィニアは日本の園芸品種)
その他:秋まで咲いてくれる花です。サフィニアかもしれない赤色の花です。こちらも軒下にありました。 -
麓から見上げた、掛川城の『天守』の光景です。掛川城の天守を最初に築いたのは、1590年(天正18年)に徳川家康が関東に移封したことに伴って入城した山内一豊です。一豊は、この時に3重4階の層塔型天守を築きましたが、この天守は1605年2月3日(慶長9年12月16日)に起きた、慶長地震で大破しました。(同上)
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掛川城天守のズームアップ光景です。1600年の『関ケ原の戦い』の後、一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転したため、その後は譜代大名を中心に城主が頻繁に交代しています。天守が再建されたのは1621年(元和7年)のことです。家康の甥の『松平定綱(1592~1652年)』の時代とされます。(同上)
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また、幕末には東海地方一帯を大地震が襲いました。『安政東海地震』と呼ばれ、嘉永7年11月4日(1854年12月23日:午前9時~10時頃)に発生した東海地震です。フィリピン海プレートの沈み込みに伴うプレート境界型の巨大地震と推定されています。当時は『寅の大変(とらのたいへん)』とも呼ばれた大地震で、掛川城も天守を含む大半の建物が倒壊しました。写真中央は、公園入口の冠木門です。(同上)
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『安政東海地震』は、南海トラフ巨大地震の一つとされ、約32時間後に発生した『安政南海地震:M8.4』 とともに『安政地震』あるいは『安政大地震』とも総称されます。この地震は、嘉永年間に起きましたが、この天変地異や前年の黒船来航を期に改元されて『安政』と改められ、歴史年表上では安政元年であることから安政を冠して呼ばれています。(同上)
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『安政東海地震』の震源域は、駿河湾奥から陸域に達したと推定され、著しい激震域と富士川河口付近に『地震山』と呼ばれる断層が出現しました。駿河湾周辺の地殻変動や、当時、駿河湾内で海面が盛上がる津波の発生が目撃されていることから、駿河湾にも断層モデルが仮定されています。現代でも要注意の震源域の一つとされています。(同上)
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1854年の『安政東海地震』の発生から、150年以上が経過していることから、次の東海地震の発生が大きく懸念されています。現代の地震予知技術では、正確な場所と日時の特定は困難ですが、同じような地域に繰り返し発生する可能性は、ほぼ確実です。安政の地震では、政務所である『二ノ丸御殿』は文久元年(1861年)までに再建されましたが、天守は再建されることはありませんでした。(同上)
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『天守丸・霧吹き井戸』のタイトルがあった説明パネルの光景です。
〇天守丸:1590年に山内一豊が入城する以前は本丸でしたが、城域が拡張されたことにより、天守閣が置かれる独立した曲輪となりました。
〇霧吹き井戸:永禄12年(1569年)、家康が今川氏真が籠るこの城を攻めた時、井戸から立ち込めた霧が、家康の攻撃を防いだとする伝説の名の井戸です。(同上) -
『霧吹き井戸』の光景です。『井戸の深さは45m。城の井戸では3番目に深く、水面が見えるのはココだけとなっています』とのネット情報がありました。また、『1522年に約1年かけて井戸が掘られた』とのネット情報もありました。今川支配時代時代のことです。ただし、掛川城の遺構としては認定されていないようです。(同上)
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イチオシ
1604年(慶長9年)の大地震で倒壊し、1621年(元和7年)に再建されましたが、1854年(安政元年)嘉永東海地震により再び倒壊した天守です。その後、再建されずに天守台などの遺構が残るのみでした。1994年(平成6年)、市民や地元企業などから10億円の募金を集めて、戦後初となる木造による天守を再建されました。その掛川のシンボルとなっている天守の光景です。(同上)
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イチオシ
再建された、『冠木門(かぶきもん)』の光景です。横木(冠木)を通しただけの、屋根がない簡易門です。文献的には室町時代まで遡ることが出来ますが、登場したのはさらに古く、鎌倉時代頃と推測されています。冠木門は、2本の門柱の上に横木を乗せた構造で、『衡門』とも呼ばれるようです。その冠木門腰に眺めた、掛川の市街光景です。(同上)
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