掛川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旧東海道の名城巡りの締め括りです。掛川城の紹介です。今回見学した小田原城、駿府城、それに掛川城ともに、すでに見学した日本百名城ですが、百名城巡りのスタンプ押印のための訪問でした。(ウィキペディア、掛川城公式サイト、日本百名城・公式ガイドブック)

2017初夏、旧東海道の日本百名城(14/14):掛川城(2完):木造で再建の天守、二の丸御殿

20いいね!

2017/07/14 - 2017/07/14

198位(同エリア578件中)

旅行記グループ 2017夏、東海道の百名城巡り

0

30

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

旧東海道の名城巡りの締め括りです。掛川城の紹介です。今回見学した小田原城、駿府城、それに掛川城ともに、すでに見学した日本百名城ですが、百名城巡りのスタンプ押印のための訪問でした。(ウィキペディア、掛川城公式サイト、日本百名城・公式ガイドブック)

交通手段
新幹線
  • 『天守下門跡(てんしゅしたもんあと)』のタイトルがあった説明パネルです。説明文には、『天守閣に入るには2重の櫓門がありました。調査では、櫓を乗せていた基壇の石垣が見つかりました』、と説明されていました。写真は『天守下門』が存在した時代の縄張り図のようです。(同上)

    『天守下門跡(てんしゅしたもんあと)』のタイトルがあった説明パネルです。説明文には、『天守閣に入るには2重の櫓門がありました。調査では、櫓を乗せていた基壇の石垣が見つかりました』、と説明されていました。写真は『天守下門』が存在した時代の縄張り図のようです。(同上)

  • 本丸側から見下ろした『二の丸御殿』の光景です。手元の日本百名城廻りのガイドブックには、『掛川城随一の見どころ、文久元年(1851年)に再建された書院造の御殿で、藩主公邸兼政庁として使われた。7棟20部屋からなる』、と紹介されていました。1980年(昭和55年)に国の重要文化財に指定された建物です。(同上)

    イチオシ

    本丸側から見下ろした『二の丸御殿』の光景です。手元の日本百名城廻りのガイドブックには、『掛川城随一の見どころ、文久元年(1851年)に再建された書院造の御殿で、藩主公邸兼政庁として使われた。7棟20部屋からなる』、と紹介されていました。1980年(昭和55年)に国の重要文化財に指定された建物です。(同上)

  • 本丸エリアと二の丸エリアの中間に位置する間仕切り用の塀の光景です。石垣が立ち上がっている左側が本丸エリアで、仕切り塀の右側が二の丸エリアになるようです。急傾斜の崖地を利用した縄張のようでした。推測ですが、戦国時代、あるいは江戸時代初期までには原型が出来上がっていたものに見えました。(同上)<br />

    本丸エリアと二の丸エリアの中間に位置する間仕切り用の塀の光景です。石垣が立ち上がっている左側が本丸エリアで、仕切り塀の右側が二の丸エリアになるようです。急傾斜の崖地を利用した縄張のようでした。推測ですが、戦国時代、あるいは江戸時代初期までには原型が出来上がっていたものに見えました。(同上)

  • 急峻な崖地に設けられた石垣越しに眺めた、掛川城天守の光景です。隙間のない切込み接ぎの石垣で、素材の意思の大きさが揃っていました。近代工法の石垣のような外観を持っていました。反りがほとんどない、垂直に近い立ち上がりの石垣でした。(同上)

    急峻な崖地に設けられた石垣越しに眺めた、掛川城天守の光景です。隙間のない切込み接ぎの石垣で、素材の意思の大きさが揃っていました。近代工法の石垣のような外観を持っていました。反りがほとんどない、垂直に近い立ち上がりの石垣でした。(同上)

  • 元に戻って、左から本丸の石垣、かなりの幅を持った通路と、数多くの支柱で補強された、間仕切りの白壁の光景です。通路は、大きさの揃った砕石で平たんに舗装されていました。間仕切りの白壁は、突き当り部分では、石垣に沿って左に伸びているように見えました。本丸を囲うのが一番の目的のようです。(同上)

    イチオシ

    元に戻って、左から本丸の石垣、かなりの幅を持った通路と、数多くの支柱で補強された、間仕切りの白壁の光景です。通路は、大きさの揃った砕石で平たんに舗装されていました。間仕切りの白壁は、突き当り部分では、石垣に沿って左に伸びているように見えました。本丸を囲うのが一番の目的のようです。(同上)

  • 道案内標識の紹介です。同じ矢印で、この石段を下りた方角の4箇所の表示です。<br />〇掛川城御殿(二の丸御殿)<br />〇二の丸美術館<br />〇二の丸茶室<br />〇竹の丸

    道案内標識の紹介です。同じ矢印で、この石段を下りた方角の4箇所の表示です。
    〇掛川城御殿(二の丸御殿)
    〇二の丸美術館
    〇二の丸茶室
    〇竹の丸

  • 『二の丸』付近から見上げた掛川城天守の光景です。公式サイトでは『掛川城天守閣は、外観3層、内部4層から成ります。6間×5間(約12m×10m)の天守閣本体は、決して大きいものではありませんが、東西に張り出し部を設けたり、入り口に付櫓(つけやぐら)を設けたりして外観を大きく、複雑に見せています』、と紹介されていました。(同上)

    『二の丸』付近から見上げた掛川城天守の光景です。公式サイトでは『掛川城天守閣は、外観3層、内部4層から成ります。6間×5間(約12m×10m)の天守閣本体は、決して大きいものではありませんが、東西に張り出し部を設けたり、入り口に付櫓(つけやぐら)を設けたりして外観を大きく、複雑に見せています』、と紹介されていました。(同上)

  • 同じような場所から眺めた、太鼓櫓の光景です。この建物は、掛川市の登録の文化財です。元は三の丸にあった建物です。目の前の石垣で護岸された堀は、かつての掛川城の守りを担っていたようでした。推測になりますが、中央部が深くなった『薬研堀(やげんぼり)』のようにも見えました。(同上)

    同じような場所から眺めた、太鼓櫓の光景です。この建物は、掛川市の登録の文化財です。元は三の丸にあった建物です。目の前の石垣で護岸された堀は、かつての掛川城の守りを担っていたようでした。推測になりますが、中央部が深くなった『薬研堀(やげんぼり)』のようにも見えました。(同上)

  • 『三日月堀』のタイトルの説明パネルです。ネット情報からの紹介です。『三日月堀は武田氏の築城技術の特徴といわれる堀の形で、丸馬出の外側を防御するために必然的に三日月状の形になりました』、また『本丸門の前面に配置された三日月状の堀です。深さは8mありました。調査では、堀の南側から石垣が見つかり、その下からは、柱穴が並んで見つかりました』、との紹介もありました。(同上)

    『三日月堀』のタイトルの説明パネルです。ネット情報からの紹介です。『三日月堀は武田氏の築城技術の特徴といわれる堀の形で、丸馬出の外側を防御するために必然的に三日月状の形になりました』、また『本丸門の前面に配置された三日月状の堀です。深さは8mありました。調査では、堀の南側から石垣が見つかり、その下からは、柱穴が並んで見つかりました』、との紹介もありました。(同上)

  • 少し高い場所から見下ろした『三日月堀』の光景になるようです。推測ですが、先程の紹介(公式サイト)の説明とは異なり、自然の地形を利用した堀で、人為的に造られた堀とは思えない雰囲気がありました。掛川城の南を流れる『逆川』が残した三日月湖』の一つのように見えました。繰り返しますが、あくまでも推測です。(同上)

    少し高い場所から見下ろした『三日月堀』の光景になるようです。推測ですが、先程の紹介(公式サイト)の説明とは異なり、自然の地形を利用した堀で、人為的に造られた堀とは思えない雰囲気がありました。掛川城の南を流れる『逆川』が残した三日月湖』の一つのように見えました。繰り返しますが、あくまでも推測です。(同上)

  • 『掛川城御殿』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の 政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設です。掛川城御殿 は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿しては、京都 二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物です』、と紹介されていました。 (同上)

    『掛川城御殿』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の 政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設です。掛川城御殿 は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿しては、京都 二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物です』、と紹介されていました。 (同上)

  • 『掛川城御殿』の建物光景です。『二の丸』に位置しますので、個人的には、『二の丸御殿』の呼び名の方がしっくりします。書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋 は襖で仕切られています。当初は本丸にも御殿が作られましたが、老朽化した り災害に遭い、二の丸に移りました。(同上)

    『掛川城御殿』の建物光景です。『二の丸』に位置しますので、個人的には、『二の丸御殿』の呼び名の方がしっくりします。書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋 は襖で仕切られています。当初は本丸にも御殿が作られましたが、老朽化した り災害に遭い、二の丸に移りました。(同上)

  • 『掛川城御殿』の部屋は、それぞれの用途に応じ約20部屋に分かれています。最も重要な対面儀式が行われる書院棟は、主室の御書院上の間と、謁見者の控える次の間・三の間からなります。 藩主の公邸の小書院棟は、藩主執務室である小書院と、藩主の居間として使われた長囲炉裏の間からなります。(同上)

    『掛川城御殿』の部屋は、それぞれの用途に応じ約20部屋に分かれています。最も重要な対面儀式が行われる書院棟は、主室の御書院上の間と、謁見者の控える次の間・三の間からなります。 藩主の公邸の小書院棟は、藩主執務室である小書院と、藩主の居間として使われた長囲炉裏の間からなります。(同上)

  • 『三の丸広場』の光景です。『三の丸広場』は、『掛川公園』の一部になっています。『三の丸広場』の目印になっているらしい大木と時計塔の光景です。残念ながら、公式サイト類には、一切の紹介がありませんでした。時計塔は、クラシックな木製でした。(同上)

    『三の丸広場』の光景です。『三の丸広場』は、『掛川公園』の一部になっています。『三の丸広場』の目印になっているらしい大木と時計塔の光景です。残念ながら、公式サイト類には、一切の紹介がありませんでした。時計塔は、クラシックな木製でした。(同上)

  • 木漏れ日が差し込んだ、『四阿(しあん、あずまや、東屋)』の光景です。時間があれば、ゆっくりと周りの景色を眺めたり、持参した本を読みながら時間を過ごしてみたい四阿でした。(同上)

    木漏れ日が差し込んだ、『四阿(しあん、あずまや、東屋)』の光景です。時間があれば、ゆっくりと周りの景色を眺めたり、持参した本を読みながら時間を過ごしてみたい四阿でした。(同上)

  • 橋の名前は分かりませんでしたが、中央図書館前に架かる赤い橋の光景です。中央図書館は、『現在の建物は2001年に新築されたもので、掛川城、大日本報徳社など周辺の景観に合わせ和風・平屋造になっている』、また、老齢者などに配慮した、『ハートビル法に適応した設計がされている』、と紹介されていました。紅葉が綺麗な場所のようです。(同上)

    イチオシ

    橋の名前は分かりませんでしたが、中央図書館前に架かる赤い橋の光景です。中央図書館は、『現在の建物は2001年に新築されたもので、掛川城、大日本報徳社など周辺の景観に合わせ和風・平屋造になっている』、また、老齢者などに配慮した、『ハートビル法に適応した設計がされている』、と紹介されていました。紅葉が綺麗な場所のようです。(同上)

  • 名前:『ササユリ(笹百合)』(推定)<br />分類:ユリ科ユリ属<br />分布:日本特産で、日本を代表するユリです。<br />その他:オトメユリ(乙女百合)などともよく似ているようです。<br />

    名前:『ササユリ(笹百合)』(推定)
    分類:ユリ科ユリ属
    分布:日本特産で、日本を代表するユリです。
    その他:オトメユリ(乙女百合)などともよく似ているようです。

  • 立派な造りの石碑ですが、残念ながら題字も本文も読み取ることが出来ませんでした。推測ですが、明治以降の比較的新しい石碑かも知れません。数段の石段の上に設けられていました。『掛川城の石碑』等で検索してみましたが、参考になる情報は見つかりませんでした。(同上)

    立派な造りの石碑ですが、残念ながら題字も本文も読み取ることが出来ませんでした。推測ですが、明治以降の比較的新しい石碑かも知れません。数段の石段の上に設けられていました。『掛川城の石碑』等で検索してみましたが、参考になる情報は見つかりませんでした。(同上)

  • 新聞で紹介されていた、掛川市の景観整備関する紹介記事です。『1980年代から掛川城周辺を整備し、1994年には木造天守閣を日本で初めて復元した。2010年に市全体の景観計画を作成、14年には南部の横須賀街道沿いを景観重点地区に指定した』、との前提で、『成果と今後の課題を考える』と述べられていました。(朝日新聞、同上)<br />

    新聞で紹介されていた、掛川市の景観整備関する紹介記事です。『1980年代から掛川城周辺を整備し、1994年には木造天守閣を日本で初めて復元した。2010年に市全体の景観計画を作成、14年には南部の横須賀街道沿いを景観重点地区に指定した』、との前提で、『成果と今後の課題を考える』と述べられていました。(朝日新聞、同上)

  • 『掛川駅から北に延びる道路は歩道が整備されて電柱がなく、その先に掛川城がそびえる。城近くは格子がある店舗や住宅があり、色調は落ち着いている。城下には国の重要文化財の御殿と大日本報徳社講堂。池の近くに図書館や美術館がある。初めて掛川を訪れた人はきれいな景観に驚く』、とも紹介されていました。これまでに写真紹介したものが多くあります。(同上)

    『掛川駅から北に延びる道路は歩道が整備されて電柱がなく、その先に掛川城がそびえる。城近くは格子がある店舗や住宅があり、色調は落ち着いている。城下には国の重要文化財の御殿と大日本報徳社講堂。池の近くに図書館や美術館がある。初めて掛川を訪れた人はきれいな景観に驚く』、とも紹介されていました。これまでに写真紹介したものが多くあります。(同上)

  • 『1984年から駅北口13・9万平方メートルを94億円かけて区画整理し、城近くを「城下町風街づくり重点地区」に指定した。大手門を復元し、景観に配慮して高さや形態などの規制をかけた。新築や改修には1軒100万円の補助金を出した』、と紹介が続いていました。(同上)<br />*写真は、かつての城主の井伊家の『井伊直虎(江戸時代以前)』の赤い幟です。

    『1984年から駅北口13・9万平方メートルを94億円かけて区画整理し、城近くを「城下町風街づくり重点地区」に指定した。大手門を復元し、景観に配慮して高さや形態などの規制をかけた。新築や改修には1軒100万円の補助金を出した』、と紹介が続いていました。(同上)
    *写真は、かつての城主の井伊家の『井伊直虎(江戸時代以前)』の赤い幟です。

  • 『これらは2005年まで28年に及んだ榛村純一市政の成果だ。榛村氏は「掛川学事始運動」「区画整理を一大叙事詩に」「天守閣や大手門の復元は日本一物語」といった独特のスローガンで市民を引っ張った。城の入場者数は、年平均10万人前後だが、復元された1994年は49万人、94年は49万人、城主山内一豊一家を主人公にした大河ドラマ「功名が辻」が放映された2006年には、32万人にのぼった』(同上)

    『これらは2005年まで28年に及んだ榛村純一市政の成果だ。榛村氏は「掛川学事始運動」「区画整理を一大叙事詩に」「天守閣や大手門の復元は日本一物語」といった独特のスローガンで市民を引っ張った。城の入場者数は、年平均10万人前後だが、復元された1994年は49万人、94年は49万人、城主山内一豊一家を主人公にした大河ドラマ「功名が辻」が放映された2006年には、32万人にのぼった』(同上)

  • 『市の景観計画は、景観に関する初の総合的法律である景観法の施行を受けて策定した。市内全域をゾーン分けして特徴を洗い出し、イメージと指針を示した。景観重視の理由として「郷土愛を高めて持続的に発展」「交流人口を促進して経済活性化」「地域コミュニティの再生」の3点をあげ、景観条例も制定した』市都市政策課は「景観のよさは市民の誇りにつながる。(続く)』(同上)

    『市の景観計画は、景観に関する初の総合的法律である景観法の施行を受けて策定した。市内全域をゾーン分けして特徴を洗い出し、イメージと指針を示した。景観重視の理由として「郷土愛を高めて持続的に発展」「交流人口を促進して経済活性化」「地域コミュニティの再生」の3点をあげ、景観条例も制定した』市都市政策課は「景観のよさは市民の誇りにつながる。(続く)』(同上)

  • 『住んでいる人が心地よさを感じれば、訪問者も同じ気持ちになる。住民と協働して掛川らしい景観を追求したい」と話す。横須賀街道沿いは、条例に基づく初めての景観形成重点地区に指定された。テーマは地元の祭りで繰り出される「祢里(ねり)」の似合う街道の継承と創造、です。新築や建て替え、修理の時は、市への届け出制にした(続く)』(同上)

    『住んでいる人が心地よさを感じれば、訪問者も同じ気持ちになる。住民と協働して掛川らしい景観を追求したい」と話す。横須賀街道沿いは、条例に基づく初めての景観形成重点地区に指定された。テーマは地元の祭りで繰り出される「祢里(ねり)」の似合う街道の継承と創造、です。新築や建て替え、修理の時は、市への届け出制にした(続く)』(同上)

  • 『屋根や建築物の形態や色、屋外広告などを街道にふさわしくするよう求めた。特徴は住民主体の景観整備機構を作り、事前相談を促していることだ。横須賀は祭りを中心とした生活が根づき、若手商業者がまちづくりのために作った遠州横須賀倶楽部という団体がある。機構には倶楽部員や建築士らが参加している』(以上、同上)<br />*写真は、景観整備の締め括りの『掛川城公園整備』の説明パネルです。

    『屋根や建築物の形態や色、屋外広告などを街道にふさわしくするよう求めた。特徴は住民主体の景観整備機構を作り、事前相談を促していることだ。横須賀は祭りを中心とした生活が根づき、若手商業者がまちづくりのために作った遠州横須賀倶楽部という団体がある。機構には倶楽部員や建築士らが参加している』(以上、同上)
    *写真は、景観整備の締め括りの『掛川城公園整備』の説明パネルです。

  • 修復されたのは間違いない、大手門の石段と側面の白い壁、それと最上段の四足門の光景です。『四足門』については既に紹介しましたが、それ以外の部分の建設日時や修復履歴などは全く分かりませんでした。修復の下地となった図面などはあるはずですが、分かりませんでした。一括して『正保絵図』なのかも知れません。(同上)

    修復されたのは間違いない、大手門の石段と側面の白い壁、それと最上段の四足門の光景です。『四足門』については既に紹介しましたが、それ以外の部分の建設日時や修復履歴などは全く分かりませんでした。修復の下地となった図面などはあるはずですが、分かりませんでした。一括して『正保絵図』なのかも知れません。(同上)

  • 『松尾池跡』のタイトルの説明パネルです。このパネルに記され紹介文文をそのまま紹介します。『本丸を囲む南側の堀は、松尾池と呼ばれていました。調査では、堀の一部と、江戸時代の瓦や陶器などが見つかりました』、『正保絵図』には、松尾曲輪が記され、川に近い場所にあるのが『松尾池』のようでしたが、名前は記されていませんでした。(同上)

    『松尾池跡』のタイトルの説明パネルです。このパネルに記され紹介文文をそのまま紹介します。『本丸を囲む南側の堀は、松尾池と呼ばれていました。調査では、堀の一部と、江戸時代の瓦や陶器などが見つかりました』、『正保絵図』には、松尾曲輪が記され、川に近い場所にあるのが『松尾池』のようでしたが、名前は記されていませんでした。(同上)

  • 『正保絵図』のタイトルの説明パネルです。『正保元年(1644年)』から説明が始まっていました。江戸時代初期の絵図です。正保城絵図は、幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。現在は、『公文書館デジタルアーカイプ』で、自由に閲覧できます。(同上)

    『正保絵図』のタイトルの説明パネルです。『正保元年(1644年)』から説明が始まっていました。江戸時代初期の絵図です。正保城絵図は、幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。現在は、『公文書館デジタルアーカイプ』で、自由に閲覧できます。(同上)

  • 各藩は、幕府の命を受けてから数年で絵図を提出し、幕府はこれを早くから紅葉山文庫に収蔵しました。幕末の同文庫の蔵書目録『増補御書籍目録』には131鋪の所蔵が記録されていますが、現在、63鋪の正保城絵図が所蔵されています。昭和61年(1986年)、国の重要文化財に指定されました。『遠州掛川城絵図』の原図サイズは、東西336cm×南北251cmです。(同上)

    各藩は、幕府の命を受けてから数年で絵図を提出し、幕府はこれを早くから紅葉山文庫に収蔵しました。幕末の同文庫の蔵書目録『増補御書籍目録』には131鋪の所蔵が記録されていますが、現在、63鋪の正保城絵図が所蔵されています。昭和61年(1986年)、国の重要文化財に指定されました。『遠州掛川城絵図』の原図サイズは、東西336cm×南北251cmです。(同上)

  • 往きに、立ち寄りましたが、帰りにも立ち寄った掛川城の縄張り内にあった休憩所です。3箇所の日本百名城を急ぎ足で回りましたので、熱中症の一歩手前になりました。冷たい飲み物を飲んで一息つきました。この後は、掛川駅から新幹線で名古屋に向かうだけです。(同上)

    往きに、立ち寄りましたが、帰りにも立ち寄った掛川城の縄張り内にあった休憩所です。3箇所の日本百名城を急ぎ足で回りましたので、熱中症の一歩手前になりました。冷たい飲み物を飲んで一息つきました。この後は、掛川駅から新幹線で名古屋に向かうだけです。(同上)

この旅行記のタグ

20いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP