はるばるきたぜ早春の函館・江差の旅(三日目)~数えきれないほど多くの坂がある函館は、歴史的な洋館があちこちに点在。函館は、幕末の開港によって初めて自らのアイデンティティーを得たのかもしれません~
2017/03/19 - 2017/03/19
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今日は、まるまる一日をかけて函館市内。一度それなりに回ったことはあるのですが、今考えればやっぱり不十分。これだけ多くの坂があるのに、八幡坂しか見ていない。函館市街のスケール感を体で感じる意味もあって、今回は、体力が続く限り。とにかく徹底的に歩き回ります。
その中でなんとなく感じたことは、函館のアイデンティティーについて。江差、松前と並ぶ松前藩の三港の1つに過ぎなかった函館は外国船が入港できる港であったことから、一気に三港のトップとなるだけでなく、それも下田に次ぐ日本で最初の開港地となる。それは、当然 北海道の中心という位置づけであり、その象徴が坂と洋館群だったのですね。この様変わりはあまりにも急激だったし、開港景気の後も青函連絡船や北洋漁業など北海道の開拓と発展は続いたので、そうした中で育まれた高揚感がそのまま函館のアイデンティティーになったことは容易に想像ができます。
ただ、明治以降の北海道の発展を考えると札幌や小樽とかはもっとすごい。つまり、明治に入ってほどなく開拓使が設置されると、もう函館は北海道の重要な都市の1つという位置づけに。結局、函館が北海道の、また日本の代表という栄光の時代は幕末から明治初頭の僅かな期間だけだったことになるでしょう。札幌なんてといったいわゆる函館市民のプライド意識はこうした事実とイメージとのギャップもたぶんあるのかもしれません。
美しい町並みもいろんな評価ができるんだと思いますが、それにしても、短期間の間によくここまでの町並みができたものだという評価はどうでしょう。ネガティブかもしれませんが、それは反面、過去の歴史がなかったからという面がなくもない。最低限の都市計画にしたがって、金さえあればの開発なら、むしろ、あっという間にできて当然のことだったかもしれません。例えば、キリシタンの弾圧や中国との交易の歴史も背景にして街が形成された長崎。同じように建つ教会も文化的な意味合いに大きな違いがあるのは否定できないところでしょう。西洋風の文化を抵抗もなくサラサラと受け入れた函館に対して、いろんな葛藤、悲劇も経験しつつ、また、和、中華とも混じり合いながら、浸透させていった長崎。そして、長崎がなければ明治維新もおぼつかないくらい、積極的に歴史的な役割も果たしている。サラダのような味わいと濃厚なスープのような味わいの違いとでも申しましょうか。例えば、そんな感じかなとも思います。
視点を変えて。街のアイデンティティーは、強烈な時代を経ることで生まれることも多いのですが、逆に、そこから抜け出すことも簡単ではない。例えば、福井や宇和島は、四賢候の時代が今でも街のアイデンティティーになっていて、外部の人間からすると奇妙な感じがするのですが、函館もそうした匂いがちょっとしなくもないですね。
まあ、それがどうしたということも含めてですが、二度目の函館は、やっぱりいろんなことを考えさせられたような気がします。
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まずは、函館駅の周辺から散策開始です。
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函館市国道元標は、函館駅前交差点角。アネックス館の対面です。
この元標は、一般国道5号、278号、279号の起点。立派な青銅のモニュメントです。
ところで、道路元標というのも、東浜桟橋にあって、これは北海道で初めて国道と認定された国道4号線の起点。こちらの方は、函館のものというよりも北海道全体にとって意味あるもの。函館が北海道の玄関であったことを示すものですから、合わせて、理解するといいのではないかと思います。 -
朝飯は、どんぶり横丁市場へ。函館駅から一番近い食堂街だし、ここがとりあえず手っ取り早い。
中に入ると、海鮮の豪華さを競うようにいろんなお店が並んでいます。皆さん、どこが安くておいしいかときょろきょろしている感じです。 -
一番賑わっているような感じだったので、味鮮まえかわへ。どんぶり横丁の中ほどです。
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ミニうに三色丼をいただきました。少しの量でもうにのうまさを久しぶりに確認したかったのですが、意外に感動なし。利尻のうにと比べてもせんないことだったのかもしれませんが、ちょっと寂しかったかなというのが正直なところです。うーん。
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まあ、今日のメインは、街歩き。気を取り直して、市電で出発です。
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魚見坂は、電停函館ドック前から外国人墓地の方に上って行く坂。急な坂ではないのですが、だらだらと上って行く長い坂。上まで上るにはちょっと距離があります。
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坂を上る前に。
弁天台場跡は、電停函館ドック前を降りてすぐの公園内。新撰組最後の地碑と並んで、説明の看板が建っています。
弁天台場も五稜郭と同じく、設計者は武田斐三郎。新選組はここ弁天台場に立てこもって政府軍と戦いますが、函館市街を占領されてしまうと孤立。五稜郭に先だって降伏することになりました。今では周辺は真っ平ら。陣地があったような形跡はまったくありません。 -
ほど近くの厳島神社です。
厳島神社と言えば、海の神様。境内には手水石鉢や方位石など航海の安全を願う廻船業者等の寄進の品も見られます。なお、社殿は大正時代のもの。豪華なようなそうでもないような。こっちの方は微妙です。 -
さて、ここからいよいよ歩き始めます。
登って行く途中から、右手の方には真っ青な海が見渡せる場所が現れて。これはかなりの絶景じゃないですか。函館の坂はたいてい摩周丸の停泊する函館湾の方を見下ろすのですが、ここは外洋を見渡すので、気持ちの良さはこちらの方がちょっと上のような気がします。まだ寒々とした海ですが、この青は目に沁みるような鮮やかさです。 -
高龍寺までやってきました。
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この辺りでは、その豪壮さと華麗さとでひと際目を引く存在です。
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一方で、高龍寺境内奥にある傷心惨目の碑は函館戦争の痛ましい事件の記憶をとどめるもの。当時、ここでは旧幕府軍の負傷者を受け入れていたのですが、その負傷者に対して新政府軍が乱入し、かなりの数の犠牲者が出たという事件。犠牲者には会津兵が多かったそうですが、耳をふさぎたくなるような事実。冥福を祈るしかありません。
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さらに進んで、函館中華山荘。ここも、函館の外国人墓地の一角。幕末から函館に住む中国人が多くなっていったようで、その中国人のための墓地ですね。
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イチオシ
赤いレンガに囲まれて、中国の墓地ってこんな風でしたっけ?
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イチオシ
正面には真っ青な海。墓地ではあるのですが、赤いレンガと青い海の組み合わせがとても美しいと思いました。
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函館山背泊地蔵寺は、中華山荘の向かい。これは裏手から海をバックにした光景です。
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入口脇には万平塚という塚があって、明治から大正にかけての時代、函館にいた乞食なんですが、乞食であっても気骨のある名物男。その人物に感銘した人がこれを造ったのだそうです。いろんな歴史を重ねた寺なのだと思います。
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そして、外国人墓地の奥の奥の方にあるのが、この天下の号外屋翁の墓。これは、生前自ら「天下の号外屋」を名乗って活躍した信濃助治という人物の墓なんですが、ご覧のとおり、その墓石は真っ赤という奇想天外なもの。死んでからも目立ちたいという変わった人物ですが、私もそれにつられて訪ねたわけですから、その思いは今もいくばくかは達せられているということになりますね。
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また、少し戻って。
称名寺は、高龍寺などいくつかの大寺が集まる寺町のようなエリア。 -
今では鉄筋コンクリートの本堂ですが、開港当初は英仏の領事館が置かれたところ。当時もそれなりの安全が確保できるしっかりした構えであったことが窺われます。
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境内には、新選組副長、土方歳三の供養碑や高田屋嘉兵衛の顕彰碑も。何かと見どころがある寺だとは思います。
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お隣りの実行寺は、日蓮宗の寺院。英仏の領事館が置かれた称名寺に対して、こちらにはロシア領事館が置かれたそうです。
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山門を入って、妙に奥まったところに本堂があるのですが、これがなかなかに立派な構え。高龍寺や称名寺も同じですが、函館の財力を反映しているように思います。
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さらにその隣りは、東本願寺函館別院船見支院。実行寺、称名寺とこの船見支院の函館を代表する三つの大寺が並んで建っていることになります。
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真宗大谷派の寺なので、構えが立派なのは当然なのでしょうが、黒い瓦の楼門と本堂が異彩を放っていて、ちょっと特徴的。しかし、異彩に感じる黒々した瓦の色も、私には北の大地にしっかり根を下ろしたいという力強い思いを込めたものにも思えます。
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東本願寺函館別院船見支院の正面から下っていく坂は、千歳坂。函館湾に向かって下って行く長い坂です。ただ、それなりに幅はあるのですが、脇には学校があるし、最初のくだりは緩やかなので、支院からの眺めは少しダイナミックさにはちょっと欠けるかもしれません。
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船見坂は、函館の坂の一番東側端っこの魚見坂の次の坂。千歳坂からだと一本戻ることになります。坂の上で学校にぶち当たるので、他の坂よりちょっと短くなっています。それに周囲は住宅地だし、新興住宅地によくあるような雰囲気にしかなっていない。観光地らしい雰囲気にはなっていないように思います。
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これは、その坂の途中にある大正湯です。ピンク色の銭湯は、ちょっと大きめの建物でコインランドリーも完備。洋風のハイカラな外観ですが、レトロ建物のようでいても、ちゃんと現役。函館市内には谷地頭温泉もありますが、とにかくあったまるためなら近くにある方が便利です。地元に密着した銭湯だと思います。
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改めて、西に向かって、これは幸坂です。東側から数えて4番目。千歳坂の次の坂です。
しかし、これがなかなか難敵。下を見るとこんなですが、ここから上がまたさらにすごいんですよね。 -
イチオシ
幸坂を上り始めると、途中に現れる旧ロシア領事館。内部の拝観はできないので、外観を確認するだけですが、美しい建物の姿は今でも健在。十分に楽しめます。ただ、幸坂はこの辺りから急に傾斜がきつくなる。歩いて行くしかありませんが、少し覚悟して行った方がいいかもしれません。
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山上大神宮は、幸坂を上りきったところ。坂が最後急になったところを登るのでけっこう大変です。傍らにお説明板があって、幕末の箱館戦争の際は、旧幕府軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所になったということですが、さもありなんというロケーションです。
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社殿はまあ普通。境内からの幸坂の眺めを楽しむ神社でしょう。
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イチオシ
ということで、幸坂は旧ロシア大使館や最後は山上大神宮まで。上るにしたがって、急になって行くような感じで、私もふうふう言いながら上りました。
ただ、その分、この通り、坂の上からの眺めは抜群。細く長く続いた先に函館湾が見える景色は、有名な八幡坂の景色にも負けていない。もう少し有名になってもいいかなと思います。 -
山上大神宮の手前にある公園は、船見公園。常盤小学校の碑というのがあって、小学校の跡地なんでしょう。それなりの広さがあります。
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幸坂の眺めは山上大神宮から十分なので、公園に入る意味があるかなあとも思ったのですが、こちらの公園から見ると函館ドックがよく見えて、また違った美しさがある。幸坂を上ったのならせっかくなので、この眺めも確認しておくといいと思います。
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幸坂の次は、姿見坂。東側から数えて5番目の坂です。幸坂の眺めと比べるとダイナミックさには少し欠けますが、そうはいってもこちらの眺めも悪くはない。住宅地の先に函館湾の青い海と対岸の市街地の美しさなど、まとまりの良い景色を楽しむことができます。
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東側から数えて6番目は、常盤坂です。称名寺前の道路を東に進んで来るとこの辺りからアスファルトが石畳に変わって、やっと普通の観光エリアに入ってきたかなと感じる辺り。姿見坂の眺めと似ていますが、道路の幅が狭い分見通しがイマイチ。ちょっと美しさは落ちるかなと思います。
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続いては、弥生坂。途中に弥生小学校がある坂です。幅が十分に広くて函館湾までの見通しは悪くないのですが、傾斜も単調で建物がまばらな分、遠近感も働かないので、あんまり美しさは伝わってこないような。だらだらと下って行く坂という感じしかないように思います。
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函館市立弥生小学校は、弥生坂をかなり下ってしまったところ。なんで小学校が観光スポットなのかと思うのですが、それは昭和9年の函館の大火後の復興建築であり、かつ、「市景観形成指定建築物」に指定されているから。
耐火性を一番に考えたものだと思いますが、ベージュの基調に、落ち着いた癒されるようなデザインでもあると思います。 -
函館市立弥生小学校の敷地の中には、旧アメリカ領事館跡の案内板。
アメリカがここに貿易事務所を構えたのは安政4年(1858年)。日米和親条約を結んだ4年後です。
ところで、イギリスやフランス、ロシアの領事館はもっと坂の上の方。ここまで海岸に近いのは鎖国を開かせた自負心の表れかもしれません。 -
函館市立弥生小学校のはす向かいは、中華会館。いかにも中国風のデザインという赤いレンガで囲まれた重厚な建物。国内では唯一残る中国清朝建築様式ということですが、ただ、どこがどうその特徴になるのかはよく分かりません。入口が表示されていましたが、鍵が掛かっていて内部には入れず。近所の人に聞いたら、たまあに公開される日があるということでした。
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東坂は、函館市立弥生小学校の西側。函館中華会館の東側を通る坂です。ただ、函館市立弥生小学校と函館中華会館に挟まれた交差点のところで屈折するので、一気通貫と言った坂の良さがまったくない。景観としての見応えはないでしょう。
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旧函館西警察署庁舎は、函館の開港当時の運上所跡地に、大正15年、水上警察署として建築されたもの。ただ、現在の建物は後に、復元した建物です。弥生坂の入口角にあるので、弥生坂の上から見るととてもよく目立つ。この辺りのシンボルになっている建物でしょう。
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郵便役所跡の碑もありますが、結局、いろんな役所として便利に使い回されたのかもしれません。
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そのまま海の方に出ると、箱館丸です。大町の電停から海側に出たところ。これは日本人の設計によって日本人が自ら建造した初めての洋式帆船。案内板があって、函館奉行所に所属し、蝦夷地の警備や外国との交渉のために造られたということでした。ただ、姿はなんか潜水艦のようなずんぐり型。帆船としての美しさはイマイチです。
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イチオシ
箱館丸の正面は、函館湾。
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こうして海を眺めるとやっぱり心が和みます。
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続いては、タチカワ カフェへ。
函館ペリーロード沿いに建つ太刀川家住宅を利用したカフェなんですが、そもそも太刀川家は米穀店から回漕業に乗り出した豪商。この建物は明治34年に建てられたものです。 -
店内は硝子戸を入ってすぐの上がり框のような広いスペース。
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紅茶をいただきましたが、手作りケーキの類もいくつかあるのにあとで気が付きました。黒光りのする重厚な木材が見どころです。
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そのまま、もう少し、周辺をチェックします。
旧小林写真館は、道内で現存する写真館としては最古のもの。大火の後、明治40年に再建されて、昭和37年まで使われたということ。緑の外壁に黄色の窓枠、赤い屋根とカラフルな色彩。石川啄木も訪れたというのもおまけです。 -
相馬株式会社は元町公園から下った基坂の入口。不動産や倉庫業で財をなした相馬哲平氏の社屋として大正5年に建てられたものです。
意表を突いた緑色一色の和洋折衷の建物は、ひさしの付いたパラディアン窓がいくつもあって、デザイン的に賑やかな印象を与えています。 -
明治天皇御上陸記念碑は、元町公園から基坂を下って、そのまま電車通りを越えたところ。通りの中央分離帯の中にあって、高い塔の上に鳳凰がとまっているデザイン。東北北海道の巡行で訪れたもので、明治9年のことだそうです。
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そして、これが基坂。周辺も含めて、函館では最も華やかな雰囲気がある坂なので、函館観光だとここを訪れない人はいないでしょう。
電車道から元町公園や旧函館区公会堂に向かう道で、電車通りからまっすぐ。幅もあるので、坂の上の旧函館区公会堂も下からよく見える。
なお、名前の由来は、明治時代に坂の下に道路距離計測の基点が置かれたからだそうです。 -
基坂を上り始めて、まずは、函館市旧イギリス領事館。函館が国際貿易港として開港された1859年から75年の間。火災や移転があったようですが、この建物は閉館までイギリス領事館でした。
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これは裏庭に回ってみたところ。季節になると庭園のバラのトンネルをくぐる洋式庭園があたり、イギリス風の頑健な造りの建物と調和が見どころでしょう。イギリス政府工務省上海工事局の設計、函館市の有形文化財です。
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市制施行70周年を記念して復元。開港記念館として一般公開されていまして、
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入場料は300円です。
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執務室や
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住居スペースに続いて、
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開港港としての函館の歴史をかいつまんで説明。
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おきまりの高田屋嘉兵衛にも触れていますが、これはまた後でコメントします。
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で、函館と西洋の風のこと。もともと歴史がなかった北海道ですから、明治になって、開拓が急ピッチで進められ、西洋文化が流入する中でも、既存の文化との調和云々といった問題はなかったはず。それどころか、もしかしたら、むしろ、西洋風を逆に自分たちに好都合なアイデンティティとして捉え、積極的にこれを取り込んだのではないか。レトロな洋風建物のやけに街に馴染んだ佇まいは、もしかしたらそれに代わるものがなかっただけ。つまり、実は意外に厚みのない風景なのかもしれません。観光地としての魅力があることは認めますが、そんなこともちらり感じなくもない。
ズバリ言えば、そこのところはいろんな文化が融合した街、長崎とはやはり似て非なる街かなと思います。 -
イチオシ
ペリー提督来航記念碑は、旧イギリス領時間の向かいの広場です。全身像のペリーは颯爽とした雰囲気。日米和親条約が締結されると、さっそく函館を検分するためにこの地を訪れたペリーは利の多い港であることを評価したそう。その後の函館の発展を予知していたかのようです。
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基坂を上から眺めて、
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ここから元町公園に入ります。
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函館四天王像は、元町公園の奥の斜面の方。四天王は今井市右衛門、平田文右衛門、渡邉熊四郎、平塚時蔵。函館の発展に力を尽くした人ではあるのですが、その前提として、函館は歴史や文化の遺産がなかった街。したがって、市民としてのモラルまで含めて貢献した人々であり、その貢献は経済的なものにとどまらない。像に込めた感謝の気持ちもいっそう大きいように思います。
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函館四天王像から元町公園の眺めもチェックして。
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これは、元町公園の真ん中に建つ旧北海道庁函館支庁庁舎。前面の一二階を破風までぶっ通す柱が特徴ですが、雨避けの機能を考えるとちょっと感心しないかも。取りあえずかっこうをつけることを優先したように見えなくもないかなと思います。
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内部は観光案内所兼休憩所と言ったところでしょうか。
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旧開拓使函館支庁書籍庫は、旧北海道庁函館支庁庁舎の脇にあるのですが、これに気が付く人は少ないかも。窓も全くない切り妻屋根のレンガ造りの建物は、それ自体は何の面白味もないでしょう。しかし明治13年築のこの建物は、明治40年大火でも類焼を免れたということ。しっかりその役割を果たしています。
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こちらは、元町公園の隣りに建つ雰囲気のある大邸宅の旧相馬邸。
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この辺りでもひときわ異彩を放っていると思います。
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建物の内部の拝観は4月からだそうで、敷地内を少し歩いただけでしたが、外から覗いた玄関から勿体のある邸宅全体を見上げる外観などちょっと普通ではない雰囲気がムンムンしていました。
豪邸のかつての主人は相馬哲平。米穀商で財を築き、旧函館区公会堂の建設にも相当の私財を投じたとのこと。そういう意味では、この邸宅の建つ場所にもちゃんと意味がある。調べれば調べるほどすごい遺構だと思います。 -
そして、旧函館区公会堂へ。ここは、元町公園から函館港までの一帯を見下ろす高台です。
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建物は明治43年に建てられた左右対称で、横長のコロニアルスタイルというらしいのですが、なんといってもブルーグレーとイエローの色がとてもきれい。この華麗な色調は他には例がないでしょう。明治44年には大正天皇が皇太子殿下として宿舎として使われたこともあるようです。
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さて、館内はどこもピカピカ。
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待合とか、
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部屋もたくさん。
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イチオシ
だだ、高級感があるのは二階の方。
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貴賓室や
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130坪の大広間は、当時の雰囲気がそのまま感じられます。
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最後にバルコニーからの眺めもチェック。いい気分です。
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再び、散策を開始して。
日和坂は、基坂と八幡坂の間にあって、元町公園に続く甘味処とかが集まるエリアから下って行く坂。ここから海を眺めると日和がよく分かるので日和坂となったということですが、今は見通しも悪いし、イマイチ目立たない坂かと思います。 -
船魂神社は、近くに入り口があって。
北海道最古の云々とあって、函館でまたかという感じだったのですが、境内に入ってみると「義経伝説 童子岩」。 -
義経の北帰行伝説というのはありますが、まさにそれに因んだ神社。ちょっと興味をひかれました。
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日和坂の花かんろは、緑色の暖簾がけっこう目立ちます。
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ちょっと覗いてみるといい感じのみたらし団子。それを一本もらって店先の腰掛で食べました。柔らかめのお餅ですが、もうちょっと艶々感があってもいいかな。函館にはおだんご屋さんが多いので、ちょっと期待値が上がっていたかもしれません。
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同じ並びの菊泉も人気のお店。意外に奥が深くて、突き当りの縁側のテーブル席に通されましたが、海が見えてなかなか開放感があっていい感じ。
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さて、とうふ白玉ぜんざいの温かいのをいただきましたがふたを開けるともわっと湯気が上がります。とうふ白玉は、絹ごし豆腐を練り上げたものということでしたが、そう言われても豆腐には感じませんね。甘みはけっこう抑えめです。
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函館山のすそ野から函館湾に向かってはいくつも坂があって、函館の名物になっているのですが、一番有名なのはこの八幡坂でしょう。道幅も広いし、湾の向こうの摩周丸までが一直線になって見通せる。もうかなり昔になってしまいましたが、チャーミーグリーンの宣伝のインパクトが今でも生きているような。その宣伝は知らないような若い人も含めて大勢の観光客が坂の上から写真を撮っていて、ひと際人気の坂となっています。
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遺愛幼稚園は、函館ハリストス正教会の並び。
明治28年に開園し、現在の園舎は、大正2年に建設されたものということです。表通りの方から見るとたいしたことないように見えたのですが、函館ハリストス正教会の敷地から見下ろせる場所があって、そっちから見ると立派な洋館。幼稚園というかわいらしいイメージではなく、相当に堂々とした建物であることが分かりました。 -
そして、ここからバタ臭い函館の象徴と置いうべき三つの教会が建つエリア。
まず最初の函館ハリストス正教会は、キリストの復活聖堂を有する、正教会の教会で、この主の復活聖堂は国の重要文化財。 -
イチオシ
ちなみに、ハリストスは、キリストのギリシャ語読み。1859年にロシア領事が領事館内に聖堂を建てたのが始まりです。
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日本の正教会の拠点は、ニコライにより、東京の神田に移され、ニコライ堂が中心となっていますが、歴史は当然ここが古いことになります。
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現在の聖堂は、1916年の再建。ビザンティン建築やロシア建築の影響を受けていて、外壁の白漆喰が美しいです。なお、この教会はガンガン寺という名前も。最初に聖堂ができた際、5個の鐘を使って楽器のように鳴らしたところから付いたようです。
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イチオシ
続いての聖ヨハネ教会は、明治7年、イギリスの宣教師デニングが函館にやってきて伝道をはじめ、4年後に英国正公会の日本教会として聖堂が建てられたもの。ただ、その後、度重なる火災で移転もして、現在の建物は、大正期に再建されたもの。白壁に十字架がデザインされ、建物全体を上から見ると十字架に見えるようにできています。
海を見渡せる高台にあるのですが、正面から見てもちょっとイマイチ。あちこち探して、チャチャ上りからこのアングルを見つけました。素晴らしい眺めを感じてもらえたらと思います。 -
イチオシ
元町カトリック教会は、江戸時代末期にフランス人の宣教師が建てた仮聖堂がはじまり。
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その後、二度の火事によって焼失し、現在の建物は、大正13年に、焼け残ったレンガ造りの外壁を使用して再建されたもの。高さ33mの大鐘楼、六角形のとがった塔の上に載った大きな風見鶏が目印なのですが。ひとつ前の写真のように赤い屋根と塔の向こうに海も見えて、ロケーションも素晴らしいと思いました。内部の見学も可能。聖堂内部の祭壇は、ローマ法王ベネディクト15世より贈られた日本で唯一のものということです。
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で、カトリック元町教会の前の坂が大三坂。石畳の美しさもあって、日本の道百選に認定されていますが、印象としてはちょっと傷んだデコボコの石畳という感じ。
大三というのは、かつて奉行所へやって来る人たちの郷宿が坂の入口にあって、その家印に由来するそうです。 -
カトリック元町教会の向かい側には、函館市出身の文芸評論家、亀井勝一郎生誕の地碑も。小さなスペースですが、周囲はきちんと整備してある碑です。
裏には東本願寺の境内だし、こんなところに家が建っていたのかなあという場所だし、その頃は観光客とかはどうだったんでしょうか。今だと落ち着いて暮らせないかもしれません。 -
少し移動して。
カールレイモンって、耳慣れない名前ですが、大正8年、ドイツからやってきたハム、ソーセージの職人。旧居宅の横にある直営店の入口には氏の胸像。 -
内部は、レイモンハウスは、ソーセージ造りのマイスターの伝統を受け継ぐ名店です。
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レイモンドックを店内でいただきました。
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パンから大きくはみ出したソーセージが豪快でパリッとした皮とジューシーな肉汁もうまいんですが、今やドトールのホットドックもけっこううまいですから、希少価値という意味では薄れているのかなあと思います。
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二階には氏の職人としての足跡が紹介されていました。
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ただ、現代ではハムやソーセージの技術はどんどん進化していて、さっきも触れましたが、今ではここの製品も驚くような差はないような。しかし、この扱いを見れば、パイオニアとしての功績は函館の文化貢献も含めて大きいように感じます。
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そのまま、東本願寺函館別院の方へ。
ただ、別院と二十間坂はまるで一体のような感じ。東本願寺函館別院の本堂は大正4に建てられたという巨大な鉄筋コンクリート造りだし、二十間坂は幅が広い。どちらもスケールが大きいので、この二つはちょうどバランスが取れています。境内には駐車場があって警備員さんが車を誘導したり。訪れる人は多いようです。 -
二十間坂は、こちらの幅の広い坂。明治12年の函館の大火の後、防火線としてこのように広い幅の道が整備されたということです。
ところで、坂の長さは限られた感じですが、それは幅が36mと広いから。上るとやっぱりそれなりに距離があってきついです。 -
ここらで、昼飯にしましょうか。
小いけ 本店は、電車通りに面したお店。 -
地元民にとっては馴染のあるお店ということで訪ねたのですが、口にした瞬間。なんですかあ、この辛さは。。それも香辛料の辛さだけがシンプルに辛いといった辛さ。
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辛いのが苦手な私にとってはまさに衝撃的。やっとの思いで完食しましたが、これは子供には無理ですね。ご注意を!
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電停十字街近くに戻ってきて。
この雰囲気あるレトロビルは、はこだて工芸舎。 -
元は商家という建物を買って、今は焼き物や織物を扱うショップとなったもの。
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外観はコンクリートか石造りなんですが、内部はバリバリの木造。外壁と少し空間を開けて、内部にお店のスペースがあるという二重構造も面白いです。女将さんは、北海道に関係ある陶芸作家の作品を揃えていて、それがまたとても個性的。商品の目利きの方もさすがです。
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その並びにあるのは、北海道坂本竜馬記念館。
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なんで函館で龍馬?という感じもしなくはなかったんですが、聞くと関係は大あり。志半ばで倒れた龍馬ですがゆくゆくは北海道の開拓に夢を膨らませていたというだけでなく、坂本龍馬の甥で養嗣子となった坂本直が北海道に渡り、その子孫は函館に根を下ろしていたんですね。
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龍馬ゆかりの展示品も質が高いし、龍馬の紹介も偏ることなくかなりバランスがとれている。子孫の一人の山岳趣味を紹介するコーナーもあったり、けっこう楽しめます。
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北海道坂本竜馬記念館の向かい側にある蝦夷地の坂本龍馬像です。
北海道坂本竜馬記念館は閑散としていましたが、こっちの像の人は記念写真を撮る人がひっきりなしに訪れている感じ。函館でも龍馬の人気は健在です。ただ、隣りにビルがあるので、午後からは日陰になります。記念写真を撮るなら午前中の方がいいと思います。 -
ここから箱館高田屋嘉兵衛資料館に向かいます。
その途中の、これはマリオドール。ソフトクリームの文字が見えたので取りあえず寄ってみました。 -
しかし、中に入るとこれは予想外のレトロで落ち着いた店内。おまけにこのソフトクリームは牛乳の香りがとってもよくて半端なくうまいじゃないですか。そのままつい長居したくなるようなお店でした。
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さて、少しまた元気が出たところで。
箱館高田屋嘉兵衛資料館は、今回が二回目。前回の記憶があまりなかったので、再チャレンジのつもりだったのですが、結果はやはり微妙。つまり、高田屋嘉兵衛の功績が何であるかがストレートに伝わってこないんですね。
ロシアとの関係を象徴するゴローニン事件の内容もきちんと解説されていないのは論外として、千島列島や樺太への商圏の拡大と言ったことは今の北海道に何か遺産として残っているわけではない。勤勉で勇気のある人物像とかが教科書でも紹介されたとか、やっぱりそれは周辺情報。函館と高田屋嘉兵衛との関係すらうまく切り込めていない。これではモヤモヤが残るのは当然。コンセプトというか、基本的なところをちゃんと改善する必要があるでしょう。 -
モヤモヤ感が残る中で、散策を続けます。
日本最古のコンクリート電柱は、電停十字街の交差点角。見慣れない四角い柱なので、すぐにそれと分かります。大正12年に現在の北海道電力の手で建てられたもの。函館は大火が多くそれに備えたものなのだそうです。そして、今でも現役。コンクリートの耐用年数って、けっこうあるものなんですね。 -
丸昌は、電停十字街の近く。昆布を中心に取り扱うお店です。北海道を目指した北前船は、江差のニシンに対して、函館では昆布。取引量としてはニシンの方が圧倒的に大きかったのですが、函館の昆布も良質。いまでもがごめ昆布というのが函館独特の昆布であり、そういう意味ではこのお店も函館ならではの内容。どこにでもあるお店ではありません。
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赤い靴の少女像は、赤レンガ倉庫街から少し離れたちょっと寂しくなる辺り。
赤い靴の少女像は、横浜の山下公園の像が最も有名だと思いますが、函館もゆかりの深い地のよう。モデルの少女、きみちゃんは、母と一種に静岡から函館へと移り住みますが、ここでアメリカ人宣教師に預けられ、親子の別れとなる。像には毛糸の赤い帽子とマフラーに白い手袋もはめている。誰がそうしたのかは分かりませんが、強い思いが込められている像のように思いました。 -
函館には、新島襄海外渡航の碑と新島襄ブロンズ像があります。ブロンズ像の方は、ベイエリアの函館西波止場。
新島襄が海外密航のために、変装した服装で小舟に乗り込んだ姿を表したもの。無事に
アメリカ商船ベルリン号にたどり着き、密出国に成功しています。像の名前は「記念撮影 未来への始まり‐海原‐」。ここで記念撮影をしてくださいということでしょうか。えらく親切な名前です。 -
東浜桟橋は、函館湾に少し突き出たような小さな桟橋。明治4年に設置された当初は木造だったようですが、明治41年に青函連絡船が就航。現在の函館駅近くに新たな桟橋ができるまでは、ここが唯一の桟橋だったようです。
今ではかなり古びてしまって、安全上の関係でしょうが立ち入りは禁止。沖合いに摩周丸の姿とかがよく見えました。 -
はこだて海鮮市場って食堂なのかと思ったら、これは海産物とかお菓子類まで含めた函館の食材を扱うスーパーですね。
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店内には冷蔵のケースがかなりのスペースで並んでいて、豊富な品ぞろえがすごいです。手軽なところだといかめしとかがお勧めかなと思います。
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七財橋は、函館駅方面から赤レンガ倉庫のエリアに入る石橋。かなりの角度の太鼓橋なので、タクシーがここを渡る姿とか、石畳でガタガタ揺れた後に車体がけっこう前後に傾いてなかなかダイナミック。歩いて渡る分には何でもないのですが、車だと難所っぽくなって面白いです。
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赤レンガ倉庫の方は、
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相変わらず、大賑わい。函館では、やっぱりここが一番活気があるでしょう。
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早々に引き揚げて。。
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豊川稲荷神社は、金森レンガ倉庫からさほど遠くはないのですが、ちょっと寂しい一角。
広い道路の中央分離帯のような中にありました。 -
始まりは江戸時代の文久年間に遡る神社は、何度も大火にあって焼失しているよう。境内には寄進者の名簿とかがたくさん残っていました。まあ、あんまりたいしたことはありません。
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もう日が暮れたので、ここからは夜の部。谷地頭温泉に向かいます。
市中屋は、谷地頭の電停から谷地頭方面に向かってすぐ。電停からも見えています。函館はお餅のお店があちこちあって、こんなところにもありましたかって感じです。 -
串団子は醤油、餡子、ゴマの三種類。ゴマをいただきましたが、ゴマの香りがいいですね。お餅は全体のモチモチに対して、表面のツルツル感がある、私としては最高のタイプ。女将さんはちょっと愛想がないですが、味の方はお勧めです。
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さて、これが谷地頭温泉。
市電の終点谷地頭から歩いて5分。山すそに想像以上に立派な施設が建っていました。地元のお人がしきりに勧めてくれた通り、ゆったりしたスペースの広い温泉はひなびた感が程よくあって、これはあったまりますよ~。口にすると塩分もしっかりあって、湯冷めしにくいのも特長なんでしょう。休憩所や食堂も充実しているので、長い時間いてもいいと思います。 -
そして、晩飯は函館塩ラーメンの人気店、あじさい 本店へ。
五稜郭タワーのすぐそばにあるお店は全面ガラス張り。二階から外を見下ろしながらラーメンをすするというちょっとおしゃれな設計なんて、なかなかやってくれています。 -
さて、ラーメンの方ですが、澄んだスープの塩味がちょっと硬めの麺とのいいバランス。私的には、このタイプだと鹿児島の「のり一」がこれまでのベストでしたが、それに迫るうまさかなと思います。
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今夜の宿は函館パークホテル。千歳町駅から歩いて5分なんですが、ちょっと寂しい一角ですね。ただ、建物は立派で、暗い夜道にこれが目に入るとかなりホッとしました。
これだけ建物が立派なのに、なんで安いのかなと思ったら、別館は二段ベッドの部屋でちょっとへこみましたが、しかし、大浴場も利用できるし、お得感はかなりあると思いました。
明日は、最終日。天気がよさそうなので大沼も行ってみることにします。
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