はるばるきたぜ早春の函館・江差の旅(二日目)~北前船の終着地、江差は、鴎島に守られた天然の良港。ニシン漁の歴史に江差追分けほか豊かな郷土芸能の数々、隆盛を誇った回船問屋の家屋敷もリアルに残ります~
2017/03/18 - 2017/03/18
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たびたびさん
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二日目の江差は、今回の旅の最大の目的。
ただ、函館からのバスは二時間半もかかるので、やっぱり、おいそれと行ける地ではない。そういう意味で、できるだけ悔いのないように駆けずり回った一日。期待どおり、濃密な一日となったように思います。
ところで、日本海側の主要な観光地を回ると、各地の歴史を語る中でたびたび触れられるのが北前船のこと。江戸時代から明治にかけて、品物を売ったり買ったりしながら航行する北前船の買積み廻船方式は、物資の輸送だけではなく、文化もろもろの交流にも大きな影響を与えたんですね。
例えば、北前船で最も有名な都市は酒田。江戸時代は天領だった地で、江戸幕府の命を受け、庄内の米を大阪に運ぶため、河村瑞賢が西廻り航路を開拓しますが、これが北前船の基礎となり、豪商、本間家も生みました。さらに、酒田は最上川の川運とも結びついて、繁栄。尾花沢の紅花大尽で松尾芭蕉をもてなした鈴木清風なども代表格です。そして、紅花は京都が最大の取引先。山形は料理とか、東北にしてはあか抜けたところがあって、私は京都の匂いがするように思うのですが、いかがでしょうか。
酒田から大阪へは、佐渡、能登、但馬、石見、長門、下関、備後、大坂と日本海から瀬戸内をつなぐ大航路。三国の大和田荘七、加賀の銭屋五兵衛といった廻船問屋の物語に。伏木、岩瀬といった古い町並みもなかなかでしょう。
で、その延長にある蝦夷地の産物は、ニシンとか昆布。これは、北前船のかなりの人気商品ですから、私のイメージとしては、むしろニシンの江差こそが北前船の最終目的地のような感じです。
もう少し付け加えると、ニシンの江差に対し、函館は昆布。そうなると小樽についても付言しなければなりませんが、明治期になると鉄道が敷かれ、輸送の主役は北前船から鉄道に移って行く。そうして斜陽となった北前船主が新たな市場を求めたのが、札幌や幌内炭鉱と鉄道で結ばれた小樽の倉庫業だったんですね。これは明治20年代以降です。
ちょっと長くなりましたが、そういう意味での江差の旅。今でも当主が健在という廻船問屋の屋敷が残っているし、江差追分はなんとも印象的でしたが、ほかにもいろんな踊りが伝わっていて多種彩々。佐渡おけさ、安来節、隠岐しげさ節も北前船の影響を受けていますが、江差はさすが北の終着点。それらをまとめたような豊かさがあるようにも感じました。
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江差は、今日一日の、それも夕方まで。どう回ればいいのかは、一応調べてきてはいるのですが、距離感が分からないので、とにかく早朝から回り始めます。
向かいに見える鴎島は、江差の沖合いに浮かぶ島。この島が防波堤の役割を果たしていたことから、江差は天然の良港となり、ニシン漁の活況もあって、北海道においては北前船の最大の寄港地として賑わいました。今は陸地と繋がっているので、まずはそこを目指します。 -
その前に、この看板で、位置を確認。
ところで、江差の街は少し高台の上町市街地と海に近い市街の二つがあって、海に近い市街の中心を走るのがいにしえ街道。かつて江差は北前船とニシン漁の街。この通り沿いには海までいくつもの蔵を並べたうなぎの寝床みたいなお屋敷が何軒もあったのですが、今は横田家、中村家が残っているだけ。それでもとても貴重な建物です。 -
いにしえ街道の端っこ。かもめ島入口のそばにアネロイド気圧計というのがあります。気圧計は、当時の漁師さんが天気の予報に使っていたもの。海の仕事は天気次第。低気圧が接近しているところでは漁には出れない。つまり、これはお飾りではなくて、想像以上に生活と密接に関係していたものであるように思います。
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その並びには、姥神社 折居社跡。
名前の折居というのは、江差に鰊をもたらしたと伝わる姥のこと。その姥がここに庵を結んでいたというのです。小さな祠があるだけでしたが、江差にとっては繁栄の基になったいわれ。実在した人かどうか分かりませんが、感謝の気持ちはいまでも続いているように思います。 -
鴎島の入り口はここですね。
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江差の港が見えています。穏やかな海の向こうは、白く雪を頂く山々。いい感じです。
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鴎島に渡る途中に建つ開陽丸青少年センターです。
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内部には観光案内所や軽食の設備もあって、街のPRにも一役買っていますが、
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メインは幕末の軍艦、開陽丸の関係。復元された開陽丸にも乗れるのですが、それは時間の関係でこの日は省略。しかし、センターのロビーにも引き揚げられたかなりの数のピストルなどが展示されていて、それなりの迫力を感じることができました。
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イチオシ
隣に停泊しているこれが開陽丸。、幕末期に江戸幕府が所有していたオランダ製軍艦で、五稜郭を占拠した榎本武揚ら旧幕府軍の主力艦だったのですが、江差沖において暴風雨に遭い、沈没。旧幕府軍の海上戦力の優位性は一挙に崩れてしまうことになりました。
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鴎島は、あの先です。
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鴎島は台地状の島。かもめ島公園は、その台地の上の公園です。
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ただ、その前に、まず現れるのは、この瓶子岩。
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イチオシ
頭でっかちの変わった形をした岩ですが、これこそがニシンと北前船の街、江差のシンボル的な存在なんです。
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先ほども触れましたが折居婆の言い伝え。
ニシンの不漁続きだったところ、折居婆が神水を海に注ぐとニシンが湧きだした。その神水を入れていた瓶子がこの岩となったのだというのです。岩にはしめ縄がかけられて、今でも大事にお祭りされています。 -
島に沿って、木製の遊歩道が整備されているので、それを先まで行ってみます。
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イチオシ
奥に進むとさっきの瓶子岩は、実は、斜めに立っていたことに気が付きます。なるほどねえ。
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向かいは、江差の街。海が荒れていても、ここに逃げ込めば助かるという好都合な地形だったのですね。
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崖の下には静かな入江。
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かつてはここに船を係留していた。その跡が今でもあちこちに残っていました。
今だとこの深さしかないなら、ちょっとした船では入れませんが、かつてはこれでも十分だったんでしょうね。
一方で、幕末の開港に伴い外国船が入港するにはこれではまったく無理。函館に中心が移って行ったのは仕方ないことだったのだと思います。 -
さて、台地へはここから上っていくことになりますよ~
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イチオシ
さっそく目に入ったのは、江差追分の碑。誇らしげに建っています。
奥に見えるのは、鴎島灯台。 -
ところで、島の上は一面芝生の草原。鴎島灯台はその開けた草原の中に建っています。草原と海と空の間に真っ白な灯台が建って、さほどの大きさはないのですが、景観のいいアクセント。なかなかいい眺めです。
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そして、島の裏側はダイナミックな岩場。
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波打ち際まで降りていけるし、
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遠くには雪を被った山並みが見えて、
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なかなかダイナミックな景色も楽しめます。
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再び、いにしえ街道に戻ってきて。
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江差町歴まち商店街の名物店、関川商店で江差かもめ島せんべい をお土産にしました。江差がニシン漁や北前船で賑わったのはカモメ島が外洋からの波を防いで天然の良港だったから。この煎餅も歴史あるものなんでしょう。
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せんべいは、甘い小麦系。温泉煎餅とか炭酸煎餅とか言われる煎餅のタイプですね。ちょっと大きめの煎餅ですが、程よい薄さがあって、食べやすい。ちょっと止まらなくなるようなおいしさです。
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少し行って。これは山田屋菓子舗。
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元気のいい女性が応対してくれて、お勧めといういちご大福をいただきました。でかいふっくらしたお餅に、これも目いっぱいの餡子。なかなかいちごが出てきませんねえ。たっぷりサービスのつもりなんでしょうが、バランスも必要かなとちょっと苦笑いでした。
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こちらも、いにしえ街道のぱんやベッキー。
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土蔵造りの重厚な建物に入っていて、売り場とその奥には蔵。
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この蔵の中にひな祭りの飾りつけがあって、
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さっそくそれも見せてもらいました。
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北前船は、船ですから何でも乗っけれます。少しくらいかさばる物でも、お土産にほしいなとなれば、何でも持って帰れますよね。
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そして、方々を見ていますから、自然と目も肥えてくる。
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いいものがあれば、ちゃんと目ざとく見つけて手に入れるでしょうし、
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この雛人形もそこそこ気品があるような。
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江差が北海道の片田舎だと思って見るのは間違いでしょう。
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さて、パンの方は。。どれもこんがりと焼きあがったきつね色が美しい。フレンチトーストをいただきましたが、ほどよい甘さもグッド。技術の高さがうかがわれるパン屋さんです。
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いにしえ街道の中央部に堂々とした構えの建物があって、これが横山家。姥神大神宮の向かい側です。
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江差に今でも残る北前船の廻船問屋。今でもご当主が健在という貴重なお屋敷です。かつては海に面していた下手の方からゆるい上り坂になった通路に沿って、一の蔵、二の蔵と四の蔵までが並んで建って、母屋につながる。傷みはありますが、往時の隆盛がこの構造から今でもはっきり感じられるのは確かにすごいことだと思います。
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公開は4月からだったようですが、ダメモトでお願いすると快くご主人が中を案内してくれました。
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玄関を入るとすぐが母屋。
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この土間からは、どこからでもそのまま座敷に上がれます。
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囲炉裏の間のすぐ先が蔵。
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一番蔵は、この扉からすると高級品を置いたんでしょうね。
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中の座敷は、もったいのある感じはしません。縁をあがってすぐの場所だし、いろんな用事をする場といった感じです。
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囲炉裏の間の壁には、
草鞋や -
番傘
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提灯なんかもあって、多くの人が働いていたことの名残でしょう。
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灘の酒は当然として、九州の焼き物は北前船のルートじゃないと思いましたが、後で調べると九州の航路と途中で接点はあったようですね。それから、尾道の酢とか。なんかにんまり。以前、尾道のお酢屋さんでなにげに買った酢。確かにおいしかったですよね。思い出しました。
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松江茶に宍道湖のボタンって大根島のボタンですね。敦賀のろうそくや傘なんかもおもしろい。
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輪島塗に春慶塗。九谷焼なんかも広く流通していたんですね。ローカルな市場をイメージしていましたが、やっぱりそうでもないということ。日本の流通網が意外に早くから発達していた事実には、改めて驚かされます。
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イチオシ
母屋から蔵の方へは緩やかな坂があって、その坂に沿って、四つの蔵が並びます。
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ここが一番奥というか坂の下。この先はもう海だったので、船の荷物はここから揚げてそのまま蔵に運び込めば効率的だったんですね。とっても理にかなっています。
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振り返るとこんな具合。緩やかな坂であることが伝わりますか?
船荷を降ろす際は、ここを大勢の人が行き来したはずです。 -
一番下手の四番蔵だけは公開してあるので、さっそく入ってみます。
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北前船の航路です。主要な港が記されていますが、実際はもっとずっと多いです。大きな港には大きな船が入るし、小さな港には小さな船しか入れない。それでも、それぞれがそれぞれに競い合うことで、日本海側全体に広く活況が生まれたのだと思います。
河村瑞賢が西廻り航路を開拓するというのも、具体的には主要港の確保だったはず。天気が悪くても、途中途中には安全を確保するために逃げ込める港があれば、安心して船を出すことができたでしょう。
これに対して、太平洋側の樽廻船とか菱垣廻船は、むしろ江戸に直行して時間を短縮するのが優先されたというのが私の理解。途中の港町が恩恵を受けたというのは、あんまり聞いたことがありません。 -
商品を入れた土瓶が無造作に置かれていますが、
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これが大きな富をもたらしたもの。
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それに、何かを大量にということではなくて、それこそ何でもかんでも。
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仕入れては、また売るを繰り返すので、
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種類が多くなければ商売にならない。
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木材とか酒とか。主要な商品がはっきりしていた太平洋航路と、これも大きく違うところではないか。そして、だからこそ、民謡とか文化も伝わりやすかったのだと思います。
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これは、海側から見た廻船問屋の姿を写した古い写真。一見すると伊根の舟屋みたいですが、当然、機能も規模も全然違います。
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続いては、向かいの姥神大神宮へ。さほどの規模や豪華さなどはないのですが、鎌倉時代の創建とも言われる北海道最古の神社。
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そして、祀られているのはここでも折居様。先ほども触れましたが、予知能力を持った老姥であり、瓶子から海に水を注ぐとニシンが湧きだしたという伝説。8月の姥神大神宮渡御祭は、江差一番のお祭り。追分会館でビデオも拝見しました。
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そこから、上町市街地の方に向かって。
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法華寺は、いにしえ街道を見下ろす高台に建つ寺。
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檜山奉行所正門を移築した、この山門も見どころでしょうが、
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圧巻は本堂の天井にある池大雅の八方睨みの龍の画。真偽のほどはよく分かりませんが、京都から檀家の一人が持ち帰ったものだとか。暗闇の中からとぐろを巻いた龍が忽然と現れる。その真に迫った瞬間を見事にとらえた作品。南画を得意とした池大雅にしてはちょっと出来過ぎのような感じもしないではないですが、確かに傑作であることは間違いないでしょう。本堂に寝っ転がって、とくと拝見させてもらいました。
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いにしえ街道の方に戻って、これが追分会館。
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イチオシ
敷地内に建つ石碑には、「カモメのなく音に ふと目を覚まし あれが蝦夷地の山かいな」。これが最もよく知られた歌詞の一節です。
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さて、館内に入ると、これは悠々とした施設です。
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こちらの展示室では、姥神大神宮渡御祭の山車など。
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小さな町のようですが、
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祭りではこれが繰り出して、町中が大変な熱気に包まれる。
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ビデオを拝見して、その様子がよくわかりました。
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ところで、京都の祇園祭でいえば、ちゃんと山と鉾のタイプがあって、さすが江差は基本がわかってます。
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こちらは、江差追分の名人と言われる歌い手たちの紹介ビデオなどもそろっていて、江差追分の殿堂と言った感じ。
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ただ、江差は追分だけではなくて、数多くの民謡や踊りもあって、それもビデオで紹介されていましたが、それぞれが見応えがある。これも北前船の終着点ならではでしょうか。
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イチオシ
江差の歴史・文化の厚みが丸ごとわかる内容となっています。
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追分会館から、今度は中歌町に残されている旧中村家住宅へ。
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こちらも海に向かった傾斜地に建つ構造です。
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中村家住宅は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に、海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたもの。
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現在も家主がいる横山家と比べるとどうでしょう。
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帳場から始まって、
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イチオシ
土間の方も豪壮というだけではなくて
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黒光りする、ちょっと豪華さもなくはない。
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母屋からの続きの蔵も美しいし、
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住まいのスペースも
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十分に威厳がありますね。
横山家ではこうしたところはありませんでしたが、それは居住部分なので、公開はされていないということでしょう。単純に比べるのは危険です。 -
こちらも母屋から蔵の方に続く坂があって、
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階段の部分も。
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そして、これが終点。ここが海とつながっていたところです。
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振り返るとこんな具合。
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蔵の中にはニシン漁の関係展示。
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以上、確かに整備はされているのですが、やっぱり、その分、生々しさというのはちょっと落ちるかなあという感じです。
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ここから、また山側へ。
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イチオシ
旧檜山爾志郡役所は、いにしえ街道を見下ろす高台。白地にモスグリーンの縁取りという鮮やかな彩りのモダンな洋館です。
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明治20年、北海道庁の出先機関である郡役所と警察署の業務を執り行なう建物として建てられたようですが、修復工事をしたのでこのようにきれいな姿になったよう。その修復の様子なども詳しく説明されていました。
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また、内部の装飾の華麗な布クロスも見どころです。
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二階に上がると、
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こちらもけっこうな展示スペース。
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あれっという感じの土器類や
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北前船で運んだ有田焼とか
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民俗芸能の関係など。
ちょっと脈絡はありませんが、それも江差。全体で雰囲気を感じるでいいでしょう。 -
旧関川家別荘は、江差の市街から少し外れ。4月から公開ということでしたが、外観だけでも確認しようと思って訪ねてみました。
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公園のような平地の一角に、松前藩きっての豪商として江差で回船問屋を営んでいた関川家の別荘というには少し小さめの家屋。雪深い地域だけに窓があまりなくて、その分、今の感覚で言うと豪華さにも欠ける印象です。日本庭園のような庭もかつてはあったんでしょうか。それも名残りはないようだし。。
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もしそれなりの豪華さがあるとすれば、やはり、内部に入ってみないと分からないのかもしれません。
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再びいにしえ街道に戻ってきて。この吉田酒店は、コロッケの看板が出ていたので、寄ってみました。
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声を変えるとご主人が小さな孫娘とともに登場。コロッケを揚げてくれました。
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ホクホクのジャガイモがいい感じ。この辺りはメークイン発祥の地にも近いようで、やっぱりそれも関係しているのかなあというような味わいでした。
ここからは、また少しスイーツチェックです。 -
前田製菓は、江差の法華寺通り商店街。
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弁財船最中をいただきました。お店の前には船のイカリが置いてあるし、ちょっと思い入れが強いようです。弁財船というのは北前船のこと。北前船で賑わった江差ではその船は弁財船と呼んでいたそうです。
最中の方ですが、弁財船を象った形はそれとして、裏側には江差追分の歌詞もあって、いい感じ。べっちょりと水分を含んだ餡子の甘さがちょっと歴史も感じるような。試行錯誤を積み重ねたような深い味わいです。 -
浅野屋菓子舗も同じ並び。
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繁次郎という饅頭をいただきました。
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この繁次郎というのは、ご主人の名前かと思ったら、かつて江差に実在していたとんちと笑いの有名人だそう。人形が展示してあって、この男。大分ならきっちょむさんというところでしょう。
さて、饅頭の方はチョコレート菓子とありましたが、これは基本、栗饅頭。頭のところにチョコレートのコーティングがあるのですが、それはデザインだけ。なんちゃって栗饅頭だと思います。 -
五勝手屋本舗は、江差の上町に大きな店を構えるメジャーなお菓子屋さん。
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ここの羊羹は江差の名物。
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この筒状のケースに入った独特のパッケージです。
少しづつ羊羹を押し出して食べるのですが、なんか変な感覚。と思ったら、小豆ではなくて、金時豆を使った羊羹なんですね。味わいはライトなんですが、濃厚さもなくはない。お茶を飲みながら食べると甘さが抑えられていることにも気づきます。 -
遅い昼飯ですが、江差で寿司を食べようとここ魚喜にしてみました。
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店内は広いしカウンターが低めなので、店内は落ち着いた雰囲気ですね。上にぎりはちょっと甘い目の酢加減でしょうか。それ以外は特に特徴もあなく、まあ、可もなく不可もなく。ご主人は真面目なんでしょうか。あんまり客の相手を好まない感じ。あんまり話しかけるとちょっと悪いような気持ちになりました。
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さて、バスでまた一路函館に帰ります。二時間半ですね。
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函館駅から、晩飯のレストラン雪河亭に向かいます。日が暮れて赤レンガ倉庫辺りもいい感じになっています。
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レストラン雪河亭に到着。
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玄関のロビーを抜けて、食堂スペースはこの奥です。
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このシックな椅子とかどうですか。店内の王侯貴族のような趣味のしつらえに、気分がハイになること間違いなし。案内されると、誰しもここでうっとりとなってしまうのではないかと思います。
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名物は露西亜料理やカレーのようですが、気分よくここは基本のハンバーグを注文。
スープの後に登場した -
ハンバーグですが、デミグラスソースとかはかなり大人しい味わいですね。
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イチオシ
そして、もう一つの見どころは、この皿。
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淡いブルーの基調が何ともレトロな上品さです。染付は日本でも伝統の焼き物ですが、こうして淡くすることで、洋風の雰囲気が醸し出される。ちょっとしたことなんですが、こんな皿を作るセンスに、それを選ぶセンス。その両方に函館ならではの歴史を感じるような気がしました。
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最後の紅茶は、濃厚なミルクティ。またこれが寒い函館で飲むからでしょうか。やたらとうまい。久しぶりにこんなうまいミルクティを飲んだような気がしました。
暗い道を歩いてきたのは、無駄ではなかったようです。明日に向けて、しっかり元気をもらいました。 -
ここから、今夜のホテルに向かいます。ホテルは函館駅の近くです。
操車塔は、電停十字街近くの交差点角。一本足の先に円柱形の部屋が乗ったキノコ型の塔で、ここで市電のポイントを切り替えていたというものです。
ポイントの切り替えはそれまでは人が作業をしていたようですが、昭和13年に電動化され、この施設ができたよう。意外に古い遺構ですが、逆によく撤去されずに残ったものですね。 -
土方歳三最期の地碑は、函館駅からそう遠くないはずだったんですが、実際に歩いてみるとけっこう距離があります。日本庭園のように整備された公園の一角に碑はあって、35歳の歳三の最期については、50名の兵を率い一本木関門を出て函館市街の官軍に切り込んでいったと説明されていました。
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ホテルテトラは函館駅前とありますが、少し離れた場所。しかし、建物がそれなりに大きいので、角を曲がるとすぐ見えて安心しました。
安かったのでここにしたのですが、受付のロビーも広いし、これも安心感があります。部屋とかも普通のビジネスホテルと同じです。北海道のホテルなら当然かもしれませんが、暖房がよくきいていて、風邪気味だったところでとても助かりました。
さて、明日はじっくり函館市内。落ち着いて回りましょう。
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この旅行記へのコメント (2)
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- わんぱく大将さん 2017/12/27 00:37:13
- え~江差?
- たびたびさん
ご無沙汰しております、ひっこしやら、身体の不調で4トラも居留守を使っておりました。
北海道は20代に仕事で何十回と訪れた地でありますが、江差はないないあ~。 ロンドン時代に知り合った人が江差出身。あれから約30年近くたったような気がしますが、江差、侮れない所です。
大将
- たびたびさん からの返信 2017/12/27 16:59:10
- RE: え?江差?
- わんぱく大将さん、お久しぶりです。江差に目を止めていただいてありがとうございます。日本海側の旅の総まとめという意味もあったんですが、まあまあそうした視点からのレポートができたかなと思います。
ただ、それにしても遠い。江差はかなりの秘境です。
たびたび
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