2006/05/16 - 2006/05/16
2位(同エリア62件中)
ノスタルジアさん
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ピースボートの地球一周の船旅に参加した。
ツアーの参加者の投稿はネットでも数多くあって評判はすこぶる悪い。中には裁判沙汰にもなっているツアーもある。
自分ももう2度と参加したくないと思っている。その理由については枚挙にいとまがないが、特に最悪だったのは船内のエアコンが制御不能で温度が一定ではなくその上、かび臭さが漂い体調不良者が続出していたのである。
そのせいか自分も乗船して2日目には咳が止まらない、だるいといった風邪の症状が出て診察室に行った。診察室は毎朝行列が並び、船はさながら病院船みたいになっていて、新型インフルエンザやエボラ出血熱の患者が発生すればたちまち蔓延して各国で寄港拒否されてさすらいの航海になっていただろう。
ツアー中、高齢者の男性が船室で病死した、と2回、船内放送があったが、珍しい事ではないらしい。まさに病院船である。
乗船中は体調不良が治まる事は無かったが、寄港地で下船すると体調は良くなったのでる。
元来、旅行社のツアーは性格的に合わないので、旅に出掛ける時は、
いつも自分一人だけで、新婚旅行も出来るなら別々に行きたかった程である。
それなのにこのツアーに参加したのは、地球一周の船旅は他には飛鳥、にっぽん丸だけで、一人参加での相部屋タイプは他になかったからである。
それに飛行機は墜落すると人生それで終わり、なので飛行機には乗らない事にしているので船で行くしかなかったのである。
今回の寄港地はビルバオ、5月10日(水)の深夜、リビアのトリポリを出港したピースボートは5月16日(火)7時にビルバオに着いた。6日間の航海中、さてビルバオでどこに行こうかと地図を見ていたら周辺にアルタミラ洞窟がある事を知りここに決めた。
アルタミラの洞窟といえば中学生の頃、世界史で、旧石器時代について習った時に、アルタミラ洞窟の牛の壁画の写真が教科書に載っていたのを鮮明に憶えている。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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平成18年5月16日
ビルバオからアルタミラの洞窟のあるサンティリャーナ・デル・マルまで134キロ -
平成18年5月16日(火)ビルバオ港で
ビルバオ港、正式にはプエルト・マリティモ・デ・ゲッチョ港、長いので通称プエルト・デポルティポと呼ばれている。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ港 停泊中のピースボート
薄っぺらな船体で風が吹くと転覆しそう。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ港 警戒中のパトカー
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平成18年5月16日(火)ビルバオ港の最寄り地下鉄ネグリ駅
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平成18年5月16日(火)行く先々で美女に出会う ビルバオ 地下鉄ネグリ駅で
ホームのベンチで電車を待っていたOLたち。笑顔の美しい彼女たちと会って否が応でも朝からテンション全開となった。
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平成18年5月16日(火)ビルバオ 地下鉄ネグリ駅~サン・マメス駅 車内風景
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平成18年5月16日(火)ビルバオ 地下鉄ネグリ駅~サン・マメス駅 車内風景
通勤列車で新聞を読むのは日本のサラリーマンだけかと思っていた。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ 地下鉄サン・マメス駅 エスカレーター
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平成18年5月16日(火)ビルバオ サン・マメス バスターミナル
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平成18年5月16日(火)ビルバオ サン・マメス バスターミナル
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平成18年5月16日(火)サンティアゴSANTIAGO経由リバデオRIBADEO行きバス切符
9時過ぎにバスターミナルに着き早速、窓口でアルタミラ行きの切符を買い求めたが直行便は無く乗り換えしなければならなく、その上、券面には9時25分発になっていてラッキーだと思ったら、遅延して11時頃発になることが分かり仕方無く
近くをぶらつく事にした。
9時25分 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ 街並み風景
ビルバオは、スペイン・バスク州ビスカヤ県の県都である。
2010年の人口は353,187人で、バスク州内では第1位、スペイン全体では第10位である。ビルバオ都市圏は約100万人の人口を持ち、スペイン北部でもっとも人口の多い都市圏のひとつを形成している。ビルバオはスペイン北部の中央部に位置しており、大西洋のビスケー湾からネルビオン川を19km遡った位置にある。市街地は平均標高400mの山地に囲まれている。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ ライトレール
1300年にディエゴ・ロペス・デ・アロ5世によって建設されて以降、権力を持ったアロ家によって、スペイン北部沿岸地域の商業の中心地として繁栄した。ビルバオ港からはビスカヤ地方の採石場から採掘された鉄鉱石が国外に輸出された。
19世紀と20世紀初頭には激しい工業化を経験し、ビルバオはバルセロナに次いでスペインで2番目に大きな工業地域の中心地となった。短期間の人口増加によって、隣接する自治体が次々とビルバオに併合された。
今日のビルバオは第三次産業が卓越しており、都市の象徴としてビルバオ・グッゲンハイム美術館がある。ビルバオ空港、メトロ・ビルバオ、ビルバオ・トラムなどインフラ基盤への投資が継続されており、アバンド区やデウスト区ソロサウレ地区の再開発計画が進行中である。世界各地の創造都市プロジェクトの中でもっとも成功した事例のひとつとされている。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ 街並み風景
ビルバオは現在のスペイン地域に築かれた最初の町のひとつである。14世紀にはビスカヤ地方の約70%の町が開発されており、ポルトゥガレテは1323年に、オンダロアは1327年に、レケイティオは1335年に、ムンヒアとララベツは1376年に建設された[48]。ビルバオはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の途上にあったため、それにちなんでサンティアゴ教会(聖ヤコブの教会)が建設された。15世紀には町をめぐって貴族間の争いが起き、ネルビオン川が氾濫して3度の洪水被害に遭ったが、再建されると市街地は市壁を越えて成長を続けた。
1511年6月21日、カスティーリャ女王フアナはビルバオに領事館の建設を命じた。領事館はこの後何世紀にもわたり、町でもっとも影響力のある機関であり、ネルビオン川河口の管轄やインフラ改善に力を発揮した。領事館の管理下で、ビルバオ港はスペインでもっとも重要な港のひとつとなった。
16世紀にはメリノ種の羊毛をヨーロッパ北部へ輸出する港となり、スペイン黄金時代には北スペインでの商業・金融の中心地となった。1577年には初めてビルバオに印刷機がもたらされ、ビスカヤ地方の政庁所在地はかつてベルメオにあったが、1602年にはビルバオが政庁所在地となった。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ 街並み風景
つづく数世紀には、周囲の山々において鉄鉱石資源が発見され、イギリスやオランダに鉄鉱石が輸出された。17世紀末にはスペイン黄金世紀の終焉によりスペイン全体が経済的な危機に襲われたが、ビルバオは蓄積した富で経済危機を克服した。ビルバオは18世紀にも成長を続け、都市は過密状態となった。
19世紀、バスク地方はカルリスタ戦争の重要な戦闘地のひとつとなり、カルリスタたちは自由主義経済都市を征服することを求めた。ビルバオは1835年から1874年までの間に3度も包囲されたが、いずれも陥落には至らなかった。1836年のルチャナの戦いは重要な戦いのひとつであり、自由主義派のバルドメロ・エスパルテロ将軍がカルリスタに勝利して町を解放した。
19世紀から20世紀にかけてのビルバオは戦時中でも繁栄し、バスク地方の経済の中心に浮上した。この時期にはビルバオ初の鉄道が建設(1857年)され、覚ましく、新しい通りや歩道、市庁舎、バスルト病院、アリアガ劇場などの近代的な建物が建てられた。人口は劇的に増加し、1880年の11,000人から1900年には80,000人となった。この時期には社会運動が起こり、バスク民族主義運動が台頭した。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ 街並み風景
共和国軍によって鎮圧された小規模な反乱がビルバオで起こったことでスペイン内戦が始まった。1936年8月31日には初の爆撃を受け、翌月にはフランコ軍と提携したドイツ軍による爆撃を受けた。ビルバオは防衛のために要塞化されたが、1937年5月にはフランシスコ・フランコの国民党軍によって包囲され、6月19日に陥落した。プッツ将校はネルビオン川に架かるすべての橋の破壊を命じ、第5旅団の部隊が町を略奪した。内戦中にはバスク自治政府が設立され、ホセ・アントニオ・アギーレが初代政府首班となった。
スペイン内戦が終結すると、ビルバオは再び産業的な発展期に戻り、人口は着実に増加した。1940年代には都市が再建され、何本かの橋が建設された。1948年にはビルバオ空港に初の民間商業機が着陸した。
1950年代には鉄鋼業界が復活し、住宅の需要が供給を上回ると、労働者は丘の上にスラム街を構築した。この混沌とした環境で、1959年7月31日にはバスク民族主義党(PNV)の分派としてバスク祖国と自由(ETA)がビルバオに設立された。フランコ独裁政権の終焉と立憲君主制への移行後、スペインの変化の過程でビルバオは民主的な選挙が復活し、バスク民族主義の影響力が増した。
ビルバオはビトリア=ガステイスよりも経済的にたくましく、バスク地方の事実上の首都だったが、1979年にはビトリアに州議会や州政府が置かれた。なお、バスク州には公式の州都は存在しない。1980年代にはテロリズムや国外からの安価な労働力の到来など、いくつかの要因が重なって壊滅的な産業の危機につながった。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ 街並み風景
産業空洞化の過程を経て、1990年代半ば以降のビルバオはインフラや都市活性化への投資を行うことで、サービス都市へと変貌を遂げた。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の開館から変化が始まり(いわゆるグッゲンハイム効果)、エウスカルドゥナ国際会議場・コンサートホールの開館、サンティアゴ・カラトラバによるスビスリ橋の開通、ノーマン・フォスターによるメトロ・ビルバオの開業、ビルバオ・トラムの開業、イベルドローラ・タワーの竣工、ソロサウレの開発計画などがグッゲンハイム美術館の開館に続いた。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ~トレラベガ 車窓風景
バスは11時に出発した。下船して3時間経っていた。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ~トレラベガ 車窓風景
緑が多くオレンジ色の屋根とマッチして日本でいえば田舎暮らし、リゾート地として最適な場所に思えた。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ~トレラベガ 車窓風景
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平成18年5月16日(火)ビルバオ~トレラベガ 車窓風景
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平成18年5月16日(火)ビルバオ~トレラベガ 車窓風景
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平成18年5月16日(火)トレラベガ 街並み風景
12時過ぎにトレラベガのバスターミナルに着き、運転手さんからアルタミラ洞窟のあるサンティリャーナ・デル・マルへは乗り換えと言われて降りたが、サンティリャーナ・デル・マル行きのバスはここではなく鉄道駅の前から発着している事が分かった。 -
平成18年5月16日(火)トレラベガ 街並み風景
トレラベガは、カンタブリア州の都市で州都サンタンデールに次ぐ第二の都市で、街ができたのは13世紀と歴史の浅い都市ですが、中世以降は農業の中心都市、そして現在は工業都市として発展している。
RAINDANCEさんの許可を得て
「トレラベガ_Torrelavega 中世に生まれ、現在は州第二の工業都市」
http://4travel.jp/travelogue/10717158
から引用しています。 -
平成18年5月16日(火)トレラベガ 街並み風景
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平成18年5月16日(火)トレラベガ 街並み風景
直射日光を浴びず心地良い風が吹き抜ける街路樹が美しいスペイン通りで。 -
平成18年5月16日(火)トレラベガ 街路樹が美しいスペイン通り
もしかしたらこの樹はバスク州の自治の象徴で数多くの自治体の紋章に描かれているゲルニカの樹(オークの樹)ではないかと調べたが判明出来なかった。 -
平成18年5月16日(火)トレラベガ 街路樹が美しいスペイン通り
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平成18年5月16日(火)トレラベガ 市庁舎
バスターミナルを出て行き交う人に駅はどこか?と英単語で聞いたが全く通じない、頼りにしていた電子辞書は船内のラウンジで置き引きに遭い持っておらず、正直言って途方に暮れ始めた頃、32年前の1974年、スペイン旅行で覚えた唯一のスペイン語「駅はどこですか?」の「ドンデ・エスタ・ラ・エスタシオン?」が突如、稲妻の如く閃いたのだった。この一言で通じたが帰って来る言葉は理解出来なくても指を差してくれたので、何とか駅に着いてサンティリャーナ・デル・マル行きのバスに乗れた。 -
平成18年5月16日(火)トレラベガ、サンティヤーナ・デル・マル、アルタミラ洞窟の位置関係
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル
14時にサンティリャーナ・デル・マルに着いた。バス停からアルタミラ洞窟へは小型シャトルバスが発着しているようだったがシャトルバスには誰も乗っておらず、一角にあるシャトルバス案内所の窓口も閉まっていた。乗って来たバスの運転手さんに訊くと「シエスタ(昼休憩(13:00~16:00が目安)だろう。」との身振り、これではタクシーも来ないし、アルタミラの道のりを訊く人もいないのでこれは困ってしまった。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル
見かねた運転手さんがバスに乗れと言ってバスは動き出した。
ヒッチハイクは数多くしたが、路線バスのヒッチハイクは初めてだった。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル
バスは通り抜けるのがやっとという狭い道を走って大通りの手前で降ろされた。折り返しの出発時間が迫っているのと客を乗せて路線から外れた運行は違反になるのでここで勘弁して欲しい、と申し訳なさそうに言われた。
洞窟まで歩いて行くと2.4キロ32分掛かるが、バスは1.3キロ15分の所まで送ってくれたのだった。こちらはひたすら「グラシアス、グラシアス」自分の旅は人の親切で成り立っていると実感した。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル
子供たちにはシェスタはないのか。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル 農村風景
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル 農村風景
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル 農村風景
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル
バスから降りてアルタミラ博物館まで1.3キロの坂道を15分程かけて登り、途中息切れしそうになったが、眼下に見える農村風景が素晴らしく噴き出す汗も乾燥した爽やかな風に吹き飛んで爽快だった。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
アルタミラ洞窟は、スペイン北部、カンタブリア州の州都サンタンデルから西へ30kmほどのサンティリャーナ・デル・マル近郊にある洞窟。ユネスコの世界遺産に登録されているアルタミラ洞窟壁画で知られる。洞窟の長さは約270mほど。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館
アルタミラの洞窟といえば中学生の頃世界史で、旧石器時代について習った時に、アルタミラ洞窟の牛の壁画の写真が教科書に載っていたのを鮮明に憶えている。
1万3千年前に落石によって入り口がふさがれ、壁画は非常に状態の良いまま保存されていたが、1879年に発見され、以後調査が進められるとともに一般公開されたことによって、大勢の観光客がもたらす二酸化炭素や照明などの影響で壁画の損傷が進んだため、残念ながら現在は保存のために非公開となった。その代わりに、同じ敷地内に洞窟のレプリカを作り、2001年にアルタミラ博物館としてオープンした。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館
アルタミラ博物館には洞窟、壁画がレプリカとして寸分たがわず復元されていて、洞窟に入って壁画を鑑賞出来るが、撮影はレプリカといえども禁止されていてカメラは預けなけれいけない。この旅行記に壁画の画像が全く無いのはいかにも様にならないので、
Museo de Altamira
http://en.museodealtamira.mcu.es/
から転用した。
尤もこの画像もレプリカなのかオリジナルの壁画なのか判らない。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館
アルタミラ洞窟壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期(約18,000年 - 10,000年前)と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
壁画は、ソリュトレ期に属する約18,500年前頃のものと、マドレーヌ期前期頃の約16,500年前~14,000年前頃のものが含まれる。約13,000年前に落石によって洞窟の入り口が閉ざされたと考えられ、これにより幸運にも壁画は外気から遮断され、理想状態に保存がされている。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館
これらの壁画は、1879年にこの地の領主であり法律家でありアマチュアの考古学者でもあるマルセリーノ・デ・サウトゥオラ侯爵の12歳の娘マリアによって偶然発見された。侯爵はこれらの絵が旧石器時代のものであると考え、1880年に発表したが、当時は旧石器時代の絵が知られておらず、学界からは侯爵の捏造だと疑われた。20年ほどの間に、他の地でもいくつかの洞窟壁画の事例が報告されたが、これらの絵にも当初は否定的な見解がなされた。侯爵は失意の中、1888年に57歳でこの世を去った。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館
しかし、1900年代に入ると科学的な調査も進み、これらの洞窟壁画は間違いなく旧石器時代の絵と認識されるようになった。侯爵の死から15年後、侯爵の論文を否定したトゥルーズ大学のカルテラック教授は洞窟壁画に関する肯定的な論文を発表し、かつて侯爵の論文を否定したことを謝罪した。
なお、先にも書いてある通り、発見されたのは偶然だが、領主は1869年に地方に住んでいた猟師に洞窟に関する話を聞いたことがあるが、当時は興味を示さず、1878年にパリの展覧会で旧石器時代の展示物を見て洞窟壁画の存在を察知していたとのこと。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館
博物館内は見学順路が決められていて洞窟を出て出口方面の矢印を見た時、もう2度とこの地に足を運ぶ事は無いだろうと思ったので、見納めの為、戻って洞窟に入ろうとしたら出口側からはロックされていて入れない、仕方無く受け付けに行ってもう一度洞窟内に入りたい、と伝えたら「なぜなのか?」と予想もしない返事でこちらの拙い英単語では怪しまれてしまって、結局、監視の係員一人がが付いて来て落ち着いて鑑賞する事が出来なかったのである。 -
平成18年5月16日(火)本物のアルタミラの洞窟
博物館のパンフレットには「・・・オリジナルの洞窟に入って壁画を鑑賞する必要はありません。なぜなら博物館には、オリジナルの洞窟、壁画とまるっきり同様のミリ単位まで正確に作られた素晴らしい彩色の間の復元があります。洞窟巡りでは、旧石器時代の人々の生活を説明する為の最も進んだ視聴覚技術が導入されています。
この新しい洞窟に入るのは、オリジナルの洞窟に入るのと同じで、どの人にも公開されているものです。・・・」と書かれていたものの、やはりここは本物が見たくて博物館の周囲を探していたら洞窟の出入り口らしき施錠された格子状の鉄扉があった。扉越しに洞窟を覗くと勿論、壁画は見当たらなかったが雰囲気は十分伝わって来て満足した。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
小学生の団体見学ツアー、先に見てて良かった。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
博物館前でのんびりと写真を撮っていたら15時半になっていた。そろそろ帰ろうかと思って坂道を歩き出したがタクシーが全然通らない、博物館帰りの車をヒッチハイクしよとしたが全て素通りされた。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル アルタミラ博物館の前で
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平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル ドミニコ派女子修道院 今は博物館になっている。
サンティリャーナ・デル・マルは、カンタブリア州にあって、14世紀から18世紀までの建築物が残り、古い町並みが保存されている。
町の起源は、サンタ・フリアナ修道院の周りに中世にできた集落である。この場所のネクロポリスから、中世の人骨が見つかっている。
修道院の起源は不明である。言い伝えによると、9世紀に一人の修道士が聖フリアナの聖遺物をこの地にもたらしたことで、この地に礼拝堂と修道院ができたという。
実際に、修道院があるためにアストゥリアス王アルフォンソ1世が再植民を促進した。980年に修道院は既にあり、この地はアストゥリアスの領域となりアストゥリアス・デ・サンティリャーナという名の代官区ができた。
1175年以降、貴族の支援を受けて、修道院長と地元議会からなる組織が設置された。修道院は中世カンタブリアで最も重要なものとなった。アルフォンソ8世はサンティリャーナにフエロ(特権)を授け、代官区の主都とした。次第に修道院の権力は衰えたが町は発展し、マヨール広場周囲で市場が開かれるようになった。1445年、フアン2世が町の支配権をサンティリャーナ侯爵へ授けた。侯爵家が絶えると、インファンタド公爵が領主となった。 -
平成18年5月16日(火)サンティリャーナ・デル・マル
30分掛かって16時にサンティリャーナ・デル・マルのバス停に着いたが、今日のトレラベガ行きのバスは全て出発済みだった。タクシーも見つからないので観光案内所に向かった。案内所でタクシーを呼んでもらったが20分程掛かると云われ待っている間焦り出した。帰船リミット、いわゆる門限23時に間に合うかどうか心配になって来たのである。帰船リミットに間に合わなければ置いてきぼりなってしまうのである。自分の荷物は岸壁に降ろされ、ピースボートのスタッフが待っていて次の寄港地まで一緒に行くのである。その場合のスタッフの交通費、諸経費の負担もしなければならないのである。帰船リミットの厳しさについては何度もピースボートに乗船している同室のAさんから訊いていたのである。それを少しぐらい遅れても待ってくれるだろうと甘く見ていた、特に若い女性客が置いてきぼりになったのを何度も見て来た、中には泣き叫びながら船を追いかけて来る女性もいたとか。
実際、今回の船旅で次の寄港地イギリスのティルブリーで若い女性2人が乗り遅れてノルウェーのベルゲンで再乗船したのである。
16時25分にタクシーが来て観光案内所のスタッフがトレラベガ駅に向かうよう運転手さんに言ってくれたらしい。 -
平成18年5月16日(火)トレラベガ駅ホームで
トレラベガ駅に16時45分に着いた。タクシーはそのまま待って貰った。ビルバオ行きの列車が無ければバスターミナルに向かう事にした。駅待合室の時刻表を見ると丁度16時59分発サンタンデール行きがあった。
タクシー代は9.7キロ、11.75ユーロ1,668円だった。 -
平成18年5月16日(火)トレラベガ駅プラットホーム
写真を撮りたいと言ったら全員顔をそむけられた。 -
平成18年5月16日(火)16時59分発トレラベガ~ビルバオ列車切符8.15ユーロ1,157円
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平成18年5月16日(火)トレラベガ~サンタンデール車内風景
列車に乗ってようやくほっと一息ついた。これでサンタンデールでビルバオ行きに乗り換えれば23時の帰船リミットには十分間に合うと思った。 -
平成18年5月16日(火)トレラベガ~サンタンデール車内風景
じっくり車内ウォッチングするほどの余裕はなかった。 -
平成18年5月16日(火)19時発サンタンデール~ビルバオ バス切符
ところがサンタンデールには17時30分に着き、乗り換えのため駅の案内所でビルバオ行きの発車時間を尋ねると、驚いたことに何と20時35分発でビルバオ駅には23時20分着、これでは帰船リミットに間に合わないではないか!、顔から血の気が引くのが分かった。
その時、案内所の愛想の良い女性スタッフから19時発ビルバオ行きのバスがあると訊いて飛びついた。案内嬢は申し訳なさそうにサンタンデール~ビルバオまでの運賃の払い戻しは出来ないと言ったが、そんな事はどうでも良かった。バスターミナルは駅の近くにあって走って行って切符を買った。 -
平成18年5月16日(火)サンタンデール
ビルバオ到着予定は20時45分でそれから地下鉄に乗って港の最寄り駅ネグリ駅まで25分、ネグリ駅から港ゲートまで20分で船には22時前には戻れるだろうと思った。
ようやく落ち着いて来て昼食も食べていない事に気付いてバスターミナル待合室の一角にあった売店でコーンに乗ったソフトクリームとコルネットナッツのパンを買って食べた。 -
平成18年5月16日(火)サンタンデール バスターミナル待合室
待合室でパンを食べながら色々と思いめぐらしていた。サンタンデールからのバスが無ければタクシーにするつもりだった。波止場まで106キロで2万円は掛かるだろう、手持ちの金がないので着払いしかない、そもそも100キロ先まで行ってくれるタクシーはいるのだろうか、19時発のバスは遅れたり、突然中止になったりしないだろうか、何しろここはスペインなのである。 -
平成18年5月16日(火)サンタンデール バスターミナル待合室
2分前にバスが入線した時はほっとした。走行中も遅れないように、故障しないように、事故の無いようにひたすら祈った。もし高速道路上でバスが動かなくなったらどうやってタクシーを呼べるかを考えていたら落ち着かなかった。 -
平成18年5月16日(火)サンタンデール 車窓からの街並み風景
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平成18年5月16日(火)サンタンデール 車窓からの街並み風景
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平成18年5月16日(火)ビルバオ バスターミナルで
バスは順調に走り続け定刻通り20時45分にビルバオ バスターミナルに到着した。これで帰船リミット23時には間に合うと確信した。 -
平成18年5月16日(火)ビルバオ 地下鉄サン・マメス駅~ネグリ駅 切符 21時07分乗車
帰船したのは21時52分、リミットである23時までは1時間の余裕だったが気持ち的にははらはら、ひやひやし通しだった。
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2006/04/20~
コロンボ
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地球一周の船旅 Vol.6 「なあーんだ、JORDANだから冗談か」 ヨルダン アカバの1日
2006/04/30~
アカバ
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地球一周の船旅 Vol.7 映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の撮影地 ヨルダン 世界遺産「ペトラ遺跡...
2006/05/01~
ペトラ
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地球一周の船旅 vol.8 砂漠の中を船で行くスエズ運河通過の1日
2006/05/03~
スエズ
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地球一周の船旅 vol.9 エジプト あまりにも見学時間が短過ぎたピラミッド観光のオプショナルツアー
2006/05/04~
ギザ
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地球一周の船旅 vol.10 31年振りのギリシャ ピレウス~アテネ 着工から2500年経った今なお建設中の...
2006/05/06~
アテネ
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地球一周の船旅 vol.11 イタリア マフィアの故郷 シチリア島 タオルミーナ観光の1日
2006/05/08~
タオルミナ
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地球一周の船旅 vol.12 もう2度と行く事は出来ないだろう リビア 「トリポリ~世界遺産レプティス・マグ...
2006/05/10~
トリポリ
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地球一周の船旅 vol.13 世界遺産 スペイン アルタミラ洞窟壁画 レプリカの洞窟内でも撮影禁止
2006/05/16~
カンタブリア地方
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地球一周の船旅 vol.14 オプショナルツアー「世界遺産 ストーンヘンジ遺跡」 見学時間はたったの45分!
2006/05/19~
ソールズベリー
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地球一周の船旅 vol. 15 ただ行って来た、だけのオプショナルツアー「世界遺産 ストーンヘンジ遺跡とバー...
2006/05/19~
パース
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地球一周の船旅 vol.16 列車が来なくて足止めを食らった寄港地ティルブリー
2006/05/20~
イングランド
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地球一周の船旅 vol.17 ノルウェー ベルゲン ストライキで船に乗れなかったフィヨルド観光
2006/05/22~
フロム
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地球一周の船旅 vol.18 アイルランド ダブリン~旅行会社300名のプロが選んだ「ヨーロッパの美しい村3...
2006/05/26~
キルケニー
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地球一周の船旅 vol.19 アイルランド・カトリックの怨念がこもる廃墟の「ロック・オブ・キャッシェル」
2006/05/26~
キャッシェル
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地球一周の船旅 vol.20 ニューヨーク 松井秀喜がいないヤンキースタジアムで対レッドソックス戦を観戦
2006/06/05~
ニューヨーク
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地球一周の船旅 vol.21 ニューヨーク観光 いきなり胸ぐらを捉まれて凄まれたハーレム
2006/06/05~
ニューヨーク
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地球一周の船旅 vol.22 お前はマフィアか!それともCIAか? ジャマイカ モンテゴベイ
2006/06/11~
モンテゴベイ
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地球一周の船旅 vol.23 中米一危険な都市といわれている パナマ コロンで
2006/06/13~
コロン
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地球一周の船旅 vol.24 内戦終結して14年のエルサルバドル アカフトラ~サン・サルバドル~ソンソナテの...
2006/06/17~
サン・サルバドル
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地球一周の船旅 vol.25 どうしてもお礼をしたかったエルサルバドル ソンソナテの2日目
2006/06/17~
その他の都市
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地球一周の船旅 vol.26 警察官から自動小銃と実弾を受け取って・・・ メキシコ アカプルコで
2006/06/20~
アカプルコ
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地球一周の船旅 vol.27 いきなりこれでは先が思いやられる バンクーバー~カナディアンロッキー~アラスカ...
2006/06/28~
バンクーバー
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地球一周の船旅 vol.28 グレイハウンドバスで行く バンクーバー~カナディアンロッキー~ホワイトホース ...
2006/06/28~
ブリティッシュコロンビア州
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地球一周の船旅 vol.29 グレイハウンドバスで行く バンクーバー~カナディアンロッキー~ホワイトホース ...
2006/06/28~
カナディアンロッキー
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地球一周の船旅 vol.30 世界一大気汚染の少ない都市 ホワイトホース バンクーバー~カナディアンロッキー...
2006/06/28~
ホワイトホース
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