2006/05/26 - 2006/05/27
2位(同エリア14件中)
ノスタルジアさん
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2006年(平成18年)4月5日(水)〜7月15日(土)
ピースボートの地球一周の船旅に参加した。
ツアーの参加者の投稿はネットでも数多くあって評判はすこぶる悪い。中には裁判沙汰にもなっているツアーもある。
自分ももう2度と参加したくないと思っている。その理由については枚挙にいとまがないが、特に最悪だったのは船内のエアコンが制御不能で温度が一定ではなくその上、かび臭さが漂い体調不良者が続出していたのである。
そのせいか自分も乗船して2日目には咳が止まらない、だるいといった風邪の症状が出て診察室に行った。診察室は毎朝行列が並び、船はさながら病院船みたいになっていて、新型インフルエンザやエボラ出血熱の患者が発生すればたちまち蔓延して各国で寄港拒否されてさすらいの航海になっていただろう。
ツアー中、高齢者の男性が船室で病死した、と2回、船内放送があったが、珍しい事ではないらしい。まさに病院船である。
乗船中は体調不良が治まる事は無かったが、寄港地で下船すると体調は良くなったのでる。
元来、旅行社のツアーは性格的に合わないので、旅に出掛ける時は、
いつも自分一人だけで、新婚旅行も出来るなら別々に行きたかった程である。
それなのにこのツアーに参加したのは、地球一周の船旅は他には飛鳥、にっぽん丸だけで、一人参加での相部屋タイプは他になかったからである。
それに飛行機は墜落すると人生それで終わり、なので飛行機には乗らない事にしているので船で行くしかなかったのである。
今回はロック・オブ・キャッシェル、昨日、キルケニーの観光案内所でこの観光ポスターを見て絶対に行きたいと思った。ところがキルケニーからキャッシェルまで62キロしか離れていないが、都合の良い交通機関が無いので、昨晩は船に戻ってまたダブリンからスタートした。
今日も朝から雨、その前の停泊地ノルウェーのベルゲンも雨、そう言えばイギリスのストーンヘンジも雨でこのところずーっとついていない。
説明文の多くはウィキペディアから引用しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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2006年5月27日(土)ダブリン、キルケニー、キャッシェルの位置関係図
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2006年5月27日(土)ダブリン 中央バスステーション 電光掲示板
キャッシェルまでは鉄道はなく8時発のコーク行きにした。 -
2006年5月27日(土)ダブリン 中央バスステーション
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2006年5月27日(土)ダブリンからキャッシェルに向かう車中で
雨が相当激しく降っていた。 -
2006年5月27日(土)ダブリンからキャッシェルに向かう車中、他に3人の乗客のみ。
バスに乗る時ちょっとしたハプニングがあった。バスに乗って座っていたら係員が来て降りろと言うので降りたが、一緒に他の乗客3人も降ろされた後、乗ってた満席のバスは出発してしまった。乗り間違えたか、と思って係員に訊くと、コーク方面に行く乗客が多過ぎたのでもう1台増便する事になり、終点コークまで行く客と途中下車する客を分けた、との事だった。増便バスが来た時はほっとした。 -
2006年5月27日(土)道の駅Urlingfordで
10時15分から30分まで休憩。相変わらず雨が降り続けていた。 -
2006年5月27日(土)道の駅Urlingford Josephine's Restaurant
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2006年5月27日(土)道の駅Urlingfordで、運転手と
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2006年5月27日(土)道の駅Urlingfordで
バスの運転手さんに車の免許持っていると言ったら道路に出ないのら運転してもいいよ、と言われて。 -
2006年5月27日(土)道の駅Urlingford バスのコックピット
VOLVO社製、アイルランドも右ハンドルなので運転はし易い。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル
予定通り11時にキャッシェルに着いた。本来のバス停ではなくコークへ行く道ととロック・オブ・キャッシェルの分かれ道で降ろしてくれた。 -
2006年5月27日(土)キャッシェルの街並み風景
相変わらず雨は降っていた。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 入場券売り場で
素晴らしい笑顔で応対してくれた。中では約20分の紹介映画も上映されていた。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 入場券カバー
晴れてさえいればこの様な写真が撮れたかも。 -
2006年5月27日(土)岩山に突如として現れるロック・オブ・キャッシェル
雨が止んだので岩山から下りてまずは全景を撮る事にした。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェルの全景
キャッシェルはアイルランド中南部、ティペラリー州の人口3千人程の小さな町で、17世紀半ばのクロムウェル侵攻まで政治的・宗教的中心地として栄えた。
高さ90メートルの石灰岩の丘の上に、ロック・オブ・キャッシェルという12〜13世紀に建てられた教会の遺跡、かつてマンスター王国の王の居所であった場所(370〜1101年)として知られ、同国最初のロマネスク様式の教会建築とされるコーマック礼拝堂、ゴシック様式の大聖堂、聖パトリックの十字架などがある。
12世紀にはアイルランドの4司教座の一つとして、ローマ教皇に認められるほどだったが、1534年、イギリスの教会がローマと対立して英国国教会を設立すると、当時イギリスの実質的な支配を受けていたアイルランドもそれに従わざるを得なくなり、アイルランドでのカトリック信仰は禁止され、それと共に、カトリック教会も解散させられ、土地や財産は没収されてしまった。
1647年にイングランドのオリバー・クロムウェルに破壊され、大聖堂も天井が抜け落ちてしまった。現在残っている建物の創建は12〜13世紀であると言われている。
以後、アイルランド・カトリックの中心地の一つであったこの城は廃墟となっていった。そして、英国国教会支配から解放された現在では、ここ「キャシェル」はある意味、カトリックの聖地の一つともなっている。 -
2006年5月27日(土)岩の上に建っている中世の要塞のような城塞と修道院
伝説では、大岩をくわえてキャシェルの上空を飛んでいた魔王が、地上で教会をを建てようとしている聖パトリックの姿を見て、驚いた弾みで大岩を落としてしまった。それがゲール語で「石の砦」を意味するロック・オブ・キャシェルになったとか。岩山は「聖パトリックの岩」とも呼ばれている。
5世紀半ば、アイルランドでキリスト教の布教を始めた聖パトリックはこの岩山でマンスターの王に洗礼を授けたと言われている。
その後、この岩山にキリスト教関連の建物が次々と建てられ、アイルランドのキリスト教の中心地として知られるようになった。
聖パトリック(387年〜461年)は、アイルランドの守護聖人。アイルランドにキリスト教を布教した第一人者で、彼の布教はアイルランド土着のドルイド教からキリスト教への改宗を促すというのではなく、ドルイド教の信仰を認めつつ、それと融和させながらキリスト教を布教させていくというものだった。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
岩山には、キャッシェルの繁栄時代を証明する礼拝堂、ゴシック様式の大聖堂、ハイクロス(ケルト十字)の墓地、円塔などがある。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 見晴らしは抜群
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル アイルランドの緑の平原が一望できる。
白い小さな点々は放牧されている羊
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
晴れていれば、とつい愚痴も出る。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェルからの街並み風景
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェルからの街並み風景
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
冷たい風雨から逃れるため傘をさしながら遺跡の蔭に集まった見学者。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
冷たい風雨を避けるには城壁の陰が良かった。
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
緩斜面の墓地。ラテン十字(キリスト教の十字架)と、丸い輪っかのあるハイクロス(ケルト十字の十字架)が建ち並んでいる。ハイクロスは、聖パトリックが布教したケルト系カトリックのシンボルともなっている。
アイルランドでは、聖パトリックが異教のアイルランド人を改宗させる際にこのケルト十字を創った、という伝説が広く信じられている。彼はキリスト教のシンボルであるラテン十字と太陽のシンボルである円環を組み合わせたとされる。これは太陽の生命の源としての属性を十字と結びつけることで、十字の重要性を異教の信者に伝えるためである。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル ケルト十字架の墓
ケルト十字架(ハイクロス)は、聖パトリックが布教したケルト系カトリックのシンボルでラテン十字の十字の部分を、太陽を表わす円環で繋いだ独特の十字架。古い時代の十字架には装飾のないものがあるが、多くの十字架には聖書の物語、ケルト文様の渦巻きや組み紐風の浮き彫りが施されている。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 墓地
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 墓地
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 墓地
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 墓地
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 聖母マリア像
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 聳え立つ円塔
巨大な円塔の高さは約27mで入口は高さ3mの所にあって入る事が出来ない。アイルランドの修道院の多くには、このような円塔が聳え立っていて、これは、当時来襲していたバイキングからの避難所、また、見張り塔として造られたのだと考えられている。ケルト十字同様、この円塔もアイルランド独特のものである。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
遺跡の歴史を思えば今日の様な冷たい小雨がぱらつく重苦しい空模様の方がロック・オブ・キャッシェル似合うのかもしれない、空には数十羽のカラスの群れがが旋回していて、それが伝説の「魔王の落とした岩の城ロック・・・」の魔王に見えたのである。
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル 大聖堂の跡
大聖堂は1647年にイングランドのオリバー・クロムウェルに破壊されて天井が抜け落ちた。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
背景を入れるため芝生に座って撮ったがズボンが濡れてしまった。 -
2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
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2006年5月27日(土)ロック・オブ・キャッシェル
見学を終えて岩山を下り始めたらコークから来たという中学生の団体が上って来た。皆、寒さ対策万全の厚手の服装だった。 -
2006年5月27日(土)ホア・アビー
ロック・オブ・キャッシェルから下りて来ると廃虚のホア・アビーがある。ロック・オブ・キャッシェルと同様12〜13世紀の建物でアイルランド最後のシトー派修道院跡。
12世紀にローマ・カトリック化したアイルランドへ大陸からフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチヌス会、カルメル会など多くの会派が布教のため各地に修道院を建立していった。シトー派は、そのうちの一つがシトー派で厳格な規律に従って人里離れた辺境の地に修道院を建て厳しい修行を行なった会派。
ところが1534年、イギリスの教会がローマと対立して英国国教会を設立すると、当時イギリスの実質的な支配を受けていたアイルランドもそれに従わざるを得なくなり、アイルランドでのカトリック信仰は禁止され、それと共に修道院も解散させられ、土地や財産は没収されてしまった。 -
2006年5月27日(土)ホア・アビー
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2006年5月27日(土)キャッシェル
広大な草原に沢山の羊が放牧されていたが、羊飼いは見当たらず犬が代わりに管理していた。 -
2006年5月27日(土)2006年5月27日(土)キャッシェル
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2006年5月27日(土)キャッシェル 閉館していた農村博物館
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2006年5月27日(土)キャッシェルの街並み風景
キャッシェルは、アイルランド南部のマンスター地方にあるサウス・ティペラリー州にある、2006年現在、人口 2,936人の小さな街となっているが、中世にはマンスター地方の政治と宗教の中心地となっていた。
キャッシェルは、リムリックから東南東へ約53km、現在マンスター地方の中心都市となっているコークから北東へ約80km、アイルランドの首都ダブリンから南西へ約143kmの場所に位置しているが、キャッシェルへの公共交通機関はバスだけ。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル Kearney's Castle Hotel
城壁の中にあるホテル、中に入って見れば良かった。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル Ryan's Daughters Restaurantの前で
昼食として紅茶とサンドイッチを注文した食堂 -
2006年5月27日(土)キャッシェル Ryan's Daughters Restaurant
ここで飲んだ紅茶は一生忘れられない。これぞ紅茶の香り、紅茶の味だった。後にも先にもこんなに香り高い紅茶を飲んだのはこの時だけだった。帰国してから何度か紅茶の展示会等に出掛けて試飲したが、未だにここの紅茶を超える紅茶に出合っていない。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル Ryan's Daughters Restaurant
一緒に注文したサンドイッチも紅茶に合って美味しかった。紅茶はティーポットで出され、3杯飲めたが味は全然変わらなかった。
紅茶に調べて見るとアイルランドは、1日に紅茶を6杯と、一人あたりの年間消費量は世界一だと言われている。
アイルランドの紅茶の歴史は、世界情勢と歴史に翻弄された歴史でもある。
紅茶の伝来自体はイギリスから18世紀に伝わり、第二次世界大戦に突入するとアイルランドが中立を宣言したがために、連合国側であったイギリスから制裁を受けた結果、供給を減らされた。
これに激怒したアイルランドは独自の貿易を展開し、70年代にECに加入するまでの間、欧州を経由しない紅茶の輸入取引を行ったために、独自の紅茶文化が花開いた。
欧州がインドやスリランカのお茶を好むのに対して、アイルランド紅茶は大半がケニア産(四季を通じて変化がないので味がマイルドなのが良いとか)である。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 廃墟化したドミニコ派修道院
カシェル、ティペラリー州訪問者の大半岩として知られている教会の建物のコレクションを参照するを早める可能性が高いと町の残りの部分は検討の意味、上に移動し、通過。彼らは文字通り岩の上見落としているサイトの 1 つはドミニコ会の修道院、裏通りの中に隠れて、稀に見られないです。 1243 に大司教デイヴィッド MacKelly によって設立されたと元の建物火によって破壊されたが、1480 年、中央の塔が追加されたときに再構築します。これは罰金 15 世紀東の窓が下に見られるを含む教会の外壁がように今日存続します。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 街並み風景
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2006年5月27日(土)キャッシェル 街並み風景
どこに行っても街のあちこちにギネスビールのバナーが垂れ下がっている。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会
1784 年に現在のジョージアン様式の大聖堂が完成した。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 聖母マリアの祠
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 聖母マリアの祠
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 聖母マリアの祠
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 聖ヨハネ像
使徒ヨハネは、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。洗礼者ヨハネと区別するために特に「使徒ヨハネ」と呼んだり、ゼベダイの子ヨハネ、福音記者ヨハネと呼ぶこともある。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。
ヨハネは兄のヤコブとともにガリラヤ湖で漁師をしていたが、ナザレのイエスと出会い、その最初の弟子の一人となった。
ペトロ、兄弟ヤコブとともに特に地位の高い弟子とされ、イエスの変容の場面や、ゲッセマネにおけるイエス最後の祈りの場面では、彼ら三人だけが伴われている。
「ルカによる福音書」ではイエスから最後の晩餐の準備をペトロとヨハネの2人が仰せつかっている。
「ヨハネによる福音書」ではイエスが十字架にかけられたときも弟子としてただ一人「愛する弟子」が十字架の下にいたと書かれている。
このためキリスト磔刑図においては、伝統的にイエスの母マリアとヨハネを左右に配する構図が存在する。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
ステンドグラスは、エ字形の断面を持つ鉛のリムを用いて着色ガラスの小片を結合し、絵や模様を表現したもの。ガラスに金属酸化物を混入することで着色している。
教会堂や西洋館の窓の装飾に多く用いられる。外部からの透過光で見るため、人の目に非常に美しく写る。
装飾を否定するモダニズム建築全盛の時期になるとあまり用いられなくなったが、今日では再びステンドグラスが見直され、公共建築、住宅、教会などに採用されている。ガラス工芸として、ランプの傘などにも用いられる。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
古代では404年に再建されたイスタンブルの聖ソフィア寺院では着色されていない板ガラスを窓に用いていた。一方、500年前後に完成した同地区の寺院にはステンドグラスの跡が残っている。当時のガラスはフェニキア人から伝わった吹きざお製法を発展させたローマンガラスである。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
中世になると破片の形で残る最も古いステンドグラスは、フランク王国のカール大帝の支配下にあったロルシュ修道院(ドイツヘッセン州)で見つかっている。
修道院は764年創建だが、ステンドグラス自体は9世紀のものだと推定されている。ステンドグラスにはキリスト像が描かれていた。
原型を留める最古のステンドグラスは、ドイツ南部バイエルン州に位置するアウクスブルク大聖堂に残る。
ダニエルをはじめとする5人の預言者を描いたステンドグラスは12世紀初頭の作品だと考えられている。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
その後、ステンドグラスはフランスにおいて発展していく。12世紀頃になるとロマネスク美術に続いてゴシック美術が北フランスからおこり、建築技術の向上が見られた。
飛梁の発明により天井は高く壁は薄くなり、大きな窓が可能になった。ゴシック様式を採用した教会堂の窓には彩色の施されたステンドグラスが使用されるようになり、教会堂は光のあふれる空間となった。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
12世紀の代表的なステンドグラスは、パリの南西90kmに位置するシャルトル大聖堂のものである。西正面と南北の入り口上部にあるプレート・トリサリー形式のバラ窓など、176ものステンドグラスを誇る。
「美しきガラス窓の聖母」、「薔薇のステンドグラス」など多数、青と赤の色彩が特徴的である。着色に使われた金属酸化物が不純物を含んでいること、ガラスの表面が平面ではないことから、複雑で微妙な色彩をかもし出している。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
イングランドでは、1220年から1472年にかけて建設されたヨーク大聖堂 (York Minster) が最大級である。10万枚以上のガラス片を用いた200m2近いステンドグラスが残る。
ローマ帝国以後、ガラスの製造は沈滞していたが、ステンドグラスの興隆とともに、ガラス製造にも革新が起こった。1291年に海軍国家となって繁栄し始めたヴェネツィアがムラーノにガラス工場を集積。ローマンガラスの質を高めた。
今日でもヴェネツィアン・グラスとして知られている。ステンドグラスと並び、ガラス器の製造も盛んになっていった。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
近代になると中世回帰を目指すアーツ・アンド・クラフツ運動と、その後のアール・ヌーヴォーの装飾ではステンドグラスが好まれた。作家としてはクリストファー・ウォール(1849年-1924年)等が知られモリス商会の主力商品の一つはステンドグラスであった。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 ステンドグラスの美
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 INRI
INRI は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。
これは「キリストの磔刑」において十字架の上に掲げられた罪状書き(イエスが自らを神の子でありユダヤ人の王であると称し、神を冒涜したとの罪状)であり、磔刑図と呼ばれる磔刑を描いた絵画や、十字架の上のイエス・キリストを彫った磔刑像という彫刻においては、イエスの頭の上に「INRI」という頭文字が記された札・銘板が描かれるのが普通である。
また絵画や彫刻によっては、INRI の文字が直接十字架に彫られていたり、イエスの頭上にINRI の文字が現れているような場合もある。古代の磔刑では、処刑場に引かれてゆく罪人の首には罪状を書いた銘板がぶら下げられ、その銘板は磔刑時に十字架上にかけられていた。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト教会 1772 年から建てられた礼拝堂
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2006年5月27日(土)キャッシェル 街並み風景
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト大聖堂
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2006年5月27日(土)キャッシェル 聖ヨハネバプテスト大聖堂 ボルトン図書館
テオフィロス・ボルトンは図書館の創始者であったが、やり手の実業家としてだけではなく、理知的でもあった。最大の宝物はダブリン大司教ウィリアム王のコレクションで、彼はボルトンの師匠であり、生涯のほとんどを学問に使ったといわれている。彼の最も有名な出版物「De Origine Mali」(1702年)はローマ教皇の「Essay on Man」の著作に大いに役立った。は、1729年のウィリアム王の死後、ボルトンは彼の大規模な蔵書の大部分を取得して、ライブラリーは1836年に建てられ1986年に修復された。
蔵書は元々は大司教宮殿に隣接するロングルームに収容されていて1798年のイギリスの攻撃による被害も受けず、1824年に教区の副司教としてキャッシェルに来たヘンリーコットンからその歴史の次章が始まった。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル 街並み風景
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2006年5月27日(土)キャッシェル The Bake House
二階にカフェのある伝統的なパン屋で、メニューは朝食、ランチ、サンドイッチとロール菓子類があって、バスの時間待ちで立ち寄った。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル The Bake House
店の向かいが観光案内所とバス停 -
2006年5月27日(土)キャッシェル バス停で
15時40分発ダブリン行きのバスに乗る。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル〜ダブリン 道の駅で運転手と
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2006年5月27日(土)キャッシェル〜ダブリン 道の駅で
この辺りから青空も見え始め天気は回復して来た。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル〜ダブリン 道の駅で
今どきの若者という感じ -
2006年5月27日(土)キャッシェル〜ダブリン 道の駅ニューランズ クロスで
大きなショッピングセンターがあった。 -
2006年5月27日(土)キャッシェル〜ダブリン 車窓風景
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2006年5月27日(土)キャッシェル〜ダブリン 車窓風景
アイルランドらしい田園風景 -
2006年5月27日(土)ダブリン ヒューストン駅前 バスの車窓から
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2006年5月27日(土)ダブリン オコンネル橋の上で バスの車窓から
ダブリン一の繁華街です。この後、40分歩いて船着き場に戻った。
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