2006/05/06 - 2006/05/06
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ノスタルジアさん
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2006年(平成18年)4月5日(水)~7月15日(土)
ピースボートの地球一周の船旅に参加した。
ツアーの参加者の投稿はネットでも数多くあって評判はすこぶる悪い。中には裁判沙汰にもなっているツアーもある。
自分ももう2度と参加したくないと思っている。その理由については枚挙にいとまがないが、特に最悪だったのは船内のエアコンが制御不能で温度が一定ではなくその上、かび臭さが漂い体調不良者が続出していたのである。
そのせいか自分も乗船して2日目には咳が止まらない、だるいといった風邪の症状が出て診察室に行った。診察室は毎朝行列が並び、船はさながら病院船みたいになっていて、新型インフルエンザやエボラ出血熱の患者が発生すればたちまち蔓延して各国で寄港拒否されてさすらいの航海になっていただろう。
ツアー中、高齢者の男性が船室で病死した、と2回、船内放送があったが、珍しい事ではないらしい。まさに病院船である。
乗船中は体調不良が治まる事は無かったが、寄港地で下船すると体調は良くなったのでる。
元来、旅行社のツアーは性格的に合わないので、旅に出掛ける時は、
いつも自分一人だけで、新婚旅行も出来るなら別々に行きたかった程である。
それなのにこのツアーに参加したのは、地球一周の船旅は他には飛鳥、にっぽん丸だけで、一人参加での相部屋タイプは他になかったからである。
それに飛行機は墜落すると人生それで終わり、なので飛行機には乗らない事にしているので船で行くしかなかったのである。
今回は、31年振りのギリシャ(1975年1月5日~11日)今回のツアーで最も楽しみにしていた寄港地の一つである。
遺跡の説明文はウィキペディアから引用しました。
ご参考までに31年前の旅行記
青年は荒野をめざす Vol.40 イタリア ローマ~ブリンディジ~ギリシャ パトラス~アテネ
http://4travel.jp/travelogue/10994793
ご覧下さい。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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2006年5月6日(土)船上からのピレウスの街並み風景
ピレウスは、ギリシャのアッティカ地方にある港湾都市で、古代にはペイライエウス と呼ばれ、アテナイの外港都市として発展した。アテネ市中心部から南西12km、サロニコス湾の東に位置する。
今日ではエーゲ海の島々への船が、ピレウス港から出ていて、エーゲ海クルーズの拠点である。ピレウスは2011年時点ではギリシャ第4の都市である。
ピレウス港はギリシャ最大の港で、年間2000万人が利用するヨーロッパ最大且つ世界第2位の旅客港である。
1896年と2004年のアテネオリンピックで会場となった。 -
2006年5月6日(土)船上からのピレウス港風景
左の船は、エーゲ海の島々を結ぶDane Sea LineのDIAGORASで 9.834トン、長さ141m
右の船はEXPRESS APOLLON(HELLENIC SEAWAYS)で 5,284トン、1949年建造 -
2006年5月6日(土)船上からのピレウス港風景
コスタ ヨーロッパ Costa Europa
総トン数 :55,000t 全長 243m 巡航速度 19ノット 船室数 753室 乗客数 1,773人 就航年 1986年 -
2006年5月6日(土))船上からのピレウス港風景
右の船はコスタ ヨーロッパ Costa Europa
左の船はノーティカ Nautica、ラグジュアリー5つ星クラスのクルーズ客船。船籍はマーシャル諸島。船名の「Nautica」はラテン語で「船」を意味する。
ルネッサンス・クルージイズ社のプレミアム4つ星クラスのクルーズ客船R FIVEとして2000年に就航。その後2004年4月にオセアニア・クルージイズ社に移籍し、改装によりグレードアップされ、2005年11月28日に現在の船名で就航した。 -
2006年5月6日(土)船上からのピレウス港風景
ミネルバII MinervaII 総トン数30,277t 全長180.0 m 全幅25.4 m 竣工年2001年 -
2006年5月6日(土)船上からのピレウス港風景
KNOSSOS PALACE(MINOAN LINES) 長さ214m 幅26.40m 速度31.6knots 乗客2.200名 -
2006年5月6日(土)船上からのピレウス港風景
スター・クリッパーStarClipper又はター・フライヤーStarFlyer
総トン数 2,298t 全長 115.5m 全幅 15m 船室数 753室 乗客数 170人 マスト4本 マスト高63m 就航年 1991/92年
スター・クリッパー号とスター・フライヤー号があって双子の姉妹船の為どちらの船か分からなかった。 -
2006年5月6日(土)船上からのピレウス港風景
スター・クリッパーStarClipper
クリッパー船とは、19世紀半ばに栄華を極めた高速帆船のこと。主に貿易に用いられ、その積荷を少しでも早く目的地に届けるため、進化し続けた帆船のスタイル。 -
2006年5月6日(土)船上からのピレウス港風景
スター・クリッパーStarClipper
帆は全てクルーが手動で上げ下げする。そして、昔の船にあるような大きな木製の舵で操船する。コンピューター制御化はされておらず航行中の80%は風の力で走る。 -
2006年5月6日(土)船上からのピレウス港風景
ピレウス港はギリシャ最大の港で、年間2000万人が利用するヨーロッパ最大且つ世界第2位の旅客港でグレート・ハーバーとも呼ばれている。
31年振りに訪れたピレウス港に昔の面影は全く見当たらず、当時は瀬戸内海の小さな波止場という感じだったので余りにも変貌していたのが信じられなかったのである。
下船して観光案内所でその事を話したら、それは外国航路を含む大型船が発着するグレート・ハーバーとは別に、ゼア港かミクロリマノ港という小さな港の事ではないかと言われてなぜかほっとしたのである。ゼア港とミクロリマノ港には結局時間が無くて行けなかったのが今となっては残念である。 -
2006年5月6日(土)ピレウス街並み風景 下船して地下鉄ピレウス駅へ向かう途中
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2006年5月6日(土)ピレウス街並み風景 下船して地下鉄ピレウス駅へ向かう途中
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2006年5月6日(土)ピレウス街並み風景 下船して地下鉄ピレウス駅へ向かう途中
結局、地下鉄駅まで徒歩で30分近く掛かった。 -
2006年5月6日(土)ピレウス地下鉄駅で 1号線キフィシア行き
アクロポリスに向かう事にした。 -
2006年5月6日(土)地下鉄ピレウス駅〜アクロポリス駅 車内で
カメラを向けるとほほ笑んでくれた。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリスと周辺の地図
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2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス アクロポリスの入場口で警戒中のパトカー
ギリシャは財政危機で公務員である警察の優良サービスを開始することにした。
民間の業務を積極的に有料で請け負う。
たとえば、企業や個人が多額の現金や危険物、美術品などを運ぶ際の警備などに警察官を有料で派遣する。これらを本業に支障が生じない範囲内で行う。
警察の派遣料金(1時間あたり)
白バイ派遣:2000円 警察犬を伴った警備 5000円 パトカー 4000円 警備艇 21000円 ヘリコプター 16万円 支払われた料金は装備品の購入などに充てる方針。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス他4か所の共通入場券12ユーロ1,728円
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アテネ アクロポリスの配置図
1.パルテノン神殿
2.アテナ神殿
3.エレクテイオン
4.アテナ・プロマコスの像
5.プロピュライア
6.アテーナー・ニーケー神殿
7.エレウシニオン
8.アルテミス・ブラウロニアの聖域
9.カルコテケ
10.パンドロセイオン
11.アリフォリオン
12.アテナの祭壇
13.ゼウス・ポリエウスの聖域
14.パンディオーンの聖域
15.ヘロディス・アッティコス音楽堂
16.エウメネスの柱廊
17.アスクレペイオン
18.ディオニューソス劇場
19.アテナイ音楽堂(ペリクレスのオデオン)
20.ディオニューソス劇場
21.アグラウロス聖堂 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス パルテノン神殿南面
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2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス プロピュライア
プロピュライアは、アテナイのアクロポリスへの入り口として機能した当初のプロピュライアに基づいた堂々とした入り口である。「プロピュライア」は接頭辞のpro(前という意味)とギリシア語のpylon(門)の複数形pylaionの合成語であり、文字通り門の前を意味するが、この言葉は単に「門となる建物」を意味するようになってきた。ベルリンのブランデンブルク門やミュンヘンのプロピュライアはアクロポリスのプロピュライア中央部を具体的に写したものである。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス プロピュライア
アクロポリスの堂々とした入り口であるプロピュライアはアテネの指導者ペリクレスの一般的指示で建設されたが、フィディアスがペルシア戦争が終わった時にアクロポリス全体として再建する計画を立てるよう任された。建物は建築家ムネシクルスによって設計された。建設は紀元前437年に始まり、建物がまだ完成していない同432年に中断された。
プロピュライアは白いペンテリック大理石と、アクセントを与えるだけのために使われた灰色のエルージニアン大理石すなわち石灰石で造られた。構造用の鉄材も使われたが、建築史家ウィリアム・ベル・ディンスムア[2]は構造を解析して、鉄は建物を弱めたという結論を出した。その構造は中央の建物の西外側に2つの隣接する翼があり、1つは北に1つは南にある。中核となるのは中央の建物であり、標準的な6本の柱に支えられたドーリア式ファサード(正面)がアクロポリスに入る西面と出口の東面にある。柱はパルテノン神殿の柱のプロポーション(サイズではない)を真似てある。
中央建物には通り道の約3分の2の大きさの門壁がある。壁には5つの門があり、1つは中央通路のためであり、舗装され地面と同じ高さにある。両側の2つずつの門は建物の東ポーチ(ベランダ)と同じ高さにあり、西ポーチより5段高い。中央通路は聖なる道の頂点であり、エレウシスからアクロポリスに導くものだった。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス プロピュライア
アクロポリスに入るためにはプロピュライアで制御された。防御構造として建設されてはいないが、儀式上清浄ではない人々が聖域に近付くことを否定することが重要だった。さらに、逃亡奴隷やその他の異端者は、神の保護があると主張できない聖域に入ることを認められなかった。国の財宝もアクロポリスに保管されており、その安全保障を重要にしていた。
門壁と建物の東側内部は西側よりも5段高い位置にあり、中央建物の屋根が同じ高さまで上がっていた。中央建物東部の天井は古代では有名であり、ポウサニアス(建物完成後約600年)によって、「...今日まで他の追随を許さない」と言われてきた。それは天井格間の形に彫り込まれ、青で塗装され金の星を付けられた大理石ブロックでできている。
中央建物左右の翼は中央建物西側と同じ面に建っているが、平面だけでなくその規模もかなり小さい。中央建物と同様、翼もドーリア式柱列とドーリア式エンタブラチュア(水兵部位)を使っている。しかし、中央建物は西のドーリア式柱列と門壁の間の中央通路の両側にイオニア式柱列も使っている。このためにこの建物はドーリア式とイオニア式の柱列を同時に見られるものとして我々の知る最初のものとなっている。また単純な矩形や円形のものよりも複雑なものとして古代で最初の記念碑的建築物になってもいる。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス プロピュライア
柱の傍にだるま落とし用の大きな木槌があって多くの人々が挑戦していたが、びくともしなかった。31年前には自分も挑戦したが、当時とズレ幅はほとんど変わっていないように見えた。4,5?程ずらした古代人のパワーには驚くばかりである。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス エレクテイオン神殿
エレクテイオン神殿は紀元前5世紀末に完成したイオニア式建築の代表作で、かつてはアテナの女神像が安置されていた。敷地の地盤に3メートルに及ぶ高低差があること、多くの聖蹟と神格の祭祀所を一つの建物にまとめたことなどから、古代には類まれな複雑な構造をしている。
紀元前421年 - 紀元前407年の間に完成したと考えられている。神殿の名前はギリシア神話の英雄エリクトニオスに捧げられたものである。アテナイの王であったエリクトニオス王の名誉のために建てられた、と信じる者も多い。現在残っている神殿は紀元前480年にペルシア人が侵入したペルシア戦争で破壊された後、再建されたものであると信じられている。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス エレクテイオン神殿
複数の隣接している神聖な聖跡や祭祀所を同居させる関係上、非常に複雑なデザインが施されていることで知られている。主な構造物として4つの区画があり、最も大きな構造物は東側のドーム状会議室であり、これはイオニア式の柱廊式玄関が東側区画の終端まで続いている。現代ではバルコニーと会議室を通して祭壇に設置されたアテナの女神像が民衆を見下ろす公衆の講壇であったと考えられている。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス エレクテイオン神殿
神殿全体がスロープの上にあるので、北と西の側は南と東の側より3メートル低くなっている。神殿はペンテリ山から切り出された純白の大理石 (ペンテリコン) で作られた。同時に黒い石灰岩で戸口と窓に入念な彫刻が施され、円柱には豪華な飾り付けが施されていた。金箔を被せた青銅、それに様々な色合いのガラス玉が金メッキされて強調された。建物は卵鏃装飾、及びギヨシェ回り縁の初期の例として知られている。 -
2006年5月6日(土)アテネ アクロポリス エレクテイオン
エレクテイオンはアテナイ人の最も古代の、また聖蹟に関連していた。パラディオンのソアノン天国から落下してきた木製の彫像、と解釈される。人工物ではない)はアテナの女神像(都市の守護神)だった。ポセイドンのトライデントと塩のマークはポセイドンの打撃によって生じた塩の海とされ、聖なるオリーブはアテナがポセイドンとの競争の際にアテナの槍でアテネの岩石を砕いた後、そこから発芽した神聖なオリーブ、ギリシア神話の王ケクロプス及びエレクテウス王の埋葬地、ケクロプス王の3人の娘であるヘルセ、パンドロソス、アグラウロスを祀る場所、アテネの英雄パンディオン王とブーテースを祀る場所とされていた。
神殿自体はアテネとポセイドンとエリクトニオスに捧げられたものである。神殿内には神聖なヘビが棲息しており、セクロプスの精神を表して、街の安全のためには神殿の幸福は必要不可欠であると考えられた。ヘビの餌はハチミツのケーキで、都市国家アテネの役人によって与えられた。都市国家アテネの巫女は英雄ボウテスの子孫とされる古い家系の女性たちであった。ヘビがケーキを食べることを拒否することは不吉な前兆と考えられた。 -
2006年5月6日(土)エレクテイオン 少女の彫刻が施されたカリアティッドの玄関柱
北側には円柱を持つ別の大きな玄関があり、南側には有名な「少女の玄関」がある。6体の少女の姿の柱像(カリアティード)があり、最も細い部分は首で、彫像でありながら玄関の屋根の重さを支えるように設計されている。玄関は建物の規模が縮小された後、ケクロピオンの南西の角を支えるのに必要な直径約4.5メートルのビームが設置されたが、後に起こったペロポネソス戦争のために予算の規模が縮小された。 -
2006年5月6日(土)エレクテイオン 少女の彫刻が施されたカリアティッドの玄関柱
カリアティッドの語源は紀元前480年のペルシャ戦争で、ペルシャ側に加担したギリシャ南部の町カリアCaryaeの女性に、罰として頭に重い荷物を載せて働かせたことからとされる。 -
2006年5月6日(土)エレクテイオン 少女の彫刻が施されたカリアティッドの玄関柱
それにしてもピレウスであれだけ青空だったのにここアクロポリスの空はあいにくの曇り空、青空であってこそ白亜の大理石が映えるのである。31年前のアクロポリスはまさに紺碧の青空と白く輝く大理石のコントラストが素晴らしかった。
今回撮った写真はどれもひとつ満足の行くものはなかった。ツアーで無ければ滞在日数を延ばしてまで晴れる日を待っただろう。 -
2006年5月6日(土)アクロポリスからアテネ市街地を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからアテネ市街地を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからヘファイストス神殿を撮る
紀元前449年に建てられ始め、紀元前416年から415年頃に完成した。鍛冶屋や窯業者が集まる地区に建てられたため、炎と鍛冶の神とされたヘーパイストスを祀る神殿となった。なお、スキロス島で死んだテーセウスの遺骨を、キモンがアテナイに持ち帰ったことを記念してテーセウス神殿と呼ばれていたのではないかという説もある。
7世紀頃から1834年まで、神殿はギリシャ正教会の教会として用いられゲオルギウス聖堂と呼ばれていた。
建物の最も下の段が石灰岩でできているのを除けば、ほとんど全てがペンテリ産の大理石で造られた[1]神殿は、南北13.708m 東西31.776m(または38.24m)の大きさで、短辺は6本の、長辺は13本(総数34本)の円柱で屋根を支えるドーリア式建築物である。メトープにはヘラクレスの難行とテーセウスの英雄伝が彫られている。 -
2006年5月6日(土)アクロポリスからゼウス神殿を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからアテネ市街地を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからアテネ市街地を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからアテネ市街地を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからアテネ市街地とフィロパポスの丘を撮る
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2006年5月6日(土)アクロポリスからアテネ市街地を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからアテネ市街地を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからディオニソス劇場を撮る
ディオニューソス劇場はアテナイのアクロポリスの麓に建てられていた大型野外劇場で、「ディオニューソス・エレウテリオス」(自由の神)の聖域の一部を形成していた。ワインと豊穣の神に捧げられており、ディオニューシア祭の開催地だった。
アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、アリストパネスといった古代の劇作家はこの祭りで作品を競った(古代ギリシアの演劇)。石造りの劇場は紀元前325年に建設され、14,000人から17,000人の観客を収容可能だった。その後劇場は使われなくなり、紀元61年にネロ帝が修理させたという記録があるだけである。ローマ風に再設計され復元されたものが現在も建っている。
プニュクスが民会開催場所として不適切とされた後は、ディオニューソス劇場でアテナイの民会が開催されていた。
ギリシャ政府は2009年11月24日、この荒廃した大理石製劇場を一部復元することを発表した。環境省は900万ドルをかけて2015年までに完成するとし、現存する大理石の座席に加えて現代的な拡張を行うとしている。 -
2006年5月6日(土)アクロポリスからヘロド・アティクス音楽堂を撮る。
アテネの政治家であり大富豪だったイロディス・アティコスは、父の遺産を公共建築物の建設費にあてた。この音楽堂もその一つで、死んだ妻の思い出として紀元161年にアテネ市に寄付したもの。舞台の幅は左右約35m、観客席は32段で5000人を収容するローマ様式の音楽堂だ。舞台裏の建物は3層構造になっており、1階部分正面には3つの入口と彫刻を飾るための8つのくぼみがある。古代には音楽の競演や朗読コンクール、ドラマの公演が行われた。現在も、毎年アテネフェスティバルが開催される。 -
2006年5月6日(土)アクロポリスからヘロド・アティクス音楽堂を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスからヘロド・アティクス音楽堂を撮る。
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2006年5月6日(土)アクロポリスパルテノン神殿東側正面
パルテノン神殿を始めアクロポリスの建築物はまだ未完成で工事中だった。31年前と変わらず工事が全く進んでいない感じだった。スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリアは1882年3月19日に着工し、144年の工期で2026年には完成するとされているが、パルテノン神殿の方は紀元前447年の着工から2,500年経った今なお建設中で完成の目途は立っていない。 -
2006年5月6日(土)アクロポリスパルテノン神殿東側正面
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2006年5月6日(土)パルテノン神殿 東ペディメント(切り妻型屋根の破風部)
ペディメントの製作は紀元前438年から紀元前432年わたって行われた。これらパルテノン神殿の彫刻はギリシア古典芸術の傑作であり、剥き出しの、または薄いキトンを通してなお明瞭に体躯を感じ取らせつつ、脈々と表現された筋肉によって描き出された活力みなぎる肉体の自然な動きを表現している。神々と人間の区別は、理想主義と自然主義のふたつを概念的に相互作用させる中でぼやかされつつ、彫刻家の手によって石に刻み込まれた[38]。しかし、このペディメントは現在に伝わっていない。
神殿の正面に当たる東ペディメントには女神アテーナーがゼウスの頭部から誕生した物語を描写する。ゴロシア神話によると、激しい頭痛に悩まされたゼウスが苦痛を和らげるために火と鍛冶の神ヘーパイストスに命じて槌で頭を叩かせた。するとゼウスの頭が裂け、中から鎧兜を纏った女神アテーナーが飛び出した。この情景を東ペディメントは描写している。 -
2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 東ペディメント
この東ペディメントは教会に転用された際に改築のため破壊されていたが、1674年にジャック・カレイが写生を残していた。そして、再建時はこれを元に推測や想像が加えられた。アテーナー誕生の出来事では、ゼウスとアテーナを中心に、ヘーパイストスやヘーラーなど主だったオリンポスの神々が周りを取り囲んでいなければならず、カレイの絵を中心に南北に配列を加えて再建が行われた。 -
2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 パルテノン神殿南東角
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2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 南面(南西角)
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2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 ドーリア式柱
ドーリア式(ドーリアしき)は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)の一つであり、イオニア式、コリント式と並ぶ3つの主要なオーダーに位置づけられる。ドリス式とも呼ばれる。
古代ギリシャ建築の柱の様式の一。先細りの太い円柱と針形の簡素な柱頭をもつこと,礎盤のないことなどが特徴。パルテノンはその典型。 -
2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 南側メトープ
パルテノン神殿には72枚の高浮かし彫りメトープがある。この様式は従来、神に捧げる奉納の品を納める建物にのみ用いられていた。建築記録によると、これらは紀元前446年から440年の間に製作されたとあり、彫刻家のカラミスがデザインしたと考えられる。
南側はラピテース族がテーセウスの助けを受けて半人半獣のケンタウロスと繰り広げた戦いがモチーフとなっている。 -
2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 西側メトープ
西端のメトープはアテナイ人とアマゾーンの戦い。作成されてから2500年を経て、戦争、汚染、不充分な保全、略奪そして破壊を受け現在に至る。 -
2006年5月6日(土)パルテノン神殿 左は西側メトープ、右は南側メトープ
南側はラピテース族がテーセウスの助けを受けて半人半獣のケンタウロスと繰り広げた戦いがモチーフとなっている。 -
2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 西側裏面
パルテノン神殿は、古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われた。
パルテノン神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造物の最高峰と見なされる。装飾彫刻もギリシア美術の傑作である。
この神殿は古代ギリシアそして民主政アテナイの象徴であり、世界的な文化遺産として世界遺産に認定されている。 -
2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 西側裏面
神殿は完全な新築ではなく、この地には古パルテノンと呼ばれるアテーナーの神殿があったが、紀元前480年のペルシア戦争にて破壊された後に再建され、当時あった多くの神殿と同様にデロス同盟、そして後のアテナイ帝国の国庫として使われた。
6世紀にはパルテノン神殿はキリスト教に取り込まれ、生神女マリヤ聖堂となった。オスマン帝国の占領後の1460年代初頭にはモスクへと変えられ、神殿内にはミナレットが設けられた。
1687年9月26日、オスマン帝国によって火薬庫として使われていた神殿はヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けた。 -
2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 西側裏面
1806年、オスマン帝国の了承を得たエルギン伯は、神殿から焼け残った彫刻類を取り外して持ち去った。これらは1816年にロンドンの大英博物館に売却され、現在でもエルギン・マーブルまたはパルテノン・マーブルの名で展示されている。
ギリシア政府はこれら彫刻の返却を求めているが、実現には至っていない。ギリシア文化・観光庁は、パルテノン神殿の部分的な破壊の修復や保全など、後世に伝えるための再建計画を実行している。 -
2006年5月6日(土)アクロポリス パルテノン神殿 パルテノン神殿 南西角
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2006年5月6日(土)小学生たちと
アクロポリスから下りて来たら小学生の団体がいたので一緒に写真を撮った。先生が一番盛り上がっていた。 -
2006年5月6日(土)小学生たち
見る間に人数が増えてきた。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿からアクロポリスを撮る。
アクロポリスからゼウス神殿まで徒歩で20分だった。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿
ゼウス神殿はギリシャ アテネのアクロポリスの東側にある神殿で、オリュンポス十二神の中の最高神であるゼウスに捧げられた神殿である。
紀元前6世紀、僭主政のアテナイの時代に建設が始まったが、古代の世界で最大級であった神殿は完成させることがでなかった。神殿の完成は2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスにより成し遂げられた。ローマ帝国期を通じて建てられた神殿の中で、この神殿は最大のものであった。
ゼウス神殿の名前は、ハドリアヌスがつくらせた、金と象牙のゼウス像がオリュンピアのゼウス神殿にあったもののコピーであったことに由来する。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿
紀元前550年ごろ、アテナイの僭主ペイシストラトスが、ゼウスに捧げられた初期の祠があったこの地に神殿の建設を始めた。しかし建設途中の神殿はいったん撤去され、ペイシストラトスの息子で跡を継いで僭主となったヒッピアスらにより、紀元前520年頃より建設が再開された。この時の計画では、41m×108mの基礎の上に短辺8本、長辺21本の円柱を建てた神殿になる予定であった。しかし、紀元前510年にヒッピアスが追放されたため建設はまたもや中断することになった。建物の基礎部分と、ごくわずか完成していた円柱を残したまま336年もの間放置された後、セレウコス朝のアンティオコス4世エピファネスが紀元前174年に建設を再開した。この時に建物のデザインもドーリア式からコリント式に変更され、円柱も短辺に3列×8本と長辺に2列×20本の合計104本を建てる計画に変わった。円柱の高さは17m、直径は2mとされた。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿
建設が半ばまで進んだ紀元前164年、アンティオコス4世が死去したため建設は中断された。共和制ローマの支配下となったアテナイで、ルキウス・コルネリウス・スッラは放置されていたゼウス神殿の円柱をローマに持ち帰り、カピトリーノの丘に建てられるユピテル神殿に使用してしまったため、ゼウス神殿は大きく破壊されることとなった。初代ローマ皇帝アウグストゥスの統治時代にゼウス神殿の建設は再開されるが、完成は紀元後2世紀の第14代ローマ皇帝ハドリアヌスの統治時代を待たねばならなかった。神殿の建設開始から638年も経過したことになる。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿
124年から125年に掛けて巡察旅行でアテナイを訪問した皇帝ハドリアヌスは、各種公共建築物の建設事業の中に、ゼウス神殿の完工も盛り込んだ。このとき、ゼウス神殿の当初の建築計画はわずかな修正を除いて維持され、神殿周囲に大理石で舗装された床が追加された。132年に完成した神殿は皇帝ハドリアヌスに捧げられる神殿とされた。神殿にはハドリアヌスの像が置かれると共に、本殿にはゼウス像が祀られていたと言われている。
425年、東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世はキリスト教以外のローマ神やギリシア神を祀ったゼウス神殿を否定し、5世紀から6世紀にかけて神殿は破壊され石材は周辺のキリスト教の聖堂の建築に再利用された。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿 コリント式の柱
コリント式(コリントしき)は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつであり、ドーリア式、イオニア式と並ぶ3つの主要なオーダーに位置づけられる。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿 コリント式柱頭
溝が彫られた細身の柱身と、アカンサスの葉が象られた装飾的な柱頭を特徴とする。ギリシアに起源を有するが、ギリシア建築において用いられた例はほとんどない。コリント式という名は、古代ギリシアの都市国家(ポリス)のひとつであるコリントスに由来するが、コリント式は一般にアテナイで発達したと考えられている。
古代ローマの建築家ウィトルウィウスは、コリント式は建築家で彫刻家のカリマコスにより、幼い少女の墓に供物の籠が残されている光景に触発されて考案されたものであると記している。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿 コリント式柱頭
コリント式の柱頭は、イオニア式の柱頭を豊かにした発展型であると考えられることがあるが、コリント式柱頭を注意深く見れば、様式化された2段のアカンサスの葉や茎の上方に、サイズにおいても重要性においても小さくなった計8個のイオニア式で見られる隅部の渦巻き飾りが飛び出しているのが分かるだろうし、より小さな渦巻きが飾りが内向きにあるのにも気づくだろう。ドーリア式やイオニア式と異なり、コリント式の柱頭には下部にくびれがなく、環状の玉縁が帯が柱頭の底部を形成している。
コリント式の柱が用いられている代表的建造物としては、ローマのパンテオンが挙げられる。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿 だるま落としで崩された柱
この風景も31年前と全く変わらなかった。 -
2006年5月6日(土)ゼウス神殿 だるま落としで崩された柱
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2006年5月6日(土)ゼウス神殿とアクロポリス
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2006年5月6日(土)ゼウス神殿とアクロポリス
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2006年5月6日(土)アテネ ザピオン国際展示場の向かいにある噴水
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2006年5月6日(土)アテネ アマリアス通り
この日はギリシャ全土でストライキがあって午後からは解除されていたが、路面電車、バスはは動いておらず通りは閑散としていた。 -
2006年5月6日(土)アテネ アマリアス通り
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2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
プラカはアクロポリスの丁度真下にあり、豊富な新古典様式の建築物で知られアテネでもっとも美しい地区の一つでタヴェルナやライブパフォーマンス、露店が残っている。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
プラカ地区は、アクロポリスの丘の北東側から、おおよそシンタグマ広場とモナスティラキ広場までの一帯で、現代のアテネが再開発される前の古い町の面影を残していて。このため、この地区には建築規制がかけられ、その歴史的な景観が変わらないように配慮されているが、区画整理がされていないので、細い道が迷路のようになっている。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
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2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
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2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区 スブラキの店
スブラキは小さく切った肉を串焼きにした、代表的なギリシア料理。トルコ料理のシシカバブや日本の焼き鳥に類似し、現地では鉄道の売店や車内販売でも買える一般的なファストフード。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区 スブラキの店で
31年前はスブラキより安いシシカバブを毎日の様に食べていた。
自分にとってアテネのプラカと云えばシシカバブ、ニューヨークのタイムズクスクエアと云えばスターバックスの香ばしい匂い漂ってくる。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
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2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
被っているギリシャの船員帽を買った店の親爺と。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
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2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
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2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
お土産に古代ギリシャの陶器の壺のレプリカを買った店の経営者の親娘と。
夫婦かと思ったら親娘だった。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
人通りの多い通りから外れると閑静な街並みがある。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
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2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
この辺りは絵画のように美しい。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
こどもの笑顔はどこの国のこどもでも本当に可愛い。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
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2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区 Ayla Alkoterinl教会
一緒に写っている女性は学校の先生で「早くお家に帰りなさい。」と言っているように見えた。日本で云えば田舎の夕方のお寺の風景だった。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
制服姿でくつろいでいる警察官、どう見ても勤務中。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区
スズキ製の白バイ -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区 警察官と
どう見ても酒に酔っているような怪しげな目つき。警察署へ戻る時は代行を呼ぶから心配しないでと言われた。 -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区 サンシャインエクスプレス
アテネの主な見所を約1時間で巡る列車風観光バス -
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区 アテナ・アルケゲテス門とアクロポリス
アテナ・アルケゲテス門はアテネのローマ時代のアゴラの西側の門で、アテナイの守護神である女神アテーナーに捧げられたもので保存状態の良い建造物である。
ペンテリ山産の大理石でできた4本のドーリア式円柱で支えられた門は、紀元前11年にガイウス・ユリウス・カエサルとアウグストゥスの寄進により建てられた。 -
イチオシ
2006年5月6日(土)アテネ プラカ地区 絵から抜け出たような画廊
パリで見かけるようなしゃれたレストランだと思って入ったら画廊だった。 -
2006年5月6日(土)地下鉄ピレウス駅ホーム
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2006年5月6日(土)地下鉄ピレウス駅ホーム
線路沿いの壁に絵画が飾ってある、日本にある様な広告宣伝の看板と違って芸術文化水準の高さを感じた。 -
2006年5月6日(土)ピレウス タヴェルナ
タヴェルナはギリシア料理を提供する小規模なレストランを指し、ギリシャ料理やギリシャの文化になくてはならないものとなっている。通常昼間に開店し、夕食は午後8時30分に始まり午後10時にピークを向かえる。 -
2006年5月6日(土))ピレウス タヴェルナ ギリシャ人たちと
22時に駅の近くのタヴェルナに入ると店内にいたギリシャ人から話し掛けられ、ビールを勧められて酔ってしまい何を食べたか全然覚えていない。
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