2016/03/31 - 2016/03/31
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東京の下町。
そこは摩訶不思議が溢れる土地。
なにも知らずに歩いていれば、ただの昔ながらの商店街。
でも、その細く狭い路地へと足を踏み入れると、そこにあるのはWonder World。
古くは鎌倉時代に始まった信仰や伝承が現代にも残り、地域の生活の中に溶け込んでいる風景が広がっています。
桜が満開となった日に、そんな摩訶不思議が広がる東京の下町の一つ、文京区・小石川地区を歩いてきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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-
ちょうど1年前の桜の時期。
枝垂れ桜の姿に魅せられ桜情報を探していた私は、ネット上に溢れる情報の中から1つのキーワードを見つけた。
PCの前に座る私の袖を惹いた単語は、東京都の文京区。
文京区と言えば江戸時代からの桜もある古い歴史ある地区なのだが、実は桜以上に面白そうな場所も沢山あり、少し調べただけでも興味深い下町情報がワラワラと出てきた。
恋人会いたさに江戸城下に火を放った八百屋お七に縁の土地や、森鴎外や夏目漱石などの文豪の史跡、日本最古の植物園に不思議なパワースポット等々、歴史好き・本好きの旅人にとっては、涎が垂れてきそうなお話が沢山…。
(写真:満開の枝垂れ桜/小石川後楽園) -
しかし、その見所は文京区内に広範囲に点在するので、全てを1日で廻ろうと思ったら、かなりの駆け足での散歩を覚悟しなければならない。
だけれど、そんなスタンプ・ラリーみたいな旅は私の旅のスタイルではない。
下町歩きの醍醐味は、ゆったりと流れる時間をも楽しむこと。
町の空気を、音を、匂いを研ぎ澄ました五感で感じ、肌で味わうのが私の好みだ。
それに、こんな面白そうなスポットをサラッと流し歩くのはもったいない。
欲を張らずにのんびりと、季節の風物詩と共に味わい歩く方が、旅の面白さは増すだろう。
(写真:江戸城外堀の石垣を利用した築地塀)小石川後楽園 公園・植物園
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という訳で、文京区・摩訶不思議巡りの第一弾は、桜の時期に決定♪
桜の時期のターゲットは、枝垂れ桜で有名な小石川後楽園と桜街道・播磨坂、そして小石川地区のパワースポットめぐり。
文京区の小石川地区には、地域に根付く小さな寺社たち;こんにゃく閻魔や牛天神があり、そんな寺社を桜の花咲く頃に巡ることにした。
しかし、桜の季節は年度末や年度始めにあたり休暇の取得がかなり困難な時期でスケジュールの調整が難しく、この日も歩き始めることが出来たのはもう日が傾きかけた午後3時過ぎ。
少し遅めの時間となってしまったが、牛天神の北野神社を起点に歩き出した。 -
北野天満宮と言えば菅原道真を祀る神社として知られているが、この北野神社でのポイントは道真公の学業成就パワーではなく、ねがい牛と呼ばれる岩だ。
北野神社のねがい牛の起源は、現代から約800年前の室町時代、源頼朝が活躍していたころに遡る。 -
現在の文京区があるのは東京でも内陸部分だが、800年前の文京区エリアはそのほとんどが遠浅の海の底であったところ。
この北野神社のある場所も、その昔は海の傍の高台だった。
800年前のその高台にやってきたのが、平家の残党を追ってきた源頼朝。
その頼朝が高台の岩で休んでいたところ、彼の夢に牛に乗った菅原道真が現れ、戦の勝利が近いことを告げた。
夢から目覚めた頼朝は、自分が寝ていたその岩が牛の形をしていることに気づき、戦で勝利を収めた後に、この地にウシ型の岩を祀る牛天神:北野神社を建立した…と云われている。牛石(牛天神北野神社) 名所・史跡
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北野神社本殿の前にいるのは、一対の牛の石像。
狛犬ではなく牛なのに、右の牛は軽く口を開けた阿形、左は口を閉じた吽形をしているところが律儀で、学業の神様の社なのでそんなところまで真面目なのだなぁ…と妙に納得してしまう。
初めはこの石像がねがい牛なのかと思ったのだが実はコレはフェイクで、本物のねがい牛がいるのは本殿の左手前、手水舎の後ろにいた。 -
本物のねがい牛の周りには紙垂(しで)が巡らされていた。
頼朝が腰を掛け休んだその昔は牛形の岩だったらしいが、参拝者に撫でられ摩耗した岩は、今はもうどこが顔でどこが尾なのかは分からなくなってしまっている。
ねがい牛へのお参りの仕方は、石の左側の頭の部分を撫でてから尻尾に向かい願い事を唱えながら撫でるだけ。
特に学業についてお願いしたい場合は頭を中心に、体の調子を整えたい場合にはその場所をさすれば良いとのこと。
私は欲張りなので、頭も体も両方ナデナデ。 -
そして神社の入口には、お決まりの阿吽の形をした本物の狛犬(こまいぬ)もいた。
狛犬はアフリカにいたライオンの姿がシルクロードを経由して日本へと伝わった想像上の生き物で、タテガミがある勇ましい様子から神社の魔よけとしての役割を果たしている。
そんな狛犬なのだが、何か変・・・だ。 -
イチオシ
そう、向かって右側の狛犬。
右の狛犬は、子供を足の下に連れている。
最近はやりの育メンならぬ育狛パパかと思ったのだが、連れている狛犬の子どもはパパ狛犬の乳首を咥え、お乳を飲んでいる。
うわぁ・・・。
狛犬って雌雄同体だったのか、それとも母性に目覚めたパパ狛なのか…。
はたまた、狛犬はメスにもタテガミがあるという設定なのか…。
今まで授乳狛犬には出会ったことがなかったので、ちょっとビックリしてしまった。
(全国的に見れば授乳狛犬って、そんなにレアではないみたいだが…) -
神社の御神木の木斛(もっこく)の樹。
100年の樹齢になるとのことだが、その樹齢の割には幹回りがとても細い。
樹齢を聞いていなかったら、未だ若木かと思ってしまう。
じっくり・ゆっくりと時間をかけマイペースで成長していく樹木なのだろう。 -
北野神社の境内には江戸時代に水戸光圀公から寄贈されたという桜の木もあるという話だったのだが、桜の木は何本かあり、どれが黄門桜かは区別がつかなかった。
でも、その中の1本だけ幹に紙垂を掛けられた古木があったので、多分ソレが黄門桜だったのかもしれない。
そして、この北野神社の境内にはもう一つユニークな神社;貧乏神を祀る太田神社の社がある。
貧乏神と言えば、憑かれた家は究極の貧乏に陥ってしまう忌み嫌われる神の筈なのだが、この貧乏神はちょっと変わっていて、貧乏神から福の神へと昇格してしまった神様;黒闇天女だ。 -
江戸時代にある家に憑いた貧乏神の黒闇天女さん。
居心地の良い貧乏な家にずっと滞在していたかったのだが、神様の世界では同じ所に長くとどまれないというルールがあり、その家を去ることになった。
去り際に、長らくお世話になったお礼にと家人に「油揚げと赤飯を備えて自分を祀れば、幸を与えよう」と伝え、家人が云われた通りにしたところ、それまで貧乏だった家はあれよあれよという間に大金持ちに…。
そして、貧乏神であった黒闇天女さんは福の神として祀られる様になったとのことだ。
実はこの貧乏神さま;黒闇天女さんは由緒正しき神様で、その素性は七福神の中の有名な美女:弁財天のお姉ださん。
一説によれば、福の神と貧乏神はコインの裏と表の様なモノらしい。
貧乏神も祀れば福の神に変わることもあるし、福の神も扱いを誤れば祟り神になることもありうる。
まるでギャンブルの様な女神さまたちだ。
貧乏神であった黒闇天女のお社はウシ型のおみくじ結び処の直ぐ奥にあったのだが、うっかりして写真を撮るのを忘れてしまった。 -
イチオシ
牛天神を後にして向かったのは、水戸黄門として知られる(真偽のほどは別として)水戸光圀公が江戸時代に造園した日本庭園;小石川後楽園だ。
小石川後楽園はどの季節でも日本庭園の和の美しさを味わえる場所なのだが、春のこの時期の庭園は、その風光明媚さが更に強調されるころ。
園内の33本の桜が順番に花を咲かせ、日本庭園が一斉に桜色に染まる。
そんな日本らしい景観を愉しもうと、日本国内のみならず各国語のガイドブックを手にした海外からのゲストの方が大勢いらしていた。小石川後楽園 公園・植物園
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小石川後楽園の桜の花は、樹によってその色合いが少しずつ異なる。
ソメイヨシノの淡いピンク色は愛らしく、白味が強い枝垂れ桜の花色の桜は清楚な感じ。
紅色が強い緋桜は、淡い桜色の中のアクセントの様に目立っている。 -
園内の池にはサギの姿も有り、池の鯉を狙っているのか桜の下で微動だにしない。
そんな姿は海外の方々に大人気♪ -
しだれ桜は満開の樹が多く、枝先には小さな若芽も姿を見せていた。
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ソメイヨシノは満開の一歩手前で、蕾もやわらかく膨らみ今にもふわりと開きそうな感じ。
柔らかい蕾の先に頭を寄せると優しい桜の香り。
花開く直前の蕾は、その中に春の薫を包み込んでいる。
どうやら、春の薫を楽しむのに一番良い日に庭園へと来られた様だ。 -
イチオシ
小石川後楽園は東京ドーム1.5個分の広さを持つ広大な日本庭園なのだが、実はその中身は小さな庭園の集合体であり、京都を模した庭で構成されている。
満開の枝垂れ桜の脇には渡月橋と呼ばれる橋。
橋の下を流れる大堰川(勿論その名前は、京都嵐山を流れる大堰川に由来している)には桜の姿が映っていた。小石川後楽園 公園・植物園
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小石川後楽園の庭園を歩いていて感じたことがある。
それは、お江戸文化圏に住む武士たちの西への憧れ。
日本一強いと云われた東国の武士たちだったが、その強靭さ故に優美で洗練された西方文化への羨望は非常に大きかったのだろう。
だから小石川後楽園は、憧れの地である京の名所の風景を模した庭園となったのだろう。小石川後楽園 公園・植物園
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そんな小京都的な雰囲気を醸し出している小石川後楽園だが、ここだけにしかないオリジナルな庭園部分も存在する。
それが、円月橋だ。 -
円月橋は日本で初めて作られた石造アーチ橋で、半円の部分のリフレインが川に映り、その姿が丸い月に見えることから円月橋と名付けられた。
確かに川に映った橋の姿は水面に円形を描き円月橋の名前そのものだが、川の水の整備の悪さが残念なところ。
川面に落葉があるのは自然環境なので仕方がないが、水の表面に浮かぶ油膜の様なモノは明らかに庭園整備の手抜きだろう。
どのように取り繕って書こうにも、円月橋のリフレインが美しい情景とは言えなかった。
海外からのゲストも日本庭園の美しい光景を楽しみにしてきている小石川後楽園。
可能ならば運営主体である東京都には、もう少し川や池の水質にも気を配ってもらいたいところだ。 -
庭園にある大きな池:大泉水の反対側から、池へと映る桜の景色を楽しむ。
桜色に染まる池も風情があり素敵なのだが、その背景の高層のオフィスビルが桜と共に池に映りこむ。
この組み合わせは、私にはなんだかミスマッチ風にも思えるのだが、実はこんな風景も海外からの旅人には人気だという事。
純和風テイストのお庭と近代的なオフィスビルのコラボがCool Japanなのだそうだ。小石川後楽園 公園・植物園
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小石川後楽園の桜は、桜並木の様に数で勝負ではなく、1本1本の樹の美しさを楽しむもの。
樹齢を重ねた桜の老木は、苔の生えた幹やその立ち姿だけでも美しく見応えがある。
だが、高台から見下ろす桜で春色に染まる日本庭園もなかなか見事な景観だ。 -
小石川後楽園で見つけたちょっと面白いもの。
それは、葵の御紋。
葵の御紋とは、TV番組の水戸黄門で黄門さまの印籠に描かれているあの紋だ。
でもこの写真の葵の御紋は、有名な印籠の模様とはなんだか雰囲気が違う。
それもその筈。
良く知られている徳川家の葵の御紋は三葉葵紋と呼ばれるものなのだが、この門扉の家紋は葵の葉が6枚の六葉葵紋だ。 -
イチオシ
この小石川後楽園を作った水戸徳川家の正式な家紋は、勿論、江戸徳川将軍家と同じ三葉葵だ。
だが、水戸徳川家では、将軍のお膝元で作った庭園に三葉葵を使うのは遠慮を感じてしまい、水戸徳川家の裏家紋である六葉葵を使ったとのこと。
三葉葵も悪くはないが、デザイン的には六葉葵の方が洗練されている気がするので、水戸徳川家の選択はあながち間違いではなかったのでは…と思う。
それにしても、家紋に表家紋・裏家紋などというモノがあるなんて知らなかった。
(写真:小石川後楽園の築地塀の瓦の六葉葵の裏家紋) -
小石川後楽園で桜を1時間程愛でた後は、休憩がてら展望台へと向かう。
平地である文京区に展望台とは不思議だと思われるかもしれないが、文京区には地上105mの高さから都内を一望できる展望台;文京区の区役所である文京シビックセンターがある。
シビックセンターの25階は無料の展望ラウンジとなっていて、天気の良い日には富士山と高層ビル群が立ち並ぶ姿を同時に眺めることが出来るらしい。
この日は残念ながら薄い雲があり、富士山までの眺望は無かったが、展望台から地上を見下ろすと、満開を迎えた東京の桜があちこちの路地で花開き、ピンク色の綿菓子みたいだった。文京シビックセンター展望ラウンジ 名所・史跡
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そしてシビックセンターの展望室ではもう一つ、なかなか見ることのできないモノを見ることができる。
それは、文京区の区議会場。
国会の様な派手さはないが、いままで議会場を見たことのない私には興味深い光景だった。 -
展望室の展望エリアをぐるりと回り、下界の景色に目を凝らす。
江戸時代から町屋が並んでいた文京区は現在でもその名残を多く残しており、複雑に入り組んだ路地にひしめくように家々が建てられている。
そんな家の中で、びっくりするような家を見つけた。
その家は、屋根からまさか…!というモノが生えていたのだ。
屋根に生えていたモノとは、家の中から屋根を突き抜けた木。
大きく成長した2本の樹木が屋根を突き抜け大空へとその枝葉を伸ばしていた。
フェイクの樹を屋根の上に飾っているのではないと思うのだが、本物の樹が家の中から(もしかしたら家の形をした庭園なのかもしれないが)生えているとは、なんとも不思議。
シビックセンターの展望室からそのお宅まではそれなりに距離があったので、個人宅なのか商業建築物なのかを判別することはできなかったが、想像を掻き立てる建築物だった。 -
展望室で少し休憩をした後は、文京区の下町歩きの再開。
千川通りに沿って町を北上して5分も歩くと、次の目的地が見えてきた。
この日二つ目の摩訶不思議スポットは、こんにゃく閻魔(えんま)さま。
文京区には地域に根づく社がいくつかあり、このこんにゃく閻魔も古くからある民間信仰の一つだ。 -
こんにゃく閻魔のお堂があるのは、源覚寺。
源覚寺がこんにゃく閻魔の寺として知られるようになったのは、江戸時代のこと。
眼病を抱えた老婆が閻魔像に21日間の願掛けをしたところ、老婆の夢の中に閻魔さまが現れて、「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内ひとつを差し上げよう」と言われたとか。
そして、願掛けが終わった日に老婆の目は治り、本堂の中の閻魔さまの右目は白く濁り盲目になってしまった。
お寺の説明書きにはこのように記してあった。
なるほど…。年配者に優しい閻魔さまだな…とは思い納得しかけたが、この説明には何かが足りない!
そもそも、どうして、「こんにゃく閻魔」なのか? -
閻魔大王がこんにゃく閻魔と云われるようになった理由。
それは、眼病が治り満願叶った老婆がそのお礼として自分の好物のこんにゃくを絶ち、閻魔大王さまにこんにゃくを毎日供え続けたことから・・・だという事だ。
だから、現在でも閻魔像の前には眼病治癒祈願にいらした方々が持参した沢山のこんにゃくが供えられている。源覚寺(こんにゃくえんま) 寺・神社・教会
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本堂のお堂の中は暗く、閻魔大王のお顔ははっきりとは見えないのだが、それでも目を凝らすと右目の黒目が濁り、左目だけでこちらを見ているのが分かる。
この閻魔像が彫られたのは江戸時代よりも更に古い鎌倉時代。
運慶派の仏師の彫り物だそうだ。 -
境内の絵馬も閻魔大王の絵。
閻魔さまは強そうなので、これで病魔も退散してしまいそう♪ -
源覚寺の境内にある民間信仰の神様は、閻魔さまだけではない。
まっ白神様の社も有る。
お堂の中に積もっている白いものは全て塩で、降り積もった塩の下にはお地蔵様がいるらしい。
このお地蔵様の名前は塩地蔵。
源覚寺がこの地に建立される以前から地域の人達に信仰されていたお地蔵さまで、塩でお地蔵様を清めることで、体悪いところを治す力を持つと云われている。 -
塩地蔵へのお参りのやり方はこんな感じ。
塩をお地蔵さんに掛けた後に、体の治したい部分を錫杖で撫でてあげればOK!
最近PCを使う時に目の疲れがひどいので、お地蔵さんの目の部分と思われるところを錫杖で撫でてみる。
でも、この塩地蔵の本当の顔の位置はこの場所で合っているのだろうか。 -
文京区小石川の下町・摩訶不思議さんぽは、まだまだ続く。
千川通りを左折し、善光寺坂を登り、傳通院を目指して歩く。
その途中で、改装途中のお寺を発見。
境内の桜の木も満開でそれなりに風情がある寺だったのだが、外装工事中で足場が組んであり、中へと入ってみようかという気分にはならなかった。
・・・のだが、改装中のお寺の屋根の下に気になる模様を見つけてしまった。
気になる模様とは、狐。
神社に狐ならば納得なのだが、お寺に狐とはあまり聞いたことがない。
神仏融合政策の名残が未だに残っているのか…と興味を掻き立てられ、建築資材を乗り越えて本殿の近くまで行ってみる。
そして、本堂の真下から見上げると、そこにいたのは紛れもない白狐。
寺に白狐とは面妖だ。
このお寺は何かあるのではないかな…。
元々が好奇心も固まりである私が、ここで足を止める訳はない。
お寺の裏の方へと続く道を行ってみる。 -
お寺の裏。
仄暗い山の中を思わせるお寺の裏側には赤い鳥居が並んでいた。
まだ明るい時間帯だったのでそれほど怖さは感じなかったが、コレがあと1時間遅かったら、和製ホラー映画に出てきそうな雰囲気だ。 -
イチオシ
鳥居の奥には祠があり、そこにはおびただしい数の狐たちと朱の鳥居。
冥界とこの世を繋ぐ道・・・なのだろうか。
ちょっと背筋がゾクゾクっとする様な光景が広がっていた。 -
小さな祠は敷地内に沢山あり、その中には鳥居とお狐様。
何だろう…。
原始的な崇拝心、いや、恐怖心を駆り立てるような光景だった。慈眼院 沢蔵司稲荷 寺・神社・教会
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何も知らずに私が足を踏み入れたこの社は、沢蔵司稲荷を祀る慈眼院というお寺だ。
昔々、今から300年位前の昔のこと。
江戸の小石川に一匹の老狐がいた。老狐は仏教に興味があり、人間の僧に化身し夜な夜な寺へと通い、浄土宗の奥義をたった3年間で極めてしまったと云う。
その僧は名前を沢蔵司と名乗っていたそうだ。
狐の向学心に感心した寺の住職は、寺の敷地内に沢蔵司稲荷を祀る慈眼院を別当寺として建立した…。
と江戸時代の書物には記されている。 -
その昔、慈眼院がある辺りは丘の中腹で、その丘の脇腹には狐の巣穴が沢山あったとか。
ちょうど、祠のある辺り、あそこに巣穴があったのかもしれない。 -
沢蔵司稲荷を祀る慈眼院でトラップされ、予定の時間よりも遅くなって、小石川の傳通院へと到着する。
傳通院は徳川家にも縁のある寺で、家康の生母も此処に眠っている。
そして徳川光圀(黄門さま)に刺殺された家老の墓もある。(この話も調べてみると、結構奥が深くて面白い!)
時間があれば、歴史に名を遺した人たちの墓巡りでもと思っていたのだが、時刻はもう夕方の5時をまわり、お寺のお墓の中を徘徊する時間ではない。
本堂のみ、お参りをする。
そして、帰宅して調べて知ったのだが、この傳通院は先ほど私がふらりと立ち寄った赤い鳥居が立ち並ぶ慈眼院の沢蔵司狐さんが僧の修行をした寺だったそうだ。
何も知らずに立ち寄った慈眼院。
私の第六感が働いたのか、それともお狐様に呼ばれたのか…。
お墓巡りをするよりも不思議な時間を過ごせたのかもしれない。伝通院 寺・神社・教会
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傳通院ではソメイヨシノも枝垂れ桜も満開を迎えていて、お寺全体が春色に染まっていた。
時刻は、夕焼けが空を染め始めている頃。
当初の予定では、もう一か所、江戸を焼け野原にした八百屋お七の供養塔である〈ほうろく地蔵〉へと行きたかったのだが、さすがに夜の帳が下りてくる時間帯のお寺巡りは得意ではないので諦めた。 -
傳通院の最寄り駅である茗荷谷駅へと向かう。
茗荷谷駅への道。
実はここにもこの季節ならではのお楽しみが待っていた。
それは、播磨坂。
播磨坂はマンションが立ち並ぶ地区を貫くグリーンベルトなのだが、その街路樹がソメイヨシノで、東京でも桜の名所として知られる坂道だ。播磨坂 名所・史跡
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約130本の桜の並木が坂道沿いに続く。
枝先まで開いた桜の木がピンク色のトンネルを作り出していた。
吊るされたぼんぼりにも灯りが入り始める。播磨坂桜並木 花見
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播磨坂にはカイドウの花も咲き、ソメイヨシノの淡い花色に更に彩りを添えていた。
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播磨坂の遊歩道にはところどころ宴会の準備のためかブルーシートが敷かれ、場所によっては賑やかなお花見会が始まっているシートもあった。
会社のグループの様な方たちもいたが、播磨坂の特徴はママさんたちのグループが多かったこと。
住宅街という事も有り、ママ友と言われる方たちが集まっているのかもしれない
播磨坂で桜のトンネルを歩いた後は、この日最後の観桜である千鳥ヶ淵へ行くつもりでいた。
しかし、八百屋お七に縁の寺へ行かなかったこともあり、千鳥ヶ淵の夜景の時間にはまだ少し時間が早い。 -
そこで、少しだけ遠回りをして東京タワーの見える芝公園まで足を延ばすことにした。
東京タワーへと向かった理由は、夜桜と東京タワーが重なる風景を見てみたいという若干ミーハーな理由もあったのだが、一番の理由は、東京タワーの都市伝説の事を思い出したから。
東京タワーには本当か嘘か分からないような都市伝説がいくつかあり、その一つに東京タワーが東京の裏鬼門に当たるという話がある。
以前に、平将門伝説について調べた時に、お江戸の平将門に縁のある寺社を結ぶと将門が信仰する北斗七星の形になり、明治以降の新政府は江戸に蔓延る将門の怨霊の力を断ち切るために鉄道計画を練り、完成した鉄道:山手線を利用して将門の力の元である北斗七星のラインを断った…という仮説(都市伝説)を知った。(旅行記:招き猫 と 将門 http://4travel.jp/travelogue/11002409)
実はその話には、さらに続きがあったのだ。芝公園 公園・植物園
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イチオシ
新政府が造った将門の力を封じ込める為の山手線。
その山手線のパワーが今、損なわれつつある(新政府が作った山手線の結界が破られつつある)というのだ。
その原因となっているのが、鬼門方向に建てられた高層建築物である東京スカイツリー。
東京スカイツリーが建てられる前までは、東京タワーが裏鬼門として魑魅魍魎の力を抑えこんでいた。
しかし、東京スカイツリーができたことで、裏鬼門として作られた東京タワーの力が逆に負の方向に動き出そうとしている。
高層建築物である東京スカイツリーが出来たことで、東京タワーとスカイツリーという二つの高層タワーを結ぶ直線が空中に描かれ、その直線は将門の怨霊の力を断ち切るために作られた山手線の環を切断し、新政府の造った結界を破ろうとしている。
更に、東京タワーの裏鬼門としてのパワーも弱まってきている…という話だ。
コレはあくまでも真実味の無いかなりいい加減な都市伝説なのだが、この日に下町散歩をしている時にそんな話をふと思い出してしまい、夜の東京タワーの光景、夜の闇に妖しく輝く東京タワーを眺めてみたくなってしまった訳だ。東京タワー 名所・史跡
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芝公園は桜のライトアップこそしていないものの、満開のソメイヨシノでピンク色の雲に覆われている様だった。
ゆっくりと桜と東京タワーでも眺めようかと思っていたのだが、私が訪れた時間には桜の木の下には死体…ではなく、飲めや歌えの大宴会が開かれていて、まあ、酒臭いこと…。
将門と裏鬼門の話の余韻に浸るなんて言う雰囲気ではなかった。 -
まあ、それでも東京タワーと桜のお決まりの写真だけは撮って、そそくさと千鳥ヶ淵へ。
-
そして今宵のフィナーレは、千鳥ヶ淵でのTokyo Dream Night。
昼の千鳥ヶ淵のうららかな光景とは異なる、お堀全体がリフレインで桜色に染まる桜源郷の世界。
無機質なボートと艶やかな桜が奏でる不思議な夜のシンフォニー。
千鳥ヶ淵の夜桜。
そこは、幻想的で前衛的な桜のライトアップを愉しめるオトナな場所だった。
旅行記:夢か現か 水面に映る桜源郷 http://4travel.jp/travelogue/11117375千鳥ケ淵 花見
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