2015/04/29 - 2015/05/02
240位(同エリア1091件中)
赤い彗星さん
高野山は、1000M近い場所に開かれた宗教都市です。
奥の院から、大門まで十分歩いて行ける距離にあると思いますが、
色々と見所が多く、数時間程度では駆け足で見る事になると思います。
少なく見積もって半日、のんびりすると1日掛けるつもりで
参拝するのがお薦めだと思いました。
奥の院⇒金剛三昧院⇒金剛峯寺⇒壇上伽藍⇒大門⇒女人堂・
徳川家霊台と見学しましたが、早朝から昼飯も抜いて、
夕方まで自転車で走り回っていました。
山内は移動用の路線バスも結構な間隔で走っているので、
そちらを利用するのもいいかもしれません。
GW直前のタイミングでしたが、狭い道路を路線バスや
多くの観光バスが走り回っていて、大勢の観光客で混雑していました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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金剛峯寺にやってきました。
門前の桜が綺麗に咲いています。金剛峯寺 寺・神社・教会
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高野山真言宗の総本山:金剛峯寺です。
元々金剛峯寺は、高野山全体を表す総称だったそうです。金剛峯寺 寺・神社・教会
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金剛峯寺の山門です。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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現在の金剛峯寺は、豊臣秀吉が母親を弔うために、1593年に建立した青厳寺の建物を1863年に再建したものが使用されています。
明治2年に青厳寺から、金剛峯寺に改称されたそうです。金剛峯寺 寺・神社・教会
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金剛峯寺 寺・神社・教会
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金剛峯寺かご塀です。
旧青厳寺の寺域を区切る為に建てられた、桧皮葺のかご塀だそうです。金剛峯寺 寺・神社・教会
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金剛峯寺 寺・神社・教会
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内部は撮影禁止ですが、豊臣秀次自刃の間や美しい襖絵に囲まれた多くの部屋等を拝観することが出来ます。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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大きな龍の彫刻が施されていました。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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鐘楼です。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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高野山のマスコットキャラ「こうやくん」です。
開創1200年を迎えた高野山の魅力を伝える広告塔です。 -
蟠龍庭(ばんりゅうてい)です。
建物内は撮影禁止ですが、ここは特に制限をしていないようです。
日本最大の石庭で、四国産の花崗岩140個で龍を、京都産の砂で雲海を表しているそうです。
蟠龍庭のモチーフは、雲海の中で奥殿を護る雌雄一対の龍です。金剛峯寺 寺・神社・教会
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雲海から現れた龍の背辺りでしょうか。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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横門です。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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門上部には、ウサギがじゃれあっている彫刻が施されていました。
金剛峯寺 寺・神社・教会
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金剛峯寺 寺・神社・教会
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高野山の霊宝館です。
金剛峯寺から、歩いて5分ぐらいの所にあります。
霊宝館の建物は、大正10年に建てられています。
2014年秋にサントリー美術館で公開された国宝の八大童子像を始め、多くの貴重な国宝や重要文化財等が収蔵されています。高野山霊宝館 美術館・博物館
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春先に紅葉?
1年中もしくは、この時期にも赤くなる品種なのかもしれません。 -
高野山の中門です。
江戸時代に3回も焼失したそうで、1843年(天保14年)に焼失後は再建されていませんでした。
開創1200年に合わせ2015年に再建されたばかりですが、デザインは1253年(建長5年)に建立された門を再建したそうです。
江戸時代焼失時に中門の四隅を護っていた四天王のうち、多聞天と持国天は救出されましたが、焼失してしまった増長天と広目天も中門再建に合わせて造立されました。壇上伽藍 寺・神社・教会
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江戸時代に作成された、中門の右外側に建つ多聞天です。
四天王及び七福神の一人、別名:毘沙門天としても有名ですね。
右手に三叉戟、左手で宝塔を掲げています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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こちらも江戸時代に作成された、中門の左外側に建つ持国天です。
右手には刀を持っています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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中門再建に合わせ、中門焼失時に失われていた増長天と広目天も合わせて造立されました。
中門右内側には、増長天が安置されています。
手には槍を持ち、胸にはトンボのオブジェがあしらわれています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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中門左内側には、広目天が安置されています。
千里眼の能力を持つといわれており、手には筆と巻物、胸には蝉のオブジェがあしらわれています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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金剛峯寺の金堂です。
現在の建物は、昭和7年に鉄筋コンクリートで7度目の再建をされたものだそうです。
高村光雲作の薬師如来が、本尊として安置されています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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昭和12年に再建された、鉄筋コンクリート製の根本大塔です。
日本最初の多宝塔として、816年から887年に初めて建てられたそうです。
色々な場所で多宝塔を見ましたが、これほど巨大なものは初めてです。壇上伽藍 寺・神社・教会
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金堂の裏面です。
壇上伽藍 寺・神社・教会
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昭和9年に再建された六角経蔵です。
元々は、鳥羽法皇の皇后である美福門院が奉納した、一切経の経典を納めるために建てられた経蔵です。
取っ手を使って、建物を回すことが出来るようです。
チベット仏教のマニ車同様、一周させると一切経を読誦したのと同じ功徳を得られると云われています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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正面が、重要文化財の山王院拝殿です。
山王院は、地主の神を山王として祀る為に建てられてました。壇上伽藍 寺・神社・教会
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山王院拝殿は、1594年に再建された建物が今でも残っています。
壇上伽藍 寺・神社・教会
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物理的に連結していませんが、後方にある本殿の拝殿としての建物です。
壇上伽藍 寺・神社・教会
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重要文化財の山王院本殿です。別名「御社(みやしろ)」とも呼ばれています。
木々に囲まれて良く見えませんが、本殿は右から丹生明神社、
高野明神社、総社の3棟で構成されています。
大永元年(1521年)の壇上伽藍大火災で焼失しましたが、
翌年再建されたものが今に残ります。壇上伽藍 寺・神社・教会
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重要文化財の西塔です。
仁和3年(887年)に建造され、現在の塔は、天保5年(1834年)に再建されたものです。
根本大塔と西塔は、元々二基一対で計画されたようですが、
経済的理由から、大きさや建立時期が違っているそうです。壇上伽藍 寺・神社・教会
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中門建設に使用された、樹齢374年のヒノキの切り株です。
西塔裏手に切り株が残されています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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西塔近くから、根本大塔を眺めました。
壇上伽藍 寺・神社・教会
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西塔手前にある鐘楼です。
壇上伽藍 寺・神社・教会
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孔雀堂です。
現在の建物は、昭和58年(1983年)に再建されたものです。
本尊である重要文化財の快慶作:孔雀明王像は、霊宝館に収蔵されています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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准胝堂(じゅんていどう)です。
天禄4年(973年)頃に建立された後、何度も焼失し、
現在のお堂は明治16年(1883年)に再建されたものです。
弘法大師が自ら造立されたと云われる、准胝観音が本尊となっています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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弘法大師:空海の肖像画(御影)が祀られている御影堂です。
現在の建物は、嘉永元年(1848)に再建されたものです。
堂内は内陣と外陣で構成されており、外陣には十大弟子や祈親上人の
肖像画が、内陣には高弟の真如親王が空海在世中に筆写し、
大師自ら開眼したと伝えられている非公開の御影が祀られています。
この非公開の御影は、後世制作された御影の原本となっているそうです。壇上伽藍 寺・神社・教会
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建武元年(1334)後醍醐天皇の綸命により建立されました。
後醍醐天皇の等身大と云われる愛染明王が本尊となっています。
現在の建物は、嘉永元年(1848)に再建されたものです。壇上伽藍 寺・神社・教会
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建久8年(1197)に建立された、国宝の不動堂です。
国宝の八大童子像が安置されていたお堂です。(現在は高野山霊宝館)
お堂の四隅は、4人の工匠がそれぞれ担当したため、
全て形が違っているそうです。壇上伽藍 寺・神社・教会
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鳥羽法王の皇女:五辻斎院親王が、父の冥福を祈る為に建立した大会堂です。
現在の建物は嘉永元年(1848)に再建されたものです。壇上伽藍 寺・神社・教会
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済高座主が、延長7年(929)に建立したお堂です。
このお堂で「理趣三昧」という儀式が行われたため、
三昧堂と呼ばれるようになったそうです。壇上伽藍 寺・神社・教会
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三昧堂の目の前にある「西行桜」です。
西行は三昧堂移築に関係したらしく、お堂移築の記念に西行自身の手で、
桜が植えられたと云われています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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昭和59年(1984)に再建された東塔です。
大治2年(1127)白河院の御願によって創建されました。
天保14年(1843)に焼失してから、昭和まで再建される事はありませんでした。壇上伽藍 寺・神社・教会
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高野山の入り口に当たる大門です。
度々焼失したらしく、現在残る門は宝永二年(1705)に再建されたものです。
門には「高野山」という額が掛っています。大門 名所・史跡
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江戸中期に活躍した大仏師の運長と康意作の金剛力士像です。
東大寺南大門の仁王に続き、国内2番目の大きさの仁王だそうです。大門 名所・史跡
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大門 名所・史跡
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大門の裏側です。
こちら側は、すでに結界内に入っていることになります。大門 名所・史跡
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現存する唯一の女人堂です。
高野山駅からバスで高野山内に向かってくると、一番最初に現れる建物です。
明治5年(1872)に女人禁制が解かれるまで、女性は入山出来なかったため、高野山への各登山口には、女性の参籠所として「女人堂」が設けられました。女人堂 寺・神社・教会
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お竹地蔵です。
1745年に「横山たけ」さんの寄進で建立されたため、お竹地蔵と名付けられたそうです。
亡夫の供養のために、女人堂で参籠している際にお地蔵さまが夢に現れた事から、建立に繋がったそうです。 -
高野山金剛峯寺の大きな石柱が建っています。
この石柱から向こうは高野山内となり、女人堂はこの石柱の手前に建っています。 -
徳川家霊台受付で寝ていた、リアル招き猫です。
入場料200円を払って入場します。 -
徳川家霊台は、寛永20年(1643)に三代将軍家光によって建立されました。
境内の東端には、三代将軍以下および御三家を祀った尊牌堂も存在したそうですが、明治21年1888年に焼失してしまい、現在は家康と秀忠の霊廟のみ現存しています。徳川家霊台 名所・史跡
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右側に建つ徳川家康の霊廟です。
徳川家霊台 名所・史跡
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初代将軍:家康の霊屋です。
家康・秀忠の霊屋は、重要文化財に指定されています。徳川家霊台 名所・史跡
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左側に建つ徳川秀忠の霊廟です。
徳川家霊台 名所・史跡
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2代将軍:秀忠の霊屋です。
霊廟の装飾は、東照宮を思い起こさせます。徳川家霊台 名所・史跡
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手前が家康、奥が秀忠の霊屋です。
徳川家霊台 名所・史跡
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高野山駅にやってきました。
参拝も終わり、下山します。高野山駅 駅
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和歌山訪問2015②(高野山開創1200年Ⅰ:奥の院・金剛三昧院)
2015/04/29~
高野山周辺
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和歌山訪問2015③(高野山開創1200年Ⅱ:金剛峯寺・徳川家霊台他)
2015/04/29~
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2015/04/29~
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和歌山訪問2015⑤(ラピュタの風景:友ヶ島&人形供養の淡嶋神社)
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和歌山訪問2015①(和歌山城、紀三井寺、紀州東照宮)
2015/04/29~
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和歌山訪問2015④(九度山)
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和歌山訪問2015⑦(貴志川線沿線のパワースポット:日前神宮・國懸神宮・伊太祁曽神社・竈山神社他)
2015/04/29~
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2015/04/29~
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