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昨年11月から続く旅無しの生活。蔵出しの古い旅行記だけでは芸がないので、ふらりと出かけた東京駅周辺を旅行記にしてみた。ちょうど100周年を迎えた東京駅に残る開業当初の面影と、駅周辺に微かに残る江戸の残照を見つける小さな旅である。<br /><br />(2023.01.13 投稿)

100年の東京駅と江戸の残り香

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2015/01/12 - 2015/01/12

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旅行記グループ 【武蔵国】東京都(区部)

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旅猫

旅猫さん

昨年11月から続く旅無しの生活。蔵出しの古い旅行記だけでは芸がないので、ふらりと出かけた東京駅周辺を旅行記にしてみた。ちょうど100周年を迎えた東京駅に残る開業当初の面影と、駅周辺に微かに残る江戸の残照を見つける小さな旅である。

(2023.01.13 投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 実のところ、東京駅へと向かったのは、お気に入りの版画家の一人である川瀬巴水の展覧会が日本橋で開催されていると知ったからである。東京駅には昼過ぎに到着。隣のホームには、東京駅100周年の装いを纏った電車が入って来た。

    実のところ、東京駅へと向かったのは、お気に入りの版画家の一人である川瀬巴水の展覧会が日本橋で開催されていると知ったからである。東京駅には昼過ぎに到着。隣のホームには、東京駅100周年の装いを纏った電車が入って来た。

  • 昨年12月20日に開業100周年を迎えた東京駅。降り立ったホームには、開業当時の建物が残っていることを思い出し、日本橋へ向かう前に観ていくことにした。その建物とは、ホームの屋根とそれを支える柱などである。見上げれば、古風な木造の屋根と目立たない飾りがある。

    昨年12月20日に開業100周年を迎えた東京駅。降り立ったホームには、開業当時の建物が残っていることを思い出し、日本橋へ向かう前に観ていくことにした。その建物とは、ホームの屋根とそれを支える柱などである。見上げれば、古風な木造の屋根と目立たない飾りがある。

  • それは、花を意匠したような小さな飾りである。この100年の間、何度も化粧直しをしたため、模様ははっきりとしていなかった。

    それは、花を意匠したような小さな飾りである。この100年の間、何度も化粧直しをしたため、模様ははっきりとしていなかった。

  • よく見ると、現在の実用本位の建築には見られない、さり気ない飾りがそこかしこに施されている。

    よく見ると、現在の実用本位の建築には見られない、さり気ない飾りがそこかしこに施されている。

  • 最近のホームでは見かけない、細くて丸い柱も並んでいる。東京駅は、戦災により、煉瓦駅舎やホームが焼け落ちたのだが、当時は第二ホームと呼ばれていたこのホームの一部だけが焼け残り、現在もそのまま使われているのである。

    最近のホームでは見かけない、細くて丸い柱も並んでいる。東京駅は、戦災により、煉瓦駅舎やホームが焼け落ちたのだが、当時は第二ホームと呼ばれていたこのホームの一部だけが焼け残り、現在もそのまま使われているのである。

  • その柱の足元には、明治四十一年の文字が見える。東京駅の開業は大正3年(1914)なので、それ以前のものになるが、これは駅の建設が始まった際に鋳造されたものだからである。

    その柱の足元には、明治四十一年の文字が見える。東京駅の開業は大正3年(1914)なので、それ以前のものになるが、これは駅の建設が始まった際に鋳造されたものだからである。

  • 開業当時、ホームの先端だった場所にやって来た。そこにある柱の片側には、屋根を支えるための支柱が無いので、そこが端だとわかる。現在は、ホームが延長されているため端では無くなっている。その柱の意匠も、一見の価値がある。

    開業当時、ホームの先端だった場所にやって来た。そこにある柱の片側には、屋根を支えるための支柱が無いので、そこが端だとわかる。現在は、ホームが延長されているため端では無くなっている。その柱の意匠も、一見の価値がある。

  • その延長部分を見ると、ホームと線路がずれてる。これは、さらに後になってから、線路の配置が変わったからだそうだ。

    その延長部分を見ると、ホームと線路がずれてる。これは、さらに後になってから、線路の配置が変わったからだそうだ。

  • 一部の柱は緑色に塗られている。その柱も開業当時のものなのだそうだが、架線柱の役割も兼ねているもので、隣のホームから見るとよく分かるらしい。ちなみに、この柱の上の部分は、焼け落ちた部分を戦後に再建したもので、全て木造なので一目でわかる。

    一部の柱は緑色に塗られている。その柱も開業当時のものなのだそうだが、架線柱の役割も兼ねているもので、隣のホームから見るとよく分かるらしい。ちなみに、この柱の上の部分は、焼け落ちた部分を戦後に再建したもので、全て木造なので一目でわかる。

  • 隣の東海道本線のホームから眺めてみると、なるほど、屋根の上の部分も緑に塗られている。識別するために、わざわざ緑に塗ってあるようだ。

    隣の東海道本線のホームから眺めてみると、なるほど、屋根の上の部分も緑に塗られている。識別するために、わざわざ緑に塗ってあるようだ。

  • 東京駅を観た後、八重洲北口を出て日本橋へと向かう。駅を出た所に建つ丸の内トラストタワーの脇に、江戸城の外濠を再現した石組みがあった。

    東京駅を観た後、八重洲北口を出て日本橋へと向かう。駅を出た所に建つ丸の内トラストタワーの脇に、江戸城の外濠を再現した石組みがあった。

  • その石組みの一部には、江戸時代の鍜治橋門で実際に使われていた石垣も利用されている。

    その石組みの一部には、江戸時代の鍜治橋門で実際に使われていた石垣も利用されている。

  • その先の地面には、何やら丸い穴のようなものが点々と続いている。それは、当時ここに埋められていた玉川上水の位置を表示するための照明だそうである。現代で言う水道管が埋設してあった場所である。江戸の町が、当時、世界最高水準の都市だったことを証明するものである。

    その先の地面には、何やら丸い穴のようなものが点々と続いている。それは、当時ここに埋められていた玉川上水の位置を表示するための照明だそうである。現代で言う水道管が埋設してあった場所である。江戸の町が、当時、世界最高水準の都市だったことを証明するものである。

  • さらにその先には、当時この辺りにあった北町奉行所の石垣も残されていた。これは、発掘調査で出土した奉行所の北東角の下水溝の一部だそうだ。実際にあった場所は、トラストタワーN館の建つところなので、移設して復元したそうである。北町奉行所跡の説明板もそこにあった。潰すよりはましだが、この国の遺跡保存の考え方は、どうも納得がいかない。

    さらにその先には、当時この辺りにあった北町奉行所の石垣も残されていた。これは、発掘調査で出土した奉行所の北東角の下水溝の一部だそうだ。実際にあった場所は、トラストタワーN館の建つところなので、移設して復元したそうである。北町奉行所跡の説明板もそこにあった。潰すよりはましだが、この国の遺跡保存の考え方は、どうも納得がいかない。

    北町奉行所跡 名所・史跡

  • そこから、呉服橋の交差点へ向かい、旧甲州道中を東へ歩くと日本橋交差点へ出た。その角には、COREDO日本橋がある。そこには江戸時代、江戸三大呉服商のひとつ白木屋(後の東急百貨店日本橋店)が店を構えていた。広重の名所江戸百景『日本橋通一丁目略図』にも描かれた名店だが、平成11年(1999)に閉店し、336年の歴史に幕を閉じてしまった。その跡地に建ったのが、江戸日本橋に似つかわしくない無粋な商業ビルである。江戸の空が、またひとつ見えなくなってしまった。

    そこから、呉服橋の交差点へ向かい、旧甲州道中を東へ歩くと日本橋交差点へ出た。その角には、COREDO日本橋がある。そこには江戸時代、江戸三大呉服商のひとつ白木屋(後の東急百貨店日本橋店)が店を構えていた。広重の名所江戸百景『日本橋通一丁目略図』にも描かれた名店だが、平成11年(1999)に閉店し、336年の歴史に幕を閉じてしまった。その跡地に建ったのが、江戸日本橋に似つかわしくない無粋な商業ビルである。江戸の空が、またひとつ見えなくなってしまった。

  • 交差点を旧東海道沿いに京橋方面へ歩くと、左手に高島屋日本橋店が見えてくる。隣のビルが再開発で無くなったため、滅多に観られない横顔が拝めた。昭和8年(1933)竣工の正面店舗から、増改築を重ねた跡がよくわかる。再開発で歴史的な建物が東京駅周辺から失われる中、昭和初期から残る貴重な百貨店建築として、国の重要文化財に指定されたのも頷ける。

    交差点を旧東海道沿いに京橋方面へ歩くと、左手に高島屋日本橋店が見えてくる。隣のビルが再開発で無くなったため、滅多に観られない横顔が拝めた。昭和8年(1933)竣工の正面店舗から、増改築を重ねた跡がよくわかる。再開発で歴史的な建物が東京駅周辺から失われる中、昭和初期から残る貴重な百貨店建築として、国の重要文化財に指定されたのも頷ける。

  • 増改築した部分を見ると、凝った意匠の初期の建物と、見えないところは手を抜く、高度経済成長期の建物との差が歴然である。

    増改築した部分を見ると、凝った意匠の初期の建物と、見えないところは手を抜く、高度経済成長期の建物との差が歴然である。

  • COREDO日本橋とは、比べ物にならない素晴らしい意匠が施されている。優雅な曲線も美しい。歴史を重ねた風格もあり、まさに名建築である。

    COREDO日本橋とは、比べ物にならない素晴らしい意匠が施されている。優雅な曲線も美しい。歴史を重ねた風格もあり、まさに名建築である。

  • その正面の柱は、大理石が使われているそうである。今建てたとしたら、相当な費用が必要であろう。

    その正面の柱は、大理石が使われているそうである。今建てたとしたら、相当な費用が必要であろう。

  • そして、目指す川瀬巴水展は、ここ高島屋で開催されている。久しぶりの巴水、楽しみである。かなり混んでいるという情報だったのだが、入場券売り場でも並ばずに入ることが出来た。とは言え、やはり会場内は大混雑。それでも、思ったよりはゆっくり観ることができ、大満足である。約280点もの作品は見応えがあった。

    そして、目指す川瀬巴水展は、ここ高島屋で開催されている。久しぶりの巴水、楽しみである。かなり混んでいるという情報だったのだが、入場券売り場でも並ばずに入ることが出来た。とは言え、やはり会場内は大混雑。それでも、思ったよりはゆっくり観ることができ、大満足である。約280点もの作品は見応えがあった。

  • 次に向かったのは、皇居東御苑。途中、少し寄り道をする。まず立ち寄ったのは、日本橋西河岸地蔵寺。ビルの谷間に小さな御堂が建つだけの寺だが、歴史は奈良時代からという古刹である。江戸に移ったのは享保3年(1718)のことだそうだ。行基自らが彫ったという地蔵菩薩(日限延命地蔵尊)が祀られている。

    次に向かったのは、皇居東御苑。途中、少し寄り道をする。まず立ち寄ったのは、日本橋西河岸地蔵寺。ビルの谷間に小さな御堂が建つだけの寺だが、歴史は奈良時代からという古刹である。江戸に移ったのは享保3年(1718)のことだそうだ。行基自らが彫ったという地蔵菩薩(日限延命地蔵尊)が祀られている。

    日本橋西河岸地蔵寺(日限延命地蔵尊) 寺・神社・教会

    ビルの谷間に佇む古刹 by 旅猫さん
  • 境内の絵馬には美人絵が描かれている。これは、この寺に奉納されている『板絵着色お千世の図』を模したものだそうだ。中央区の登録文化財である実物は、お願いすれば拝見させてもらえるそうだ。

    境内の絵馬には美人絵が描かれている。これは、この寺に奉納されている『板絵着色お千世の図』を模したものだそうだ。中央区の登録文化財である実物は、お願いすれば拝見させてもらえるそうだ。

  • 一石橋を渡り、常盤橋交差点へ出る。その交差点の先にあるのが、日本橋川に架かる常盤橋である。橋の上からは、上流側に明治10年(1877)に架けられた常磐橋が見えるのだが、ちょうど修復中で土台部分しか見えなかった。江戸時代には、常盤橋門に架かる木橋だった橋である。橋の西詰には、常盤橋門の石垣も残っている。<br />

    一石橋を渡り、常盤橋交差点へ出る。その交差点の先にあるのが、日本橋川に架かる常盤橋である。橋の上からは、上流側に明治10年(1877)に架けられた常磐橋が見えるのだが、ちょうど修復中で土台部分しか見えなかった。江戸時代には、常盤橋門に架かる木橋だった橋である。橋の西詰には、常盤橋門の石垣も残っている。

    常盤橋門跡 名所・史跡

  • 一石橋を渡り返す。上流側は護岸になっているが、江戸時代には道三堀が流れ込んでいた場所である。広重の名所江戸百景『八ツ見のはし』は、一石橋から眺めた道三堀に架かる銭瓶橋を描いたものだ。銭瓶橋は、対岸奥に見える日本ビルヂングの辺りにあったのだが、今は痕跡すらない。

    一石橋を渡り返す。上流側は護岸になっているが、江戸時代には道三堀が流れ込んでいた場所である。広重の名所江戸百景『八ツ見のはし』は、一石橋から眺めた道三堀に架かる銭瓶橋を描いたものだ。銭瓶橋は、対岸奥に見える日本ビルヂングの辺りにあったのだが、今は痕跡すらない。

    銭瓶橋跡 名所・史跡

  • 旧呉服町側の南詰には、大正11年(1922)に掛けられた当時の親柱が残っている。一石橋は、江戸初期からある歴史ある橋で、名の由来は、両詰に屋敷を構えていたのが後藤という名だったので、五斗と五斗で一石なったと云われている。駄洒落で付けられたと言う訳だが、本当なのだろうか。

    旧呉服町側の南詰には、大正11年(1922)に掛けられた当時の親柱が残っている。一石橋は、江戸初期からある歴史ある橋で、名の由来は、両詰に屋敷を構えていたのが後藤という名だったので、五斗と五斗で一石なったと云われている。駄洒落で付けられたと言う訳だが、本当なのだろうか。

    一石橋 (一石橋の親柱) 名所・史跡

  • その親柱の袂に、江戸時代の迷子掲示板である『一石橋迷子しらせ石標』が建っている。当時、この辺りは迷子が多かったそうだ。迷子は町で保護するのが当たり前で、保護していることの知らせを右側に、迷子を尋ねる人は左側に紙を貼ることになっていたそうである。

    その親柱の袂に、江戸時代の迷子掲示板である『一石橋迷子しらせ石標』が建っている。当時、この辺りは迷子が多かったそうだ。迷子は町で保護するのが当たり前で、保護していることの知らせを右側に、迷子を尋ねる人は左側に紙を貼ることになっていたそうである。

    一石橋迷子しらせ石標 名所・史跡

  • 旧甲州道中(永代通り)に出たところが呉服橋の交差点である。その江戸城跡側には外濠があり、そこに呉服橋が架かっていた。橋の西詰には江戸城外郭門のひとつ呉服橋門があったが、現在は、呉服橋跡の案内板以外は何も残ってない。

    旧甲州道中(永代通り)に出たところが呉服橋の交差点である。その江戸城跡側には外濠があり、そこに呉服橋が架かっていた。橋の西詰には江戸城外郭門のひとつ呉服橋門があったが、現在は、呉服橋跡の案内板以外は何も残ってない。

    呉服橋跡 名所・史跡

    失われた江戸城の名残 by 旅猫さん
  • JR線を潜って永代通りを大手町側へと歩いて行く。江戸時代、この道は存在せず、そこには大名屋敷が建っていた。安政3年頃は、上野館林藩秋元家の上屋敷となっていた場所である。行き交う列車や車の音が絶え間なく聴こえる場所だが、その流れが途切れると、嘘のように静かになった。都会の一瞬の静寂である。

    JR線を潜って永代通りを大手町側へと歩いて行く。江戸時代、この道は存在せず、そこには大名屋敷が建っていた。安政3年頃は、上野館林藩秋元家の上屋敷となっていた場所である。行き交う列車や車の音が絶え間なく聴こえる場所だが、その流れが途切れると、嘘のように静かになった。都会の一瞬の静寂である。

  • 潜ってすぐの右手に建つ新大手町ビルの脇道に、かつて存在した道三堀に架かっていた道三橋跡がある。寒々しいビルの谷間で何もないが、跡を示す看板だけが歴史を伝えていた。

    潜ってすぐの右手に建つ新大手町ビルの脇道に、かつて存在した道三堀に架かっていた道三橋跡がある。寒々しいビルの谷間で何もないが、跡を示す看板だけが歴史を伝えていた。

    道三橋跡 名所・史跡

  • 永代通りが内堀通りに突き当たるところには、大手橋がある。その先にあるのが、江戸城の大手門である。現在、門櫓は修理中であった。門前にあった大きな鯱は、明暦の大火で焼失した後に再建された大手門の渡り櫓に載っていたものらしい。

    永代通りが内堀通りに突き当たるところには、大手橋がある。その先にあるのが、江戸城の大手門である。現在、門櫓は修理中であった。門前にあった大きな鯱は、明暦の大火で焼失した後に再建された大手門の渡り櫓に載っていたものらしい。

  • 大手門を潜ると東御苑の入口がある。入場証を受け取り苑内へと入る。入ってすぐのところには、八重の十月桜が咲いていた。

    大手門を潜ると東御苑の入口がある。入場証を受け取り苑内へと入る。入ってすぐのところには、八重の十月桜が咲いていた。

  • そのすぐ近くでは、木瓜の花も咲いていた。

    そのすぐ近くでは、木瓜の花も咲いていた。

  • 三の丸尚蔵館で、明治天皇の諸国行幸の際に撮られた各地の貴重な明治期の写真を鑑賞する。その後、来た道を東京駅へと引き返した。馬場先堀では、ハクチョウが一羽、水面に浮かんでいた。<br />※潮来メジロさんのご指摘により、コブハクチョウと判明しました。

    三の丸尚蔵館で、明治天皇の諸国行幸の際に撮られた各地の貴重な明治期の写真を鑑賞する。その後、来た道を東京駅へと引き返した。馬場先堀では、ハクチョウが一羽、水面に浮かんでいた。
    ※潮来メジロさんのご指摘により、コブハクチョウと判明しました。

  • 丸の内北口から自由通路を通って八重洲側へと出る。その途中で、YEBIS BARの文字が目に留まり、思わず寄り道をする。まだ、3時半前だが、喉が渇いていたので入ってしまったのだ。まずは、ヱビス・プレミアムミックスを注文。ヱビスとヱビスプレミアムブラックを半々注いだものである。疲れた体に麦酒が浸み渡る。

    丸の内北口から自由通路を通って八重洲側へと出る。その途中で、YEBIS BARの文字が目に留まり、思わず寄り道をする。まだ、3時半前だが、喉が渇いていたので入ってしまったのだ。まずは、ヱビス・プレミアムミックスを注文。ヱビスとヱビスプレミアムブラックを半々注いだものである。疲れた体に麦酒が浸み渡る。

    YEBISU BAR グランスタ八重北店 グルメ・レストラン

    ヱビスビールと美味しいつまみが味わえる店 by 旅猫さん
  • 琥珀ヱビスを追加してまったりしていたのだが、つい、三杯目に怪しい『かぼすの時間』なるビアカクテルを頼んだのが失敗であった。おかげで、至福だったそれまでの時間が崩れてしまった。タコのオレンジマリネにも、まったく合わなかった。最後の締めに失敗し、口直しにもう一軒と思ったが、どこも混み始めていたので諦める。家に戻る車中で、次は遠出をしようと、心に決めた。

    琥珀ヱビスを追加してまったりしていたのだが、つい、三杯目に怪しい『かぼすの時間』なるビアカクテルを頼んだのが失敗であった。おかげで、至福だったそれまでの時間が崩れてしまった。タコのオレンジマリネにも、まったく合わなかった。最後の締めに失敗し、口直しにもう一軒と思ったが、どこも混み始めていたので諦める。家に戻る車中で、次は遠出をしようと、心に決めた。

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この旅行記へのコメント (12)

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  • hot chocolateさん 2015/02/15 00:35:32
    江戸の名残・・・
    旅猫さま

    こんばんは〜
    「江戸の名残」の旅行記にお邪魔しています。

    大都会の街歩きも、昔を偲びながら歩くと、様々な発見もあって楽しいですね。
    今日、友人とお茶の水の「ワテラス」に行ったのですが、モダンなビルの間に、昔のお蔵や古い住宅を見て歩き、高層ビルの林立する東京にも懐かしい建築物が残っているのをうれしく思いました。

    日本橋高島屋の隣のビル、確か富士銀行(現みずほ銀行)とうなぎ屋さんがあったはずですが、再開発で無くなってしまったのですね。
    表通りを歩いていると、高島屋の横顔はめったに見られませんが、古い建物と増改築後の違いが歴然としていますね。

    3杯目の「カボスの時間」は残念でした。

    hot chocolate

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2015/02/17 21:36:32
    RE: 江戸の名残・・・
    hot chocoさん、こんばんは〜
    いつもありがとうございます。

    東京も、そこかしこに江戸の名残があり、
    そぞろ歩くと、結構楽しいものです。
    学生の頃から江戸歩きをしていて、古地図と見比べながらの散歩は飽きません。

    > 日本橋高島屋の隣のビル、確か富士銀行(現みずほ銀行)とうなぎ屋さんがあったはずですが、再開発で無くなってしまったのですね。
    そうなんですよ。
    いつの間にか、無くなっていました。
    高層ビルが建つみたいですよ。
    つかの間、高島屋の横側が見られますね。

    変わったものをつい頼んで失敗する、よくあるパターンでした(^^;
    旅猫
  • rupannさん 2015/02/11 23:17:32
    江戸の名残り
    旅猫さん、こんばんわ

    名残りを求めてぶらりとそういうのもいいですねぇ

    >三杯目に怪しい『かぼすの時間』なるビアカクテルを頼んだのが失敗。
    やっちゃいましたか〜

    私は珍しもん好きなんで、しょっちゅうやってしまいます(^^ゞ
    まぁ それも笑い話のネタって〜いつも思ってますけど...

    来月こそは旅に出る
    私も桜まで がまんしようかなぁなんて

    by rupann♪

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2015/02/14 09:45:56
    RE: 江戸の名残り
    rupannさん、こんにちは。

    東京には、江戸時代の名残がそこかしこにあって、
    それを見つけながら街歩きをするのが楽しいです。

    江戸の古地図と明治、現代の地図重ね合わせることができるソフトがあるのです。
    それを使えば、今いる場所が江戸時代、どんな場所だったのかがわかって面白いですよ。

    そうなんですよね。
    つい、変わりものに手を出してしまって失敗しちゃうんですよね。
    何事も経験なので(笑)

    そうそう、予告通り、今月に入ってようやく初旅してきました。
    場所は北海道!
    流氷を観てきました。

    旅猫
  • みかりさん 2015/02/10 00:47:30
    江戸の街
    旅猫さん、こんばんは!

    今頃は・・・旅に出ているか、もしくは雪見温泉旅の予定でも
    立てている頃でしょうか??

    東京の街・・・改めてじっくり周ってみると、江戸の名残を感じる場所も
    多くて楽しいですよね。東京駅ホームはじっくり見た事がありませんが
    天井の小さな飾りや柱にも歴史を感じる事が出来るんですね。

    街道歩きや、元々町巡り等が好きな事もあって・・・日本橋周辺は
    時々歩く事もありますが、パッと見は現代風に大きく変わっていても
    江戸の頃からの老舗が残っていたり、時代劇や教科書で習うような
    歴史背景がある地なので、照らし合わせながら訪れると面白いですよね。

    街道を歩いていると、地方のような風情は感じ無いものの・・・江戸の
    宿場町って楽しいなぁ〜なんて思ってしまいます♪

    いつか江戸の地図片手に東京の史跡巡り・・・なんてしてみたいです!

                                 みかり

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2015/02/14 09:41:17
    RE: 江戸の街
    みかりさん、こんにちは!
    いつもありがとうございます。

    先週末から水曜日にかけて、北海道へ行ってきました。
    寒かったですけど、流氷も観られて良かったですよ。
    温泉旅は、まだ行けてませんが。。。

    東京は江戸情緒が少し残っていていいですよね。
    ゆっくり歩けば、そこかしこに名残もあって。
    江戸歩きは、二十代の頃からやっていて、
    旅行記にしたら100作以上は余裕で書けますよ。
    今も、結構やってます。

    古地図と現代地図を見比べるソフトを使って、
    歩きに行く場所の江戸時代の状況を確認しています。
    これが楽しくて。

    東京駅の100年前の柱や屋根は、もうすぐ撤去されてしまいます。
    老朽化が原因なのですが寂しいですね。

    街道歩きも始めないと。
    旅猫
  • ガブリエラさん 2015/02/06 22:43:56
    かぼすは、ぜひジュースで(^_-)-☆
    旅猫さん☆

    こんばんは♪

    去年の1月に、東京駅に行ったのを思いだしながら、拝見しましたヽ(^o^)丿
    さすが旅猫さん、目のつけどころが違いますね!!!
    古い柱、丸くていいですね♪
    可愛らしい、何度も塗られた飾りとか、素敵です(*^_^*)

    お寺好きの私は、ついつい行基さまが刻まれたという延命地蔵さまに、反応しちゃいました(*^_^*)
    行ってみたいです〜♪
    小さくて古いお寺、まさに大好物です!!!

    かぼすのカクテルなんて、あるんですね!
    大分生まれの私としては、かぼすは大好きです♪
    そういえば、おじいちゃんが生前、焼酎のかぼす割りを飲んでたのを思いましました(^O^)
    「つぶらなカボス」っていうジュースは、本当に美味しいですよ(^_-)-☆
    あ、大分の宣伝しちゃいました(笑)。

    ガブ(^_^)v

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2015/02/07 14:44:35
    RE: かぼすは、ぜひジュースで(^_-)-☆
    ガブさん、こんにちは〜
    いつもありがとうございます。

    ほとんどの人は見過ごすようなものですが、
    100年の歴史が東京駅の片隅に残っているのです。
    とは言え、今年になった建て替えが始まったため、間もなく見納めになりますが。

    地蔵寺は、何の変哲もないコンクリート造りのお堂があるだけですが、
    歴史は古いので、ちょっと立ち寄ってみました。

    > かぼすのカクテルなんて、あるんですね!
    そうなんですよ。
    ビールベースのカクテルなんですけどね。
    これがまた独特な味わいで。。。
    ちょっとがっかりでした。
    かぼす自体は好きなんですけどね。

    旅猫
  • 潮来メジロさん 2015/02/05 11:13:33
    コブハクチョウですね。ヾ(^o^)
    旅猫さん、こんにちは! ヾ(^o^)
    毎度、訪問&投票ありがとうございました。

    > その先の地面には、何やら丸い穴のようなものが点々と。
    > これは、当時ここに埋められていた玉川上水の位置を表示するためのライトだそうだ。
    > 今でいえば、水道管が埋設してあったとうこと。
    > 江戸の町は、当時、世界最高水準の都市だったということの証拠のようなものだな。

    そうだったんですか・・・。江戸の町は、人口では当時世界一だったかな?(勘違いかも?)とか聞いた事がありましたが、土木技術でも当時の世界最高水準の都市だったのですか・・・。
    建築や土木技術というと、ヨーロッパの都市を連想してしまいますが、日本も当時からすごかったんですね。

    > 三の丸尚蔵館で、明治天皇の諸国行幸の際に撮られた各地の貴重な明治期の写真を鑑賞。
    > その後、来た道を東京駅へと引き返した。
    > 馬場先堀では、コハクチョウ?がスイスイと。

    この白鳥さんは、コハクチョウではありません。コブハクチョウ(瘤白鳥)です。
    一文字抜けなので、キーインミスかも・・・。(^_^;

    ではまた・・・。(^o^)/~~~
      (潮来メジロ)

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2015/02/07 14:39:32
    RE: コブハクチョウですね。ヾ(^o^)
    潮来メジロさん、こんにちは。
    こちらこそ、いつもありがとうございます!

    確かに、当時世界一の人口だったと思います。
    さらに、武家地には上水道も完備されていて、かなりの先進都市だったようです。
    ごみなどのリサイクルもほぼ100%
    汚物も近郊の農地の肥やしに利用していたので、かなり清潔だったそうです。
    ごみや汚物だらけだったヨーロッパの都市とはえらい違いでした。

    あの鳥さんはコブハクチョウさんでしたか。
    大小の白鳥しか知らないので(^^;
    ありがとうございました!

    旅猫
  • のんき茂野さん 2015/02/02 14:01:36
    こんにちは〜
    華のお江戸は徳川幕府の街そのもの・・・
    歴史・時代劇などの雑誌に付いている鬼平さん古地図を
    見ても、昔の河川・お堀が道路に・・・

    多くの時代生き証人が残っているようです。
    しかし、家康さんが町おこしを始めてから
    凄い変化ですよね〜

    小山・高台を削って入り江を埋め立て
    ほぼ現在の街を造り上げたのですから・・・
    その活力の源は何だったのでしょうか?

    大名屋敷の跡地も多くが利用されて現存していますし・・・
    素晴らしい街です。江戸の町

    どなたか、本所の鉄さんになってアップして欲しいものです。
    軍鶏鍋屋の五鉄や作者が勘違いをしたという鬼平さんの
    屋敷跡にも立て札が立っているとか?

    それだけでも何年かかるか?   

    これからも楽しい旅日記をお願いします。

             のんき茂野

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2015/02/07 14:33:51
    RE: こんにちは〜
    のんき茂野さん、こんにちは。
    書き込みありがとうございます。

    古地図と現代の地図を見比べるのは楽しいですね。
    鬼平犯科帳に登場する場所を訪ね歩いたこともあります。
    江戸の頃の風情を感じられる場所はさすがに少ないですが。

    長谷川平蔵の屋敷跡は、現在パチンコ屋さんだったと思います。
    ちゃんと立札も立っています。

    江戸歩きはずっとやっていて、かなり溜まっています。
    ほとんど旅行記にしたことはないのですが。
    時間があるときに、たまにはアップしてみたいと思います。

    旅猫

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