2022/08/29 - 2022/08/29
6位(同エリア444件中)
旅猫さん
今年の猛暑とコロナに負け、8月は結局旅に出なかった。そこで、先日、2006年に歩いた秋葉原神田界隈の旅行記を作成。その際、現在の様子を確認しながら書いていたところ、実際に歩いてみたくなった。ちょうど、富山への旅を中止し、夏休みが1日浮いてしまったので、その日を利用して出掛けることにした。
(2022.09.04投稿)
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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急ぐ旅でもないので、ゆっくりと家を出た。上野駅経由で秋葉原へ出ようとしたのだが、やって来たのが湘南新宿ラインだったので、池袋駅経由で御茶ノ水駅へ向かうことにした。そして、御茶ノ水駅に着いたのは、12時前であった。地上へ出ると、出口の横に、変わらぬ佇まいのお茶の水郵便局があった。
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目の前の交差点を渡ると、お茶の水橋である。16年前も、ここからの景色を楽しんでいる。当時と比べると、走る電車や建物が変わっているが、神田川の佇まいはほとんど変わらないようである。
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橋の南詰には、お茶の水の碑があり、その向かいに御茶ノ水駅がある。その南側を、駅に沿って走っているのが茗渓通りである。『茗渓』は、渓谷の様な佇まいから呼ばれたこの辺りの神田川の雅称だそうである。
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その通りを少し歩くと、右手に御茶ノ水中通りを分ける。その道の先は下り坂となっていて、これが池田坂である。16年前も歩いた坂だが、西側の街並みは大きく変わり、当時の面影は全くない。
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その坂から分かれる雁木坂も、大きく様変わりしていた。
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ニコライ堂も、高層ビルに囲まれ、一回り小さく見えた。
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そのニコライ堂の脇を通る紅梅坂を下る。再開発が進むこの界隈では、珍しく16年前とほとんど佇まいが変わっていない。
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本郷通りを渡り、幽霊坂へと入る。当時と変わらず直角に曲がっていたが、坂上の石垣は積み替えられ、御茶ノ水駅側に通路が出来ていた。
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その新しく出来た通路を入ると、如何にも建築家が机上で設計した感じの空間が出来ていた。御茶ノ水ソラシティと言うらしい。
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そして、幽霊坂を下る。坂の北側には、ソラシティが壁のように聳えている。以前は、日立製作所の本社ビルがあった場所である。坂の上には樹々が茂っていたが、今はそれも失われている。
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16年前に写真を撮った同じ場所で振り返る。すると、まるで違う場所の様であった。坂の上を歩道橋が横切り、見通しも悪くなっていた。路面に書かれた速度制限の数値も変わっていた。
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坂の南側は、若狭小浜藩酒井家の上屋敷があった場所で、琺瑯製の住居表示が残る木造の住宅などが軒を連ねていた場所だが、再開発により街並みも道すらも無くなっていた。『WATERRAS(ワテラス)』と呼ばれる複合施設が建ち、空も小さくなってしまった。あのムクゲの樹も、切り倒されてしまったのだろう。
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大規模な再開発に晒された神田駿河台、淡路町界隈の中にあり、奇跡のように残されている建物がある。千代田区が『景観まちづくり重要物件』に指定しているのだが、周囲の景観は高層ビルばかりで、何が『景観まちづくり』なのかまったく理解できない。併せて景観を形作るべき街並みは、すでに失われてしまった。
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幽霊坂に並行する淡路坂へと出る。突き当りにあった柳の樹は無くなったが、丁字路の角に立つビルは変わっていない。
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その丁字路から幽霊坂の方を振り返ると、ワテラスが視界を遮っている。その奥に、風情のある街並みが広がっていたとは思えない光景である。
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淡路坂を下ると、旧万世橋駅へと続く中央本線の煉瓦造りの高架が観られる。その高架下には飲食店が入り、景観が変わっている。その高架は、旧昌平橋駅があった場所で、スペイン料理屋が入る一番アーチが駅の入口だったそうである。
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その坂下の北側には、昌平橋が架かっている。橋向こうを総武線の鉄橋が横切り、その奥には高層ビルが見える。鉄橋の佇まいは変わっていないが、以前は無かった高層ビルが街を圧迫しているかのようだ。
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昌平橋から上流を眺める。変わらぬ風景のようだが、右岸にあった建物が撤去され、煉瓦造りの高架が見えるようになっている。飲食店のテラス席も設けられ、かなり雰囲気が変わっている。
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昌平橋を渡り、総武線の鉄橋を潜る。以前あった石丸電気本店も今は無く、真新しいビルが建っていた。その片隅に、変わらぬ姿で講武稲荷神社が鎮座している。狭い境内に立つ細い柱は、昭和27年に整備された神田旅籠町の防犯街路灯の内、唯一残るものだそうだ。
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講武稲荷神社の現存を確認した後、昌平橋を渡り返す。現在の昌平橋は、大正12年に架けられたもので、立派な親柱を観ることが出来る。
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橋の南詰から、旧万世橋駅の煉瓦造りの高架沿いに歩いて行く。
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その先に、以前は交通博物館があったのだが、今は跡形も無い。現在、JR神田万世橋ビルが建っている。敷地の北側を通る高架橋の場所には、江戸時代、筋違御門があったのだが、まったく面影は無い。
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ふと足元を見ると、何やら保存されている。よく見ると、煉瓦造りの旧万世橋駅舎の基礎部分であった。再開発の際に発掘されたもののようだ。
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JR神田万世橋ビルの入口脇には、この場所の移り変わりが分かる写真が展示されている。交通博物館の入口にあった新幹線0系が懐かしい。
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16年前と同じ場所から、旧須田町交差点の方を観る。当時、すぐ右手に見えるビルはまだ建設中であった。
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そのビルの脇を入ると、街並みががらりと変わる。すぐ左手には、天保元年(1830)創業のあんこう料理専門店『いせ源』が見えて来る。建物は、関東大震災で焼失後、昭和5年に再建されたものだそうだ。
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その向かいには、揚げ饅頭で知られる甘味処『竹むら』も建つ。こちらも昭和5年に建てられたものである。前に訪れた時は営業していたが、この日は休みであった。
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『いせ源』の並びに、風情のある看板建築の建物があった。その一階に、燻製居酒屋『けむり』と言う気になる店があったが、残念ながら、ちょうど中休みに入ったところであった。
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『竹むら』の並びには、銅板張りの看板建築も残っていた。なかなか凝った意匠の建物で、細部への拘りを感じる。
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その棟続きに、風情のある立ち食い蕎麦屋がある。『六文そば』と言う名の知れた蕎麦屋で、黄色い看板が目印である。
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その近くの街並みも、東京らしい趣がある。
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歩いてきた方を振り返ると、この界隈にも、再開発の波が押し寄せてきている。空を隠すように聳えるビルが、まるで、人の暮らしや日常を飲み込むかのようである。
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須田町界隈から、旧万世橋駅へと戻る。公開されるようになってから一度も訪れたことが無かったので、ホーム跡へ行ってみることにした。
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当時の階段を登ると、中庭のような場所に出た。そこが旧万世橋駅のホームの跡である。駅は廃止されたが、今でも中央線の列車が真横を過ぎて行くのを間近で観ることが出来る。
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一度外へ出て、万世橋の方へと歩いて行く。中央線の高架橋の下にあった『ラジオガァデン』は、もう閉鎖されてしまったようである。
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万世橋の南詰には、かつて都電の架線柱が残されていたのだが、こちらも完全に撤去され、バイクの駐輪場となっていた。『マーチエキュート神田万世橋』の入口も設けられていたので、そこから入ってみることにした。
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すると、入ってすぐの所に、『常陸野ブルーイング・ラボ 神田万世橋』と言う店があった。かの木内酒造が醸す地麦酒が呑めるようなので、迷わず立ち寄ることにした。木内酒造では、以前、よく麦酒造りを楽しみ、色々な麦酒を造ったことが懐かしい。
常陸野ブルーイング・ラボ マーチエキュート神田万世橋店 グルメ・レストラン
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ホワイトエールを注文し、店内で呑む。神田川に面したテラスでも呑めるのだが、店内の方が雰囲気が良かったのだ。呑んでみると、味は良かったのだが、少々冷えが足りず残念であった。
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テラスへ出て、神田川を望む。交通博物館があった頃は、こちら側から景色を観ることが出来るようになるとは思いも寄らなかった。
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さらに中を歩いて行く。思ったよりも狭く、店の数も少ない。
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途中に、旧万世橋駅の模型が飾られていた。当時の万世橋駅は、煉瓦造りの豪華な建物であったが、関東大震災で焼失してしまったそうだ。
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建物の一番奥には、レストランがあった。外にあったチラシを見ると、14時からビアセットなるものがあるようだ。まだお昼も食べていなかったので、入ってみることにした。店内には、若い女性の姿が多く、しかも賑やかであった。
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大きなテーブル席の端に通されたが、若い女性と恋人たちばかりで、どうも居心地が悪い。しばらく待って出て来たのは、鶏のから揚げと麦酒。これが思いの外美味しかった。この日の昼食は、この唐揚げの定食が6種類(各1,500円)と、5種類の週替わりカレーだったそうだ。
Sta. 神田 グルメ・レストラン
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お品書きに、四角いチーズケーキと和紅茶があったので、追加で注文。チーズケーキは普通であったが、和紅茶はなかなか美味しかった。いつしかほとんどの客が出て行き、店内は落ち着いた雰囲気となった。
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外へ出て、万世橋の上から旧万世橋駅を眺める。16年前とかなり姿が変わっていることに驚く。改めて見ると、以前の方が風情があったのは間違いないようだ。
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秋葉原駅の方へ向かうと、人が溢れて来た。電気街として知られたこの町も、今はアニメの街と言った感じである。学生の頃は、レコードなどを買いに来ていたので、隔世の感がある。
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中央通りを渡り、秋葉原駅の電気街口北側へと歩いて行く。駅沿いには、かつて秋葉原デパートがあったのだが、今は建て替えられ『アトレ秋葉原』となっている。
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駅前まで来たが、以前の駅の姿があまり思い出せない。就職した当時は、駅前からバスに乗って帰っていたこともあるに不思議である。それにしても、駅前は随分と変わったものである。16年前に歩いた街を久しぶりに訪れてみたが、街並みの変貌ぶりに驚いた一日であった。
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この旅行記へのコメント (4)
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- hot chocolateさん 2022/09/06 21:48:41
- 昔の面影・・・
- 旅猫さま
こんばんは。
朝晩、大分凌ぎやすくなりましたね。
秋葉原駅は、東京駅や有楽町への乗換駅で、下車したこともあまりありません。
昔は、大型家電は秋葉原に買いに行ったものですが、下車したのはその程度でしょうか。
「旧万世橋駅」なんて初めて聞きました。
調べてみたら、かつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、明治45(1912)年に開業した「万世橋駅」があったそうですね。
昭和18年に休止になったそうですが、知っているわけはないですね。
すっかり昔の面影が無くなってしまった秋葉原周辺ですが、歩いてみると所々に昔懐かしい建物が残っているようですね。
hot choco
- 旅猫さん からの返信 2022/09/12 21:45:15
- RE: 昔の面影・・・
- hot chocoさん、こんばんは。
お返事が遅くなりすみません。
少しずつ、秋の気配が感じられるようになってきましたね。
秋葉原は、レコードを良く買いに行っていました。
最近は、まったく訪れていませんでしたが、久しぶりに歩いてみると、ずいぶん街が変わっていました。
旧万世橋駅は、交通博物館の敷地になっていたので、子供の頃はたまに訪れていました。
あの煉瓦造りの高架橋は、よく覚えています。
商業施設になり、かなり雰囲気が変わってしまいましたが。
再開発の波は、街を一変させますね。
ちょっと寂しいです。
旅猫
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- あるき虫さん 2022/09/04 18:39:26
- 昔日の面影薄く。。
- 旅猫さん、こんにちは。
神田駿河台界隈の現在のお写真、拝見させて戴くも、もはや私が知っている情景が、ほとんどありませんでした(苦笑)。街並は随分と、変わってしまったようですね。
万世橋駅の一般公開は、なかなか粋な試みだと思っておりますが、名もなき古い建物たちは、区画単位で一斉に淘汰されて、ガラス張りのビル群に置き換えられてしまっているのですね。時代の流れとはいえ、淋しい限りです。
明治大学の裏手から、神保町界隈には、昔は細々とした路地が張り巡らされて、小さな飲食店やレコード店がたくさんありましたが、その辺りはまだ無事なのかが気になります。何となく、昔の光景が残っていて欲しい…と感傷的になってしまうのは、歳をとった証なのかもしれませんね。。
あるき虫
- 旅猫さん からの返信 2022/09/06 09:44:12
- RE: 昔日の面影薄く。。
- あるき虫さん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
16年前の写真を使って旅行記を書いていたら、ふと、現在の街を観たくなり、ふらりと出掛けてしまいました。
ネットで確認したよりも、大きく景色が変わっていて驚きました。
万世橋駅の公開は良かったのですが、駅の面影はほとんど無いですね。
中が改修され過ぎていて、歴史的な建物では無くなっていました。
昭和の街並みが残っていた界隈は、区画ごと無くなっていて、道も無くなっていたのでとても悲しかったです。
神保町の方はどうなっているのか。。。
次回は、その辺りも歩いてみたいと思います。
旅猫
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