2013/05/21 - 2013/05/26
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ボロブドール遺跡紹介の締め括りです。仏像やレリーフの造作には、古代インド北部に栄えたグプタ朝(320~550年頃)の影響が強いことが指摘されています。建設したのは、『古マタラム王国(717~929年)』、770年頃の説が有力です。(ウィキペディア、JTB・バリ・インドネシア)
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イチオシ
『』シャイレーンドラ朝(752年?~832年?)は、8世紀半ばから9世紀前半にかけてジャワ島中部に建てられた王朝です。シャイレーンドラはサンスクリット語で「山からの王」「山の王家」の意味です。王家は、サンスクリット語と北インド系の文字を使用し、大乗仏教を信奉しました。(ウィキペディア)
*写真は、遺跡頂上から眺めた。周りの熱帯雨林と、その背後の山並み光景です。 -
中部ジャワに栄え、ボロブドゥール寺院を造営したことで知られるシャイレーンドラ朝は、はじめはジャワに、のちにはスマトラ島のシュリーヴィジャヤにも君臨しました。やがてそれと合邦してシュリーヴィジャヤの名で繁栄を続けました。漢文史料では、7世紀から9世紀まで断続的に朝貢している「訶陵国」がシャイレーンドラであろうとされます。また、シャイレーンドラは、その「山の王家」の意味から、インドシナ半島の古代王国「扶南」のプノン(山)と関係があり、シャイレーンドラ・シュリーヴィジャヤ王国は何らかの意味で、扶南の後継者にあたるのではないかとする見方があります。
*写真は、ボロブドール遺跡累積中央の大ストゥパの先端光景です。 -
この王朝の成立経緯については、従来、シュリーヴィジャヤ王国が8世紀半ば以降にジャワ島中部に進出したという説と、ジャワに成立した王家でのちにシュリーヴィジャヤに君臨した王朝であるという説があります。人種的にも、モンゴロイドではないかという説もあれば、オーストラロイド系のマレー人とする見方もあり、近年では後者の見解が有力です。このように、シャイレーンドラ朝の起源については諸説ありますが、中部ジャワ北岸のブカロナン周辺(プカロンガン地方)で見つかったムラユ語(古マレー語)の碑文は7世紀初めと推定され、そこに「セレーンドラ」王とその両親、妻の名前が列挙されていて、彼を王朝の始祖とする説が有力です。(同上)
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マレー半島中部のナコンシータマラート(タイ王国ムアンナコーンシータンマラート郡)で発見された、775年のサンスクリット語の碑文には、ヴィシュヌという名の「シャイレーンドラ王家のシュリーヴィジャヤ王」が3寺院を建立したと記されています。(同上)
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ナコンシータマラートの碑文から、この時期、シュリーヴィジャヤ国がシャイレーンドラ王家に支配されるようになったということが窺われます。ただし、その経緯については詳細がよく分かっていません。現在のムアンナコーンシータンマラート郡は、タイ・南部にある郡(アンプー)です。ナコーンシータンマラート県の県庁所在地(ムアン)でもあります。(同上)
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シャイレーンドラ王家の碑としてはカラサン碑文(英語版)(778年)、クルクタ碑文(英語版)(782年)があり、シャイレーンドラの中部ジャワでの支配が確立したのは、パナンカラン(英語版)大王が「山からの王(シャイレーンドラ)」という称号が与えられて以来とされています。その後、一時はヒンドゥ教を奉ずる古マタラム王国を圧倒しました。そして王家は、大乗仏教を保護し、ボロブドール寺院を造営しました。(同上)
*写真は、遠くは霞んだ熱帯雨林の光景です。雲の上に顔を出しているのは、「火の山」という意味の標高2968メートルの『ムラビ山』です。インドネシアで、最も活発な火山とされます。
(追記) 2016年の噴火では347人が死亡、6万人超が避難を余儀なくされました。 -
イチオシ
ボロブドール寺院は、底部の一辺が120メートル、高さ約42メートルという巨大な石造ストゥバです。ボロブドールは、ダルマトゥンガ王(ヴィシュヌ王)(在位:775年以前~782年)治下の780年頃から建造が開始され、サングラーマグナンジャヤ王(在位:782~812年)治下の792年頃に一応の完成をみたと考えられ、サマラトゥンガ王(在位:812~832年)のときに増築されたものとみられています。(同上)
*写真は、遺跡から見下ろした、まっすぐに伸びた参道のような光景です。 -
ダルマトゥンガ王は、サリ寺院(チャンディ・サリ)や、とくにプランバナン渓谷のカラサンに建てたチャンディ・スヴーを中心とする240の付属寺院からなる複合建築(総称してカラサン寺院)を建立しています。このころ、文学では、サンスクリットの辞典『アマラテラ』を古代ジャワ語(英語版)に翻訳する作業に着手しています。(同上)
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ダルマトゥンガ王の死後、その王子が後を継ぎました。これがサングラーマグナンジャヤ王(サングラーマ王)です。王は、800年頃にチャンディ・セウを建立しています。プランバナン村の北に位置し、一つの大きなチャンディを中心に340もの小さなチャンディを廻らせたものですが、大部分が崩れ、現在も修復されていないようです。(同上)
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ボロブドールの東約3キロには、ムンドゥット寺院(チャンディ・メンドゥート)があります。堂内に安置された3体の石造仏で知られます。ことに中央の如来倚座像は、その美しさで知られます。ボロブドールとムンドゥットの両寺院の間にはパオン寺院があり、3寺院は一連の構造物であるとの見方もあります。(同上)
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これは、825年にサングラーマナンジャヤ王の子、サマラトゥンガ王によって増築ないしは建立されたものです。こんにち、ボロブドール寺院とムンドゥット寺院、パオン寺院は『ボロブドール寺院遺跡群』として、一括して世界遺産に登録されています。(同上)
*写真は、大ストゥパ下部の石組のズームアップ光景です。 -
シャイレーンドラ全盛時代にあっては、古マタラム王国のサンジャヤ王の子孫はこれに服属し、シヴァ信仰を保ちながら、仏教建造物への寄進を行いました。両王国の関係は必ずしも敵対的ではなかったようです。(同上)
*写真は、海外からボロブドール寺院跡に参拝に来た僧侶の一団のようです。 -
9世紀中頃には、サマラトゥンガ王の娘と考えられるシャイレーンドラ王女プラモーダワルダニーとサンジャヤ朝の王子ラカイ・ピカタンが結婚し、プランバナン寺院群を完成させました。まもなく、シャイレーンドラ王家出身のサマラーグラビーラは勢力争いに敗れてシュリーヴィジャヤに逃れ、その地の王となったと考えられています。(同上)
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東南アジア世界の中でのシャイレーンドラ朝の位置付けです。古来稲作の好適地だったジャワでは、農業を基本とする社会の形成も古く、3世紀までには萌芽的な諸権力がいくつも形成されていたようです。しかし、ジャワ全体を統一するような権力は9世紀後半まで現れませんでした。シャイレーンドラ朝もまたジャワにあった諸勢力の内の一つでした。(同上)
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8世紀後半、シャイレーンドラ朝は、広く東南アジアの海域に進出しました。当時のカンボジアやベトナム南部のチャンパ王国の碑文には、ジャワの水軍が襲来したことが記されています。767年には安南都護府(ハノイ)が「崑崙闍婆軍」に攻略されていますが、なぜこの時期にシャイレーンドラが大発展を遂げ、遠征を繰り返したかの理由はよく分かっていません。(同上)
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また、カンボジアのクメール人にひろまった大乗仏教は、シャイレーンドラの影響が大きかったのではないかという見解もあります。ジャヤーヴァルマン2世が、9世紀のはじめにアンコール朝を興した時、「ジャワの宗主権からの解放者」と称されたことを根拠としています。ジャヤーヴァルマン2世が新王朝を開くきっかけとなった事件は、10世紀の、アッバース朝とインド・中国・東南アジアとの交易の実体を記したアラビア語文献『中国とインドの諸情報-第二の書』にザーバジュのマハーラージュの王国がクマール国を襲撃した事件として記載されています。ザーバジュはシャイレーンドラ、マハーラージュはインド古来の大王の称号マハーラージャ、クマールはクメール国です。(同上)
*写真は、可愛らしい姿の狛犬です。 -
イチオシ
シャイレーンドラが、クメール王を殺害してしばらくの間クメール国を属国としました。その後クメール王族の一人ジャヤーヴァルマン2世がジャワから帰還し、新王朝を開いたと考えられています。ジャワのシャイレーンドラ王家は、832年には、ジャワに並立する別の権力で、ムラユ語を用いるパラル王朝に服属させられています。シャイレーンドラ王女プラモーダワルダニーが、上述のように、中部ジャワのもう一つの権力であるサンジャヤ王統のピカタンと結婚したのは、パラル王朝への対抗策であったとも考えられています。シャイレーンドラは、こののちシュリーヴィジャヤ王家と姻戚関係をもち強大化をめざしたものの、古マタラム王国などのヒンドゥ勢力によりジャワより後退しました。同上)
*写真は、擬人化したような顔の狛犬です。ちょんまげ姿を連想しました。 -
ジャワでは大乗仏教が衰えて、再びシヴァ信仰のヒンドゥ文化が盛んになりました。一方まし、9世紀半ばには、シャイレーンドラはシュリーヴィジャヤと合邦して11世紀の滅亡までスマトラ島を本拠地として、政治力と商業力で周囲に君臨しました。(同上)
*ボロブドール遺跡のマスコット人形にも出来そうな狛犬の光景です。 -
南インドのチョーラ朝の碑文(1006年)には、その子孫がネーガバタムに精舎を建てたとありますが、その後の歴史は不明です。シュリーヴィジャヤ王国もまた仏教を保護し、インドのナーランダー僧院とも深い関連をもっていたとされます。(同上)
*写真は、順番に回廊を降りる途中の光景です。 -
シャイレーンドラ朝の統治者の紹介です。伝統的にシャイレーンドラ時代は8世紀から9世紀のジャワ島中央部に置かれています。パナンカラン王(778年頃)からサマラトゥンガ王(在位:812~832年)の期間です。(同上)
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最近の解釈では、シャイレーンドラ家の時代はより長期に渡ったとされています。7世紀中葉(ソジョムルト碑文)から11世紀初頭(チョーラ朝によるシャイレーンドラ王朝の没落)の間だと考えられています。(同上)
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この期間、シャイレーンドラ王朝は中部ジャワとスマトラ島を支配しました。シュリーヴィジャヤ家との婚姻関係が結ばれ、二つの王家の血筋は交じり合いました。シャイレーンドラは最終的にシュリーヴィジャヤと中央ジャワのマタラムをも支配するに至りました。(同上)
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幾人かの史家がシャイレーンドラ統治者の一覧と順番を復元してきましたが、中には意見の一致を見ない部分があります。その一人である、Boechariは、ソジョムルト碑文を用いて初期シャイレーンドラの王統の復元を試みました。(同上)
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一方、Slamet MuljanaやPoerbatjarakaなど他の史家達は、マタラムのサンジャヤ(英語版)(在位:732~746年)とシュリーヴィジャヤをチャリタ・パラヒヤンガン写本(英語版)を元に関連づけて、中後期の王統の復元を試みています。(同上)
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王統の復元は少なからず混乱していますが、それはシャイレーンドラが多くの王国、例えばカリンガ(英語版)、マタラムや後期シュリーヴィジャヤを統治していたことにあります。この結果、同じ名前の王がしばしば重複して登場し、同時期にこれらの王国を統治しています。(同上)
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ボロブドール遺跡の建設が開始されたのは、770年頃とされ、当時の支配者は、『ラカイ・パナンカラン(主要期間:760~775年)』と、『ダラニンドラ(主要期間:775~800年)』当たりとなります。いずれも古マタラム王国で、首都は中央ジャワでした。マタラムは、ジャワ島中部の古地名で、現在のジョクジャカルタの周辺を指します。(同上)
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『古マタラム王国(717~929年)』は、現在のインドネシアのジャワ島のジョグジャカルタ周辺に8~9世紀に繁栄したヒンドゥ王国です。16世紀以降の「マタラム王国」(イスラム・マタラムまたは(新)マタラム王国)と区別するため、「古」をつける場合が多いとされます。当時の自称は、『マタラム(王)国』でした。
*写真は、麓まで降りて、振り返って眺めた仏塔の光景です。この写真には中央上部にある大ストゥパは写っていません。その前の写真には写っています。 -
名残惜しく、振り返って眺めた、ボロブドール遺跡の光景です。これまでに見学した海外の仏教施設・遺跡では、スリランカの石仏、中国の三大石窟(莫高窟、竜門石窟、雲崗窟)や、韓国の仏教寺院などが、強く印象に残っています。それと、国教としている国の托鉢行事も忘れられません。
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名前:『シホウカ(紫宝華)』
分類:ナス科ナス属
分布:オーストラリア、ニュージーランド原産。
その他:ナスノキ(茄子木)の別名を持つ、ナス科の植物です。ナスに似て、濃い紫色の茎を持ちます。 -
これで世界三大仏教遺跡のボロブドール遺跡の紹介はお終いです。2007年に見学したカンボジアのアンコール遺跡に次いで2箇所目の世界三大仏教遺跡の見学でした。
(追記)最後になったミャンマーのバガン遺跡は、2019年5月に、2回目のアンコール遺跡は2014年3月に見学しました。
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