2013/05/21 - 2013/05/26
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旅人のくまさんさん
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ボロブドール遺跡紹介の続きです。仏教説話にもとづいた1460面に及ぶ浮彫彫刻レリーフが、時計回りに続いていて、その登場人物は1万人に及ぶとされます。(ウィキペディア、JTB・バリ・インドネシア)
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第四回廊の上は「無色界」を表す3層の円壇です。最下層の第一円壇は四角の角を丸くしたようないびつな円形で、最上段の第三円壇で真円になっています。上段に行くほど世界が真理に迫っている様子を表現しているようです。(All About 長谷川氏)
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無色界の景色はそれまでとはまったく違います。色界の四つの回廊は周囲を壁で覆われているために、レリーフや仏像しか目に入りません。しかし円壇には壁がなく、レリーフもありません。視界が開けてジャングルや山の稜線が目に飛び込んできますが、その瞬間がなんとも爽快です。この景観が晴れ晴れとした悟りの境地を表しているようです。(同上)
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円壇に置かれているのは72基の釣鐘型の小ストゥーパです。小ストゥーパには格子窓があり、中を覗くと真理を示す転法輪印を結んだ釈迦如来坐像が置かれています。その表情は透明で曇りがありません。(同上)
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そしてすべての中心に立つのが大ストゥーパです。小ストゥーパは上段に行くほど格子窓が小さくなりますが、このストゥーパには窓がありません。内部空間はあるようですが、空洞で、仏像は収められていないようです。一説ではこれによって大乗仏教の「空(くう)」の思想を示しているともいわれます。(同上)
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ボロブドールは、世界の在り方・私の在り方を示した立体曼荼羅であり、悟りまでの過程を示した経典でもある―そのように証明されているわけではありませんが、個人的には強くそう感じました。(同上)
この後は、同じ『All About 長谷川・大氏』の解説で、ボロブドールの歴史を紹介します。
紀元前からインドと東南アジアはインド洋を利用した海洋貿易で結ばれていました。海のシルクロードです。このルートでヒンドゥ教や大乗仏教が伝わり、インドネシアには数々のヒンドゥ教国や仏教国が誕生しました。そんな中で8世紀にジャワ島中部に興った仏教国がシャイレーンドラ朝です。(同上) -
シャイレーンドラ朝が780年頃から約50年をかけて造り上げたのがボロブドールです。詳細はわかっていませんが、完成後まもなくシャイレーンドラ朝は急速に衰退しました。9世紀にはジャワ島から撤退し、拠点をスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国に移し、王国を引き継いだといわれています。シャイレーンドラ朝の撤退とともにジャワ島の仏教文化は衰退し、ヒンドゥ教が拡大しました。プランバナンをはじめとするヒンドゥ寺院が多数造られました。15世紀以降はイスラム教が広がり、現在ではインドネシアの人口の9割以上を占めています。(同上)
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ボロブドールはいつしか土に埋もれ、人々の記憶から消え去りました。ムラピ火山が噴火して火山灰に埋もれたという説もありますが、土質が火山灰とは違っていたともいわれていて、仏教徒によって土中に隠されたとの説もあります。いずれにせよボロブドールは9世紀以降、土に埋もれ、熱帯雨林に覆われてしまいました。以後1814年に発見されるまで、約1,000年の眠りにつくことになりました。(同上)
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イギリス副総督としてジャワ島に赴任したトーマス・ラッフルズは、伝説の寺院の噂を聞きつけて探索隊を結成しました。1814年、ジャングルが生い茂る土中から巨大な仏教遺跡=ボロブドールを発見しました。『トーマス・ラッフルズ(1781~1826年)は、イギリスの植民地行政官で、シンガポールの創設者です。動物学、歴史学に興味を持ち、1817年に『ジャワ誌』を刊行し、同年にナイトの称号を与えられました。(同上)
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イギリスと、その後インドネシアの主権を握ったオランダは遺跡の発掘・調査を行いましたが、遺跡とその地盤は水や植物の浸食を受けてひどく傷んでいて、崩壊寸前の状態にあったとされます。(同上)
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これを救ったのがUNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)です。UNESCOは日本を含む27か国の資金援助を得て、1973年に修復を開始しました。その規模と先端的な内容は、世界遺産条約誕生のきっかけになったアブ・シンベルの救済キャンペーンに次ぐほどでした。(同上)
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修復は、丘を覆うブロックをいったんすべて取り除くところからはじまりました。IBMの協力を得て用意されたコンピュータによって、一個一個のブロックを管理しました。遺跡を取り除いたあと、丘を鉄筋コンクリートで補強して配水管を設置し、その上にブロックを組み直しました。(同上)
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結局10年の歳月と2,200万ドルを費やした修復工事は1983年に竣工しました。一帯はボロブドール史跡公園として整備され、今日の姿となりました。(同上)
*写真は、頭部を持ち去られたらしい座像の光景です。 -
ボロブドールはシャイレーンドラ朝が生み出したジャワ芸術の最高峰であると同時に、UNESCOが救った世界遺産の代表例でもあります。いってみればシャイレーンドラ朝と現代社会の共作です。(同上)
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〇パオン寺院:ボロブドールの東1.7キロの位置にある仏教寺院がパオン寺院です。8世紀末に建設されたと見られていて、パオン寺院とムンドゥ寺院がボロブドゥールの真東にあることから、当時はボロブドールを中心とした仏教都市が展開し、その東翼を担っていたのではないかと考えられています。とても小さな寺院ですが、見事なレリーフで知られています。すべての願いをかなえるという聖樹カルパタルや、半人半鳥の音楽神キンナラとキンナリなどが生き生きと描かれています。カルパタルやキンナラ、キンナリは近隣のヒンドゥ寺院のプランバナンでも見ることができ、仏教とヒンドゥ教の融合文化が確認できます。(同上)
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ムンドゥ寺院:パオン寺院のさらに東1.2キロにあるのがムンドゥ寺院です。この寺院の見所は、内部に収められた釈迦如来、観世音菩薩、金剛手菩薩の三尊像です。特に釈迦如来坐像は「世界でもっとも美しい仏像のひとつ」といわれているようです。
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ムンドゥ寺院(続き):衣を描かず、身体の線をエレガントに描き出したその技法はインドのグプタ美術の流れをくんでいます。パオン寺院同様レリーフも美しく、鬼子母神図、毘沙門天図をはじめ寺院の四面は数々の仏教レリーフで覆われています。敷地内にある巨大なガジュマルも見事です。(同上)
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東南アジアの仏教史についての紹介です。紀元前500年頃より、インドの文化は東南アジアの国々に影響をおよぼしてきました。東南アジアの陸上および海上の交易路はインドと結び付いていて、ヒンドゥ教と仏教の信仰の双方は、東南アジアのインド化時代に、この地域に影響力を持つようになりました。(ウィキペディア)
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このことから、千年以上に亘り、インドの影響は、東南アジア諸国に一定水準の文化的統一をもたらす大きな要因でした。パーリ語やサンスクリット語やインドの文字は、上座部仏教、大乗仏教、バラモン教、ヒンドゥ教とともに、聖典や、 ラーマーヤナ、マハーバーラタといったインド文学を通じて直接に伝わりました。(同上)
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5世紀から13世紀にかけて、東南アジアには、ヒンドゥ教とならんで仏教と仏教美術の振興に非常に積極的な一連の強力な国々が存在しました。インド亜大陸からの影響は海上を通じて直接やってきていて、東南アジア諸国は基本的に大乗仏教の信仰には肯定的でした。インドシナ半島の扶南(現在のベトナム南部、カンボジア、タイ南部)、クメール王朝(別称アンコール王朝で、現在のカンボジア、タイ、ラオス)、スコータイ王朝(タイ)や、島嶼部のカリンガ王国(訶陵、闍婆。インドネシアのジャワ島)、シュリーヴィジャヤ王国(室利仏逝。インドネシア、マレーシア)、古マタラム王国(インドネシアのジャワ島)、マジャパヒト王国(インドネシア)などの例があります。(同上)
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仏教僧の一団が、5世紀にベトナム南部の扶南から中国に赴き、大乗仏典を持ち帰ったことが、当時において仏教が扶南の地に存在したしるしとなっています。インドシナ半島の大半を支配していたカンボジアのクメール王朝(802~1431年)においては、大乗仏教とヒンドゥ教が主要な宗教でした。クメール王国の治世下では、ヒンドゥ教や仏教の多数の寺院が、カンボジアや隣国のタイに建設された。クメール王国で最も偉大な王のひとりであるジャヤーヴァルマン7世(1181~1219年)は、バイヨンやアンコール・トムに大規模な大乗仏教の寺院建造物を建設しました。(同上)
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インドネシアのジャワ島にあるカリンガ王国(6世紀~7世紀)などのインド化された国々には、中国から仏典を求めて僧が訪れました。もとはマレー半島を勢力圏とし、その後スマトラ島を中心とした海上王国となったシュリーヴィジャヤ王国(650~1377年)は、大乗仏教や密教を採り入れて、ジャワ島やマレー半島その他の自国領土内に広めました。(同上)
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インドネシアのジャワ島にあるカリンガ王国(6世紀~7世紀)などのインド化された国々には、中国から仏典を求めて僧が訪れました。もとはマレー半島を勢力圏とし、その後スマトラ島を中心とした海上王国となったシュリーヴィジャヤ王国(650~1377年)は、大乗仏教や密教を採り入れて、ジャワ島やマレー半島その他の自国領土内に広めました。(同上)
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インドのヴィクラマシーラ僧院の僧院長となったアティーシャも、チベットへ布教に赴く前にここで学びました。シュリーヴィジャヤ王国が拡大するにつれ仏教も繁栄し、仏教は、ヒンドゥ教や土地固有の伝統など複数の異なる宗教とともにその土地のシンクレティズム(習合、融合)の一部として組み込まれていきました。(同上)
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ジャワ島においては、シュリーヴィジャヤ王国と対抗する古マタラム王国もまた、大乗仏教を振興しました。古マタラム王国は、ボロブドール寺院、カラサン寺院、セウ寺院、プランバナン寺院などの巨大な寺院建築で知られています。(同上)
*写真は、海外からの修行僧らしい一団です。タイ王国あたりでしょうか。 -
マジャパヒト王国(1293~1527年)においても、仏教はヒンドゥ教とともに繁栄を続けましたが、後の時代にイスラム教に取って代られました。
次は、上座部仏教の拡大についての説明です。仏教の分類のひとつで「長老派」を意味していて、現存する最古の仏教の宗派です。ミャンマーにおけるモン族およびピュー族の土地により、5世紀以降イラワジ川とチャオプラヤ川の流域に上座部仏教が存在していたことが、幅広い見地から証明されています。ミャンマーの上座部仏教は、当初から仏教の他の宗派や他の地域と共存していました。仏教がインドで衰退した後、スリランカから来た上座部仏教の僧がミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスへの布教に取り組み、これらの地域すべてを上座部仏教に改宗させることに成功しました。(同上) -
パガン王朝を開いたアノーヤター王(1044~1078年)は、スリランカからもたらされた上座部仏教を採り入れ、数多くの寺院を首都バガンに建設しました。ミャンマーの他地域やモンゴルからの侵略により、この地の上座部仏教は衰退したため、スリランカから上座部仏教が再び導入されました。モン族のペグー王朝(1287~1552年)の時代では、ミャンマーにおいて上座部仏教は最も有力な宗教であり、スリランカの仏教と強い関係を持っていました。ペグー王朝の王のうち、ダンマゼーディー王は1476年から1479年にかけて、スリランカのマハーヴィハーラ学派に倣い、ミャンマーの仏教を改革したことで特に知られています。上座部仏教は、後代のタウングー王朝(1510~1572年)では公式の宗教に残っていました。(同上)
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カンボジアのクメール王朝のジャヤーヴァルマン7世(1181~1218年頃)の治世において上座部仏教は、スリランカに留学したジャヤーヴァルマン7世の子タマリンダなどの王室の人々やスリランカの僧によって振興されました。
*写真は、ボロブドール遺跡の修復作業に関するもののようです。 -
13世紀から14世紀にかけて、上座部仏教はカンボジアにおいて有力な宗教となり、地方の僧侶は上座部仏教の者が占めるようになりました。(同上)
*写真は、同じくボロブドール遺跡の修復作業に関するもののようです。 -
また、タイのスコータイ王朝においても、上座部仏教はラームカムヘーン王(1237/1247~1298年)の治世に国教となりました。上座部仏教はアユタヤ王朝(14世紀~18世紀)の時代には、タイの社会と一体となり、強固になりました。見事に修復されたストゥパの頭部光景になるようです。
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ユネスコマークも入った、『No Climbing:登るな』の標識です。ユネスコの骨折りで各国が協力して、ボロブドール遺跡の発掘と補修を行った時に設置されたもののようです。
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