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12月14日は赤穂浪士が、吉良邸に討ち入った日ですね。<br /><br />時は元禄15年(1702年)12月14日寅の刻(午前4時頃)、火事装束に身をかためた赤穂浪士47人が本所「吉良邸」に討ち入りました。<br /><br />そして、本懐を遂げた浪士達は、隊列を整え、降り積もった雪を踏みしめながら、未明の江戸の街を縦断して泉岳寺まで歩き、旧主の墓前に吉良上野介の首を供えました。<br /><br />その距離は約13kmあり、吉良邸引き揚げが卯の刻(午前6時)頃、泉岳寺到着は辰の刻(午前8時)頃といわれています。<br /><br />毎年この日には、旅行各社がこの赤穂浪士が歩いた道をたどるツアーを企画しています。<br /><br />今年、我が家では、父がこのツアーに申し込んでいましたが、このところの急な冷え込みで、腰痛が激しくなり、参加を断念!!!<br /><br />父に替わって、私が急に参加することになりました。<br /><br />写真は、途中の案内板にあった歌川国安作「忠臣蔵義士47士騎両国揃退図」です。<br /><br /><br />

赤穂浪士が歩いた道!本所・吉良邸から泉岳寺までをたどりました

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2013/12/14 - 2013/12/14

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魅々

魅々さん

12月14日は赤穂浪士が、吉良邸に討ち入った日ですね。

時は元禄15年(1702年)12月14日寅の刻(午前4時頃)、火事装束に身をかためた赤穂浪士47人が本所「吉良邸」に討ち入りました。

そして、本懐を遂げた浪士達は、隊列を整え、降り積もった雪を踏みしめながら、未明の江戸の街を縦断して泉岳寺まで歩き、旧主の墓前に吉良上野介の首を供えました。

その距離は約13kmあり、吉良邸引き揚げが卯の刻(午前6時)頃、泉岳寺到着は辰の刻(午前8時)頃といわれています。

毎年この日には、旅行各社がこの赤穂浪士が歩いた道をたどるツアーを企画しています。

今年、我が家では、父がこのツアーに申し込んでいましたが、このところの急な冷え込みで、腰痛が激しくなり、参加を断念!!!

父に替わって、私が急に参加することになりました。

写真は、途中の案内板にあった歌川国安作「忠臣蔵義士47士騎両国揃退図」です。


同行者
その他
交通手段
私鉄 徒歩

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