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赤穂義士休息の碑

名所・史跡

木場・東陽町・清澄

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赤穂義士休息の碑 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10004667

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施設情報

施設名
赤穂義士休息の碑
住所
  • 東京都江東区佐賀
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(13件)

木場・東陽町・清澄 観光 満足度ランキング 76位
3.31
アクセス:
3.25
東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」3番出口から徒歩11分800m by Lily-junjunさん
人混みの少なさ:
3.78
赤穂義士討ち入りの12月14日に甘酒を店先でふるまう以外空いています。 by Lily-junjunさん
バリアフリー:
2.90
見ごたえ:
3.06
  • 江東区佐賀にある「赤穂義士休息の地碑」についての情報を発信していきます。「赤穂義士休息の地碑」へのアクセスは、 東京メトロ...  続きを読む東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」3番出口を出て右方向に道なりに700mほど直進します。「福島橋」を渡り、その先には「永代橋」があります。「永代橋」の一つ手前の角を右折し、100mほど直進するとプラウド門前仲町ディアージュの入口の前に「赤穂義士休息の地碑」があります。
    元禄15年(1702年)12月14日に「本所松坂町」(現墨田区両国3丁目) の「吉良邸」に討ち入って本懐を遂げた赤穂義士の一行が、一ツ目通りを引き上げる途中で「乳熊(ちくま)屋味噌店」に立ち寄りました。甘酒粥の接待を受けて休息したのちに、「永代橋」を渡って高輪泉岳寺へ向かったといわれています。この由来を記した碑が、昭和38年(1963年)に乳熊ビルの入口に建立されました。「赤穂義士休息の地碑」の碑文によると、「ちくま味噌店」の初代「竹口作兵衛」が赤穂義士の「大高源吾」と同じ俳人「室井其角」の門人であったことから、討入り本懐を果たした義士たちに甘酒粥を振舞ってその労をねぎらったと伝えられています。勝利の美酒ならぬ勝利の甘酒粥ですね。当日は、雪も降っていましたし、甘酒粥で赤穂浪士たちの心も体もさぞかし暖まったことでしょうね。それと「赤穂義士休息の地碑」は、「忠臣蔵」のファンにとっては、聖地の内の一つでありたまらない場所ではと思いました。ちなみに、現在でも、赤穂義士討ち入りの12月14日には甘酒を店先でふるまっているそうです。

    01_【「赤穂義士休息の地碑」の一口メモ】
    所在地 〒135-0031 東京都江東区佐賀1丁目7-1

    02_【「赤穂義士休息の地碑」へのアクセス】
    東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」3番出口から徒歩11分800m
      閉じる

    投稿日:2024/01/27

  • 赤穂浪士休息の碑は、清澄庭園の裏手から永代橋に向かった隅田川に近い場所にあります。石碑にはこの場所にあった味噌屋が、赤穂浪...  続きを読む士と親交があったらしく、討ち入り後、泉岳寺に向かう途中で休息したと刻まれていました。江戸の大事件だったので、見物客などもたくさんいたに違いないと思いました。
      閉じる

    投稿日:2022/12/07

  • 歴史の1ページを知ることができます

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 0

    隅田川に架かる永代橋の東詰の北側、永代通りから30mほど入った歩道沿いに碑が建っています。大石内蔵助が率いる赤穂浪士一行が...  続きを読む吉良邸討ち入り後、乳熊屋味噌店で休息し甘酒の接待を受けたとされる場所です。歴史の1ページを知ることができる碑です。  閉じる

    投稿日:2022/10/05

  • 江戸庶民の応援が想像できました

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/04(約3年前)
    • 0

    立派な石碑が立てられていて、赤穂浪士が仇討ち後に休息した場所の由来が記載されていました。確かに2月の寒い時期で、一晩中仇討...  続きを読むちで動いていた赤穂浪士達は、さぞ疲れていたに違いありません。江戸庶民の暖かい志と応援を想像できました。  閉じる

    投稿日:2021/04/16

  • この場所にあった乳熊味噌店で休息

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/02(約3年前)
    • 0

    門前仲町駅から、永代橋通りを永代橋方面に徒歩10分程度、永代橋手前の道を右折したところ、江東区佐賀1丁目にあります。赤穂浪...  続きを読む士は元禄15年(1702年)本所松坂町の吉良邸討ち入り後、この場所にあった乳熊味噌店で休息し、甘酒の接待を受けた後、永代橋を渡り、高輪泉岳寺へ向かったと伝えられているそうです。赤穂浪士が休憩した場所が観光スポットになるとは?改めて日本人は忠臣蔵が好きなんだなぁ!と思います。   閉じる

    投稿日:2022/11/01

  • 義士のひとりと旧知の味噌店がありました

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/07(約4年前)
    • 0

    東京メトロ東西線門前仲町駅が最寄り駅。
    門前仲町駅3番出口から清澄通りを北西へ約710m、佐賀町河岸通り沿いにあります。...  続きを読む
    碑に刻まれた説明によると、本懐を遂げた赤穂浪士達が泉岳寺に引き上げる途中に立ち寄って休息した味噌店があった場所とのこと。
    味噌店の店主と義士のひとり大高源吾が旧知の仲だったそうです。

      閉じる

    投稿日:2020/12/08

  • 赤穂浪士も飲んだちくま味噌の甘酒を飲むべし

    • 4.5
    • 旅行時期:2018/12(約5年前)
    • 0

    赤穂浪士の街歩きツアーに参加した際に訪れました。赤穂浪士が休息した際に振舞われたちくま味噌さんの甘酒は、今でも毎年討入りの...  続きを読む日になるとここで振舞ってくれているそうです。お土産として買うことも出来ました。ツアーということで丁度頂くことが出来ましたが、やさしい甘さに温かさが身体に染み渡り、厳しい戦いを終えた赤穂浪士も生き返る美味しさだと思いました。  閉じる

    投稿日:2020/05/16

  • ビルの一角にあります

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/08(約7年前)
    • 0

    永代橋東詰め北側の路地に入ったところに石碑があります。ビルの敷地内にあるため探さないと見つけにくい場所です。赤穂義士と親交...  続きを読むのあったちくま味噌の店主が本懐を遂げた義士たちに甘酒粥をふるまったということが記されており、忠臣蔵に興味がある人は是非訪れてほしい場所です。  閉じる

    投稿日:2017/08/28

  • 永代橋のたもとに「赤穂義士休息の碑」があります。

    石碑には「ちくま味噌の初代作兵衛が、赤穂浪士の大高源吾と俳句の友で...  続きを読む、泉岳寺に向かう赤穂浪士一行を、店内に招き、甘酒粥をふるまった」と書かれています。

    当時の江戸っ子たちは、「休息を断った回向院は男を下げ、甘酒をふるまった「ちくま味噌」の主人は男を上げた」と、評されたようです。

    毎年、ちくま味噌は、討ち入りのあった12月14日は、訪れた人々に甘酒がふるまっています。私もいただきました。

      閉じる

    投稿日:2013/12/19

  • 隅田川近くのウィークリーマンションに泊まって夕食を食べに行くとき、道の傍らに赤穂義士休息の碑 がたっていました。 赤穂浪士...  続きを読むについてのエピソードについて説明されています。 普通のビルの片隅です。 門前仲町の地下鉄駅から徒歩で十数分です。  閉じる

    投稿日:2013/03/28

  • 隅田川をお散歩

    • 3.0
    • 旅行時期:2012/07(約12年前)
    • 0

    隅田川沿いをお散歩中に立ち寄りました。
    東京駅から歩いて隅田川まで行って、その川沿いを読売新聞社や隅田大橋を横目に見なが...  続きを読むらてくてくあるいて行くと道の向かいにひっそりとこの碑がたたずんでいました。
    門前仲町の駅からだと歩いて10分程度でしょうか。
    吉良邸討ち入り後、高輪泉岳寺に向かう途中に休息した乳熊屋味噌店で休息したのがこの碑がたっているところだそうです。
    この碑を目指してくる人は少ないと思いますが、隅田川沿いの散歩やランニングがてら足を運ぶといいと思います。  閉じる

    投稿日:2012/07/11

  • 赤穂浪士が甘酒接待受けた場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2012/03(約12年前)
    • 0

    赤穂浪士が討ち入りを終えた後、休息の場を与え、甘酒の接待を行った店が現在も生き残っていたとは−永代橋そばのビル入り口にある...  続きを読む赤穂義士休憩の地と書かれた石碑を見て、それを知りました。石碑を立てた株式会社ちくま味噌の前身が乳熊屋。主人の竹口作兵衛が四十七士の1人、大高源吾と俳諧の友だった縁で、そんな接待が行われたようです。このエピソードを知ると、当時の江戸庶民が赤穂浪士をどう見ていたか分かるような気もします。
      閉じる

    投稿日:2013/03/10

  • あまり目立たない

    • 3.0
    • 旅行時期:2010/02(約14年前)
    • 0

    永代橋のちょっと東側、脇に少し入ったところに、ポツンとある碑です。
    注意深く見ないと気づかないでしょう。
    吉良邸への討...  続きを読むち入り後、永代橋を渡る前に、ここで休息したそうです。

    っていうか、たかだか休息しただけで碑まで必要なの?
    それと「義士」じゃなくて「浪士」だろ。  閉じる

    投稿日:2012/07/20

1件目~13件目を表示(全13件中)

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