明暦の大火による犠牲者を弔うために回向院に造られた供養塔ですが、この火災の原因については諸説あります。
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- 旅行時期:2013/12(約12年前)
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by 魅々さん(女性)
両国 クチコミ:17件
明暦3年(1657)1月、江戸市中の繁華街を焼いた有名な明暦の大火による焼死者・溺死者をはじめとして、入水者・牢死者・行路病死者・処刑者その他の横死者に対する供養のために回向院に造られたものです。この火災の犠牲者は10万人以上といわれています。火災の原因は良くわかっていませんが、次の3つが伝えられています。
第1にこの火災が「振袖火災」とも呼ばれ以下のような伝承があります。
ウメノは本妙寺の墓参りの帰り、寺小姓の振袖に魂を招かれて恋をし、その振袖の紋や柄行と同じ振袖をこしらえてもらって夫婦遊びに明け暮れた。そして、恋の病に臥せったまま17歳で亡くなった。寺では葬儀が済むと、その振袖は供養せず、質屋へ売り払った。その振袖はキノの手に渡ったが、キノも17歳で死亡した。振袖は再び質屋を経て、イクのもとに渡ったが、同じように7歳で亡くなった。
イクの葬儀に至って三家は相談し、本妙寺で供養してもらうことにした。しかし和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となったという説。
第2は、幕府放火説で、幕府が江戸の都市改造を実行するために放火したとする説
第3が、本妙寺火元引受説で、実際の火元は老中・阿部忠秋の屋敷であった。しかし、老中の屋敷が火元となると幕府の威信が失墜してしまうということで幕府の要請により阿部邸に隣接した本妙寺が火元ということにしたという説です。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/12/23
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