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5、レギスタン広場<br /><br />ティムール時代には、大きな屋根のついたバザールがあり、商業の中心地でした。レギスタン広場は、他の土地から来たキャラバンが始めて到着する場所であり、謁見式や閲兵、催し物が行われる場所でもありました。<br /><br />ウルグベク・メドレセは、レギスタン広場の左側に立ち、1420年に建てられた神学校です。広場で一番古い建物で、ウルグベクによって建てられました。彼自身もここで教鞭に立ちました。<br /><br />シェルドル・メドレセは、レギスタン広場の右側に立ち、1636年に完成した神学校です。ファサードには、偶像崇拝を禁止するイスラム教の建物なのに、小鹿を追うライオンが日輪の人面を背にした姿が描かれています。<br /><br />ティラカリ・メドレセは、レギスタン広場の正面奥に立ち、1660年に建てられた神学校です。当時すでに、ビビハニム・モスクが廃墟になっていたため、サマルカンドの主要な礼拝堂として使われていました。礼拝堂の内部は黄金に輝いており、そのミフラーブとドーム天井は、息を飲む美しさです。<br /><br />6、アミール・ティムール廟<br /><br />ティムールとその息子、孫達が眠る、1404年に完成した霊廟です。「青の都」と呼ばれるサマルカンドの中でも、ひときわ青さが引き立つ壮大な建造物です。廟の内部の修復が1996年に終了し、建設当時の美しさを取り戻しています。内部を覆う文様には、金3kgが使用されてそうです。霊廟の中央の黒い墓石がティムールです。その手前が孫のウルグベク、奥が先生ミルサィード・ベリケ、その左がひ孫のひとり、ティムールの右に孫のムハンマド・スルタン、左に息子シャールフ、ひ孫のひとり、息子ミランシャーと並んでいます。<br /><br />7、アフラシャブ博物館とアフラシャブの丘<br /><br />アフラシャブ博物館には、アフラシャブの丘で発掘された品々が展示されており、紀元前7世紀(都城址が発掘)から13世紀(チンギス・ハーンにより壊滅)に栄えた、ソグディアナ(サマルカンドを中心としたソグド人の住む地域)の歴史を知ることが出来ます。その文化の痕跡は、11層にも積み重なっていました。紀元前329年にサマルカンドは、アレキサンダー大王により征服され、ヘレニズム文化が伝えられます。その後、サマルカンドはシルクロードの貿易の中継都市として栄え、ソグド人がヨーロッパと中国の交易を支えていました。この博物館の目玉は、7世紀のソグド王宮のフレスコ壁画です。もともとの部屋が正確に再現されており、「王の行列」や「貢物を捧げる高句麗の使者」、「豹狩りをする唐の皇帝の騎馬像」、「唐の王妃と女官の乗る小舟が佇む場所」などの、壁画を見ることができます。<br /><br />アフラシャブの丘は、チンギス・ハーンの攻撃で廃墟となるまで、旧サマルカンドがあった場所です。唐の時代には、ソグド人の都市「マラカンダ」の名で知られており、中国では康国と呼ばれ、629年には玄奘三蔵がインドに向かう途中この地に立ち寄っています。「大唐西域記」によれば、「城の周囲20余里、すこぶる堅固にして住人多く、異方の宝貨多く集まる。土地は豊穣にして樹木生い茂り果実豊かにして、善馬を産す。また、気候穏やかなり」と玄奘は記しています。現在は国から保護されているため、新しい建物を建てることが禁止されており、今でも発掘調査が続けられています。

ウズベキスタンの旅(5)・・サマルカンドのレギスタン広場とアミール・ティムール廟、アフラシャブ考古学博物館、アフラシャブの丘を訪ねて

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2013/09/25 - 2013/09/25

354位(同エリア610件中)

旅行記グループ 中央アジアの旅

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YAMAJI

YAMAJIさん

5、レギスタン広場

ティムール時代には、大きな屋根のついたバザールがあり、商業の中心地でした。レギスタン広場は、他の土地から来たキャラバンが始めて到着する場所であり、謁見式や閲兵、催し物が行われる場所でもありました。

ウルグベク・メドレセは、レギスタン広場の左側に立ち、1420年に建てられた神学校です。広場で一番古い建物で、ウルグベクによって建てられました。彼自身もここで教鞭に立ちました。

シェルドル・メドレセは、レギスタン広場の右側に立ち、1636年に完成した神学校です。ファサードには、偶像崇拝を禁止するイスラム教の建物なのに、小鹿を追うライオンが日輪の人面を背にした姿が描かれています。

ティラカリ・メドレセは、レギスタン広場の正面奥に立ち、1660年に建てられた神学校です。当時すでに、ビビハニム・モスクが廃墟になっていたため、サマルカンドの主要な礼拝堂として使われていました。礼拝堂の内部は黄金に輝いており、そのミフラーブとドーム天井は、息を飲む美しさです。

6、アミール・ティムール廟

ティムールとその息子、孫達が眠る、1404年に完成した霊廟です。「青の都」と呼ばれるサマルカンドの中でも、ひときわ青さが引き立つ壮大な建造物です。廟の内部の修復が1996年に終了し、建設当時の美しさを取り戻しています。内部を覆う文様には、金3kgが使用されてそうです。霊廟の中央の黒い墓石がティムールです。その手前が孫のウルグベク、奥が先生ミルサィード・ベリケ、その左がひ孫のひとり、ティムールの右に孫のムハンマド・スルタン、左に息子シャールフ、ひ孫のひとり、息子ミランシャーと並んでいます。

7、アフラシャブ博物館とアフラシャブの丘

アフラシャブ博物館には、アフラシャブの丘で発掘された品々が展示されており、紀元前7世紀(都城址が発掘)から13世紀(チンギス・ハーンにより壊滅)に栄えた、ソグディアナ(サマルカンドを中心としたソグド人の住む地域)の歴史を知ることが出来ます。その文化の痕跡は、11層にも積み重なっていました。紀元前329年にサマルカンドは、アレキサンダー大王により征服され、ヘレニズム文化が伝えられます。その後、サマルカンドはシルクロードの貿易の中継都市として栄え、ソグド人がヨーロッパと中国の交易を支えていました。この博物館の目玉は、7世紀のソグド王宮のフレスコ壁画です。もともとの部屋が正確に再現されており、「王の行列」や「貢物を捧げる高句麗の使者」、「豹狩りをする唐の皇帝の騎馬像」、「唐の王妃と女官の乗る小舟が佇む場所」などの、壁画を見ることができます。

アフラシャブの丘は、チンギス・ハーンの攻撃で廃墟となるまで、旧サマルカンドがあった場所です。唐の時代には、ソグド人の都市「マラカンダ」の名で知られており、中国では康国と呼ばれ、629年には玄奘三蔵がインドに向かう途中この地に立ち寄っています。「大唐西域記」によれば、「城の周囲20余里、すこぶる堅固にして住人多く、異方の宝貨多く集まる。土地は豊穣にして樹木生い茂り果実豊かにして、善馬を産す。また、気候穏やかなり」と玄奘は記しています。現在は国から保護されているため、新しい建物を建てることが禁止されており、今でも発掘調査が続けられています。

旅行の満足度
3.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
3.0
交通
1.0

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  • 今日の昼食のレストランです。中庭の日陰に席を設けてくれました。

    今日の昼食のレストランです。中庭の日陰に席を設けてくれました。

  • サマルカンドナンです。

    サマルカンドナンです。

  • カリフラワー卵揚げです。

    カリフラワー卵揚げです。

  • 細麺入り野菜スープです。

    細麺入り野菜スープです。

  • チキンと野菜の煮込みです。

    チキンと野菜の煮込みです。

  • ブドウ、ピーチ、リンゴが並びます。ザクロはツアーメンバーからの差し入れです。

    ブドウ、ピーチ、リンゴが並びます。ザクロはツアーメンバーからの差し入れです。

  • レギスタン広場です。ティムールの時代には、大きな屋根のついたバザールがあり、商業の中心地でした。レギスタン広場は、他の土地から来たキャラバンが始めに到着する場所であったり、謁見式・閲兵・催し物が行われる場所でもありました。

    イチオシ

    レギスタン広場です。ティムールの時代には、大きな屋根のついたバザールがあり、商業の中心地でした。レギスタン広場は、他の土地から来たキャラバンが始めに到着する場所であったり、謁見式・閲兵・催し物が行われる場所でもありました。

  • ウルグベク・メドレセです。レギスタン広場左側に立つ、1420年に建てられた神学校です。

    ウルグベク・メドレセです。レギスタン広場左側に立つ、1420年に建てられた神学校です。

  • 広場で一番古い建物で、ウルグベクによって建てられました。彼自身もここで教鞭に立ったといいます。

    広場で一番古い建物で、ウルグベクによって建てられました。彼自身もここで教鞭に立ったといいます。

  • ファサードです。

    ファサードです。

  • ウルグベク・メドレセの中庭です。

    ウルグベク・メドレセの中庭です。

  • ウルグベクと天文学の仲間達の像です。

    ウルグベクと天文学の仲間達の像です。

  • シェルドル・メドレセです。1636年に完成した神学校です。

    シェルドル・メドレセです。1636年に完成した神学校です。

  • ウルグベク・メドレセを模倣して造られていますが、2つの青いドームが目立ちます。

    ウルグベク・メドレセを模倣して造られていますが、2つの青いドームが目立ちます。

  • 壁面やミナレットに、「au」の文字が沢山あります。これは「ua」で、イスラム教の神アラーの事です。

    壁面やミナレットに、「au」の文字が沢山あります。これは「ua」で、イスラム教の神アラーの事です。

  • 偶像崇拝を禁止するイスラム教の建物に、小鹿を追うライオンが、日輪の人面を背にした姿で描かれています。

    偶像崇拝を禁止するイスラム教の建物に、小鹿を追うライオンが、日輪の人面を背にした姿で描かれています。

  • 獅子は生徒で鹿は知識です。生徒が知識を追う、つまり勉学に励みなさいと言う意味です。

    獅子は生徒で鹿は知識です。生徒が知識を追う、つまり勉学に励みなさいと言う意味です。

  • ティラカリ・メドレセです。1660年に建てられた神学校です。

    ティラカリ・メドレセです。1660年に建てられた神学校です。

  • ファサードです。ティラカリ・メドレセの中を見学します。

    ファサードです。ティラカリ・メドレセの中を見学します。

  • 当時すでに、ビビハニム・モスクが廃墟になっていたため、サマルカンドの主要な礼拝所として使われました。

    当時すでに、ビビハニム・モスクが廃墟になっていたため、サマルカンドの主要な礼拝所として使われました。

  • 礼拝所は黄金に輝いています。ミフラーブも息をのむ美しさです。

    イチオシ

    礼拝所は黄金に輝いています。ミフラーブも息をのむ美しさです。

  • 礼拝所の天井です。

    礼拝所の天井です。

  • 礼拝所の修復には、3kgもの金が使われたと言います。

    礼拝所の修復には、3kgもの金が使われたと言います。

  • ティラカリ・メドレセの博物館です。

    ティラカリ・メドレセの博物館です。

  • ソ連時代の修復の様子が展示されています。

    ソ連時代の修復の様子が展示されています。

  • お土産屋も併設されています。

    お土産屋も併設されています。

  • 民族楽器などが並びます。

    民族楽器などが並びます。

  • アミール・ティムール廟です。

    イチオシ

    アミール・ティムール廟です。

  • アミール・ティムール廟の正面入口です。

    アミール・ティムール廟の正面入口です。

  • 霊廟入口の鍾乳石飾りです。

    霊廟入口の鍾乳石飾りです。

  • 霊廟のファサードです。写真撮影料は3000スム(約1.5ドル)でした。

    霊廟のファサードです。写真撮影料は3000スム(約1.5ドル)でした。

  • 霊廟のドーム屋根は、その形とともに、青のタイル装飾がひときわ美しい。

    霊廟のドーム屋根は、その形とともに、青のタイル装飾がひときわ美しい。

  • ミナレットです。

    ミナレットです。

  • ミナレットに、「au」の文字が沢山あります。これは「ua」で、イスラム教の神アラーの事です。

    ミナレットに、「au」の文字が沢山あります。これは「ua」で、イスラム教の神アラーの事です。

  • アミール・ティムールです。

    アミール・ティムールです。

  • アミール・ティムールの遠征図です。

    アミール・ティムールの遠征図です。

  • 霊廟の中は黄金に輝きます。写真の発色が良くありません、ISOの設定ミスか手ぶれも・・?

    霊廟の中は黄金に輝きます。写真の発色が良くありません、ISOの設定ミスか手ぶれも・・?

  • ドームの天井です。

    ドームの天井です。

  • 中央の黒い墓石がティムールです。手前が孫のウルグベク、奥が先生ミルサィード・ベリケ、その左がひ孫のひとり、ティムールの右に孫のムハンマド・スルタン、左に息子シャールフ、ひ孫のひとり、息子ミランシャーと並んでいます。

    中央の黒い墓石がティムールです。手前が孫のウルグベク、奥が先生ミルサィード・ベリケ、その左がひ孫のひとり、ティムールの右に孫のムハンマド・スルタン、左に息子シャールフ、ひ孫のひとり、息子ミランシャーと並んでいます。

  • 黒緑色の軟玉の墓石の下に、ティムールが眠っています。

    黒緑色の軟玉の墓石の下に、ティムールが眠っています。

  • アフラシャブ博物館です。この博物館にはアフラシャブの丘で発掘された品々が展示されています。博物館の写真撮影料は3000スム(約1.5ドル)でした。

    アフラシャブ博物館です。この博物館にはアフラシャブの丘で発掘された品々が展示されています。博物館の写真撮影料は3000スム(約1.5ドル)でした。

  • アフラシャブの丘の説明です。紀元前7世紀(都城址を発掘)〜13世紀(チンギス・ハーンにより壊滅)に栄えたソグディアナ(ソグド)の都跡です。

    アフラシャブの丘の説明です。紀元前7世紀(都城址を発掘)〜13世紀(チンギス・ハーンにより壊滅)に栄えたソグディアナ(ソグド)の都跡です。

  • 発掘の様子が展示されています。本格的調査は1958年から実施されています。

    発掘の様子が展示されています。本格的調査は1958年から実施されています。

  • 文化の痕跡が11層も積み重なっていました。

    文化の痕跡が11層も積み重なっていました。

  • 紀元前の土器の展示です。

    紀元前の土器の展示です。

  • 窯を復元しています。

    窯を復元しています。

  • アレキサンダー大王の遠征図です。

    アレキサンダー大王の遠征図です。

  • 紀元前329年にサマルカンドは、アレキサンダー大王により征服されています。

    紀元前329年にサマルカンドは、アレキサンダー大王により征服されています。

  • サマルカンドが貿易の中継都市として栄えていた頃のシルクロードです。 中国の唐の時代、ソグド人がヨーロッパと唐の交易を支えていました。

    サマルカンドが貿易の中継都市として栄えていた頃のシルクロードです。 中国の唐の時代、ソグド人がヨーロッパと唐の交易を支えていました。

  • ゾロアスター教寺院の、柱や祭壇が展示されています。

    ゾロアスター教寺院の、柱や祭壇が展示されています。

  • 陶器の壺が並びます。

    陶器の壺が並びます。

  • 頭蓋骨の展示です。頭蓋骨の形がさまざまで、多様な民族が住んでいたことが判ります。

    頭蓋骨の展示です。頭蓋骨の形がさまざまで、多様な民族が住んでいたことが判ります。

  • ソグド人の納骨器です。

    ソグド人の納骨器です。

  • 7世紀の、ソグド王宮のフレスコの壁画です。もともとの部屋が正確に再現されています。

    7世紀の、ソグド王宮のフレスコの壁画です。もともとの部屋が正確に再現されています。

  • 「王の行列、白い象に乗る女性と騎馬兵」の壁画です。

    イチオシ

    「王の行列、白い象に乗る女性と騎馬兵」の壁画です。

  • 「王の行列、馬やラクダに乗る人物とインドの白い鵞鳥を追う人物」の壁画です。

    イチオシ

    「王の行列、馬やラクダに乗る人物とインドの白い鵞鳥を追う人物」の壁画です。

  • 「貢物を捧げる高句麗の使者」の壁画です。

    「貢物を捧げる高句麗の使者」の壁画です。

  • 「豹狩りをする唐の皇帝の騎馬像」の壁画です。

    「豹狩りをする唐の皇帝の騎馬像」の壁画です。

  • 「唐の王妃と女官の乗る小舟が佇む場面」の壁画です。

    「唐の王妃と女官の乗る小舟が佇む場面」の壁画です。

  • 現地ツーリストの「おもてなし」です。赤と白のワイン、ジュース、ミネラルウオーターとおつまみが出ました。

    現地ツーリストの「おもてなし」です。赤と白のワイン、ジュース、ミネラルウオーターとおつまみが出ました。

  • アフラシャブの丘です。唐の時代には、ソグド人の都市「マラカンダ」の名で知られており、中国では康国と呼ばれ、629年には玄奘三蔵がインドに向かう途中この地に立ち寄っています。「大唐西域記」によれば、「城は周囲20余里、すこぶる堅固にして住人多く、異方の宝貨多く集まる。土地は豊穣にして樹木生い茂り、果実豊かにして、善馬を産す。また、気候穏やかなり」と玄奘は記しています。

    アフラシャブの丘です。唐の時代には、ソグド人の都市「マラカンダ」の名で知られており、中国では康国と呼ばれ、629年には玄奘三蔵がインドに向かう途中この地に立ち寄っています。「大唐西域記」によれば、「城は周囲20余里、すこぶる堅固にして住人多く、異方の宝貨多く集まる。土地は豊穣にして樹木生い茂り、果実豊かにして、善馬を産す。また、気候穏やかなり」と玄奘は記しています。

  • 現在は国から保護されているために、新しい建物を造ることが禁止されており、今でも発掘調査は続けられています。

    現在は国から保護されているために、新しい建物を造ることが禁止されており、今でも発掘調査は続けられています。

  • 今日の観光はここで終わりです。明日はタシケンントに寄り、成田に向けフライトです。

    今日の観光はここで終わりです。明日はタシケンントに寄り、成田に向けフライトです。

  • 遺跡に咲く花です。ラクダ草の一種のようです。

    遺跡に咲く花です。ラクダ草の一種のようです。

  • 葉と茎の伸びかたは、ラクダ草に似ていますが、花とトゲの短さが気になります。

    葉と茎の伸びかたは、ラクダ草に似ていますが、花とトゲの短さが気になります。

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