2013/09/19 - 2013/09/20
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YAMAJIさん
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トルクメニスタンとアシハバードについて
トルクメニスタンは、中央アジアの南西部に位置し、西はカスピ海、南はイラン、東はアフガニスタンと接しています。国土の85%がカラクム砂漠で、ウズベキスタンとの国境沿いにアムダリヤ川が流れ、このアムダリヤ川の中流から国の南西部へと、カラクム運河(約1100km)が造られています。 カラクム運河の取水(アムダリヤ川の水量の25%)が、アラル海縮小の主要因といわれています。この灌漑により、綿花や小麦、トウモロコシ、ブドウなどが栽培され、放牧による畜産も盛んです。天然ガス(埋蔵量世界4位)や石油などの地下資源にも恵まれ、今後の経済発展が注目されます。
アシハバードは、南側にコペット・ダグ山脈(イランとの国境)が通り、北側にカラクム砂漠が広がる、トルクメニスタンの首都で、人口は約80万人です。かってコンジカラという町があったが、紀元前2世紀の大地震で廃墟となり、その後再建されシルクロードの交易で栄えましが、13世紀のモンゴル軍の襲来で破壊されてしまいます。 1818年に、ロシア人がアシハバードという町を作り、1869年に要塞が造られ、商人や職人が集まり発展していきました。1925年に、トルクメン・ソビエト社会主義共和国が誕生するとその首都となります。1948年10月6日に大地震に見舞われ、市の人口の3分の2を失いました。1991年の独立後、ニヤゾフ初代大統領により、白亜の大理石の町への変わり、古い建物や旧市街は残っていません。
クフナ・ウルゲンチについて
10世紀〜14世紀に、ホレムズ王国の都がありました。13世紀にモンゴル軍により破壊された後、14世紀にアムダリヤ川の流れが変わり、水の利が絶たれます。町は放棄され、北に新ウルゲンチが建設されました。 遺跡には、12世紀のクフナ・ウルゲンチ最盛期の王の廟であるスルタン・テケシュ廟や14世紀に造られた、中央アジアで最も高いミナレットであるクトゥブ・ティムール・ミナレット、14世紀の王妃の墓であるトレベク・ハニム廟などが残っており、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。
ニサ遺跡について
アシハバードの郊外、コペット・ダグ山脈の麓にあるニサは、紀元前3世紀〜紀元後3世紀のパルティア王国の都でした。ニサ遺跡は、王宮のあった旧ニサと居住地区の新ニサから構成されていました。いずれも城壁で囲まれており、1.5kmほど離れています。 旧ニサ遺跡の中心部には、巨大な建造物の遺構(王宮跡)が残っています。ゾロアスター教の神殿や王の間、ワイン貯蔵庫などが確認できます。 旧ニサ遺跡の「王の倉庫」と呼ばれる部分からは、神像や土偶が発見され、なかでもニサのヴィーナス像や象牙のリュトン(角杯)は有名で、出土品はトルクメニスタン国立博物館に保存・展示されています。
トルクメンバシィ・ルーフ・モスクとアハルテケ種について
トルクメンバシィ・ルーフ・モスクは、ニヤゾフ前大統領が、家族のために建てたモスクです。トルクメンバシィとは「トルクメ人の父」、ニヤゾフ前大統領のことを指しています。このモスクは2004年に完成したもので、高さ71mの4本のミナレットと直径50mの黄金のドームを持っています。 8つの天国に続く階段(出入口)とドームには48個の窓があります。この48個の窓は、1948年の大地震を表しています。ニヤゾフ前大統領は、母親と兄弟をこの地震で亡くしています。隣接してニヤゾフ前大統領の廟があり、ニヤゾフ前大統領の棺と両親・兄弟の棺が安置されています。
アハルテケ種は、「汗血馬」の子孫と言われています。アハリテケ種は、スピードと持続力に富み、絹のような毛並、小柄で筋肉質、重さ300kgくらい、細い顔、細い首、引き締まった足、薄い皮膚、短く疎らなたてがみが特徴です。 「汗血馬」といえば、「漢書」に「大宛(現在のウズベキスタン・フェルガナ地区)に天馬種あり」と書かれ、「一日に千里を走る」と言われた、名馬中の名馬でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
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トルクメニスタンの国旗です。トルコ語系の民族で、部族による結束が強く、帝政ロシアの支配と戦った、ギョク・テペ要塞の戦いは有名です。豊富な天然ガスや石油の産出により、急ピッチで近代化が進んでいます。永世中立国です。
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東京で行われた、日・トルクメニスタン首脳会談(9月11日)が、トップニュースで伝えられていました。天然資源による工業化や輸送、インフラ整備、人材育成等の分野において、高い技術をようする日本の協力が強く期待されています。
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ウズベキスタンのヒヴァを出発し、国境を越えトルクメニスタンのタシャウズへ向かいます。スーツケースは、ウズベキスタン側で預けて、リュックサックとサイドバッグでトルクメニスタン入国です。赤紫の花はテスメスと言うそうです。
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アムダリヤ川の支流を通過します。ウズベキスタンの出国審査では税関申告書を1人1人チェックされますが、無事通過です。トルクメニスタンの入国では、その場でビザを発給してもらい、1時間30分待たされました、3時間待ちのこともああるそうです。ビザ代は67ドルで現地払い、あとで2ドル戻ってきました。
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タシャウズに入ってきました。トルクメニスタンでは、トヨタ車が50%以上を占めています。
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今日のお昼は、ホテルUZBOYのレストランで頂きます。
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ロビーにはトルクメニスタンの観光地図がありました。
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このナンは、サマルカンドのナンでしょうか。今回の旅行で、焼き立てのナンは出ませんでした、残念・残念・・。
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牛肉のスープです。肉も麺もジャガイモも、美味しくありません。
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チキンのローストです。今までほとんど完食して来たのですが、今回は残しました。
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義務教育の女子生徒は緑の制服(民族衣装のワンピース)を、大学生は赤の制服(民族衣装のワンピース)を着ていました、全国統一のようです。トルクメニスタンの子供達は、良く手を振ってくれました。
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何の記念碑でしょうか。大統領を初めとした人物の銅像や記念碑をどこでも良く見かけました。
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イチオシ
クフナ・ウルゲンチは、アムダリア河畔のオアシス都市でした。ユネスコの世界文化遺産に登録されており、10〜14世紀にホレムズ王国の都がありました。クフナ・ウルゲンチを7回訪れれば、1回メッカを訪れたのと同じとなるそうです。
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トレベク・ハニム廟です。14世紀のクトゥルグ・ティムールの王妃の墓です。王妃が健在中に迎賓館として建設され、王妃の没後廟に転用されたと言う。
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二重構造のドームだったことが判ります。外側のドームは青のタイルで覆われていました。
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クフナ・ウルゲンチの中で最も保存状態が良く最大で、内部は天文学を取りいれた造りになっています。
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一番下の4つの窓が四季を表し、ドームの12の閉まった窓が12の月を、その上の24の窓のうち、開いている窓は昼間の12時間を、閉まっている窓は夜の12時間を表しており、ドーム天井には365個の星が輝いています。
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半地下にトレベク・ハニムの墓があります。
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民族衣装のおねえさまをパチリ。個人的には皆さんフレンドリです。
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クトゥルグ・ティムール・ミナレットとモスクです。手前には沢山のお墓が並んでいます。
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お墓です。
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イチオシ
クトゥルグ・ティムール・ミナレットは、14世紀に造られた、中央アジアで最も高いミナレトで、中の階段は145段ある。67mの高さがあったが、その後の地震かモンゴル軍の破壊で、先端部分が折れたという。
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地上7mの所に出入口があり、隣接するモスクと繋がっていたと言う。
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文字装飾が美しい。
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クフナ・ウルゲンチ最盛期、ホラズム・シャー朝時代の王の廟、スルタン・テケシュ廟へ向かいます。
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スルタン・テケシュ廟です。12角面のとんがり屋根がユニークな12世紀の建物です。
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円錐形のドームは、ゾロアスター教の影響とも?
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入口の扉です。
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クルクモッラーの丘に登ります。12世紀に神学校があったという丘です。
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祈りの布を木に巻き付け、お賽銭を入れます。
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小石を積み上げた賽の河原です。
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丘の下にはムスリムのお墓が広がっていました。クフナ・ウルゲンチは、とても神聖な場所なのです。
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揺り篭やブランコが、奉納されています。クルクモッラーの丘は、子宝の丘と呼ばれています。
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祈りを捧げ、厚着をして、この坂を転がり落ちます。3本の道があり、右は仕事が上手くいく、真ん中が素晴らしい家族に恵まれる、左は上手くいかないことが多い・・・・。
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タシャウズ空港からアシハバード空港へ、夜の便で移動です。定刻出発、定刻到着です。
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写真撮影の禁止されている場所等の注意を受けます。政府関係施設、軍関係施設、空港施設、バザールなどの他、軍人、警察官の撮影も禁止だそうです。
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ニサ遺跡の「パルティア要塞群」は、ユネスコの世界文化遺産に登録されており、紀元前3世紀〜紀元後3世紀のパルティア王国の都でした。ニサ遺跡は、王宮のあった旧ニサと、居住地区の新ニサから構成されていました。いずれも城壁で囲まれており、1.5kmほど離れています。
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旧ニサは城壁に囲まれた 14 ha ほどの遺丘だが、その中で遺構が集中している地域は北部と中央部です。春にはポピーのお花畑が見られます。
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旧ニサの中心部には巨大な建造物の遺構(王宮)が残っています。ゾロアスター教の神殿や王の間、ワイン貯蔵庫などが確認できます。
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王宮の中に入ります。ニサ遺跡の写真撮影料は2ドルでした。
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パルティア王の墓ではないか、と言われている地下部分です。
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内側に広く、外側に狭い、矢を放つ窓です。
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通路はかなり狭い。
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壁面が綺麗に修復されています。
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部屋の跡のようです。
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ゾロアスター教の神殿跡です。神殿には3つの入口があり、丸いドームの屋根が掛かっていたと言います。
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旧ニサ遺跡の「王の倉庫」と呼ばれる部分からは神像や土偶が発見され、 中でもニサのヴィーナス像や象牙のリュトン(角杯)は有名で、出土品はトルクメニスタン国立博物館に保存・展示されています。
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修復が進む四角い大きな部屋です。盛り土が沢山見られます。
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土が盛られた所に柱の台座が隠れています。強い日光から破壊を防ぐためです。
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当時の建物の一部が覗いていました。
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城壁の跡は小高い丘になっています。
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城壁の上から、ニサの市街側を見ています。。
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アシハバード市内のトルクメンバシィ・ルーフ・モスクが遠くに見える。このモスクは 2004年に完成したもので、高さ 71mの 4本のミナレットと直径 50mの黄金のドームを持っています。
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イチオシ
城壁の上から、旧ニサの王宮跡とイランとの国境を形成している、コペット・ダグ山脈を見ています。
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山肌には遺跡とは関係ない、新しい急な階段が続いています。ニヤゾフ前大統領の専用のマラソン・ジョギングロードだったとか。現在でも利用する人がいるのでしょうか?
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王の間です。
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玉座の間の柱は、4つの円柱が合わさって蓮片のようです。このレンガは焼きレンガのようです。
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柱の台座だけが残っています。柱は複数の円柱を束ねた構造になっています。
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ゴミの山のようだが、この中から城壁を造ったレンガを探し組み合わせるとのこと。
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選別された古い日干しレンガです。
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日干しレンガを作っていました。修復用に使うのでしょう。
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バスの中にも、ベルディムハメドフ現大統領の写真が、脱独裁を進めているといいますが。
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トルクメンバシィ・ルーフ・モスクです。ニヤゾフ前大統領が、家族のため故郷に建てたモスクです。トルクメンバシィとは「トルクメ人の父」、ニヤゾフ前大統領のことをさします。
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広場の噴水です。金曜日だけ礼拝が行なわれる。
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左右の基壇から流れる水もすごい。中央アジア最大のモスクです。
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8つの天国に続く階段(出入口)とドームには48個の窓があります。この48の窓は、1948年の地震を表しています。母親と兄弟をこの地震で亡くしています。
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モスクの中は写真撮影禁止です。現地ガイドのセルダーさんんが、お祈り前の体を清める所作だけ見せてくれました。
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ミナレットは4本で、高さ91mあります。男1万3千人、女7千人、合計2万人が収容できます。
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隣接してニヤゾフ前大統領の廟があります。ニヤゾフ前大統領の棺と両親・兄弟の棺が安置されています。
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「汗血馬」の子孫といわれるアハルテケ種の厩舎です。
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オーナーからお菓子や飲み物、フルーツの差し入れが。
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馬場でトルクメニスタンの誇る自慢の名馬を披露します。
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オーナーからアハルテケ種の解説がありました。スピードと持久力、絹のような毛並、小柄で筋肉質、重さ300kgくらい、細い顔、細い首、引き締まった足、薄い皮膚、短く疎らなたてがみ。
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ご褒美の角砂糖が大好きです。1935年、トルクメン人の騎手団がアシハバートからモスクワまで2,500マイル(4,023KM)を84日で走破し、この品種には大きな持久力があることを証明します。この行路には235マイル(378KM)の砂漠を含んでいたが、水なしで3日で横断したという。
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「汗血馬」といえば、『漢書』に「大宛(現在のウズベキスタン・フェルガナ地方)に天馬種あり」と書かれ、「一日に千里を走る」と言われた名馬中の名馬です。
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イチオシ
「黄金の馬」と呼ばれる河原毛のアハルテケ種です。
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「アハルテケ」といえば、「トルクメニスタンの幻の名馬」「天空を駆ける金色の天馬」「1日千里を駆ける馬」として、世界中に知られている乗用馬です。
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鹿毛のアハルテケ種です。
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馬場では色々な芸も披露してくれました。
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黒鹿毛のアハルテケ種です。
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馬場で軽めに走ります。
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全力疾走で汗をかかせます。
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イチオシ
汗をかくと皮膚が薄いため、血管がすぐ正面に表れます。毛が濡れ、色が変わり血が流れたように見えるので、「汗血馬」と呼ばれます。
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