その他の都市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
メルヴについて<br /><br />メルヴは、ムルガーブ川のデルタに発達したオアシス都市で、シルクロードの重要な隊商都市でした。紀元前6世紀〜紀元後12世紀までの、5つの異なる時代(紀元前6〜4世紀のアケメネス朝、紀元前4〜3世紀のセレウコス朝、紀元前3世紀〜紀元後3世紀のパルティア帝国、3〜7世紀のササン朝、11〜12世紀のセルジューク朝)の町の跡を同時に見ることが出来ます。メルヴは中央アジア最大の遺跡で、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。<br /><br />1、大キズカラと小キズカラ<br /><br />6〜7世紀のササン朝時代の建物跡で、豪族の居城だったとか、メドレセ(神学校)だったとか、スルタンのハーレムだったとか、諸説あるようです。大キズカラは、別名「乙女の城」と呼ばれています。これは、モンゴル軍の襲来の時に、乙女達がここに立て籠もり、モンゴルの手に落ちる前に自決したからだと伝わっています。小キズカラは、別名「男の城」と呼ばれています。「男の城」からリンゴを投げ、「乙女の城」に届いたら、結婚出来るという伝説が伝わっています。<br /><br />2、アスハブ廟<br /><br />7世紀にイスラム教を広めた聖人、ジファリとブライダの廟で、15世紀のティムール帝国時代に建てられました。ここは聖地になっており、霊廟の周囲にはお墓が沢山あります。また、霊廟のそばには、15世紀に造られた地下貯水池があります。<br /><br />3、グヤウル・カラ<br /><br />グヤウルとは「不信心な」という意味で、ササン朝(3〜7世紀)には、ゾロアスター教、キリスト教、仏教、イスラム教が混在していました。発掘のため城壁をスライスした場所からは、セレウコス朝(紀元前4〜3世紀)、パルティア帝国(紀元前3世紀〜紀元後3世紀)、ササン朝(3〜7世紀)などの都市遺構が確認されました。 グヤウル・カラは、一辺1.2kmのほぼ正方形に近い城壁に囲まれており、100以上の見張り塔がありました。ここからは、仏教寺院跡(5〜6世紀)や仏像が発掘され、ここが仏教遺跡の最西端の地でした。また、中央アジア最古のモスク(7世紀)も発掘されています。<br /><br />4、エルク・カラ<br /><br />エルク・カラは、紀元前6〜4世紀のアケメネス朝時代の城跡で、メルヴで最も古い場所です。エルク・カラは、丸い城壁に囲まれており、中央にゾロアスター教の神殿があり、平らなところに邸宅がありました。 高さ34mの見張り塔跡に上ると、右側にドーナッ型の城壁が残るエルク・カラが、左側にグヤウル・カラが続いています。正面左側のグアウル・カラの城壁の向こうにスルタン・カラが見えます。<br /><br />5、ホジャ・ユスフ・ハメダニモスク<br /><br />12世紀のセルジューク朝時代の創建で、1998年に大幅改修されたばかりです。手前にモスクがあり、奥にイスラム教神秘主義の聖人、ホジャ・ユスフ・ハメダニの霊廟があります。ここは、多くの信仰を集める巡礼の地で、接待料理を作る台所にお邪魔しました。大きな鍋が並び、プロフやスープを作っていました。<br /><br />6、スルタン・カラとスルタン・サンジャール廟<br /><br />スルタン・カラは、トルコ系民族のセルジューク朝(11〜12世紀)の都があった所です。スルタン・カラは、楕円形の城壁に囲まれており、その中央にスルタン・サンジャール廟が建っています。1218年にチンギス・ハーンの軍が攻め込み、100万人に及ぶ住民を大虐殺する。メルヴは廃墟と化し、二度と復興することはありませんでした。<br /><br />スルタン・サンジャール廟は、12世紀セルジューク朝時代の最盛期の王の霊廟です。この廟はモンゴル軍の襲来や地震にも耐え抜きました。廟の中は、白いアラバスター(雪花石膏)とタイルで装飾されています。天井に空いた窓は、王と天使との恋愛物語がありました。この廟は、27m×27mの四角形で、高さ38mあり、砂漠では良く目立ち、キャラバン達の道しるべになっていました。

トルクメニスタンの旅(3)・・シルクロードの重要な隊商都市として栄えたメルヴ遺跡を訪ねて

16いいね!

2013/09/21 - 2013/09/22

83位(同エリア145件中)

旅行記グループ 中央アジアの旅

1

90

YAMAJI

YAMAJIさん

メルヴについて

メルヴは、ムルガーブ川のデルタに発達したオアシス都市で、シルクロードの重要な隊商都市でした。紀元前6世紀〜紀元後12世紀までの、5つの異なる時代(紀元前6〜4世紀のアケメネス朝、紀元前4〜3世紀のセレウコス朝、紀元前3世紀〜紀元後3世紀のパルティア帝国、3〜7世紀のササン朝、11〜12世紀のセルジューク朝)の町の跡を同時に見ることが出来ます。メルヴは中央アジア最大の遺跡で、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

1、大キズカラと小キズカラ

6〜7世紀のササン朝時代の建物跡で、豪族の居城だったとか、メドレセ(神学校)だったとか、スルタンのハーレムだったとか、諸説あるようです。大キズカラは、別名「乙女の城」と呼ばれています。これは、モンゴル軍の襲来の時に、乙女達がここに立て籠もり、モンゴルの手に落ちる前に自決したからだと伝わっています。小キズカラは、別名「男の城」と呼ばれています。「男の城」からリンゴを投げ、「乙女の城」に届いたら、結婚出来るという伝説が伝わっています。

2、アスハブ廟

7世紀にイスラム教を広めた聖人、ジファリとブライダの廟で、15世紀のティムール帝国時代に建てられました。ここは聖地になっており、霊廟の周囲にはお墓が沢山あります。また、霊廟のそばには、15世紀に造られた地下貯水池があります。

3、グヤウル・カラ

グヤウルとは「不信心な」という意味で、ササン朝(3〜7世紀)には、ゾロアスター教、キリスト教、仏教、イスラム教が混在していました。発掘のため城壁をスライスした場所からは、セレウコス朝(紀元前4〜3世紀)、パルティア帝国(紀元前3世紀〜紀元後3世紀)、ササン朝(3〜7世紀)などの都市遺構が確認されました。 グヤウル・カラは、一辺1.2kmのほぼ正方形に近い城壁に囲まれており、100以上の見張り塔がありました。ここからは、仏教寺院跡(5〜6世紀)や仏像が発掘され、ここが仏教遺跡の最西端の地でした。また、中央アジア最古のモスク(7世紀)も発掘されています。

4、エルク・カラ

エルク・カラは、紀元前6〜4世紀のアケメネス朝時代の城跡で、メルヴで最も古い場所です。エルク・カラは、丸い城壁に囲まれており、中央にゾロアスター教の神殿があり、平らなところに邸宅がありました。 高さ34mの見張り塔跡に上ると、右側にドーナッ型の城壁が残るエルク・カラが、左側にグヤウル・カラが続いています。正面左側のグアウル・カラの城壁の向こうにスルタン・カラが見えます。

5、ホジャ・ユスフ・ハメダニモスク

12世紀のセルジューク朝時代の創建で、1998年に大幅改修されたばかりです。手前にモスクがあり、奥にイスラム教神秘主義の聖人、ホジャ・ユスフ・ハメダニの霊廟があります。ここは、多くの信仰を集める巡礼の地で、接待料理を作る台所にお邪魔しました。大きな鍋が並び、プロフやスープを作っていました。

6、スルタン・カラとスルタン・サンジャール廟

スルタン・カラは、トルコ系民族のセルジューク朝(11〜12世紀)の都があった所です。スルタン・カラは、楕円形の城壁に囲まれており、その中央にスルタン・サンジャール廟が建っています。1218年にチンギス・ハーンの軍が攻め込み、100万人に及ぶ住民を大虐殺する。メルヴは廃墟と化し、二度と復興することはありませんでした。

スルタン・サンジャール廟は、12世紀セルジューク朝時代の最盛期の王の霊廟です。この廟はモンゴル軍の襲来や地震にも耐え抜きました。廟の中は、白いアラバスター(雪花石膏)とタイルで装飾されています。天井に空いた窓は、王と天使との恋愛物語がありました。この廟は、27m×27mの四角形で、高さ38mあり、砂漠では良く目立ち、キャラバン達の道しるべになっていました。

旅行の満足度
3.5
観光
4.0
ホテル
1.0
グルメ
3.0
交通
4.0
  • アシハバード空港からマリィ空港へ、早朝便で移動です。定刻出発、定刻到着です。カラクム運河を渡り、メルヴへ向かいます。

    イチオシ

    アシハバード空港からマリィ空港へ、早朝便で移動です。定刻出発、定刻到着です。カラクム運河を渡り、メルヴへ向かいます。

  • メルヴ遺跡の入口にある、小さな博物館に寄ります。メルブ遺跡の写真撮影料は2ドルでした。

    メルヴ遺跡の入口にある、小さな博物館に寄ります。メルブ遺跡の写真撮影料は2ドルでした。

  • メルヴ遺跡の模型があります。メルヴは、ムルガーブ川のデルタのオアシス都市でした。紀元前6世紀〜紀元後12世紀までの、5つの異なる時代の町の跡を同時に見ることが出来ます。国立歴史文化公園「古代メルヴ」は、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

    メルヴ遺跡の模型があります。メルヴは、ムルガーブ川のデルタのオアシス都市でした。紀元前6世紀〜紀元後12世紀までの、5つの異なる時代の町の跡を同時に見ることが出来ます。国立歴史文化公園「古代メルヴ」は、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

  • メルヴはシルクロードの重要な隊商都市で、中央アジア最大の遺跡です。展示されている壺です。

    メルヴはシルクロードの重要な隊商都市で、中央アジア最大の遺跡です。展示されている壺です。

  • 動物が描かれている土器の破片です。

    動物が描かれている土器の破片です。

  • メルヴ遺跡で良く見かけた、赤紫の花はテスメスと言うそうです。

    メルヴ遺跡で良く見かけた、赤紫の花はテスメスと言うそうです。

  • 大キズカラです。6世紀〜7世紀のササン朝時代の建物跡です。1階部分は砂に埋もれ2階部分だけが見えます。

    大キズカラです。6世紀〜7世紀のササン朝時代の建物跡です。1階部分は砂に埋もれ2階部分だけが見えます。

  • 日干しレンガで造られているため、太陽光、風雨、塩害、野鳥などで破壊が進んでいます。立ち入り禁止でした。

    日干しレンガで造られているため、太陽光、風雨、塩害、野鳥などで破壊が進んでいます。立ち入り禁止でした。

  • ここは、豪族の居城だったとか、メドレセ(神学校)だったとか、スルタンのハーレムだったとか・・・。別名「乙女の城」と呼ばれるのは、モンゴル軍の襲来の時に、乙女がここに立て篭もり、モンゴルの手に落ちる前に自決したからだと伝わっています。

    ここは、豪族の居城だったとか、メドレセ(神学校)だったとか、スルタンのハーレムだったとか・・・。別名「乙女の城」と呼ばれるのは、モンゴル軍の襲来の時に、乙女がここに立て篭もり、モンゴルの手に落ちる前に自決したからだと伝わっています。

  • 小キズカラです。6世紀〜7世紀のササン朝時代の建物跡です。大キズカラより破壊が進んでいます。

    小キズカラです。6世紀〜7世紀のササン朝時代の建物跡です。大キズカラより破壊が進んでいます。

  • 別名「男の城」と呼ばれています。

    別名「男の城」と呼ばれています。

  • 「男の城」からリンゴを投げ、「乙女の城」届くと結婚が出来るという伝説が残っています。

    「男の城」からリンゴを投げ、「乙女の城」届くと結婚が出来るという伝説が残っています。

  • 小キズカラから大キズカラが綺麗に見えます。

    イチオシ

    小キズカラから大キズカラが綺麗に見えます。

  • スルタン・カラの城壁とスルタン・サンジャール廟が見えています。

    スルタン・カラの城壁とスルタン・サンジャール廟が見えています。

  • アスハブ廟です。7世紀にイスラム教を広めた聖人、ジファリ(左側の廟)とブライダ(右側の廟)の廟です。15世紀のティムール帝国時代に建てられました。

    アスハブ廟です。7世紀にイスラム教を広めた聖人、ジファリ(左側の廟)とブライダ(右側の廟)の廟です。15世紀のティムール帝国時代に建てられました。

  • 修復用のレンガが積まれていました。すぐ後ろにスルタン・カラの城壁が見えます。

    修復用のレンガが積まれていました。すぐ後ろにスルタン・カラの城壁が見えます。

  • 左の霊廟手前の小さな建物の中に、メルヴで最初のイマーム(指導者)になった、ジファリの棺があります。

    左の霊廟手前の小さな建物の中に、メルヴで最初のイマーム(指導者)になった、ジファリの棺があります。

  • 墓の内部の装飾タイルです。この装飾模様は、これから行くサマルカンドで良く見かけました。

    墓の内部の装飾タイルです。この装飾模様は、これから行くサマルカンドで良く見かけました。

  • ここは聖地になっており、霊廟の周囲にはお墓が沢山ありました。お墓の形も様々でした。

    ここは聖地になっており、霊廟の周囲にはお墓が沢山ありました。お墓の形も様々でした。

  • 新しいお墓も有ります。

    新しいお墓も有ります。

  • 霊廟そばの15世紀に造られた、貯水池に寄りました。

    霊廟そばの15世紀に造られた、貯水池に寄りました。

  • この貯水池の水は、人が運び溜めていたようです。

    この貯水池の水は、人が運び溜めていたようです。

  • 今でも水が溜まっています。

    今でも水が溜まっています。

  • グヤウル・カラに向かいます。

    グヤウル・カラに向かいます。

  • グヤウル・カラの入口の左の城壁に上ります。グヤウルとは「不信心な」という意味で、ササン朝時代(3世紀〜7世紀)には、ゾロアスター教、キリスト教、仏教、イスラム教が混在していました。

    グヤウル・カラの入口の左の城壁に上ります。グヤウルとは「不信心な」という意味で、ササン朝時代(3世紀〜7世紀)には、ゾロアスター教、キリスト教、仏教、イスラム教が混在していました。

  • 右に有名な発掘跡(発掘のため城壁をスライスしています)と城壁が続いています。セレウコス朝(紀元前4世紀〜紀元前3世紀)、パルティア帝国(紀元前3世紀〜紀元後3世紀)、ササン朝(3世紀〜7世紀)などの都市遺跡が眠っていました。

    イチオシ

    右に有名な発掘跡(発掘のため城壁をスライスしています)と城壁が続いています。セレウコス朝(紀元前4世紀〜紀元前3世紀)、パルティア帝国(紀元前3世紀〜紀元後3世紀)、ササン朝(3世紀〜7世紀)などの都市遺跡が眠っていました。

  • グヤウル・カラは、一辺1.2kmのほぼ正方形に近い城壁に囲まれており、100以上の見張り塔があったという。ここからは、仏教寺院跡(5〜6世紀)や仏像が発掘され、中央アジア最古のモスク(7世紀)も発掘されています。ここは仏教遺跡の最西端の地でした。

    グヤウル・カラは、一辺1.2kmのほぼ正方形に近い城壁に囲まれており、100以上の見張り塔があったという。ここからは、仏教寺院跡(5〜6世紀)や仏像が発掘され、中央アジア最古のモスク(7世紀)も発掘されています。ここは仏教遺跡の最西端の地でした。

  • 城壁の中は、赤紫の花テスメスが綺麗です。

    城壁の中は、赤紫の花テスメスが綺麗です。

  • スルタン・カラは、すご隣にあります。スルタン・カラは、トルコ系民族のセルジューク朝(11〜12世紀)の都があった所です。

    スルタン・カラは、すご隣にあります。スルタン・カラは、トルコ系民族のセルジューク朝(11〜12世紀)の都があった所です。

  • スルタン・カラは楕円形の城壁に囲まれており、その中央にスルタン・サンジャール廟が建っています。1218年にチンギス・ハーン軍が攻め込み、100万人に及ぶ住民を大虐殺する。メルヴは廃墟と化し、二度と復興することはなかった。

    スルタン・カラは楕円形の城壁に囲まれており、その中央にスルタン・サンジャール廟が建っています。1218年にチンギス・ハーン軍が攻め込み、100万人に及ぶ住民を大虐殺する。メルヴは廃墟と化し、二度と復興することはなかった。

  • スルタン・カラの城壁と大キズカラ、小キズカラが見えます。

    スルタン・カラの城壁と大キズカラ、小キズカラが見えます。

  • エルク・カラに向かいます。メルヴ遺跡で最も古い場所です。

    エルク・カラに向かいます。メルヴ遺跡で最も古い場所です。

  • エルク・カラの1番高い城壁(高さ34mの見張り台跡)に上ります。エルク・カラは紀元前6世紀〜紀元前4世紀のアケメネス朝時代の城跡です。

    エルク・カラの1番高い城壁(高さ34mの見張り台跡)に上ります。エルク・カラは紀元前6世紀〜紀元前4世紀のアケメネス朝時代の城跡です。

  • 見張り台跡からの風景です。右側にド−ナッ型の城壁が残るエルク・カラが、左側にグヤウル・カラが続いています。正面左側のグヤウル・カラの城壁の向こうにスルタン・カラが見えます。

    見張り台跡からの風景です。右側にド−ナッ型の城壁が残るエルク・カラが、左側にグヤウル・カラが続いています。正面左側のグヤウル・カラの城壁の向こうにスルタン・カラが見えます。

  • エルク・カラは、丸い城壁に囲まれており、中央にゾロアスター教の神殿があり、平らなところに邸宅があったという。当時メルヴは「マルギアナ」という名で知られています。

    イチオシ

    エルク・カラは、丸い城壁に囲まれており、中央にゾロアスター教の神殿があり、平らなところに邸宅があったという。当時メルヴは「マルギアナ」という名で知られています。

  • グヤウル・カラを見下ろしています。

    グヤウル・カラを見下ろしています。

  • グヤウル・カラの城壁の向こうにスルタン・カラが見えます。

    グヤウル・カラの城壁の向こうにスルタン・カラが見えます。

  • スルタン・カラの城壁や貯蔵庫が見えます。

    スルタン・カラの城壁や貯蔵庫が見えます。

  • ホジャ・ユスフ・ハメダニモスクです。12世紀のセルジューク朝時代の創建で、1998年に大幅改修されたばかりです。

    ホジャ・ユスフ・ハメダニモスクです。12世紀のセルジューク朝時代の創建で、1998年に大幅改修されたばかりです。

  • 奥に信仰を集める聖人の霊廟があります。

    奥に信仰を集める聖人の霊廟があります。

  • イスラム神秘主義の聖人、ホジャ・ユスフ・ハメダニの墓です。

    イスラム神秘主義の聖人、ホジャ・ユスフ・ハメダニの墓です。

  • ここは巡礼の地で、接待料理を作る台所にお邪魔しました。大きな鍋が並んでいました。プロフやスープを作っていました。

    ここは巡礼の地で、接待料理を作る台所にお邪魔しました。大きな鍋が並んでいました。プロフやスープを作っていました。

  • 野菜をむく女性達です。ワンピースにスカーフの伝統的な衣装です。

    野菜をむく女性達です。ワンピースにスカーフの伝統的な衣装です。

  • スルタン・サンジャール廟です。12世紀セルジューク朝時代の最盛期の王の墓です。この廟はモンゴル軍の襲来や地震にも耐え抜きました。

    スルタン・サンジャール廟です。12世紀セルジューク朝時代の最盛期の王の墓です。この廟はモンゴル軍の襲来や地震にも耐え抜きました。

  • 近年の修復(2002年〜2004年)には、トルコ政府の協力がありました。ここはトルコ民族の故郷の地です。

    近年の修復(2002年〜2004年)には、トルコ政府の協力がありました。ここはトルコ民族の故郷の地です。

  • 廟の中は白いアラバスター(雪花石膏)とタイルで装飾されています。この廟は、27m×27mの四角形で、高さ38mあります。砂漠では良く目立ち、キャラバン達の道しるべになっていたそうです。

    廟の中は白いアラバスター(雪花石膏)とタイルで装飾されています。この廟は、27m×27mの四角形で、高さ38mあります。砂漠では良く目立ち、キャラバン達の道しるべになっていたそうです。

  • 天井に空いた窓には、天使との恋愛物語がありました。

    天井に空いた窓には、天使との恋愛物語がありました。

  • 中央にスルタン・サンジャールの墓があります。

    中央にスルタン・サンジャールの墓があります。

  • 今日の昼食のレストランです。

    今日の昼食のレストランです。

  • 今日の昼食のナン、前菜、デザートです。

    今日の昼食のナン、前菜、デザートです。

  • 野菜スープには赤カブや人参が入っています。

    野菜スープには赤カブや人参が入っています。

  • 牛、ラム、チキンのローストです。

    牛、ラム、チキンのローストです。

  • 夜の予定の民族舞踊が昼食時に催されました。男性4人女性4人の舞踊団です。

    夜の予定の民族舞踊が昼食時に催されました。男性4人女性4人の舞踊団です。

  • 女性の踊りです。女性の踊り子達は、若く、顔が小さく、スタイルも抜群です。

    女性の踊りです。女性の踊り子達は、若く、顔が小さく、スタイルも抜群です。

  • 男性の踊りです。

    男性の踊りです。

  • ホテルの前で出会った少年達と犬です。マリィのホテルでは、赤水と汚水漏れが。

    ホテルの前で出会った少年達と犬です。マリィのホテルでは、赤水と汚水漏れが。

  • マリィを早朝出発し、トルクメンアバードで昼食、アムダリア川の浮き橋を徒歩で渡り国境へ向かいます。

    マリィを早朝出発し、トルクメンアバードで昼食、アムダリア川の浮き橋を徒歩で渡り国境へ向かいます。

  • カラクム運河を利用した綿花畑が。

    カラクム運河を利用した綿花畑が。

  • ラクダの放牧も行われていた。

    ラクダの放牧も行われていた。

  • カラクム砂漠を縦断中です。

    カラクム砂漠を縦断中です。

  • 幹線道路沿いには、砂の流入を防ぐための囲いが続いています。

    幹線道路沿いには、砂の流入を防ぐための囲いが続いています。

  • トルクメンアバードの町が見えてきた。

    トルクメンアバードの町が見えてきた。

  • トルクメンアバードの町に入ってきました。

    トルクメンアバードの町に入ってきました。

  • この町の中心街でも、白い大理石の建物が続いています。

    この町の中心街でも、白い大理石の建物が続いています。

  • トルクメンアバードのレストランの入っている、ホテル「Jeyhun Hotel」の建物も白い大理石でした。

    トルクメンアバードのレストランの入っている、ホテル「Jeyhun Hotel」の建物も白い大理石でした。

  • 素敵なホテルのレストランです。

    素敵なホテルのレストランです。

  • 新鮮な野菜が盛られたサラダです。

    新鮮な野菜が盛られたサラダです。

  • カボチャのスープです。

    カボチャのスープです。

  • 白身魚の素揚げです。今回の旅行で出た魚料理は、お醤油をかけてもいまいちでした。

    白身魚の素揚げです。今回の旅行で出た魚料理は、お醤油をかけてもいまいちでした。

  • 食後のデザート、ハミウリとスイカです。

    食後のデザート、ハミウリとスイカです。

  • 壁にはこの街で有名な画家の絵が、展示されていました。農作業の絵です。小麦畑が広がています。

    壁にはこの街で有名な画家の絵が、展示されていました。農作業の絵です。小麦畑が広がています。

  • 羊の放牧です。牧羊犬とティーポットが印象的で、のどかな時間が流れます。

    羊の放牧です。牧羊犬とティーポットが印象的で、のどかな時間が流れます。

  • 陶器の製作です、ロクロを使っています。

    陶器の製作です、ロクロを使っています。

  • 柴刈りの帰りです、おじいさんとロバの表情が?

    柴刈りの帰りです、おじいさんとロバの表情が?

  • 楽器の演奏です、伝統的な民族楽器を弾いています。

    楽器の演奏です、伝統的な民族楽器を弾いています。

  • 綿花摘みです、炎天下の重労働です。

    綿花摘みです、炎天下の重労働です。

  • 機織りです、後ろでは綿を紡いでいます。

    機織りです、後ろでは綿を紡いでいます。

  • ナンを焼いています、各家庭にナンを焼く窯があります。

    ナンを焼いています、各家庭にナンを焼く窯があります。

  • 水汲みです、貴重な水源は井戸端会議の場所でもありました。

    水汲みです、貴重な水源は井戸端会議の場所でもありました。

  • 妊婦が編み物です、子供のための衣類を揃えます。

    妊婦が編み物です、子供のための衣類を揃えます。

  • アムダリヤ川の浮き橋、パントン橋です。重量制限があるため、大型バスの乗客は歩いて橋を渡ります。

    アムダリヤ川の浮き橋、パントン橋です。重量制限があるため、大型バスの乗客は歩いて橋を渡ります。

  • アムダリヤ川の流れです。トルクメンアバード側は、流れが穏やかです。

    アムダリヤ川の流れです。トルクメンアバード側は、流れが穏やかです。

  • 牛も通ります。

    牛も通ります。

  • すぐ隣を鉄道が走っています。

    すぐ隣を鉄道が走っています。

  • ソ連時代に作られた鉄製の浮き橋で、全長800mあり、舟形の台船に乗っているような橋です。

    イチオシ

    ソ連時代に作られた鉄製の浮き橋で、全長800mあり、舟形の台船に乗っているような橋です。

  • アムダリヤ川は、パミール高原に源を発しアラル海に注ぐ、2400kmの大河でした。ソ連時代に作られたカラクーム運河にその水を奪われ、今はアラル海に到達する前に、砂漠の中で消えています。

    アムダリヤ川は、パミール高原に源を発しアラル海に注ぐ、2400kmの大河でした。ソ連時代に作られたカラクーム運河にその水を奪われ、今はアラル海に到達する前に、砂漠の中で消えています。

  • 大きなトラックが通ると、足元がふわふわ揺れます。

    大きなトラックが通ると、足元がふわふわ揺れます。

  • 浮き橋を点検・補修する舟でしょうか、手を振ってくれました。

    浮き橋を点検・補修する舟でしょうか、手を振ってくれました。

  • この辺りは流れが激しい。

    この辺りは流れが激しい。

  • アムダリヤ川の流れです。ウズベキスタンに近い側は、流れが激しくなっていました。

    アムダリヤ川の流れです。ウズベキスタンに近い側は、流れが激しくなっていました。

この旅行記のタグ

16いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

中央アジアの旅

この旅行記へのコメント (1)

開く

閉じる

  • hikotomiさん 2014/08/26 22:02:55
    素晴らしい写真ですね
    先週戻ってきました。私もたくさん写真撮りましたが、どれがどれだか、、、YAMAJIさんの写真で”復習”しました。

    浮橋は、カメラ禁止でした。

YAMAJIさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP