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ルーマニアにあるブラン城の展示品の紹介です。ブラン城は、1513年からブラショフ市が所有権を持っていましたが、ブラショフ市は、ルーマニア国王フェルディナンド1世の王妃マリアに、1918年12月1日の大ルーマニア統一実現に対する彼女の貢献への感謝の印として、ブラン城を寄進しました。ブラン城と装飾品は、彼女の娘イレアナ王女に遺産として残されましたが、1948年の王家の国外追放の後、社会主義政権により国に没収されました。1989年の民主化革命でチャウシェスク失脚後、イレアナ王女の遺族のドミニク・フォン・ハプスブルク氏等に返還されたのは、2006年のことでした。

2011秋、ブルガリア等・東欧旅行記(51/52:補遺5):ルーマニア・ブラン城の展示品(1/2)歴代王、武器類、衣装類

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2011/10/05 - 2011/10/13

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旅人のくまさん

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ルーマニアにあるブラン城の展示品の紹介です。ブラン城は、1513年からブラショフ市が所有権を持っていましたが、ブラショフ市は、ルーマニア国王フェルディナンド1世の王妃マリアに、1918年12月1日の大ルーマニア統一実現に対する彼女の貢献への感謝の印として、ブラン城を寄進しました。ブラン城と装飾品は、彼女の娘イレアナ王女に遺産として残されましたが、1948年の王家の国外追放の後、社会主義政権により国に没収されました。1989年の民主化革命でチャウシェスク失脚後、イレアナ王女の遺族のドミニク・フォン・ハプスブルク氏等に返還されたのは、2006年のことでした。

  • ブラン城に飾ってあった歴代城主の肖像です。Ludovic de Anjou公(1342〜1382年)です。在位は(1370〜1382年)です。

    ブラン城に飾ってあった歴代城主の肖像です。Ludovic de Anjou公(1342〜1382年)です。在位は(1370〜1382年)です。

  • ブラン城の歴代城主らしい一人、Sigismund de Luxemburg公(1387〜1437年)です。在位は(1411〜1437年)です。

    ブラン城の歴代城主らしい一人、Sigismund de Luxemburg公(1387〜1437年)です。在位は(1411〜1437年)です。

  • ブラン城の歴代城主らしい一人、ミルチャ1世(在位1386〜1395年、1397〜1418年)です。治世の終盤では、トルコの支配下に置かれました。ミルチャ老公の呼び名があります。

    ブラン城の歴代城主らしい一人、ミルチャ1世(在位1386〜1395年、1397〜1418年)です。治世の終盤では、トルコの支配下に置かれました。ミルチャ老公の呼び名があります。

  • ブラン城の歴代城主らしい一人、ヴラド?世のヴラド・ツェペシュ公(在位1431〜1476年)の肖像です。ドラキュラ伝説のモデルとなりました。トルコ軍のみならず自国の貴族や民も数多く串刺しにして処刑した残虐性から、『串刺し公』の呼び名もあります。一方、敵国のトルコと勇敢に戦った名君としての評価もあります。

    ブラン城の歴代城主らしい一人、ヴラド?世のヴラド・ツェペシュ公(在位1431〜1476年)の肖像です。ドラキュラ伝説のモデルとなりました。トルコ軍のみならず自国の貴族や民も数多く串刺しにして処刑した残虐性から、『串刺し公』の呼び名もあります。一方、敵国のトルコと勇敢に戦った名君としての評価もあります。

  • ブラン城の歴代城主らしい一人、Gabriel Bethlen公です。トランシルヴァニア領主の在位期間は(1613〜1629年)です。

    ブラン城の歴代城主らしい一人、Gabriel Bethlen公です。トランシルヴァニア領主の在位期間は(1613〜1629年)です。

  • ブラン城の歴代城主らしい一人、ジョージ公です。トランシルヴァニア領主の在位期間は(1648〜1660年)です。

    ブラン城の歴代城主らしい一人、ジョージ公です。トランシルヴァニア領主の在位期間は(1648〜1660年)です。

  • ルーマニア国王フェルディナンド一世の王妃・マリア(右:1875〜1938年)と娘のイレアナ王女(左:1909〜1991年)の写真です。

    ルーマニア国王フェルディナンド一世の王妃・マリア(右:1875〜1938年)と娘のイレアナ王女(左:1909〜1991年)の写真です。

  • ルーマニア国王フェルディナンド一世の妃・マリア王妃の写真のようです。イギリスのビクトリア女王とロシアのアレクサンドル二世の両方の孫に当たる名門の出身です。英語での本名は、マリー・オブ・エディンバラです。

    ルーマニア国王フェルディナンド一世の妃・マリア王妃の写真のようです。イギリスのビクトリア女王とロシアのアレクサンドル二世の両方の孫に当たる名門の出身です。英語での本名は、マリー・オブ・エディンバラです。

  • ルーマニア国王フェルディナンド一世の妃・マリア王妃の写真のようです。『欧州で最も美しい王女』と称されたようです。

    ルーマニア国王フェルディナンド一世の妃・マリア王妃の写真のようです。『欧州で最も美しい王女』と称されたようです。

  • 王妃も王女も美女ですから、写真の日付けが無いと、どちらかを判別するのは大変です。イレアナ王女(1909〜1991年)の方でしょうか。第2次大戦中の1944年、アントン公と結婚していたイレアナ王女は、子供達とルーマニアのブラン城へ移り住み、城外のブラン村で病院を建設し働きました。

    王妃も王女も美女ですから、写真の日付けが無いと、どちらかを判別するのは大変です。イレアナ王女(1909〜1991年)の方でしょうか。第2次大戦中の1944年、アントン公と結婚していたイレアナ王女は、子供達とルーマニアのブラン城へ移り住み、城外のブラン村で病院を建設し働きました。

  • イレアナ王女(1909〜1991年)の写真です。ルーマニア王のフェルディナンド1世とマリア妃の三女として、ブカレストで誕生しました。その性格などから、国民の人気が高かった王女とされます。

    イレアナ王女(1909〜1991年)の写真です。ルーマニア王のフェルディナンド1世とマリア妃の三女として、ブカレストで誕生しました。その性格などから、国民の人気が高かった王女とされます。

  • 同じく、イレアナ王女の写真です。1931年7月、イレアナ妃はトスカーナ大公家の公子アントンと結婚し、二人はウィーン郊外のゾンネブルク城に住み、6子が誕生しました。

    同じく、イレアナ王女の写真です。1931年7月、イレアナ妃はトスカーナ大公家の公子アントンと結婚し、二人はウィーン郊外のゾンネブルク城に住み、6子が誕生しました。

  • ブラン城の写真です。19世紀の終わりから20世紀の初めに修復工事が行われたことなどが記されています。別の資料によれば、修復工事は1887年に始まり、概ね1993年に完了しています。また、博物館として整備され、1956年に一般公開されました。

    ブラン城の写真です。19世紀の終わりから20世紀の初めに修復工事が行われたことなどが記されています。別の資料によれば、修復工事は1887年に始まり、概ね1993年に完了しています。また、博物館として整備され、1956年に一般公開されました。

  • イレアナ王女のウェディングドレスでしょうか、あるいはお洒落着でしょうか、背後に日傘も飾ってあります。2006年、ブラン城はイレアナの実子であり遺産相続人、ニューヨーク州の建築家ドミニク・フォン・ハプスブルク氏と、その姉妹に返還されました。

    イレアナ王女のウェディングドレスでしょうか、あるいはお洒落着でしょうか、背後に日傘も飾ってあります。2006年、ブラン城はイレアナの実子であり遺産相続人、ニューヨーク州の建築家ドミニク・フォン・ハプスブルク氏と、その姉妹に返還されました。

  • イレアナ王女のお洒落着のようです。アメリカでの社会福祉活動に貢献したイレアナは、1981年に活動から引退しました。故国ルーマニアを再び訪れたのは、死の1年前、娘と一緒の1990年のことでした。

    イレアナ王女のお洒落着のようです。アメリカでの社会福祉活動に貢献したイレアナは、1981年に活動から引退しました。故国ルーマニアを再び訪れたのは、死の1年前、娘と一緒の1990年のことでした。

  • アントン氏の礼服でしょうか。第2次大戦中、アントン氏もブラン城で合流したようです。第二次世界大戦中、アントン氏はドイツ空軍に所属していました。二人は1954年に離婚し、イレアナの晩年は、アメリカで修道女アレクサンドラと名乗り、修道院の建設に奔走しました。

    アントン氏の礼服でしょうか。第2次大戦中、アントン氏もブラン城で合流したようです。第二次世界大戦中、アントン氏はドイツ空軍に所属していました。二人は1954年に離婚し、イレアナの晩年は、アメリカで修道女アレクサンドラと名乗り、修道院の建設に奔走しました。

  • 什器類の紹介です。ルーマニアからブラン城の返還を受けたイレアナ王女の実子で遺産相続人の、ドミニク・フォン・ハプスブルク氏とその姉妹達は、博物館としての用途を3年間は変更できない義務を負うと同時に、ブラン城の改築と維持の費用はルーマニア国が負うことが決められました。

    什器類の紹介です。ルーマニアからブラン城の返還を受けたイレアナ王女の実子で遺産相続人の、ドミニク・フォン・ハプスブルク氏とその姉妹達は、博物館としての用途を3年間は変更できない義務を負うと同時に、ブラン城の改築と維持の費用はルーマニア国が負うことが決められました。

  • 判別できないくらい暗い写真でしたが、パソコン処理で判別できるようになりました。藍色の取手付きの容器です。左手に見えるのは、ライオンでしょうか。

    判別できないくらい暗い写真でしたが、パソコン処理で判別できるようになりました。藍色の取手付きの容器です。左手に見えるのは、ライオンでしょうか。

  • この写真も、パソコン処理で明るくし、何とか判別できました。藍釉の壷です。鶏の口の部分から注ぐようです。

    この写真も、パソコン処理で明るくし、何とか判別できました。藍釉の壷です。鶏の口の部分から注ぐようです。

  • 男の子の頭部のブロンズ像です。この写真も、しっかりパソコン処理しました。目線の高い顔付きです。作者、作品名、年代などが分からないのが残念です。

    男の子の頭部のブロンズ像です。この写真も、しっかりパソコン処理しました。目線の高い顔付きです。作者、作品名、年代などが分からないのが残念です。

  • 同じように、離れた場所から、暗い中での撮影が続きました。高位の聖職者の像のようです。左手に書物を持ち、十字架を下げています。木彫のように見えます。

    同じように、離れた場所から、暗い中での撮影が続きました。高位の聖職者の像のようです。左手に書物を持ち、十字架を下げています。木彫のように見えます。

  • この石像は、屋側にありました。ルーマニア正教に因む像のようです。左手に書物を持ち、右手を胸に当てたポーズの像です。

    この石像は、屋側にありました。ルーマニア正教に因む像のようです。左手に書物を持ち、右手を胸に当てたポーズの像です。

  • 鷲のマークの旗です。王冠を被り、口に十字架を咥え、両足に武器を持つ、勇ましくも、何やら忙しい姿です。左足は、モルダビアを象徴する銀(白)のシュテファン大公の剣、右足は、ワラキアを象徴する銀(白)のミハイ勇敢公の錫杖とされます。

    鷲のマークの旗です。王冠を被り、口に十字架を咥え、両足に武器を持つ、勇ましくも、何やら忙しい姿です。左足は、モルダビアを象徴する銀(白)のシュテファン大公の剣、右足は、ワラキアを象徴する銀(白)のミハイ勇敢公の錫杖とされます。

  • 同じく、鷲のマークの旗です。1989年12月のルーマニア革命により成立した現在のルーマニアの国章は、このマークとほぼ同じものが1992年9月24日に制定されました。青い盾に金(黄)の鷲が描かれ、その鷲が五分割された青と赤の盾を抱いている構図です。基本色の3色の内、黄と青はワラキア、赤と青はモルダビアに由来するとされます。

    同じく、鷲のマークの旗です。1989年12月のルーマニア革命により成立した現在のルーマニアの国章は、このマークとほぼ同じものが1992年9月24日に制定されました。青い盾に金(黄)の鷲が描かれ、その鷲が五分割された青と赤の盾を抱いている構図です。基本色の3色の内、黄と青はワラキア、赤と青はモルダビアに由来するとされます。

  • クロスして、獅子らしい像と鳥が描かれた紋章です。獅子は王冠を手にし、鳥はリングを咥えています。この要素は、1860年代のルーマニア公国時代の紋章から見られます。

    クロスして、獅子らしい像と鳥が描かれた紋章です。獅子は王冠を手にし、鳥はリングを咥えています。この要素は、1860年代のルーマニア公国時代の紋章から見られます。

  • 対角線上に獅子と鷲が描かれ、それにクロスする対角線上には縞模様などの文様が描かれています。いつの時代の紋章かは分かりません。

    対角線上に獅子と鷲が描かれ、それにクロスする対角線上には縞模様などの文様が描かれています。いつの時代の紋章かは分かりません。

  • 王冠の下に、白い樹木か根が描かれた文様です。歴代城主の内のだれかが用いたものでしょうか。勝手な想像では、農業と大地を大切にした城主のようです。

    王冠の下に、白い樹木か根が描かれた文様です。歴代城主の内のだれかが用いたものでしょうか。勝手な想像では、農業と大地を大切にした城主のようです。

  • 中央に三つ又の武器らしいものが描かれ、その脇に2つの金の星が描かれた紋章です。中央部分の白い文様は、武器以外の物を象徴しているかも知れません。

    中央に三つ又の武器らしいものが描かれ、その脇に2つの金の星が描かれた紋章です。中央部分の白い文様は、武器以外の物を象徴しているかも知れません。

  • 5分割された部分に、いろいろなものが描かれた紋章です。それぞれの地域と、その地域を象徴するものが記されているようです。鷲や城、麦や花らしいものです。

    5分割された部分に、いろいろなものが描かれた紋章です。それぞれの地域と、その地域を象徴するものが記されているようです。鷲や城、麦や花らしいものです。

  • 獅子だけが描かれた文様です。獅子は、歴史的地域のバナトを象徴しているようです。バナトは、現在は東部をルーマニア、西部をセルビア、わずかに北部をハンガリーが領有している地域でした。

    獅子だけが描かれた文様です。獅子は、歴史的地域のバナトを象徴しているようです。バナトは、現在は東部をルーマニア、西部をセルビア、わずかに北部をハンガリーが領有している地域でした。

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