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世界文化遺産に指定されている伽耶山海印寺(カヤサン・ヘインサ)紹介の続きです。一寸したハイキングでした。

2011春、韓国旅行記23(17/32):海印寺、山門、椋の枯古木、四天王図、真影殿

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2011/04/12 - 2011/04/16

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旅行記グループ 2011春、韓国旅行記23(上巻)

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旅人のくまさん

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世界文化遺産に指定されている伽耶山海印寺(カヤサン・ヘインサ)紹介の続きです。一寸したハイキングでした。

  • 世界遺産の標識は、伽耶山海印寺の山門の正面にありました。境内に続く参道の両脇に飾られていた雪洞と幟です。

    世界遺産の標識は、伽耶山海印寺の山門の正面にありました。境内に続く参道の両脇に飾られていた雪洞と幟です。

  • 伽耶山海印寺の大きな額が懸かった山門のアップです。ここからが海印寺の境内になるようです。伽耶山は、標高千メートル級の山が屏風のように連なり、最高峰は1433mメートルの七仏峰です。海印寺の山号にされています。

    伽耶山海印寺の大きな額が懸かった山門のアップです。ここからが海印寺の境内になるようです。伽耶山は、標高千メートル級の山が屏風のように連なり、最高峰は1433mメートルの七仏峰です。海印寺の山号にされています。

  • 『元標』の文字が刻まれた古い石碑です。その下には、『晋州郡22里19町』と『居昌郡⑫里13町』の文字がありました。基準点からの距離を示す標識のようです。推測ですが、基準点は当時の役所所在地でしょうか。

    『元標』の文字が刻まれた古い石碑です。その下には、『晋州郡22里19町』と『居昌郡⑫里13町』の文字がありました。基準点からの距離を示す標識のようです。推測ですが、基準点は当時の役所所在地でしょうか。

  • 枯れてしまった椋の古木です。現地ガイドさんがこの樹に纏わる伝説を語ってくれました。王様かその妃が、目の病気の平癒願掛けが叶ったところ、この樹が身代わりで枯れてしまったというものです。説明プレートには『枯死木』と言うそっけないタイトルがありました。新羅40代の哀荘王(788-809年)の時代の逸話のようです。

    枯れてしまった椋の古木です。現地ガイドさんがこの樹に纏わる伝説を語ってくれました。王様かその妃が、目の病気の平癒願掛けが叶ったところ、この樹が身代わりで枯れてしまったというものです。説明プレートには『枯死木』と言うそっけないタイトルがありました。新羅40代の哀荘王(788-809年)の時代の逸話のようです。

  • 枯れてしまった椋の樹と同じ世代の古木のようです。こちらも幹が折れてしまっていますが、まだ枯れてはいません。新芽の準備をしているようです。高い樹は、落雷を受けることもあるかも知れません。

    枯れてしまった椋の樹と同じ世代の古木のようです。こちらも幹が折れてしまっていますが、まだ枯れてはいません。新芽の準備をしているようです。高い樹は、落雷を受けることもあるかも知れません。

  • 境内に沿って連なっていたお釈迦様の誕生祝いの雪洞です。蓮の花がデザインされていました。この時期、韓国各地のお寺で見られる光景です。

    境内に沿って連なっていたお釈迦様の誕生祝いの雪洞です。蓮の花がデザインされていました。この時期、韓国各地のお寺で見られる光景です。

  • 『海印叢林』の額が懸かった門です。『叢林』は、八万大蔵経を示すものでしょう。八万大蔵経は、元からの侵攻の危機にあった高麗国が、国家繁栄を願い1236年に版木製作に着手、15年の歳月をかけて1251年に完成させたものです。

    『海印叢林』の額が懸かった門です。『叢林』は、八万大蔵経を示すものでしょう。八万大蔵経は、元からの侵攻の危機にあった高麗国が、国家繁栄を願い1236年に版木製作に着手、15年の歳月をかけて1251年に完成させたものです。

  • 山門にあった四天王図です。彫刻像ではなく、カラフルな絵画でした。1398年に創建された海印寺は、七回も大火災があったとされますが、蔵経板殿だけは被害を免れました。この山門も火災被害を受けた建物でしょう。彫刻ではなく、絵画になったのも、火災の影響かもしれません。手に琵琶らしい楽器を持った像です。東を守る持国天です。

    山門にあった四天王図です。彫刻像ではなく、カラフルな絵画でした。1398年に創建された海印寺は、七回も大火災があったとされますが、蔵経板殿だけは被害を免れました。この山門も火災被害を受けた建物でしょう。彫刻ではなく、絵画になったのも、火災の影響かもしれません。手に琵琶らしい楽器を持った像です。東を守る持国天です。

  • 四天王図を纏めて紹介します。四天王は、仏教における四人の守護神です。東を守る持国天、西を守る広目天、南を守る増長天と北を守る多聞天とされます。この像は、南を守る増長天でしょうか。

    四天王図を纏めて紹介します。四天王は、仏教における四人の守護神です。東を守る持国天、西を守る広目天、南を守る増長天と北を守る多聞天とされます。この像は、南を守る増長天でしょうか。

  • 余り自信はありませんが、この像は西方を守る広目天でしょうか。広目天の眷属は、龍神と毘舎闍です。

    余り自信はありませんが、この像は西方を守る広目天でしょうか。広目天の眷属は、龍神と毘舎闍です。

  • 最後は、消去法です。北を守る多聞天でしょうか。毘沙門天の呼び名もあります。これは、原語のサンスクリット語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天となるためです。夜叉、羅刹を眷属とします。

    最後は、消去法です。北を守る多聞天でしょうか。毘沙門天の呼び名もあります。これは、原語のサンスクリット語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天となるためです。夜叉、羅刹を眷属とします。

  • 高い塀の形をしていますが、幅が2メートル程度です。以前にあった石塀の一部が移築されて、残されたものでしょうか。少し離れた場所には、低い石塀が見えています。

    高い塀の形をしていますが、幅が2メートル程度です。以前にあった石塀の一部が移築されて、残されたものでしょうか。少し離れた場所には、低い石塀が見えています。

  • 通路脇にあった展示品です。八万大蔵経板殿の実物大と思える写真パネルでした。現地では写真撮影が出来ないことが分かっていましたので、このパネルを撮影しておきました。

    通路脇にあった展示品です。八万大蔵経板殿の実物大と思える写真パネルでした。現地では写真撮影が出来ないことが分かっていましたので、このパネルを撮影しておきました。

  • 石垣の上で咲いていた白い花です。その背後には伽藍の一つがありました。白い花は、写真を拡大して確認しましたら、白木蓮のようでした。

    石垣の上で咲いていた白い花です。その背後には伽藍の一つがありました。白い花は、写真を拡大して確認しましたら、白木蓮のようでした。

  • この辺りから境内中央の順路を進みますと、階段道となるようです。外周道路を通れば、階段登りは要りません。現地ガイドさんの案内で外周道路を選びました。

    この辺りから境内中央の順路を進みますと、階段道となるようです。外周道路を通れば、階段登りは要りません。現地ガイドさんの案内で外周道路を選びました。

  • 白い漆喰が鮮やかな建物です。その下にハングルを記した赤い矢印がありました。上の行に八万大蔵経(パルマンテジャンギョン)と記されていますから、順路を示したものでした。

    白い漆喰が鮮やかな建物です。その下にハングルを記した赤い矢印がありました。上の行に八万大蔵経(パルマンテジャンギョン)と記されていますから、順路を示したものでした。

  • 外周道路から眺めた建物の側面光景です。緑色主体に装飾された建物の壁から、花祭の飾りのためのロープが伸びていました。

    外周道路から眺めた建物の側面光景です。緑色主体に装飾された建物の壁から、花祭の飾りのためのロープが伸びていました。

  • 同じく、外周道路から眺めた建物の側面光景です。遮る物がなく、遠くにある建物の見晴らしが利きました。花飾りも見えています。

    同じく、外周道路から眺めた建物の側面光景です。遮る物がなく、遠くにある建物の見晴らしが利きました。花飾りも見えています。

  • こちらは、外周道路に面した建物の側面光景です。色彩を抑えた建物ですから、修行僧等の方が使用している僧房の一部かも知れません。建物自体は、ある程度年数が建っているようです。

    こちらは、外周道路に面した建物の側面光景です。色彩を抑えた建物ですから、修行僧等の方が使用している僧房の一部かも知れません。建物自体は、ある程度年数が建っているようです。

  • 通路脇にあった庫裏風の建物です。平屋かと思いましたが、1階部分が道路の下に見えていました。2階からも出入りできる構造でした。

    通路脇にあった庫裏風の建物です。平屋かと思いましたが、1階部分が道路の下に見えていました。2階からも出入りできる構造でした。

  • 山の斜面に沿って建てられた堂宇ですから、建物の南側には石垣がありました。海印寺は、標高1340メートルの山中にあります。

    山の斜面に沿って建てられた堂宇ですから、建物の南側には石垣がありました。海印寺は、標高1340メートルの山中にあります。

  • 左手が築地塀のような建物、右が堂宇の壁面です。何とか人が通ることが出来る隅間がありましたが、勿論、ここを通る積りはありません。

    左手が築地塀のような建物、右が堂宇の壁面です。何とか人が通ることが出来る隅間がありましたが、勿論、ここを通る積りはありません。

  • 斜め前から眺めた真影殿の建物光景です。宗派の始祖か、海印寺の開基の人物図当たりが飾られているのでしょうか、中には入っていません。

    斜め前から眺めた真影殿の建物光景です。宗派の始祖か、海印寺の開基の人物図当たりが飾られているのでしょうか、中には入っていません。

  • 正面から眺めた真影殿の建物光景です。真影は、写真のことも指すようですが、定かではありません。戦前の日本では、天皇と皇后の写真を、ご真影と呼んだようです。

    正面から眺めた真影殿の建物光景です。真影は、写真のことも指すようですが、定かではありません。戦前の日本では、天皇と皇后の写真を、ご真影と呼んだようです。

  • 真影殿の右端方面の光景です。近道を探しに行った現地ガイドさんを、この辺りで待つことにしました。右後ろには海印寺の裏山が見えました。

    真影殿の右端方面の光景です。近道を探しに行った現地ガイドさんを、この辺りで待つことにしました。右後ろには海印寺の裏山が見えました。

  • 真影殿の右端方面の光景です。近道を探しに行った現地ガイドさんを、この辺りで待つことにしました。右後ろには海印寺の裏山が見えました。

    真影殿の右端方面の光景です。近道を探しに行った現地ガイドさんを、この辺りで待つことにしました。右後ろには海印寺の裏山が見えました。

  • 今度は、白い花の方だけのアップです。自由奔放に枝を伸ばしていましたが、枝垂れ桜のようでした。まだ幼木です。

    今度は、白い花の方だけのアップです。自由奔放に枝を伸ばしていましたが、枝垂れ桜のようでした。まだ幼木です。

  • 潜り戸が付いた出入口です。現地ガイドさんが最初に潜って、近道を探しましたが、見付かりませんでした。潜り戸から、元の外周道路に戻りました。

    潜り戸が付いた出入口です。現地ガイドさんが最初に潜って、近道を探しましたが、見付かりませんでした。潜り戸から、元の外周道路に戻りました。

  • 元の外周道路に戻っての光景です。修復工事が行われたばかりのような塀がありました。塀の中に見えるのは、真影殿の側面光景でしょうか。

    元の外周道路に戻っての光景です。修復工事が行われたばかりのような塀がありました。塀の中に見えるのは、真影殿の側面光景でしょうか。

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