2012/06/30 - 2012/06/30
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prinprinさん
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トルコ旅行 旅行記
1.到着編
2.アヤソフィア
3.ブルーモスク、ヒッポドローム
4.ダーダネルス海峡、トロイ遺跡~⑦第1次世界大戦、シュリーマン
5.ペルガモン遺跡
6.エフェス遺跡
7.パムッカレ
8.コンヤ、キャラバンサライ~③アナトリアのセルジュク朝と十字軍
9.カッパドキア~①トルコ民族とイスラム化
10.サフランボル~②イスラム教の始まりとシーア派
11.ボスポラス大橋、グランドバザール、エジプシャンバザール
12.ガラタ橋、トプカプ宮殿~⑤オスマン帝国
13.地下宮殿、ベリーダンスショー~⑥山田寅次郎
14.ボスポラス海峡クルーズ、帰国~④ビザンツ帝国
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
水道橋によって森からひかれた湧水は、一旦地下宮殿(地下の貯水施設)に貯められました。
様々な国の侵略を受けたイスタンブールでは、敵軍に水路を破壊などされた時の備えとして、こういった設備が必要でした。
イスタンブールには数多くの地下の貯水池(イエレバタン・サルンチ)が残されており、その中でもここは最も壮大で、地下宮殿(イエレバタン・サライ)と呼ばれています。
暗くて私にはうまく撮れなかったのですが、手すり(写真左側)にカメラを乗せて安定させた時は、撮れていました。 -
141m×73m×高さ8m、容量約8万立方mの大貯水槽で、当時の全市民40万人をおよそ100日間潤わせることができたと言われています。
柱は28×12=336本−90本
4世紀にここへ遷都したコンスタンティヌス1世の時代に着工。
6世紀ユスティアヌス1世の時拡張されました。 -
涙の柱
-
1985年修復の時、底にたまった泥をさらって、入口から最も奥の方に2つのメドゥーサが見つかりました。
ローマ帝国のギリシャ人(キリスト教徒)にとっては、多神教のギリシャ神話は異教時代の祖先と考えたから、こんな使い方をしたのかな・・・・? -
ツアーバスに乗るために、歩いてアヤソフィアの前に戻ります。
ホテルへ戻って、1時間ほど休憩をします。 -
ヴァレンス水道橋
アタチュルク通りをまたぐように架かる巨大な水道橋。
ここへ遷都したコンスタンティヌス1世の時が着工、ヴァレンス帝の378年完成。
1000mあったうち800mが残っています。
地下宮殿の水も、黒海に近いベルグラードの森の水源から、この水道橋を通って供給されていました。 -
ホテルの近く、トプカプ(大砲の門)
ここはビザンティン時代の聖ロマノス門でしたが、メフメット2世がこの地を攻略した時、ハンガリー人ウルバンの大砲でこの門の辺りに集中攻撃をしたので、トプカプ(大砲の門)と改名されました。
トプカプ宮殿は、儀礼用の大砲を門に置いていたので、トプカプ(大砲の門)と名付けられました。 -
アクギュン・ホテルの前の道(ワタン通り)は、中央分離帯も植込みがきれいです。
真っ直ぐ行くと、ベヤズット、スルタナメット(ブルーモスク)、アクサライ、イエニカプ、タクシム
左折すると、エディルネカプ、エユップ、オトガル
テオドシウス城壁の北端に近いエディルネカプ(エディルネ門)は、征服者メフメット2世が白馬にまたがり、首都エディルネからやって来て入城した門で、当時の名前はハリシオス門。 -
ベリーダンシュショーです。
まず食事をしてから。
意外にも料理が美味しかった。 -
(エルトゥールル号)
1887年小松宮両殿下がイスタンブールを訪問し、第34代皇帝アブデュルハミト2世に謁見。
その厚遇に対し明治天皇より勲章を奉呈すると、スルタンも勲章を奉呈する為、軍艦エルトゥールル号を派遣しました。
しかし、1890年9月帰国の途和歌山県沖で台風にあって沈没し、約500名の犠牲者を出します。
日本海軍は、軍艦「比叡」「金剛」で、1891年1月生存者69名を送り届けました。
この時オスマン朝は、士官学校で日本語教育をする為、日本人士官をイスタンブルに留め置くことを希望しましたが、
自社が集めた義損金4247円献呈のため同乗していた「時事新報」記者 野田正太郎が残留することになりました。 -
翌1892年(明治25年)山田寅次郎25歳は、外務大臣の奨めでフランスへ軍艦買い付けに行く海軍士官たちの外航に便乗し、単身コンスタンチノープルに到着して、自ら集めた義損金約92円を鎧兜や太刀と共に献呈します。
寅次郎は日本とトルコの貿易商を営む傍ら、オスマン朝の要請に応じて野田と共に士官学校で日本語を教え、
後継者を得た野田は8か月後帰国しました。
1893年オスマン帝国は、献身的に尽くしてくれた和歌山県大島村に謝礼金3000円を贈与。 -
(日露戦争開戦)
1904年(明治37年)2月、日本はロシアに宣戦布告し、奇襲して日露戦争が始まります。
当時日本陸軍は、中国、ロシアの動向を探るための大諜報網を構築していました。
ロシアは、太平洋艦隊(旅順、ウラジオストック)の他に、バルチック艦隊(バルト海)と黒海艦隊を持っていましたが、
日本海軍としてはやって来るのはバルチック艦隊だけか?黒海艦隊も来るのか?というのが重大な関心事でした。
そこで、駐オーストリア特命全権公使 牧野は寅次郎に黒海艦隊の動向を秘密裏に監視する密命を与えます。 -
(黒海艦隊)
寅次郎はトルコ人を雇い、ガラタ塔やボスポラス海峡の入口にある1軒家を借りて、終日交代で黒海艦隊の動静を監視させました。
当時、ボスポラス海峡は、1840年締結のロンドン条約によって外国船の通航を全面禁止していましたが、開戦5ケ月後の7月、貨物船に偽装したロシアの軍艦3艘を発見します。
寅次郎はすぐさまウィーンの牧野に報告し、本省へ打電されました。 -
(日本海海戦)
浅いスエズ運河は新型戦艦が通れないため、バルチック艦隊はアフリカ南端の喜望峰を回らなくてはなりませんでした。
日本海軍は、黒海からは3隻がバルチック艦隊に合流したのみで黒海艦隊の出撃はないとわかり、ロシア艦隊は1つである前提で作戦をたて、
翌、明治38年5月、日本海海戦においてバルチック艦隊を撃滅しました。
日露戦争後、外相 小村寿太郎は寅次郎の功績に対し、感謝状と記念品を贈っています。 -
当時、日本とトルコは正式国交はまだ無く、寅次郎は日本とトルコの貿易商を営む傍ら、
日本から来訪する皇族、高官の人達に対して、オスマン帝国皇帝や政府要人との交渉の補佐、通訳、要人たちの視察の案内をするなど、実質の民間大使の役割をします。
日露戦争から9年後の大正3年(1914年)に、第1次世界大戦が始まると、トルコはドイツ側につき、日本はフランスとロシア側についたため、日本とトルコは準交戦国になってしまい、山田は帰国しました。 -
第1次大戦後、オスマン帝国が滅んで1923年トルコ共和国が成立し、
その翌年、日本とトルコは正式に国交を結び、翌1925年大使館が開設されました。
寅次郎は日土貿易協会を設立して、再び日土の民間交流に尽力し、
昭和6年(1931年)16年ぶりにトルコを訪れ、アタチュルク大統領から共和国記念祭に招待されました。
そして寅次郎は昭和32年(1957年)まで生き、91歳の天寿を全うしました。
明日はボスポラス海峡クルーズの後、とうとう帰国です。
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12.ガラタ橋、トプカプ宮殿 (オスマン帝国)
2012/06/30~
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13.地下宮殿、ベリーダンスショー(山田寅次郎)
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この旅行記へのコメント (2)
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- ももであさん 2013/09/09 20:03:33
- Tebrikler Tokyo → Teşekkür Ederim Turkey !!
- prinprinさん
なになに、山田寅次郎がベリーダンスを踊るのかと
思いきや、深い歴史の数々 勉強になりました。
そんなこんなで、トルコはライバル東京のオリンピック
開催決定を祝福してくれたのですねぇ♪
ライバルの栄誉を称える、素晴らしき国家
そして侮りが足しプアウーマン
ももであ
- prinprinさん からの返信 2013/09/10 11:30:00
- RE: Tebrikler Tokyo → Teşekkür Ederim Turkey !!
- こんにちわ
ももであさんも、トルコに行かれたんですね。
イスタンブールは、おもしろい街ですねぇ。
私はパックツアーだったので、こんどは個人旅行でぶらぶらしたいです。
紛らわしいタイトルでごめんなさい。
山田寅次郎もベリーダンスを見て鼻の下を伸ばしてたかも‥‥。
prinprin
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