2012/06/26 - 2012/06/26
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prinprinさん
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トロイ、ペルガモンに続いて、3つ目の遺跡、エフェス。
ヨーロッパ側のイスタンブールはイスラム寺院がたくさんあるのに、アジア側にはヨーロッパ文化の遺跡がごろごろ、私は頭が混乱しそうでした。
エーゲ海最大の遺跡で、ローマ時代の都市遺跡として群を抜いて保存状態が良いです。
BC11世紀頃、ギリシャ人がエーゲ海に面したアナトリア半島南西部に移住し始め、エーゲ海に開けた天然の良港だったエフェス近郊にBC700年頃都市国家を造り、千年以上にわたり地中海交易の中心として繁栄しました。
エフェスはその優れた地勢から、キンメリア人(BC7世紀)、リディア(BC7世紀)、ペルシャ(BC6世紀)、アテネ(BC5世紀)、スパルタ(BC5世紀)、再びペルシャ(BC4世紀)、 マケドニア王国アレクサンダー大王(BC334年)、ペルガモン王国リシマコス(BC283年)と、他民族の侵略が繰り返されましたが、
BC133年ペルガモン王国がローマに遺譲されたことで、エフェスも共和制ローマの支配下に入り、この街の黄金期を迎え、10万人が暮らしていたと言われます。
BC6年小アジアの西半分を占めるアシア属州の首府となり、ローマ帝国・東ローマ帝国有数の都市として繁栄を謳歌しました。
聖母マリアはイエスの死後、12使徒の一人ヨハネと共にエフェスに移り住み、余生を送ったと言われます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
ベルガマから3時間(約215km)、エフェソス遺跡
南側の入口から入ったので、下りながら見て行くことができました。 -
南側の入口を入った所。
トロイやペルガモンと違って、広々しています。
左端に、オデオン(音楽堂)の観客席の斜面が見えています。
その下の列柱が、バシリカです。(見えない?) -
エフェスは、昨日行ったヘレニズム国家(BC3世紀)のペルガモンより古く、ギリシャ時代に始まりましたが、
ペルシャとの戦いによってギリシャ時代の美術品は少なく、ローマ時代に盛んに複製されました。
2世紀に造られた、典型的な床下暖房のローマ風呂
「ヴァリウスの浴場」 -
水の重要性を知っていた古代ローマ人は、水を管理する技術を発展させ、水を最大限に利用しました。
←水道管まで残っています。
しかし皮肉にも、その水が衰退の一因となりました。(あとで書きます)
「地球の歩き方 '12〜'13」P238の地図は、間違っています。
「ヴァリウスの浴場」と「オデオン」の間は、道でつながっています。 -
「上のアゴラ」(国営アゴラ)
エフェス遺跡は、コレッソスとピオンの丘に挟まれた盆地にあります。
下のアゴラ(広場)は商業地区だけど、
上のアゴラは、ここの向いにあるオデオンで会議をした議員たちが、カフェで休憩した所だそうです。 -
「バシリカ」(教会堂)と、オデオン(音楽堂、写真の右奥)
バシリカはアゴラの北広間でしたが、
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(在位:BC27〜BC14年)の時代に、教会堂に改築されました。 -
バシリカを挟んで、上のアゴラの向いは、「オデオン」
(オーディオの語源)
収容人数1400人の音楽堂で、コンサートや、300人の代表者会議の議事堂としても使われていました。 -
階段の装飾は、ライオンの足かな?
-
「プリタネイオン」(市公会堂)
BC3世紀に完成し、その後大規模に拡張されました。
エフェスの象徴・女神ヘスタの聖火が、数世紀にわたり日夜灯り続けました。
聖火を守るのはプリタンと呼ばれる名家の高官で、名誉職でした。 -
プリタネイオンから、豊穣のシンボル・アルテミス像が出土されたようです。
アナトリアの地母神キベレは、ギリシャの処女神アルテミスと重なって、多数の乳房を持つ豊穣の女神アルテミスへ変化しまた。
エフェスはアルテミス信仰の中心地になり、BC8世紀頃からアルテミス神殿が繰り返し造られ、アルテミス像がいくつも発掘されています。
東ローマ帝国時代に多神教が禁止され、アルテミス神殿の石材はイスタンブールのアヤソフィアやモスクの建築資材として使われ、現在は柱が1本復元されているだけです。
これだけ遺跡が残っているのですから、エフェス考古学博物館にある出土品も見てみたかったです。 -
「アスクレピオスの杖」
蛇は再生・生命力の象徴、アスクレピオスは死者を生き返らせたいうギリシャ神話の医神。
蛇が巻きついた杖は、現在でも医療のシンボルとして、救急車・薬局・医大・医師会など世界的に用いられています。 -
左は、「ポリオの泉」
AD97年完成、セクティリウス・ポリオが造った泉。
右は、同時代完成の「ドミティアヌス神殿」
ローマ皇帝ドミティアヌスが、自分を奉る神殿を建立したもの。
神殿の足元にも彫刻が施された大理石がごろごろしています。 -
4世紀頃大理石で作られた、勝利の女神ニケのレリーフ
「ニケ」は、コンスタンティノープル(イスタンブール)のヒッポドロームで起きた「ニカの乱」のニカ(勝て!)と同じ語源です。 -
-
クレテス通り(クレティア通り)
石畳のメインストリートで、ケルスス図書館まで下り坂が続いています。
朝行ったペルガモン遺跡は山の上なのに風が無くて汗タラタラでしたが、エフェス遺跡はそよ風が吹いて、熱いとはいえ助かりました。 -
「ヘラクレス門」
2世紀に造られた、ライオンの毛皮をまとったヘラクレスが彫り込まれた柱。
4世紀の大震災の後、クレテス(聖職者)通りの入り口を護る門の一部にしました。
半神半人の英雄ヘラクレスは、当時大変人気があり、
さきほどあった「ニケのレリーフ」は、この門のアーチとして飾られていました。
フォトポイントで、写真屋さんに止められて撮られるので邪魔くさいのですが、私も買ってしまった。 -
クレテス通りの中央右側(北側)、「トライアヌスの泉」
2世紀初期に造られた、皇帝トライアヌスに捧げられた泉で、
縮小されて再現されています。 -
トライアヌスの泉の想像図
本来は高さ12mあり、ディオニソス像が発掘されたようです。 -
クレテス通り
むこうに覆いがかかっていたのが、「丘の上の住宅」(上流階級の居住区)だと思います。 -
クレテス通りの左側は側道があり、
大理石のクレテス通りより一段高くされ、煉瓦で建設され区切られた店が並んでいます。
側道(店の前の道)は、スロープではなく数メートルごとに段差を造り、モザイクを敷き詰めています。 -
「スコラスティカの浴場」だったと思います。
1世紀に建設された公衆浴場で、4世紀の大地震で破壊され、スコラスティカという女性が再建に尽力した、3階建てのビザンツ浴場。 -
「ハドリアヌス神殿」
138年頃、裕福な市民クインティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上した神殿。
神殿の特徴である三角屋根の両端がわずかに残っていて、アーチの上に三角屋根があったようです。
手前のアーチには、市の女神ティケ -
奥のアーチには、「自分の髪はアテナの髪よりも美しい」と自慢したために、アテナ(ギリシャ神話最高の神ゼウスの娘)に醜く変えられ、美しい髪も蛇に変えられてしまったという、メドゥーサが彫られています。
-
メデューサの左右の帯状の小壁には、エフェソスの街が誕生した時の物語や、神々の話が描かれています。
右端は、象みたいです。 -
壁際が、公衆トイレ。
建物の中のようですが、ペロッとお尻を出して井戸端会議をしたのでしょうか? -
奴隷が座って温めてから、座ったそうです。
足元にも水が流れる溝があり、手が洗えるようになっています。 -
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エジプト・アレキサンドリアの図書館、ベルガモの図書館と並ぶかつての世界三大図書館の一つ、
1万冊以上の蔵書があったと言われる「セルスス(セルシウス)図書館」
エフェソスの統治者(ローマ帝国のアジア州執政官)だったケルスス(セルシウス・ポレマエヌス)の墓廟でしたが、彼の息子ティベリウスが墓の上に壮麗な図書館を建立しました。
117年完成しましたが、263年ゴート人(ゲルマン系)の襲撃により焼失しています。 -
知識、学識、聡明、高潔を象徴する4体の女神像はレプリカで、本物はウィーンにあります。
100年以上前からオーストリアの考古学チームがエフェソスの発掘を行っているため、多くの出土品が、ウィーンの王宮の2階にあるエフェソス博物館に展示されています。 -
図書館の向かいが「娼館」(売春宿)で、
男たちは奥さんに「図書館に行ってくる」と言って家を出て、図書館と娼館をつなぐ地下道があって、こっそり娼館に行き、さらに上にある浴場(スコラスティカの浴場?)で風呂を浴びてから、図書館へ戻ったそうです。 (`ε´)ぶーぶー -
「大理石通り」が工事中だったので、娼館の広告が見られなかった。
「マゼウスとミトリダテスの門」
アウグストゥスの奴隷でだった二人が、解放してくれた皇帝を讃えて建てた門(図書館の右の2つのアーチ)をくぐり、
大理石通りと並行した道を通って大劇場へ向かいました。 -
下のアゴラの南側(セルルス図書館側)
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下のアゴラ
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下のアゴラの北側
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右側の山(セルスス図書館と大劇場の間)は、現在も発掘中のようです。
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「大劇場」 BC3世紀完成、ヘレニズム〜ローマ期でも最大級、収容人員2万5千人の劇場。
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中段あたりにズームして見ても、すごい大きさ。
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アルカンディア通り(港通り)
港から大劇場へ続く、幅11m、長さ500mの通りで、BC1世紀に造られ、東ローマ帝国初代皇帝アルカディウス(在位:395〜408年)が改修しました。
両側にはアーケード付の商店が並び、夜は街灯も灯され、要人の歓迎式典もここで行われました。
伝説によると、BC33年クレオパトラが、共和制ローマのアントニウスを助けるために200層の船と共に上陸し、つかの間の甘いひと時を過ごしたと言われています。 -
アルカディアン通り(港通り)
古代ローマ人は、水を最大限に利用し繁栄を築きましたが、穀倉地帯でもあったエフェスは、木を伐採し過ぎたことが災いして、川によって運ばれた土砂が、港を沼地に変えていきました。
港町としての機能を失ったばかりか、沼で蚊が大発生し、マラリアを蔓延させます。
これと同じことが各地で起こり、ローマ帝国衰退の一因となりました。 -
7世紀に入るとペルシアやアラブの勢力拡大を受け、
8世紀になるとイスラム勢力に対抗できず、ローマ帝国はエフェスを放棄せざるを得なくなりました。
港は完全に埋まり、今は海岸から11km離れています。
松並木を通って、北側に出て、バスに乗り込みました。
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