2012/06/27 - 2012/06/28
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prinprinさん
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トルコ民族の起源は、アルタイ山脈(モンゴル西部、ロシア、中国新疆ウイグル自治区の国境)のほとり(モンゴル高原からシベリアにかけて)と言われています。
アルタイ山脈には4万年以上前に石器で岩を削って描かれた、マンモスなど1万5千点以上の岩絵が残っています。
狩猟採集生活をしていた人々の生活は、紀元前2千年頃から始まる青銅器時代に劇的に変化します。 まず犬と牛を飼いならして牧畜が始まり、次々野生動物を馴らしていき、最後に家畜化したのが馬でした。 馬に乗ることで人々は移動範囲を広げ、紀元前千年頃になるとより多くの牧草を求めて遊牧を始めました。
遊牧生活を送っていた騎馬民族は、トルコ族(テュルク諸語を母語とする人々)、モンゴル族、ツングース族に分かれ、トルコ族は更にウイグル、キルギス、カルルクに分かれました。現在でもトルコ人は、中国ウイグル自治区のウイグル語が解かるそうです。
隋の史書には、テュルクを突厥と音訳し、鍛鉄奴隷として鉄工に従事していたとされます。
やがて大量の馬車が生産され多くの物資を遠くまで運べるようになると、遊牧民族の国家が生まれ、支配地域を広げて行きます。
552年、突厥(トルコ族)は遊牧国家(部族連合)を建国し、北満州からカスピ海北側(西アジア)に及ぶ地域を、約200年に渡って支配しました。
岩絵に描かれた突厥の兵士は、立派な兜をかぶり馬にも甲冑をつけていることから、高度な文明を持っていたと考えられます。
トルコ共和国(1923年建国)は、この国をトルコ共和国の祖として、1952年「建国1400年記念祝典」を盛大に催しています。
突厥は隋によって東西に分裂しましたが、8世紀東突厥を滅ぼしたウイグルはキルギスに滅ぼされて南下し、イラン系民族の地域だった中央アジア(パミール高原西側~タリム盆地)を支配して、中央アジアは「トルキスタン(トルコ人の地域)」と呼ばれるようになりました。
一方、7世紀アラビア半島のアラブ人の間に起こったイスラム教は、ササン朝ペルシアを倒して西アジアを抑えます。
その勢力は中央アジアに及び、8世紀になると、テュルクは次第にイスラム化していきました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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-
コンヤから3時間(約220km)、カッパドキアに入って来たようです。
カイマクル地下都市の入場締め切りは、団体客18:30、一般客19:00ということで、間に合うかどうか? -
閉門の4分前に駐車場に到着し、
ガイドさんが入口に走ってくれて、ぎりぎり入場することができました。
地下教会の周りは腰掛けです。 -
カイマルクの地下都市は、地下8層、深さ55m。
深くなるに従って新しく、大部分は9〜10世紀に掘られ、収容人数は2千とも1万とも言われます。
光も届かない地底の穴ぐらで、何千人も共同生活だなんて、無宗教に近い典型的日本人としては、想像を絶します。
宗教の力って恐ろしい。 -
アリの巣のような洞窟を1列で歩くので、ガイドさんの近くの数人しか音声ガイドが聞こえません。
「ここは足元に気を付けて!」と次の人に伝言しながら進みました。 -
狭いところは、こんな感じ。
ぶつけそうとわかっていても、腰をかがめて歩いていると、頭をぶつけました。
岩がボコボコしているので(写真では滑らかに見えるけど)、帽子をかぶってなかったら痛いです。 -
通路をふさぐ円盤型の回転扉。
内側は凸凹で手がひっかるようになっていて、外側は平らになっているので10人位で押さないと開かないそうです。 -
ブドウを足で踏んでワインを造る場所もあります。
ここだったかな? (右側の四角い所)
水は最低限しか飲まなかったそうです。
水は細菌が繁殖しやすいので、アルコール(殺菌効果のある)のワインを飲んだそうです。 -
このような不思議な空間は、2世紀にはローマ帝国から、10世紀頃にはアラブ人からの弾圧を逃れたキリスト教徒たちが隠れ家にしましたが、大半の地下都市は紀元前にはすでにあったと言われています。
今までに36か所見つかっていますが、カッパドキアに300あるとも言われています。 -
私たちと入れ違いに、最後の個人客が入場し、ドアが閉まりました。
最後の団体客だったので、渋滞することなく見学できました。 -
お土産屋さんも20軒位並んでいます。
このお店、ナザールボンジュが山盛りに売っていました。 -
予定にはなかったのですが、ホテルに行く途中に、ギョレメパノラマ(展望台)に寄ってくれました。
お土産屋さんが1軒あるだけの広場で、トルコに着いて4日目にして、初めてトルコアイスを食べられました。 日本で食べたのより、さっぱりして美味しい。 (*^-°)v
家族にも食べさせてあげようと、「トルコアイスの素」をお土産にしましたが、匂いが強くておいしくなかったです。
人なつこい犬たちがいて、かわいかった。 -
オォ? 絶景です!
来て見ないとわからないもんだねぇ~ (^▽^)/
写真や映像では撮りきれない広大さに、感動です。
こういう谷が20くらいあるそうです。 -
ちょうど夕暮れ時で、濃い桃色の地層がよく見えました。
筍のような岩もたくさん見えます。 -
タケノコ岩の足元で、猫の額のような畑を作っていました。
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ウチヒサールかなぁ?
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ギョレメ・カヤ・ホテル
ハマムと垢すりを経験したかったのですが、皮膚トラブルがあるのでマッサージにしました。
笑顔の素敵な美人さんで、マッサージも上手でした。 ん?極楽極楽!
30分コースだったけど、顔の泥パック&オイルマッサージも付いていて、45分位でした。(男性にも顔パックが付いていたそうです。)
いい気分でお部屋に帰って、料金表を見たら、w(゚o゚)w オオー!
ホテルフロントで予約した時、リラが無かったので現金で6千円払ったのですが、リラ・ドル・ユーロでは約3500円になっていました。
今思えば、抗議してクレジットカードで決済し直せばよかった。 もってけドロボー (´_`。) -
私の部屋は窓があって尖がり岩が見えるものの、岩より張り出した部屋なのか、洞窟じゃなかった。 ( ̄s ̄; チェッ
日本を出発してから6日目、TVを見る時間も無かったので、そろそろ日本のニュースが気になってきた。
早朝TVをつけたら、こんなへき地でも日本語放送をやってる!と思ったら、NHK教育チャンネルだった。 意味ナイじゃ〜ん -
朝食が始まるまで少し時間があったので、玄関の外に出てみたら、地元のおばさんがレースを編みながら、レース製品を売っていました。
カメラを向けたら、ニッコリこちらを向いてくれました。
まだ朝5:30です。
ガイドさんが言ってたように、この地方の女性は働き者です。
男は夏は放牧、冬は働かずに暮らすそうです。
早朝見ていた方が、朝食の時「亭主が車で送ってきて、帰って行ったよ。今頃カフェでお茶してるぞ。」 一同爆笑 -
私は、おばさんが編んでいたのと同じ柄のテーブルセンターと、ハンカチ1枚を、20リラ(約1000円)で購入。 (左のハンカチのほうは工場製かもしれません)
ハンカチ3枚で20リラで売っていたけど、他にお客がいない時買った人は5枚20リラにしてくれたそうです。
オヤ(カラフルなレースのアクセサリー)もありました。 -
朝食を食べている間に、バルーンが上がったようです。 もうバルーンが降りてきていました。
7:00ホテルを出発 -
-
早朝のパシャバーで、ミニ・ハイキング〜♪ ヾ(〃^∇^)ノわぁい
にょきにょき生えたキノコ岩たちを見ながら、丘を下ります。
ホントに「妖精の煙突」のようです。 -
キノコ岩の帽子が一直線、やはり地層だったんですね。
カッパドキアの東にあるアナトリア高原の最高峰エルジエス山(3916m)、ハサン山(3268m)などいくつもの火山が
6千万年前から噴火を繰り返し、3つの活断層に囲まれたこの一帯は噴火の時大量の溶岩が流れ出て、火山灰と溶岩が200mも積み重なりました。
長い年月とともに、火山灰は凝灰岩に、溶岩は玄武岩に変化していきます。
やがて、ひび割れが発生すると、その部分から雨や風による浸食が始まり、だんだんと岩が削られていきました。
柔らかい凝灰岩は浸食が大きく、硬い玄武岩は浸食が少ない為、玄武岩が上に載ったこのような奇妙な風景が生まれました。 -
誰もいないのに、ラクダ君が一人。
夜は置き去りなの?
人なつっこい大型犬がいて、私たちを振り返りながら、先導してくれました。 -
建築家ミマール・シナンは、カッパドキア西端の農村アウルナス村の出身でした。
シナンは石工職人の息子だったと言われ、キリスト教徒でした。
オスマントルコには、異教徒の優秀な少年を改宗させ、英才教育して登用するデヴシルメという人材制度があり、
シナンもこの制度で歩兵として徴用され、戦場で橋を架けるなど才能を発揮しました。
スレイマン1世の目にとまったシナンは、宮廷建築家への道を歩み始め、100歳頃亡くなったとされます。
彼のお墓はイスタンブール、スレイマニエ・ジャミィの裏手にひっそり建っています。 -
高さ10m以上もあるキノコ岩たち、やっぱり不思議だ。
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レンタル・バイクで廻るのも気持ち良さそうです。
今日は、軟禁お買物タイムが3軒も予定されています。 -
まずは、絨毯作りを見学。
方眼紙のデザイン画(織り機の上)の目数も数えずに、目にも止まらぬ早業で結んでいくのが驚きでした。
ダブルノットなので丈夫なのだそうです。 -
トルコ語と日本語は語順が同じだそうですが、なまりも無いし、ほんとに日本語が達者。
「私たちは日本の車を買います。トルコのすばらしい絨毯に座って、梅干しでご飯を食べてください」 だって。 -
毛足の短い絨毯で、裏もきれいなので「夏は裏返して使って下さい」とのこと。
←「皆さん触ってください」と言われて、近寄るの図
ツアーで連れて行くのはどこも、政府系のお店のようです。
政府の観光業助成で、送料無料で送ってくれるし、日本に支店もあるので、トラブルの時は対応してくれるそうです。 -
毛色のままを使ったウールの玄関マットですが、右の方が模様が細かいのがわかるでしょうか。
左が6万円、右が10万円だったと思います。
ガイドさんによると、中国がヘレケという町を造ってそこで絨毯を織って、「ヘレケ絨毯」だとして売っているので困っているそうです。
街中や日本で買う人は、ニセモノ注意です。 -
この玄関マット、綺麗だったなぁ。
シルクなので、見る方向(順目と逆目)によってかなり濃淡が変わります。
良い物を見れば、良い方が欲しくなるのは当然です。
値段を聞きたかったけど、売り子さんに食い下がられそうで聞けなかった。 (;^_^A たぶん数十万円 -
「いくらなら買える?」と言ってきますが、嫌な気がするほどはプッシュしてきませんでした。
優しそうなおじいさんは、「買えなくてごめんね。」って断ってました。
私たちおばさんは、「買えばもれなく僕が付いてくる。」とか言われて、笑って過ごしました。
リッチご夫婦は、400万円の絨毯を薦められたそうです。(見抜かれてる!) -
ウチヒサール(尖った城塞、3つの要塞)の上にもトルコ国旗が翻ります。
山頂まで登れるはずなんだけど、ここからはまだ遠い。 -
ここにもラクダ君がいた。
知らずに撮ったけれど、右の小屋に「らくだ、フォト、1ユーロ」って書いてあります。 ちょうど留守だったのか、請求されませんでした。 -
ギョレメ野外博物館
7〜11世紀の洞窟教会が公開されています。
カッパドキアでは、4世紀頃からギョレメを中心にキリスト教徒が共同生活を送っていました。
9世紀頃からイスラムから逃れたキリスト教徒が洞窟教会や修道院を造り、10世紀ビザンチン時代には400以上の教会があったといわれます。 -
-
岩の小さなくぼみは、鳩ノ巣。
鳩を飼って糞を肥料に、ぶどうを育ててワインにしたそうです。 -
教会の壁画は、撮影禁止でした。。
壁画は、傷んだり、顔を削っていました。
エルマル・キリセ(リンゴの教会)…壁画が鮮やかだったが、薄暗いのでよく見えなかった。キリストの一生が描かれているらしい。赤い十字架と幾何学模様から、11世紀中頃〜12世紀初めの物と言われている。
バルバラ教会…11世紀頃建設され、素朴な赤い絵で、十字架やエビのような悪魔が描かれていた。
まだキリスト教が弾圧されていた3世紀、アナトリア半島に生まれたバルバラは、キリスト教徒になったため、父に殺された。
殉教したバルバラは聖人となり、後にこの地で学ぶ修道士たちが、この小さな教会を聖バルバラに捧げた。 -
岩窟の食堂(修道士たちのダイニングルーム)は、壁画がなかった。
ローマ帝国は、約300年間キリスト教徒を弾圧しました。
迫害から逃れてきた初期のキリスト教徒たちが、カッパドキアに隠れ住むようになったのは、2〜3世紀頃。
313年ローマ帝国がミラノ勅令でキリスト教を公認し、洞窟教会は晴れてキリスト教会になり、修道士も増え、この食堂では40人ほどが一度に食事をすることができました。 -
見晴しも良いです。
ユランル・キリセ(へびの教会)…聖ジョージと聖テオドールがへびを退治している壁画は、9〜10世紀。
聖ジョージは、2〜3世紀頃カッパドキアに生まれた人物。
へびはよく見ると火を噴くドラゴンで、地獄・悪魔(異教徒)、エルジエス山などの噴火を表しているといわれる。
画家によって描かれた、保存状態が良い壁画(11〜12世紀)が残っているという、カランルク・キリセ(暗闇の教会)は入らなかった。 -
道路の向いのギョレメ最大の教会、トカル・キリセ(留め金の教会)も入らなかった。
(`ε´)ぶーぶー
アフガニスタン産の80トンのラピスラズリを使ったと言われる、青を基調とした壁画(10〜11世紀)がある。
(ラピスラズリ:高価で有名な鉱石・顔料。17世紀のフェルメールが贅沢に使ったことでも有名。日本名:瑠璃。) -
URANOS SARIKAYA 大きな洞窟レストランです。
今日のランチは、な〜に? -
入口右側の装飾は、ヒッタイトのようです。
-
ますのグリル、きのこスープ、デザート菓子
ワインの産地ということで、赤ワインを頼んでみました。
少し甘口で飲みやすいワインなのですが、珍しい香りがします! -
アラブの古典音楽で使われるカーヌーンだと思います。 ペグで、日本の箏の様につまびて演奏します。
9分の1の音を出せることで有名な楽器ですが、3弦ひとまとまりで、1弦ずつ音が違うようでした。
飛んでイスタンブール♪の、イントロと歌の間に聞こえる、♪タラリラ・リララララン〜♪の音がこれですね。 -
幼さの残るウエイターさんが可愛かった。
-
何年経てば、きのこ岩になるんでしょう?
7世紀アラビア半島のアラブ人の間に起こったイスラム教は、ササン朝ペルシアを倒して西アジアを抑えます。
その勢力は中央アジアに及び、8世紀になると、テュルク(トルコ族)は次第にイスラム化していきました。
アッバース朝は、第5代カリフ、アッラシード(在位:786〜809年)の時代に最盛期を迎えますが、
9世紀前半、騎馬戦術に優れた遊牧民族であるテュルクを、中央アジアから奴隷として購入し、アラブなどの正規兵に替わる軍事力として重用しました。
しかし9世紀後半にはアッバース朝が徐々に衰えて、イスラム世界の各地に軍人の政権(日本でいえば武士の政権の時代)が誕生していきました。
西トルキスタンの支配権を認められたサーマン朝(中央アジア初のイラン人系イスラム王朝)は、テュルクをマムルーク(奴隷身分出身の軍人)としてイスラーム世界に輸出して収入源にしました。
9世紀末(トルコ系初のイスラム王朝)カラハン朝が成立し、
10世紀末には、北のカラハン朝と、南のカズナ朝(マムルーク出身)が、サーマン朝を挟撃・滅ぼして東西トルキスタンを支配し、この地のイスラム化がさらに進みました。
テュルクのオズク族(グッズ・トルコ)も、アラル海東側でイスラム化し、
セルジューク家に率いられた一派は、サーマン朝その後カズナ朝に仕えましたが、
1038年ホラーサーン地方(中央アジアからイランやインドに入るシルクロードの要衝)で、セルジューク朝(セルジュク・トルコ)を建国しました。
1055年にはバクダード(現イラクの首都)を陥落させ、
1071年アナトリア東部でビザンツ軍を破り(マンジケルトの戦い)、アナトリアにテュルクが進出します。
セルジューク朝は、この第3代スルタン、マリク・シャー(在位:1055〜1092年)の時代が黄金期でした。 -
トルコ石の店、アガットでお買いものタイム。
一枚石なのでしょうが、ブルーと石の茶色がまだらで、私のトルコ石のイメージとは違います。
ホワイトゴールド(金をニッケルやパラジウムで割った合金)のペンダントで、10万円位からでしょうか。
買う気満々だったので、撮るのを忘れていました。
結局買わずに、ニセモノで構わないと思い、帰国前日エジプシャンバザール近くの店で買いました。
アガットの値段の10分の1でした。 -
デヴレントバレーのラクダ岩
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ユルギュップ(エセンテペ)の三姉妹の岩
パシャバーのキノコ岩と形が違って、ベレー帽をかぶってるんですね。
岩のむこうは、デヴレントバレーです。 -
陶器屋VENESSA SERAMIC
まず、ロクロを使っての実演を見学。
「何を作っているか、時間内に当てた人にはプレゼントをくれる」と言うので、どなたかの旅行記で読んだけど・・・・?
でも時間切れ、シュガーポットでした。 -
その後、2階のお店でお買いもの。
弟子たちが作った陶器(お土産品)は撮っていいけど、先生が作った作品は撮影禁止ということで、
←廊下に飾っていた陶器です。
値段?
有田焼の高級品、といったところでしょうか。 このくらいの絵柄だと、50万円は下らないと思います。 -
カッパドキア周辺は、一年を通して雨が少ないステップ気候で、空気も土地も乾燥しています。
内陸で寒く、火山性の土なので、かぼちゃくらいしか採れない貧しい地域だそうです。
雄大な自然あふれるカッパドキアで、トルコを代表する高級品を3店も 「鑑賞」 しました。
ということで、今回の旅行記のタイトルが決まったのでした。
15:30 アンカラのホテルへ向かって出発
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