2012/06/27 - 2012/06/27
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prinprinさん
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コンヤの南東45kmには、「チャタルヒュユクの遺跡」というB.C.7400年(新石器時代)まで遡る人類最古の集落(定住地)跡があり、2012年7月世界遺産に登録されました。
37ヘクタールもある遺跡では、農業が行われ、野獣に対して共同で防衛し、泥レンガや日干しレンガで造った家に住み、牛を描いた壁画や赤ちゃんを産んでいる地母神像などが出土しています。
B.C.16世紀にはヒッタイト人が王国を建国し、リディア人はB.C.6世紀、ペルシア人とアレクサンダー大王はB.C.4世紀、セレウコス朝シリア、ペルガモン王国はB.C.2世紀、ローマは395年にコンヤとその周辺を征服しました。
10世紀までビザンツ帝国の州だったコンヤは、7世紀初めにササン朝ペルシアに占領され、
イスラム教徒のアナトリアへの侵入により幾度となくアラブ人の攻撃を受け、7世紀半ばには一時的にウマイヤ朝から占拠され、トルコ人(セルジュク朝)の襲撃者が最初にコンヤに来たのは、1069年でした。
その後、セルジュクトルコの首都になったコンヤは、政治・芸術・宗教の中心として栄え、旋回舞踊で有名なメヴレヴィ教団が生まれました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
5:00モーニングコール
7:00パムッカレのホテルを出発 -
トラキア(ヨーロッパ側)ではまだ咲いてなかったけど、
アナトリアの内陸部は、ひまわり畑が花盛りでした。
2010年の総人口 68億6千万人の内、
キリスト教 22、5億人(総人口の1/3)、
カトリックは 11、3億人(総人口の1/6)
プロテスタントは 3、8億人
東方正教会2.8億人
イスラム教徒 15、7億人(22.3%)で、カトリック人口を超えています。
中国の伝統的宗教 3、9億人(5、7%)、
仏教 3、8億人(5、7%)、
ユダヤ教 1500万人(0、2%) -
パムッカレからコンヤまで、6時間。
トルコってホントに広いわ〜 (国土は日本の2倍です。) -
ドライブインで食べたヨーグルト。 ハチミツとケシの実をかけてくれます。
ヨーグルトとクリームチーズの中間という感じで、濃厚なので、2人でシェアしてちょうどよかったです。
ハチミツはコクがあって美味しかったので、次の日から毎朝ハチミツを食べました。 -
さくらんぼ畑が続いて、さくらんぼが生っていました。(バスが速いから、写ってなかった)
桜の季節は、きれいだそうです。
昨日パムッカレで、まだバラが咲いていたので、バラの産地のウスパルタを通らないか期待していたのですが、ウスパルタはもう少し南で通りませんでした。 -
11:00 お昼は、ピデ(トルコピザ)、いんげん、なすのケバブ、ミルクプリン。
ピデがおいしかった。
去年もトルコに来たというお嬢さんが、さくらんぼを買って、みんなに分けてくれました。
日本と同じ淡い色のさくらんぼで、おいしかったです。
レジ袋にどっさりで200円弱だったそうです。(市場では1kg50円)
「日本には1粒200円のさくらんぼもあるよ」って言ったら驚くだろうなぁ。 -
パムッカレから6時間(約430km)、コンヤが近づいてきました。
地方のモスクは、水色だったり緑色だったり、イスタンブールの巨大モスクと違ってかわいい。 (^_^*) -
市街地に入ると、バスまでイスラム色。
【アナトリア半島のトルコ化】
イラン北東部ホラーサーン地方で1037年(平安時代後期)に成立したセルジュクトルコ(セルジュク朝)は、西へ領土を拡大してアナトリアに達しました。
1071年「マラズギルトの戦い」で、アルメニア(アナトリア東部)を奪回しようとするビザンツ軍に勝利すると、スルタン(王)は、アミール(司令官)たちにアナトリア全域を征服するように命じ、テュルク(トルコ)系民族が次々とアナトリアに入植します。 -
コンヤは宗教色が強い街で、スカーフにロングスカート、長袖を着ている人が多いです。
1072年に3代目スルタンに即位したマリク・シャーは、アミールたちが領土紛争を始めていたことに憂慮し、親戚のスライマーン兄弟に8万戸のトゥルクマーン(イスラム化したオグズ族)を与えてアナトリアの統治を命じます。
1074年頃ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルの近く(現・イズニク)を占領したスライマーンは、
1077年独立してルーム・セルジュク朝を建国しました。(ルームはローマ、東ローマ帝国領に入ったセルジュクを指す)
こうして、古来からキリスト教徒(ギリシャ正教)の領域であったアナトリアにトルコ族が定着して、イスラムの世界へ変わりました。 -
若い人も長袖〜
【十字軍】
ルーム・セルジュク朝が独立する頃(1076年)、中央アジア・イラン・アナトリアにまたがる大帝国となったセルジュク朝は、シーア派のファーティマ朝(北アフリカ)から聖地エルサレムを占領します。
アナトリアを取り戻したいビザンツ皇帝(正教会)は、トルコ族からエルサレム奪回することを理由に、1054年以来破門し合っていたローマ教皇(カトリック)に対して、1095年軍事援助を求めます。
当時ローマ教皇は、叙任権(司教や修道院長の任命権)めぐって神聖ローマ皇帝と紛争中であり、
東西両教会の統合だけでなく、皇帝(世俗権力)との差をつける好機と考えました。
教皇は、クレルモン教会会議を招集して「聖地回復におもむく者は罪の贖いを赦される」と扇動し、
翌1096年ヨーロッパ各地から十字軍が出発しました。 -
メブラーナ博物館入口
男は半袖のTシャツにGパンなのに、ムスリムの女性は制約が多くてたいへんですね。
1097年、第1次十字軍はルーム・セルジュク朝の首都イズニクを占領し(ニカイア攻囲戦)、ルーム・セルジュク朝はコンヤに退きます。
十字軍はビザンツの領土の3分の1を回復していき、
1099年には(前年ファーティマ朝に戻った)エルサレムを占領して住民の大量虐殺を行いますが、
セルジュク朝は後継者争いの内紛から4つの小王朝に分裂して、対応できませんでした。
第2次十字軍(1147〜1148年)は統制がとれず敗退。
第3次は1189〜1190年コンヤを包囲しますが、1192年撤退。
第4次は正教会も敵として1204年ビザンツの首都コンスタンチノープルを占領しました。
ビザンツは亡命政権を建て、57年後そのうちの1つニカイア帝国がビザンツを復興させますが、イタリア諸都市に商業上の権益を握られ、滅亡の道をたどっていきます。 -
子供も、ちゃんとスカーフを被っています。
十字軍は、9回(8回説も)約200年間にわたって遠征を繰り返し、
1099〜1187年の88年間と、1229〜1244年の15年間、エルサレムを確保しましたが、
以後、1917年にイギリス軍が占領するまでイスラム教徒の支配下に置かれました。
“十字軍”は現在でも、苦労の割りに得るものが少ないことの喩に使われます。 -
メブラーナ博物館は撮影禁止でした。
ダチョウの卵があると、なぜか蜘蛛の巣が張らないそうで、展示物を守る為、天井からダチョウの卵の殻をぶら下げていました。
宗教的な意味もあって、
ムハンマドが刺客に追われた時、神様が蜘蛛に言ってムハンマドが隠れている所に巣を張らせたので、追っ手が「蜘蛛の巣が張っているのでここには隠れていない」と思って助かったので、蜘蛛を殺したくないそうです。 -
水色の円錐のドームの真下に、教団創始者メヴラーナの棺が置かれています。
そのほか、弟子たち・親族の墓、創始者の髭を入れた箱、綺麗なコーランや、お祈り使う擦り切れた絨毯とか、けっこうキンキラ金でした。
(2007年7月以前の旅行記には館内の写真があります。)
←手前左は、セリム1世が1512年に作らせた、「婚礼の夜」という名の池 -
中庭には、ムラト3世が1584年に修行者たちを住まわせる為に作らせた小部屋が並んでいます。
セルジュク朝本家(大セルジュク朝)は、セルジュク朝から分離したホラズムやカラ・キタイ(西遼)に侵略されて、1157年滅亡し、
他のセルジューク朝諸政権も内紛から衰退に向かう中、
ルーム・セルジュク朝は12世紀後半〜13世紀前半最盛期を迎えました。 -
小部屋は展示室になっているのですが、5人位しか入れないので団体では入れず、自由時間に見ました。
メヴレヴィー教団を開いたメヴラーナ(我が師)・ジェラールッディン・ルーミー(東ローマ帝国領の)は、
1207年ホラーサーン地方(北アフガニスタン)に生まれ、父も高名な神学者でした。
この頃チンギス・ハン(在位:1206〜1227年)率いるモンゴル軍が中央アジアに侵攻し、多くのトゥルクマーンがアナトリアに逃れて、アナトリアのテュルク化・イスラーム化が一層進みました。
各地を転々としていたメヴラーナ一家も、ルーム・セルジュク朝最盛期(1220年頃)スルタン・カイクバード1世の招きで、コンヤに落ち着くことになりました。 -
小部屋の1室。
メヴラーナ氏かな? 当時の聖職者の様子がわかってうれしいのですが、蝋人形がリアルでちょっと怖い。
スルタンは、メヴラーナの父にセルジュク朝の宮殿のバラ園だった所を贈り、
1231年メヴラーナの父が亡くなると今日霊廟がある場所に埋葬され、
1273年メヴラーナが亡くなると、セルジュク朝の高官一族が墓の上に円錐のドームをタイルで覆った霊廟を建設しました。 -
位の高い聖職者の帽子としゃくかな? キリスト教に似てる。
ガイドさんの説明がないので、何だかわからなかった。(>_<)
メヴレヴィー教団は大商人などの富裕層の支持を集め、15世紀頃にはオスマン帝国の庇護を受け隆盛を極め、中には信仰するセリム3世のようなスルタンも現れましたが、
1925年大統領ケマル・アタテュルクの政教分離政策で、約700年続いた教団の活動は禁じられました。
メヴレヴィー修行所と霊廟は、1926年「コンヤ・アサル・アティカ博物館」になり、1954年展示品を整理して「メヴラーナ博物館」と名称変更されました。 -
旋回舞踊はメヴィレヴィー教団特有のものと思っていたのですが、
帰国してすぐ、テレビで、カラフルなロングスカートを着た男性が、セマーと同じようにくるくる回る、中東の「民族舞踊」を紹介していました。
どっちが起源なのか? -
「セルセビル」(甘い水)という名の泉
中庭にお清めをする所があるのに、トイレに行ってビックリ。
イスラムのロングスカートを着たおばさんが、洗面台に足をどーんと上げて、うれしそうにお清めをしていました。
スカーフを取って、髪まで濡らしていた。
なんで外でやらないのかわからないけど、床が水浸しで、おばさんが転ぶんじゃないかと心配だった。 -
やっとコンヤに着いたと思ったのに、もうカッパドキアに向かって出発! (´_`。)グスン
-
1時間30分後スルタン・ハンでトイレ休憩した所に、大きなキャラバンサライ(隊商宿)がありました。
隊商宿は、キャラバン達が1日に旅ができる約30〜40kmの間隔で建てられました。
盗賊に襲われる心配があったため、砦のような堅固な壁に守られ、夜は頑丈な扉を閉めました。
周辺に何もないような所に建てられた宿は、宮殿(サライ)のように立派な建物に見えたことから、キャラバンサライと呼ばれました。
このキャラバンサライは13世紀に建てられたものです。
10分しかなかったけど、3リラ払って一人で入ってみました。 -
左側に寝泊まりする小さな部屋が並び、奥の方の2部屋は男女別のお風呂があり、旅の疲れを癒しました。
もう1部屋は通行税を徴収する部屋でした。
右側の廊下のような場所に、ラクダをつないでおきました。
キャラバンたちの宿代と食事代は、3日間無料でした。
通行税を払い、衣服や日用品を購入するために多額のお金を使ったため、ここを治めていた国はそれでも大きな利益になりました。 -
奥の倉庫のようながらんとした大きな建物は、商人たちの取引場所でした。
商人たちはここで運んできた品物を売買して、次の土地に進みました。
地元の人もやって来て、売り買いが盛んに行われました。
キャラバンサライは、現在の貿易センターのような、シルクロードの重要な拠点でした。
走ってバスに戻りました。 -
カッパドキアに移動中、いくつかキャラバンサライが見えました。
国際交易の重要性を充分理解していたセルジュク朝は、
より多くの交易を確保するために、商人達を手厚いもてなしで出迎えるようになり、川には橋をかけ、多大な利益を得て繁栄の道をたどる事になりました。
10世紀頃から多く建てられ、トルコ国内には約100のキャラバンサライが残っていますが、そのほとんどが廃墟化しています。 -
コンヤは内陸にあり、小麦畑が広がっています。
-
コンヤから3時間、カッパドキアが近づいてきました。
閉館ギリギリですが、間に合えば地下都市カイマクルを見学します。
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