2012/06/24 - 2012/06/24
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prinprinさん
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この地に定住がはじまったのは、BC20世紀末期と言われますが、
BC7世紀、ギリシャ人によってこの地に都市が建設され、その王ビュザンタスにちなんでビザンティウムと名付けられました。
ビザンティウムは、1000年に及ぶ歴史の中で、まずペルシア、アテネ、スパルタ、ギリシャのアレキサンダー大王(BC4世紀)とその後継者たちと、多くの国々の脅威にさらされました。
BC3世紀にはローマ帝国の同盟都市となりましたが、196年にローマと敵対した為に、街は徹底的な破壊を受け、
ローマ皇帝の怒りが解けた後、ローマ風の街づくりが行われました。
330年、ローマ皇帝コンスタンティヌスがローマから都を移し、以後1100年コンスタンティノープルと言われる。
395年、東西ローマ帝国に分かれ、東の首都となる。
6世紀、公用語がラテン語からギリシア語になったり、統治形態が変化して、キリスト教化されたギリシア人のローマ帝国(ビザンチン帝国)と言われる国になる。
7世紀以降は、ササン朝ペルシアやイスラム帝国により国土を侵食され、
8世紀末にはローマ教皇との対立などから、ビザンチン帝国は西方地域での政治的影響力が低下した。
1453年オスマン帝国皇帝メフメト2世によりコンスタンティノープルは陥落、イスタンブールと改名し、500年近くオスマン帝国の都だった。
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- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
アヤ・ソフィアを出て、
ブルーモスク(スルタン・アフメット・ジャミイ)に向かいました。
ブルーモスクよりも、イスラム教徒のスカーフの被り方がいろいろなので、女性を撮りたかった。
まだ1日目なので、写真を撮られるのを嫌がるかもと思って、気づかれないように撮っています。 -
この女性も、違うスカーフの被り方をしている。
このスルタナフメット広場から、ブルーモスクがきれいなので、写真タイムとなりました。
向いのアヤ・ソフィアと違い、白壁にブルーが映えています。 -
もうすぐ礼拝時間なのでブルーモスクに入れなくなるということで、急いで移動。
ガイドさんがいると、こういう時、抜かりがなくていいね。
祈りの時を知らせるアザーンは鳴らなかった。 -
ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャミイ)は靴を脱いで入ります。
私もちゃんと半袖を着ていたのに、入口のおばさんに水色のスカーフを渡されてしまった。
しょうがないので頭にのせたら、ギョエ〜臭〜い!
この女性は黒衣に緑のスカーフ、綺麗です。
柵の中は、見学者は入れません。 -
渡された水色スカーフを肩にかけている人がいたので、私も肩に降ろしたが、
スカーフが臭くて絨毯の匂いなんてわからないわ。 -
ブルーモスクは、キリスト教聖堂として建ったアヤソフィア(1453〜1931年モスク)より千年以上新しい、現役のモスクです。
オスマン帝国が軍事・経済で繁栄した時代、
第14代スルタン・アフメット1世の命により、1609〜1616年(江戸時代初め)建設されました。
アフメット1世は1603年14歳で即位し、ブルーモスク完成の翌年、チフスにかかって27歳で亡くなっています。
「象の足」と呼ばれる直径5mもある柱が、4本。
礼拝に来た男の子が元気が良すぎて、柵の中の白スカーフのおばさんに注意されてた。(笑) -
アフメット1世は工房を独り占めし、約2万1千枚のイズミックタイルが壁を埋め尽くしている。
イズニックのタイルは、ブルーモスクの工事を最後に急速に衰退したため、オスマン帝国最後の本格的イズニック製タイルの内装となりました。
2階のイズニックタイルが有名なんだけど、行かなかった。 -
設計はスィナンの直弟子メフメット・アー。
彼ら直弟子たちが亡くなると、スレイマニエ・ジャーミィやブルーモスクのような壮大なモスクは建築されなくなり、
小規模で内部の装飾に凝ったモスクの時代になります。
照明にのっているのはスピーカーみたいだった。 -
もう少し待ったら、始まったかもしれなかったけど、
礼拝と言うより、お説教のようだった。
イスラムの礼拝を見てみたかったので、ちょっと残念。 -
アヤソフィアの副ドームは、2方向だけだったけど、
ブルーモスクの天井は、大ドームの4方向に半円の副ドームがあり、さらに3つずつの半円小ドームがある。
副ドームと副ドームの間にもドームがあり、
たくさんの小窓から柔らかい光で、白壁の装飾を見せている。
ブルーは、イスラム教の開祖ムハンマドのターバンの色グリーンと共に、イスラム教の聖なる色です。
近年の改修工事で、様々な色が使われるようになったが、以前は壁から天蓋に至る幾何学模様もブルー系だった。 -
スペイン・アルハンブラ宮殿(イスラム王朝の城)のモカべラ(鍾乳石装飾)と似てる。
鍾乳石飾り(アラビア語でムカルナス)は、ムハンマドが神から最初の啓示を受けた時にこもっていた、山の洞窟の鍾乳石を表しています。 -
ステンドグラスにも、ブルーが多く使われています。
-
天井の大ドーム
オスマン帝国は、第7代スルタン・メフメト2世により、1453年ビザンティン帝国を攻め滅ぼし、さらに領土を拡大し続けました。
100年後の最盛期には、
北はハンガリーのブダペスト、ギリシア全体とバルカン諸国、黒海沿岸、紅海沿岸、アラビア、エジプト、北アフリカにまたがる大国となり、
オスマン帝国は、第1次世界大戦まで約500年間存続しました。 -
副ドームと小ドーム。
1529 年、第10代スルタン・スレイマン1世率いるオスマン帝国軍は、2ヶ月近くに渡ってウィーンを攻め(第1次ウィーン包囲)、
ヨーロッパの人々を震え上がらせますが、攻略できず撤退します。
当時ウィーンは、ハプスブルグ家当主の神聖ローマ皇帝(カトリックの守護者)カール5世(スペイン王)の、弟が統治しており、
ハプスブルグ家は、アメリカ大陸から金銀を運び、
東西からハプスブルグ家に挟まれたフランスとの間でイタリアの利権をめぐって戦いを繰り返し(イタリア戦争)、
さらにルターの宗教改革の渦中でした。 -
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スレイマン1世の繁栄の時代が過ぎると、無能なスルタンが多くなり、
実質的な権力はスルタンの補佐役の大宰相(将軍)に移っていき、ハレムの女が政治に介入したりして、
オスマン帝国は徐々に衰退していくことになりました。
1609〜1616年、第14代スルタン・アフメット1世によって、ブルーモスクが建設される。 -
出口の天井
150年後再びウィーンを攻めますが(1683年、第2次ウィーン包囲)、
既に衰退期に入っていたオスマン帝国は、惨憺たる敗北に終わり、大トルコ戦争(1683〜1699年)を経て、
オスマン帝国の歴史上初めてヨーロッパ諸国に大規模な領土を割譲する(1699年)ことになりました。
モーツァルトの「トルコ行進曲」は、この第2次ウィーン包囲と大トルコ戦争から100年を記念したトルコブームの中、1780年頃作曲されました。 -
出口の扉、これもアルハンブラ宮殿に似てる。
-
出口。
そんな所に、「ここに座らないで」って書いても、誰にも見えないと思うよ。 -
礼拝の前に、お清めをする人たち。
ガイドさんが、「礼拝に入る人は、1日に5回も足を洗うから、
ブルーモスクの絨毯が臭いのは、ブーツを履いて見学に来る人たちの足の匂いです。」と言っていた。
でも水色スカーフは、絨毯より臭かった。
お願いだから洗ってくれ〜! -
こっちにも入口があるみたい。
小ドームがのっているから、たぶん正面入り口。
泉亭のある中庭に行くには、ここを入るようです。
イスタンブールには2000のモスクがあるらしいが、
トルコを周遊して、入ったモスクはここだけでした。 -
ヒッポドロームに向かう左側にあった綺麗な建物 (?_?)
-
ヒポドゥロームの外周の道が、戦車競技のトラックだったそうです。(映画ベン・ハーで知られる戦車レースで、市民に大人気だった。)
3世紀にはすでに存在しており、コンスタンティヌス1世が拡張し、325年完成。
1204年の十字軍の占領以後、競技はおこなわれなくなった。
「テオドシウスのオベリスク」は、
古代エジプトのファラオ・トトメス3世が、BC1490年にルクソールのカルナック神殿に、2柱1対で建てた1柱を、
ユリアヌスがエジプトから持って来て、
390年、テオドシウス1世が競技場のトラックの内側に建てさせたものです。
532年、ヒポドゥロームでの小競り合いから、「ニカの乱」に発展。
「ニカ!」=「(重税を課す皇帝に)勝利せよ!」と叫ぶ市民は街に火を放ち、2代目の聖ソフィアも焼失します。
精力的に帝国を統治した皇帝ユスティニアヌス1世でしたが、身の危険を感じ逃亡を決意します。
しかし、20歳年下で踊り子出身の皇妃テオドラに「皇帝の位を捨てて生きながらえるより、皇帝として栄誉ある死を。」と迫られて、我に返り、鎮圧に成功しました。
これをきっかけにして、ビザンツ帝国は千年続く巨大な帝国となって行きました。
皇帝ユスティニアヌスは、帝国の首都再生の為、自らの権力を民衆に知らしめる為に、前代未聞の大聖堂造りに着手。
現在のアヤ・ソフィアは、537年(飛鳥時代前半)わずか5年10カ月で完成しました。 -
トトメス3世のオベリスクの台座(6m)には、テオドシウス1世と家族のレリーフがあり、
本来地面のあった、2m下から建っている。
テオドシウス1世は、392年キリスト教をローマ帝国の国教に定め、
395年死に際して、ローマ帝国を東西に分けて2人の息子をそれぞれ帝位につけたことで、東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれた。 -
左奥に、「蛇の柱」が写っています。
集団行動だから、行けない。(>_<)
BC475年にギリシャ31都市同盟がペルシャに勝った時、
デルフォイのアポロン神殿に建てられた青銅製の戦勝記念碑で、3匹の蛇が絡み合った姿を表現。
コンスタンティヌス1世がここに移した。発見された頭部の1つは考古学博物館にあり、もう1つは英国博物館にある。
奥の柱は、「コンスタンティヌスのオベリスク」だと思う。
4世紀頃建立。10世紀のコンスタンティノス7世が修復した。
金箔の青銅板で覆われていたが、十字軍侵略の時はぎ取られた。 -
アヤソフィア前に戻る途中にあった「ドイツの泉」
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が、1898年に訪問したことを記念して、スルタンに贈ったもので、1901年完成。 -
円蓋の中のアラビア文字は、鉄道の利権をもらおうと書かれた、お世辞だそうだ。
(当時の戦争はまだ歩兵中心で、19世紀後半から、鉄道が軍事的に重要な意味を持っていた。) -
ツアーバスに乗るために、アヤソフィアの正面まで戻ってきた。
オスマン帝国最盛期のブルーモスクは、ミナレットが6本あり、
メッカにあるイスラム教の総本山カアバ神殿と同じになってしまうので、
ブルーモスクの設計者を派遣して、メッカのミナレットを1本献納し、7本にした。 -
ロングの黒衣に白スカーフの女性。
スカーフは被るが、普通の洋服の女性が多い。 -
黒衣を着ないでコートを着ている人もいる。
ナイロンっぽい厚地で、しかもロング。
夕方でも、気温30℃は越えてます。 (;~_~A -
今日の日程は終わり、ホテルに向かいました。
きれいだけど、何だろう? -
-
金角湾と新市街
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色とりどりのスカーフで、おしゃれをするみたい。
奥に写っているのは、フェリーです。 -
敬謙なイスラム教徒というか、慎み深いということか?
トルコの人って、男性は普通の洋服なのに、女性だけ暑そうな服を着ている。 -
日曜日だったので、たくさんの人がピクニックをしていました。
本当は禁止されていて、ときどき警察官が追っ払うそうです。
この辺は庶民のピクニックエリアで、お金持ちは郊外に行くとのこと。 -
城壁
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ボスポラス海峡を通るために、たくさんの船が待っています。
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空港近くのホテルなので、同じ道を戻る。
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ウォウ・イスタンブール・ホテル WOW ISTANBUL HOTEL
空港まで地下鉄で1駅の、5つ星大型ホテルで、周りに何もないですが、泊まるだけには十分なホテルです。
インターネットも無料なので、家族にメールを送りました。
隣には、4つ星の WOW AIRPORT HOTEL があります。 -
ホテルのレストランで夕食、キョフテと野菜スープでした。
香辛料もきつくなくて、トルコ料理、大丈夫そうです。
昨晩の機中泊に加えて、時差6時間で、観光もしたから、
久々にベッドに寝られて、うれしかった。
明日から遺跡めぐり。
5:30モーニングコール、6:30朝食、7:30出発です。
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