2013/07/12 - 2013/07/13
80位(同エリア254件中)
mingさん
「I don't have food.」ソウェト地区で偶然会った子供たちに、持ち合わせのお菓子やシャンプーを平等に分けようとした瞬間、みんなで奪い合いが始まった。
【生活費】28万円
【飛行機】30万円
【通貨単位】1ランド=12円
【英語通用度】ほぼ全員
【旅程】10日間
7/9成田
7/10ヨハネスブルグ
7/11チョベ国立公園
7/12ビクトリアの滝
7/13ヨハネスブルグ
7/14ケープタウン
7/15クルーガー国立公園
7/16クルーガー国立公園
7/17クルーガー国立公園
7/18帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
(1)『サントンに到着』
7/11 15:30ビクトリアから飛行機で2時間かけてヨハネスブルグに到着した。
地球の歩き方に書かれていた「世界で一番危ない都市」をどうしても自分の眼で見たかったため、ヨハネスブルグに1泊することにした。
空港からは、日本で予約しておいた送迎車で40分ほどかかり、ダウンタウンから北にあるサントン地区に到着した。 -
(2)『サントン散策』
16:00 ホテルに貴重品を置き、早速ヨハネスブルグを散歩することにした。
夕方も近かったため、周囲に気をつけながら歩いていたが、サントン地区は警備員によって治安の良さが保たれており、拍子抜けするほど安全であった。 -
(3)『ネルソン・マンデラ・スクエア』
宿泊したガーデンコート・サントン・シティのすぐ隣にネルソン・マンデラ・スクエア(=ショッピングモール)がある。
アメリカのモール並みに大きく、ブランドショップからレストランまですべての物がそろい、快適で楽しい時間を過ごすことができた。 -
(4)『サンダルショップ』
モール内でかわいらしいディスプレイの店を通りかかった。派手な色使いやサンダルで花を作るという遊び心がアフリカ人ぽいと思った。 -
(5)『おしゃれなカフェ』
カフェ全体を白で統一し、そのおしゃれ感がヨーロッパを旅行しているかのような錯覚になった。
モール内を歩くにつれて、「アフリカ=治安が悪い」というイメージは徐々に薄れていった。 -
(6)『ガーデンコート・サントン・シティ』
18:30 モールで夕食をとり、ホテル(1,104ランド=13,248円)に戻った。
間接照明や落ち着いた色使いは、北欧のデザインホテル並みの居心地のよさであった。 -
(7)『ソウェトツアー』
7/13 8:30ホテルをチェックアウトし、ソウェト半日ツアー($65=6,500円)に出発した。
ダウンタウン北のサントンから西のソウェトへと、高速道路で20分の距離である。
「ダウンタウンを通ることはできるか?」と尋ねると、「ダウンタウンは非常に危険なので、通らない方がいい。」との答えだったので、無駄なリスクは避けることにした。 -
(8)『ソウェト地区へ』
「ここからソウェト地区だ。SOWETOの看板の写真を撮るかい?」としばらく車を止めた。
「ソウェトは“South Western Townships”の短縮形で、南アフリカ最大の旧黒人居住区だ。」
運転手はさらに続けた。「ソウェトには3つの地区がある。グッド、バッド、アグリーだ。まずはグッドの地区へ向かうよ。」 -
(9)『ソウェト高級住宅街』
ソウェトのグッドの地区では、整備された道路に高級車が走り、新築の住宅が建ち並んでいた。
「この地区はビジネスで成功した黒人がプライベートで豪華な家を建てている地区だ。」と運転手は言った。
道を1本はさんだ向こう側には集合住宅が広がっており、南アフリカの貧富の差の象徴のように思えた。 -
(10)『ソウェト集合住宅街』
ソウェトのバッド地区は、政府によって建てられた集合住宅である。
ヨハネスブルグの人口440万人のうち、200万人以上がソウェト地区に住んでおり、政府が準備した住宅では全く足りていない状態であった。 -
(11)『ソウェト貧困住宅街』
9:30 ソウェトのアグリー地区に到着した。
南アフリカはアパルトヘイト後の経済成長に加え、2010年のワールドカップ開催でアフリカ大陸最大の経済力を持つ国に成長した。
経済の破たんしたジンバブエなどの隣国から職を求めて移民が急増し、このソウェト地区などのヨハネスブルグ郊外にバラック小屋を建て、多くの移民が住みつくようになった。 -
(12)『ソウェトの子供たち』
ガードレール越しに写真を撮っていると、その隙間から子供たちが日本からの旅行者を見つけて道路に上がってきた。
写真左が6歳の双子の女の子、真ん中と右の子が8歳、背の高い男の子が12歳。
「今日、学校はお休み?」と尋ねると、「今日は土曜だからお休みだよ。」との答えで、学校に通えていて何か一安心した。
「みんなの家はどこ?」「双子は左側で、他の3人は右側の家に住んでるよ。」
写真を撮った後、真ん中の男の子が「I don't have food.」と小さな声で話しかけてきた。ちょうどお菓子とシャンプーの持ち合わせがあった。
平等に分けようとした瞬間に、みんなで奪い合いが始まった。
女の子は特にシャンプーが気に入ったみたいで、大喜びであった。 -
(13)『ヘクター・ピーターソン博物館』
10:30 ヘクター・ピーターソン博物館に到着した。
1976年6月16日ソウェトで大規模な反アパルトヘイト暴動が起こった。
事件の発端は、黒人の学校で「白人の言葉であるアフリカーンス語を強制使用」することであった。
黒人はズールー語(=東部)やコサ語(=南部)など9つの言語を持っており、アフリカーンス語はアパルトヘイトを強化した政府の言語と考えられていた。
南アフリカの軍隊が黒人の一般市民に発砲し、死者700人、負傷者4000人以上を出した事件であった。
写真の中央にある最初の犠牲者となった当時13歳のヘクター・ピーターソンが抱きかかえられるパネルは、アパルトヘイトの悲惨さを世界に知らしめるきっかけとなった。 -
(14)『マンデラハウス』
1964年にマンデラ氏が逮捕された頃、当時の南アフリカ政府はアパルトヘイト政策を打ち出しており、国家反逆罪で1990年までの27年間をケープタウンの沖合いにあるロベン島等で収監された。
1995年、南アフリカの大統領に就任し、民主化の急速な展開により340年にわたる白人支配に終止符を打った。
運転手にアパルトヘイトについてどう思っているのかを尋ねた。
「インビクラスの映画を観たよ。黒人と白人の融和やマンデラ氏の苦労が描かれてとてもいい映画だね。」と話すと、
「おお、あれはいい映画だ。マンデラが大統領になってからとても多くのことが変わったよ。」と運転手が答えた。
「アパルトヘイト撤廃から約20年が経つが、どのように生活が変わった?」と尋ねた。
「教育を受けられるようになり、病院にも行けて、住居も自由に決められて、好きなところにいつでも行けるようになった。」との答えがあった。
「漫画で読んだのだが、かつてはFor White Only.とベンチに描かれていたのは本当か?」
「ああ、本当だ。今ではあり得ないけどね。」と笑顔で答えた。 -
(15)『ソウェト内部へ』
11:30 ツアーはあとサッカースタジアムへ行って終了であったが、運転手と交渉し、ソウェト内部を10分だけ歩けることになった。
1人で歩くことは危険であるため、ソウェトに住む高校生ほどの運転手の友人をガイド(30ランド=360円)に紹介してもらった。 -
(16)『流れる下水』
アグリーの地区のトイレは仮設トイレで、電気は通っていたが、テレビや冷蔵庫などはない家がほとんどであった。
この地区では住居費は不要で、ガス代と水道代を国に払う仕組みであるが、政府の建てた新しい住宅は順番待ちでいつ引っ越しできるかわからない状況であった。
写真中央のように生活用水は垂れ流しとなっており、鼻をつく異臭を放っていた。 -
(17)『ダンス少女たち』
ラジカセの音楽を響かせ、バネのあるアフリカ人らしいダンスをかっこよく踊っていた。
ガイドは歩きながら「この地区ではインフラや経済だけでなく、HIVが大きな問題となっている。誰が感染しているかわからないし、いつ友人が発症するかもわからない。」と深刻な表情で話した。
「・・・」もう何と返答してよいかわからなかった。 -
(18)『ソウェトの日常』
真ん中のピンクの服を着た女の子は道路で写真を撮った子であった。土曜といえども家の手伝いは当たり前であり、慣れた手つきで洗濯物を干していた。
急速に発展している南アフリカでも、まだ政府の支援が行き渡らず、経済的に厳しい生活をしているという現実を目の当たりにしてただただ愕然とした。 -
(19)『旧火力発電所』
ソウェトからサッカースタジアムへの道中にカラフルな旧火力発電所がある。1970年に周辺地区への大気汚染が原因で閉鎖となった。
現在では派手なペイントが施され、右側の中央には右手を挙げるマンデラが描かれている。
発電所の真ん中からバンジージャンプができるが、やっている人はほとんど見かけないとのことであった。 -
(20)『サッカーシティスタジアム』
12:00 2010年のワールドカップ決勝が行われたサッカーシティスタジアムに到着した。運転手は「運良く決勝のチケットが手に入り、スペイン対オランダを生で観戦したんだ。」と自慢げに話してくれた。
このスタジアムのモザイク模様はアフリカのすり鉢をイメージしており、その名前にちなんでカラバシュと呼ばれている。
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