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「ジャンボ!」と道行く人たちが気軽にあいさつをしてくれる。ザンジバルは黒人の街としては珍しく治安の良い街である。美しい海と居心地の良い街は時間の流れもとてものんびりとしていた。<br />【生活費】19万円<br />【飛行機】20万円<br />【通貨単位】1タンザニアシリング=0.05円<br />【英語通用度】5人に4人<br />【旅程】9日間<br />1/13ナイロビ<br />1/14ナイロビ→マサイマラ<br />1/15マサイマラ<br />1/16マサイマラ→ストーンタウン<br />1/17ストーンタウン→パジェ<br />1/18パジェ<br />1/19パジェ→ストーンタウン<br />1/20ストーンタウン<br />1/21帰国

【36】旅行記12 (3)青い海と石の街・ザンジバルの旅

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2012/01/16 - 2012/01/20

78位(同エリア163件中)

旅行記グループ アフリカ 

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ming

mingさん

「ジャンボ!」と道行く人たちが気軽にあいさつをしてくれる。ザンジバルは黒人の街としては珍しく治安の良い街である。美しい海と居心地の良い街は時間の流れもとてものんびりとしていた。
【生活費】19万円
【飛行機】20万円
【通貨単位】1タンザニアシリング=0.05円
【英語通用度】5人に4人
【旅程】9日間
1/13ナイロビ
1/14ナイロビ→マサイマラ
1/15マサイマラ
1/16マサイマラ→ストーンタウン
1/17ストーンタウン→パジェ
1/18パジェ
1/19パジェ→ストーンタウン
1/20ストーンタウン
1/21帰国

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
高速・路線バス
航空会社
カタール航空
旅行の手配内容
個別手配
  • (1)『キリマンジャロの贈り物』<br />1/16 18:10ナイロビ発ザンジバル行きの飛行機は定刻より30分早く出発した。50分ほど飛ぶと、「飛行機の右手側にキリマンジャロが見えます。」とのアナウンスがあった。19時の日没ギリギリにキリマンジャロを通るために出発を早めたとは、心にくいサービスである。<br />キリマンジャロは5,895mあり、飛行機からすぐ手が届きそうなほど高かった。その姿はまるで、雲の海を泳ぐクジラのように巨大であった。<br />「皆様キリマンジャロはいかがでしたか?引き続き快適な空の旅をお楽しみください。」とのアナウンスに乗客の拍手が自然にわいていた。

    (1)『キリマンジャロの贈り物』
    1/16 18:10ナイロビ発ザンジバル行きの飛行機は定刻より30分早く出発した。50分ほど飛ぶと、「飛行機の右手側にキリマンジャロが見えます。」とのアナウンスがあった。19時の日没ギリギリにキリマンジャロを通るために出発を早めたとは、心にくいサービスである。
    キリマンジャロは5,895mあり、飛行機からすぐ手が届きそうなほど高かった。その姿はまるで、雲の海を泳ぐクジラのように巨大であった。
    「皆様キリマンジャロはいかがでしたか?引き続き快適な空の旅をお楽しみください。」とのアナウンスに乗客の拍手が自然にわいていた。

  • (2)『ザンジバルの街並み』<br />1/16 20:00ザンジバル空港に到着した。入国審査はビザと黄熱病のイエローカードを見せるだけの簡単なものであった。空港からタクシー($10=800円)に乗り、15分でストーンタウン西側のダウパレス($85=6800円)に到着した。<br />翌朝、海岸に沿って街を散策した。ザンジバル島はダルエスサラームやナイロビよりも治安がよいため、ブラックアフリカをより身近に感じることができる。

    (2)『ザンジバルの街並み』
    1/16 20:00ザンジバル空港に到着した。入国審査はビザと黄熱病のイエローカードを見せるだけの簡単なものであった。空港からタクシー($10=800円)に乗り、15分でストーンタウン西側のダウパレス($85=6800円)に到着した。
    翌朝、海岸に沿って街を散策した。ザンジバル島はダルエスサラームやナイロビよりも治安がよいため、ブラックアフリカをより身近に感じることができる。

  • (3)『オールドアラブフォート』<br />ホテルから10分ほど歩くと、オールドアラブフォートに到着した。<br />入口で入場料代わりに寄付をして中へ入った。<br />ザンジバルは、15世紀末にヴァスコダガマが訪れて以来、この島はポルトガル人の支配下にあった。<br />17世紀末にポルトガル勢がアラブ人によって撃退され、ポルトガルの教会があったこの場所には、1710年頃、アラブ人によって要塞(=オールドアラブフォート)が建設された。

    (3)『オールドアラブフォート』
    ホテルから10分ほど歩くと、オールドアラブフォートに到着した。
    入口で入場料代わりに寄付をして中へ入った。
    ザンジバルは、15世紀末にヴァスコダガマが訪れて以来、この島はポルトガル人の支配下にあった。
    17世紀末にポルトガル勢がアラブ人によって撃退され、ポルトガルの教会があったこの場所には、1710年頃、アラブ人によって要塞(=オールドアラブフォート)が建設された。

  • (4)『市営マーケット』<br />迷路のような旧市街を東に抜けると、市営マーケットとバスステーションに到着した。ザンジバルの交通の要衝であり、商業の中心地でもあるため、大勢の人が行きかっていた。<br />マーケットの中には、近くの海で取れた魚介類が豪快に並べられ、肉も切り身が生のまま店頭に置かれていた。強烈な臭いと不衛生さにアフリカを感じる瞬間であった。

    (4)『市営マーケット』
    迷路のような旧市街を東に抜けると、市営マーケットとバスステーションに到着した。ザンジバルの交通の要衝であり、商業の中心地でもあるため、大勢の人が行きかっていた。
    マーケットの中には、近くの海で取れた魚介類が豪快に並べられ、肉も切り身が生のまま店頭に置かれていた。強烈な臭いと不衛生さにアフリカを感じる瞬間であった。

  • (5)『ビリヤニ』<br />市営マーケットから北へ10分ほど歩いて、パッシングショウでランチをとることにした。<br />チキンビリアニ(4500Tsh=225円)は黄色いサフランライスを使用したピラフ料理で、油が多めであったが味付けはあっさりとしていた。

    (5)『ビリヤニ』
    市営マーケットから北へ10分ほど歩いて、パッシングショウでランチをとることにした。
    チキンビリアニ(4500Tsh=225円)は黄色いサフランライスを使用したピラフ料理で、油が多めであったが味付けはあっさりとしていた。

  • (6)『驚嘆の家』<br />1832年 オマーンのスルタン、サイイド・サイードがザンジバルに首都を遷した。ザンジバルは奴隷や象牙、香辛料などの貿易で栄え、東西貿易の拠点として繁栄した。<br />サイードの息子バルガシュは、1883年に式典用の宮殿を建てた。ザンジバル島で初めて電気による照明とエレベーターが設置され、人々を驚かせたことから、驚嘆の家と名付けられた。<br />オマーンの支配の下、泥の小屋は石造りの建物へと変わり、街に水道が引かれるなど、ザンジバルの街は近代的に変化を遂げた。

    (6)『驚嘆の家』
    1832年 オマーンのスルタン、サイイド・サイードがザンジバルに首都を遷した。ザンジバルは奴隷や象牙、香辛料などの貿易で栄え、東西貿易の拠点として繁栄した。
    サイードの息子バルガシュは、1883年に式典用の宮殿を建てた。ザンジバル島で初めて電気による照明とエレベーターが設置され、人々を驚かせたことから、驚嘆の家と名付けられた。
    オマーンの支配の下、泥の小屋は石造りの建物へと変わり、街に水道が引かれるなど、ザンジバルの街は近代的に変化を遂げた。

  • (7)『驚嘆の家の屋上から』<br />旧市街にはサンゴの石灰岩でできた重厚な建物が建ち並んでいる。ストーンタウンの名はこうした建物に由来している。<br />この島には、当初から町に移住していたスワヒリ系、17世紀以降に移住したアラブ系、アジアとの貿易により結びつきを強めたインド系など多様な民族が暮らしている。<br />漆喰で塗り固めた白い住宅はアラブの影響であり、バルコニーはインドの建築様式である。それぞれの文化が何世紀にも渡って融合し、独自のスワヒリ文化が生み出された。

    (7)『驚嘆の家の屋上から』
    旧市街にはサンゴの石灰岩でできた重厚な建物が建ち並んでいる。ストーンタウンの名はこうした建物に由来している。
    この島には、当初から町に移住していたスワヒリ系、17世紀以降に移住したアラブ系、アジアとの貿易により結びつきを強めたインド系など多様な民族が暮らしている。
    漆喰で塗り固めた白い住宅はアラブの影響であり、バルコニーはインドの建築様式である。それぞれの文化が何世紀にも渡って融合し、独自のスワヒリ文化が生み出された。

  • (8)『奴隷収容室』<br />奴隷貿易はザンジバルの歴史における影の部分である。<br />大聖堂の手前にある教会の地下には奴隷収容室が残っている。高さは1m80cmほどで、室内は暗く圧迫感があり、奥行き7mほどの小さな部屋が2つある。<br />展示されていた鎖を持ってみると4kgほどあり、毎日首に鎖をつけられていたと思うと、奴隷の日々のつらさを実感した。

    (8)『奴隷収容室』
    奴隷貿易はザンジバルの歴史における影の部分である。
    大聖堂の手前にある教会の地下には奴隷収容室が残っている。高さは1m80cmほどで、室内は暗く圧迫感があり、奥行き7mほどの小さな部屋が2つある。
    展示されていた鎖を持ってみると4kgほどあり、毎日首に鎖をつけられていたと思うと、奴隷の日々のつらさを実感した。

  • (9)『奴隷市場跡』<br />18世紀以降、大きな利益を上げた輸出品が奴隷であった。オマーン支配下ではイスラム教徒の奴隷化を禁じており、アフリカ内陸部から連れてこられた人々が奴隷として買われていった。<br />当時、アメリカやブラジルなどでサトウキビのプランテーションが盛んとなり、世界的に奴隷の労働力が必要とされていた。<br />19世紀に入るとスルタン主導のもと、香辛料であるクローブのプランテーションが開発され、ザンジバル島内でも奴隷が必要となった。<br />ストーンタウンには東アフリカ有数の奴隷市場が置かれていた。年間1万人から3万人の奴隷が売買され、連行されて行った。<br />プランテーションの過酷な労働で生き残る者は少なく、常に新たな労働力が求められていた。

    (9)『奴隷市場跡』
    18世紀以降、大きな利益を上げた輸出品が奴隷であった。オマーン支配下ではイスラム教徒の奴隷化を禁じており、アフリカ内陸部から連れてこられた人々が奴隷として買われていった。
    当時、アメリカやブラジルなどでサトウキビのプランテーションが盛んとなり、世界的に奴隷の労働力が必要とされていた。
    19世紀に入るとスルタン主導のもと、香辛料であるクローブのプランテーションが開発され、ザンジバル島内でも奴隷が必要となった。
    ストーンタウンには東アフリカ有数の奴隷市場が置かれていた。年間1万人から3万人の奴隷が売買され、連行されて行った。
    プランテーションの過酷な労働で生き残る者は少なく、常に新たな労働力が求められていた。

  • (10)『大聖堂』<br />1873年 奴隷貿易を禁止していたイギリスの圧力によって奴隷市場は閉鎖された。<br />奴隷貿易という悲しい歴史を塗り替えるべく、イギリス人によって奴隷市場のあった場所に大聖堂が築かれた。<br />ゴシック様式を基本としながら、細部にイスラムの様式を取り入れたザンジバル独特の建築様式であった。

    (10)『大聖堂』
    1873年 奴隷貿易を禁止していたイギリスの圧力によって奴隷市場は閉鎖された。
    奴隷貿易という悲しい歴史を塗り替えるべく、イギリス人によって奴隷市場のあった場所に大聖堂が築かれた。
    ゴシック様式を基本としながら、細部にイスラムの様式を取り入れたザンジバル独特の建築様式であった。

  • (11)『パラダイスビーチバンガロー』<br />17:30 ストーンタウンからダラダラ(=ミニバス)で1時間30分かかり、パジェのパラダイスビーチバンガローに到着した。<br />タンザニアはイギリスの植民地であった影響で、道路は日本と同じ左側通行である。そのため、平成元年の車検証で17万kmの走行距離を超した日本のワゴン車や幼稚園バスがタンザニアでは現役で活躍していた。

    (11)『パラダイスビーチバンガロー』
    17:30 ストーンタウンからダラダラ(=ミニバス)で1時間30分かかり、パジェのパラダイスビーチバンガローに到着した。
    タンザニアはイギリスの植民地であった影響で、道路は日本と同じ左側通行である。そのため、平成元年の車検証で17万kmの走行距離を超した日本のワゴン車や幼稚園バスがタンザニアでは現役で活躍していた。

  • (12)『バンガロー内』<br />パラダイスビーチバンガローはおいしい日本食で有名である。その日にとれた魚を使った夕食やイスラム圏では珍しいトンカツなどが12000Tsh(=600円)と日本人にとってのパラダイスであった。<br />海のすぐそばにあり、夜になると波の音ととても美しい星空が印象的であった。

    (12)『バンガロー内』
    パラダイスビーチバンガローはおいしい日本食で有名である。その日にとれた魚を使った夕食やイスラム圏では珍しいトンカツなどが12000Tsh(=600円)と日本人にとってのパラダイスであった。
    海のすぐそばにあり、夜になると波の音ととても美しい星空が印象的であった。

  • (13)『キジムカジビーチ』<br />1/18 7:00パジェより車で20分ほど南へ走り、キジムカジビーチに到着した。ドルフィンツアー($40=3,200円)が有名で、看板がいくつも立っていた。<br />シュノーケルとフィンを借り、早速ボートで沖へと出発した。

    (13)『キジムカジビーチ』
    1/18 7:00パジェより車で20分ほど南へ走り、キジムカジビーチに到着した。ドルフィンツアー($40=3,200円)が有名で、看板がいくつも立っていた。
    シュノーケルとフィンを借り、早速ボートで沖へと出発した。

  • (14)『ドルフィンに遭遇』<br />20分ほどボートを走らせると、10mほど先に3匹のドルフィンのグループが仲良く泳いでいた。ほんの数秒背びれを出してくれたが、すぐに海の中へと潜ってしまった。

    (14)『ドルフィンに遭遇』
    20分ほどボートを走らせると、10mほど先に3匹のドルフィンのグループが仲良く泳いでいた。ほんの数秒背びれを出してくれたが、すぐに海の中へと潜ってしまった。

  • (15)『ドルフィンツアー』<br />10艇以上のボートがドルフィンの行方を追っていた。元々は「シュノーケリングをつけてドルフィンと一緒に泳ごう。」というツアーであったが、あまりの移動の速さに全員が翻弄されていた。<br />気合いを入れて潜っている人もいたが、しばらくするとドルフィンは朝食をとるため、さらに沖へと去っていってしまった。<br />わずか数十分であったが、ドルフィンを間近で見られてとても面白いツアーであった。

    (15)『ドルフィンツアー』
    10艇以上のボートがドルフィンの行方を追っていた。元々は「シュノーケリングをつけてドルフィンと一緒に泳ごう。」というツアーであったが、あまりの移動の速さに全員が翻弄されていた。
    気合いを入れて潜っている人もいたが、しばらくするとドルフィンは朝食をとるため、さらに沖へと去っていってしまった。
    わずか数十分であったが、ドルフィンを間近で見られてとても面白いツアーであった。

  • (16)『レッドコロブス』<br />パラダイスビーチバンガローからの帰り際に、レッドコロブスが敷地内に遊びに来ていた。かなり近くまで近寄っても逃げることはなく、人に慣れているようであった。<br />レッドコロブスは毒のある未熟な木の実をえさにしており、さらに解毒をするために炭を食べるという変わった猿の一種である。

    (16)『レッドコロブス』
    パラダイスビーチバンガローからの帰り際に、レッドコロブスが敷地内に遊びに来ていた。かなり近くまで近寄っても逃げることはなく、人に慣れているようであった。
    レッドコロブスは毒のある未熟な木の実をえさにしており、さらに解毒をするために炭を食べるという変わった猿の一種である。

  • (17)『クローブホテル』<br />1/19 13:00ストーンタウンのクローブホテルに到着した。オールド・アラブ砦の裏側にあり、屋上からの街の眺めがとてもきれいであった。<br />ダウンタウンの中にあるため、近くで子供たちが走り回り、拡声器を使ったイスラム圏独特のコーランの絶叫が鳴り響いていた。

    (17)『クローブホテル』
    1/19 13:00ストーンタウンのクローブホテルに到着した。オールド・アラブ砦の裏側にあり、屋上からの街の眺めがとてもきれいであった。
    ダウンタウンの中にあるため、近くで子供たちが走り回り、拡声器を使ったイスラム圏独特のコーランの絶叫が鳴り響いていた。

  • (18)『フォロダニ公園の夜市』<br />オールド・アラブ砦のそばのフォロダニ公園では、夕方に夜市が開かれる。多くの屋台が並び、とてもにぎわっていた。写真左側のカニツメが13000Tsh(=650円)、揚げダコが4000Tsh(=200円)と日本の物価と比較すれば安いが、タンザニアでは高級品であった。

    (18)『フォロダニ公園の夜市』
    オールド・アラブ砦のそばのフォロダニ公園では、夕方に夜市が開かれる。多くの屋台が並び、とてもにぎわっていた。写真左側のカニツメが13000Tsh(=650円)、揚げダコが4000Tsh(=200円)と日本の物価と比較すれば安いが、タンザニアでは高級品であった。

  • (19)『フットボールゲーム』<br />バスターミナルそばの公園では子供たちがサッカーをしていた。ザンジバルでは青いチェルシーのユニフォームを着ている人をたくさん見かけた。ドログバやエッシェンらのアフリカ出身の選手が在籍し、元イギリスの植民地ということも影響しているように思われた。<br />ザンジバルをガイドしてくれた黒人が「We are African.」と言っていたが、アフリカで1つの民族といった共同意識を心の中で持っているように感じられた。

    (19)『フットボールゲーム』
    バスターミナルそばの公園では子供たちがサッカーをしていた。ザンジバルでは青いチェルシーのユニフォームを着ている人をたくさん見かけた。ドログバやエッシェンらのアフリカ出身の選手が在籍し、元イギリスの植民地ということも影響しているように思われた。
    ザンジバルをガイドしてくれた黒人が「We are African.」と言っていたが、アフリカで1つの民族といった共同意識を心の中で持っているように感じられた。

  • (20)『ザンジバル空港』<br />帰りのダルエスサラームの空港でおみやげを探していると、「このコーヒーおいしいから買ってきな。」と陽気な店員が声をかけてきた。<br />「北部のキリマンジャロと西部のロブスタをミックスしたタンザニアのコーヒーだよ。」と勢いに押され、100gを1缶($6=480円)買うことにした。味は本場のコーヒーだけあって1缶しか買わなかったことを後悔している。<br />ザンジバルでは道行く人たちが気軽に「ジャンボ!」とあいさつをしてくれる。インド洋に面し、かつてアフリカの貿易の中心地であったザンジバルは、とてもオープンで居心地の良い街であった。

    (20)『ザンジバル空港』
    帰りのダルエスサラームの空港でおみやげを探していると、「このコーヒーおいしいから買ってきな。」と陽気な店員が声をかけてきた。
    「北部のキリマンジャロと西部のロブスタをミックスしたタンザニアのコーヒーだよ。」と勢いに押され、100gを1缶($6=480円)買うことにした。味は本場のコーヒーだけあって1缶しか買わなかったことを後悔している。
    ザンジバルでは道行く人たちが気軽に「ジャンボ!」とあいさつをしてくれる。インド洋に面し、かつてアフリカの貿易の中心地であったザンジバルは、とてもオープンで居心地の良い街であった。

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