2010/04/09 - 2010/04/10
760位(同エリア1703件中)
mingさん
4500年前に造られたギザのピラミッドはスフィンクスと合わせて巨大な直角三角形を形成する。天上の楽園である疑似来世を現し、その想像力とスケールの大きさに驚くばかりであった。
【生活費】7万円
【飛行機】15万円
【通貨単位】1£E(エジプトポンド)=18円
【英語通用度】4人に3人
【旅程】9日間
4/9カイロ
4/10カイロ
4/11エルサレム
4/12エルサレム
4/13ペトラ
4/14ペトラ
4/15アンマン
4/16ジェラシュ
4/17帰国
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
(1)『カイロ到着』
4/9 12:00カイロ国際空港に到着した。エアコンバスで市街地のタフリール広場へ向かった。1時間バスに乗っても、2£E(=36円)と格安アフリカプライスであった。 -
(2)『タラアト・ハルブ広場』
13:00にタフリール広場に到着した。1泊目だけタフリール広場から近くで、「周りが静か」との表現に魅かれホテルルナをネットで予約した。
タフリール広場から英語表記の看板を目印にしようとしたが、アラビア語表記の看板のあまりの多さに戸惑い、タクシーを拾うことにした。
そのタクシーもねぎったためか、昔のカーナビ並みに「この近くだ。」との場所で降りたが、さらに迷った末、奥まったところにあるホテルルナをようやく発見した。 -
(3)『考古学博物館』
14:30 早速エジプト考古学博物館へと向かった。
「エジプトを見るには、イギリスの大英博物館へ行け。」とは、エジプトの歴史的遺産の大半がイギリスに持っていかれたという皮肉である。
そんな事を忘れるほどのボリュームがあった。この博物館の目玉は2階右回廊にある「ツタンカーメンの遺品」である。黄金のマスクやほぼ盗掘されることなく発見された副葬品がほぼ完全の状態で見つかっている。 -
(4)『ハーン・ハリーリ』
17:20考古学博物館からタクシーを拾い、ハーン・ハリーリへと向かった。両地区を結ぶ高架はかなり渋滞し、30分ほどかかった。道路が混雑したが、乗る時に約束した5£E(=80円)でいいよ。と親切な運転手であった。
ハーン・ハリーリは、14世紀から続くマーケットである。雑貨や服やおみやげ屋などが雑然と並んでいる。
ここでも、小学生ほどの子供が台車を押したり、売り子を日常の一部としてこなしている姿を見ると、気の毒に思うことさえあった。 -
(5)『名物ハト料理』
ハーン・ハリーリ地区のレストランとして本に取り上げられていた「ファラハト」で夕食をとることにした。
雑誌の写真を指差し、ハトの丸焼きを注文した。結構なボリュームの割りに25£E(=450円)と予想外の安さであった。
ハトは筋肉質で味はチキンそのものであり、中にはライスが詰めてあった。向かいに座ったエジプト人は2匹注文し、ペロリと食べていた。
「右側にあるドリンクは何ですか?」と同席の人に尋ねると、「ハトのエキスだ。」と言われ、さすがにそれ以上飲むことを戸惑ってしまった。 -
(6)『マーケット』
ハーン・ハリーリを散歩していると、金属細工や革製品に水たばこ、さらに迷路のような細い道が複雑に曲がっており、イスラームの街に来たことを実感した。 -
(7)『ギザ市内』
4/10 7:00にピラミッドに向けて歩いていると、タラアト・ハルプ広場で「どちらに向かっているんだ?」と年配のエジプト人に声をかけられた。
「今からギザのピラミッドへ行くんだ。」と応えると、「私も夜勤を終えて、ギザの自宅へ帰るところだから、ギザまで案内するよ。」と道案内をしてくれた。
30分ほどバスを待つ間、手書きのピラミッドの地図を描いてくれて、3つのピラミッドが見えるポイントやサッカーラもお薦めですよ。と色々なことを教えてくれた。
「Welcome to my town!」とギザの街に入ると、笑顔でサイードは言った。
バスを途中下車し、ピラミッドが見える地元ならではポイントから、近づいてきたピラミッドの大きさに少しずつ感動が大きくなってきた。 -
(8)『パピルス博物館の罠』
サイードの薦めでパピルス博物館に入ることにした。
ペイパーの語源となったパピルスは、ナイル川の湿地帯に多く繁殖するパピルス草の茎をもとに作られた世界最古の紙である。
その作り方を店員が一通り説明し、実演して見せてくれた。
店内の作品を見ていると店員の接客が始まった。「最後の審判が人気だ。」と言うので、200£E(=3,600円)で1枚おみやげに買うことにした。
とここまでは納得の上であった。ところがその後店員が「ヒエログリフで名前を入れるか?」と尋ねてきたので、サービスと思い込み、入れてもらうことにした。
請求書を見ると350£E(=6,300円)と倍近くになっていた。「おかしいではないか。」と言うが、マジックで自分の名前が入っているため無駄な抵抗となった。
他にも店内に名前のスペースのあるパピルスが多数あり、入口に日本語で「パピルス博物館」とある訳がようやく理解できたが、後の祭りだった。 -
(9)『ギザの街並み』
「少しお茶をしていこう。」とピラミッドの裏側でバスを降りた。「この辺りはベドウィンが住んでいて、お茶やご飯をサービスしてくれるんだ。」とのことであった。
チャイとコシャリが出てきた後、サイードが「ピラミッドはどうやって廻る予定ですか?」と尋ねてきた。
特に考えてはいなかったが、その店の別のツアーガイドが「400£E(=7,200円)で、ラクダ・ガイド・入場料・ピラミッド内部をすべて込みでどう?」との提案があった。
カイロのホテルを出発してから2時間が過ぎ10:00近くになっており、3時間で効率的に廻れるので、そのツアーに参加することにした。
サイードは、「サッカーラもいいですよ。」と熱く薦めてくれたが、朝のバス待ちやパピルス博物館に加え、お茶をのんびり飲んで2時間も無駄にしており、夕方に飛行機に乗るため、サッカーラは断念した。 -
(10)『ビューポイント』
10:00にラクダに乗って西入口より入場した。
さらに1時間ほど歩き、ピラミッドが3つ見えるビューポイントに到着した。
一番奥がクフ王で、高さは136mあり、巨石を約230万個を使用した最大のピラミッドである。1つ約2.5tの巨石は13km離れたカイロから30年かけて運び、さらに15年かけて積み上げた。
真ん中がカフラー王で、数百km離れたルクソールからナイル川の氾濫を利用して25年かけて巨石を運んだ。積み上げは15年と変わらないが、クフ王のものより工程を5年短縮した。
手前がメンカウラー王で、財政難のため高さは他のピラミッドの4割ほどの65.5mであり、工程は計30年といわれている。 -
(11)『ピラミッドの謎』
ピラミッドは王の墓と思われがちであるが、クフ王のピラミッド内に「クフ王の名と統治17年目」という記述が発見された以外は、ミイラも装飾品も見つからなかった。
ギザの3つのピラミッドは、それぞれの対角線がきれいに一直線を描くように配置され、スフィンクスを合わせると巨大な直角三角形となる。
ピラミッドを含む巨大な空間は、天上の楽園である疑似来世を現していたのではないかということが推測される。 -
(12)『ピラミッドに接近』
どのピラミッドも表面を覆っていた化粧石は、イスラム王朝の建造物に使用されたり、住民の家の一部として持ち去られてしまった。
ピラミッドは登頂禁止となっているが、その日の朝刊に「カフラー王のピラミッドに登ったエジプト人が、降りられなくなった。」という記事が掲載されていた。高さ136mのピラミッドが高すぎて降りられなくなったというのが原因であった。結局、登頂してから2日後にヘリコプターで救出されたとのことであった。 -
(13)『ピラミッド内部ツアー』
ピラミッド内部ツアーの入口は、9世紀にアッバース朝のカリフが内部に侵入するために強引に開けた穴である。
行列の少なかったカフラー王のピラミッド(30£E=540円)に入ることにした。高さが1mほどの狭い通路を降り、階段を上がった先の部屋に石棺が1つ置いてあった。他の通路は進入禁止となっており、10分ほどで内部ツアーは終了した。噂通りの微妙なツアーであった。 -
(14)『スフィンクス』
スフィンクスはピラミッドが建てられる以前に作られたという説が有力である。顔を東側に向け、日の出とともに太陽の光を浴び、太陽神ラーの化身として太陽信仰の象徴としてその威光を人々に示していた。
太陽の光を浴びたスフィンクスからパワーを得て、ピラミッド建設に従事したと言われている。
そのスフィンクスは、大量の砂嵐によって砂の中に埋もれ、長い歴史の間その存在を忘れられていた。
19世紀の後半になり、首まで砂に埋まったスフィンクスを掘り出し、ようやくその全貌を現した。しかしその一方で、大量の砂嵐によって破損の危機にさらされていることはとても皮肉に思われた。 -
(15)『労働者の住居跡』
ピラミッド建設は、ナイル川の氾濫期に仕事ができない農民を建築作業に従事させ、衣料や食糧を配給するという失業対策であった。
ピラミッドの石を運んだアスワンの石切り場では、建設作業に関わった労働者の落書きが発見された。「家に帰ったらパンをいっぱい食べよう。」といった楽しく働いている様子が推察されるものであった。
奴隷のように鞭打たれて働かされたわけではなく、王への奉仕活動であり、ピラミッドのすぐそばに労働者たちの住居跡が今も残されていた。 -
(16)『ナイル川』
タクシーを途中で停めてもらい、「ナイルの賜物」で有名なナイル川を間近で見ることにした。雨自体が少ないため、名前の割に小さい印象であった。
わずか30時間足らずのエジプト滞在であったが、古王国からイスラム王朝を経て現代へと、4500年間生き続けたカイロという街の様々な表情を見ることができた。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
アフリカ
-
前の旅行記
【6】旅行記2 (3)モロッコ縦断サハラ沙漠の旅
2007/03/23~
マラケシュ
-
次の旅行記
【34】旅行記12 (1)ブラックアフリカへ・ナイロビの旅
2012/01/13~
ナイロビ
-
【6】旅行記2 (3)モロッコ縦断サハラ沙漠の旅
2007/03/23~
マラケシュ
-
【23】旅行記8 (1)カイロ&ギザ散策の旅
2010/04/09~
カイロ
-
【34】旅行記12 (1)ブラックアフリカへ・ナイロビの旅
2012/01/13~
ナイロビ
-
【35】旅行記12 (2)マサイマラ・アニマルプラネットの旅
2012/01/14~
マサイマラ国立保護区周辺
-
【36】旅行記12 (3)青い海と石の街・ザンジバルの旅
2012/01/16~
ザンジバル
-
【48】旅行記20 (1)ビクトリアの滝・ヘリコプター&クルージングの旅
2013/07/09~
ビクトリアの滝周辺
-
【49】旅行記20 (2)動物の楽園・チョベサファリ日帰りの旅
2013/07/11~
チョベ
-
【50】旅行記20 (3)ヨハネスブルグの安全地帯・サントン&ソウェトの旅
2013/07/12~
ヨハネスブルグ
-
【51】旅行記20 (4)ケープタウン&クルーガー・アニマルプラネットの旅
2013/07/13~
クルーガー国立公園周辺
-
【56】旅行記22 (1)横っ跳びシファカがお出迎え・ベレンティサファリの旅
2014/07/15~
ベレンティ・プライベート保護区周辺
-
【57】旅行記22 (2)アンタナナリボ&ペリネ保護区散策の旅
2014/07/18~
アンタナナリボ
-
【58】旅行記22 (3)バオバブ並木道の夕焼け・ムルンダバの旅
2014/07/20~
モロンダバ
-
【71】旅行記28 (1)セレンゲティ・アニマルプラネットの旅
2015/09/22~
セレンゲティ国立公園周辺
-
【72】旅行記28 (2)ンゴロンゴロ・クレーターサファリの旅
2015/09/26~
ンゴロンゴロ自然保護区周辺
-
【75】旅行記31 (1)赤い砂の風景画・ナミブ砂漠ツアーの旅
2016/06/13~
ナミブ砂漠周辺
-
【76】旅行記31 (2)エトーシャ・アニマルプラネットの旅
2016/06/17~
エトーシャ
-
【101】旅行記45 (1)マサイマラ・ビッグ5コンプリートの旅
2019/11/19~
マサイマラ国立保護区周辺
-
【105】旅行記48 (1)ゴリラトレッキング&ウガンダコーヒーの旅
2024/01/30~
ブウィンディ国立公園周辺
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
カイロ(エジプト) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ アフリカ
0
16