2007/03/23 - 2007/03/29
576位(同エリア1022件中)
mingさん
「ジブラルタル海峡を渡ってサハラ砂漠へ。」そんな思いつきで旅立ったが、野宿のピンチをかわしてほぼ24時間バスに乗り続け、ようやくたどり着いたサハラの大きさに感動した。
【生活費】10万円
【飛行機】15万円
【通貨単位】1DH(ディラハム)=15円
【英語通用度】4人に1人
【旅程】10日間
3/20マドリッド
3/21マドリッド→トレド→グラナダ
3/22グラナダ→アルヘシラズ
3/23アルヘシラズ→タンジェ→カサブランカ→マラケシュ(車中泊)
3/24マアミド→サハラ砂漠
3/25サハラ砂漠→マアミド→マラケシュ
3/26マラケシュ
3/27マラケシュ→カサブランカ
3/28カサブランカ
3/29帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- エールフランス
-
(1)『ジブラルタル海峡横断』
10/23の9:00スペイン南端のアルヘシラズを出発した。ジブラルタル海峡を渡り、10:30(スペイン時間11:30)にモロッコの北の港口のタンジェに到着した。船から見えたアフリカ大陸は、所狭しとビルが建ち並び、想像していたアフリカとは全く異質なものであった。 -
(2)『アフリカ大陸上陸』
入国ゲートを通り、長距離バスの乗り場に到着した。
「マラケシュまで1枚。」とチケット売場の人に言うと、「直通はないですが、カザで乗り換えならありますよ。」との返事だった。「カザってどこだ?ガザ地区のことか?」と言うと、地図を指差し、「カサブランカのことです。」と言うので、とりあえず買うことにした。
マラケシュまでは約600kmを12時間で走る強行スケジュールであった。その割に値段は245DH(=3,675円)と格安プライスであった。 -
(3)『バス荷物詐欺に遭遇』
バスに荷物を置いていると、あるおじさんが「ここに荷物を置くんだ。カサブランカで荷物を出してもらうんだ。」と言われ、「何を当たり前のことを言っているんだ。ポーターなのか?このおじさんは。」と思った瞬間、そのおじさんは「5DH(=75円)くれ。」と要求してきた。「モロッコはポーターに金をやる習慣があるのか?」と思い、とりあえず5DHを渡した。
バスに乗り、出発を待っていると、さっきのおじさんはどこかに歩き去っていった。その時になってようやく「あのおっさんは、寸借詐欺だったのかぁ。」と早くもアフリカの洗礼を浴びることとなった。 -
(4)『カサブランカ散策』
6時間の乗車の後、カサブランカに17:30に到着した。カサブランカの街は哀愁のただよう街だと勝手な想像をしていたが、車がやたらに多く、高層ビルが建ち並ぶアフリカらしからぬ街であった。
19:30発のマラケシュ行きまで2時間あったので、旧市街(=メディナ)を見に行くことにした。メディナは7世紀頃に外敵の侵入に備え、城壁に囲まれた造りである。入り組んだ路地は迷路のようになっており、商店街やみやげ屋が詰まった街である。
メディナの少し奥まった所まで探索し、ケバブサンドを6DH(=90円)で買った。食べ歩きながら出口を目指すが、同じような道のため帰り道を見失ってしまった。出発の時間が刻一刻と近づき、急げば急ぐほど行き止まりになってしまった。出発の10分前になってメディナを抜け、バスターミナルまで全力疾走で走った。ギリギリでバスには乗れたが、その先のアフリカ旅行を暗示するかのような一幕であった。 -
(5)『野宿の危機』
深夜0:30マラケシュ(=南部の商業都市)に到着した。1時間ほどホテルを探して街を歩いたが、金曜日はイスラムの休日ということもあり、どのホテルも満員かすでに閉まっていた。「野宿しかないのか!?」と絶体絶命となり、とりあえずバスターミナルに戻ることにした。
バスターミナルには大勢の人がいた。チケット売場の人に聞くと、「2:00発のワルザザート方面(砂漠への中継地)行きがすぐに来る予定だ。」とのことだったので、それに乗っていくことにした。
しばらく待合室で待っていると、サリーをかぶった女性が、「どちらに行くんですか?」と尋ねてきた。「砂漠方面に向かっているんだ。」と答えると、「次のバスはザゴラ(砂漠手前の街)まで行くから、それに乗っていくといいよ。私も行くから、そこで案内してあげるよ。」と野宿から一転して、強行スケジュールで砂漠を目指すこととなった。 -
(6)『ザゴラに到着』
アトラス山脈を越え、崖スレスレの道を通り、ひたすらザゴラを目指した。途中の道は荒地か湿地が広がり、1時間ほど走り、忘れた頃に小さな村が現れた。電線もなく、壁が土でできた家を見て、ようやくアフリカに来た実感がした。
アフリカ入国後から2日目の朝10:00に、ようやくザゴラに到着した。ほぼ24時間バスに乗り続け、何とか砂漠の手前の街まで到着した。
バスを降りると、砂漠ツアーの客引きが待ち構えていた。「とりあえず店まで行こう。」と言うので、バイクの後ろに乗り、話を聞きに行くことにした。
1泊2日で1,350DH(=20,000円)であった。ネットで調べた3,700DHより安かったので納得の範疇であった。 -
(7)『ボッタクリ服屋』
砂漠ツアーは、準備後休む間もなくザゴラを11:30に出発することとなった。それまでの間、ターバンや砂漠用の服を買いに出かけた。
ツアーガイドに案内された店では、「砂漠用の服は800DH(=12,000円)だ。」と言う。「ツアーが1,350DHなのに、そんな値段はあり得ない。」と返答すると、「いくらなら出せるんだ。」との回答であった。結局、ツアーとグルだと判断し、「隣の店で買うから、もういいよ。」と店を出た。ツアーガイドは何か文句を言っていたが、ボッタクリとわかって買うのもバカバカしいので、聞き流すことにした。
隣の店に行くと、服にターバンとバブーシュ(=砂漠用のスリッパ)を合わせても340DH(=5,100円)であった。商談が成立し、チャイが1杯出てきた。チャイを飲んでる最中にも、「この絨毯はどうだい?」としつこい接客があったが丁重に断った。1時間後にツアーの出発地で、昼食を取りようやくひと息つくことができた。 -
(8)『サハラ砂漠』
15:00らくだに乗ってサハラ砂漠へと出発した。3月であったが、砂漠は初夏のような日射しと心地よい春風が吹き、風の音とらくだの足音しか聞こえない独特の世界であった。
砂漠は広過ぎて、後ろを振り返ってもどこから来たのかわからなくなるほどであった。しばらく進むと、大きな平地や水がなくても育つ草木が現れた。風によって作られた砂模には色々な砂模様があった。 -
(9)『祈りの時間』
同行してくれたファルークという男は黙々とらくだを連れて歩いていた。モロッコではフランス語とアラビア語が公用語で、英語が通じなかったのが残念であった。
途中17:00頃、「少しストップだ。」と言うので待っていると、夕日と反対方向の東に向かってイスラム教の祈りを始めた。学生時代に、「イスラム教は西のメッカに向かって1日5回の祈りをする。」と習ったことを思い出した。「反対方向じゃないのか?」と思ったが、よく考えると、「メッカはモロッコから東だからか。」と1人で納得していた。 -
(10)『キャラバンサライ』
広い砂地を歩いていると、他のツアーが遠い方向に見えた。ツアーによっては10日間かけてキャンプ地を経由するものもあるそうだ。
フランス語が通じるため、長期休暇を取って砂漠ツアーに訪れるフランス人が多かった。独立から半世紀が経っても、過去の歴史があるのだと感じた。 -
(11)『キャンプ用テント』
18:30にテントのある宿泊地に到着した。あんな広い砂漠でよく着いたものだ。と少し感心した。
テントの中は掘っ立て小屋のようで、夕食はガスバーナーで煮たタジン(=野菜と鶏肉の煮込み)を食べた。キャンプのようでいい味を醸し出していた。
砂漠の空は星がたくさん見え、写真に映せないのが残念であった。 -
(12)『サハラの日の出』
入国から3日目の朝、日の出を見るために6:00前に起き、近くの砂山を登った。朝の砂は少しひんやりとしていた。高い所に寝転がり、明るい方向を見て朝日が出てくるのを待った。静かな砂漠では、風の音が聞こえ、砂粒が忙しく動いていた。
ようやく朝日が顔を見せた。視界を遮るものがないため、朝日は砂漠の表情を徐々に変えていった。 -
(13)『砂漠の朝』
砂漠の朝はひんやりとして、心地が良かった。砂漠にも関わらず、すずめが食べ残しに集まっていた。モロッコのすずめは、「ちゅんちゅん。」と鳴き声が日本と一緒であったが、体が白色で少し違和感を感じた。
出発の時間となり、キャンプ地で一緒であったフランス人の夫婦は、さらに奥の方へとツアーをするそうだ。この砂漠に1週間もいたら、時間の考え方がとてもゆっくりとなるような気がした。ファルークと自分は、行きに来た道とは反対の道を通って帰路についた。 -
(14)『サハラの井戸にて』
帰り道に井戸でらくだに水をやるため休憩をした。砂漠の中で、久しぶりに大量の水を見て、ついつい写真を撮ってしまった。イスラム教のモザイク画で青色が貴重な水を現すように、水が大切にされるのがわかるような気がした。 -
(15)『ボッタクリタクシー』
15:00に砂漠ツアーが終わり、ザゴラのバスターミナルへ向かうことにした。宿泊地の出口でタクシーが待っていた。1人200DH(=3,000円)と言っていたが、バスで10時間走っても130DH(=1,950円)だったから、「またボッタクリか。」とうんざりした。
宿泊地の外に出ると20才くらいの地元の男性が歩いていたので、「サラム・エイコム(=こんにちは)。」と声をかけた。「ジャポネ。どうした?」と返答があった。「100DH(=タクシーの半額)でザゴラまで行きたいのだが。」と尋ねた。「OK。20分ほどでバスが来るから待っていてくれ。」と値下げ作戦に成功した。 -
(16)『乗り合いバスの波乱』
バスに乗り、隣にいた乗客に「ワルザザート(=ザゴラからさらに6時間の街)までいくらするんだ。」と尋ねた。「だいたい70DHくらいだ。」との返答であったので、アシスタントと値段交渉をしてみた。
「さっきザゴラまで100DH払ったけど、(その先の)ワルザザードまで行けるか?」と尋ねた。「は?本当に100DH払ったのか?」とアシスタントが答えた。領収印のあるチケットを見せ、「あの料金係のおじさんに払ったんだ。」と返答した。「ちょっと待っていてくれ。」とアシスタントは料金係のおじさんの方へ歩いていった。
アシスタントは料金係に「おまえ本当に100DHもらったのか。ブローカーか何かとつるんでいるのか。」と口げんかとなり、結局、「ワルザザートまでOKだ。」ということになった。
街の途中の休憩所では、小学生ほどの少年が小さなバケツを持って、「お金をちょうだい。」とバスの中を回っていた。
車窓からは、民家の軒先で何もすることもなく、1日中外に座ってバスに手を振っている老人を見て、時間の流れ方の違いにがく然とした。
乗り合いバスは、色々な人間ドラマがあって100DH払っても惜しくはないと思った。 -
(17)『ジャマ・エル・フナに到着』
入国4日目の深夜、マラケシュに到着した。また深夜の到着であったため、今度はタクシーでジャマ・エル・フナ広場まで行くことにした。何とかホテルが見つかり、アフリカで初めてのベットであったためその日はぐっすり眠れた。
朝の10:00頃、突然の携帯電話の着信で目が覚めた。「晩飯、行きますかー。」と日本(=日本時間19:00)の知り合いからの電話であった。「すいません。今アフリカにいるもので、行けないです。」と日本食が恋しい時期であったが、行く事はできなかった。海外での携帯電話の通話料は、日本の発信基地までは相手持ちであるが、海外の電話会社の回線使用料はすべて自分持ちであった。
気を取り直して、ホテルを出発した。途中で「道を案内するよ。」とか、「宿泊ホテルは見つかったか?」と道端のおじさんが声をかけてきた。今までのパターンからして、案内料の5DH(=75円)をせがまれるに決まっているので、丁重にお断りした。
程なくして、中心街のジャマ・エル・フナ広場に到着した。まだ昼前なのに、楽器の音が響き、雑踏で広場はごった返していた。その日は、ヘビ使いのおじさんやベルベル人の民族衣装を着た水売りのおじさん達がいた。本に載っていた火を噴く大道芸人には会えず、残念であった。 -
(18)『値札のないマーケット』
昼のジャマ・エル・フナ広場には、同じオレンジジュース屋が横に4件ほど並んでいた。値段も同じ10DH(=150円)で、ジュース屋の前を通りがかるたびに、「ジャポネ、ジャポネ、ナカタ、ナカタ。」と4人揃って呼び込み合戦をしていた。
自分のおみやげにTシャツを買うことにした。Tシャツ屋の前で、「このTシャツいくら?」と聞くと、「1,000DH(=15,000円)だ。」と言う。「なわけないだろ。」と全く呆れてしまった。さらに別のTシャツ屋でも値段を聞いてみることにした。
その店員も「400DH(=6,000円)だ。」といつもの調子だった。とりあえず「(10分の1の)40DH(=600円)でどうだ。」と返答する。
店員も「では、100DH(=1,500円)だ。」と一気に75%オフとなった。いやいや「50DH(=750円)なら考えよう。」と答えた。
店員は「90DH(=1,350円)が限界だ。」と言う。店を出る素振りをして、「では、別の店を見てから決めるよ。」と返答した。
店員は慌てて、「80DH(=1,200円)にするよ。」とさらに値下げを行った。ここまで来ると、さすがに笑えてきた。もう100円、200円の違いはどうでも良くなり、話のネタに買うことにした。もう1回遊んで「60DH(=900円)なら買ってもいいよ。」と答えると、「70DH(=1,050円)」となり、ネタ代込みで買うことにした。
モロッコでは、最初の言い値の4分の1前後で落ち着くことが多かった。そこに行くために、さらに安値からスタートすれば、ボラれる金額も少なくて済むというのが実感であった。 -
(19)『夜のジャマ・エル・フナ広場』
マラケシュ2日目はオテル・ミモザに泊まった。奥まった所にあり、ジャマ・エル・フナ広場のそばとは思えないほど静かであった。中庭(パティオ)の吹き抜けがさわやかで、モザイク模様の壁もモロッコらしくて良かった。
夜のジャマ・エル・フナ広場は、どこからともなく現れた屋台が所狭しと並んでいた。番号札をつけた屋台が50台以上も集結し、近くを通るたびに「35番、35番。」としつこい勧誘をされた。皿料理が1皿10DH(=150円)から食べられ、モロッコ人を体験した気がした。 -
(20)『カサ・ヴォワジャー駅』
最終日は、空港への交通の便がよいカサ・ヴォワジャー駅のそばのオテル・テルミニュスに泊まることにした。
16:00頃到着し、駅の南にあった小さな食堂で夕食をとることにした。アルバイトをしていた中学生ほどの黒人の子が、「料理うまいだろ。」とウィンクをしてきた。面白いやつだったので、「どこから来たんだ?」と尋ねると、「ザゴラから来たんだ。」との答えが返ってきた。「俺もザゴラに行ってきたんだ。」と言うと、意気投合して「記念に写真を撮ろう。」ということになり、2人で肩を組んで写真を撮った。その後は、翌朝の出発まで半日を切ったため、ホテルで早く休むことにした。
ヨーロッパから約2時間のアフリカは、世界最大の砂漠や値札のついていないものを売られたりと、カルチャーショックの塊のような国であった。
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