2012/01/05 - 2012/01/13
82位(同エリア400件中)
旅人のくまさんさん
- 旅人のくまさんさんTOP
- 旅行記6398冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 5,046,507アクセス
- フォロワー202人
帰国の日になりました。往きとは逆コースとなる、チュニジアのカルタゴ国際空港経由で、カタールで乗継ぎ、関西国際空港へ向かう帰国コースです。往きよりは少し短い、20時間弱のフライトです。今回の旅行は、往復で丸2日掛かりました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
- 交通手段
- 飛行機
-
カサブランカで泊まったホテル、『カサブランカ・ドゥ・パリ』のロビー光景です。季節の生花が飾られていました。ネット情報では、1984年創業、9階建・88室、4つ星ホテルと紹介されていました。アクセスは、モハメッド 5 世広場まで徒歩6分、カサブランカ・ムハンマド5世国際空港まで車で32分と紹介されていました。(同上)
-
『カサブランカ・ドゥ・パリ』の自室の紹介です。時間を遡って、昨晩(1月11日)撮影したものの紹介です。当初予定では今日(1月12日)の見学予定だった、ハッサン2世モスクを昨日の内に見学を終えましたので、昨日の内にすべての見学を終了しました。(同上)
-
昨晩撮影した水割りセットです。氷はありませんので、水で割っただけです。帰りの荷物の整理にもなりました。ゆっくりと絵葉書を眺めながら、これまでの旅を振り返りました。(同上)
-
〇『モロッコの絵葉書(その1):サハラ砂漠』:絵葉書にはフランス語で、『Zagoura
Les Dunes Toundout』の説明がありました。説明文は意味不明でしたが、サハラ砂漠の『メルズーカ大砂丘』とそっくりの光景でした。(同上) -
〇『モロッコの絵葉書(その2):カサバ』:絵葉書にはフランス語で、『La Kasabah de Tamdaght』と紹介されていました。見学した世界遺産の『アイト・ベン・ハドゥ』に近いカスバの『タムダフト』ようです。『アイト・ベン・ハドゥ』はクサール(集落)ですが、写真の建物は、城砦になるようです。(同上)
-
〇『モロッコの絵葉書(その3):コウノトリ』:絵葉書にはフランス語で、『Nids De Cigognes Et Fleurs A Mendiers』の表示がありました。『Nids De Cigognes』は、『コウノトリの巣』、『Et Fleurs A Mendiers』が『花乞食』と訳されてしまいました。白い花を指していることだけは間違いないようです。コウノトリ(シュバシコウ)は、各地で目にしました。(同上)
-
〇『モロッコの絵葉書(その4):フェズの染色工場』:絵葉書にはフランス語で、『Tannerie De Fes』の表示がありました。『タネリー・デ・フェス』と和訳されましたが、この旅行記では『タンネリ・ショワラ』、あるいは『ショワラのなめし皮工場』で紹介しています。そのフェズのなめし皮染色工場の光景です。(同上)
-
〇『モロッコの絵葉書(その5):ファンタジア』::絵葉書にはフランス語で、『Fantasia』の表示がありました。元々は音楽用語で、形式にとらわれず自由に楽想を展開させて作曲された作品のことです。推測ですが、写真はアマジグ人(ベルベル人)の騎兵姿のようです。(同上)
-
カサブランカで1泊したホテルの自室を紹介しておきます。ホテルの名前は、先に焼死したように『カサブランカ・ドゥ・パリ』です。フランス統治時代が、そのまま感じられるホテルの名前です。フランスから独立後は、モロッコとの間には緊張関係は生まれていないようです。(同上)
-
カサブランカで1泊したホテルの自室の紹介が続きます。洗面台や、鏡に映った洗面室の光景です。1984年創業のホテルですから、30年近くが経過していますので、建物の痛みがちらほらと散見されましたが、素泊まりに近い滞在ですから、特段に気になることはありませんでした。(同上)
-
洗面台付近のズームアップ矩形です。ドライヤーやティッシュ・ペーパーの備え付けがありました。ここにコンセントがありましたので、携帯電話の充電をしておきました。充電した携帯電話を置き忘れたことはありませんが、コンセントのアダプターを置き去りにした経験はあります。携帯とカメラのバッテリーの充電ができました。(同上)
-
泊まった部屋の入口ドア方向の光景です。細長い部屋でしたが、一人で利用するには十分な広さでした。左手前に、最後の二図庫裏中のスーツケースが見えています。30年近く経ったホテルの室内ですが、メンテナンスはしっかりとされていました。(同上)
-
推定ですが、モロッコの歴史的建築物に使われた射たものが展示してあるようでした。多分、アトラス杉が使われた部材のようです。少し歪んだ形ですが、白壁を背景に第二の人生の居場所が決まったようです。(同上)
-
イチオシ
荷物を纏めて、1階ロビーに向かう途中のエレベーターホールの光景です。弁柄色に塗り込められたドアと、その周りの壁の光景です。ドアには、白色の枠取りの中にカラフルなアラベスク文様が描かれていました。(同上)
-
イチオシ
予定の時刻にホテルを出発し、カサブランカ国際空港に到着しました。カサブランカからは、チュニジアのチュニス経由でカタールのドーハへの移動予定です。現地集合、現地解散のツアーですから、カサブランカで現地ガイドさんとはお別れです。ここまで、快適な旅を続けられたことを深く感謝いたします。(同上)
-
カサブランカ国際空港のチェックイン前のターミナルビル内の光景です。茂呂子を代表する国際空港ですから、その名に恥じないターミナルビルでした。歴史的名画の『カサブランカ』が撮影された1940年代とは、比較ができないほど様子が変わっているようです。多分、空港の位置も変わっています。(同上)
-
出発便案内の電光表示板です、現在時刻が7時23分、10時30分発のチュニス経由ドーハ往きのQR551便が、一番上に表示されていました。旅行計画書では、チュニスに所要時間が2時間30分(時差1時間)で、14:00に到着、15:10にチュニスを出発し、所要時間5時間10分(時差2時間)で、22:20にドーハに到着予定となっていました。搭乗まで、まだたっぷりと時間があります。(同上)
-
第2ターミナルの出発便の大きな電光表示板の光景です。10時30分発のチュニス経由ドーハ往きの便が、左側の列の中間付近に表示されていました。便名はまだ表示されていませんでした。(同上)
-
カサブランカ空港は、今回の旅行で往きにも利用した空港ですから、この光景には見覚えがあったような記憶でしたが、写真には残していません。似たような場所の記憶違いだったかも知れません。(同上)
-
待ち時間はたっぷりありますが、先に出発ロビーの場所を確認しました。知らない空港では、最優先にするいつもの行動です。元は軍港だったらしい場所に建てられた黒空港は、開港年がネット検索では分かりませんでした。(同上)
-
二軒並んだ免税店のようです。『Ryad des Saveurs』の表示がありました。『リャドの味』のような意味になるようです。『Ryad』の意味が分かりませんでした。地名当たりでしょうか。(同上)
-
カサブランカ国際空港(ムハンマド5世国際空港)の出発ターミナル内の光景が続きます。左手のお店は、免税店のようです。一番手前にシャネルの大きな看板がありました。お店の周りの照明が少し暗いようです。(同上)
-
『Plan de Situation』のタイトルがあった案内看板の交易です。『Plan』は『計画』『Situation』は『状況』の意味です。左上には『Food Center』の文字もありましたから、フランス語と英語の混ぜ書きかも知れません。空港の平面図と施設案内のようでした。(同上)
-
モロッコの航空会社『ロイヤル・エア・モロッコ』の機材光景です。1957年に創業して以来、モロッコのいわゆる『フラッグ・キャリア』です。この『ムハンマド5世国際空港』をハブ空港としている、アラブ航空会社機構(AACO)の一員です。尾翼の緑の星がモロッコの象徴とされます。(同上)
-
出発準備中の機材の光景です。尾翼が縦向きに近く、マークを読み取れませんでした。カサブランカ国際空港の正式名は『ムハンマド5世国際空港』、もともとアメリカ空軍のヌアッサー空軍基地であった場所に開港しました。現在でも地元民は空港のことを郊外の地名である『ヌアッサー』と呼ぶこともあるようです。(同上)
-
最初に目にした電光表示板には、『Hall:T2、Desks:25~28』の表示がありました。2番ターミナルの25番から28番の出発ゲートと読み替えてもよさそうです。この場所は、31番と32番の出発ゲートになるようです。(同上)
-
イスを片付けて、閉店の表示がされていたお店の光景です。厨房に白い作業服の人の姿がありましたから、開店前だったかも知れません。右の方にはお客さんらしい列ができていました。(同上)
-
イチオシ
尾翼のマークは、オリックスの頭部のようです。カタールの国営航空会社で、カタールのナショナル・フラッグ・キャリアです。多分、今回の搭乗機です。イギリスのスカイトラックス社による航空会社の格付けでは、『ザ・ワールド・ファイブ・スター・エアラインズ』の認定を得ています。1993年11月に設立された会社です。(同上)
-
通路に隣接した、出発ロビー付近の光景です。右手に『バー(Bar)』がありました。左手からは強い日光が差し込む場所のようでした。そのためでしょうか、天井は反射光を抑制する目的のような、抑えた色調と構造でした。(同上)
-
手荷物検査場付近の光景です。普通は、写真撮影が規制される場所ですが、その雰囲気はありませんでした。離れた場所からの撮影です。預けた荷物はドーハでは受け取る必要がなく、関西国際空港での受け取りでした。(同上)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2012正月、モロッコ王国旅行記(下巻)
-
前の旅行記
2012正月、モロッコ王国旅行記(43/49):1月11日(9):カサブランカ、ハッサン二世モスク、巨大ミナ...
2012/01/05~
カサブランカ
-
次の旅行記
2012正月、モロッコ王国旅行記(45/49:本文完):1月12日(2)~13日:帰国、カタールから関西国際...
2012/01/05~
ドーハ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(31/49):1月10日(6):フェズ旧市街、荷物運びのロバ、旧市街の商店...
2012/01/05~
フェズ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(32/49):1月10日(7):フェズ旧市街、皮なめし工場、屋根上の光景
2012/01/05~
フェズ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(33/49):1月10日(8):フェズ旧市街、宮殿様式のレストランでの昼食
2012/01/05~
フェズ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(34/49):1月10日(9):フェズ旧市街、アッタリン神学校、陶器工場
2012/01/05~
フェズ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(35/49):1月11日(1):古都メクネスへ、エディム広場・マンスール門
2012/01/05~
メクネス
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(36/49):1月11日(2):メクネス、エディム広場、城壁、マンスール門
2012/01/05~
メクネス
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(37/49):1月11日(3):メクネス、エディム広場、ラバト、モハメド五...
2012/01/05~
ラバト
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(38/49):1月11日(4):ラバト、モハメド五世廟、未完のハッサンの塔
2012/01/05~
ラバト
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(39/49):1月11日(5):ラバト・モハメド五世廟、未完のハッサンの塔
2012/01/05~
ラバト
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(40/49):1月11日(6):ラバト、ウダイヤのカスバ、大西洋が見える城...
2012/01/05~
ラバト
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(41/49):1月11日(7):ラバト、レストラン、大西洋、カサブランカへ
2012/01/05~
カサブランカ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(42/49):1月11日(8):カサブランカ、ハッサン二世モスク、噴水、海...
2012/01/05~
カサブランカ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(43/49):1月11日(9):カサブランカ、ハッサン二世モスク、巨大ミナ...
2012/01/05~
カサブランカ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(44/49):1月12日(1):帰国、カサブランカからチュニジア経由カター...
2012/01/05~
カサブランカ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(45/49:本文完):1月12日(2)~13日:帰国、カタールから関西国際...
2012/01/05~
ドーハ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(46/49:補遺):モロッコ陶器(1/4):フェズ・ブルー絵皿、多色絵皿
2012/01/05~
フェズ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(47/49:補遺):モロッコの陶器(2/4):飾り皿、食器皿、具象絵皿
2012/01/05~
フェズ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(48/49:補遺):モロッコの陶器(3/4):碗、壷、タジン鍋、卵碗、タイ...
2012/01/05~
フェズ
-
2012正月、モロッコ王国旅行記(49/49:補遺):モロッコの陶器(4/4):カスバ街道、壷、飾り皿、タジ...
2012/01/05~
カスバ街道周辺
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2012正月、モロッコ王国旅行記(下巻)
0
30