2012/01/05 - 2012/01/13
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旅人のくまさんさん
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世界遺産の古都・メクネスのマンスール門があるエディム広場の紹介です。この後、モロッコの首都、ラバトに向かいました。(ウィキペディア、駐日モロッコ王国大使館・モロッコ)
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〇『モロッコの陶器』:エディム広場のお店の光景です。山のように陶器類が積まれていました。左奥には汎用品のタジン鍋も見えました。うっかり手を出したら、山崩れが起きてしまいそうです。これ以上近付いての写真撮影は止めておきました。(同上)
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こちらのお店も、同じように陶器の山が出来ていました。その間に狭い通路がありましたが、通路の奥まで進む気にはなりませんでした。モロッコ陶器の歴史紹介です。モロッコ料理に欠かせないのが、日本でもよく知られている『タジン鍋』です。モロッコに陶器が伝わったのは4世紀頃と言われています。(同上)
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調理で使われる陶器の鍋には他にも何種類かあり、『タジン』よりもさらに深い形のものに『カデラ』があります。また、壷のような形をした『タンジーヤ』は、マラケシュ発祥の鍋で、家族の人数によって異なる大きさのものを使用します。『タジン』と同様に、モロッコでは使う鍋の名前がそのまま料理名です。(同上)
*写真は、オープンカフェか、レストランの店先光景です。 -
『タンジーヤ』は、7種類のスパイスを使うのが特徴の料理です。モロッコでは『7』という数字が縁起の良い数字として好まれています。例えば赤ちゃんが生まれて7日目、結婚して7日目などは特別な日とされます。『タンジーヤ』は、お風呂をわかすと同時に、その火を使って調理されていました。(同上)
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モロッコの各家庭では、現代でも伝統的な料理をよく食べますが、日常のシーンでは陶器の鍋ではなく金属製の鍋も使われます。しかし、伝統的な行事の時には昔ながらの陶器の鍋が使われます。ラマダン期間中には、タジンを使い、ゆっくり時間をかけて調理されます。(同上)
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モロッコ陶器の始まりは、11~12世紀とするネット情報もありました。フェズ・ブルーと呼ばれる、青単色で彩られた陶器が有名なフェズと、黄や緑を中心として鮮やかな色で彩られた陶器が有名なサフィが二大産地とされます。食器としての利用のほか、飾り皿としても利用できます(ペンギン案内人30号)。(同上)
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〇『モロカンワイン』:旅行の楽しみの一つが現地のお酒を飲むことです。しかしモロッコはイスラム圏です。ところが、モロッコでも質が高くておいしいワインが作られています。特に注目したいのが、モロッコ独自の『グレーワイン(グリワイン)』、色は白に少し赤みがかかっていて、コクのある味をしています。残念ながら飲む機会がありませんでした。(同上)
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販売や提供をしているお店はかなり少ないのですが、カサブランカやマラケシュといった大都市のバーでは飲酒可能の場所もあります。街中で購入する場合、フランス発祥のスーパー『カルフール』では、基本的に酒類の販売がされているので狙い目です。また、港町エッサウィラや古都メクネスにはワイナリーがあり、日帰りツアーに参加、試飲をして購入するのもお勧めです。(同上)
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〇『アラベスク文様』:話題を転じて、『アラベスク(arabesque)』の紹介です。アラベスクは、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラーム美術の一様式で、幾何学的文様を反復して作られています。幾何学的文様の選択と整形・配列の方法は、人物を描くことを禁じるスンニ派のイスラーム的世界観に基づいています。なお、シーア派ではムハンマドを除いて描くことは認めています。(同上)
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ムスリム(イスラーム教徒)にとって、これらの文様は、可視的物質世界を超えて広がる無限のパターンを構成していると認識されています。イスラーム世界の多くの人々にとって、これらの文様はまさに無限であり、唯一神の『アラー(イスラームで言う無明時代では「アラート」という女神)』の創造のありのままを象徴していると考えられています。(同上)
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イスラムのアラベスク芸術家は、キリスト教美術の主要な技法であるイコンを用いずに、明確な精神性を表現しているとも理解しているようです。イコンとは、イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像のことです。イコンと読むのは、中世から現代までのギリシャ語によるものです。(同上)
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アラベスク形式の幾何学的文様を用いた芸術作品は、イスラーム世界でも、黄金時代(750年頃~1200年頃)を迎えるまでは、広くは使用されていませんでした。イスラーム黄金時代には、バグダードの知恵の館では古典古代のギリシャ語やラテン語のテキストがアラビア語に翻訳されていました。(同上)
*写真は、メクネスから首都のラバトに向かう途中の田園光景です。 -
後のヨーロッパのルネサンスのように、数学、科学、文学、歴史などの研究がイスラーム世界に大々的に広まり、『プラトン(紀元前427~紀元前347年)』や、とりわけ『ユークリッド(紀元前3世紀頃)』の著作が教養人の間で人気を博しました。事実、アラベスクの原型となった様式の発生を促したのは、ユークリッド幾何学とされます。(同上)
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古代エジプトや古代ギリシャなどでは盛んに幾何学が研究され、『エウクレイデス(ユークリッド)』は、その成果を『原論』の1~4巻において体系化しました。
〇まず点や線などの基礎的な概念に対する定義を与える。
〇次に一連の公理を述べ、公理系を確立する。
〇そしてそれらの上に500あまりの定理を証明する。(同上) -
イチオシ
この考えは、現代数学に近い形式を持ち、完成度の高いものであったため、それ以降の多くの幾何学者は、この体系の上に研究を進めました。ヨーロッパでは重要な教養の一つと考えられ、これを基礎に発展した体系は、『ユークリッド幾何学』と呼ばれるようになりました。(同上)
*写真は、首都のラバトに向かう途中の、山と野原の光景です。 -
ユークリッド幾何学は、現代的観点からは公理系に若干の不備もあり、『現代数学の父』とされる『ダフィット・ヒルベルト(1862~1943年)』がより厳密に体系化しました。ユークリッド幾何学は、永きにわたって『唯一の幾何学』でしたが、『原論』の第5公準(平行線公準)に対する疑問から始まった研究の流れは、19世紀に至ってついに『非ユークリッド幾何学』を誕生させました。(同上)
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ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は、一方が正しく他方が間違っているというような性質のものではなく、独立した別個のものと理解されています。『平面や歪みのない空間の図形の性質を探求する』のがユークリッド幾何学であり、『曲面や歪んだ空間の図形を探求する』のが非ユークリッド幾何学とも説明されています。(続く)、ここから、アラベスク文様の話に戻ります。(同上)
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アラベスクの原型となった様式の発生を促したのは、まさにユークリッド幾何学でした。ピタゴラスが体系化し、Al-Jawhari(800~860年頃)が拡張した三角法の基礎であり、Al-Jawhariの『ユークリッド原論注釈』でした。また、『我々の届かないところに永遠不滅の完璧な存在がある』、とするプラトンのイデア論もアラベスクの発展に影響があったとされます。(同上)
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〇『描写と象徴主義』:西洋人にとって、アラベスク美術は、反復する一連の幾何学的形式で、時々カリグラフィーを伴っているようなものに見えました。しかし、イスラーム教の敬虔な信者にとってのアラベスクは、彼らの共通の信仰の象徴にして、伝統的イスラーム文化が示してきた世界観の象徴としてとらえられました。(同上)
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〇『アラベスクの二つのモード』:アラベスク美術には二つのモードがあります。第一は世界の秩序を支配する原理を表現しています。その原理は、『物体を構造的にしっかりとしたものにし、さらに拡張することによって美しくする根本原理』とされます。反復する幾何学形式も、それぞれに固有の象徴性を有しているとされ、例えば、正四角形は「土」「空気」「火」「水」の四大元素を象徴しています。第二のモードは、植物の動的な性格に基づいています。このモードは、生命を与える母性を表現しています。加えて、第三のモードとして、アラビア書道に基づくモードの存在も主張されています。(同上)
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〇『アラビア書道』:ムスリムにとって『カリグラフィー(書道)』は、真のリアリティ(イデア)と関係する表現をすることではなく、あらゆる芸術の内の最も優れたものとされる『ことば』を可視化した表現と考えられています。イスラーム教において、口頭で伝達されるべき至上の記録は、『クルアーン(コーラン)』です。アラベスクには、今日でもクルアーンの一節やことわざが織り込まれています。これら三つのモードが合わさってアラベスクを作り出し、それが多様性から生じる唯一性というイスラーム信仰の基本原理を反映しています。(同上)
*写真は、到着したラバトのモハメド五世廟の騎馬衛兵の光景です。 -
〇『アラベスクの役割』:アラベスクは、一部の主張に拠れば、美術と科学のいずれとも見なされています。その理由は、アラベスクは数学的に正確であり、美的にも価値があり、そして象徴的であるからとされます。ただし、多くのムスリムにとっては、あらゆる芸術も自然界も、もちろん数学も科学もすべて唯一神の創造であり、同一のものの反映と考えら、アラベスクを構成するかたちを人は発見しましたが、これらはそれ以前から神の創造の一部として存在していたと考えられています。(同上)
*写真は、赤い服の衛兵と、白馬のズームアップ光景です。 -
〇『アラベスクの秩序と統合』;イスラーム教の核心は、イスラーム共同体をともにつなぎとめる統合性でし。イスラーム教の視点からは、プロテスタントのキリスト教を性格付ける構築的分離と比較して、ムスリムの世界は極めて融合的とされます。その理由は、地理的に遠く離れた地域でもよく似たアラベスクが用いられていることにも反映している、と説明されています。(同上)
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事実、あまりに似ていますので、アラベスクの様式の由来を判別することは、専門家にとっても時には難しいとされます。この理由は、アラベスクの形成の原理となっている科学と数学が普遍的であることにある、とも主張されています。(同上)
*写真は、路面に表示されたアラベスク文様のズームアップ光景です。 -
したがって、ほとんどのムスリムにとって、モスクのために人が作りだす最善の芸術様式とは、自然の背後にある秩序と統一性を表現するものと考えられ、物質世界の秩序と統合は、多くのムスリムにとって真の現実が存在する唯一の場所である精神世界の影に過ぎないとも主張されています。(同上)
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イスラム神秘主義のスーフィズムのムスリムは、精神世界と物質世界との間に差異はないと信じているようです。彼らはまた、我々が精神世界を経験し得ないのは、我々を完全無比な精神世界から遮断する『秘密のヴェール』があるからだと考えています。神秘主義のムスリムでなければ、理解できない事柄のようです。(同上)
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イチオシ
ですから彼らは、このヴェールを持ち上げ、地上にありながら神と一体になろうと努めるようです。そして、スーフィズム主義者がこれを実践する一つの方法こそが、世界の描写においてアラベスクを用いることである、とも主張されています。(同上)
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『ムハンマド5世廟』の紹介です。モロッコの国王だった『ムハンマド5世(1909~1961年)』の霊廟です。ラバト市内のハッサンタワーから道路を隔てた向かい側にあります。1971年に完成しました。ムハンマド5世の2人の息子であるハサン2世とアブダラーも収められています。ハサン2世(1929~1999年)は、1999年に埋葬されました。(同上)
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『ムハンマド5世(1909~1961年)』は、モロッコのスルターン(在位:1927~1953年、1955~1957年)及び国王(在位:1957~1961年)でした。モハメド5世とも表記されます。1955年にフランスから独立を勝ち取った、モロッコの国民的英雄とされます。(続く)
*写真は、ムハンマド5世廟の光景です。 -
イチオシ
ムハンマド5世は、スルターン・ユースフ・ベン・ハサンの末子として生まれ、1927年、父の死により即位しました。第二次世界大戦後、激化するフランスからの独立運動を指導したため、1953年にフランスによって廃位されました。フランスのインドシナ戦争の敗戦もあり、1955年に復位して翌年に独立を達成しました。1957年にモロッコの君主号をスルターンから国王に変更しました。(同上)
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